「そう、ですか」
賢者の宣言に対しアスリヤは少なからず落胆の念を抱いているようだった。超常的な存在ではなく、永雪域に留まっているという賢者が外で起きた出来事について知っている筈はない。アスリヤが期待していたような情報は出てこないだろう。
賭けは失敗に終わった。だが、アスリヤはまだ諦めていないようだった。
「──それでも、貴女が常人よりも博識であるのは確かな筈。どうか私達が今抱えている問題について相談させてくれませんか? 助言というより、共に考えていただきたいです」
「……まあ構わない。だがあまりにも長いようなら途中で切り上げる。勘違いしてほしくないが、私はお前達のような存在を歓迎しているわけじゃない。過去に助言したヤツらもさっさと帰らせる為にしたに過ぎないんだからな」
「そ、そうなのですか?」
「ああ。その度にもう来るなと言い添えた筈なんだが。意味はなかったようだな」
アスリヤが気まずそうに沈黙する中、俺は内心で納得していた。公的な記録があるとはいえ賢者自身の情報が少ない理由はこれであり、そこからアスリヤを賭けに出させた万能の助言者という偶像が生まれた、ということなのだろう。
「さあ、気が変わらない内に早くしろ。……私には、やるべきことがあるんだ」
☆
「……」
賢者は深く沈黙していた。アスリヤのこれまでの話を聞いてからずっとこうだ。
勇者の失踪、謎の魔物の出現、勇者一行の死。話したのは全てだった。
やがて、長い沈黙が開ける。俯き続ける賢者の表情は微かに口を歪ませているように見える。
「やはり、やはりだ。私は正しかった」
「賢者殿?」
「ん、ああ、すまない。アスリヤ、だったな」
「はい」
「感謝する。お前が齎した情報は、私にとって必要だったモノだ」
さっきのやり取りから一変して、賢者は感情を滲ませていた。そこにあるのは……歓びだった。
コイツは出会った時から一貫して俺達を面倒に思う感情を隠していなかった。どこか人間味が欠落したような、虚無が漂う煩わしさ。それが無くなり、その姿に相応しい子供のような笑みを浮かべている。
「あの、そう言われても意味が……」
「そうだな。では結論から言おう。今代の勇者、そのサフィとやらは狂ったんだ」
「……え?」
アスリヤは完全に面食らっていた。その反応を前にして、さして気にするわけでもなく賢者は話を続ける。
「勇者にはその証として二つの特別なギフトが追加で授けられる。お前達もそれくらいは知ってるだろう? 【浄化】と【交信】だ。その内、前者は魔王を完全に倒しきる為のモノだが、ここで重要なのは後者の方だ。【交信】……
「……待ってください」
「これまでの勇者はそれを
「待ってください」
「だが【交信】の果てに返ってくるのは、とても曖昧で抽象的な
静止を求める声にも応じず、せき止めていた流れが溢れ出るかのように、賢者の回答は続く。
「では、なぜ? その答えはシンプルだ。
アスリヤは諦めたのか制止を止めた。俺は口を挟まずに静かに話を咀嚼する。そして、賢者が示した回答は。
「【交信】が人間の思考や人格に影響を及ぼすとすれば、ある一つの可能性が生まれる。
「……つまり貴女は」
「ああ。その勇者は【交信】の影響で狂い、姿を消した。周りで死んでいたという兵士はそれに巻き込まれたのだろう。謎の魔物と殺された勇者一行については微妙だが、関係していてもおかしくない」
「有り得ません……! 勇者様はずっと、魔王討伐に意欲的でした! 様子がおかしかった時なんて一度も無い! 仮にそんな不具合が存在するとしても、勇者様にそれが起こる筈が……」
「その意欲が、最初から【交信】によって誘導されたモノだとしたら?」
「……」
「元は魔王討伐に消極的であり、お前に見せていた姿はギフトによって無理に誘導された姿。お前はそれを否定できるのか? 他人が腹の内で実際には何を考えているかなんて分かりようはない。様子がおかしい時は無かったというのも、姿を消した時が初めて不具合が外に露見する形で生じたタイミングだったと考えればいい。外には見せないだけで、内心では本来の思考と相反する誘導に苦しんでいたかもしれん」
「……! 貴方の語る可能性はただ否定はできないだけで、それが真であるという証拠はどこにもない! 大体、【交信】にそんな作用があるなんて話は聞いたことがありません! それを貴方は、
そこで言い淀み、何かに気づいたようなアスリヤの表情を見て、俺も遅れてその可能性に行き着く。コイツは恐らく何百年に渡って生き続けている人間。なら、有り得ると。
そして、そんな俺達を賢者は変わらない調子で肯定する。
「まるでじゃない。……私は、元勇者だ」