1970年3月15日
『恐怖! 大阪万博を謎の巨大生物が襲う』
昨日、大阪府吹田市で開催された日本万国博覧会に巨大生物が出現しました。巨大生物は未知との遭遇館から出現し、会場内にいた人々を恐怖に陥れました。巨大生物は茶色の表皮にイモムシのような形状をしており、その詳しい生態についてはまだ明らかになっていません。この巨大生物による災害で負傷者153名、死者57名が現時点で判明しています。政府は大阪府庁内に臨時対策本部を設置し、小澤ギン首相が本部長となって陣頭指揮を執ることが決まりました。小澤首相は記者団の取材に対し「速やかに巨大生物の駆除に向けて自衛隊に作戦立案を要請した。一日も早く平和な日常を取り戻すために尽力する」と力強く述べられました。また巨大生物が未知との遭遇館から出現した事実を受け、同パビリオン建設に関与した五十嵐隼男万博担当大臣兼通産大臣が辞表を提出し、総理代行として
「何ということだ……これでは、我が社はもう終わりだ」
各紙朝刊の見出しを飾るのは、どれもこれも大阪万博を襲った巨大生物のことばかりで、そのいずれの新聞にも必ず丸菱観光の社名は記されていた。当然だ、何せ元凶を万博に置いたのは、ほかならぬ丸菱観光なのだから。友兼常務は、今にも崩れ落ちそうなぐらい狼狽していた。
「……ど、どうするんだ。どうしたらいいんだ安東君!」
持っていた新聞を床に投げ捨て、友兼は直属の部下である安東に叫んだ。安東は、まるで活力のない目をしていた。もう何もかもがどうでもいいようだった。
「これでは、もう我々は破滅だ……いや私たちだけではない、この会社自体の存続が危ういのだよ! そもそもあんな遺跡……見つからなければよかったのだ……」
「……よく言うよ、あんだけ素晴らしいだ何だって有頂天だったくせに」
安東が低い声で呟いたのを、友兼は聞き逃さなかった。
「な、何て言った? おい、いま君は何て言ったんだ!」
「うるさいっ! もうアンタとは付き合ってられない。もう終わりなんだよ俺たちは!」
応接テーブルに置かれていた新聞を、安東は友兼に向かって投げつけた。友兼は当惑し、沈むようにソファに座り込んだ。
「終わりだ……もう終わりなんですよ、友兼さん…」
そう言い残して、安東は部屋を辞した。その後、常務執務室からは
「教授、深澤教授」
中條が声をかけても、深澤は椅子に座ったまま手を組んでうなだれたままだった。
「教授、いい加減にしてくださいよ。そりゃあんな怪物が入ってたなんて、誰も想像しませんでしたよ」
「いや……君は、音を聞いたんだろう? あの球体の中で音がすると」
深澤はうつむいたままそう言った。中條は「ええ、聞きました。でも、まさか本当に中に何かがいたなんて想像してませんでしたよ」と返した。
「君が、正しかったんだな……私の落ち度だ……」
「……それを言うなら、藤戸真矢の件はどうなんですか。あなたは彼女の発見を自分のものにして、名声を得ました。そして彼女は大学を去った。彼女は、とても将来性のあった研究者でした。それをあなたが潰したんですよ教授っ」
中條は、今までの鬱憤を晴らすかのようにまくしたてた。深澤は、何も反応しなかった。
失望感が、中條の中でハッキリとした。
「もう、教授の下で働きたくありません……今までありがとうございました」
中條は形式的に頭を下げると、荷物をまとめて研究室を出て行った。他の研究者たちは、押し黙ったままだった。気まずい沈黙が研究室を包み、それはしばらく続いた。
「じゃあ、気をつけて帰りなさいねシャイニー」
新大阪駅の新幹線ホームで、ジェニスと明子はハグをした。昨日の騒動もあって、明子はもうパビリオンガールではなくなってしまった。だが悔いはない。開会式にはちゃんと出られたのだし、晴れ姿を両親たちに見せることが出来た。それでもう、充分だった。
「ジェニーさんも、気をつけてね」
「私は平気よ。ゴジラとバトルした経験だってあるんだから。まぁ倒したのは、あなたの両親だけどね」
ジェニスが車両に乗っている敷島夫妻に顔を向けると、二人は微笑みながら目礼した。
「私は大丈夫だから、あなたは家族と一緒にいなさい。わかったわね?」
「うん……じゃあ、またね」
発車ベルが鳴りだして、明子は東京行きの東海道新幹線ひかり号に乗り込み、ドアが閉められた。ホームではジェニス、野田、カヨの三人が手を振りながら見送り、高速列車はゆっくりと動き出した。
「……さぁ、じゃあ行きましょうか。なりゆきでまた政府に関わることになったわけだし、とことん付き合うわよ」
「まぁでも、今回は目標が動きませんからね。何せ
「だから、油断は禁物よミスター・ノダ。相手は未知の生物、どんな手を使ってくるか分からないんだからね。もうゴジラの先例を忘れたの? ボケるにはまだ早いわよ。行きましょうカヨ」
ジェニスはサングラスをかけて、愛するパートナーと腕を組んで歩き出した。
「ちょっと、待ってくださいよぉ」
野田はその背中を追いかけ、新幹線ホームを後にした。
「……君らの言う説が正しいのなら、あの生物は人為的に生み出されたっちゅうことか。そりゃまたけったいな話や……」
原田は腕組みをしながら、真矢と雅美の話を聞いて考え込んだ。雅美と原田は初対面だったが、「古くからの友人で万博で働いていた」という概要だけ真矢が説明し、原田はそれに納得した。
「所長はどう思います。あの生物について」
「いや、どうもこうもないわ。まさかあの球体が卵だったなんて、思いもせんかった。しかもまだ成長するんやろ? もう何がどうなってるんだか……」
「あのう、すいませーん」
三人が原田歴史研究所の出入り口に顔を向けると、真矢だけが見知っていた男がそこに立っていた。
「中條! どうしたのよ」
「ああ、実は……もう俺大学は見捨てたわ。深澤、すっかり腑抜けになっちゃってさ、もう手を切ったところ。それでまぁ、ここのご厄介にしばらくなろうかなぁ、なんて」
「大歓迎よ! さぁ入って、汚いところだけど」
「おいおい、これでもお掃除頑張ったんやけどなぁ」
原田の言い分を無視しながら、真矢は蔵の奥から椅子を持ってきて中條を座らせた。初対面の中條と雅美は軽く会釈した。
「まぁでも、何や。若い衆が増えてええことや」
「そんなことより所長、このこと臨時対策本部にも伝えるべきだと思うんです。力を貸してください」
「力って言うても、僕なんか在野の人間だからなぁ……電話してもそもそも繋がるかどうかも怪しいもんやで?」
「じゃあ、中條の力を借りるしかないわね」
「え、僕の? 何をするのさ」
「あなた今日大学を飛び出したんでしょ? ってことは、まだ大阪大学の研究チームっていう肩書はギリギリ使えるでしょ。それでもう押し通すしかないわよ」
「えー、大丈夫かなぁ。まぁ、まだ大学の身分証とかは持ってるけどさぁ」
「それならもう、本部に直接直訴するしかないわ。そうと決まれば早く行きましょう。ほら所長も!」
「わ、わかったわかった。怒鳴るのは堪忍してや、カミさんみたいで怖いんよ。はぁ……もうなるようになるよう祈るしかないわなこりゃ」
真矢にせっつかれる形で、原田は重い腰を上げて大阪に行くことにした。
「……以上が、駆逐作戦の行動計画です。すでに滋賀の第10戦車大隊から
作戦指揮官の
「空からは、小松から第205飛行隊が出撃します。F-104J戦闘機3機がすでに発進準備に入っています」
作戦副官の
「わかりました。作戦を承認します、速やかに開始してください」
二名の幹部自衛官は、自衛隊の最高指揮官たる小澤首相に敬礼し、部下たちと共に臨時対策本部室を辞した。
「これで、何とかなるでしょう。
副本部長の佐藤が言うと、小澤は「ええ」と微笑して頷いた。作戦の様子はテレビカメラでの中継を使用して確認することとなり、対策本部には二台のブラウン管テレビが用意された。
「なんか、残念な万博になっちゃったね」
東海道新幹線の車内で、明子は暗い顔をしながら車窓の外を無為に眺めていた。
「仕方ないわよ。まさかあんなことになるなんて、誰にもわからなかったもの」
「そうだよ明子。それに、お前の晴れ姿が見れて、父さんはすごく嬉しかったよ」
両親の励ましを受けて、明子は少しだけ明るさを取り戻した。たった一日、いや半日ぐらいの事とはいえ、日本初の万博にパビリオンガールとして参加できたことは、あらためて誇らしいことだったと明子は感じ入った。
あとは、あの万博をぶち壊した巨大生物が、無事に駆逐されることを願うばかりだった。
「艦長より達する。本艦はこれより大阪湾へ針路を取る。総員配置につけ」
護衛艦『まきなみ』艦長の
大阪万博での事案を受けて、海上自衛隊には政府より、大阪湾内での警戒監視活動が発令され、呉港にいた『まきなみ』『おおなみ』『たかなみ』の三隻が選ばれて出動することとなった。いずれも『あやなみ』型護衛艦の姉妹艦であり、末っ子である7番艦『まきなみ』が三隻の旗艦を担うこととなった。
「臨時対策本部より入電、本日1200より駆逐作戦開始予定。以上です」
通信士の立花が伝令すると、神宮司は「了解した」と頷いた。
「艦長、敵は今後飛行能力を身につける可能性があるとのことです。対空戦闘も視野に入れておく必要があると思います」
「そうだな。まぁ我が艦には、以前ゴジラ細胞で変異した怪鳥を何度も撃墜した実績がある。心配ないだろう副長」
水島は黙って頷いた。確かに怪鳥は何度も主砲で撃ち落としたことがあったが、今度の敵はより巨大な可能性がある。対空戦より対潜戦に特化している『あやなみ』型で、どれだけ対抗できるか……それはその時にならないと分からなかった。もちろん、陸自と空自での駆逐作戦が無事に成し遂げられれば、自分たちが
「緊張してきたわぁ。ちびりそうや」
「やめてくださいよ、電車の中で」
原田と真矢ら四人組は、国鉄電車に乗って兵庫から大阪へと入り、地下鉄谷町線に乗って臨時対策本部が置かれている府庁舎を目指していた。
「いきなり行って、聞いてもらえるやろか。門前払い食うだけな気がしてきたわ」
「そこはもう、押し通すだけですよ。やるだけやってダメなら、帰ればいいだけですから」
「でもほら真矢ちゃん、小澤総理って良い人そうだし、きっと話を聞いてくれるんじゃないかな」
「実は僕、一度だけ選挙演説で見かけたことあるんだよね。応援してますって叫んだらこっち向いてくれて、笑ってくれたなぁ」
「ほら、二人だってそう言ってるんですから、大丈夫ですよ所長」
「何の根拠にもなっとらんと思うが……まぁええわ、そろそろ着くしな。行くだけ行こかぁ」
大阪府庁舎屋上で煙草を吸おうとした小澤は、マッチの火が風ですぐ消えてしまうのにイライラした。するとそこへカチャンという小気味いい音と共に、ジッポーの火が差し出された。小澤は微笑しながら火をもらい、煙を吸った。
「私も買おうかしら、オイルライター」
「便利よとても。風ですぐ消えたりしないから」
ジェニスも微笑みながら、自分がくわえる煙草にも火を点けた。
「まさかまたこの服を着て話せる日が来るなんて思わなかったわ、ボス」
「そうですね。オペレーション・デストロイを思い出します」
一方はカーキ色の軍服スタイル、もう一方は亡き夫の形見である国民服。共通するのは見る者に畏敬の念を抱かせる勇ましさと、足に履く半長靴だった。
「今回はカッコいい作戦名とかはないのね」
「巨大生物の駆除は、もう公共事業に似たものになってますからね、この国では」
「またゴジラでも現れない限りはないってことね。平和なことよそれは」
二人は紫煙を吐きながら、府庁舎のすぐ目の前に建つ大阪城を見つめた。1930年に地元有志たちの募金によって再建された天守閣は、大阪の街を見守るように今でも健在だった。
「ん? 何かしら」
ふと、下の方で騒ぎ声が聞こえ、ジェニスと小澤は屋上から見下ろした。得体の知れない四人組が、警察官と何やら揉めているようだった。何かの抗議運動のようには思えず、しかも一番年長の男性が「あの遺跡のことで大事な話があるんや」と発言したのをジェニスは聞き逃さなかった。
「いい加減にしてください、ここは府庁に用のない人の立ち入りは現在制限されてます」
「だから用がある言うてるやろ、これやから昔から
原田の剣幕に警察官は一瞬怯んだが、先を通そうとはしなかった。
「……これ以上職務を妨害するなら、公務執行妨害で逮捕しますよ」
「ほら出た! お得意の必殺技や。ああやれるもんならやってみぃ、ほらどうした、やらんかいアホンダラ!」
頭に血がのぼった原田はとうとう咆えて、警察官に拘束される一歩手前だった。
「どうしたの?」
そこへ、流暢な日本語を話す長身の外国人女性と小澤首相がやって来て、四人組は驚いた。
「はっ。こちらの方々が、臨時対策本部にどうしても話したいことがあると……ただ、どうも怪しいと思いましたので、お引き取り願っていたところであります」
対応していた警察官はそう答え、ジェニスは「ふーん」と頷いた。
「どんなお話しかしら?」
「あの遺跡の事です、とても重要な話なんです」
答えたのは、ベージュ色の作業着に半長靴を履いた女性だった。二人は視線を合わせた瞬間に、何か自分たちには共通するものがあると感じ取った。
「それならここで引き留める必要はないわ、どうぞ中へ」
「い、いやしかし……」
「何あなた、アメリカ合衆国大統領特使に
ジェニスがそう言って睨みつけると、警察官はそれ以降口を閉ざした。
「さぁどうぞ中へ。話を聞かせてちょうだい」
ジェニスが手招きをして、四人組は安堵した顔をしながら府庁舎に入って行った。
「いつから大統領特使だったんですの?」
小澤が微笑みながら訊ねてきた。
「たった今から。何か問題でも? ボス」
二人は目を見合わせて笑いながら、階段を上がって臨時対策本部室に向かった。その背中を、原田たちが追うようについて行った。
「結局、僕の肩書いらなかったんじゃないか?」
「まぁいいじゃない、こうして無事には入れたんだし」
真矢の返しに、中條も「まぁいいか」と呟いて、一行は階段を上がって行った。
「大阪は、大丈夫でしょうか」
美智子皇后は、共に皇居の庭を歩く明仁天皇にそう言った。
「今日にも駆除作戦が行われるそうだから、きっと大丈夫だよ」
天皇が一歩先を、皇后が少し後ろを歩く形で、二人は緑にあふれる庭園をゆっくり歩いていた。スケジュールがみっちり詰め込まれた公務の、ささやかな合間の一時だった。
「おや。今年はちょっと早いな」
明仁は何かを見つけて、少し背を屈めた。
「何ですか?」
「ご覧。
二人の視線の先には、
「……つまり、その少女たちが例の生物を操ることが出来る、ということですか?」
原田たちを臨時対策本部に招き、その主張に耳を傾けていた小澤総理は、未だ半信半疑といった面持ちでそう訊ねた。
「確証はありません。ですが彼女たちは言いました、命令をしないと止められないと。それは生物というより、兵器に対して使う言葉だと思います。……分かっています、とても信じがたいお話しだというのは。ですが私と原田所長、それにここにいる中條も、彼女たちが透明になって消える姿を目撃しています。とても人間とは思えません」
「それには私も心当たりがあるわ」
一同の視線がジェニスに向けられた。
「私も『未知との遭遇館』で彼女たちを見かけた。そしてすぐに消えてしまった。妙だと思ったけど、そういうことだったのね」
「あなたは信じるんですか、この人たちの話を?」
府知事の佐藤が眉を寄せたが、ジェニスは「当然でしょ?」と言わんばかりに眉を上げた。
「わざわざ嘘話を聞かせるためにこの人たちが来る理由なんてないでしょ? この非常事態に。それにこの二人は一番最初にあの遺跡を調査した人物。充分信用は出来ると思うけど、ボスの意見は?」
「……まだ懐疑的ではありますが、あなたがそう仰るなら信じることにしますわ。あなたはかつて、あの辻堂のゴジラが
ジェニスは「ありがとう」と言わんばかりに肩を上げて見せた。
「あなた達のご意見は、しかと受け止めました。情報提供に感謝いたします」
小澤は真矢たちに頭を下げて謝意を示した。
そこへ陸自幹部が耳打ちし、小澤は「わかりました」と頷いた。
「ともかく、これから駆逐作戦を開始します。相手が巨大生物である以上、このままにしておくわけにはいきません」
部屋に設置された二台のテレビの電源が入れられ、現場からの映像が映し出された。シンボルゾーンを正面から捉えた画角と、フランス館跡地から捉えた斜めの画角。画面中央にはどちらも、太陽の塔と一体化した白い物体を捉えていた。
「これで上手くいけば、問題解決なんですけどね」
「そうね……」
野田の呟きに頷きつつ、ジェニスは左手にはめた銀色の腕時計を見た。針は11時55分をさしていた。
陸上自衛隊61式戦車7台は、すでに大阪万博会場内に配備されていた。
「一佐、配置完了しました」
部下からの報告に、現場指揮官の田島一等陸佐は頷いた。
「対策本部に連絡。作戦準備完了、命令あればすぐに実行すると」
田島は腕時計を確認した。作戦開始2分前だった。
太陽の塔を前にして、姿なき二人が白い物体を見つめながら交信していた。
(久しぶりね、この姿を見るのは)
(うん、久しぶり)
(もうそろそろ、完全体になる)
(あの姿がいちばん好き)
(でもあいつらが邪魔をする)
(止めなきゃ、絶対)
(そうね、絶対)
(うん、絶対)
「作戦許可が出た、これより駆逐作戦を開始する。第一段階、始めっ」
小澤からの命令を受けた田島一佐は、火炎放射器を装備した隊員たちに出動を命じた。
隊員たちはじりじりと太陽の塔へ距離を縮めていき、距離10メートル付近で停止した。現場隊長が指示を出して、隊員たちは巨大な白い物体目がけて、放射器の引金に指をかけた。
「攻撃開始」
隊長の一声のもと、隊員たちは白い物体に向けて火を浴びせ……られなかった。
放射器から放たれた火炎は、白い物体の手前で空気を燃やすだけだった。その光景に隊員たちは目を疑った。いずれの放射器も、最大放出量に設定されている。確実に白い物体を火で包むはずだった。
「な、なぜだ⁉」
隊長がさらに前進してみるが、火はどうしても白い物体に届かなかった。まるで目の前に、見えない壁があるようだった。
刹那、隊員の一人が悲鳴をあげだした。何事かと隊長が見遣ると、隊員が逆流した火炎に包まれて火達磨になっていたのだ。彼にはすぐ消火剤がまかれて事なきを得たが、部隊はいったん攻撃を中止せざるをえなかった。何かが、妙だった。
「た、隊長っ!」
叫んだ隊員は、銃身が折れ曲がった放射器を見せてきた。彼の目の前で、それはどういうわけかグニャリと曲がり、U字型になってしまった。これでは引鉄を引けば自分自身を燃やすことになってしまう。
「た、退却! 全員後退しろっ!」
隊長がそう命じて、第一次攻撃部隊は成す術なく退却した。
「何? いったい何が起きてるんですか?」
現場からの中継映像を見ていた小澤総理は、第一次攻撃部隊の様子を見て眉をひそめていた。火炎放射器による攻撃は、まったく敵に届いていなかった。というより、何かに妨害されているかのようだった。
「……あの子たち」
真矢は、そう呟いた。まだよく分からないが、可能性があるとしたら、あの少女たちによる仕業ではないかと彼女は考えた。
「だ、大丈夫でしょう……何せ戦車部隊がいるんですから」
佐藤府知事が引きつった顔をしながらも、次の攻撃に期待を寄せてそう言った。小澤は、黙って頷くだけだった。
(見た? あいつらの愚かな姿)
(うん、見た)
(次はもっと強力なのが来る)
(力を合わせないと)
(そうね。邪魔はさせない)
(うん、させない)
「……戦車部隊に連絡、砲弾を装填せよ」
第一次攻撃部隊が、謎の事象によって退却したことを知った田島一佐は、主力部隊である61式戦車7台に命令を下した。まずは通常弾頭を撃ち込み、次にオソニチンを搭載した特殊弾頭を敵の内部に撃ち込み、止めを刺す算段だった。
太陽の塔が鎮座するシンボルゾーンの屋根は、そのほとんどが崩れ落ちていて、塔も標的も丸裸だった。戦車部隊は、塔の南西方面にある中央団体バス駐車場に整列し、その砲門を標的に向けていた。
「砲弾装填完了、いつでも撃てます一佐」
部下からの報告を受け、田島一佐はふぅと息をついてから命じた。
「攻撃開始、送れ」
田島一佐からの命令を受けた戦車部隊は、52口径90mm戦車砲から徹甲弾を一斉に発射した。轟音が万博会場に響き、徹甲弾は太陽の塔と一体となっている白い物体目がけて着弾……しなかった。いずれも弾道が急に反れて、周囲のパビリオンや舗装された地面にむなしく着弾した。
一発二発ならまだしも、七つすべての弾道が外れるなど、ありえなかった。
「なぜだ……照準はしっかり合わせてるのに」
戦車長は我が目を疑ったが、すぐさま次の砲弾をセットさせて、もういちど斉射した。だが結果は同じだった。弾頭は、どうしても白い物体に着弾せず、反れてしまう。
「どうした、なぜ当たらない!」
田島一佐が無線で訊いてきたが、戦車長の方がその理由を知りたいぐらいだった。
「わかりません……なぜか、弾道が直前になって反れてしまいます」
「……特殊弾頭を使え。それで様子を見るぞ」
戦車長は了解し、砲身にオソニチン搭載の特殊弾頭が装填されようとした。
「待て。信管を時限式に変更、目標着弾手前で起爆させるぞ」
一計を案じた戦車長の命令により、特殊弾頭の信管は時限式のものと変更された。
「……準備完了、いつでも撃てます」
部下からの報告に戦車長は頷き、再び砲撃を命じた。
(どこまでも愚かな民族)
(まるで変わってない)
(また撃ってくる)
(また反らせばいいだけ)
「撃てぇっ!」
61式戦車は三度目の一斉砲撃を行い、それは時限式信管の作動により、太陽の塔の手前で起爆した。気体化しているオソニチンが空中に拡散し、それはあの巨大な白い物体にも降りかかった。
(……
(……これは、毒)
(くそっ……)
(……)
「……ん? 待て、人がいるぞ」
双眼鏡で攻撃目標を注視していた田島一佐は、特殊弾頭を撃ち込んだ後の現場に、二つの人影が出現したのを目撃した。それは髪と肌が白く、銀色の服を着た奇妙な女性だった。いや、女子というべき背丈だった。一瞬パビリオンガールか何かかと思ったが、尖った耳を見た瞬間、あれは人間とは違うと田島は直感した。
「射撃待て。小隊を前に出すんだ。あの二人を確保しろ!」
「……体が、言うことを聞かない」
「私も……苦しい」
「人間は……本当に
「嫌い……本当に、嫌い……」
少女たちは透明化する力も弱まり、その場にふらふらとしながら立ち尽くしていた。
やがて、ガスマスクと小銃を装備した小隊が、ゆっくりと二人に近づいて来た。
「止まりなさい!」
小隊長が叫んだが、二人はそんなことなど意に介さず、後ろを振り返った。
繭が、動き始めた。
「一佐! 目標が活動を再開した模様です、どうされますかっ」
小隊から報告を受けた通信係が叫び、田島は決断を迫られた。このままあの二人を確保するのが優先か、巨大生物が眠る物体を破壊させるか。
……人命優先。自衛隊の基本理念たる考えが、彼の頭をよぎった。
「あの二人を確保したら、すぐに砲撃を再開する。急がせるんだ!」
「……いよいよ、ね」
「うん……久しぶりに、見る」
「大いに、暴れなさい……」
「たくさん、殺してしまえば、いい……」
二人は息遣いが荒くなり、そのまま抱き合うように倒れてしまった。
「おい!」
小隊長はすぐ二人のもとに駆け付け、意識を確認しようとした。だが、すぐ側にある白い物体が激しく揺れ動き出し、地震のように地面が揺れて小隊長は尻もちをついた。
「と、とにかくこの二人を運ぶんだ! 急げ!」
部下に命じ、二人の少女は隊員が二名ずつ付いて運び出された。
小隊長は白い物体に向けて小銃を構えながら、その動きを凝視していた。揺れは絶え間なく続き、中に何かがいることを示していた。
やがて、揺れは治まった。
そして、時は来た。
白い物体の上部が、内側から割られた。そして中から、揺れを起こしていた主が姿を現し始めた。それを間近で見た小隊長は、目を見開いた。
「何だこれは……蝶……いや、
なぜその区別がついたのか。
その生物の顔には、蝶特有のホースのように丸まった口がなかったからだ。さらに顔も、体も、足も、すべて毛深かった。巨大な赤い目も印象的だった。その生物は、体を包む白い物体をどんどん瓦解させていき、足を使って太陽の塔を登り始めた。そして最上部の黄金の顔まで到達すると、それまでしぼんでいた背中の羽が、左右にゆっくりと広げられた。その模様は極彩色で表現され、理解不明な現代美術品のようだった。羽はすべてで四枚あり、特に大きな二枚の羽には、生物の眼を思わせる不気味な模様もあった。
小隊長は小銃を下ろし、眼前で繰り広げられている光景に目を奪われていた。不覚にも、彼はその生物の姿に魅了されていた。
「小隊長! 何してるんですか!」
部下の言葉で我に返り、彼は一目散にその場から逃げ出した。
「何だ、あれは……」
田島一佐もまた、言葉を失っていた一人だった。太陽の塔から現れた、巨大な虫の姿に目を奪われていた。そしてその生物は、幼虫だった頃よりもさらに甲高い鳴き声をあげた。
我が作品が破壊されると聞きつけ、居ても立っても居られなり、万博外環状道路に架かる〝調和の橋〟から、駆逐作戦の様子を見ていた太陽の塔の作者・岡本太郎もまた、その光景を見て思わず呟いた。
「何だこれはっ」