シンジ君とアスカの祭りの夜の一幕です。

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惣流・アスカ・ラングレーもわかりやすい

「あぁーもうおっそいわね、バカシンジ! 遅刻しちゃうじゃない」

 アスカはリビングで腕組みをしたまま何度も派手に右足を踏み鳴らした。

 シンジはまだ自分の部屋で準備中だ。

「先に出るわね、アスカ」

「いってらっしゃい、ミサト」

「今日は夕方から楽しんでくるのよ〜♪」

 シンジ君も、と廊下でミサトの声がする。「いってらっしゃい」というシンジの悠長な声が聞こえて、アスカはなおさら苛立った。

《はぁーい、今日もクリスタル・レイコの星座占いの時間がやってきましたぁ!》

 つけっぱなしにしていたテレビから賑やかな声が響いて、アスカは振り返った。

《今日の一位は射手座のあなたッ! 勇気を出せば、気になるあの人と急接近できるチャンス到来かも⁉︎ がんばってね!》

「……………」

《そんなあなたの今日のラッキーキーワードは「猫」でーすっ》

「……………」

「おまたせ、アスカ」

 シンジが支度を終えてリビングに戻ってきたが、アスカはテレビ画面に視線を向けたままだった。

「どうしたの、アスカ?」

「今日のお弁当って、中身なんだっけ?」

「え? おかかのおにぎりと鮭の切り身だけど……アスカが魚がいいってリクエストしたんじゃないか」

「にゃるほど」

「……?」

「……」

「……アスカ?」

「なに?」

「いま、なんか……」

「違うわよ、テレビが猫の特集でかわいかったから、ちょっと真似してみただけよ」

「そ、そう……」

 アスカはシンジに顔を見せないように俯いたまま振り返ると、シンジの脇を抜けて玄関へ歩き出した。

 

「ちょっと、鈴原! 学校になに持ってきてるのよ」

 お昼休み。

 教室の隅に集まっていたトウジとケンスケは、両手を腰に当てたヒカリの大声で顔を上げた。

「ヤバ……」

「あーッ! またそういういやらしい雑誌学校に持ってきてる!」

 ヒカリの指先をアスカは何気なく目で追った。トウジが開いている雑誌の特集ページには、猫耳を付けた水着姿のグラビアアイドルが前屈みで招き猫のようなポーズをしている写真が映っていた。

「ええやないか、誰に迷惑かけとるわけでもないんやし、大目に見たってくれや、委員長」

 問題無用でヒカリがその雑誌を取り上げようとして、トウジと盛大な取っ組み合いの騒動が始まった。

「アンタもああいうの、好きなわけ?」

 アスカは隣のシンジに横目で視線を送った。

「え? い、いやぁ〜、僕にはよくわかんないや」

 ははは、と笑うシンジの目尻がいつもより数ミリだらしなく垂れ下がっていたのを、アスカは見逃さなかった。

 

 アスカがシンジと一緒に夏祭りへ行くことにしたのは、ヒカリが鈴原トウジとデートするきっかけを作ってあげたいと思ったからだった。

「……だから、途中でうまい具合にヒカリと鈴原のバカを二人きりにするのよ?」

 一度マンションに帰った時、アスカはシンジに念を押した。

 ……と、いうようなやりとりをヒカリとトウジもしていて、「途中でうまい具合にアスカとシンジを二人きりにする」作戦を立てていることをアスカは知らない。

「しっかし遅いのォ、委員長もセンセのとこのお姫さんも」

 夏祭り会場の入口で、トウジはうちわでしきりに顔を扇ぎながら悪態をついた。

 祭りといっても土地の伝統的なものではなく、セカンドインパクトから続く季節感のない非日常によるストレスを少しでも緩和するために、地元の有志が集まって開催しているものだ。花火など、派手な催しはない。

 それでも沿道にはかなりの数の屋台や出店が軒を連ねていて、そこかしこで家族連れやカップルが夏の夜を楽しんでいた。

「おまたせ」

 ヒカリの声がして、二人は後ろを振り返った。そこには、浴衣姿のヒカリとアスカが恥ずかしそうな顔で立っていた。アスカはヒカリの家で、彼女の姉が昔着ていた浴衣を貸してもらっていたのである。

 紫陽花模様の浴衣は落ち着きがあり、アスカをいつもよりも大人びて見せている。結い上げた髪から覗くうなじが一際艶やかだった。

 アスカは惚けた顔でこちらを見ているシンジをチラチラと観察した。バカシンジの頬と耳が、いつもよりほんのり赤い。こちらを意識している雰囲気を感じて、アスカはほんの少し俯き、はにかんだ。

「どう?」とは、アスカはシンジに訊かなかった。こっちから言わせるのは癪だったし、自分の性分でもない。

「ほな、行こか」

 四人揃って歩き出す。

 しかしニ十分もしないうちに、アスカとシンジはヒカリとトウジの二人と別れることになった。

「シンジがお腹痛いらしいから、トイレに連れて行ってくるわね」

 やりくちが酷い……とシンジは思う。

「ふーん……」

 シンジと並んで歩きながら、アスカは左右の屋台を興味深そうに観察していた。

「日本のお祭りってこんな感じなのね」

「ドイツはこういうにぎやかな感じじゃないの?」

「そうね、もうちょっとお上品かも」

 パイロットにもしものことがないように、SPがどこか離れた場所からシンジとアスカを監視しているであろうことは二人とも承知していた。非番の日にこんなイベントに参加することを許可してくれただけでも、ミサトには感謝すべきだ。

 それでも……とシンジは思う。

ーアスカにとって、ちゃんと楽しい思い出になってくれるといい。

 射的をしたいとアスカが言ったので、二人で挑戦することにした。やわなコルク銃にもかかわらず、アスカが四体、シンジが三体の人形を鮮やかに撃ち落として、周囲からどよめきが起こる。

「ふっふーん。どう? 私の勝ちね」

 そう言いながら、景品としてアスカが選んだのはシンジが落とした人形の方だった。

 それは頭にストラップが付いた、小さな黒猫と白犬のマスコットたち。

「アスカ、どっちにする?」

 当然のように二人で一体ずつ人形を分けるつもりのシンジに、アスカは一瞬言葉に詰まった。

「じゃ、じゃあ……」

 猫の人形を選ぼうとしたアスカは、犬の人形を見て動きを止めた。

「私は、犬」

「じゃあ、僕が猫だね」

 アスカは、シンジから受け取った犬のマスコットをまじまじと見た。

 学校のカバンに付けようかな、とシンジ。

「アスカも付けない?」

「知らない……っ」

 アスカはぷいとそっぽを向いて歩き始めた。

 少し進んだところで、アスカはすぐに立ち止まった。シンジもアスカの背中に軽くぶつかって止まる。

 アスカが見ていたのは、たくさんのお面を売っている屋台だった。子供向けのキャラクターのお面が壁一面に並ぶ中に、動物の耳を模したカチューシャがあった。

「これ……」

 アスカは猫耳のカチューシャを指差した。ふと視線を感じて横を向くと、隣の屋台に並んでいたヒカリとトウジの二人と目が合った。

 瞬間、アスカの伸ばした指先が力なく折れ曲がる。それとシンジが声を上げたのはほとんど同時だった。

「この猫と犬のやつ、ひとつずつください」

 番頭のおばさんにお金を払って、シンジは猫耳と犬耳のカチューシャを受け取った。

「どう? 似合うかな、アスカ? あ……ていうか、僕が犬でよかったかな? さっきの人形は僕が猫だったし……ごめん」

 シンジは犬耳のカチューシャを頭に付けたまま小首を傾げた。その動作と、だらしなく垂れ下がった耳の形がなんだか本当の小犬のようで、アスカは思わずぷっと吹き出した。

「アンタらしいわね」

 仕方がないなーといった調子で、アスカも猫耳のカチューシャを付ける。

「どう、似合う?」

「うん、似合う似合う」

「もうちょっとうまく褒めなさいよね」

 シンジの笑顔に、アスカは小さく息を吐き出す。

 アスカとシンジは同時に振り返って、ヒカリとトウジに小さく手を振った。

 ヒカリが手を振り返し、トウジは大袈裟に親指を立てる。四人は笑って、二組はまた別々の方向へ歩き始めた。

 調子が出てきたアスカは、それからスーパーボールすくいや輪投げに挑戦し、チョコバナナにりんご飴、わたあめやベビーカステラにまで手を出して、ご満悦の様子だった。

「シンジ〜のど乾いた〜」

「はいはい」

 道路脇の縁石にアスカを座らせ、シンジは近くの屋台で昔ながらの瓶ラムネを二本買って戻ってきた。

「これ、どうやって飲むの?」

 受け取ってから、アスカは首を傾げた。

「そっか。ごめん、知らないよね」

 シンジはキャップ部分のシールをはがして玉押しを取り外すと、それを瓶の口に押し当ててビー玉を落とした。

 五秒ほど玉押しを押し当てた後、シンジはラムネをひと口ふくんだ。「カラン」という中のビー玉の素朴な音が印象的で、その音はアスカの胸の中でしばらく響いていた。

 アスカもシンジの真似をしてキャップ部分のシールをはがす。瓶の口に付いているふたのようもので、中で栓をしているビー玉を押すらしい。

「きゃっ!」

 ビー玉を押し込んだ後、すぐに玉押しを離したのがよくなかった。瓶の中からラムネが勢いよく噴出する。

「大丈夫⁉︎」

 シンジは慌てて立ち上がった。

 幸い浴衣にはかからなかったようだが、溢れた炭酸水でアスカの両手はベトベトになっていた。

「……ひゃ」

 アスカは悪態をつく前に短い悲鳴をあげた。シンジがアスカの手を取って歩き出したからだ。

「手、洗いに行こう」

「あ…う、うん……」

「開け方、先にちゃんと言ってなくてごめん」

「ううん……」

 シンジは左手でラムネ瓶二本を器用に指の間に挟んだまま、右手でアスカの手を握って人並みをかき分け進んでいく。道中、アスカは自分と手をつないだせいでねばついてしまったシンジの指先をじっと見ていた。

 祭り会場を逸れたところに小さな公園があり、アスカは砂場の脇に設置された水道でシンジと一緒に手を洗った。ぬるい水だったが、シンジに手を引かれて火照った顔には気持ちよかった。

 公園のベンチに並んで座る。アスカは意識して、手の平ひとつ分の間を空けた。

「飲む、アスカ?」

 シンジは思い出したようにラムネの瓶を差し出した。わかっているのかいないのか、それは先ほどシンジが口にしていた方のラムネだった。きっと、たくさん飲めた方がいい、くらいに考えているのだろう。

「……ありがと。もらうわ」

 心の内を悟られないように、アスカは努めて平静にシンジから瓶を受け取ると、ラムネを口の中に流し込んだ。

 炭酸水の甘い味。

 その中に、アスカは夏とシンジのにおいを感じた。

「ふーん、子供っぽいけど、なかなかの味ね」

「暑いから、余計においしく感じるのかもね」

「なに?」

「アスカ、ずっと顔が赤いから、暑いのかなと思って」

「うっさいわね、バカ」

 バカ……。

 シンジは苦笑しながら、アスカをうちわで扇いだ。

 浴衣は少し歩きづらかったが、足の疲れは心地良かった。祭りの本道から外れているせいか、公園の周りには人の気配が少なく、屋台が並ぶあたりから聞こえてくる祭囃子は、どこか遠い世界のことのように思えた。

「ねぇ……」

 我慢できずに、アスカは声を振り絞った。

 シンジがきょとんとした顔で覗き込んでくる。

「これ、似合ってるかな?」

 シンジは当然とでもいうように答えた。

「浴衣も、カチューシャも、すごくよく似合ってるよ」

 それにー。

「今日のアスカ、すごくかわいいと思う」

 アスカの猫耳が、へにゃんと垂れ下がった。

 

(ひゃあ……)

 ヒカリは思わず口から飛び出しかけた台詞を必死に飲み込んだ。

「どないしたんや、委員長?」

「な、なんでもない。こっちはトイレなさそうだから、別の場所探そう?」

「公園の奥にあるんは、アレ、トイレとちゃうんか? ワシ汚くても大丈夫やで?」

「ダメよ、もう! ダメったらダメっ!」

「なんや、ようわからんなぁ……?」

 ヒカリは、渋るトウジの手を引いて祭りの本道へと引き返した。

 少しだけ、公園のベンチを振り返る。

 シンジがアスカをやさしくうちわで扇いでいる。シンジの肩にアスカがそっと身を寄せているように見えたのは、ヒカリの見間違いではないだろう。

 

   ※

 

「あぁーもうおっそいわね、バカシンジ! 遅刻しちゃうじゃない」

 アスカはリビングで腕組みをしたまま何度も派手に右足を踏み鳴らした。

 シンジはまだ自分の部屋で準備中だ。

「先に出るわね、アスカ」

「いってらっしゃい、ミサト」

「昨日は楽しかったみたいね〜♪」

「ま、まぁね。気分転換にはなったかな」

 プイとそっぽを向きながら、アスカは抱えていた学生カバンを無意識にミサトから見えない位置に移した。カバンには、昨夜シンジが取ってくれた犬のマスコットが付けられていた。やさしそうな雰囲気がシンジによく似た、白い犬の人形だ。

《はぁーい、今日もクリスタル・レイコの星座占いの時間がやってきましたぁ!》

 つけっぱなしにしていたテレビから賑やかな声が響いて、アスカは振り返った。

《今日の一位も、すごい! 二日連続で射手座のあなたッ! 普段やらないことにも積極的にチャレンジしていきましょうね!》

「……………」

《そんなあなたの今日のラッキーキーワードは「ゾナ」でーすっ。なぞなぞ、など、言葉のどこかにキーワードを入れていくだけでハッピーも恋愛運も急上昇! 語尾につけてもかわいいですね〜!》

「……………」

 廊下に人の気配を感じて、アスカは振り返った。

「準備できた? ぐずぐずしてないで、さっさと行くぞ……ゾナよ、シンジ」

 顔を上げて、アスカは絶句した。廊下に立っていたのがシンジではなくミサトだったからである。

「忘れ物したから、戻ってきたんだけど……え? なに、アスカ?」

 ミサトはアスカが咄嗟に体で隠そうとしたテレビ画面を覗き込んだ。そこには、今日の星座占いのラッキーキーワードが一覧で映し出されていた。

「きゃあぁぁァァーッ!」

 ミサトの目元がいやらしく歪んで、アスカは思わず悲鳴をあげた。学生カバンを全力でミサトに投げつけるが、ひょいと横にかわされてしまう。

「どうしたの、アスカ⁉︎ うわッ!」

 リビングに飛び込んできたシンジの顔面にアスカのカバンが直撃して、たまらずシンジは後ろに倒れ込んだ。

「きゅぅ……」

「あ……ご、ごめんっ! シンジっ!」

 アスカがシンジを介抱している間に、ミサトはリビングのテーブルに置き忘れていた車のキーを取り、玄関へと歩いていく。

「じゃあね〜二人とも。行ってくるゾナ〜♪」

「ミサトーっ!」

 アスカの形相が羞恥と憤怒で赤く染まる。

 アスカの腕の中でぐったりしているシンジの学生カバンには、不敵な笑顔がアスカに似ている黒猫のマスコットがぶら下がっていた。

 

 

   了


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