統制機構諜報部のハザマさん   作:作者さん

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ステージ5

 白い一粒の絵の具と大海のような大量の黒の絵の具を混ぜたとき、完成する色は何色になるでしょうか。

 正解は灰色です。正確に言うなら限りなく黒に近い灰色とでも言うべきでしょう。

 では、その灰色で染めきった布を黒にするにはどうすればいいのでしょうか。

 答えは単純です。白で足らしめるもの全てを一つに纏め、抽出すればいい。そうでなければ、黒であるということはできません。

 

 

『では、残った白は、いったいどこに行ったのでしょうか』

 

 

 

 

 

 

 ポーン、ナイト、そして前に前に出ているのはクイーンとでも言うべきでしょうか。プレイヤーでもあり、キングでもあるその少年は駒であり自身の武器でもあるそれらを使いこなし、迫っていました。

 攻められている少女も、ただその猛攻を浴びているだけではありません。迫り来る人形の槍を弾き、ブリキの歯車を躱し、傷一つさえも追ってはいない。

 それでも両者は平等ではありませんでした。少女の手には銃があるというのに、一発さえもそれを放っていないのですから、当然と言えば当然です。

 

「うーん……やっぱりこれも躱されてしまいますね。それじゃあ、もう少し強くいきますよ、先輩」

 

「ッ……カルル君……」

 

 そんな光景をもちろん、私は隠れながら観察してました。

 距離を取って離れ、気配は諜報部で鍛えた全てを使って隠密してます。双眼鏡片手に建物の上からうつ伏せになって眺めているさまは、だれかに見つかったとしたら通報ものだったでしょう。

 

『ヘタレが』

 

(勇気と無謀は違うんです。こんなところで私も体力使いたくありません)

 

『で、どうすんだ。第十二素体は攻撃しているようには見えねぇんだが?』

 

(…………どうしましょう)

 

『知るか』

 

 たった三文字で意思を伝える素晴らしい言葉とともに、私は溜息を吐きました。

 

――――――――――――――

 

 軽く仮眠をとったのち、カグツチへと到着したのは十二時を少し過ぎたぐらいでした。ナイフや糸といった武器を再度確認してから仕舞直し外へ出ると、ヴァーミリオン少尉が大きく伸びをしているのが見えます。

 それを見て私は一気に加速しました。音を立てず、風を起こさず、気配を消して背後まで近づきました。

 

「ん~~っ、ん! ふぅ……」

 

「いい天気だなぁ~、とでも言うつもりですか? ヴァーミリオン少尉?」

 

「ひゃい!?」

 

 分かりやすくビクッと反応してくれるヴァーミリオン少尉。なにげに面白い反応をしてくれますね。

 からかっているのを悟らせないために、そのままの表情で隣に立ちました。

 

「もう任務としてこの場所に立っているのですから、油断は控えてくださいね。諜報部ではよく話すことなんですけど……」

 

「そうなんですか!? 諜報部って凄いんですね……マコト凄いな。私も見習わなきゃ」

 

 冗談で言ったら物凄くキラキラした目で見られました。罪悪感が酷いです。というか、マコトさんと何か話したなら、私の性格も知られていそうなんですけど……。

 任務、と言っておきながら私のやることは何一つありません。

 窯の錬成についてはレリウス大佐に任せたようですし、ラグナ=ザ=ブラッドエッジについては知らないところを見つけるほうが難しいです。

 私自ら死神に向かって殴り込みは死にへと行くようなものです。ヴァーミリオン少尉を覚醒させるためにも、途中で死なせるわけにも来ませんから……何も起こさないが一番でしょうか。

 真面目にやるふりをして時間をつぶしましょう。今のところ消費しないのが一番です。

 

「さて、少尉。情報を集めるのに最適な場所が二か所あります。どこでしょう?」

 

「えーと、一つは支部で情報を得ることですよね? もう一つは……街、ですか?」

 

 顎に手を当てて考える少尉に、私は正解と答えて話を続けました。

 

「前二件の襲撃から考えて、死神が動くのも夜です。キサラギ少佐が動くのも同時期でしょう。昼は街で情報を集めて、夕方に襲撃に備えることにします。何か質問はありますか?」

 

「はい。もしも、街中でラグナ=ザ=ブラッドエッジが見つかった場合は……その、確保すべきでしょうか……」

 

 どこか不安そうに少尉に聞かれ、思わず私は絶句したくなりました。

 術式適正値は過去最大である十二素体ですけど、死神に勝てるとは思えません、というか、戦われたら困ります。死ぬようなことはないとは思いますけど。シスコンですし。

 

「いやいやいや。最大の賞金首相手に戦おうと思っちゃいけませんって。全力で逃げてください。俵のように担いで帰還するのも、結構大変なんですから」

 

「あ……わかりました……俵のように担いで帰還したことがあるんですね」

 

 あります。魔獣化したオオカミと徒競走付きで。ゴールテープは突きつけられた刀でした。二度と体験したくありません。

 さて、以前旅行ついでにお祭りを楽しんできたため、カグツチ、それも下層のオリエントタウンや浪人街での地理は多少なりともわかります。

 

「とりあえずオリエントタウンへ向かいましょう。情報収集をするとするならそこが一番集まるでしょうから」

 

 

 

 と、いうわけで情報を集めて、露店で品物を見て、情報を集めていると、丁度お昼を少し回ったという時間帯になりました。

 ……この任務は私にとっては未来を賭けたもののはずですが、どう考えても諜報部の新人研修にしか感じられないことに、思わずため息をつきました。緊張感ってなんですか?

 本当にやることが無いので、仕方がないと言えば仕方ないのですが。

 遠くにはぺこぺこと頭を下げて情報提供を行ってもらっているヴァーミリオン少尉の姿があります。どう見ても小動物です本当にありがとうございます。衛士として大丈夫なんでしょうか?……いえ、ベルヴェルグの精神操作がありましたっけ。

 

『気分は子犬の散歩ってやつ? 首輪も付けとかねえなんてろくな趣味してねぇな』

 

「ろくな趣味じゃないのはあなたの発言ですよ、どう考えても」

 

 人に首輪をつける趣味はありません。彼には枷をつけていますけど仕方ないですね。

 

『はっ、そういうお前は俺に……

 

 

「あの、すこしよろしいですか?」

 

 ぶつんと、脳内で会話していたはずの彼の意識が落ちました。

 声をかけられたから、なんてことはないでしょう。私はその声の主を見たことはありませんけど、知っていました。

 

「はい、なんですか?」

 

「不躾に話しかけて申し訳ありません。貴方は……統制機構の人でよろしいでしょうか?」

 

 大きなシルクハットと金の髪。その大きい丸メガネの下には、人懐っこそうな笑みを浮かべた少年の姿がありました。

 もちろん、その後ろには人間というには機械的すぎる女性を模した人形が、少年に寄り添うように立っています。

 

「あ、はい。統制機構のハザマです。えっと、貴方は……」

 

「申し遅れました。僕はカルル=クローバーといいます」

 

「カルル=クローバー……ああ、たしか咎追いの名前にそんな人がいたような……貴方がそうですか?」

 

「はい。統制機構の人に少し、聞きたいことがあるので呼びかけたのですけど、幾つかお尋ねしても構いませんか?」

 

 凄く良い笑顔で、私に話しかけるカルル君は、正直人一人ぐらい殺しそうな笑顔をしていました。

 後ろの人形……アークエネミー・ニルヴァーナ自体が精神を軽くぶっ壊すものですから。不自然な表情ぐらいはするでしょう。

 そして質問は……構うにきまってるじゃないですか! 嫌ですよ私、ニルヴァーナにまで目をつけられるの。

私の中の『彼』に反応するにきまってます。

 

「え、なになに姉さん? ……うん……うん。……そうかな? まだそこまで悪い人には見えないと思うよ? まあ……これから分かるよきっと」

 

 なんかいってるうううううううううう? 何ですかあれ、何にも言わなかったら嫌な人だ、みたいな思考。非常識の塊である私に常識語らせてどうする気ですか!?

 凄く返答したくありません。でも返答しなくても勝手に爆発します。なにこれすごく帰りたいです。帰ったら未来が無くなるので帰りませんけど。

 

「えーとですねぇ、凄腕の咎追いの質問と言ったら、多分この場所にいるでしょう死神のことだと思うのですが……」

 

「わぁ、凄いです。僕が聞こうとしたことを先に話されてしまいましたね。それじゃあ……死神について、少しお聞きしてもかまいませんか?」

 

 再度言いましょう。凄く良い笑顔で話しかけるカルル君は私を軽く捻れそうです。あ、なんかニルヴァーナが私を凄く睨んでいるような気がする。

 アイツなんか違うけど似てるような……そんな感じで見てますよあれ。

 ……とはいえ、わざわざ情報を集めましたけど、漏らしても別にいいんですよね。何の役にも立ちませんか ら。とりあえず使っている術椎の種類とかでいいでしょう。キサラギ少佐にも漏らしましたし。

 さわらぬ神に祟りなし、触ってしまってもそれなりの誠意は祟りが来ることも防ぐこともできます。

 

「そうですね……私たちは今から統制機構の支部へと向か「ハザマ大尉、聞き込みしてきました。どうやらこのあたりでラグナ=ザ=ブラッドエッジを見たという情報が……ってあれ? もしかしてカルルくん?」

 

 おっとここでヴァーミリオン少尉のインターセプト。気にせず話を進めようと思いましたが、カルル君の視線もノエルさんに行ってしまったようです。

 ……妙な違和感というか悪寒というか、つまり嫌な予感を感じたのはこの時点でした。どうして止まらなかったのでしょう。

 

「あ、お久しぶりですノエル先輩。先輩は……相変わらずですね」

 

「あははは……それってほめ言葉なのかな?」

 

「ええ。話の途中を遮るのは良いこととは言えまえんよ、先輩。あ、そうだ。先輩はラグナ=ザ=ブラッドエッジ、死神の情報を持っていますよね? 少し教えてもらえませんか?」

 

 何故か断定で尋ねるカルル君。その言葉に思わず目をぱちくりさせるノエルさん。

 まあ、驚くでしょう。昔の学校での顔なじみがいきなり任務内容のど真ん中について聞いてきたのですから。

 普通の衛士だったら答えることはできません。機密ですから、友人にさえ話せないことも多々あります。

 ですが一応私の意見を聞こうと思ったのでしょう。アイコンタクトを投げかけるノエルさんに、教えてもOKという意味を込めて頷きました。

 

「えっと、ごめんねカルル君。いくらカルル君でも任務の内容については教えられないかな」

 

 …………うん? なにか私の想像しているものと違いますよ? 私のGOサインがなにかおかしいものに変わっているような気がします。

 

「へえ、そうですか」

 

 そして返答をするカルル君。一気に周りの気温が下がったようにも感じられました。

 分かりやすく言えば殺気。それも、一般の人には感じられないような、細く、研ぎ澄まされたもので、条件反射によってナイフを手にしていた私は、思わず自分の行動に舌打ちをしてしまいました。

 

「あれ? 支部には向かわないんですね、ハザマさん?」

 

「え、今から支部に行く予定だったんですか? あ、だったら丁度いいですね。カルル君に資料が行くように手続きができますから……」

 

 ちょ、ほんと空気を読んでくださいノエルさん。安心したような笑顔浮かべないでください。殺気を向けられたのはあなたも同じはずですよね? ひょっとして何かの作戦ですか? 私を油断させる作戦ですか?

 というか、私の言いかけた言葉だけでそこまで読み取れましたか。

 

「ああ、やっぱり嘘だったんですね。……うん、……大丈夫だよ姉さん。大人の人がそういう事をするのは知ってるから」

 

 一度両手に持ったシルクハットを再度かぶり直し、ゆっくりと私に向かって視線を向けて……

 

 私はブリキの槍をナイフで弾き、身体強化、障壁の術式を展開しました。

 

「ハザマ大尉!? ……ッ! カルル君何を!?」

 

「確かその黒い制服は……諜報部の制服でしたっけ? ああ、丁度いいです。死神の情報以外にも聞きたいことはありますから」

 

 にっこり笑ったその笑顔は、最初に浮かべた人懐っこい笑顔と何ら変わりの無い者でした。

 糸を括り付けたナイフを高台に投げて固定し、逃げる支度をします。

 

「!! 逃げてくださいハザマ大尉!」

 

「言われなくても逃げさせていただきますよっと!」

 

 伸縮の術式をかけられていた糸を収縮させ、建物の屋根から屋根へと飛び移る私。

 後ろを気にせず逃げる私は、非戦闘要員であると言わざるを得ません。……いえ、この躰のスペックがしょぼかったら、蒼の魔導書無しでは、ニルヴァーナ付きのカルル君を倒せる気がしません。あっても私ではギリギリ勝てる程度です。

 時々後ろを確認しましたが、追ってくる様子はなさそうです。百メートルほど離れた場所の建物の屋上にうつ伏せになり、双眼鏡でバッチリ眺めます。

 そんな感じで、最初の光景へと移ります。

 

 

―――――――――――――――――

 

 本来人形遣いには多くの思考を要求される。

 人形を動かし、動かすための術式を展開し、自身の身を守るために自分で動く必要も出てくる。カルル=クローバーはまだ少年であり、術式適正は高いとしても、最高位とされるノエルには及ばない。

 それでも攻め続けているのは、アークエネミーと呼ばれる人形と、その扱いからもたらされたものだろう。

 

「ッツ! ハァッ!」

 

 迫ってきたニルヴァーナの爪を払い、同時に銃口をカルルに向けてはいたものの、その先で発生した術式の爆発は、難なく避けられ銃先から逃れられる。

 同時に同じようにノエルも地面を蹴り飛ばし、後退する。地面から生えたのはブリキの人形、そしてその槍は、自分がいた場所を貫いていた。

 

「カルル君……いったいどうして!?」

 

「申し訳ありません、先輩。どうしても情報は必要なものですから……多少荒っぽいやり方でやらせていただきます」

 

 帽子のつばを直し、ブリキの人形を戻したカルルは、同時にニルヴァーナを自身の傍らに戻した。同時にノエルは銃をカルルの足元へと向け、術式を発動させる。

 魔銃ベルヴェルグ、空間を通り越して術式を発動させるそれは、近距離にも、遠距離にも、自身が目視できる以上は術式を発動することができるものだ。

 

「では、少しリズムを上げましょう。ヴォランテ!」

 

 ノエルが気が付いた時には、カルルは既に術式発動地点を通り越していた。風の術式による自身を加速さえたその手は、人形遣いが行うのは悪手と言わざるを得ない。

 自身を守る人形を前に出さないその方法が、ノエルに一瞬の隙を与えていた。

 だが、ノエル自身も戦闘訓練を受けた衛士である。さらにガンカタと呼ばれる二丁拳銃の戦闘術は、近接格闘術とも呼べるものだ。

 格闘の専門でない人形遣いに不意を突かれたところで、持ち直せない理由はなかった。近距離で槍を走らせるブリキの騎士を銃で弾き、銃口を向けた。

 

「甘いよ、カルルくん。それだけじゃあ……」

 

「ええ、とっても」

 

 そう呟いたカルルの笑顔に違和感を感じたときは、もう遅かった。 次の瞬間にはカルルはノエルを飛び越えるように跳躍していた。

 嘘、と。またもノエルは虚を突かれたことになる。宙に進んで行くのは悪手だ。宙を飛ぶのはそれこそ道具が必要で、戦闘中に何度も方向を変えられるほど、簡単な術式じゃない。

 その疑問も次の瞬間には解消される。

 まるで人が投げたような速度で、バレーボール大の魔力弾は自身の目の前に迫っていたのだ。

 自身をおとりにして、遠隔操作によって人形に放たせた魔力弾は、カルルを追いかけるように飛んでいき、ノエルにその存在を気が付かせることなく、左右どちらかに回避するという選択肢を出していた。

 しかし自身の真上には騎士の駒を模した人形を構えたカルル、魔力弾を回避しようとするなら、それこそカルルは宙で術式を使い、自分の避けた方向に槍を構えて向かってくるだろう。

 障壁を張ったとしても致命傷を受けるかもしれない。ノエルは右に回避すると、宙に浮かぶカルルに対面する様にベルヴェルグを構えた。たとえ向かってこられても槍を払えるよう、術式の強度を高めてた。

 

「そっちなら当たりです。まあ、これも一種の戯れです」

 

 まるで悪戯が成功した子供のようにカルルは笑う。その表情を見てぽかんとした瞬間、自身が急に地面に持ち上げられたのを感じていた。

 実際のところ、カルルに空中で移動するための術式を展開する余裕はなかった。

その代りといって仕掛けられたのは、カルルがカンタービレと呼んだ人形。ただ、宙に跳ね飛ばすだけの人形だった。

 

(!? いけない!!)

 

 戦闘中にバナナの皮を踏んで転ぶようなもので、見かけは無様でも戦闘中では致命的である。無防備で宙に簡単に浮く、狙ってくれと言っているようなものだ。

その思考のままノエルが見たのは、カルルの操作したニルヴァーナが自分に向かって飛び込んできているところだった。

 自身とニルヴァーナの間にベルヴェルグの術式を発動させる。その爆発をまるで無視するかのように、ニルヴァーナは宙を移動した。

 その巨大な右手が、掴みかかるようにノエルを押さえつけ、ノエルはそのまま地面へと叩きつけられていた。

 

「ガッ……ッツ……カルル…くん……」

 

「ああよかった。やっと捕まえましたよ先輩」

 

 ニルヴァーナの爪は地面へ突き刺さり、そのままノエルの首と左手を固定していた。

術式を展開したとしても、機械人形の握力と競うことができるかどうかは難しい。笑みを浮かべるカルルに、ノエルは悲痛そうな表情を向けていた。

 

「さてと、こんな状況にしておいて申し訳ありません。でも、僕は死神の情報が欲しいだけなので」

 

「でもカルル君! こんなことしたらカルル自身が……イタッ!」

 

 ノエルの言葉とは逆に、ニルヴァーナの詰めはさらに地面へと食い込んだ。

 同時に、ノエルの首と腕に傷跡ができる。さらにニルヴァーナが腕を動かせば、両方とも切り落とされていただろう。

 

「煩いなぁ……質問をしているのは僕ですよ? 先輩。……ああなるほど、そういえばまだ抵抗できないと言えなくもありませんでしたね」

 

「!!? ダメッ!それだけは……」

 

 カルルの視線の先にあったのはノエルの武器、魔銃ベルヴェルグだった。カルルのナイトの人形がノエルの手にある武器を弾き、自身の手元へと寄せる。

 同時にもう片方の銃もニルヴァーナの左手によってはじかれた。今度は少し距離の離れた場所に弾かる後で取ればいいか、と。

 そう考えたカルルは、情報を吐き出させようと、そのままノエルに再度視線を向けた。

 

「さあ、これで先輩に抵抗する手段は何もありませんよ? できればおとなしく、知っていることを……」

 

 カルルはそこまで言葉を続け、ノエルの様子を見てそれは停止していた。

 かちかちかちかちという小さな音が辺りへ響き渡る。

 どこかで聞いたことのある音だった。それは、寒さで体を震わせたとき、歯を鳴らす音によく似ていた。

 

「あ……あ……やだ…やだ、のえる、のえるのだいじなもの……やだ……」

 

 小刻みに震える体はかちかちと歯を鳴らし、涙腺へと涙を貯めていた。おかしい。あまりにも自分の知っている先輩とかけ離れている。

 そう感じたカルルが視線を向けたのが、自分の取り上げた銃だった。ただの兵装だと考えていたそれがなんなのか、分かった時にはノエルの涙腺はとっくに決壊を迎えていた。

 

「のえるの、のえるのだいじなものなの! なんで? どうしていじわるするの? やだぁ! やだやだやだやだぁ!」

 

「……うわぁ」

 

 カルルがまず最初に行ったのは、術式でニルヴァーナの手の爪を歯止めをすることだった。そうでなければ、暴れるノエルの首や腕には、ずたずたの傷跡が付いてしまっていただろう。

 続いて子供のように泣きじゃくるノエルを見た。子供っぽい先輩だと思ってはいても、此処まで子供っぽいとは思えない。

 自分の手にある兵装、アークエネミー。それが精神を補っていた。だからこそ、戦闘中に冷静であれたのだろう。

 

「かえして! かえしてのえるのだいじなもの! うわぁあああああああああああああん!!」

 

「えっと……どうしよっか、姉さん?」

 

 カルルは思わず苦笑いを自分の姉へと向けた。周りから見れば無表情に見えたが、その時ばかりは少しだけ困っているように見えただろう。

 だがそんな様子を一瞬でかき消して、ニルヴァーナは動いていた。

 ノエルは無視し、抱きかかえるようにしてカルルを自分に寄せる。そこには自分の意思で動かしたわけではない、カルルの大きく見開いた目があった。

 

「姉さん! いったいどうし……」

 

 カルルが見たのは、自分の居たはずの場所に固定された、鎖のような蛇。

 さらに伸縮されたその鎖の先にいた男が自分の目の前に現れたのが一秒後。

 

「牙昇脚……ってやつですか?」

 

 先ほど逃げたはずの白髪の諜報員が、自分の姉を宙に浮かせるほど勢いよく蹴り飛ばしたのが、その数秒後だった。

 

―――――――――――――――

 

「(あっぶねぇぇぇぇぇぇぇぇ! ギリッギリですよ私! というよりよく連続でウロボロウできましたね私! とにかく素晴らしいです私! そしてついでに貴方も!)」

 

『……なんで捕まってんだあの糞素体が。面倒くせぇ。おら、もう補助しねぇぞ。自分でやれ』

 

 ノエルさんが捕まった瞬間、彼の補助を少し借りてウロボロスで空中移動していました私は、なんとかノエルさんの奪還に成功しました。

 えぐえぐとすするような音とともに湿っていく私のスーツ。こんな状況でなくても涙を流したいのは私です。

 

「あれ? 帰ってきたんですかハザマさん?」

 

「あー不本意ながらそういうことになってしまいますか?」

 

 私はカルル君の手の中のものを見て、思わず頭を抱えたくなりました。なんであそこにあるんですかアークエネミー銃組は……。

 とりあえずノエルさんは地面におろし、私も帽子をかぶり直しました。

 

「というか、もともと私は死神の資料については渡すつもりだったんですけどね」

 

「……え? そうだったんですか?」

 

「そうだったんです。まったくノエルさんが勝手なこと言うから……。情報料ついでに、その兵装も返していただけますか?」

 

 私はキサラギ少佐に渡した情報と、同じ情報を詰めた書類の束を投げつけていました。一般や衛士にはあまり公開されていない、重要そうに見えるけど重要でない情報の束です。

 私が投げた譲歩を見始めたカルル君は、時々驚いたような顔をしてはいましたが、やがて自分のバックの中にその書類を詰め込みました。

 

「少し残念です。肝心な蒼の魔導書については、そこまで記録されていないのですね」

 

「あー、あれはたしかS級機密でしたし。私たちのような一般諜報員じゃ公開されないもんですし。私も名前しか知りません」

 

「へぇ……それにしても、あっさり情報を渡したのですね」

 

「いえ、私死にたくありませんし。貴方が内緒にしてくれれば、何の問題もありませんから」

 

 嘘は何も言ってません。問題ないのも確かですし、蒼の魔導書は一般諜報員じゃ詳しく教えてもらえるわけでもありませんし。……まぁ、調べたものは別ですけど。

 読み終わった書類とともに、何かが投げられたのがわかりました。それはおそらく、というかノエルさんの銃です。片方だけ。

 

「……あれ? もう片方は?」

 

「ああ、僕もう一つ聞きたいことがあったんです」

 

 ……なぜか最近聞かれることが多いような気がする。まあ名前から聞かれることはだいたい想像することはできました。

 

「僕の父……レリウス=クローバーについて、諜報員であるあなたなら何か知ってはいませんか?」

 

「……あー、知ってますけど……いやちゃっかり人形を起動させないでください」

 

「あ、ばれちゃいましたか。勿論、嫌なら進んで言っていただく必要はありませんよ?」

 

 言わなきゃ実力行使しますから大丈夫ですよ、そう言葉に意味を込められて言われ、思わず私も頭を抱えたくなりました

 

 ふむ……もしかしてこの子供、使えるかもしれませんね。

 

「ではこうしましょう。もしも死神の確保に成功した場合、身柄とお金ははこちらが拘束しますが、クローバー大佐に対面させられると約束しましょう」

 

「……へぇ。だけどそれは少し困ります。僕もまた、蒼の魔導書が必要ですから」

 

『あーんな欠陥品求めて何をしたいんだか。まぁ、最強の魔導書であることは認めるが』

 

 ちょ、近くにニルヴァーナが居るんですら出てこないでくださいって。

 ほら、こっち見ましたよあれ。怖っ。

 

「構いませんよ。なんでしたら、腕だけ切り落としていただければ」

 

「……なるほど。分かりました。ですがそれを確約するための手段がありませんね」

 

「そうですねぇ……じゃあ前金代わりに一つ情報を。近いうちにカグツチに訪れるそうですよ、大佐」

 

「!!!!」

 

 私の情報に分かりやすく表情を崩したカルル君。……この様子だったら釣れますかね。

 対、ラグナ=ザ=ブラッドエッジの戦力、力を削る役割としては、多少は役立ってくれるでしょう。

 正直蒼の魔導書を試してもらっても構いません。どうせニルヴァーナが止めるか勝手に死ぬでしょうし。そのうち対面するでしょう。レリウス大佐も来るでしょうから。

 ふと視線を宙に向けると、放物線を描いて私に向かって飛んでくるものが見えました。

 

「あてっ」

 

「ありがとうございます、ハザマさん。じゃあ、僕はこのあたりで失礼させていただきますね。行こう、姉さん」

 

 どうやらそれが魔銃ベルヴェルグだと分かった時には、ニルヴァーナに抱えられたカルル君の姿は小さくなっていました。

 小雨のようにやってきて嵐のように荒らしていきました。疲労しないと考えていたのはどうやら甘かったようです。

 私の手の中にある魔銃ベルヴェルグ、対して女の子すわりで泣きじゃくるノエルさん。それを見比べて私は嫌な予感がしていました。

 

「あーはいはいはい。ほーらヴァーミリオン少尉。銃ですよ~」

 

「ふぇ……あっ!」

 

 まるで猫じゃらしを見つけた猫のように飛び込んでくるノエルさん。

 そのまま強奪された銃二つは無い胸にぎゅっと抱きとめられ、誰にも奪われないように警戒しているようにも見えます。

 

そして……戻ってくる精神制御。ずっと流れていた涙はとまり、ぽかんとして私の顔を覗き込みました。

 

 

「……あ………」

 

「……えーとですね……なんといいますか……」

 

 思わず私も言葉を失います。

 あんな状態を見られておいて普通でいられるほど、ノエルさんも異常な性格はしていないでしょう。

 その予想は正しかったのか、まるで林檎の熟れていく過程を早送りにしたように、その羞恥心が顔に現れていました。

 

「あ、……あああああああああああああ!!!? ち、違うんですさっきまでの私は私だったというわけではなくてですねちょっとびっくりして気が動転していただけと言いますか申し訳あなりませんハザマ大尉ちょっと引き続きラグにゃの調査をするので失礼します!!!!!」

 

 まるで林檎のように真っ赤になって走り去るノエルさんを見て、私としても同じようにぽかんとすることしかできませんでした。

 いや……年頃の女性があそこまで子供のように泣いてしまったら、恥ずかしいとは言えるでしょうけども。

 残される私。肩のあたりに涙やら鼻水やらで湿ったスーツ。ウロボロス使って疲労が溜まった体。……なぜか脱力してしまいました。

 

「……今任務中のはずですよね? 追いかけるべきでしょうか?」

 

『勝手にしろ。ただ、今の状態で他にあの素体を狙う奴も居ねぇ』

 

「つまりは放置しろということですね、分かります。……夕食を兼ねた食事にでも行きましょうか」

 

 もう一度正気になったら戻ってくるでしょう。

 書置きを残して後で支部で合流すれば大丈夫です。まずは私の栄養源をとることにします。

 丁度良い感じの中華料理屋があったはずです。そこで一服するとしましょう。

 

 


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