やっぱり、私はいらない子なんだ。
先生の休憩室の入り口に立ち、私はそんな事を考えていた。
先生は普段ここを利用していないことが、部屋の状況を見れば明らかだった。ゴミや汚れが少ない。
はっきり言えば掃除をする必要はあまり感じられなかった。
それでも何かしなきゃ。
自分を奮起させて、私は恐る恐る歩き出す。
「……床、拭いておこうかな」
私の中で出た最適解。
正解かどうかは分からなかったが、やる事が決まればあとは早かった。
パタパタと動き始め、部屋の掃除を開始した。
*
「よし、入ったかな」
ミユが休憩室に入った事を確認すると、僕は一呼吸吐いた。
今日くらいミユには休んでほしいものだ。
というのも、今週は用あってRabbit小隊の生徒達と行動する事が多く、ミユの行動がしばしば目に付いた。
ある時は訓練終了後、各隊員が状況報告をしなければならないのだが、ミユだけ報告がなくミヤコが心配し半日探し回った。
またある時は作戦前のブリーフィング中、ミユだけ作戦内容の大半を聞いておらずサキに怒鳴られていた。
またまたある時は武器の整備中、モエが適当に仕掛けていた催涙ガス地雷を踏み抜き一日彼女は泣き続けていた。
……最後に関してはモエが悪いとは思うが、普段の彼女なら絶対にあり得ないミスが多く続いていた。
「最近作戦続きだったんだろうな、まだ1年生だっていうのに」
様々な陰謀、策略に巻き込まれて。
自分達が3年間を過ごす筈だった学舎を追われた彼女達は、それでも諦めず今日も頑張っている。
僕ができることと言えば、そんな彼女達のサポートくらいだ。
「さ、て。僕も僕でやることやっちゃわないとな」
インスタントコーヒーが入ったマグカップを持ち上げて、今日の業務量を見る。
ミユ、今だけでも助けてくれないかな。
「いかんいかん。そんな格好悪い大人が居てたまるか」
首を横に振って、コーヒを啜った。
インスタント独特の薄いコーヒーの味が口一杯に広がる。
んじゃ、ぼちぼち始めますか。
シャーレ事務室に、静かにタイピングの音が続いた。
仕事を始めて、程なくした頃。
背後から物音がした。
振り返る。
「?」
誰も居ない。
空耳か。
再びデスクに顔を戻す。
「あの……」
やはり声が聞こえる。
左右に首を回す。
「ミユ?どこにいるの?」
「あの、後ろです」
「うぉっ?!」
吐息も聞こえるくらいの至近距離。
耳打ちにも等しい位の距離でミユの声を聞いた僕は慌てて彼女から離れようと、よく分からない動きをする。
こう、ジタバタと。
「あっあっ、すみません。驚かせちゃった、みたいで……」
「いや、ごめんミユ!多分さっきも一回呼んだでしょ?気付けなくてごめん!」
「10回くらい、呼びました」
ゴーーーン。
脳天を撞木でぶん殴られた気がした。
彼女に見せていた笑顔がしおしおと消えていくのが自分でも分かった。
「そ、そう、なんだ。本当にごめんね」
「いえ、慣れてますから。それで先生、休憩室の掃除なんですが……」
「あ、終わった?」
「はい。もとより綺麗なお部屋だったので、床を軽く拭いた程度ですが」
ま、流石に真面目なミユだったら掃除サボって休憩室で寝るなんて事はしないか。
ここまではある種予想通りといった所。
「ありがとね」と笑うと、ミユもそこで初めて少し笑ってくれた。
「じゃあ休憩室でちょっと休んでていいよ」
「えっ」
ミユの笑顔が消えた気がした。
まぁ驚くのも無理ないか。彼女達はシャーレにお手伝いに来てる身なのに、急に休めなんて言われたら困惑するだろうな。
「きゅ、休憩するには少し早いと言いますか。あっ、先生の机の上の書類、一緒に片付けますよ⋯⋯?」
「あーいや!大丈夫だよ!僕のことは気にしないで、ミユは休んで」
「……」
あ、れ……?
なんか凄く悲しそうな顔してる。
「どうしたの」と聞こうとしたら、先に動いたのは彼女の方だった。
「わかり、ました」
「あ……」
くるりと背中を向けて休憩室に戻っていく。
長く、けれども艶のある彼女の髪はいつもの落ち葉に加えて、埃もくっ付いていた。
僕はパタン、と休憩室の扉が閉まる音がするまでその場から動く事ができずにいた。
なんとも不甲斐ない話だ。
けれども、これでミユが本調子に戻ってくれれば良い。
そう思いながら、僕はまたパソコンと格闘を始めた。
*
頭の中は空白だった。
霞沢ミユは休憩室の椅子にちょこんと座り、天井の一点を見つめている。
真っ赤な瞳からは光が失われていて、白い瞳孔からは生気が微塵も感じられない。
喉、乾いたな。
休憩室に入ってから4時間が経過していた。
それまでずっと天井を見上げていたミユはこの時初めて視線を天井から足元に下ろした。
水筒……あぁ、事務室に置いてあるんだった。
休憩室にはウォーターサーバーがあったが、自己肯定感の低さがそれの使用を妨げていた。
「自分なんかがあんな高価そうな代物を使用しちゃいけない」なんて事を考えて。
恐る恐る休憩室の扉を開ける。
室内はすっかり暗くなっていた。
部屋の唯一の光源は、先生の机のパソコン。
ミユはハッとし、息を呑んだ。
「むむむ」
先生はまだ仕事をしていた。
難しそうな声を上げ、パソコンにめり込むくらいの勢いで身を乗り出しながら、パソコンと格闘していた。
あぁ、ごめんなさい。ごめんなさい。
ミユは胸の内で何度も謝っていた。
水筒を取りに行くつもりだったのに。
それ以上は踏み出せず、ミユは再び休憩室に戻っていく。
その一連の行為を気付く者は誰もいなかった。
*
「ミユ!」
勢い良く扉を開け放つ。
完全に失態だ。
誰に責められても文句は言えない。
「ミユごめん!こんな時間まで放っておいて!」
仕事に身が入り過ぎた、と言えば自分の失敗が正当化されるだろうか。それでも、生徒をこんな夜までシャーレに置いておくなんて許されるわけがない。
部屋をぐるりと見回す。
「ミユ……?」
彼女の姿は、どこにもなかった。
代わりに備え付けられていたテーブルの上には小さな書き置きがあった。
手にとって読む。
『使えない生徒でごめんなさい。本日はご迷惑をお掛けしてしまい、大変申し訳有りませんでした。子ウサギ公園に帰ります。先生は忙しそうなので、静かに帰りますね 霞沢ミユ』
体内の液体が全て飛び出そうだった。
視界が揺れ、吐き気を催す。
まずい、まずいまずいまずいっ。
踵を返し部屋を飛び出していく。
もう暦の上では秋も終わり冬が始まる、ワイシャツ一枚では寒い。が、そんなのはどうだって良い。
建物を飛び出すと、暖房と焦燥で火照った体温を外気が掻っ攫う。
「っ……こっちか!」
石畳の歩道を蹴って、見えない彼女の背中を追いかけた。
先生に悪いことをしてしまった。
何も言わずにシャーレを出ていくなんて。
今頃になって、私は自責の念に駆られていた。
防寒の為に持ってきていたマフラーを口元まで上げつつ、私は白い息を吐いた。
「……いや、これで良かったんです」
私なんて居てもいなくても変わらない。
だったら、消えても先生は気付かないし、何とも思わない。
これで良かったのだ。
私は思い直して我が家へと足を進める。
その足はとても重く、対戦車ライフルを背負って歩いているのかと錯覚してしまう程だった。
「はーっ」
意味もなく。
もう一回だけ。
息を吐いた。
吐いた息は少し宙を舞って、すぐ消えてしまう。
「先生、私はやっぱりいらない子だったんです」
分かりきっていた。
なのに、少し希望を抱いてしまっていた。
『また先生に見つけてもらえるのを、待ってますから』
いつしか言った言葉。
あの時の胸の高鳴りを今思い出せないのは、外気温が低いせいで私の心が冷めてしまっているからだろうか。
それとも、想い人に嫌われてしまったからだろうか。
「……せん、せい」
顔が、熱い。
冷えていたはずの心が熱くなり、感情がグツグツと煮え始める。湧き上がってくるそれは、やがて目尻から涙として溢れ出してくる。
重い足取りが、ついには止まってしまった。
*
紺色の空。空気は澄んでいて、星がよく見える。
僕は汗だくになりながら居なくなってしまったミユを探した。
彼女を見つけた時、僕はそれでも笑顔で「ごめんね!」と明るく接してあげようと思っていた。
でもそれは叶うことはなかった。
「ミユっ!!」
街灯に照らされ、立ち尽くしていたミユは泣いていた。そこからはもう、良く覚えていない。
一分一秒でも早く、彼女の下へ走って、そして……。
何ができるだろうか。
あの時の、走り出していた俺は何をしようと思っていたのだろう。
よく、覚えていない。
とにかく無我夢中だった。
「先生っ……?」
「見つかって良かった、本当に……っ!本当に!!」
寒空の下で、僕はミユを抱きしめていた。
最後の方の展開を1000文字くらい書いたところで、蛇足感が凄かったのでココでバッサリ切ってみました。