タップダンスシチーの走りを目の当たりにして、普段から思考を巡らせていることについて一つの結論が出たおかげか、タキオンは今までと比して明るい表情を示すようになっていた。
彼女の考えていることを普段から完璧には理解できているわけでもない鷹木としては、詳細を掴めぬまでもタキオンの心理面で改善が見られたことに安堵するばかりであった。
……とはいえ、他のことに思考を回す余裕が出たタキオンには、さほど重くもないものの一つの悩みが増えていた。
「最近カフェがつれないんだよ、今日もすげなく誘いを断られてしまってねぇ。」
「今までの付き合いが気前良すぎたってことだろ。それに、もうマンハッタンカフェのデビュー戦はすぐだ。」
入学した年でのデビューは成らなかったものの、いよいよマンハッタンカフェは1月29日に本番の舞台に立つ。
本調子でレースに臨める状態となるまで長引いてしまったカフェであったが、ついに今のトレセン学園1年目の世代にて最も期待されるウマ娘がデビューする、との噂はしっかりと広まっていた。
正念場を迎える直前のマンハッタンカフェが、タキオンの誘いに乗っている暇が無いのは当然すぎることであった。
「タキオンも、次のレースが3月だからといって気を抜いていてはダメだ。もう1月は終わるんだし、弥生賞までは実質一か月ちょっとしか期間が無いんだから。」
「分かっているとも、だから今日は併走練習相手を連れてきた。カフェに負けず劣らず、素晴らしい能力の持ち主だよ。」
本日のタキオン用のトレーニングメニューを整理したタブレット画面に視線を向けながら受け答えしていた鷹木であったが、嫌な予感と共に顔を上げる。
マンハッタンカフェを連れ込めないとなれば、タキオンが次いで声をかける相手としてはジャングルポケットが真っ先に候補に上がる。
しかし、ジャングルポケットも2月4日、共同通信杯に出走予定ということで本番レースの日程が近い。
本番間際の相手を無理矢理引っ張ってきたとなれば、ポッケの担当トレーナーをしているキングヘイローに自分が頭を下げねばならない……と鷹木は一瞬で考えを巡らせたが、タキオンの隣に立っていたのは別のウマ娘であった。
「し、失礼いたします、急に押しかけてしまってすみません……私のこと、覚えておいででしょうか、ダンツフレームです……。」
「トレーナーくん相手に遠慮はいらないよ、ダンツくん。」
「そりゃ遠慮させるわけにもいかないだろ、タキオンが引っ張って来たんだから。えぇと、直接会うのは本当に久しぶりだな、ダンツフレーム。たしか、去年のデビュー戦以来だったか。」
ダンツフレーム。タキオンやカフェと同年代のウマ娘であり、昨年はタップダンスシチーに次いで早いデビューを実現したウマ娘である。
タップダンスシチーは本来より1年遅れで入学しているので、同じ年齢のウマ娘内では実質最速のデビューだった。ダンツ自身は他の面々ほど尖った性質を有してはいなかったが、彼女の能力を裏付ける走りはこれまで鷹木も幾度か目の当たりにしてきた。
初戦でも二着に食い込み、そのすぐ後デビューを決め、ききょうステークス、野路菊ステークスと続けて一着を獲っているダンツフレーム。
アグネスタキオンと並べば、ますます際立って骨太な体格、がっちりと鍛えた筋肉量の目立つダンツの体つきは、地道なトレーニングによって自らを高めようとする彼女のスタンスが顕如に表れた結果であった。
その体格差ゆえに、ダンツフレームがタキオンの華奢な身体に力負けすることは無いように思われたが、それでも突飛さと強引さを備えたタキオンの振る舞いにはたじろいでしまうらしい。
タキオン自身、ダンツは言いなりにしやすい相手だと既に見込んでいるだろう。
「トレーナーくん、今日は私と並んでダンツくんにも教えてやってくれたまえ。彼女はここまで、専属のトレーナー無しで頑張ってきたのだからねぇ。」
「よろしくお願いします、タキオンさんほど、速くは走れないかもですけれど、本気で頑張ります。」
「こちらこそ、よろしく……いや、でも、担当トレーナーが居ない状態で、既に3勝してるのはスゴいな。」
チームに所属していたり、専属の担当トレーナーが居たりするのは、相応に能力が認められ期待されたウマ娘ばかりである。
今のダンツフレームはGⅢに届いていないにせよオープン戦をも勝利しているため、そろそろ担当をつけられてもおかしくないだけの戦績は有しているが、デビュー間もない頃はそこまで注目されるウマ娘ではなかったということだろう。
担当トレーナーの居ないウマ娘は、他の担当無しウマ娘たちと合同で練習場を走り、集団指導を行うトレーナーの下でまとめてトレーニングを受けることとなる。
そんな練習環境から頭角を現したのは、紛れもなく彼女が並みならぬ努力家である証であった。
「私のレース結果も、きちんと見ていただいてるんですね、ありがとうございます。でも、私、まだまだ上を目指したいので……。」
「まずは来月のきさらぎ賞、だねぇ。初のGⅢクラスのレース、私も応援しているよ。」
「なんでタキオンが把握してるんだよ。」
鷹木はツッコミを入れたが、それはおそらくダンツフレームがタキオンを相談相手としているためなのだろう。担当トレーナーが居ないウマ娘は自分が出走権を有するレースや、出走選択すべきレースについて、自力で判断しなければならない。
同学年生であり、十分すぎる知識量と思考力を有するタキオンは、彼女の相談相手というポジションに体よく収まったものと思われた。
「本格的に大舞台へと上がっていく上では、相応の練習相手が居なければならない。すなわち、同年代かつGⅠレースを経験し、そして比較的ヒマなこの私が適任というわけだねぇ。」
「タキオン自身がダンツフレームに絡みたいだけじゃないのか。……まぁいい、双方が乗り気なら止める理由はない。まずはウォーミングアップを済ませてくれ。」
「はい!本日はタキオンさんとの合同練習、お願いいたします。」
タキオンと居並べばますます際立つ、ダンツフレームの真面目さと素直さが、鷹木には殊に眩しく感じられた。
ダンツフレームの体つきは、柔軟運動をしている姿を見ればますますタキオンとは対照的な性質を有していると見えた。
食事内容をトレーナーがしっかりと指定して、食事時間を惜しまずしっかり咀嚼して食べるよう告げても体重がなかなか増えないタキオンとは逆に、ダンツフレームは肉付きしやすい身体を引き絞るように鍛えたような印象であった。
となれば……出走者全体の基礎的な能力が目に見えてハイレベルになるレースでは、その体重ゆえの特質には気を配らねばならないだろう。
「ダンツフレーム、きみの走りを普段から見てきたわけではないから、今はあくまで助言程度なんだが……加速には十分な時間を費やす方が、きみの脚には合っているかもしれない。」
「はい、私も普段から意識はしてます。他の子と一緒に加速しても、私だけスピードが伸びるまで遅いってことはたびたびあるので。」
「自己分析も出来ているじゃないか、ダンツ君。ほんわかした顔立ちながら侮れないねぇ。」
ウォーミングアップを終えたダンツフレームは、鷹木の言葉に頷きながら、タキオンと共に練習コースへと向かう。
共同で他のウマ娘と指導を受けている際にも、全体を見ているトレーナーからアドバイスを受けることはあれども、専属トレーナーが居ない以上は自力で能力の不足を自覚しなければならない。
ダンツフレームの受け答えから彼女の本気度合いを実感しつつ、鷹木はストップウォッチを構えた。
「距離は1800m、きさらぎ賞に合わせた形でいいな?」
「構わないだろう、私が目指す弥生賞よりは短い距離だが、ダンツ君の課題克服の練習には相応しい。」
「距離が短くなるほど、私の遅れがちな加速には意識を向けないと、ですからね。よろしくです。」
スタートラインに並んで走り出す体勢を整えている状態となればなおさら、ダンツフレームの仕上がった筋肉のついた身体は十分すぎる気迫を伴っていた。
アグネスタキオンの細い脚は、初めてこの両名を見た者からは勝てそうなウマ娘の脚に見えないだろう。それでも、タキオンの方が圧倒的な能力を有していることは、担当としての贔屓目を差し引いても明確だった。
ターフの上で、より速度に乗って走れそうなウマ娘は、ゴールする自らの姿を当然のごとく見つめているような表情を浮かべているのだ。
この併走においてはどちらが速いかよりも、むしろダンツフレームがどこまで能力を引き上げることが出来るか、が焦点となっていた。
「位置について、用意……スタート!」
鷹木の合図とともに、ダンツフレームが真っ先に飛び出す。
1800mの距離、しかもきさらぎ賞の行われる京都レース場は、コーナーを回る前後が長大な直線で構成されているという、かなり変わった形状のコースになる。
トレセン学園内の合同練習グラウンドでは、そのコース配置を完全再現することは不可能であったが、直線部分の多いコースでは走っている間の差がつきづらい。
「他よりも加速の瞬発力で劣っていることを自覚している以上、ダンツフレームが採れるのは先行策だな。」
タキオンは、ダンツから遅れること2バ身ほどの位置で走っている。
既にかなりの速度でダンツフレームは脚を運んでいたが、タキオンにとっては先行するウマ娘の背後でじっくりと状況を見極めつつ進むのが一番の得意分野である。
「あの流れで行けばタキオンは、間違いなく本調子の走りで突っ込んでくる……厳しいかもしれないが、ダンツフレームは粘れるか?」
京都レース場とは違って通常の形状のコース、ダンツフレームを追う形のタキオンは向こう正面を進んでいく。
ホープフルステークスにて一着となったアグネスタキオンが走っていれば、他のウマ娘たちからも視線が集まる。
クラシック路線のGⅠタイトルを獲れば、タキオンにも個別練習場が与えられるだろうから、こうして共同で利用される練習場を彼女が走っている姿は、そろそろ見られなくなる。
そんなタキオンに先行し続けて、本気の走りを見せているダンツフレームにも周囲からは声援が飛んでいた。先ほどは鷹木に対して礼儀正しくも硬い反応を見せていた彼女だが、普段はその外見通りに温厚で付き合いの良い性格なのだろう。
「コーナーを回って、そろそろ最終直線だ……いや、もっと早く仕掛けるべきだ、ダンツフレーム、たしかにセオリー通りなら、早すぎるスパートはスタミナ切れに繋がるが……。」
あくまでこのコースは京都レース場とは異なるため、本番同様の上り下りはなかったものの、ダンツフレームはコーナー出口に差し掛かってからラストスパートを開始していた。
スタート直後から早めのペースで運んできた以上、最終直線の競り合いに十分勝てるだけのスタミナは温存しておくべきではあったが、体の軽いアグネスタキオンの加速に対抗する上では、少々タイミングが遅い。
案の定、外側から並んできたタキオンはそのまま楽々とダンツを交わし、先着したままにゴールしていた。
「本番のきさらぎ賞に出走する競走相手にもよるが、ダンツフレームほど大きな体格を有するウマ娘は、そうそう他に居ないだろう。瞬発力勝負に持ち込まれないように、より早めのペースで進めるべきだろうな。」
コース上を流し軽い駆け足で戻ってきて、クールダウンを行っているダンツフレームに鷹木はタイムを示しながら告げる。
タキオンはさほど本気では走っていなかったらしく息切れもほぼしていなかったが、ダンツフレームは近づいてくるだけで熱気が伝わるほどに汗を流していた。
「はぁ、はぁ……そうです、ね、たしか、出走予定のリストには、アグネスゴールドさん、という方も、おられましたし……。」
「おや、アグネスゴールドくん?私の親戚じゃないか。彼女も最後の追い込みには警戒されるべきウマ娘だねぇ、まぁ、フフ、この私ほどではないかもしれないがねぇ。」
「タキオンも機嫌良くなってる場合じゃないぞ、さっきの仕掛けどころ、ダンツフレームの様子を見過ぎていて、いつもより反応が遅れていたじゃないか。」
「私もそれだけ、ダンツくんに警戒しているということだとも。」
タキオンはスポーツドリンクのボトルを開けつつ、今なお汗を拭きながら呼吸を整えているダンツフレームへと視線を遣っている。
鷹木が走り出す前のタキオンに感じている速さと同様に、タキオンも同年代のウマ娘に将来的な好敵手となる予感を見出しているのかもしれなかった。