クールダウンを終えたアグネスデジタルと共に練習場を後にしても、なおエアシャカールの言葉は鷹木の胸中に引っ掛かり続けていた。
現状、自分が担当しているウマ娘がおらず、今年度の有馬記念にはまだ出る予定がないアグネスデジタルの付き添いに過ぎない鷹木。
とはいえ、かつての覇王としのぎを削った好敵手、アドマイヤベガの様相が常ならざるものだとしたら、それを見てみたい思いは確かに高まっていた。練習場脇の通路を並んで歩きつつ、アグネスデジタルもそれを見越していたのだろう。
「あの、鷹木トレーナー、今からアヤベ先輩の練習場にお邪魔してみません?」
「い、今から?」
推しウマ娘のためならば行動を迷うことのないデジタルらしい率直な提案であったが、鷹木は戸惑うを通り越し、臆していた。
先ほど、シャカールの練習場には担当トレーナーの姿が無かった。シャカールを担当しているのは、言わずもがなURA界のレジェンド、結城トレーナーである。
彼の姿がシャカールと共になかったということは、現在はアドマイヤベガの調整を見ている最中だろう。同じ有馬記念への出走を予定しているウマ娘同士、互いに予定している作戦を明かさぬよう、シャカールと同じ練習場は使えない。
結城トレーナーも、どちらが優先と決めてはいないだろうが、既にジャパンカップで結果を出したシャカールと比べ、なかなか勝てていないアドマイヤベガを気に掛けてはいるだろう。脚に生じた異状のため、引退の可能性がちらついた一昨年の件もある。
……すなわち、今アドマイヤベガに合いに行けば、結城トレーナーと顔を合わせることは確実だった。あの物腰柔らかなレジェンドに面会することへの緊張が、鷹木の躊躇の大半を占めていた。
「確かにアドマイヤベガの様子は気になるが、今まさに大事な時期だし、練習のお邪魔になるかも……。」
「アヤベ先輩の邪魔になるようなこと、しませんって。デジたんもそこんところ、ちゃんとしてますし!ささ、行きましょ行きましょ!」
GⅠクラスのウマ娘の練習場に踏み込むのは、トレセン関係者以外はもちろんのこと、トレセン学園内のウマ娘であっても誰でも自由というわけではない。
招待も無く立ち入る資格など明瞭に示されているはずもなく、鷹木は待ち構える結城トレーナーの存在感を思えばこそ、ますます委縮していたのだが……アグネスデジタルは早くも鷹木の腕を引っぱって目的地へ真っすぐ突き進んでいた。
彼の意思に任せていては思い立った機を逸する、と十分に理解していたのだろう。
「ちょっと、待って、デジタル……!?」
「きっとアヤベ先輩も、結城トレーナーも、私達のことを歓迎してくれますから!向こうが私たちに帰ってほしそうにしてたら、そそくさと退散すればいいことです!」
その状況をこそ鷹木は最も恐れていたのだが、一途に自らの想いが向かう先へと足を運び始めたアグネスデジタルを引き留められるはずもない。ウマ娘との体力差を鑑みても。
とうとうアドマイヤベガの専用練習場へと到着したアグネスデジタルは、それでも遠慮がちにそっと入り口の扉を開き、隙間から中の様子を覗き込んだ。
と同時に、練習場内からは複数のウマ娘が揃って「ありがとうございました!」と斉唱している声が響く。
「併走練習、終わったところか。」
「ですねぇ、まだ担当トレーナーのいないウマ娘ちゃんたちが、アヤベ先輩と一緒に集団で走る練習に招待されたんでしょ。ちょうどいいです、入っちゃいましょ。」
いまだにアグネスデジタルに服の袖を掴まれていた鷹木は、抗う余地もなくデジタルと共に練習場の中へと引っ張りこまれた。
アドマイヤベガとの併走練習を終え、めいめいにストレッチを済ませて入り口の方へとくるウマ娘たちは、まるで大舞台での本番レースを終えた直後のように、表情の隅々まで漲った緊張感を残している。
中にははっきりと蒼ざめ、周りの仲間から気遣われつつ帰ってくるウマ娘も居る。今のアドマイヤベガと共に走ることは、相応の試練だったのだろう。
練習場へたった今入ってきたアグネスデジタルの姿を発見しても、彼女らが驚きや笑顔を見せることこそあれ、騒ぐような真似をしなかったのは、この場所が大舞台へと挑む準備を真剣に続けているアドマイヤベガの練習場であることを否応なしに実感しているためだろう。
彼女らが経験したであろうことを、もちろんデジタルも察していたのか、どこかこわばった調子で会釈しつつ去っていく後輩ウマ娘たちへ、小さく手を振りながら笑顔で語り掛けている。
「皆、お疲れさま!どうだった?アヤベ先輩との併走!」
「凄かった、です……格が違うって感じ……。」
デジタルに対してようやくそれだけ返答できたのも、ウマ娘集団の中で最も気の強そうなリーダー格の子だけだった。
そんな状況であっただけに、デジタルの背後でオマケのように突っ立っている鷹木トレーナーに意識が向けられる余裕もなかっただろう。彼がテイエムオペラオーを担当していたトレーナーだ、ということに気づいていないウマ娘は多くはなかったはずだが。
既にアグネスデジタルの付き添いという役割を鷹木が得ていることもあったが、もはや雲の上の存在とも呼べる結城トレーナーが同じ練習場に居ては、鷹木の存在感が霞むのも必然であった。
「いやぁ、全力で走り終えたウマ娘ちゃんたちの纏う空気、良いものですねぇ。いや別に、汗の匂いを嗅いでたわけじゃないですよ?ただどうしても感じ取ってしまうと言いますかぁ、ね。」
「それは既に匂いを嗅いでるんだよ。しかし、全力で走った後だってのは、確かに分かるな。」
「そりゃ、アヤベ先輩が相手ですからねぇ。お、結城トレーナー、こっちをチラっと見ましたけど、行けそうかな?」
もちろん、練習場に足を踏み入れたその時から気にし続けていた鷹木も、結城トレーナーがこちらへ向けた視線に気づかぬはずがない。
広い練習場内での距離感では、その表情の細部までは読み取れなかったが、相手の感情の機微を読み取るのに長けたデジタルの判断に鷹木も乗った。結城トレーナーが、自分の無断訪問を許すことに確信を得るのは、鷹木の細い神経では出来かねた。
アドマイヤベガは、静かにクールダウンを兼ねたストレッチを続けていたが、アグネスデジタルの声が聞こえたことで顔を上げた。
「どおもー、アヤベ先輩、結城トレーナー。アポなしで押しかけて済みません、鷹木トレーナーがどうしても練習風景を見たいって仰るもんですから。」
「えっ、いや、俺じゃなくって、デジタルが。」
「どちらでもいいわ、あなたたちなら、私の作戦を漏洩させることなんてしないだろうから。」
そこには以前まで見た通りのアドマイヤベガがいた。たしかに大舞台を前にしてますます引き締まった表情にはなっていたが、シャカールが言った通りに「纏ってる空気が変わってる」とまでは感じ取れなかった。
結城トレーナーの方も、常通りにウマ娘自身にトレーニング内容を決めさせる方針のままで変わってはいないらしい。
彼はたった今の併走練習におけるペース配分記録を確認しつつも、現れたデジタルと鷹木の方を向いて笑みを見せ、またすぐタブレット画面へと視線を落とした。
「……。」
明確に普段との違いを示していたのは、結城トレーナーのほうであった。鷹木たちを出迎えるための笑みが消えた後、そこにはハッキリと険しい顔つきが現れたのである。
その表情がアドマイヤベガの走りを記録したタブレット画面へと向けられていなければ、小心者の鷹木は招待無しで練習場に踏み込んできた自分たちの非礼を叱られるのではないかと勘違いしただろう。
一方、アグネスデジタルはすっかりのびのびとした調子でアドマイヤベガに話しかけている。
「さっきのウマ娘ちゃんたち、併走練習相手ですか?あの子達の顔色見ただけで、アヤベ先輩がどんだけ凄い走りを見せたのか、デジたんの脳裏にもありありと浮かんできました。」
「練習とはいえ、手は抜かなかったつもりだから。私たちの後輩ウマ娘たちにとっても、本番同様の走りを間近で感じることは、将来の大舞台での心構えに繋がるもの。」
「いやぁ流石です、私もウマ娘ちゃんたちのキラキラを追っかけてばかりじゃなくて、後輩たちを引っぱっていく立場で頑張らないと、ですね。」
「何を言ってるのよ、世界の舞台で勝ってきたウマ娘が。既に、あなたの背を追っている後輩はいくらでも居るわ。」
アドマイヤベガの指摘は尤もであった。香港カップでのアグネスデジタルの勝利は、このトレセン学園どころか、全世界へと中継されているのだ。
いつも賑やかなアグネスデジタルにとっては、その周囲の賑わいが多少増えた程度では今までとの違いも実感しづからったかもしれないが、先ほど入れ違いになった後輩ウマ娘たちからはハッキリと憧憬の眼差しを向けられていた。
照れたように頭を掻いているデジタルの耳の向き、そして練習場の芝を踏む彼女の足元へと素早く視線を走らせたアドマイヤベガは、ストレッチを終えて呼吸を整えつつ、彼女に提案を投げかけた。
「デジタル、今から走らない?」
「へ?わ、私が、今からアヤベ先輩と、ですか?」
「走りたがっているんでしょう、あなた自身の体が。結城トレーナー、いいかしら。」
自分の胸中を見透かされたデジタルがますます照れの度合いを強めている傍ら、アドマイヤベガは急遽決めた自分の方針を結城トレーナーへと告げる。
基本的に、ウマ娘自身の提案を尊重する方針の結城トレーナーであったが、今回ばかりは即時に頷きはしなかった。それほどに、先ほど行った併走練習でのアドマイヤベガの走りは本意気に至ったものだったのだろう。
とはいえ、世界の舞台で走ってきたアグネスデジタルと競い合う練習の機会もまた、得難いものである。しばしの間が空いた後、結城トレーナーはアドマイヤベガの目を見て告げた。
「いいよ、けれど午後からのトレーニングは負荷を軽めに。」
「分かったわ、行きましょ、デジタル。そちらは調子が整っているのかしら?既に一本、走ってきたような雰囲気だけれど。」
「はい、先ほどシャカールちゃんと練習を。と言っても、途中でスタミナに無理が出そうだと気づいて、走りを緩めちゃったんですけれどね。」
アドマイヤベガと言葉を交わしつつ、アグネスデジタルはウォームアップがてら軽やかにステップを踏みながら練習コースのスタート位置へと向かう。
必然的に、鷹木は結城トレーナーの隣に残されることとなった。恐る恐る横目で結城トレーナーの表情を盗み見る鷹木であったが、老トレーナーはじっと黙ったまま、やはりアドマイヤベガの練習データを前に険しい表情を続けるばかりであった。
とはいえ、アドマイヤベガの走り自体に支障があれば、今まさに始まろうとしている練習を承諾することはないだろうし、そも有馬記念への出走そのものが危ぶまれてしまうだろう。
「鷹木トレーナーも、アドマイヤベガの走りをじっくり見ていてくれるかい?」
「は……はっ、はい!」
唐突に結城トレーナーから話しかけられたことに、不意を突かれた鷹木は気の抜けた返事だけをようやく口にした。
シャカールからは雰囲気が違っていると評され、併走練習を行ったウマ娘たちが蒼ざめ、そして結城トレーナーがいつになく険しい表情を浮かべる、そんな現状のアドマイヤベガの走りがいかなるものか、鷹木としても当然ながら目に焼き付けたいところであった。
ウォーミングアップを終えてスタート位置に着いたアグネスデジタルとアドマイヤベガを確認し、結城トレーナーは専用練習場の計測システムをタブレットから開始する。
〈練習用レース、中山レース場芝2500m想定、タイム計測を開始します。〉
スピーカーから電子音声が流れたのち、ゲートが開く音が響き、アグネスデジタルとアドマイヤベガは駆け出した。
先ほどシャカールと並んで走った際の経験を早くも活かしているのか、アグネスデジタルはより理想に近い先行ペースを守ったまま最初のコーナーへと入っていく。2500mの本番を経験したことも無いながら、ペース修正の正確さは流石の器用さであった。
一方、アドマイヤベガはぐっと位置を後ろに下げて走っている。シャカールと同様の差しを狙う位置だろうが、シャカールよりも更に下げた、実戦ならばバ群の最後方につけるペースであった。
「やはり、有馬記念も直前となれば、スタート直後から気迫が違いますね。」
「ここらは、以前と変わりないよ。」
何か言わねばと捻り出した無難げな発言を、結城トレーナーから一言のもとに伏せられた鷹木は、恐縮して再び口を噤んだ。
"以前と変わりない"というのは鷹木の担当していたテイエムオペラオーと競っていた時と同じだ、という意味だろう。たしかに、最後方から虎視眈々と狙い続けるアドマイヤベガの姿は、鷹木も見慣れたところである。
アドマイヤベガは、そうそう自分のスタイルを曲げることのないウマ娘である。テイエムオペラオーがレース状況に応じて即興で走り方を変えたり、アグネスデジタルが出走コースに合わせて作戦を使い分けたりするのとは対照的であった。
「後方から競争相手を見極めつつの安定感は、折り紙付きですね。やはり、最終コーナーから加速し始めるのでしょうか。」
「あぁ。」
変わらずアドマイヤベガの脚運びにじっと視線を注ぎ続けている結城トレーナーからは、当然すぎることだと言わんばかりのごく短い相槌が返ってくる。
一周目最初の直線を抜け、再びコーナーに差し掛かった辺りでも、アグネスデジタルとアドマイヤベガの間に開いた差は一定のままだった。両者ともに、ごく正確なペースを保ったまま走り続ける技量を備えていることの証でもあった。
状況が動くのは、やはり向こう正面を抜け、最終コーナーに差し掛かるといったあたりであった。実際の中山2500mのコースを想定し、目だったアップダウンも越えたあたりからは明確にペースが上がり始める。
もちろんアグネスデジタルも、今度ばかりはスタミナの配分をミスせず徐々に加速し始めていた。が、アドマイヤベガとの距離は確実にじりじりと詰まっていく。
「ここから先だ、しっかり見ててくれ。」
「はい。」
結城トレーナーに促されるまでもなく、鷹木はアドマイヤベガの走りを凝視していた。
仕掛けるタイミング自体は、以前見た通りであった。最終コーナーに入ってますます明確に加速し始めた彼女は、一切足を緩めることなく回り切り、最終直線へと向く。
その時のアドマイヤベガの姿を前にして、鷹木はまるで別のウマ娘でも見ているかのように感じた。
「え……?」
当然ながら、本番同様のコース、ゴールを前にして、おのずから本気のスパートをかけるための闘争心に火が付いた……そのために覇気のようなものが感じ取られたことも理由のひとつではあったろう。
だが、これは比喩ではなく、鷹木はハッキリと見て取ったのだ。アドマイヤベガの目の色が変わっていたことを。
本来ウマ娘のトレーナーは、脚運びから腕の振り、直線を走り抜く体勢を見ているべきだったのだが、にもかかわらずアドマイヤベガの顔から鷹木は視線を外せなかった。
最終直線を駆け上がっていくアドマイヤベガは、今まで見てきた誰にも似ていない、別のウマ娘の顔をしていた。
「まるで何かに、とり憑かれたような……。」
結城トレーナーがボソボソと呟く声が隣で聞こえた。そんな突拍子もない仮説も、鷹木もまたごく自然なことであるかのように受け入れてしまいそうだった。
その走りは、周囲に放つ気迫の凄まじい圧とは裏腹に、風のように軽やかであった。加速しながらコーナーを回り、一切スピードを落とすことなく直線へ向いた時も、コーナー攻略の脚運びをいつ切り替えたとも知れぬほどに滑らかであった。
腕の振りにもいっさい過剰な力が入っておらず、全身の筋肉の運動が悉くスピードへと変換されているかのように、空気の抵抗すら感じさせない。踏みしめられた芝は、直後すぐ立ち上がるかと見えるほどに軽く蹴られていた。
アドマイヤベガは、まさに何物にも縛られず貫く光のごとく、練習コースのゴールラインを駆け抜けていた。
鷹木は自分が唖然と口を開けっ放しにしていたことにしばらく経って気づき、結城トレーナーに話しかけようとして声が出ず、幾度か喉の奥で小さな咳払いを繰り返した後、ようやく声を出せた。
「……こ、これは、今年の有馬記念、アドマイヤベガの勝ちでしょう。結城トレーナーの、ご指導の賜物です。」
「そう願うが、だが、分からない……。」
担当ウマ娘が今までにないパフォーマンスを発揮しているにもかかわらず、結城トレーナーが険しい表情を崩していない理由は、鷹木にも十分理解できた。
自分の見てきたトレーニング、ウマ娘自身が繰り返してきた調整、そのいずれにも起因するとは思えない走りは、担当トレーナーを耐えがたいほど不安にさせるのだ。鷹木の場合は経験不足もあって、オペラオーが実戦で発揮する能力を理解しきれない部分もあったろうが。
しかし、結城トレーナーはURAの歴史と共に歩んできただけの経験の持ち主である。彼をもってしても、まるでアドマイヤベガが別のウマ娘のような走りを実現したことは、戸惑わざるをえないのだ。
「問題ないと判断して走らせたが、念のため、脚の状態の診断を校医に頼んでおこう。」
「えぇ、アドマイヤベガの本領が発揮されていると考えれば喜ばしいですが、想定以上の負荷が脚にかかっている可能性もありますからね。」
脚の故障が発生する恐れについても、当然ながらトレーナーとしては気がかりな部分に違いなかった。
アグネスデジタルがかなり遅れてゴールしていたのは、単にアドマイヤベガと距離を開けられていたためばかりではなかったらしい。
その後、クールダウンを終えて結城トレーナーとアドマイヤベガに礼を述べ、練習場を後にしたアグネスデジタルはいつになく神妙な表情を浮かべていた。
さすがに、大舞台を経験してきただけのことはあり、後輩ウマ娘たちのように蒼ざめるようなことはなかったものの、最終直線へと飛び込んでいくアドマイヤベガが別のウマ娘のように見えたことに少なからず衝撃を受けてはいたようだ。
「匂いが違いました。や、実際にアヤベ先輩の体を嗅いだわけじゃなくってですね、何といいますか、纏っている空気といいましょうか。」
「エアシャカールも、同じようなことを言っていたな。見ている俺にもハッキリと分かった、目の色も違っていたし。」
「やっぱり、ですか。私も後ろから追い抜かれる一瞬、チラとだけ見えたんですけど……完全に別のウマ娘の顔つきになってたような気がしたんです。」
そこから先を、鷹木もデジタルも口にする言葉無く考え込んでいた。自分たちが気づいたことは互いに事実であると確認できたものの、だから何をすべきであるとも方針は見えてこない。
アドマイヤベガが有馬記念に向けて万全の状態であるのならば、それに越したことはない。とはいえ、どこか気がかりな部分が残ることは間違いなかった。
「そういや、アヤベ先輩には妹さんがおられたとか。」
「アドマイヤボスのことか?アドマイヤドンも……いや、あっちは近い親戚だっけか。」
「いえいえ、そうじゃなくて、鷹木トレーナーは聞いてませんでしたっけ。生まれて間もなく死に別れた双子の妹さんがおられたって。」
デリケートな話題であるだけに、アドマイヤベガとごく親しいウマ娘の間でも滅多に触れられない内容である。鷹木もしばらく記憶の底を浚い、どうにかそれらしいことを噂話程度に耳に挟んだことを思い出した。
入学間もないころのアドマイヤベガが、他のウマ娘と距離を置くような姿勢を続け、あくまで自分の実力で勝つことにこだわっていたのは、自分の死に別れた妹の思いとともに栄冠を手にするためではなかったろうか……そういう噂である。
「だが、入学して以降、アドマイヤベガは日本ダービーにも勝利し、引退の危機も乗り越えて再びオペラオーやトップロードと同じ大舞台で競い、活躍を続けてきた。今だって、最高のコンディションで有馬記念へ向かおうとしている。」
「ですよねぇ、もしもその妹さんがとり憑いたとしたって、今ここまできてなおも自分の姉をあそこまで駆り立てるような走りをさせるとは思えませんし、それに……。」
そも、"とり憑く"という仮定自体が現実味の無いものだったため、アグネスデジタルはその続きに説得力を見出せるか自信も無く、一旦口を閉じた。
が、普段から妄想逞しく働いているデジタルの頭脳は、そこから先の考えもうやむやにすることなく言い切った。
「双子の妹さんの顔つきは、アヤベ先輩に似てないってことは無いはずです。とり憑かれたことで、まるで全く別のウマ娘のような顔つきになるなんて、ちょっと考えられません。」
「……あぁ。」
妄想の内容を言語化することに長けたデジタルの発言に、鷹木も頷きはしたものの、現実味の無い想定に確証の片鱗のようなものが見いだされたのは実に不気味であった。
窓外では、冬のどんよりとした綿雲が灰色に空を覆っている。冬の週末は差し迫り、有馬記念はいよいよ目前にまで近づいていた。