人族と魔族の戦争が始まって、もう五年になる。
魔族を率いている魔王はいまだに殺されないし、俺たち人族の陣営────人間を中心とした多種族連合組織からなる連合軍もいまだに壊滅はしていない。
つまり戦争は拮抗状態であり、最前線は常に激戦区となっている。
そんな中で、俺も人族連合軍の一端を担っている。
情報機関のうち取り調べに関わる職員。わかりやすくいうと拷問官だ。ついでに処刑人もやっている。
前線で捕らえた魔族を拷問にかけて情報を絞り出し処刑する。
誰にでもできる仕事じゃないかだって? じゃあそこのノコギリを貸してやるからやってみるといい。
殺さず生かさず。目の前の存在が〝どのレベルの〟〝どのような〟情報を持っているのか、それを慎重に抜き取っていくこの仕事は決して誰にでもできるものではない。そう自負している。
そもそも魔族の連中は人族の使う言語とは異なるものを使っている。魔族の連中の喋る言葉、漏らす言葉、苦痛の中で思わず吐き出した言葉を拾いあげられなければ、この仕事は務まらない。
一括りに魔族と呼んでいるが、その中身は人族陣営と同じく多種族連合だ。数千年前は人族側だったらしいエルフが今じゃ魔王軍配下になっているし、他にも龍族とか竜人族とかやばいのもいる。そいつらは全員違う言語を話す。俺はエルフ語はわかるが龍だの竜人だのの言葉はまだわからない。かろうじてゴブリン語はわかる。
まぁゴブリンが生きてこの施設に来ることはまずないんだがな。
「っと、休憩終わりか。午後からはなんか新しいのが来るんだってな?」
狭いが清潔な休憩室でカップに残ったコーヒーを一気に煽った俺は、それを飲み込んでから隣の事務官に尋ねた。
「あぁ。前線の勇者一行が捕まえたらしい。なんでも戦闘が激しすぎて山一個消し飛んだとよ。その跡地で拘束したエルフだ」
「エルフかよ」
「だからお前の担当だ」
「はぁ……あいよ。たのむからエルフ語わかる奴もう一人雇ってくれ。これで六体目だぞ掛け持ちしてんの」
「やってるがそもそもエルフ語が難しい。逆になんでお前はわかるんだよ」
「知らねぇよ。なんか聞いたら人族の言葉とリンクすんだよ」
「女神様の加護か?」
「だとしたらしょぼすぎだろ。仕事戻るぞ」
「おう」
拷問官の印である制帽をかぶって、俺は休憩室を後にした。
○
「新しいヌノはこの部屋か?」
部屋番号を確認しながら、事務官から渡されたメモをもう一度確かめる。
〝叩けばいくらでも埃が出る〟という意味から、俺たちは捕虜や拘束者を総じて〝ヌノ〟と呼んでいる。
エルフ語が理解できるというだけで、エルフを捕らえたらまず間違いなく俺の担当にされてしまうこの状況には数年前から異を唱えているのだが、一向に改善される気配がない。
もはや最近はエルフ以外の種族は担当しなくなってきている。このままエルフ専属の拷問官になるのか俺は……。
まぁいい。仕事である以上目の前の肉がどのカテゴリに属しているのかはさほど関係ない。
殺す一歩手前の苦痛を与えて、我が軍が有利になり得る情報を絞り出す。
ある程度聞き出したらさっさと処刑する。そうすることで捕らえた者を活かすのにかかるコストも削減できる。
いかに早く、いかに効率よく相手を苦しめて情報を聞き出すか。そして情報の正確さと量を確保できるか。あるいは〝持っていない〟と見切りをつけて殺すのか。それが大切だ。
今日の午後は、この部屋にいるやつを処置するのに丸々費やすことになるだろう。最初のコンタクトは肝心だ。まず恐怖を植え付ける。服従させる。間違っても反抗などなんの意味もないということを体に叩き込む。
俺は部屋に通じる扉を開けた。裸電球が薄暗く照らすコンクリート製の小さな部屋の中央には、
「…………っ!」
恐怖で怯え切った、エルフの少女がいた。
○
安い木製の椅子の背もたれに後ろ手で縛られているエルフの少女は、猿轡を噛まされている。両足も左右の椅子の足に縄を回されており、少し股を開く形になっている。
目隠しはあえて外してあり、周囲の様子、とりわけ金属製の台の上に並べられた
俺はヌノの状態を上から下まで観察した。
つい最近まで悪くないものを食っていたであろう良好な健康状態。それは髪の様子から窺える。背中まで伸びた柔らかくも艶のある金髪は、整った食事を摂っていた証拠である。
元々着ていたであろうエルフの伝統的な衣服は、今は捕虜のための囚人服に置き換わっている。ただ、
「…………ふむ」
サイズが合っていない。それもそうだ。
囚人服はおおよそ人間の15歳ほどの体格の者を想定して、そこからサイズを大きくしていく。
今、目の前にいるエルフの少女────いや、子供と言っても差し支えないこのヌノは、人間の身体年齢でいうところの10歳かそれより少し下だろう。そんな体躯の者に合わせた囚人服はうちの施設には用意していないし、多分どこの連合軍施設にもない。
つまり、こんな幼い子供から情報を引き出すための拷問はうちの機関は想定していない。
俺は顎に手を当てて悩んだ。目の前のエルフのヌノがなぜここにいるのかを。
本来であればこの年齢の魔族はこの機関には送られてこない。それは、実際の戦闘で敵を下している前線の人間の裁量にもよるが基本は〝殺す〟か〝逃す〟かの二択だからだ。
逃せば数十年後に敵として戻ってくるので大抵殺すしかないのが戦争の辛いところだが、仕方がない。そこに文句を言っても仕方がない。
問題なのはなぜこのヌノが、そのどちらのセオリーも踏まれずに今俺の目の前で拘束されて椅子に座らされているのかだ。
手も足も服が余っている。薄汚い麻色の囚人服と、幼く小さい体に美しい金髪とのコントラストがやけに目につく。場違いなのだ。こんな状況はここ五年で初めてだ。
エルフは長命種だ。この見た目でも実際には二十年ほど生きている。
ただ、長命種ゆえに人間の成長や時間の捉え方とはずいぶん違う生き方をしている。全体的にルーズだ。
多くの場合二十年生きていてもそこは人間の見た目と同じほどの経験や知識しか摂取していない。つまり、あくまで一般論だがこのヌノは見た目通り人間で言う10歳そこらの子供と同じということである。
俺は拘束されているヌノの後ろに回った。木製の椅子の背もたれに頑丈に縄が張ってあり、後ろ手に両方の腕を縛り上げられている少女は怯え震えている。
後ろに回る際、視界から俺が消えると呻き声が大きくなった。だが叫んでいるわけではない。恐怖で思わず声が出ている。その様子だった。
「…………まぁ、いいか」
俺は思わずひとりごちた。
ややこしいことを考えるのは後回しだ。俺の手の及ばないところの決定に思案しても仕方がない。
仕事にかかろう。まずはこのヌノが有効な情報を持っているかどうかだ。
俺は道具置き場の金属台からナイフを取り出した。刃渡は三センチほど。
本来このナイフは内腿や内腕を切りつけて視覚的にも痛覚的にもヌノを追い詰める道具である。見た目にも明らかにナイフとわかるので、ヌノの視覚を奪っていなければこれから自分に何をされるのかをあらかじめ想像させることができる。それは恐怖につながる。
ヌノの目の前にナイフを持ってきた。青く澄んだ目が恐怖で大きく揺れて、瞬く間に涙が浮かんだ。先ほどまでは濡れる程度だった瞳が、今はもう止まることなく涙を溢れさせている。首を小さく横に振る。痙攣しているかのように振る。その度に電球色に照らされている艶のある前髪が小さく左右に揺れている。
嗚咽のように猿轡から声が漏れる。この後に及んで叫び散らす様子がない。あくまで言葉になっていないため印象でしかないが、まだ理性的な言葉を喋ろうとしている節がある。
俺はナイフをヌノの顔の目の前に持ってきて、それからそのまま頭の後ろに回し、後頭部で猿轡を切ってやった。
はらりと落ちた布の端を引いてたぐる。ヌノの口元から一端の白い生地が外れ、口の中に入れられている布の塊が現れる。口内に指を差し込んでそれも取り除いてやる。
10歳の子供の口に入れるにはずいぶんな量の布が突っ込まれていた。まぁ、エルフは魔法が使えるし詠唱を阻止したり舌を噛み切って自殺や召喚の火口にされるのを防ぐ意味もある。前線の人間の仕事は優秀だ。
「んぐぅ……あぇ…………」
糸を引くよだれを振り払って、口から取り除いた布は金属台の上に置いた。
「気分はどうだ」
ナイフを戻しながら、ヌノの目を見て尋ねる。
最初の尋問だ。さて、何を答えるか。
「けほっ……あ…………ありがとう、ございます。取って……いただいて」
涙目で見上げながら、震える声でヌノはそう答えた。質問には答えていないが、それが第一声であることに俺は小さく頷いた。
見立て通りだ。
このヌノは
情報を吐かせるのに恐怖心や服従心、諦観の念を抱かせるのは大前提必要だが、それ以前に尋問にならないほど憔悴させては仕事にならない。あくまで俺の仕事は情報が引き出せればそれでいい。必要以上に恐怖を植え付けるのは非効率だ。
そして、この子供はすでに怯え切っている。乱暴に進めても何も出ないのは明らかだろう。
俺は金属台の下段から水差しを取り出した。ストローを上から差して吸い上げられるようにする。
「喉乾いてるか? 飲むといい、慌てるな」
「あ……え……」
ヌノが困惑している。まだ瞳に恐怖の色は浮かんだままであるが、俺の言葉の真意を探っているのが見て取れる。
案外頭が回るのかもしれない。
俺は目の前で一口飲んでやった。毒も自白剤も入ってはいない。ただの水だ。
ヌノの口元にストローの端を持ってきてやる。一瞬躊躇い、水差しを見た後俺の目を見てから、ヌノはゆっくりとストローを咥えた。
喉が渇いていたのだろう。水差しの中身を半分以上飲み干した。自分から口を離すまで飲ませてやると、ヌノは小さく息を吐きながらストローを離し、顔を上げた。
「んぐ……ありがとう、ございます。あの……なんで、私……ここで、痛いことされるって…………」
恐る恐る、ヌノが口を開いた。言葉を選んでいるし、俺の様子も注意深く探っている。しかし根底にはいまだに根深く恐怖が支配しているのだろう。反抗しようというそぶりはない。
俺はあくまで淡々と、無表情で質問に答えてやる。
「お前が痛い思いをするかどうかは、お前次第だ。今から言う三つのことを守れば、お前がここへ来るまでに聞かされたであろうこの施設の行いは、とりあえず延期してやる」
ヌノは震える瞳でまっすぐに俺を見ながら、大きく頷いた。余計な口を聞いてこない。やはり、どうも知能指数が高い様子が見て取れる。
「一つ、俺に反抗しようとするな。魔法であろうと物理であろうと、俺には何も通用しない」
そう言って俺は手にはめている指輪を見せた。赤い魔石が埋め込まれている。
「これはあらゆる魔法を詠唱段階以前で無効化する。お前の猿轡を取ったのは、必要がないからだ」
ヌノは再度、俺の目を見ながら頷いた。理解している。
「二つ、質問に答えろ。すでにわきまえているようだが、質問されたこと以外は喋るな。喋れば罰を与える」
ヌノが頷く。必死に俺の言葉を聞き、頭に叩き込んでいるのが見て取れる。
「三つ、生理的欲求のみ要求を許可する。応じるかどうかはお前のこれから積み上げる態度と評価次第だが、要求はしても良い」
「え…………」
三つ目にしてヌノが声を上げた。困惑と驚き、そしてたった今話した二つ目のルールを思い出したのか、慌てて口をつぐんだ。
「なんだ。発言を許可する」
「ありがとうございます。あの、生理的欲求の許可って……」
「…………そうか、生理的欲求の意味がわからないか」
「あ、いえ……それはわかります。あの…………本当に、お腹が空いたとか、喉が渇いたとか、その……おトイレとか、言ってもいいんですか……?」
震える声でか細くそう質問をしてきたヌノに、俺はゆっくりと頷いた。
「許可する。ただしあくまで要求の許可だ。実際に飯を用意するかどうかは確定ではない」
「…………わかりました。ありがとうございます」
俺の言葉に落胆するかと思ったが、意外にもヌノはその様子を見せなかった。どちらかと言うと困惑の色が強い。
この施設が拷問機関であり、捕虜や拘束者を虐待し尋問することがこの施設の存在意義であるという認識であれば、その困惑にも説明がつく。
実際その認識で正解であるが、
「…………」
この場合は特例であろう。
過去、類を見ない最低年齢のヌノ。こいつに…………この子に、大人のヌノと同じ責苦は受けさせられない。
だが仕事は仕事だ。
気持ちを切り替えて、尋問作業を続けよう。