モスラ+1.0   作:沼の人

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1970年3月13日

 1970年3月13日

 

 その日、大阪は朝から冷え込みが強く、寒風が身に沁みる日となっていた。

 そんな空の中から、一機の特別な飛行機が降下し、大阪国際空港に着陸した。ボーイング社が開発したC―137空軍輸送機を改造したSAM26000――エアフォースワン。白い機体に金色と水色の塗装がなされ、尾翼には星条旗が描かれ、そして胴体部分には「UNITED STATES OF AMERICA」の文字があった。

 タラップ車が横付けされると、飛行機の主が姿を現し、詰めかけていた報道陣に対し笑顔で手を振った。大阪日報の福田を含む大勢の記者たちはフィルムカメラでその姿を捉え、テレビカメラは生中継を行った。長身のその人物がタラップ車を下りてレッドカーペットの上に立つと、待ち構えていた小澤首相がまず一礼をしてから手を差し出した。

「Welcome Mr. President.(ようこそ大統領)」

「Thank you, Prime Minister Ozawa.(ありがとうございます、小澤総理)」

 ゲイリー・クロフォード米国大統領は、とびきりのスマイルで小澤と握手を交わした。二人が談笑しながら赤い絨毯の上を歩いていく光景を、報道陣は追った。

「いやぁ、噂どおりだな米国大統領、なかなかの色男だ……ん?」

 福田がそう呟いた後、ふとエアフォースワンに目を遣ると、そこから二人の女性がタラップを下りていくのが見えた。二人ともお揃いのトレンチコート、帽子、サングラス、編み上げブーツという出で立ちだった。一人は大統領と並ぶほどの長身の持ち主で白人、そしてもう一人は日本人のようだった。福田は他の記者が首脳陣にくぎ付けの中、その二人に近づいて声をかけた。

「ハ、ハロー」

 英語には自身がなかったが、片言で何とか挨拶を試みた。すると長身の方が口を開いた。

「ごきげんよう」

 とても流暢な日本語に福田は面食らった。日本人女性はその様子を見てクスクスと笑っていた。

「日本語で結構よ、ミスター」

「あ、どうも。あのう、大統領のお付きの方ですか?」

「お付きっていうか、身内よ。あなた達が注目してるハンサムな男性の」

「え? ってことは、その……」

「妹よ、私は。こちらは私のパートナーのカヨ」

 カヨと紹介された日本人女性はサングラスを外して軽く頭を下げた。福田は驚きのあまり口を閉じるのを忘れていた。

「あ! ではあの、16年前にゴジラを倒したのに貢献した、クロフォード博士ですか? いやすごいなこりゃ!」

「名前を知ってくれてるのは嬉しいけど、先を急ぐの。じゃあね記者さん。行きましょうカヨ」

 再びサングラスを着用した日本人女性と共に、長身の白人女性はレッドカーペットを颯爽と歩いて行った。福田は何度か呼び止めたが、意味はなかった。そのまま二人は首脳たちが乗る黒塗りの車に乗り込んでしまった。

 

「ハーイ、元気そうねボス」

 政府が用意したリムジンで小澤と向かい合って座るジェニスは、帽子とサングラスを外して手を差し出した。

「その呼び方、まだ続いてるんですね」

 小澤は苦笑しながらその手を握り返した。まさかこういう形で再会出来るとは直前まで知らされておらず、小澤は驚きつつもジェニスとの再会を心から喜んだ。

「だってこの国のボスでしょ? いいじゃない、ねぇカヨ」

「女性初の首相って、とっても素敵ですね」

 カヨは小澤の顔を見ながらそう賛辞を贈った。小澤は微笑して答えた。

「……実は総理、私も少しだけ日本語を覚えましてね」

 小澤のとなりに座るゲイリーが、急に日本語で話し始めて小澤は驚いた。

「どうも口やかましい妹の影響のようです」

「まぁひどい。何で私はソーイングセットを忘れたのかしら。すぐに縫わなきゃいけないわその口を」

「それは困るな。このあと小澤総理と大事な話し合いがあるのに、私は首を振ってイエスかノーしか答えられなくなる。困ったぞこれは」

「いいじゃない、万博開催に敬意を表して何でもyesで答えればいいのよ。ボス、わがままを言うなら今日のうちよ」

 小澤は笑うばかりでどちらにも味方しなかった。

「まさか大統領の口から、そんなにお上手な日本語が聞けるとは思いませんでしたわ」

「お褒めの言葉感謝するよ。僕と妹は変なところが似てるんですよ。興味を持ったことにのめり込みやすくて、スポンジのように吸収しやすい」

「それに甘いマスクを武器にして、国中のレディやマダムたちを抱き込んでるものね」

「おいおい何だ、俺は顔で大統領になれたっていうのか? まったく酷い奴だ、あなたもそう思いますよね?」

 返答に困った小澤は、ただ可笑しそうに笑うだけだった。隣にいるのが超大国の首脳であることをつい忘れてしまうほどに。

「エンペラー・アキヒトもお元気かしらボス?」

「ええ、とてもお健やかに過ごされてます。昨年も四月に清子(さやこ)内親王様がお生まれになられて、皇室は今後もご安泰でしょう」

 11年前、当時摂政宮皇太子だった明仁(あきひと)親王は民間人の正田美智子(しょうだ みちこ)と成婚した。テニスコートで出逢った二人は、皇族と民間人という垣根を超えて結ばれ、日本中がその成婚を祝賀した。成婚パレードはテレビで中継され、ミッチー・ブームなる社会現象さえ起こした熱狂ぶりだった。その翌年、一時期は快方に向かっていた裕仁(ひろひと)天皇が再び病を再発して倒れ、崩御した。それに伴い明仁親王が天皇に即位し、元号も『平成』と改められた。典拠は中国の古書からで、「国の内外、天地ともに平和が成る」の意味が込められた元号に、国民は大いに支持した。ゴジラの脅威も去り、他国と二度と戦争をしない平和国家として歩んでいる日本にとって、これほどふさわしい元号はないと誰もが思った。

 そして明仁天皇は今、三児の父親でもあった。二男一女、美智子皇后との愛の結晶だった。

「今日の午後には、御召列車で大阪に入られます。たまに、陛下とお話ししている時にあなたのお名前が出てきますよ、ジェニーさん。私はあの人にとても勇気をもらえた、と」

「へぇ、ジミーがそんなこと言ってたのね。ふふ、光栄だわ」

「よろしかったら、お話しできる時間を設けましょうか。少しだけなら可能だと思いますが」

「いいえ、結構よボス。私はただの旅行者なんだから、兄さんみたくご立派な国賓じゃないもの」

「おや、だったらどうしてこのリムジンに乗ってるんだ? エアフォースワンにだって、飛行機代が安く済むからとか言って無理やり乗り込んできたくせに」

「うるさいわよゲイリー。あなたは大統領閣下でも、こっちはホノルルでやってる小さなカフェの経営者なんだからね。これぐらいのコネを使ったって、イエスもマリアも笑って許してくれるわよ」

「またすぐに神と聖母の名を持ち出す。君の悪い癖だぞジェニー」

「はいはいはい! もうその辺にしておきましょ、ね? ね? いいですね?」

 どうしようもない兄妹喧嘩をカヨが割って入って止めた。その様子を見ていた小澤は思わず失笑し、他の三人も笑い声をあげた。とても賑やかな車中だった。

 

「オーライ、オーライ……ストップ!」

 トラックに合図を送って、真矢は運送トラックを停めさせた。そして扉を開けて荷物を次々と積載していく。作業が終わると車体を叩いて合図し、トラックは走り去っていく。この作業の繰り返しだ。

「藤戸さーん、今日はもうあと一時間ぐらいで上がってええよ。今日は荷物も少ないし、ほら、道路規制もあるからトラックもそないに出せんのよ」

 日給は保証するからと約束して、上司は事務室に戻って行った。

 原田歴史研究所だけでの稼ぎでは生活費が足りないので、真矢は運送会社で日給制の仕事をしていた。

 今日は万博来賓として来日する米国大統領と、明日の万博開会式に出席する天皇皇后両陛下が大阪にやって来る。そのため一部の幹線道路には交通規制がかけられていることは、真矢も知っていた。

 明日は、大阪万博が開幕する。日本で初の国際行事が。

 明日の開会式には、特別に招待された客しか中に入ることは出来ない。いくら恋人がパビリオンガールでも、その枠に真矢が入ることはなかった。一般入園は明後日から可能となる。

 トラックはないし、新たな荷物も届かないので、真矢は敷地の端にある喫煙所で同僚たちと煙草を吸った。外は真冬のような冷たさで、吐く息がまっしろになった。もはや紫煙なのかどうかも判別がつかないくらいだ。

「ん? あ、雪だわ。雪が降ってきたぞ」

 同僚が気づいて空を見上げると、白みがかった雲からチラチラと雪が降り始めた。それぐらいの寒波なのは、ジャンパーを着ている真矢も実感していた。

「積もらないとえんやけどなぁ」

「明日の万博、大丈夫かいな」

 同僚たちはそんな話をしながら、プカプカと煙草を吹かし合った。

 真矢もまた、この雪が積もるほど降らないことを祈るばかりだった。

 

「ワーオ、見てよカヨ。ホワイトスノー」

 大阪ロイヤルホテルの一室から窓外の景色を眺めていたジェニスは、空から小雪が舞ってきたことに気づいた。

「日本の雪……初めて見たわ」

「今日、とても寒いですもんね。積もらないといいんですけど」

「あ、体が急に冷えちゃったわ。暖めないと」

 ジェニスはそうおどけながらカヨに抱きついた。カヨは笑いながら自分からもジェニスをハグした。

「あー、暖かいわ。どんな暖房よりも気持ちがいい」

「うふふ、それはよかった。……本当、幸せ」

「なぁに? もうベッドに行きたいの?」

「そうじゃなくて、こうしてあなたと生きてることが。あなたと一緒に暮らせて、カフェをやれて、それに苗字も一緒になれた。あなたのお兄さんのおかげで」

「……今はまだ、兄の養子という形になってるけど、いつか正式に結婚出来る日が来るわ。兄がきっとそうしてくれる」

「信頼してるんですね、お兄さんを」

「利用してるだけよ。私は冷酷な女だもの」

「そんなの嘘。そんな人なら、私は魅かれなかったもの、あなたに」

 二人は甘い口づけを交わして、しばらく見つめ合った。180センチと160センチの目線は、しっかり通じ合っていた。

「あなたと出会えて本当によかった。日本に来て、あらためてそう思ったの」

「……ありがとう」

「え?」

「あの島で、生き延びてくれて。でなかったら、私たちは出逢えなかった、でしょ?」

 二人は無言で見つめ合いながら、再びキスをした。

「……綺麗ね、日本の雪は」

「ええ、とても……」

 二人はお互いの腰を手を遣りながら、小雪に包まれた大阪の町並みを見つめた。

 

 吹田市に()る万博会場では、明日の開会式に合わせた最終リハーサルが行われていた。

 リハーサルは2月末から始まって、これで五回目になる。2566人の大人や子供たちが、秒刻みのスケジュールどおりに行動し、明日の本番に備えていた。

 そんな彼らを、雪が降るほどの寒さが襲っていた。特に女性は足の肌を露出した服装の者も多く、寒さで体がかじかむのを我慢しながら、必死にリハーサルに臨んだ。

 無事にリハーサルが終わって、明子は堪らずに暖房器具に走って向かい暖を取った。となりには赤いドレスを着たパビリオンガールの女性がいた。

「さ、寒いですね……」

「本当……でもあなたの方が足が出てるから、もっと寒そうね」

 赤い制服を着た女性は、膝上までしかないワンピースを着た明子を見て言った。

「ええ、タイツは穿いてるんですけど、ほとんど意味ないですね……そちらはいいですね、頭まですっぽり(かぶ)れてますし」

 明子のとなりにいる雅美は、冬用のペプシ館制服を着ていた。それは真矢に見せたものとは別の服で、長袖のコートのような形状をしていて、(たけ)は膝下まであり、頭には宇宙船のヘルメットのような帽子を被っていた。

「うん……でも、やっぱ寒いっ!」

 その一声で二人は笑い合った。そしてお互いに自己紹介を始めた。

「ペプシ館の手塚です、手塚雅美。大阪の会社から出向してるの」

「リコー館の敷島明子です、東京から来ました。大学院生です」

「敷島? ……もしかして、お父さんはあのゴジラを倒した人?」

「はい、そうです。父は敷島浩一です」

「わっ、すごい。有名人じゃない。まさかその娘さんと一緒に働けるなんて、嬉しいわ」

「いえそんな、すごいのは両親ですから。ゼロ戦に乗ってゴジラを倒したんですから……私も、何か日本のためになることがしたいと思って、パビリオンガールの公募に応募したんです」

「そうだったんだ、素晴らしい志ね。将来は何になるの?」

「医者です。母が、今はもうないんですけど、ゴジラ災害に遭った時に黒い痣が出来てしまって……子供心ながらに、ずっと考えてました。私が医者になって、母のように苦しむ人を救いたいと……それで医学部のある大学を選んで、大学院にも進んで知識を養うことにしたんです」

「偉いわ明子ちゃん。きっと良いお医者さんになるわ、絶対。私、応援してるからね」

「ありがとうございます、励みになります。……雪、積もらないといいですね」

 二人は万博のシンボルである『太陽の塔』があるエリア・お祭り広場にいて、そこは屋根で覆われていたが、壁はない。ゆえに空から舞い散る小雪が、よく見えた。

 

「では、沖縄返還は数年以内に可能ということでよろしいでしょうか、クロフォード大統領」

 報道陣を排除した非公式の日米首脳会談は、大阪ロイヤルホテルの大会議室で行われていた。車中とは打って変わって、二人は通訳を介して会談をしていた。

「ええ、そう解釈していただいて構いません。ただし米軍基地の駐留は、引き続き継続するものとしていただきたいです」

 アメリカ側の通訳が、ゲイリーの言葉を包み隠さず訳した。小澤は頷いて反応した。

「わかりました。貴国が懸念するソ連や中国への睨みも必要でしょうし、我が国としてもその点は同意見です。仮に米軍基地撤廃となったとしても、我が国は自衛隊基地を構えるつもりでございましたので。貴国との安全保障条約があるからこそ、我が国の平和が担保されていることは承知しております。ですが我が国には自衛隊という防衛組織がございます。自国は自分たちで守る、国防を担う軍隊の基本理念に沿って創設されたものです。交戦権のない軍隊、つまり侵略戦争のできない軍隊です。……いえ、何も日本に米軍は要らないと申し上げているのではありません。ですが、駐留する米軍関係者が、日本人に対し犯罪を犯した場合、それを我が国で裁けないというのは残念でなりません。この現状の変更についても、私は大統領と真剣に話し合いたいと思っております」

 小澤は毅然として語り、通訳を介さずとも意味を理解していたゲイリーは、深く頷いて見せた。アメリカ側からは「わかりました、その点も明日の公式会談で話し合いましょう」と返答が来て、小澤は承知した。

「では、重い話はこの辺にしておきましょうか。後ほど再びお目にかかりましょう、大統領」

 

「いやぁ、思ったより降ってますねぇ」

 新大阪駅に降り立った野田は、白い息を吐きながら外の様子を見て言った。京都に近づいていた時点で雪が降っていたのは気づいていたが、大阪はさらに粒が大きかった。

「積もりますかね……明日、大丈夫かな」

 同じ新幹線に乗っていた敷島も、空の様子を見て不安そうな顔をした。

「でも、会場には屋根があるんでしょ? 積もっても何とかなるんじゃないかしら」

 妻の典子がそう言うと、敷島も野田も頷いて同意した。まぁ、何とかなるだろうと。

「でも残念だなぁ、秋津さんも水島君も来られなくなっちゃって」

 敷島は白い息を吐きながらそう呟いた。敷島らオペレーション・デストロイの主だった参加者たちには、万博組織委員会から特別招待券が贈られていた。これは万博開会式に参加できる権利証明書であり、本当は機雷掃海艇「新生丸」メンバーたちが会場に集うはずだったが、秋津は妻が風邪を引いて寝込んでしまい中止、水島は業務多忙のため断念ということになった。

「まぁ長さんは仕方ないとしても、水島君も大変だなぁ。将校は書類仕事も多いし、なかなか休みが取れないんでしょう。自衛官はなるべく、勤務地から離れられない不文律みたいなのがありますからね。いつ緊急事態が起きてもすぐ出動できるようにって」

 元海軍の技術士官である野田は、在りし日の海軍将校たちの忙しなさと、現在の水島とを重ね合わせながらそう言った。

「じゃあ、僕はここで。また明日会場でお会いしましょう」

 泊まるホテルが違う野田と敷島夫妻は、駅前でいったん別れた。野田はタクシーに乗り込んで、その去って行く姿を敷島夫妻は見送った。

「じゃあ、俺たちも行こうか」

「ええ」

 二人は白い息を吐きながら話して、駅から歩いて行ける距離内にあるホテルへと足を向けた。

「何だか、こうして二人きりで旅行するのも久しぶりですね、浩さん」

 典子は夫と腕を組みながら歩き、嬉しそうに言った。

「そうだね。ごめんな、なかなか休みが取れなくてさ」

「いいんですよ、教頭先生は忙しいでしょうし。……お互い、おじいさんおばあさんになっても、こうして旅行しましょうね」

「ああ、するよ。約束する、必ずな」

「嬉しい」

 二人は、何だか新婚時代を思い出す初々しさを感じながら、小雪が舞う大阪の街を歩いて行った。

 

 夕方、国鉄大阪駅に、菊花紋章を取り付けたEF58 60号機電気機関車が牽引する御召列車が到着した。

 改札を通り抜ける明仁天皇と美智子皇后を、日の丸の旗を持った人々が大勢出迎えた。両陛下は群衆に対し何度も微笑して頭を下げながら、菊花紋の付いた黒塗りの車に乗り込んで、宿泊先である大阪ロイヤルホテルに向かった。

「雪が降ってるねぇ」

 明仁が言うと、皇后も一緒になって窓外の空を見上げた。

「綺麗ですけど、積もらないか心配ですね」

「うん。でも、きっと大丈夫でしょう」

 根拠はないが、たぶん明日の開会式には差し障りはないだろうと思い、明仁はそう言った。

 車は、ホテルの車寄せで停車し、小澤総理とクロフォード大統領が二人を出迎えた。

「わざわざご苦労様です、総理。Thank you, Mr. President.(どうもありがとう、大統領)」

 明仁が労いの言葉を両人にかけると、ゲイリーは言った。

「こちらこそ、お招きいただいて光栄です」

「おや、日本語がすごいお達者ですね。驚きました」

 両陛下はゲイリーの日本語での返しに顔をほころばせた。四人はホテルの中へ入り、エレベーターで上層階に向かおうとした。

 そのとき明仁は、ロビーの片隅に見覚えのある人物がいることに気づいた。黒いドレスに編み上げブーツという姿で、お互いに目が合うと、彼女はサングラスを外して微笑んだ。長身の白人女性。明仁はハッとして、微笑みながら一礼をすると、彼女は片手をあげて挨拶をした。言葉は交わさずとも、二人はお互いを分かっていた。初めて会ったのは名古屋の被災地。そこで被災者の救護活動を手伝い、〝ジミー〟という愛称で呼んでくれたことも。

 エレベーターが到着し、一行はその中へ消えた。

「また会えて嬉しいわ、ジミー」

 ジェニスはそう言うと、再びサングラスをかけてその場を去って行った。

 

 大阪万博の敷地内にある人工池〝夢の池〟に面する新設パビリオン『未知との遭遇館』には、屋根がない。ゆえに午後から降り出した雪が、少しずつ積もり始めていた。

 だがそんなことに構うことなく、深澤教授以下十数名の大阪大学研究チームは、明日からしばらく研究活動が抑制されてしまう因羽島の遺跡の調査を進めていた。

 例の球体は、いくつもの気球を取りつけて、六機のヘリコプターで大阪港から空輸して運んできた。直径は20メートル、重さは推定1トン。球体は六角形の台座の中央に鎮座して、六本の神殿風の柱が取り囲んでいる。その隣には、同じく島から発掘された、ドームの付いた横穴墓のような遺跡も置かれ、それはテント屋根に覆われていた。

 調査、とはいえ、相変わらず球体に刻まれた模様や絵を観察するぐらいだった。渦巻き模様もあれば、ヒトが描かれていたりする。そして巨大な昆虫たち。天面には、謎の紋章のようなものもある。とにかくこれが自然の産物ではなく、人為的に造られたことは確かなのだが、この球体がどういう意味を持つものかは、未だに仮説すら立てられていなかった。深澤は「宗教儀式に使われた可能性がある」と言っていたが、こんな球体をまず古代人はどう造ったのか、何よりその構成されている金属が何なのかも分かっていない。試しに表面を叩いてみると、どうも中は空洞になっているらしかった。万博が終わり次第、一部を切り抜いて中を調査する計画も立てられている。それが解明の一歩になればと、誰もが思っていた。

 中條は、球体の表面をコンコンと叩いた。そして、耳を近づけた。音が反響しているのが伝わった。やはり中は空洞なのだと思った、その直後だった。

 ドクン、という音が中から聞こえた気がした。

 中條は、もういちど表面を叩いてみた。するとまた、ドクンという音が聞こえた。

 何か、中にある。中條はそう思った。すぐに深澤を呼んだ。

「どうしたのかね」

「教授、中から音が聞こえます」

 中條はまた、表面をコンコンと叩いてみた。

 だが、今度は音はしなかった。耳を近づけていた深澤は、露骨に不機嫌な顔をした。

「何もしないじゃないか。空耳じゃないのかね」

「いや、でも確かに僕は……」

「ともかく、もう今日は引き揚げよう。こう寒くては体が持たないし、我々の調査も万博終了まではあまり出来んのだしな」

 深澤はそう言って、その場を後にした。

 いや、確かに聞いた。中から反響音以外の何かを。しかも二回。中條は思った、中に何かがある。いや、いるのではないかと。

 だが直属の上司である深澤は信じないし、研究チームも引き上げる準備に取り掛かっていた。ここで自分が主張を続けても、もう意味はないと感じた。彼は一介の助手に過ぎない。

 脳裏には、あの少女たちが浮かんだ。あれは、人間とは違う。ヒトの姿をしていたが、地球人は体を透明にする能力はない。そういう道具も武器もない。だとしたら彼女たちは、何者か。

 真矢が唱える異星人説に、中條は同意せざるを得なかった。

 だとしたら、この球体は異星の文明が造ったもの。用途は、まだ分からない。だがきっと何かが中にあって、それが鼓動した。それが何なのかは、想像もつかない。

「……妙なことに、ならなきゃいいけど」

 中條は、そう呟くことしか出来なかった。

 

「五十嵐先生」

 大阪ロイヤルホテルのパーティ会場で声をかけてきたのは、丸菱観光常務の友兼だった。五十嵐大臣は満面の笑顔で「やぁ、君か」と返した。友兼はワイングラスを持ちながら低頭した。その横には、万博プロジェクト課の課長となっていた安東の姿もあった。

「未知との遭遇館とは、なかなか興味がそそられる名前を考えついたものだね君」

「恐れ入ります。それは、この安東君が発案したものでして、はい」

「おおそうかね。まぁとにかくだ、あれは人の目を必ず引くぞ君。太陽の塔、月の石、それに並ぶことになるだろう」

「ありがとうございます。必ずや成功することとなるでしょう。そうなれば我が社も安泰ですし、先生のお名前もより一層高まるものと存じます」

「ハハハ、お互いに旨味しかないというわけだな。結構結構、では楽しんでいってくれたまえ。私は各国の要人たちとも会わねばならんのでね」

 五十嵐はそう言って二人の前から去って行った。

「いやぁ、安東君。これでとことん上手くいくぞ。君もそう思うだろう」

「はい。明日の開会が楽しみです」

「まったくだな、ハッハッハ」

 友兼は美味そうに洋酒を飲み、終始笑いが止まらなかった。

 安東は、まさか一介の平社員だった自分が、両陛下や小澤総理、米国大統領もいる特別な空間に同席していることに、あらためて感慨深い思いだった。これも一重に友兼の尽力であり、なおかつ因羽島で遺跡が偶然見つかったことが運命の分かれ道だった。今や友兼派の幹事長と言っても過言ではない安東は、万博終了の暁にどんな栄転が待っているのか、想像するだけで楽しみだった。

 手塚雅美とは、何も進展はない。だが今よりも地位が上がれば、きっと彼女は振り向いてくれるはずだ。彼はそう信じ、友兼にどこまでもついて行こうと心に決めていた。

 

 安東が大阪随一のホテルで華やかなパーティに参加していた頃、真矢は円谷荘の一室で独り、煙草を吹かしながらラジオを聴いていた。ラジオからは、大阪に大雪注意報が発令されていることをアナウンサーが読み上げつつ、明日の午前中には止むだろうという朗報も伝えていた。外では雪が相変わらず降り続いていた。

 例の遺跡の研究は、遅々として進んでいない。中條からは定期的に情報を横流ししてくれたが、その全容解明は大学側も苦慮しているのがレポートからも見て取れた。

 それと先月、中條から電話が来た。雅美と濃密な一夜を過ごした翌日、朝一番にかかってきた。何とあの少女たちと邂逅したという。だがノートを隠されるという悪戯をされただけで、会話もすることなく少女たちは透明になって消えてしまった。それ以後、真矢のまわりであの少女たちの目撃は確認されていない。自分がもし中條だったなら、縄で縛ってでも捕獲したのに……。

 そう思っていた刹那、部屋のドアが開錠される音が聞こえた。雅美かと最初は思ったが、明日は万博開催日、来るはずはない。真矢が不審に思ってドアの方へ向かうが、ドアは半開きになっていて誰もいなかった。

 まさか。

 真矢はすぐに周囲を見回した。

「ねぇ、いるんでしょ? 出て来てよ」

 宙に向かってそう呼びかけると、居間からあの少女たちがスゥっと姿を現した。

 真矢は、冷静になることに努めて、二人に話しかけた。

「やっと会えたわ、あなた達に……覚えてる、私のこと?」

 真矢の問いかけに、二人は動きを同じくして黙って頷いた。どうやら日本語が分かるらしい、真矢はそう解釈した。

「ねぇ、あなた達は何者? どこから来たの?」

 すると二人は上を見上げた。天井……違う、もっとその先、宇宙。

「違う星、から?」

「そう」

「うん」

 二人が初めて言葉を発したのを聞いて、真矢は驚きを隠せなかった。人間の子供相応の、まだあどけなさの残った音程の声だった。

「……何ていう星から?」

「インファント(せい)

「とても遠い、ここから」

「インファント星……聞いたことないけど、とにかくあなた達の故郷なのね?」

 二人は頷いた。

「ねぇ、あなた達はいつからあの場所にいたの?」

「ずっと昔」

「大昔」

「そう……何で、あなた達は地球に来たの?」

「調査」

「うん、調べるため」

「調査? 何を調べてたの?」

「ここが住めるかどうか」

「この星のこと、全部」

「そう……自分たちの星が、住めなくなったから?」

「違う、避難場所」

「星に住めなくなった時のための」

「なるほど……ねぇ、あの球体は何なの? あの大きなボールみたいなものは」

 すると二人は、それまで質問に正直に答えていた口を閉じた。何か重大な意味があるものだと察した真矢は、さらに続けた。

「何か、危険なもの? それとも儀式とかで使うものなの?」

「どっちも正解」

「うん、間違ってはいない」

「……何に、使うものなの?」

「使うんじゃない、眠ってるの」

「そう、あの中で」

「眠ってる? 何が、何が眠ってるの?」

「明日、災いが起きる」

「うん、起きる」

「命令しないと止められない」

「うん、止められない」

「は? あ、明日? どういうこと?」

「人の(ざわ)めき、太陽の光」

「それが目覚めさせるの」

 真矢は唖然とした。あの球体は、何か宗教的な意味合いを持つものだとばかり思っていた。それが、何かを収容しているものだと知って、さらに謎が深くなった。

「それは何? 何なの一体?」

「明日わかる」

「うん、明日」

 そう言い残すと、少女たちは体を透明にさせてしまった。

「あっ、待って! もっと話を聞かせて! ねぇ!」

 真矢の言葉は空しく居間に響いただけで、後方でドアが閉められる音がした。行ってしまった……だが、話すことは出来た。これは大きな一歩だった。

 そして、とてもつもない不安が、真矢を襲い始めた。明日、あの球体から何かが目覚めるという。一体何なのか、彼女たちは答えなかった。明日になれば分かると。明日は、万博の開催日だ。人の騒めきが、太陽の光がそれを目覚めさせるという。明日は招待客のみなので一般客の入場はないが、それでも多くの人が開会式に参加する。人の騒めきという条件はそろっている。あとは、太陽。明日は、雪は止むらしい。だが晴れるかどうかは、明日にならないと分からない。

「……一体、何が起こるっていうのよ」

 真矢は力なく座り込み、呆然として一点を見つめた。

 ラジオからは、万博のテーマソングである『世界の国からこんにちは』が流れ始めていた。

 窓の外を見ると、粒の大きい雪が、ヒラヒラと舞い落ちていた。

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