「時間を、巻き戻す……」
勇者が語った自らの目的、その最終地点。それは聞けば誰もが耳を疑うような荒唐無稽な話だった。
しかし、今この場で聞いていた賢者にとっては覚えがある話だった。
『世界の姿は一変するだろう。水車の例で言えば、水の流れに対して
自らが示した可能性。勇者の答えはそれと符号していた。
「説明が難しいんだけど……神と魔王っていうのは対立している法則そのものなんだよ。今は神が優勢でこの世界に強く根付いてる。だから私達にとっての当たり前が当たり前のままでいられる。でも、それが魔王に傾けば」
「当たり前が当たり前ではなくなる……だから、ギフト持ちを殺すのか」
「……へえ、そこまで知ってるんだ」
勇者は明確に驚きの感情を示していた。自らを欠片ほどでも理解してくれる者など居ないと断じていたが故に。
「ギフト持ちの数を減らして、魔物の数を増やす。そうすれば二つの法則の均衡が取れるようになって、どちらともが世界に影響を及ぼせるような曖昧な状態になる。そうなってしまえば──【交信】で二つともに干渉しやすくなる」
「そんな事が」
「出来るよ。神も魔王も、本質的には同じようなモノだからね。神はもちろん、魔王にも死体を通じて干渉出来ることは確認済み。……
数秒間目を閉じた後、勇者は屋根に転がっていた小さな瓦礫を手に取り、離す。しかし瓦礫は真下へと落下せず、吸い込まれるように空へと昇っていった。
「魔王の方に干渉して、少しだけあっちの法則を適用してみたんだ。今の段階でもこれくらいなら出来るんだよ」
「……」
「これと同じ事をやって、私がまだギフトを授かる前の時点まで時間を巻き戻す。その際、また私がギフトを持ったり勇者になったりしないよう、神の方にも干渉して手を加える。そうすれば、世界は正しい形に戻る」
あまりにも壮大で、恐らく可能なのであろう手段。それに比べて理解も共感も及ばない目的。
勇者になんてなりたくなかった。その思いには賢者にも覚えがある。しかし、カイくんと呼ぶ人物を勇者にする為だけに、最早人間の域すら超えているであろう手段を用いる精神性。
狂っている。反射的に賢者はそう思った。しかしそれは、当初賢者が期待していたような意味ではない。
根本からズレている。何かを契機に思考が真逆へと変化した訳でも、感情に身を任せ支離滅裂な行動を取るようになった訳でもない。
合理的に、計画的に、自らが取れる手段を利用して、目的を達成する。
兵士を殺したのも、勇者一行を殺したのも、魔物の増加を煽ったのも、ギフト持ちを一堂に集め虐殺を始めたのも、全ては一つの目的の為。
普通の人間であればある筈の躊躇いや忌避感が無いだけで、そこには一貫した理性がある。
「そう、か」
賢者はその結論に、至ってしまった。
「……一応ね、私自身が魔王になってやろうかなって考えた事もあるんだよ。魔王を倒した後、今と同じような事をして魔王を名乗る。そうすればきっとカイくんは
沈黙。それに構わず、サフィは言葉を止めなかった。
「でもそれじゃダメだ。神から授けられた勇者って役割を背負って、本物の魔王を倒す。そうじゃないと誰からも認められるような、文句の付けようのない勇者とは言えない。カイくん自身が望んでいた勇者とも違う。それに私は、出来ればカイくんと過ごせた筈の人生をやり直したい」
これが私の目的。だから狂ってるって言われても困るよ。勇者はそう語るが、最早対話は成立していなかった。
「ああでも、【交信】にあなたが言うような作用があるのは否定してないよ。ただ、人一人の思考とか性格を歪める程の作用は無いんじゃないかなあ。出来るのはあくまで誘導程度で、それなりの意志力があれば影響はほとんど無いと思うよ?」
それは、無自覚にも賢者を決定的に追い詰める発言だった。
仮に【交信】の影響で婚約者を見捨てたのであれば、賢者自身の婚約者を想う意思力が足りなかった事になり、影響が無かったとすれば賢者自身の意志で婚約者を見捨てた事になる。
どちらにせよ、賢者自身の責任を問われる。勇者が示したのは、そういう事だった。
「違う……そんな訳はない……私が、彼を見捨てる筈が……」
賢者は地面に膝と手を突き、地面を見つめ呟き始める。その目には先程まであった執念による力強さは無く、昏い空洞のような色がただただ広がっていた。
「……もう話したい事は無さそうだね。私も結構休憩出来たし、もう良いかな」
既に賢者に対話の意思は無い。そう判断した勇者は掌を向けた。これまで多くの命を奪ってきた光弾が生成され、標的を定める。
賢者がそれに対し何か行動を起こす事は無かった。既に、生きる意志は失われていた。
光弾が炸裂し、賢者を中心に破壊音と土埃が立つ。視界が晴れた時、そこにあったのは賢者の死体──では無く。
「……ああ、来ちゃったんだ」
「説明して下さい、勇者様……! この惨状は! 一体何なのですかっ!!」
不可視の障壁と共に割り込んだ最後の勇者一行が、困惑と共に吠える姿だった。