当然のことながら有馬記念は、全ての出走ウマ娘が、普段ウマ娘レースに触れていない世間一般の観衆からも注目を浴びる存在ばかりである。
今年度のクラシック級から頭角を現した1番人気ゼンノロブロイ、2番人気ネオユニヴァースを筆頭に、歴戦のベテランであるナリタトップロード、アドマイヤベガ。
さらにはエアシャカールとアグネスフライト、ツルマルボーイもまたGⅠレースの華々しい舞台を飾る役者である。実況席からも、彼女らの紹介が欠かされるはずはない。
〈アグネスフライトは今年度の天皇賞秋、そしてジャパンカップの両方に出走したウマ娘です。ツルマルボーイもまた天皇賞秋、その前には宝塚記念にも出走していますね。〉
〈どちらも、ネオユニヴァースちゃん、そしてゼンノロブロイちゃんに一着を獲られたレースです!この有馬記念でこそ雪辱を果たすため、完璧に仕上げてきたんじゃないでしょうか!〉
〈勝ちたい相手がいるってことは、すごく力になりますぅ。〉
実況アナウンサーの述べる情報に合わせたスペシャルウィークの解説に、実況席に居並ぶメイショウドトウが説得力のある言葉を付け加える。
ちょうどドトウにとってのテイエムオペラオーがそうであったが、今回は状況が違っている……彼女らは、自分たちの後輩ウマ娘から勝ちを獲り返すためのレースに出ているのだ。
今年の宝塚記念に出走したという点ではフサイチランハートもアクティブバイオも同様であったし、ジャンパンカップに出走していたウマ娘の中にはアメリカンボスもいる。
〈アメリカンボスはデビュー6年目の大ベテラン、この世代のみならず、昨年、更に一昨年の有馬記念にも出走し、これで三度目の有馬記念出走となります。〉
〈私たち黄金世代と同年代から、今もずっと走り続けてますからね!グラスちゃんとも直接対決したことがあるウマ娘です、凄いタフネスですよ!〉
〈オペラオーさんが勝った時の有馬にも、私が去年勝たせてもらった有馬にも、アメリカンボスさんが居ましたぁ。かなり前まで上がってこられたので、紛れもない実力をお持ちですよぉ。〉
黄金世代と同期でデビューし、今なお走り続けているアメリカンボスは特に、GⅠレースでの一勝を目の前で掴みかけては逃し、諦めきれずにいるウマ娘の一員であろう。
化け物揃いの黄金世代、覇王が総ナメにした世紀末、更に新時代を築く勇者たちが活躍する中で、闘魂を失わず駆け続ける姿は、そう簡単に真似できるものではなかった。
中継番組の画面を見つめながら、ジャングルポケットの隣に座ったキングヘイローがぽつりとつぶやく。
「私も、走り続けていたかもしれませんわね、今も。」
「今も……?」
鷹木に問い返され、ジャングルポケットからも視線を向けられながら、キングヘイローは画面を見つめたままに言葉を続けた。
アグネスタキオンもまた、珍しく自分以外の発話者に興味を惹かれたように、キングへと顔を向けている。
ちょうど、画面内にはゲートインへと向かうアメリカンボスの姿が映っていた……これで三度目となる有馬記念のゲートを前に、余計な緊張などなく、同時に表情には気迫が漲っている様がありありと伝わってきた。
「現役最後の年、私はGⅠを勝つ気でいたからこそ、トレーニングを行いながらもトレーナーとなるための勉強を続けていました。けれど、万が一、あの高松宮記念で勝てていなければ……トレーナー試験の合格も何も放り出して、勝てるまでレース現役を続けていたかもしれませんわ。」
「ひとたびGⅠのレース場に上がった者は、そこでの一勝に生き様の全てを捧げるほど、焦がれるものなのだねぇ。」
アグネスタキオンの言葉に、キングヘイローは口を閉じたまま深く頷いた。
トレーナーになるための勉強は、一度やっておけばよいというものではない。ウマ娘レースの様相は年々変わっていくため、トレーナー志望の者に毎年求められる能力、知識、思考力もまた変遷し行く。
キングヘイローは高松宮記念にて勝利した年の末、有馬記念をラストランとして引退するプランに合わせてトレーナーとなる勉強を続けていたのだが、GⅠでの一勝はそれらすべての根幹となる大前提であった。
レースとなれば、走らずにはいられないウマ娘たち。彼女らが、自分の競技生命を全て注ぎこむほどに焦がれる、狂熱とも称すべき憧憬はGⅠレースにこそあるのだ。
〈さぁ、今年の全ての集大成、最高峰のビッグレース……有馬記念!早くも物凄い歓声です!さぁ、ゲートインが完了しました、体勢完了……ゲートが開きました!全ウマ娘、一斉に綺麗なスタートを切りました!アグネスフライト早くも果敢に前へ行った!しかしトゥザヴィクトリーか、どうやら先頭はトゥザヴィクトリーに行かせるようです!アグネスフライトは2番手に控えました、3番手はウチをコイントス、その後テイエムオーシャンが続く形となっています。〉
〈アグネスフライトちゃんは追い込みが得意な印象がありますが、昨年の京都記念では先行策も披露してますからね!末脚発揮まで上手く持っていければ、相当に勝ちは近づきますよ!〉
〈シャカールさん、頑張ってぇぇ……!〉
冷静に実況しているスペシャルウィークの隣では、メイショウドトウが完全にプライベートな思い入れを吐露している。
とはいえ、その思いは口にせずにはいられない類のものには違いなかった。エアシャカールは今年の3月、日経賞にて一着になって以来、勝利からは遠ざかっている。GⅠ勝利ともなれば、なおさらだ。
「ドトウくんの応援は彼女にも届いたろうか、シャカールくんはいつも通り最後尾近くに位置どっているねぇ。」
「シャカールほどの経験を積んでいれば心配はないと思うが、やはりコーナーをこれだけ回るコースだ、先行が有利になるのは必然だな……。」
鷹木の返答に、タキオンは小さく頷きながら画面を凝視していた。
冷静な目でレース状況を分析しているように見えて、タキオン自身もまた有馬記念の異様な熱気に、画面越しながら早くも当てられているといった様子であった。
〈外を通りましてはナリタトップロード、3番手に並んでいます!そしてゼンノロブロイがすぐウチ側に、さらにアクティブバイオ、ネオユニヴァースが続いている!そして少々掛かり気味か、アメリカンボス、早くも後方から前へ上がっていく様子です。さぁ正面スタンド前、14名のウマ娘がコーナーを回り切って、最初の直線へと入ってまいります!まだひと塊、トゥザヴィクトリーはさほど大きく逃げてはいない!〉
〈ゼンノロブロイちゃんもネオユニヴァースちゃんも、良い位置につけてますね!〉
〈はいぃ、あの先行の位置を保てれば、かなりスタミナ面でも有利になりますぅ。〉
スペシャルウィークから語り掛けられる形で、メイショウドトウもようやっと解説らしい解説を口にしている。
昨年、メイショウドトウが勝利した時も、彼女は先行策を採っていた。2500mの距離を逃げ切るのは難しく、コーナーを6つ回るコースにおいては、一気に追い込む形から勝つのも厳しい。
キングヘイローも画面内をじっと見つめながら、口を開く。
「最後の直線に入ってからゴールラインまで300mにも満たないんですもの、自分の思い通りのタイミングで前へと上がっていけなければ、最後の競り合いにすら参加できませんわね。」
「やっぱ、先行が安定ってことだよな。……後ろから上がってきて勝ったのが、世紀末覇王テイエムオペラオーだけどよ。」
言いながらジャングルポケットは、鷹木の方に視線を向ける。
ジャングルポケットに限らず、そしてウマ娘たちに限らず、一昨年のあの有馬記念の様相は、全国の記憶に刻まれている。オペラオーを担当していた鷹木とて、忘れられようはずもない。
完全に周囲を固められ、全く前に出られない状態のまま、最後の直線にまで向いたテイエムオペラオー。
そこからごく狭い隙間を抜けて駆けあがっていった世紀末覇王は、その年最後のGⅠレースも勝利で飾り、グランドスラムおよび年間無敗を達成したのだ。
「……あぁ。あの状況からなんで勝てたのか、今でも分からない。有馬に出るウマ娘に対して、あの位置取りは絶対にアドバイスしないだろう。」
ただひとつ確かであったことは、最後の直線に向いてからはオペラオーをブロックしようとするウマ娘が一名もいなかったということだ。
1番人気のウマ娘は、複数からマークされる。しかし、この有馬記念という大舞台で、自らの勝利を捨ててまで妨害に徹するウマ娘など、決して居はしない……見る者にそう確信を与える光景でもあった。
〈トゥザヴィクトリーにアグネスフライトがほぼ並んで先頭を駆けています!その斜め後ろにはナリタトップロードが付きました……あぁっと、アグネスフライトが一気に前に出た!トゥザヴィクトリーがリードをなかなか広げない中、もう行ってしまおうという判断か、アグネスフライトが逃げの位置、リードを広げていきます!既に3バ身から4バ身のリードをつけていっています!〉
〈これはかなり思い切った作戦ですね!けれど、自分の想定してたペースから外れるよりも、勝ちには近づくかもしれません!〉
〈はわぁあ、この判断は、なかなか下せませんよぉ……。〉
むろん観客席も、大いに沸き立っている。トゥザヴィクトリーに先を行かせていたアグネスフライトであったが、あまりにリードを広げない先頭に焦れるようにして、自ら1番手へと上がっていったのだ。
逃げの脚質であれば、たしかにスローペースを維持した方が有利である場合もあるが、アグネスフライトの考えは違っていたらしい。
「妥当な判断ではあると思うねぇ。後ろの面々を見ていれば。」
「あぁ、すぐ背後にネオユニヴァースやゼンノロブロイが居るということは、生半可なリードなどあっという間に差されてしまう圏内になるってことでもあるな。」
今年のGⅠタイトルを獲った面々の走りを思い返せば、逃げの位置のウマ娘は後続となるユニヴァースやロブロイを充分に引き離しておかなければ、勝機はない。
一見、あまりに大胆過ぎる仕掛け方のようにも見えて、アグネスフライトの下した判断はトレーナーや同じウマ娘から見ても何らおかしなものではなかった。
〈さぁナリタトップロードは3番手となりまして、2コーナーを回っていく!コイントス4番手、そしてアクティブバイオが続き、そのウチ側にゼンノロブロイ、テイエムオーシャンはその後を行って、アメリカンボスが続いています!中団後方にアドマイヤベガ、続くはネオユニヴァース!さらにイーグルカフェ、その外側に並んでエアシャカールも駆けていく!ウチを通ってフサイチランハート、最後方にツルマルボーイと言った態勢であります!〉
〈中団以降の位置取りは落ち着いていますね!本来通りの走りをそのままに出してくるんじゃないでしょうか!〉
〈もっ、もう向こう正面ですぅ、どこで仕掛けてくるんでしょうかぁ!〉
メイショウドトウ自身が走った事のある有馬記念でありながら、解説ではなく問いかける側にまわってしまっている。
とはいえ、そう問いかけたくもなる構成であった。ひとたびゼンノロブロイやネオユニヴァースが仕掛ければ、あっという間に先頭を獲るだろう。それはレースの勝敗を決する、決定的瞬間となるはずである。
「完全にウチ側で落ち着いてんな、ユニヴァースもロブロイも……また、あのとんでもない狭い隙間から抜け出てくるのか?」
「それが出来てしまうウマ娘だからこそ、油断なりませんわね、観戦している立場としても。」
ジャングルポケットとキングヘイローも、真剣そのものな眼差しで中継画面を注視し続けている。
それは当然の警戒であった。来年、クラシック級に上がるジャングルポケットは、ことによってはネオユニヴァースやゼンノロブロイとも競い合うことになるのだ。
アグネスタキオンもまた同様であった、彼女ほどの能力の持ち主ならば、クラシック三冠を狙うのみならず、シニア級のレースも視野に入れられる……鷹木も、ぼやぼやしていられる状況ではなかった。
〈さて向こう正面を抜けようというところ、アグネスフライトは2番手に下げまして再び先頭はトゥザヴィクトリーとなっています!3番手はナリタトップロード変わらず、ウチにコイントスであります!3コーナーを回っていく、アクティブバイオは現在5番手、後方大外を回って、アドマイヤベガ、アドマイヤベガが上がってきた!ツルマルボーイは最後方だ、間もなく最後の第4コーナーへ入ります!〉
〈アドマイヤベガさんだけじゃありません、皆横並びになってます!全員がゴール前で競り合える位置です!〉
〈ま、前に、前に行ってくださいぃ!〉
メイショウドトウは、誰に宛てての声援であるかは明言しなかったものの、おそらくエアシャカールに向けての言葉であったろう。
エアシャカールは後方、目の前にずらりと横並びとなった面々に塞がれて、上がっていけるコースを見いだせない位置のままであった。その様相を見つめながら、ジャングルポケットが呟く。
「いや来るだろ、この形は……」
「あぁ、来たね、ゼンノロブロイくんが!目の色が変わったねぇ!」
中継画面の向こう側、遠いカメラのレンズが捉えたに過ぎないゼンノロブロイの表情は、どれだけ大きな画面であろうともごく小さくしか映されていない。
だが、それでもなお、タキオンが言った通り、彼女の「目の色が変わった」様を、鷹木もはっきりと見て取った。
彼女が空間を歪ませるほどの闘志を、全身から放った様が肌で感じ取れるようであった。
〈トゥザヴィクトリーが変わらず先頭、5バ身から6バ身のリード!残り300!アグネスフライト2番手、ナリタトップロードも来ている!200を切った!ゼンノロブロイが来た!ゼンノロブロイが来た!バ群を割って、ゼンノロブロイが物凄い勢いで上がってきた!これは速い!トゥザヴィクトリー懸命に逃げるが、ゼンノロブロイだ!!差しきった!!ゼンノロブロイ、一着でゴールイン!勝ちましたゼンノロブロイ!〉
〈ゴールまで残り200mを切ったところで、6バ身差を……差しきってますよ!あんなに凄い子が、まだクラシック級だなんて!〉
〈ひぇえぇ……こんな、はわぁあ……。〉
もはや口を開いても言葉にならないメイショウドトウの反応も、驚嘆と賞賛の入りまじる観客席の大歓声に埋もれている。
たった今のゼンノロブロイが、圧倒的な走りを見せつけたことに対してのみではない。遂に達成されたのだ……クラシック級ウマ娘でありながら、秋シニア級のGⅠレース三冠を獲ることが。
「タキオン?……タキオン!」
ふと隣を見た鷹木は、自分の隣に座っているアグネスタキオンが画面を見つめたまま、放心しているのに気づいた。
彼女が心ここにあらずといった状態になることは決して珍しくなかったが、それは探求すべき対象を発見し、その考察に夢中となっている場合だけである。
今のタキオンは、そのような熱中も感じさせない、目を開いたままに意思を失ったかのごとき瞳の色を示していたのだ。
単なる放心状態とは異なることぐらいは、鷹木も読み取れた。
「大丈夫かタキオン、具合が悪くなっているのなら言ってくれよ。明日のレースに響くようなことがあれば、ちゃんと……」
「……あぁ、トレーナーくん。問題はないさ、明日のホープフルステークスも万全だ。」
アグネスタキオンは、ゆっくりと立ち上がる。
彼女に並んで腰を下ろしていたジャングルポケットも同様に、静かなままであった。
たしかに、前代未聞の偉業を達成したゼンノロブロイの走り、それを見せつけられて圧倒されたことは事実である。
だが、それ以上に、自分たちこそがウマ娘レースの歴史に新たな1頁を付け加えるのだという意思に……それを実行することがいかに困難であるかの実感が付け加えられたことの方が、よほど重い事実であった。
中継画面内では変わらぬ調子で、興奮した様子の実況アナウンサーの声が響いていたが、アグネスタキオンもジャングルポケットも、静かなままに踵を返し、この場から歩み去っていた。
キングヘイローはジャングルポケットの背を気遣わしげに見やりつつ、鷹木に向かって告げる。
「では、明日のホープフルステークスでお会いしましょう。全力を出せるコンディションでの勝負としましょうね、タキオンさんも。」
「ああ、当然だ。そちらのジャングルポケットも、本気で掛かってきてくれ。」
そのように挑発的な言動を普段は口にしない鷹木であったが、今は自然とキングヘイローへの返答として述べることが出来ていた。
本番レースを前にして、担当ウマ娘のコンディションを整えるトレーナーとしての務めを、最大限に発揮すべき状況が眼前に迫ってきていることを実感しているがゆえであった。