アグネスタキオンと共にクールダウンを終えたタップダンスシチーは、久々の練習相手をいそいそと自分の秘密基地……こと、練習場の隅に建てられたプレハブ小屋へと誘う。
いつも通りに全く躊躇も遠慮も無く踏み込んでいくタキオンの背後で、鷹木はついて行って良いものかと逡巡していた。そんな彼の挙動を見越したかのように、片桐から声がかけられる。
「鷹木トレーナーも、どうぞ、お入りください。ここはウマ娘寮でも無ければタップの私室でもない、あくまで物置としての扱いですので。」
「な、なるほど……では、失礼します……。」
「Eyy,don't be shy、わたしの自慢の秘密基地だ、見せびらかさせてくれよ!」
タップダンスシチー自身からも促され、鷹木もぎこちない動きながらタキオンに続いてプレハブ小屋の中に入った。
ウマ娘が普段から着替えや休息のために用いている部屋は、基本的にトレーナー禁制という原則が染みついていたため、鷹木は躊躇せざるを得なかったのだ。
単なる物置だという扱いでトレセン学園に報告しているのならば、たしかにトレーナーが入り込んでも制度上問題にはならない。タップダンスシチーのように気が強く、自分で状況を掌握するだけの胆力あるウマ娘でなければ、ここを居場所として定めさせることは不安を伴うものの。
プレハブ小屋の内部はきちんと片付けられており、外から見た際の印象以上に広く感じられた。さすがに、タキオンとタップ、そして鷹木と片桐の4名が入れば狭苦しさはあったが。
「さすがに換気扇は起動しておきますね、タップ。2月に入ったばかりとはいえ、この空間に我々が押し込まれていては蒸し焼きになりかねません。」
「I left it to you,今から始まるポッケのレースを見てりゃあ、自然と熱くなるだろうからな!」
片桐は慣れた手つきで壁際の換気扇の電源を入れ、反対側の窓を開けている。
2月の寒風がそのままに吹き込んできたが、確かに本日行われるレース中継……ジャングルポケットの出走する、共同通信杯の中継を見ていれば自然とヒートアップすることだろう。
それにしても、と鷹木はこのプレハブ小屋の内部を見渡し、想定以上に調度品が揃い、快適さが保たれている空間である様を目の当たりにしていた。
外側を見て回ったタキオンが室外機の存在を確認していた通り、夏季の猛暑に備えてクーラーが設置されている。さすがに並べられているのは錆びかけたパイプ椅子ばかりだったが、テレビモニターは壁面に設置された薄型大画面の高級モデルであった。
既に自室のようにくつろぎきっているタキオンの隣に腰掛け、鷹木はテレビ画面を指さして片桐に尋ねた。当然すぎる内容で、あまりにも間抜けな問いかけになっていたが。
「この画面で、今からレース中継を?」
「そうですよ、自分も薄型テレビを単なる飾りにするほど酔狂ではないですし。あぁ、電気代などに関しては気にしなくて良いです、トレセン学園の備品という扱いなので、校舎の方から線を引いて設置してますから。」
「あぁ、それは先ほど私も確認したねぇ。煩わしい手続きは全てクリアして、秘密基地にレース中継視聴環境を整えるだなんて、片桐トレーナーは実に手際がいいねぇ。そうは思わないかいトレーナーくん?」
タキオンからそう問いかけられた鷹木は、何も言い返せないままであった。
片桐というトレーナーが、制度の隙間をすり抜けるように都合の良い状況を手にする術に長けていることはこれまでにも増して認めざるを得なかったし、自分にはとても真似できない発想と行動力を備えていることも否定できなかったのだ。
校舎の中に、勝手に自分たちのたまり場を作るような生徒が、そのまま大人になったら片桐のようになるのだろう……とも思われた。
周囲の走りに自ら馴染もうとせず、自分のスタイルを貫いて走り抜こうとするタップダンスシチーとは、確かに相性の良いトレーナーでもあった。
「さすがに、一般のチャンネルで中継されないようなレースに関しては、パソコンの画面で見るしかありませんけれどね。むろん本日の共同通信杯ともなれば、この画面で観戦できます。」
「ポッケ、わたしがようやくオープン戦や特別レースで走ってるってときに、サラッとGⅢに出てやがるからな、マジでlitな奴だ!デカイ顔してられんのも今のうちだけどな!」
「あぁ、私も彼女がどれだけの進化を遂げるのか、楽しみでならないよ。可能性だけは、ジャングルポケットくんの走りに見いだせているんだけれどねぇ、可能性だけは、ねぇ。」
いつも通りに強気な発言を続けているタップとタキオンの前で、片桐が画面をレース中継チャンネルに合わせる。
画面上では、地下バ道から歩んできたウマ娘たちが、次々にゲートへと向かう様が映し出されていた。画面下部に、各ウマ娘の枠番や人気順が表示されている。
「当然のごとく、ジャングルポケットくんが1番人気だねぇ。まぁ、この私が居ないのだから、なにも驚くべき人気順ではないねぇ。」
「Ha,タキオンが出てりゃあ1番人気は獲ってたってか?で、2番人気はスイートゥンビター……Sweet'n Bitterってのか、カッケェ名前だな!」
コース内側、2枠に入っていくスイートゥンビターというウマ娘は、少々珍しい青毛の髪を靡かせていた。
正直なところ、鷹木もジャングルポケット以外の出走者についてはさして詳しく情報を得ているわけではない。少しでも自分がこの場の会話に参加できるようにと、彼は急いでタブレット画面を操作し、学園のデータベースにアクセスした。
「スイートゥンビターは去年の12月9日にデビュー戦に出て一着、そして12月24日に中山レース場で行われたホープフルステークスでも一着、今のところ無敗のウマ娘だ。」
「ほう!デビュー戦でも一着、ホープフルステークスでも一着だなんて、まるで私そっくりの戦績じゃないか!素晴らしい能力の持ち主なんだねぇ!」
感嘆の声を上げるアグネスタキオンであったが、傍で聞いていたタップダンスシチーは怪訝そうな表情であった。
「What's?……去年のホープフルステークス、勝ったのはタキオン、アンタだろ?なんで、スイートゥンビターがホープフルステークスで一着だなんて結果が出てるんだ?」
「実にややこしい話なのですが、12月に行われるホープフルステークスには二つあるんですよ。GⅠレースと、オープン戦の二種類ね。」
同じ年の12月、同じレース名の栄冠を手にしたウマ娘が2名いるという状況に混乱しているタップダンスシチーの脇で、片桐が解説に入る。
世間的には、阪神レース場で行われるGⅠレースの方が知名度が高いため、特に注釈なく「ホープフルステークス」と言われればアグネスタキオンが勝利した方のレースを指す場合が多い。
「しかし去年の末は、12月23日のGⅠレース『ホープフルステークス』の翌日、12月24日にオープン戦の『ホープフルステークス』が、中山レース場で行われています。スイートゥンビターが勝利したのは、中山レース場でのオープン戦のほうですね。」
「Got it、同じ名前のレースが、1日違いで実施されてたってことか。けど、レース場が違うから、まだ区別しやすいか?」
「でも、たしか阪神レース場の『ホープフルステークス』は、いずれ中山レース場での実施へと変更されることが検討されてますよね。そうなれば、同じ中山レース場でGⅠとオープン戦、両方の『ホープフルステークス』が行われることになって、ますますややこしいことに……。」
「Huh?」
鷹木が余計な注釈を入れたせいで、一度状況を理解しかけたタップダンスシチーはますます混乱させられたらしく、しばらくポカンとした表情を浮かべた後、肩をすくめて考えるのをやめた。
複雑すぎることに頭を悩ませるのは、彼女のスタイルに合わなかった。それに、もう中継画面の中では全出走ウマ娘がゲートインを完了している。
〈12名、ゲートに収まって、体勢確認、完了です……スタートしました!まず好スタートを切ったのは中、スイートゥンビターですが、ウチからゴッドオブチャンス、出を窺います。メイショウドウサン、カチケンザンが行きました。あるいはエイシンスペンサー、飛ばしていって熾烈な先行争いとなっています。向こう正面に入りまして1番人気ジャングルポケットは5番手といったところであります。〉
東京レース場、左回り芝1800mのコース。スタートして160mで最初のコーナーが来るが、かなり緩やかに回るだけですぐ向こう正面の直線に入る。
実質、3コーナーに入るまでの750mまでがほぼ直線で構成されているといっていいコースであった。コーナーの攻略に苦戦しがちなジャングルポケットにとっては、かなり有利な条件となる。
「追い込みが得意なポッケくんが、序盤から5番手の位置につけているとはねぇ。あそこから最終直線で駆けあがってくるとなれば怖いねぇ、かなりリードをとっていないと先行の子達は勝てないねぇ。」
「私が出てたら負ける気はないけれど、ポッケ相手にこのコースはマジで走らないとな!リードをガッツリ広げて思い通りのペースから崩してやるしかない。」
距離も短く、コーナーも実質3、4コーナーのみという構成ゆえに差がつきづらいレース。
従来であれば直線の長さも手伝って先行争いは激しくなりにくいものであったが、今出走しているウマ娘たちもタップやタキオンと同じことを考えているのだろう、序盤から前へ前へと出ようと位置取り争いを続けていた。
ひとえに、ジャングルポケットの存在が彼女らに焦りを与えていたのだ。
〈中団、メジロキルデアがウチ側を進み、それを交わすように外からカシマサキモリ、そして3番人気のプレジオが上がりました。その直後にはチアズブライトリー、2バ身開いて後方から3番手にダンシングカラー、ここでカシマサキモリ下がってきて後方2番手、そして最後方は今日も定位置、シングンオペラとなっています。残り1000を通過、坂を下って3コーナーへ、スイートゥンビターは外に出して前へ上がろうとしているか。〉
最終コーナーを前にして、位置の入れ替わりが激しくなりつつある周囲をよそに、ジャングルポケットは静かにコース外側へと出ていた。
大回りになる代わりに、前をブロックされづらく、加速する際の邪魔を気にする必要のない大外からの追い込み。これまで最終直線に向いてから加速していたジャングルポケットは、新たな作戦を実行しようとしていた。
鷹木も身を乗り出して中継画面を見つめつつ、片桐へと問いかける。
「直線で一気に加速するぶん、コーナーは慎重に攻略するのがジャングルポケットという印象でしたが、今回は最終コーナーから仕掛け始めるつもりでしょうか。」
「それぐらいはやってのけるんじゃないですか?何といっても、ホープフルステークスにてタキオンさんに追いつけなかった局面は、ジャングルポケット自身が強く記憶に刻んでいるでしょうし。」
片桐の返答は、ごく妥当なものだった。万全のスタミナ量で、全力の末脚を発揮してもタキオンに追いつけなかった以上、最終直線以前により前へと上がっていなければ勝ち目はない。
ジャングルポケットの指導を担当しているキングヘイローにとっても、強敵を前に勝ち方を模索する経験は幾度も繰り返してきたことである。
これまで苦手意識を抱いてきた作戦にも、実戦にて果敢に挑んでいくジャングルポケットの姿を凝視し、タキオンは実に嬉しそうにレース中継を見入っていた。
〈スイートゥンビター外から、ゴッドオブチャンスに並んで2番手を窺うところ、そのすぐ後ろから早くもジャングルポケットが接近しています、4コーナーを回っていきます。あとはメイショウドウサンがそのウチに控えてプレジオはバ群の真っただ中に突っ込んで折り合いを図ります。さぁジャングルポケット、スイートゥンビターの外に並んで上がってきた上がってきた!2番手にまで上がってきました残り600!最後の直線に向きます!〉
「Phew……あぁなったポッケは、勝てちまう……!」
「素晴らしい走りだよ、完璧な作戦じゃないか、直線を向く時には既に2番手にまで上がっているとはねぇ!ジャングルポケットくんの末脚を見事に生かせるペース配分、そして位置取りだねぇ!」
タップダンスシチーとアグネスタキオンが口々に響かせる声は自然とボリュームが上がっており、この狭いプレハブ小屋の中では過剰な音量で反響していた。
とはいえ、わんわんと響く声々が気にならぬほど、鷹木も片桐も同様に画面内に見入っていたことには違いない。
走らされる距離が長くなる大外回りのコーナー攻略も、速度を出すと遠心力でコース取りが外に膨らんでしまうジャングルポケットの性質を汲んでのことだろう。
多少の距離の不利も、闘争心と爆発力で一気に直線を突き抜けるジャングルポケットの長所を最大限生かせるのであれば、まるで問題にならない。
〈エイシンスペンサー先頭でリードは1バ身ほど、2番手のメイショウドウサンが間から懸命に抜けにかかるが、ジャングルポケットが来る!ジャングルポケット、バ群の大外に持ち出して、これは凄い末脚だ!ここから登り坂だが、まだまだ加速していく!スイートゥンビターもウチ側に、プレジオも追い込んでくるが、ジャングルポケット堂々先頭!2バ身のリード!誰も追いつけない!ジャングルポケット、今先頭でゴールイン!余裕の走りでした!〉
ゴール板の前を駆け抜け、減速しつつもジャングルポケットは勢いよく拳を突き上げる。
二着のプレジオとは2バ身の差、そこから三着のスイートゥンビターとはさらに1バ身以上の差がついていた。クラシック路線で目指すコースよりは短い1800mという距離であったが、昨年末アグネスタキオンに敗れたウマ娘だという評など吹き飛ばすほどの快勝であった。
当のタキオンは、いつもと変わらぬ笑みを浮かべながら、静かに画面越しの拍手を送っていた。それは決して、今の勝利に対しての拍手ではなかったようだったが。
「やはりジャングルポケットくんは可能性を秘めている、今世代の特異点となる可能性をねぇ。」
「あ?この世代の?最強になるのはわたしだ、このタップダンスシチーに決まってんだろ!」
タキオンの言葉を聞きとがめたタップダンスシチーがすかさずツッコミを入れるも、タキオンは既に自分の練習場へと帰るつもりなのか、立ち上がってスタスタとプレハブ小屋を出て行った。
おそらく、ジャングルポケットの走りを見た今、じっとしていられなくなったのだろう。タップダンスシチーとの併走も済ませた今、次のレースで自分自身が勝つための練習に一刻も早く向かうつもりなのだと思われた。
後には、彼女の背を見送る面々とともに、鷹木トレーナーだけが残されるといういつもの光景があった。またしても挨拶も無く立ち去ったタキオンの代わりに、鷹木が頭を下げる。
「その、すみません、勝手に押しかけてきて、サッサと出ていくことになってしまいまして。」
「いえいえ、こちらもタキオンさんと併走できる貴重な機会をいただけましたので。少々気は早いかもしれませんが、アグネスタキオン対策の研究材料を得られたのは大きな収穫ですよ。」
「そ、それは、どうも……。」
相変わらず静かな口調、物腰柔らかな話し方の中に、不意打ちで挑発的な内容をいれてくる片桐を相手取るのには慣れていない鷹木であった。
確かにタップダンスシチーの現状の戦績を思えば、GⅠレースを走っているタキオンをマーク相手とするのは気の早い話かもしれない。しかし、タップダンスシチー自身も乗り気な様子で言葉を付け加えていた。
「私もアイツの気に当てられたら、ますますレースでぶっ倒したくてたまらなくなったぜ!いずれタキオンの鼻っ柱をへし折ってやるから覚悟しとくんだな!Hasta la vista,baby!」
「よ、よろしく……じゃないな、うっ、う、受けて立とう……。」
いつもの調子で無難な返答のみに収めようとしかけた鷹木であったが、すでにスタスタとここから立ち去っていたタキオンの代わりとして、それらしい返答をどうにかこうにか口にしていた。