「……ねぎらうべきです!」
アグネスデジタルが唐突にそう叫んだのは、年の瀬も迫るある日の夕、来年からの復帰に向けてのトレーニングを終え、寮へ戻る帰途に就いて間もなくのことである。
その場に同行していたのは常よりデジタルが練習相手となっているジャングルポケット、そして実質彼女のトレーナーであるキングヘイローだった。
時おり突拍子もない言動に走るアグネスデジタルには流石に慣れつつあった両名も、今の叫びの真意は捉えきれずに目を丸くしている。
「で、デジタル、さん?」
「スミマセン、いきなり大声を出してしまいまして。しかし、そろそろ私たちの方から行動を起こさなければ、このまま来年のシーズンへと突入してしまいますよ!そう、忘年会も、新年会もなしに!」
アグネスデジタル自身も、自らの考えを即座に言語化し周囲に伝えることについてはスムーズであるため、キングとポッケの困惑はすぐに解かれた。
確かに、この一年、そして来年からのウマ娘レースの状況を思えば、各トレーナーや担当ウマ娘たちがわざわざ集まって懇親会のようなことをしている暇は無いように思われる。
今年入学したばかりのジャングルポケットは、そもそもトレセン学園における年末の過ごし方自体を知らない。
「仕方ないんじゃねーのか?先輩たちもまだまだ現役続行なんだし、俺たちの世代も来年からGⅠ目指すってタイミングなんだから。」
「そうです、だからこそトレーナーさんたちが集まりを企画してる余裕がないんですよ。今までは桂崎トレーナーが他のトレーナーさんたちに声をかけていたみたいですが、現状はトップロードさんの走りに加え、この私についても気にかけていただいてますし。」
ナリタトップロードの担当トレーナーである桂崎にとって、今の時期に他のことを考えている余裕はないだろう。宝塚記念以降のGⅠタイトルをことごとくネオユニヴァースとゼンノロブロイに獲られた今年のこと、そして来年以降のことを思えば。
長期休養していたアグネスデジタルが来年から復帰するとなれば、桂崎トレーナーが気にすべきことは更に増える。
結城トレーナーについても言うまでもなく、アドマイヤベガとエアシャカール、さらに結局年内のデビューには届かなかったマンハッタンカフェを心配することが優先となる。
そもURAのレジェンドたる結城トレーナーは、年末年始には国内外の著名人との付き合いに割かねばならぬ時間もあるだろう。
そして、他のトレーナーについては……考え出してすぐ、キングヘイローも首を横に振った。
「片桐トレーナーさんは、タップダンスシチーさんのトレーニングに専念なさってるでしょうね。タップさん、年が明けて早々にレースに出るとのことでしたし。……あと、鷹木トレーナーは……」
「タキオンに振り回されっぱなし、だろーな。それに、俺もあの人のことはチラッとしか知らねーけど、周りに声かけてメンツ集める性格じゃなさそうだし。」
ジャングルポケットなりに遠慮しつつも述べられた評を聞いて、鷹木のことを数年来見知っていたキングとデジタルは即座に頷いた。
「はい、だいたいあってます!というわけで、トレーナーさんたちに任せていては、私たちの一年は素っ気なく過ぎ去ってしまうということです。ここは我々が主導で、今年一年を走り抜いた皆さんをねぎらう会を開くほかありませんよ、キングさん!」
「わ、私も……?仕方、ないわね……分かったわ、デジタルさんがその気なら、この私も気合いを入れて、超一流の懇親会を準備させてもらおうじゃない。」
「そのお言葉、実に心強いですねぇ!それじゃさっそく、お招きする皆さんに声をかけて回りますね!」
即決した上ですぐさま実行に向けて動き出すアグネスデジタルは、行動力の化身である様を余すところなく見せつけ、ポカンとしているジャングルポケットとキングヘイローを置いて去っていった。
キングは超一流の懇親会、と言ったものの、何にせよトレーニング時間の確保が最優先であるウマ娘たちとトレーナーが気安く参加できる場所は、トレセン学園内に他ならない。
後日、彼女らしい律義さでトレセン学園に近い貸し切り会場をレンタルできないかと探し回ったうえではあったが、この時期ともなればどこもかしこも予約で埋まってしまっている。
結局キングヘイローはトレセンの校舎の一角、使用許可を取った会議室に参加者たちを呼ぶこととなった。
会議用テーブルをキングと共に並べ直しながら、ジャングルポケットは尋ねる。
「去年も、こんな感じだったのか?なんつーか、GⅠウマ娘の先輩たちが勢揃いするってのに、ただのトレセン学園の会議室ってのも質素な気がするけど。」
「豪華なパーティーを開いて遊んでいるわけにもいかないんだし、それにトレーニングを終えてすぐに来れる場所なんだから、ちょうど良いのよ。それに私が手ずから飾りつければ、華やかさも十分。トレーナーさんたちに任せた去年なんか、てんでお粗末な飾りつけしか無かったんですもの。」
「粗末な飾りつけ……って、どんな感じだったんだ?」
「せっかく花屋さんに見繕ってもらった花束をほどいて、一本一本をテーブルに並べたりしてたわね。きっと部屋中を彩るつもりだったのでしょうけれど……そうそう、飾るための風船を大量に息を吹き込んで膨らませ続けて、男3人で酸欠になりかけてもいたわ。」
「なんだその面白ぇ絵面、逆に見てみたかったな。」
昨年の身内だけで開いた忘年会は、ラストランの有馬記念を勝利で飾ったドトウの引退、そしてアグネスデジタルが年間最優秀ウマ娘に選ばれたことをも祝う集まりでもあった。
むろん、担当ウマ娘が翌年の4月まで居なかった鷹木トレーナーと片桐トレーナーにヒマが出来たというのも大きかったが、現状と比べれば圧倒的に余裕のあった頃である。だからこそ、トレーナーの男3人だけで集まって、パーティーの飾りつけ準備などをやっていられたのだ。
今は違う。ナリタトップロード、アドマイヤベガ、アグネスデジタル、エアシャカールといった、来年も現役続行する面々は後輩たちに劣っていられないし、来年度のクラシック路線を狙うマンハッタンカフェはこれ以上デビューを遅らせるわけにもいかない。
彼女らの担当トレーナーが負うべき責は、ますます重くなっていた。ホープフルステークスでの圧勝を見せつけたアグネスタキオンも、来年から期待されるレースに向けて本腰を入れねばならないだろう。
そして……今まさにキングヘイローの手伝いを始めたジャングルポケットもまた、先ほどまで走っていた時の汗を拭っている。スポーツバッグは、ついさっき会議室の隅に放り投げていた。
「キングヘイロートレーナーが決めた、来年俺が出る2月の共同通信杯、条件は確認したけど距離は短いんだな。1800mって。」
「えぇ、ジャングルポケットさんが更に走りを高めるため、必要な条件と判断したの。ホープフルステークスでは十分にタキオンさんの背後に迫ってから直線での加速を開始できたけれども、その上で引き離されてしまったでしょう。」
「……あぁ。要するに、もっと前に出てないと、アイツの脚には追いつけないってことだ。」
度重なる練習、そして本番において幾度も、自分のコーナー攻略時の速度が課題であることは自覚させられてきたジャングルポケット。
直線に向いてからの加速が最大の武器であることは間違いなかったが、それだけに頼っていては勝てない相手がいると思い知らされたのが、ホープフルステークスである。
どれだけ懸命に足を速めようとしても、どんどん遠ざかっていくタキオンの背は、今なお時おり脳裏によみがえってくる。
「狙うべき皐月賞と比べて共同通信杯の距離は短いけれど、それだけスタミナの配分には余裕が出るはず。コーナー攻略中に十分なリードを得る、そのペースとコース取りを来年の2月までに徹底して叩き込むから、心しておきなさい。」
「おう、ビシバシ来てくれ、俺もマジにやるからよ。」
キングとポッケは、そんなやり取りを交わしながらも手際よくパーティの準備を進め、練習を終えたアグネスデジタルがナリタトップロードを連れてきた頃には飾りつけもほぼ完成していた。
トップロードの背後には、アドマイヤベガとエアシャカール、タップダンスシチーも連れ立っている。
「さぁさぁどうぞどうぞ、ただの会議室で皆さんまとめての祝賀会となって恐縮ですが……ひょわぁあ、キングさん、即興だというのに見事な飾りつけですねぇ!」
「Phew、校舎の中だなんて窮屈じゃないかと思ってたけど、随分と賑やかだな!Yolo,今日はパーッとはしゃいじまおうか!」
「デジタルったら、自分が飾りつけしたわけでもないのに。お呼びいただきありがとう、キングさん。」
「いえいえ、本当にただ借りた会議室に呼んだだけなんだから、楽にして、お掛けになって。ジュースにお菓子も用意してあるから、アヤベさんにシャカールさんも、好きに手を伸ばして取っていってくださいな。」
トップロードに連れてこられた形となっていたアドマイヤベガとエアシャカールは、キングとデジタルによって朗らかに迎え入れられた途端、目に見えて表情が柔らかくなったようであった。
現役続行を決定したは良いものの、来年からのGⅠレースはますます厳しいものになる。その予感と警戒を常に感じ続けている面々にとっては、久方ぶりに気を緩められる空間でもあったのだろう。
「祝賀会、ね……確かに、今年一年で見れば、勝ったレースは私にもあるけれど。」
「もうちょい、胸を張って心置きなく祝賀されるだけの、戦績を掲げてェもんだな。」
「諦めておられないのなら、必ず勝つまで続けることは出来るものよ。そういえばデジタルさん、タキオンさんやカフェさんは?」
アドマイヤベガとエアシャカールにも声を掛けつつ、キングヘイローはアグネスデジタルに他の参加者について尋ねる。
会場の手配とパーティそのものの準備はキングヘイローが担当していたが、参加者に声をかけることに関してはアグネスデジタル自らが買って出ていたのだ。
「タキオンちゃんなら、必ず来るって言ってましたけどねぇ。」
「アイツ、自分の研究だのが優先で、こういう賑やかな場所にはこねーんじゃないのか?」
ジャングルポケットが、この場に居る大半の面々が抱いている印象通りの推測を述べるが、デジタルは首を横に振った。
「いやいや、タキオンちゃんは興味がある場所には必ず顔を出しますとも。なんたって、私にとっては推し、タキオンちゃんにとっては観察対象のウマ娘が勢揃いする、ってお伝えしたんですから。」
「パーティを観察場所にされんのも落ち着かねーな、たしかにこれだけGⅠウマ娘の先輩たちが揃うし、アイツを呼ぶには一番かもしれねーけど……。」
そう言い合っているデジタルとジャングルポケットの背後で、勢いよく会議室の扉が開かれる。
呼ぶより謗れとはよく言ったもので、そこにはアグネスタキオンが居た。マンハッタンカフェの腕を引っぱってきているのは相変わらずであったが……予想外のウマ娘まで連れてきていた。
「やぁやぁ、お招きいただいたのに遅れてしまってすまないねぇ。カフェを捕まえるのは造作もないことだったのだが、ネオユニヴァースくんとゼンノロブロイくんはなかなか所在を割り出せなかったものだから。」
「スフィーラ。『とても豪華』な参加者のパーティに誘ってもらえて“GENY”だよ。」
「あ、あの、私も来てしまって、よろしかったのでしょうか……。」
ネオユニヴァース、そしてゼンノロブロイ。
誰が見ても文句なしの、今年最も活躍したウマ娘の両名のもとに押しかけて誘ったのだろう、タキオンは彼女らをも無理やり引っ張ってきていたのだ。
純粋に楽しそうな様子のネオユニヴァースに並んで、ゼンノロブロイは飛び入りの参加を申し訳なさそうにしていたが、血相を変えるのはキングヘイローら主催者側の方であった。
「そっ、その、こちらこそ、ユニヴァースさんにロブロイさんに、わざわざ来ていただいてしまって、よろしかったんですの……!?練習のスケジュールとか、トレーナーさんとの打ち合わせとか、お忙しくしてらっしゃるのではなくって……?」
「“NOST”何も気にすることはないよ。」
「私のほうこそ、皆さんと同席させていただけることに恐縮です……。」
お互いに恐縮し合っているキングヘイローとゼンノロブロイの脇を通り抜けてズカズカと会議室に入っていくタキオン。
腕を引っ張られっぱなしだったマンハッタンカフェまでも、望まずして目立つ場所に連れていかれていたが、そのようなことは気にせず妙にテンションの高いタキオンはアグネスデジタルにも語り掛けた。
「そうだろうとも!当ウマ娘たちが言っているのだから、何ら問題はないさ、さぁさ宴を始めようじゃあないか!今年のレースを彩った功労者たちを祝う場には、相応しい参加者が必要だ、そうだろうデジタルくん!」
「あまり長引かせないよう……早めに始めましょう。こうなったタキオンさんは、満足するまで気が済まないでしょうから……。」
「ハッ……でっ、ですねっ!それじゃ只今到着なされた皆さんも、お飲み物をお手に!」
思いもよらぬ豪華なゲストが飛び入り参加してきたことに、泡をふく直前で踏みとどまっていたデジタルは、どうにか意識を取り直してジュース入りの紙コップを掲げる。
ネオユニヴァースとゼンノロブロイが、自分の先輩や後輩のウマ娘たちに囲まれながら飲み物を渡されている様を見つめつつ、アグネスタキオンは既にご満悦といった様子であった。
「あぁ、素晴らしい光景じゃないか。この集まりの中に、必ず特異点たるウマ娘は居るんだからねぇ……。」