探求者たちのタイムクライム   作:Okubo Masau

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 ホープフルステークスは、現在は中山レース場で行われるのが通例となっているが、タキオンが出走した時には阪神レース場での実施となっていた。デビュー後初の大舞台を前に、タキオンはいつも通りにレース以外のことにばかり気を向けており、むしろ鷹木トレーナーの方が緊張しているような状況であった。仁川の駅を降りて、レース場へと直結する地下道は、ますますウマ娘の歴史に惹かれるタキオンを興奮させる光景ともなっていた。


登竜門を前にして、担当と共に歩む

 12月も半ばを過ぎ、トレセン学園を覆う空気には本格的な冷気と、そして刺すような昂揚が含まれ始める。

 

 有馬記念、ウマ娘レース一年の集大成ともいえる大舞台が、いよいよ発走の日を迎えるのだ。優先出走ウマ娘がファン投票によって選びだされる、最高峰のドリームレース。

 

 一年の締めくくりでもあるこのレースを、ラストランに選ぶウマ娘が多いこともまた、注目を集める一因であった。有馬記念に出走できるウマ娘は、そもそもごく一握りのGⅠクラスの中で、さらに選び抜かれた者たちだけである。

 

「ナリタトップロード、アドマイヤベガ……あの子たちの引退を予測してる、気の早い記事もちょくちょく出て来てるな……。」

 

 鷹木はいつも通り、タブレット画面を操作して情報を集めながら呟く。

 

 彼が今座っているのは、新幹線の座席である。

 

 世間の有馬記念への熱気とは別に、その翌日に行われるホープフルステークスのため、阪神レース場のある兵庫県へと向かっていたのだ。

 

 隣の席にはアグネスタキオンもおり、新幹線の車内で余計な騒ぎを起こさぬようにと与えられたパズル本に目を通している。……が、流石にタキオンの頭脳ではクロスワードも謎解きクイズも簡単すぎるのか、あっという間に全ページを解き終えて退屈そうにしはじめていた。

 

「今回の有馬記念出走者の中では……誰だったかな、そう、トゥザヴィクトリーも、トップロード先輩たちと同年代だねぇ。彼女もまた、長く走り続けているウマ娘ということで、引退がささやかれているねぇ。」

 

「他のウマ娘なら既に引退していてもおかしくない年だが、それでも駆け続けるのは勝てるという確証があるためだ。トレーナーと、ウマ娘自身が下した厳密な判断を尊重せず、気安く予測するなどと……。」

 

「所詮その程度のものだろう、メディアは世間の興味さえ惹ければよいのだろうからねぇ。」

 

 ウマ娘の引退という、いつか必ず訪れるレースの軌跡の終わりを、軽々しく話題にするネットニュースの記事に対し、鷹木はいつになく神経質になっていた。傍で聞いているタキオンは、常通りに冷静な評を下していたが。

 

 ナリタトップロード、そしてアドマイヤベガが、テイエムオペラオーと共に駆けてきた時期も、そしてオペラオーが引退した後も、走り続ける選択を自らの意思で採っていることが、どれほど重大な決断であるかを理解しているためでもあったろう。

 

 同時に、これからウマ娘レースの舞台で走り始めるアグネスタキオンに、早すぎる引退が訪れぬよう、鷹木がトレーニングにも最大限の注意を払い、極限まで神経を尖らせつづけていたためでもあった。

 

「……すまん、タキオン、本番の前日だってのに俺がカリカリしているところを見せるべきじゃなかったな。有馬記念の話は置いといて、明日のホープフルステークスに備えての話にしよう。」

 

「別に私は構わないけれどねぇ、トレーナーくんの性格はおおよそ把握できているのだから、いかなる振る舞いも私の認識の再確認に過ぎない。15時までには向こうに到着するのだろう、ゆったりと有馬記念の中継番組を観戦させてもらおうじゃないか。」

 

 ホープフルステークス、入学1年目ウマ娘にとっての登竜門。

 

 今年は有馬記念の翌日すぐ行われるということもあって、現時点では有馬記念の話題性に埋もれがちな状態ではあったが、こちらもトレセン学園に今年度入学したばかりのウマ娘にとっては一番の大舞台に違いない。

 

 来年、クラシック級三冠というさらなる高みを目指すことも視野に入れているウマ娘にとっては、このホープフルステークスでどれだけの結果を残せるかが非常に重要となってくる。

 

 もちろん鷹木も相応に神経を張りつめさせていたわけだが、アグネスタキオンはまるで普段と変わらず自然体であった。

 

「今までも繰り返して来たことのおさらいになるが、コース状態についても再確認するぞ。阪神レース場の内回り芝2000m、スタート直後がすぐ坂道になっているからペースを焦る必要はない。直線部分は325mあるし、出走枠は2枠がとれた、ますます位置取りにはさほど気を遣わなくていいだろう。」

 

「問題ないさ、幾度も実際に同条件の練習コースを走り、シミュレーションを繰り返して来たのだからねぇ。それよりも、ポッケくんが万全のコンディションを保てているかが心配だねぇ。彼女はあの後、実際にタガノテイオーの見舞いに向かったのだろう?」

 

「ここまで来て、まだ競争相手の心配をしてる余裕があるのか?……いちいち気にしなくても、ジャングルポケットなら完璧に仕上げてレース場に出てくる。」

 

 タガノテイオーへの見舞いについては、先日キングヘイローから簡潔に様子が送られてきていた。

 

 立て続けに現れたキングヘイローの見舞いに驚かれはしたものの、ジャングルポケットからいずれまた走ろうとの言葉を受け取ったタガノテイオーは、決して冗談とは受け取らぬ目で力強く頷いていたらしい。

 

「タガノテイオーからの応援も受け取って、彼女の思いまで背負ってレース場に出てくるんだ、ジャングルポケットは。実質、今回のホープフルステークスは、お前とジャングルポケットがぶつかるための舞台になるだろう。」

 

「そうなるだろう、と私も考えているけれどねぇ。しかし、どうやら人気順は違うようじゃないか。」

 

 今回のホープフルステークス、人気順であればクロフネというウマ娘が1番となっている。最初のデビュー戦は二着となったものの、初勝利においては2000mを2分00秒台で走り抜くという記録を残したウマ娘だ。

 

 確かに非常に優秀なウマ娘であるとはいえ、ジャングルポケットのごとき爆発的な末脚や、アグネスタキオンのようにレース展開に合わせて柔軟に対応する走りには至っていない、と鷹木は見ていた。

 

 現時点での人気順は、ほぼ一戦か二戦しか走っていないウマ娘のタイムや着順だけに左右されている。

 

 世間一般から与えられる評価とは異なり、トレセン学園所属トレーナーの眼からはアグネスタキオンとジャングルポケットがほぼ並ぶのではないかと見えていた。

 

「あくまで、デビュー戦でのタイムを比べられた結果の人気順だ。デビュー戦では、俺からの指示でタキオンには走りを緩めてもらったから、必然ではある。」

 

「確かに、世間に対しては分かりやすい指標だねぇ。……では、ポッケ君相手には、速度を緩める必要はない、ということだね?」

 

 タキオンの熱っぽくノイズの走ったような目に覗き込まれ、鷹木は僅かながら返答に詰まった。

 

 むろん、先ほどまでのやり取りには、明日に大一番のレースを控えているタキオンを焚きつけるため、ジャングルポケットの存在感をあえて強調するような表現があったのは否めない。

 

 しかし、実際のところ、タキオンが本気で走らなければならぬ展開になることは充分にあり得るわけであり……それに伴うリスクは全て鷹木が担うべき立場にあった。

 

「あぁ。全力で走れ。出し惜しみするレースじゃない。」

 

「トレーナーくんからのお達しがあったのなら、タガを外してもいいのだね?……急にワクワクしてきたじゃないか!」

 

 それまで淡々と受け答えをしていたタキオンは、ようやく新幹線が新大阪駅に到着するというタイミングで車内に響き渡る声をあげ、周囲から怪訝そうな視線を集めた。

 

 思えば、タキオンが高揚感を味わっての感情の発露を行うのも久々であった。

 

 担当トレーナーとしてはレース本番に向けての思いをウマ娘が高めていることは喜ぶべきではあったが、鷹木は堂々と振舞うには小心者すぎた。彼は冷や汗をかきながら頭を下げつつ、タキオンを連れて新幹線の車両から降りて行った。

 

 GⅠレースへの出走となればトレセン学園からも送迎のバスが手配されるが、しかしまだ入学1年目のウマ娘では最寄駅と宿泊場所、レース場間の移動がサポートされるだけである。

 

 大阪から阪急電鉄に乗り、送迎バスが来る時刻よりも早く、鷹木とタキオンは仁川の駅に降り立った。

 

「宿泊場所へのバスが来るまでの間に、阪神レース場の下見だけは済ませておくぞ。コースだけは同じ条件のものがトレセン学園にもあったが、当日前にレース施設全体を見ておくべきだ、特に様々な対象に興味を惹かれやすいタキオンは……」

 

 注意力が散漫になるからな、と鷹木は言いかけていたのだが、既にタキオンは彼の言葉を聞かずに先行していた。

 

「ほう!これが仁川の駅から阪神レース場へと直結する専用通路か!むろん、データ上では画像にて知っていたが、実際に来てみれば早くも迫力を覚えるほどだねぇ!京都レース場へと直結する淀の駅も素晴らしかったが、こちらは随分と年季が入っているじゃないか!」

 

 阪神レース場へと直接通じる通路へと駆け出していったタキオンは、そのまま自動改札のゲートに引っ掛かっている。興奮状態にある彼女は、それでも視線を自分の足元に向けず、前方だけを見続けていた。

 

 呆れ顔の駅員に、またも冷や汗とともに頭を下げながら鷹木がキップを通し、タキオンと共にレース場への専用通路へおりるエスカレーターに乗った。

 

 とはいえタキオンが急に興奮し始めるのも無理はない空間ではあった。その専用通路の左右には、阪神レース場の歴史を彩る数々の優駿たちの大型ポスターが、ずらりと並んで続いていたのである。

 

「ごらんよトレーナーくん!シンザンだ!我々の大先輩、シンザンのポスターがあるよ!こっちは流星の貴公子、テンポイントだ!トウショウボーイもいる!グリーングラスも!永遠の三強が激突したレースのポスターがあるよ!史上初のトリプルティアラ、メジロラモーヌも忘れちゃいけないねぇ!あ、あぁ!トウカイテイオーだ!向かい合う位置にオグリキャップ!」

 

「ちょ、ちょっと抑えようか、ここでスタミナを使い果たして明日のレースに響いても良くないから……。」

 

 鷹木は、タキオンの声が通路内に響き渡っている点も鑑みながら、彼女に静粛を促す。

 

 一応はアグネスタキオンも帽子をかぶるなどしてウマ耳は隠していたため、同じく通路を通っている通行人からは熱狂的なウマ娘ファンが来たのだろうと、生暖かい視線を向けられるばかりであった。

 

 かく言う鷹木も、タキオンの興奮度合いに圧されて冷静になっていただけであり、ウマ娘レースに深く携わる立場の人間として、この通路を興奮せずに歩きぬくことは困難だったろう。

 

 単に歴代の優駿のポスターが貼ってあるという状況のみならず、ウマ娘レースが行われるたびに幾万人もの期待と熱狂を運び続けてきた場所には、数え切れぬほど観客たちの思いが染みついているようでもあった。

 

 大勢の人間の強い思いが土地に染みつくという仮説は、アグネスタキオン自身が夏合宿にて述べていた内容ではあったが……この場所の空気を肌に感じれば、それもあながち間違いではないようにも思われた。

 

「観戦スタンドまで行ってみるか?」

 

「もちろん。明日、私が走る様を、観客たちがいかに見るのか、確認しないワケにはいかないねぇ。」

 

 鷹木は入場ゲートの係員に、トレセン学園所属トレーナーの身分証を見せ、背後についてきているタキオンも担当ウマ娘であるとして紹介する。

 

 さすがにURAの関係者であればアグネスタキオンの名は知っているのか、さきほどまで騒がしそうな奴がやって来た、とばかりに怪訝そうな視線を向けていた係員も目つきが変わり、速やかにタキオンと鷹木の両名を通した。

 

 幾階層にも連なった観客席に囲まれたパドックを見下ろしながら通路を抜け、ウマ娘たちが走るコースへと向かう。

 

 都会の真ん中で見るには贅沢すぎるほどに広々とした空の下、ウマ娘レースの舞台が広がっていた。

 

 鷹木にとっては幾度も幾度も見つめ続けてきたコース、だがタキオンを傍らにした今、ますます新たな時代を切り拓く場所としての神聖さすら覚えさせる場となっていた。

 

 先ほどまでの興奮がようやく冷めてきたのか、タキオンは黙ってコースを見つめ続けていたが、しばらく後に黙って踵を返した。

 

「……タキオン?もう、コースは見ないのか?」

 

「あぁ、十分だ。この観戦スタンドという場所は独特だねぇ……ウマ娘がどんな走りをしても、勝てるという期待を抱かせてくるじゃないか。」

 

 タキオンが言わんとするところは、鷹木にもおおよそ伝わっていた。

 

 実際に走るウマ娘たちは、実力差こそあれども、ほんの僅かの判断ミスや仕掛けどころの躊躇が勝敗を決する、ごくシビアな世界で競っているのだ。

 

 誰もが勝てるチャンスを有している、との希望を抱かせるこの場所は、ウマ娘レース全体にとっては明るい舞台であれど、レースを走る立場にとっては判断力を研ぎ澄ますには相応しからぬ場所であったのだろう。

 

「しかし収穫はあったねぇ。観戦スタンドから見れば、ゴール前の上り坂は存外に長く、ハッキリと上りになっているわけだ。むろん上りの距離と角度はデータとして事前に把握しているが、異なる視点からの印象を得たことは認識を補強してくれるねぇ。」

 

「そうか、よかった……じゃあ、余裕をもって、宿泊場所へのバスに乗っておくか。現地トレーニング施設での最終調整も、時間を取って行う。」

 

「おっと、むろん、今日の有馬記念の中継観戦時間も、しっかり確保しておいてくれたまえよ?」

 

 本番前日に現地へと新幹線で向かう、というスケジュールがどう響くか心配な鷹木であったが、ここまで来たタキオンは随分とすっきりした表情を浮かべていた。

 

 レースの歴史が刻まれた土地への興奮、そして実際に自分がその歴史の一部となる瞬間が近づいてきている実感、双方を意識したことでウマ娘としての己の在り様を再確認できたのだろう。

 

 阪神レース場からの帰り道、またも専用通路に張り出されている歴代の優駿ポスター前でいちいちタキオンが立ち止まるせいで、結局送迎バスの待ち時間ギリギリとなったことは、また別の話であった。

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