統制機構諜報部のハザマさん   作:作者さん

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ステージ6

 過去の記憶。その光景をラグナはそう判断した。

 そこは地表から高い場所ではなかったにもかかわらず、魔素が少なく澄んだ空気が流れている場所だった。

 本当の意味で自然が溢れたその場所は、辺鄙な教会以外建物という建物さえもなく、それでも静かなその場所が、記憶の中で絵画のように残っている。

 ラグナは木でできた桶を片手に、川へと水を汲んだ帰り道を歩いていた。

 妹が熱を出し、大量の冷たい水が必要になった。教会のシスターは動き回るには難しい年齢だったのだから、ラグナが行くのは当然だといえただろう。

 

「早くいかねーと、ジンのやつがまーたふて腐れるからな……」

 

 桶いっぱいに水を汲み、零れないよう両手で持って立ち上がる。

 川から教会までは森ともいえない、木々の間を通らなければならない。そこから先は平原の中に教会がよく見えるため、何かなければそのまま水を持っていくことができただろう。

 木漏れ日が溢れる木々の間を抜けて森の入り口まで戻り、いつもの平原が眼前に現れる。

 青一色で草原の緑と空の青で世界を分けたその光景。ただ、今日はその光景が絵の具を零したように黒に潰されていた。

 

「……は?」

 

 手に持っていた桶が倒れ、辺りに水がばら撒かれる。

 何分もかけて持ってきたはずのその水のことを気にすることもできず、その光景に唖然とすることしかできなかった。

 火事だった。教会が、燃えている。

 気が付いたらラグナの足は教会へと向かって駆け出していた。

 殆ど零れ軽くなった桶を掴み、何ができるかを考えるまでもなく身体は突き動かされた。

 

「サヤ! ジン! シスター!!!」

 

 喉が枯れるほど教会に居るだろう人たちの呼び名を口にしていた。

 そうしなければ不安で押しつぶされそうで、平原を駆け教会の様子が鮮明に見えてくればくるほど、それは大きくなっていた。

 

「シスター! シスター! 無事なのか!?返事をしてくれ!」

 

 どんなに呼びかけても聞こえてくるのは火の音と、燃えていく木々の悲鳴だけだった。

 教会に到着しても、その光景でのラグナは所詮子供でしかない。できることなどありはしない。

 見たのは手に持っていた桶。多少なりとも水の入ったそれをかぶろうとして、火の音意外の物音に、不意に視線を向けられていた。

 扉を叩く音だった。出ようとしているのか、だれか生き残ってくれたのかと、声を絞り出す。

 やがて扉は蹴り破られ、声をかけようとして、その声は出てくるまでもなく口の中で消滅してた。

 

 

「あーあー糞が、あのクソババァ余計な手間をかけさせんじゃねぇよ。おかげでスーツをクリーニング出す羽目になるじゃねぇか」

 

 

 ただその姿を見て、絶句してた。

 黒一色のスーツに着られた様に見えるその男は、年齢はさほどいっていないはずだが、ラグナにとっては子供の頃だったからか大人のように見えた。

 緑の髪には返り血にもみえる赤い液体が付着して、胸元に見えるワイシャツは吹きかけたように赤く塗られていた。

 そしてその手にあったのは……まるで干し草でも掴むように持たれた『いつも見ていたシスターの髪の毛』だった。

 無意識に体は突き動かされた。幼いながらも分かっていたのだから。

 この男が、元凶だ。

 体当たりでもなんでもいい。何かしようと走り出した体は、数秒後には宙へと浮いていた。

 地面に落ち、腹の痛みと同時にこみ上げる吐き気に逆らいきれず、胃の中身を逆流させられた。それと同時に自分が蹴られたことを理解する。

 

「……あー、面倒クセェ。『魂が表面化されてなくてもやっぱりこの程度になるか』。あとハザマちゃんやっぱり貧弱だなおい。全力で蹴ってもこの程度とか、ギャグかっての」

 

 近づいてきた男が、蹲っていたラグナの顔面を蹴り飛ばした。二転、三転と転がり、それでも無理やりに体を起こす。

 “ハザマ”、それがこの出来事に絡んでいる一員なのか。

 痛みとともに消えかける意識を保たせ、がくがくと震える膝を抑え立ち上がろうとした。

 身体は思い道理には動かず、結局踏ん張りきれない足は、地面に膝をつけていた。

 それでも目を見開き、男を見ようとする。だが意識とは逆に視界へと入ってきたのは、裸足のままそこに立っていたジンだった。

 気が付き叫ぶ、早く逃げろと。前髪に遮られジンの表情は見えない、だが小さく何かを呟いたようだった。

 

「……え……」

 

 ざしゅ、と。聞いた事も無い音が耳に響いた。

 ごと、と。自分のすぐ足元で者何かが落ちた振動がとどく。

 ぷしゃあ、と。何かが噴水のように噴き出した。

 

「……兄さんが、兄さんが悪いんだ。アイツにばかり構って、僕のことを無視するから」

 

 ぼそりと呟いたジンの手の中には、自分よりも長い刀が握られていた。

 思考が思いつかず、だらしなく開けた口からは悲鳴さえも現れない。自分が斬られたという事実を、足元を転がった肉塊を見るまで気が付きもしなかった。

 

「あ、…………あああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」

 

「ぎゃっはははははははははははははは! なぁ痛いか!?痛いかラグナちゃん? 右手かなぁ? 安心しろよ痛い右手なんてとっくに切り落とされてますからねー。なぁー、居場所も親も全部消えて、兄弟妹ぜーんぶ連れ去られちゃってどんな気分だ? なぁどんな気分なんだよおい?」

 

 反射的に肩の付け根を抑え、叫んでいた。

 破壊されたポンプの様に溢れ出す血は、自分の握力程度では止めることはできはしない。男が目の前に居るというのに、飛び掛かることさえもできない。

 靴の裏が視界いっぱいに広がり、踏みつけられるように蹴り飛ばされて転がっていても、起き上がることさえもできなかった。

 

「じゃーなー、ラーグナちゃん! 次合ったときは感想聞かせてくれよ。何にもできない仔犬ちゃんの戯言をなぁ! ぎゃはははははははははははは!!」

 

 嘲笑が耳に届き、ラグナはぎり、と。歯が砕けそうなほど食いしばる。

 うめき声だけしか出ない喉を震わせ、腕を抑えていた手を地面にたたきつけ、その体を起こした。

 自分たちの全てを荒らし、壊した存在を見る。原因となった者の名を脳に刻み付けるために喉からその名を絞り出した。

 

「は……ざま……」

 

 その声は誰にも届かない。だが、確かに自分の脳には刻まれていた。

 

 雨が降る。

 燃える煙が、積もっていくような灰色の空だった。

 酷く強い雨に感じるというのに、炎は教会に纏わりつくように存在し消える様子はなかった。

 お前の満たしていた全てのものを、消し去ってやろうと言わんばかりに、教会は、燃え、続、け

 

 

「ちくしょう……」

 

 

 絞り出した言葉は叫び声にすらならず、ラグナはその意識を失った。

 

 

 

 最悪の目覚めだった。

 自分で作った料理が失敗し腹を壊した以上に最悪の目覚めに、ラグナは周りを気にすることなく舌打ちする。

 どうせ周りにはカカ族の者達が居るかいないかといった程度だろう。首を動かさず眼だけで見渡してみても、誰もいないのだからその想定は正しかった。

 ここは第十三階層都市カグツチ、カカ族の村。

 迷彩の術式を使用し、地上からカグツチへとたどり着いたラグナは下水道を通りオリエントタウンへとたどり着いていた。

 だがその時点で日は完璧に上っており、そのまま襲撃、と行動するには都合の悪い時間帯だった。

 そんなところで行き倒れのカカ族、タオカカを拾い昼食を食い逃げした後、そのままカカ族の村に招かれ、仮眠を取ったところだった。

 

「……ハザマ、か」

 

 夢に出てきたその名前を口に出す。

 

「やっぱり気になるのか? ラグナ」

 

「……なんであんたがここにいる、師匠。つか、気配消すんじゃねぇ、何の嫌がらせだ」

 

 後ろから駆けられた声に一瞬硬直するも、ラグナはそのまま普通に口を開いていた。

 跳躍して前に出てきたその存在の姿が見える。

 人間よりもずっと低い背に、尻に見える尻尾2本がゆらゆらと揺れている。振り向いたその顔は猫そのもので、フードに着いた猫耳がカカ族のものと似通っていた。

 

「なぁに、お前があんまりにも気持ちよさそうに寝ていたからな。起こすのが忍びなかったのさ」

 

「どー考えても俺は快眠してたとは思えねぇんだけど? で、此処に居る理由は?」

 

「そいつは俺の野暮用だ。少し、この村に用があってな」

 

 獣人であり、六英雄の一人として数えられたその存在、獣兵衛は、柔和そうな笑顔をつけてそう答えた。

 枕にしてた藁の束から起き上がり、獣兵衛と顔の高さを合わせる。正直なところここでは休憩を取っていただけだ。獣兵衛がここに居るからと言って時間を取るつもりもなかった。

 

「そーですか、じゃあ俺は行くぞ」

 

「まぁそう言うなラグナ。少しぐらい師匠の助言を聞いて行っても、罰はあたらないんじゃないか?」

 

「……はぁ、で、今度はなんなんだ師匠? 師匠の言う“奴”にはまだ会ってねぇぞ?」

 

 ラグナがカグツチに到着するとき、獣兵衛は一度姿を見せていた。

 その時は少しの助言とともに、“奴”に遭遇したということを、獣兵衛によって警告されていた。

 だが、自分が出会ったのは境界に突っ込んで堕ちた愚か者と、それを追いかける女だけだった。まさかタオカカがその“奴”とやらではないだろう。結局その警告は今のところ役に立っては居なかった。

 

「そうだな……お前が先ほど呟いた奴のことだ、と言ったらどうする?」

 

「…………」

 

「勿論俺じゃないぞ?」

 

「んなこと分かってるっつーの! マジになりかけたのに茶化すんじゃねぇよ!!」

 

 ははっ悪い悪いと、そう笑う獣兵衛に脱力し、思わず起こした身体を藁の上に倒していた。

 実際のところあの事件については聞いた。統制機構のこと、自分自身のこと、自分の兄弟のこと。そして、”ハザマ“のこと。そして、その後ろに居る者のこと。

 それを思うと、倒した体をすぐに起こしあげることに躊躇いは無く、腕を使わず腹筋だけで起き上がった。

 

「奴を憎むな、というのは難しかもしれん。俺も見誤ったんだ、お前が間違えないとも思わなくてな」

 

「関係ねぇよ」

 

 立ち上がったラグナは獣兵衛の横を通り過ぎ、外に出るため出口へと向かう。

 カカ族の者に統制機構の支部に向かうための抜け道は聞いた。カカ族の村では空を見ることは叶わないが、体内時計を頼りにすれば、そろそろ日も傾く時刻だった。

 途中でオリエントタウンに寄っても良いかもしれない。先ほど食い逃げした店より遠くのところに。

 

「助言をくれる師匠には悪いが、そいつは俺の全てを壊した男だ。何を言われようと関係ねぇ」

 

「……そこに操っていた者がいた、としてもか?」

 

「言っただろ師匠。関係ねぇよ。全部ぶっ壊す、それだけだ」

 

 そう言うとラグナはその部屋を出て、そのまま外へと向かっていた。

 自分の蒼の魔導書へと目を下し、小さく舌打ちする。

 全てを壊すと決めた。自分に復讐を誓った。だから、今更やることなど変わりはしない。

 

「…………まあ、まずは飯だな」

 

 憂鬱になっていた頭を切り替える。

 軽食でも食ってから向かうとしよう。そう思い軽く頭をかいたラグナは、ちびカカたちの対応もそこそこに、上層へと向かっていった。

 

 

 

 

 

「やれやれ……やはり聞かんか」

 

 獣兵衛は部屋を出て行ったラグナの背中を見ながらそう呟いた。

 ハザマについては自分も調べた。しがない諜報員であれるはずの男であった。そこに取り付いて居る者さえいなかったら。その背後に何もなかったとしたら。

 獣兵衛はテルミを封印した時のことを思い出す。

 ハクメンがその身を推して封印したが、結局はこの現世へと現れている。

 もしもあの時『テルミが切り落とした手を統制機構が回収しなかったのなら』、ラグナもハザマも別の運命を歩んでいたのだろうか。

 全てを知ったように物言う吸血鬼のことを思い出し、それはないかと思い直していた。それではどちらにしてもハザマは消えている。

 

「『可能性を見せられてしまった』からな……。同情はする、だが……」

 

 『奪ったことは変わらない。ラグナの言った全ても、自分の肉親も』。それを思い直して獣兵衛は苦笑する。

 私怨だけで剣を振るうには自分は年を取りすぎた。自分の思うように動くラグナを少しだけ、羨ましくもある。

 だからこそ、自分は介入すべきではないのだろう。ラグナとハザマ、そして……

 

「……難儀なものだとは思わんか、セリカ、ナイン。それに……」

 

 獣兵衛は人の名を呟き、歩みをラグナと同じように外へと向けた。

 

 


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