アグネスタキオンの思うところをしっかりとは理解できていない実感は残ったが、鷹木はそれでも練習に打ち込むようになったタキオンの姿を一安心の糧とする他に無かった。
少なくとも、今のタキオンは走ることへかなりの意欲を向けていることに間違いないし、来年のクラシック三冠、最初の皐月賞を目標に掲げていることには変わりない。
「担当ウマ娘の全てを完璧に理解できない状況も、トレーナーとしては直視すべきだな……タキオンの様子には、常に神経を向けていないと。」
その日のトレーニングもしっかりと完了した夜、トレーナー寮の自室へと戻ってきた鷹木はタキオンの練習データや映像記録をまとめ終え、ネット上を流れてくるウマ娘関連の情報に目を通していた。
ホープフルステークスにて、ジャングルポケットを突き放したアグネスタキオンの凄まじい末脚については確かに少なからず話題に上がっている。
当然ながら出走ウマ娘の中でも上がりタイムは最速であり、それもじっくりと脚を溜めてではなく、最終コーナーのウチ側を塞がれ、大回りになりながらも早仕掛けしたうえでの記録である。
鷹木自身、あの時ゴールへ向かって加速し続けていくタキオンが、自分が指導を担当しつづけていたウマ娘と同一の存在であると俄かに信じられずにいたほどだった。
とはいえ、今にしてホープフルステークスの映像を見返してみれば、確かに鷹木と共に行っていたトレーニングの成果が実を結んだと見える箇所もあった。
「コーナーを抜けきってからの加速に、コンマ秒の無駄もないな。自分の強みを意識しての走り、身についているか。」
一時的にとはいえ、直線とコーナーの走り方を切り替える練習を行った恩恵である。
レースや練習のたびに脚へと蓄積する負荷を軽減するため、コーナー内側とコーナー外側、それぞれの脚運びを変えるようにタキオンへと指導した時期もあった鷹木。
結果的に、それはタキオンが本来有する強みを潰すような走りになると判断されたため、本来の彼女が行っていた通りに直線の走り方のままコーナーも攻略する作戦へと戻された。
だが、一旦他の走り方を経験したことが、タキオン独自の走りをさらに磨く結果となったのだろう。
「走りを切り替える必要がないということは、他のウマ娘よりも直線加速に持ち込むプロセスが僅かながら短くて済むってことだ。」
ホープフルステークスというGⅠの舞台に上がってくるウマ娘たちにとって、走る脚を切り替えるのに要する時間など、0.1秒にも満たない。
だが、レースにおける0.1秒は、順位を変えるのに十分すぎる誤差である。忘れもしない一昨年の有馬記念、テイエムオペラオーが混戦を制したレースにおいては、0.2秒の中に1着から5着までのウマ娘のタイムが収まっていた。
自分の走りの強みを理解したアグネスタキオンは今後、更に速くなるだろう。鷹木が出来ることは、彼女が自らの走りを磨く手助けを、地道に続けることばかりであった。
「あのまま行けば……来年は物凄いことになるだろう。いや、してみせなければならない。」
改めて自らに言い聞かせるよう呟きながらも、鷹木はニュース記事の殆どを占めている他の内容、すなわち今年の有馬記念出走ウマ娘についての情報や識者のコラムへと目を通す。
秋シニア三冠という偉業をクラシック級の年に制覇したゼンノロブロイはもちろん、クラシック三冠を成し遂げたうえ宝塚記念まで獲り彼女と並ぶ優駿となったネオユニヴァースについての特集は、当然ながら目を惹く。
だが、鷹木が気にしていたのは、そうした後輩ウマ娘たちの活躍と並んで、引退がささやかれていたナリタトップロード、アドマイヤベガの進退についてである。
自身の担当ウマ娘についての心配事が耐えない鷹木は、暫く他のウマ娘のトレーナーと面会する機を得られなかった。
そのため、流れてきたニュース記事を見て初めて、ナリタトップロードとアドマイヤベガが引退する気は無い、と表明したことを知ったのだ。
「まだまだやる気なのか、凄いな。……まぁ確かに、もっと先輩のウマ娘も現役を続けているが。」
まさに先日の有馬記念、最年長で出走したアメリカンボスなどは、デビューから7年目だ。ナリタトップロードやアドマイヤべガよりも1年先輩、そして有馬記念に3度出走経験があるという、押しも押されもせぬ大ベテランである。
彼女もまた引退を表明していないということは、デビュー8年目に突入しても現役を続行する意思があるということなのだろう。
今年を振り返れば、下半期はゼンノロブロイによってGⅠタイトルを席捲された結果となった面々。このまま終わる気は無い、という思いはひしひしと伝わってきた。
「もちろん、エアシャカールも、だよな……来年は大阪杯を視野に、か。」
注目度がハッキリと下がってきていることは、エアシャカールについて扱った記事の少なさからも見て取れたものの、彼女もまた負けっぱなしで引き下がれる性格ではないということは鷹木も十分理解している。
そして公には示されていなかったものの、アグネスデジタルもまた来年、長期休養を終えて現役に復帰するのだ。
「オペラオーの同期、シャカールとデジタル、ユニヴァースとロブロイ……そんなウマ娘が全員居るところに、タキオンたちが参戦することになるわけだ。GⅠのハードルは、相当に上がりまくることになるな。」
来年度になれば、タキオンたちの更に後輩にあたるウマ娘たちも入学してくる。
彼女らが相対するレース環境がすっかり魔境と化しているだろうことは明白であった。鷹木もまた、この年の瀬に、早くも来年度のことを考えて気が重くなりつつある。
データの整理作業だけで既に日付が変わっていることに気づきつつ、胸灼けとともに甘く熱い胃液がこみあげてくる。
「ウッ……ぷ、胃に負担が掛かってる時期に、妙に甘ったるいものを飲ませやがって、タキオン……。」
それは今日の練習終わりのことであった。
アグネスタキオンはトレーニングを終えて帰る鷹木を呼び止め、どこからか取り出して来た試験管の栓を取り、蛍光色の液体が充填されているものを差し出したのだ。
おそらく練習の間、スポーツバッグのポケットにでも忍ばされていたのだろう。生ぬるい液体から立つ人工甘味料のどぎつい匂いが、差し出された鷹木の鼻を突いた。
「いやなに、私もトレーナーくんが相応の心労を得ていることには気づいているとも。この私の走りを磨くために心を砕いてくれているお礼だ、飲みたまえ。きっと心身ともに軽くなるだろう。」
「どう見ても体に良さそうな液体じゃないんだが……俺が飲まないと、他のウマ娘に飲ませるつもりなんだろ?」
「トレーナーくんのために作った薬なんだけれどねぇ。だが、消費期限を切らして捨てるのも勿体ない、仮にキミが飲まないのなら、ダンツくんにでも渡そうかねぇ、彼女は実に珍しいほど従順なウマ娘だから……」
鷹木はタキオンが試験管を引っ込めようとする前にひったくるようにして取り、試験管の中身を飲み干した。
……というやり取りが行われたのが数時間前のことであるのだが、その後夕食を終えても、シャワーを浴び歯を磨いても、喉の奥からあの時飲み干した液体の甘味料の匂いが上がってくるのは止まらなかった。
「っぷ、俺もそろそろ若くないんだな、胃液が上がってくる感覚に慣れつつあるってのは。」
改めて口を漱ぎ、冬の蛇口から流れ出てくる冷水を一口飲みこんで、鷹木は就寝した。
その夜は悪夢を見た。彼の全く与り知らぬまま、タキオンがテレビ画面に映って記者会見の場に居るのだ。ざわめくインタビュアーたちの前、悠然と席に着いたタキオンがマイクを向けられている
〈い、今、仰ったのは……どういう……?〉
〈言った通りの意味だがねぇ。私アグネスタキオンは、レースへの出走を「無期限休止」する。それ以外にどう受け取りようがあるんだい?〉
〈あなたほどのウマ娘が、なぜ!?三冠も確実視されているほどだというのに……!〉
〈理由はまぁ、色々とね。真実は常に複合的なものさ。〉
〈事実上の引退宣言……なのでしょうか!?〉
〈それを私に聞いても意味はないねぇ。確定的な未来など……〉
夢の中の世界で、鷹木はベッドから起き上がったばかりであった。
外は薄暗い。朝日が顔を覗かせたばかりなのか、カーテンの外から真っ赤な光が差し込んでいた。
そんな早朝の時間帯に記者会見を行っていること、担当トレーナーである自分に何も知らされていないこと、といった非現実的な要素に気づくことなく、鷹木はパジャマ姿のまま寮を飛び出していた。
「……タキオン!」
息を切らしてトレセン学園の校舎に駆け込む。寝起きそのままの姿で学園内を走り回るのはあまりにも不格好であったが、気にしている場合ではなかった。
いや、気にする必要が無かっただろう。校舎の廊下も、どの教室の中も、常に誰かしら居るはずの練習グラウンドにも何者の気配もなかったのだ。
「どこにいるんだ、タキオン!なんで勝手に、あんなことを……!」
裸足の鷹木は、校舎の中から外のグラウンドへ駆けだそうとして、思い切りすっ転ぶ。
ドスン!……という盛大な音とともに、ようやく鷹木は目を覚ました。以前、悪夢を見た時と同様に、ベッドから転げ落ちて自室の床に全身を叩きつけた衝撃で、睡眠から覚めたのであった。
発汗と動悸、荒い呼吸を続けている自分が、先ほどまで見ていたのが夢の内容であったことを認識し、床の上に座り直して額のじっとりとした汗を拭う鷹木。
「嫌な夢、見たな……寝る前に、他のウマ娘の引退について考えていたせいなのか……?いや、やっぱりタキオンから渡された、あの変な液体を飲んだせいか……」
妙に目の前が眩しいにもかかわらず、カーテンが閉め切られていることに鷹木が気づいたのは、かなり遅れてからのことであった。
日の光はカーテンに遮られている。だが、先ほど汗を拭った時、眩さに目を細めたのは確かだった……。
「……えっ!?」
床に座り込んでいた鷹木は叫び、そして跳ね飛ぶようにして立ち上がった。
鷹木の手首から上、両手は光り輝いていた。まるで人の手の形をした電球のように、眩い光を放っていたのだ。
「ちょっと待て、落ち着け、俺の眼がおかしいのか?いや、これ、まだ夢の中か?」
現実と信じられない光景を前に自分の頬をつねるなど、実に古典的で、マンガの登場人物しかやらないだろうという仕草だったが、今の鷹木は躊躇なく頬をつねっていた。
まるで白熱した電球に頬を挟まれたような痛さと熱さに跳びあがり、鷹木はいよいよ血相を変えることとなった。
自分の身体に引き起こされた症状が、例えば咳が止まらないだとか、腹部に痛みが走るだとか、既存の疾病を連想させる類であれば、鷹木は迷わず救急車を呼んでいただろう。
しかし、自身が感じる所だけであれば、鷹木は健康そのものであった……むしろ、悪夢から目覚めた直後ゆえか、ほどよい寝汗が乾いていく感覚と共に、体の軽さや爽快感まで味わえるほどであった。
その両手から先が、眩い光を放っていることを除いては。
「とっ、とにかく、着替えて、出かける支度をしないと。医者に診てもらうにしても、俺に何を飲ませたのかタキオンに話を聞くにしても。」
先ほど自分の指先で自分の頬をつねった際に感じた熱が、着替えの服を焦がしてしまわないかとも案じていた鷹木であったが、そもそも寝ていた間に触れていた布団には何も焦げ跡など残っていない。
どうやら、ある程度は鷹木の覚醒状態によって発光の程度を調整できるらしい。どうにか自分を落ち着かせようと、努めて冷静さを取り戻した鷹木の両手は、光量が抑えられつつあった。
自分の意図次第で発光の程度を調整できると気づいたことで、より状況は不気味となったが。
「これ、治るのか?元通りに……指が欠けたりしていないだろうな……?」
あまりに気味悪い状態となった自分の手をあまり直視したくはないものであったが、両手の指がそれぞれ5本ずつ揃っていることを確認し、鷹木は辛うじての安堵に縋ろうとしていた。
……しかし、どうにか気持ちを落ち着けて着替えをすませ、トレーナー寮から歩み出た頃には、既に彼の両手の輝度はかなり抑えられていた。
発光現象を引き起こしている自分自身の心配に加え、早朝のランニングを行っているウマ娘たちをも驚かせ不安にさせてしまうのではないかと鷹木は案じていたが、最初に会ったのは箒を手に掃除を行っていた駿川たづなであった。
「あら、おはようございます。今日はお早いんですね、鷹木トレーナーさん。担当ウマ娘さんの早朝トレーニングですか?」
「えぇ、まぁ……。」
「アグネスタキオンさん、ますます良い仕上がりになっていますね。来年からのクラシック路線での活躍も、楽しみにしていますよ。」
「はい、どうもです……。」
鷹木が曖昧な返答しか口に出来なかったのは、たづなが全く驚いた様子を示さなかったためである。
しかし、それも必然であった……鷹木の両手は、既に全く光っていなかった。
冬の早朝のひんやりした微風が吹き抜ける中、浅い角度から照る曙光に白い息が仄かに染まり、遠くをランニングしているウマ娘たちの掛け声が通り過ぎていく。
全く非日常的な現象が入る余地もない、いつも通りの光景の中に身を置けば、つい先ほどまで自分を慌てさせていた現象は、ただ寝ぼけたために夢の延長を見ただけであるかのようにも感じられた。
「……いやいや、あれは夢の中じゃない、完全に目が覚めた後に俺の手が光ってるのに気づいたんだ、そのまま身支度を整えて今ここに出てきたんだから……。」
歩調を速めれば顔に当たってくる冷気の確かさが、ここが現実であるとの何よりもの証明であった。
しかし、いつもより早く練習場に鷹木が着いたところで、すぐタキオンに会えるわけではない。
ホープフルステークスを制し、晴れてGⅠ勝利ウマ娘となったアグネスタキオンは既にトレーニング優先のスケジュールで行動できる立場となっている。とはいえ、鷹木は早朝から彼女にすぐさま起きてくるよう連絡を入れはしなかった。
自分の予定していたペースを崩されればタキオンが機嫌を損ねるのは分かり切っていたし、すっかり平常通りの身体に戻ったうえで騒ぎ立てるのも間抜けであるように感じたためだ。
「とにかく、まず聞くべきことは、昨日俺に何を飲ませたのか、についてだ。尋ねるべき内容を明確にしておかないと、タキオンのペースにすぐ流されてしまうからな。」
鷹木はタキオンを待つ間も、定期的に自分へと言い聞かせるようにつぶやいていた。
もはや自分の身体のどこも発光することはなく、発光していた痕跡など微塵も残っていない。そもそも人体が発光することなど、あり得るはずもない……。
冷静になって思い出そうとするほどに、今朝目覚めた時の出来事の現実性は薄れていく一方であった。
「Ey!!Wakey-wakey!!ひとりで何をボーッとしてんだ、早起きしすぎて寝ぼけてんのか、鷹木トレーナー!」
「うわぁ!?……あ、お、おはよう、タップダンスシチー……。」
練習場の隅のベンチに腰掛けたまま、項垂れて独り言をブツブツと言い続けていた鷹木の様子は、遠目からも悪目立ちしていたのだろう。
当然のことながらタキオンよりずっと早起きしてトレーニングを開始していたタップダンスシチーが、その威圧感溢れる体格で駆け寄ってきて、威勢の良い声を鷹木に投げかけてくる。
彼女の活力にあふれるオーラに当てられれば、ますますもって非現実的な現象が嘘であるかのような感覚は強まった。
「タキオンの変な実験に付き合って夜更かしでもしてたのか?それにしちゃ、寝不足って感じじゃなさそーだな!」
「あー、気にしないでくれ、ホントにボーッとしてただけだから……タップダンスシチーは、だいぶ気合いが入ってるな。」
「Obviously、わたしは1月になったらすぐに本番だ!クリスマスも正月も浮かれてる場合じゃないさ、今度は3000mのレースに挑戦だからな!」
「それは確かに、思い切ったな、片桐トレーナーも……。」
12月の初頭に天竜川特別レースにて勝利したタップダンスシチーであったが、その時の2500mという距離がこれまでに走った最長のレース条件である。
タップダンスシチーの担当である片桐トレーナーはこの場に居なかったが、いきなり長距離に相当する3000mへと挑ませようとする意図を、今の鷹木ならば十分に推測できた。
「……自分のペースを保つと同時にスタミナを切らさずゴールまで持っていく、という走りを3000mでも実践できるかどうか、ってところか。」
「Absolutely!事前のプランじゃ、いちおう逃げの作戦ってことにしてるが、最後の最後までバテないってのが一番のconditionだからな!」
「確かに、これまでの走りを見る限り、スタート直後からまるでスピードを緩めずに最後まで走り切るのが強みだな、タップダンスシチーは。」
「今、ウマ娘レースで強ぇ連中は、最後の最後で一気に仕掛けてくる奴らばかりだけどな、わたしはわたしのやり方で勝たせてもらうぜ!そっちのタキオンとやり合うにしても、バッチリ対策してやるぜ!」
口ぶりからするに、タップダンスシチーはタキオンの走ったレース映像をも確認しているのだろう。
ホープフルステークスを圧勝したタキオンの走りを目の当たりにし、まだ条件戦や特別レースにばかり出走している自身の現状を自覚してなお、いずれ確実にGⅠのレースで競い合うことを視野に入れているタップダンスシチー。
さらには、最後の直線で一気に瞬発力勝負に持ち込む現状の強豪ウマ娘に対し、十分に抗し得る前提で作戦を組み立てている片桐トレーナーの作戦もある。
タキオンやジャングルポケットとはまだ同じ舞台に立ててすらいないタップダンスシチーではあるものの、彼女の語る将来は大いに現実的に感じられた。
「こちらもボヤボヤしていられないな、タキオンにも一度勝ったからと気を緩めないよう伝え続けてるが……。」
「へぇ?それにしちゃあ、随分と遊んでるみたいだけどな?」
「……遊んで……?タキオンがサボってるところ、見たのか?」
「いやいや、すぐそこに居るだろ。さっきからずっと隠れてアンタのことをスマホのカメラで撮ってるぜ、タキオン。」
やはりウマ娘の五感は、人間よりもずっと鋭敏である。
タキオンが来るのを鷹木は練習場の片隅で待ち続けていたのであるが、当のアグネスタキオン自身は既に練習場に到着していた。
かなり離れた位置、タップダンスシチーの指さした柱の影から、栗毛の耳が覗き、間もなく隠れるのを諦めたように肩をすくめながらタキオンは姿を現した。
「タップくん、私がトレーナーくんから姿を隠している意図をきちんと汲んでくれたまえよ。観測者の存在を勘づかせてしまっては、純粋な観察にならないじゃあないか。」
「Ah,my bad、けど回りくどいことはわたしが苦手なんだ!おまえのトレーナーに言いたいことがあるんなら、直接言やぁいいだろ。」
「もちろんコミュニケーションを取るだけなら容易いとも、しかし一定の条件下でのみ観測できる結果というものも期待されるものであってだねぇ……。」
「あー、ややこしそうな話ならパスだ。んじゃ、わたしはトレーニングに戻るからな。来年、楽しみにしてるぜ!今度会うのはGⅠレースで、かもな!」
去り際の言葉まで威勢よく突き抜けてポジティブなタップダンスシチーが去っていき、代わりにタキオンが近づいてくる。
鷹木は既にタキオンの胸中をおおよそ察せていた。普段からこちらのことをよくよく観察している彼女であれば、練習場に来たばかりの鷹木が何やら様子が変であることなど簡単にお見通しだろう。
彼に話しかけようにも、先んじてタップダンスシチーが鷹木へと声を掛けに来たため、少々出しづらい話題を抱えたままに待つほかになくなったのだ。
あえてややこしそうな話を展開しようとしてみせたのも、タップダンスシチーをこの場から離すための振る舞いでもあろう。
「……トレーナーくん。今日の朝、奇妙な事があったかな?」
「……あぁ。俺の両手が、かなり眩しく光り輝いていた。」
昨日、奇妙に甘ったるい液体を飲まされた鷹木の身体に変化が起きることはタキオンの予測の範囲内だったろう。
しかし、その結果については予測の範疇を越えていたらしい。鷹木の返答を聞いた瞬間のタキオンは、本当にごく一瞬ながら、ハッキリと驚いた表情を浮かべていた。
……すぐさま、取り繕うようにいつも通りの薄ら笑いを取り戻していたが。
「そうかい、そうかい!そこまで派手な現象が起きるとは、実に興味深いねぇ!しかし、まさか駄菓子屋で購入できる粉末ジュースの素や、色が変化する練り菓子を混ぜ合わせた液体だけで、そんな反応が起きるとは……」
「タキオン、俺は本当に血相を変える羽目になったんだ。たしかに、本気でヤバかったら今ごろ入院しているが、不安な事には違いない。俺に飲ませた薬品に、何を入れたんだ?この後、万が一医者に診てもらうにしても、それをハッキリと分かっておかないといけない。」
「今言った通りさ、駄菓子屋で誰でも買えるジュースやお菓子に含まれる成分しか入れていない、購入時のレシートも、たぶん私の研究室のゴミ箱を漁れば出てくるだろう。しかし、どれほど光ったんだい?以前は、爪の先が薄っすら光を帯びていたと言っていたから、蓄光成分が効果を発した程度だったがねぇ。」
「前の光りかたとは桁違いだ、本当に眩しいほどだったんだ、どれぐらいかというと……」
そこまで喋って、鷹木は自分の手をスマホカメラ等で撮影していなかったことに、今さら気づいた。
いくら思い起こしても、客観的にその時の状況を知らせる手段がない。自室の中での状況は自分しか知らないし、トレーナー寮を出て最初に駿川たづなに会った時は、既に発光現象は収まっていた。
鷹木がスマホを取り出しかけて、そのままの体勢で固まっているのを見て、早くも察したタキオンが呆れた声を出す。
「なんだい、映像記録を撮影していないのかい?そういう現象は、きちんと記録しておかなければダメじゃないか、実験に再現性があるかどうかも不明な状態なんだから。やれやれまったく、私のモルモットとしての自覚があるのかい?」
「い、いや、仕方ないだろ、完全に気が動転していたんだし……。」
当然ながらタキオンは、発光現象をしっかりと記録していなかった鷹木へと詰め寄ってくる。
が……彼女の表情は不服の色に取り繕われていながらも、その奥底には安堵が染みついているようだ……と、鷹木は感じていた。
タキオンが入学して以来、約10か月間の付き合いで至った距離感から、鷹木が精一杯察せるタキオンの胸中であった。
「まったく、次からは頼むよ?いずれまた、同じ配合で混ぜた液体を飲んでもらうほかにないねぇ。」
「悪いが、しばらくはよしてくれ。あんな甘ったるいもの、飲まされたら胸灼けが酷いんだ。」
「仕方がないねぇ、次は正月の甘酒にでも混ぜて飲ませるか、あるいは雑煮の中に混ぜ込むのも良さげだねぇ、文字通りに雑多な色彩が混じり合う代物になるだろうが、味はかなり誤魔化されるだろうねぇ。」
やはり、タキオンが感じているのは純粋な不服ではないようだった。今の彼女は、自らの本心を隠すために敢えて口数多く振舞っているように見えた。
万が一、鷹木がしっかりと自らの体が発光している様を動画や画像で撮影していたとしたら、タキオンの胸中にある安堵は一気に崩れ去り、彼女はハッキリと不安を露わにしていたのではなかろうか。
そう感じ取った内容を口に出して告げるほどには、タキオンについて感じ取ったことに確信を抱くまで至っていない鷹木であった。