一 氷雪姫と白き鷹
前章 戦
掲げられた蛇の紋章と共に、魔王の軍勢が玲瓏に攻め入る。
攻め入る軍勢は、鱗を纏った兵士であった。
玲瓏の兵は氷雪の魔道を操る。叡の国最北部の雪深い土地で修練を行う彼等は、故郷を取り囲む氷雪を己が加護として用いる。
玲瓏の軍勢と対峙する者は、氷雪魔道への対抗策を持たねば何も出来ず死ぬ。
凍てつく空気は体温を奪い血を凍らせる。皮膚からは血の気が失せ、次第に全身が凍り付き死に至る。冷気により火薬も使えぬ戦場の中。投石と弓矢が降り注ぎ、兵共が互いの得物で切り結ぶ原始的な合戦がそこにあった。
己が所領の喉元まで攻め込まれた玲瓏の兵。結界の魔道を以て己ごと冷気を閉じ込め、蛇の軍勢と対峙する。
魔王軍は蛇の鱗をその皮膚に纏い、氷雪に対抗していた。
鱗を纏い己が体温を守り、鱗が傷つけば脱皮し新たに生やす。彼等は魔王を尊び、蛇の加護を己が力として用いていた。
氷雪を纏いし玲瓏の軍勢と、蛇の力を得た魔王の軍勢が──白銀の雪景色の中衝突する。
「──らぁぁぁぁぁあああああ!」
凍り付く大地の上。灼熱のような男が天に向け咆哮を挙げる。
己が巨躯よりも更に一回り大きな肉斬り包丁を携えた男。巨躯に携えた筋肉の上に赤黒い脂肪を纏い、その上更に蛇の鱗を纏っている。
鬼気。
今にも眼窩から飛び出そうなほどに見開かれた眼。弛んだ頬を吊り上げ犬歯を剥き出しに唸りを上げる口元。それはまさしく──人ではなく、鬼であった。
一たび肉斬り包丁が振るわれれば、暴風が吹き荒れる。暴風は吹き荒れる雪すらも巻き上げ、斬撃の渦を生み出していく。
「この鬼を凍り付かせられるとでも思うたか! 雑兵をいくら送りつけようと、食らうのみよ! ──玲瓏の兵、恐るるに足らず! 前進せよ! 魔王の名を、蛇の名を掲げよ!」
男は羽織を脱ぎ半裸となりて、氷雪の中暴れ回っている。
その周囲には──上体が斬り裂かれた玲瓏の兵の亡骸が雪の中沈みきっている。
鬼気を纏いし男の暴が、嵐となりて雪原を巻き上げていた。
鬼の勢いに乗じ。鬨の声を上げ、鱗を纏いし魔王の軍勢が前に出ていく。
鬼気を纏いし巨漢の将の圧力に、玲瓏の兵が押されていく。それを好機と捉えた将は、己が軍勢を更に前へと突き出したのであった。
しかし。
前へ進みし軍勢は、──己の肉体が内側から凍り付くのを感じた。
「が.....あぁぁあ.....」
皮膚から付き刺すような寒さではない。己が臓腑の底から始まり、そこから神経を巡り血液へ回り──己の内側から冷えていく。
鱗を纏いて氷雪へ対抗していた魔王の軍勢は。それすらも突き抜ける不可避の魔道を前にして、物言わぬ肉塊へと変貌していく。
彼等を見据える少女が一人。
薄衣を纏いし可憐な少女。ただ彼女は、見ていた。凍り付いたような表情で、ただただ。紋章を刻むことも、魔道書も用いることも、詠唱をすることもなく。ただ、見ていた。
瞳孔が開いたその奥。刻まれた魔道がその眼より放たれる。少女は瞳術の使い手であった。
瞳から流る魔が、眼下の者共の命を凍り付かせる。
鬨の声と共に、冷気を突き進みし軍勢は――途端にその足が止まる。
少女の術を前に瞬時に凍り付き、前進が止まった軍勢の中。
躍り出る影がもう一つ。
「――さあ蛇共。その薄汚ぇ鱗、引っぺがされる覚悟はいいか!」
凍り付いた屍を踏みつけ、──鉄杖を握り込む男が、蛇の軍勢へ単身切り込む。
「全員――命ごと、その骨を磨り潰してやるよ」
狂気。
蛇の軍勢に取り囲まれ、四方から斬り込まれる鉄杖の男は──踊るように戦っていた。
己が体幹ごと鉄杖を回転させ、己に振り降ろされる得物全てを叩き落し、代償の一撃を見舞う。
その鉄杖の一撃は、軍勢が纏う鱗を時に打ち砕き。時に打ち砕く事すらなく、その内部の骨と臓腑を破壊していく。
足先から飛び、跳ねる。
跳ねる体幹が回る度。その手に握り込まれた鉄杖の軌跡は、正確無比に蛇の肉体を打ち付け、砕く。
敵兵が壊れ行く姿を一瞥するごと。──鉄杖の男は、その口元に狂気の笑みをより深く刻み付けていく。己が身すらも蝕む諸刃の氷雪の冷たさも。殺戮の血の匂いも。何より――己が両腕から伝わる骨を破砕する感覚すらも、あまりにも心地よかった。
魔王軍の肉斬り包丁の男とは対照的。精悍な顔つきに、短く刈り上げた髪型のその男は。中肉中背の筋肉質な肉体と、その肩口程度の長さの杖を以て──蛇の軍勢を屠っていく。
「──入鹿来禅! よくぞ来た! 貴様と斬り合うが為、ここまで来たのだ!」
配下が次々と死に行く様を──肉斬り包丁もまた、笑みと共に受け入れた。
さながら昂奮した猛牛の如く、蛇の将は肉斬り包丁を振り降ろしながら鉄杖の将へ突進する。
「活きの良い豚が来たの。よいよい、相手をしてやろう」
鉄杖の男もその意気に応じ。くるり体幹を回し。左足を起点に踏み込み、飛び込んでいく。
暴風の如き肉斬り包丁と空気を裂くような鉄杖の突きが互いに交差し──鋭い金属音が寒空の下響く。
互いの肉体と得物が交差し、両者が互いに背中を向け合う最中。
「....おぉぉぉぉぉぉぉぉおおお‼」
その身に致命の一撃を受けたるは──肉斬り包丁の男であった。
心臓部の鱗は剥がれ落ちるように砕かれ。そこから捩じり込まれたような穿孔が──心臓ごと身体を貫いていた。
鉄杖の男もまた。左肩から胸部にかけ斬撃を受け、一瞬だけ血飛沫が舞う。
互いの得物は、確かにその切っ先を相手に届かせた。
しかし。――鉄杖の将は、心臓へ放たれた斬撃の軌道を一瞬の間に変える事に成功し、深手を負ったものの致命傷は避けられた。
膝をつき、得物を落としたのは──蛇の将であった。
降り注ぐ氷雪の最中。致命の一撃に倒れ伏さんとする蛇の将の身体は白色に染まっていく。――雌雄は決したと、そう鉄杖の将は思った。
されど。
心臓が潰されども――未だその目に闘志の炎は消えず。
「まだ....まだ終わりではないぞ、入鹿来禅!」
男は潰れた胸を己が左手にて抑えると、吠える。
瞬間。男の頭上に、一つの紋章が浮かび上がる。それは一匹の大蛇の紋章。
牙を剥いたその紋章は、刻み込まれた空間の上を蠢く。
──大蛇の牙が、己が尾を噛む。
浮かび上がった紋章がそう変化すると共に。男の肉体の周辺空間がひび割れ、砕ける。
砕けた空間の中。変わらぬ景色がある。寒空の下に膝をつく、巨躯の男。
されど──その心臓に刻み込まれた穿孔は、その姿を消していた。
蛇の将は、笑う。
時を戻した己が肉体にて――再度、得物を握り込みながら。
「不死。回生。回帰。──魔王様が生み出した蛇の紋章を極めし者は、死の運命すらも覆す.....! まだまだ、俺は終わらぬ!蛇は、死なぬ!」
「成程の。便利な紋章だ。──とはいえ。死をも覆す秘奥だ。これほどの魔道、単独で二度は使えぬだろう? ならばもう一度殺してしまえば終わりだ....!」
「ふ。侮るな。この藍坂牛太郎──二度も不覚は取らぬわァ!」
紋章により覆された死を前にしても、鉄杖の男の笑みは崩れない。
むしろ──想定外を前にして更に狂気が増していく。
そうだ。これが、これこそが戦場だ。慮外を前にしてこそ、武士の血は滾り燃える。
一度殺したにもかかわらず。こちらは深手を負い、あちらは仕切り直し。
不利を背負った形であるが。──それでも負けるつもりはない。
互いが再度得物を構え、決着をつけんと視線を交わした瞬間。
蛇の将の背後にある何かを──対峙する鉄杖の男だけが見咎めていた。
それは、空を飛ぶ鷹であった。
雪に溶け込むような、白色の羽毛で覆われたそれは──鳴き声一つ上げず、空を飛び、旋回する。
氷雪の魔道により、極限の冷気に囲まれた環境下。間違いなく野生の生物は避けるであろう戦場を、その鷹は飛んでいた。
再度。互いに動き出した瞬間。白い鷹は蛇の将の背後へと降り落ちる。
敵将を討ち取らんと駆けだした蛇の将の背後より飛び込んだその鷹は。──将の両目に、その爪を突き立てた。
「ぐおあかあああああああああああああぁぁぁぁぁ!」
完全に意識の外。上空からの来襲に、蛇の将は混迷に叩き込まれる。
爪は、あからさまな意思を持ってその両目抉っていた。どれだけ暴れ狂おうとも、その爪を放さじと。より深く、より鋭く。執念が滲み出た一撃。ぎちぎちと眼窩の奥底から、肉が抉れる音が響き、激痛が運び込まれる。
将は──混迷の最中。その正体を思い知る。
「貴様....寵童風情が、調子に乗りおってぇぇぇぇぇぇぇええええ‼」
敵の両目を潰された好機を前に、鉄杖の男は前進する。
そして──踏み込んだ足を地面に捩じり込み。腰回転と共に突きこむ一撃。
捩じりと共に放たれたそれは。鱗に覆われた顔面に止まる。
過不足なし。突きこまれた一撃はぴたり、とこめかみに接地する。
瞬間。炸薬が弾けるように頭蓋が砕け、抉られた両目から更なる血涙が吹き荒れる。
「がああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
絶命の一撃に、末魔の叫び。──今度こそ、蛇の将はその身を雪原に落とし、その命を散らした。
その口元からは血泡が吹き荒れ、割れた頭蓋から脳漿が漏れ出る。
それら全て──氷雪の風に巻かれ、凍り付き。雪に埋もれ消えていった。
その様を見届けた瞬間。──白い羽毛を纏った鷹もまた、雪に倒れ込んだ。
倒れ込むと共に。淡い光が鷹を包み込みその姿を変えた。
現れたのは、腰までかかる長い白髪を持った一人の少年であった。
恐らく後天的に髪色が変わったのだろう。髪には所々斑点のように黒色が混じっている。少年は藍色の衣一枚を着込み、下履きを着ていなかった。
一瞬少女かと見紛うほどに美しい顔立ちをしたその身体には──殴打の痕であろうか。所々赤や紫が混じっている。
少年は力尽きたように地面へ倒れ込み、気を失っていた。
「.....」
鉄杖の男は、無言のままその姿を見つめ。倒れ込んだ少年を拾い、担ぐ。
「やるな」
あらゆる生命を絶命に追いやる冷気をものともせず、鷹となりこの戦場に降り立った少年に。男は確かな賞賛の言葉をかけた。先程まで身に纏わせていた狂気は、この瞬間だけ霧散していた。
男は天に向け喉奥を絞り込む。
「──敵将、藍坂牛太郎討ち取ったり! もう敵将はいない! このまま残党を狩り尽くせェ‼」
──叡の国最北部、玲瓏。
氷雪を尊び、冷気により所領を守護せしこの地は。遂に魔王が滅びるその日まで生き延びた。
凍り付く大地と氷雪を操る兵共を、ついぞ魔王は滅ぼす事叶わず。彼等は──新しい時代に、生きる権利を得た。
これは、ただその後の話。
一章 入鹿家の諸々の事情
「──どうですか白鷹? 八柳は似合っておりましょうか?」
季節は春を迎えようとしていた。
叡の国、最北部の玲瓏の地にとっての春というのはまさしく始まりの季節。一年の半分を占める長い長い冬の間。雪に埋もれた山々から雪解け水が流れ始め冬眠から覚めた獣たちの声が聞こえはじめる頃、豊戦祭が始まる。玲瓏にとって、春は長い冬を耐えた北方に息づく民への神仏からの恵みであるという。春を迎えられた喜びと天上への感謝の念を伝えるべく祭を執り行う。顎砲山の最奥の澄んだ雪解け水と、戦士たちの戦いを神仏に捧げる。
戦により長らく行われることなかった祭がようやく再開される運びとなり、入鹿の家の者は皆その準備に追われていた。
眼前に、その祭を取り仕切り、神仏への奉納に務める巫女役の少女の姿があった。
「....八柳。これは何だ.....?」
「学院の制服、との事です」
衣装の感想を聞かせてほしい──そう請われ向かった先には、見慣れた人物の見慣れない姿があった。
白色の肌着の上に、肩口から膝丈の長さまで一続きになった黒の女袴。その上に縦に伸びた襟詰を胸元に流し、頭上には見慣れぬ形の帽子を被っている。
所謂、制服というものらしい。大陸中央部にある連合国の女学生は、このような制服を着込むことが一般的だという。
少女は、少年の前でその姿を披露していた。
「異国の学院ではこのような装いをして通学する事を義務付けられているようですね。──ところで白鷹。この服装は似合っているでしょうか?」
入鹿八柳は冷たさを纏った少女であった。
絹糸のように真っすぐに伸びた黒髪の下。ただ冷たい美しさが映し出されただけの表情があった。
整った目鼻立ち。しなやかに伸ばされた背筋。そして動かない表情。──本当に、精巧で美しい人形が動き回っているような印象を受ける。
八柳は少しだけ身を屈め、下から覗き込みながら、問いを続ける。
少年は、何と答えるべきか言葉に窮し。何とか脳内で作った文言通りの言葉を作っていた。
「まあ.....似合っているんじゃないかね....?」
「....そうですか」
少年の曖昧な返事にも、変わらぬままそう少女も返す。
表情も声の調子も変わらない少女の心中を察するに辺り、考慮せねばならないのは声を発する前後の間と振舞いである。言葉には何か考え込むような間があり、覗き込んでいた視線の先は己の足下へと変わっていた。
様子を見る限り──あまり返答がお気に召さなかったのだろう。
その心境を汲み取り。ううむ、と少年は呻き。今度は言い訳の文言を並べる事に終始する事に決めた。
「....似合っているか、似合っていないかは俺には解らなんだ....。服装の知識なんざ俺には無いし、そもそもその服だって外国のものだしな....」
何とも大概な言い訳ではあるが。少年の言葉に、少女は納得したように一つ頷いた。
「.....成程。理解できました。然らば八柳の聞き方に問題がありましたね。では、質問を変えます。──白鷹から見て、八柳の姿は可憐に見えるでしょうか?」
「.....」
質問するという行為には、問いに対する答えを聞き出さんとする動機や背景があるべきである。答えを返すのは簡単であるが、その背後にある因果が少年にはさっぱり解らなかった。
そのくせ素直な答えを返すにはあまりにもこちら側の負担がかかる。あまりに不公平であると少年は感じていた。あちらは無表情をもって自身を隠せるというのに、こちらにはそういった防御法が存在しないのだ。
単純に――どうしても照れてしまう。そして、その照れを隠す手段を、この少女を前にしてどうしても隠せない己がここにいる。
「...ああ。その、そう思う....。」
少年──白鷹は、気恥ずかしさから目を逸らし、捨て台詞を吐くようにそう呟いた。
「ありがとうございます」
その様子を見ると。八柳はまた表情を変えずただそう呟いた。
されど。今度は言葉を発するまでに然程の間もなく、視線を逸らした白鷹の様をジッと見ていた。どうやら満足して頂けたようだ。
〇
入鹿家は叡の国、玲瓏の地にて武門・魔道の指南役を行う一族である。
叡の国最北端の地である玲瓏は、背後の顎砲山を挟み北方連邦と国境線が敷かれ、古くから北方の民の侵略に見舞われてきた。冬の長さゆえ土地が貧しく、更に常ならぬ侵略の危機に晒されている玲瓏には──特に冬の山岳で戦える屈強な兵が求められた。
入鹿家は、玲瓏での戦いに適した兵に訓練する為に作られた家であった。玲瓏において生命線となる兵員の教育を任されているとあり、その訓練は身の毛もよだつ程の過酷さであるともっぱらの評判である。
その侵略相手が、隣国から魔王軍に変わって尚。玲瓏の兵は屈強であり続けた。
魔王が叡の皇帝を弑逆し、ほとんどの所領が滅ぼされる中。──玲瓏は生き延びた。
だが──。
「この先。入鹿はどうなるんだろうな」
「家の取り潰しはされないようですが、指南役の看板は降ろす事になりそうですね。──叡の新政府が樹立すると共に、倉峰様の玲瓏の支配権は無くなりますから。我々入鹿家は、これまでとは異なる役割を担う事になるようですね」
「もう。領主も武士もなくなる世の中が来るんだな。──想像できねーや」
魔王との戦いが終わった後のこと。皇帝が滅び統治者を失った叡は、大陸中央部を支配する大国家、連合国の支援・指南の下新政府が樹立される運びとなった。
中央政府を中心とした新たな国家体制の中。真っ先に取り掛かられたのが、これまで叡の支配体制を担ってきた領主制の撤廃であった。
領主の倉峰家は玲瓏の支配権を新政府が樹立するという一年後に返上する事を約束し。他の生き残りの領主も同様の約束をしたという。
今までの叡という国の在り方が、残り一年で全て変わっていく。
今まで当然のようにあったものが消え去っていく。途方もない程の変化がこの先に存在している。その実感は、どうしてもまだ生まれてこない。
「八柳もです。何一つ想像が出来ません」
「へぇ。お前もなんだな.....」
「この国に住まう誰もがそうだと思います。これから新政府を担っていく人々すらも想像には及んではいないのでは? この国は何百年も変わらないままでした。何がどうなるのか想像ができません」
だから、と。少女は言葉を繋げる。
「だから。八柳は一旦、入鹿の家の外に出てみようと思うのです」
見慣れた少女の、見慣れぬ恰好。
これもまた、一つの変化か。
慣れ親しんだ着物を脱ぎ、異国の衣服を身に着けたその姿に──白鷹は、少しだけ目を細めた。
「想像が出来ない代物を理解の範疇内に収めていく過程こそが成長であり。その帰結が大人になる事だと思うのです。──八柳は八柳なりの方法で、この先の変化の中で生きていこうと思っております。その最初の一歩として、八柳は雲仙に新たに設立される、女学院に入学します」
そう。
八柳は春より──生まれの地である玲瓏を出て、雲仙の地へ向かい。新たに設立された学院に入学する。
これもまた連合国の支援の一環。新たな時代を迎える叡の国を支える人材を育成するべく作られた教育機関の一つ。
これまで女性の社会進出というものが極めて少なかった叡の価値観を変えるべく、はじめて”女性限定”の学院が設立される。
その学院に入学する事を八柳は決断したのだ。
「さて。白鷹。ここに貴方を呼び出したのは、なにも制服を見せるためだけではございません」
「.....他に何かあるのか」
「お願いがございます」
「何だ?」
「.....八柳は武家の者。当然武道も魔道も心得はございますが。それでも未だ若輩の身である私が異郷の地に単身向かうというのは体裁も悪い事でしょう。付き人が必要となります。ですので.....」
八柳は、その後の言葉を紡ぐのに少々の間が必要となった。
表情は変わらないものの──言い切るのに覚悟を必要としているように見えた。
「よろしければ。八柳と共に来て頂けませんか?」
〇
屍の国。
それが──大陸最東の僻地にあった叡の国の、他国からの異名であった。
いつでもどこでも夥しい程の死者が生まれる。興味本位で入ってきた旅人も、一度足を踏み入れ戻ってくることは稀であり。奇跡的に戻ってきた者も口を揃えて「二度と行かない」と声を震わす。
叡の歴史とは魔道と、魔道を用いた戦の歴史である。
元より叡は領主間で繰り返し内乱が行われていた国であった。貴族同士が争っていた時代から。貴族と魔道を修めし僧侶が争う時代へ変遷し。貴族が僧侶によって一掃された後、次は僧侶と別系統の魔道を修めし武士同士が争う時代へ。そうして僧侶が排除された後も、次は武士同士が争う時代へ。叡には、内乱が行われていなかった時代というものは四百年近く無かったと言われている。
戦乱を繰り返してきたお国柄。戦争用の魔道は競うように開発され、叡は軍事力という一点だけは他の大陸諸国に引けを取る事はなかったという。まさしく正しく蛮族の国。その上特筆するほどの資源も産業もない国故に、他国からの干渉を受ける事もなく──ただひたすらに叡の内側で戦が繰り返されてきた。
しかし。そうして繰り返されてきた戦乱も混沌も。ただ一つの猛火を纏った厄災により──全てが灰燼と化した。
それが、魔王。
戦というものは、互いの力が拮抗しているが故に生まれる。一方的な殺しではなく。互いが刃を向け抵抗の余地が生まれる殺し合いというものが出来る。ある時まで、叡は殺し合いの歴史を紡いでいた。
魔王、安雲華継が皇帝を弑逆したその日までは。
己を魔道の王と称した安雲華継は、己が率いし郎党と共に各地で暴れ回った。
草木を大火が飲み込むように魔王の軍勢は叡を破壊し尽くし。その軍勢は叡の外にまで流れ出していった。
その軍勢の中には、魔王の力を前に屈服した領主の兵もいた。恭順を拒否し焼き尽くされた国もいた。
森の最中。互いに噛みつき合う獣。互いの生存の為喰って喰われを繰り返し、血を流し続けてきた大地。
しかし。森全てを覆い尽くす炎が、獣も木々も大地も焼き払った。その炎こそが、魔王であった。
叡の外に流出し。幾つかの小国家を滅ぼし悪辣の限りを尽くした果て。魔王は大陸にて魔道の管理・啓蒙を司る”霊媒機構”と、大陸最大の軍事力を持つ連合国により滅ぼされた。
──まあ、地獄のような状況ではあったが。今は、何とかそこから生き延びた後の話だ。
「では白鷹。そろそろ祭の準備のお時間でしょう。いってらっしゃいませ」
「....ああ。行って来る」
八柳は「結論を急がなくとも大丈夫です。よくお考え下さい」とだけ白鷹に言い、後はただ雑談を行っていた。
学園とはどのようなものか。学園がある雲仙は、どのような場所か。制服の生地や着心地について。淡々としているが、淀みなく。言葉が尽きないと言った風情で。
彼女は──今、間違いなく楽しいのだろう。
この先の事を考える事が。戦が終わり、今までの体制全てが変わりゆくこの時代を生きていくことが。一つ一つの変化を汲み取り、その実感を得ていくであろう未来の事が。きっと、楽しくて仕方がないのだ。
──自分はどうなのだろう。
そんな思考に陥るたびに。何となく、白鷹は自身の顔面の左半分に触れてしまう。
そこには、ざらついた感覚だけが残されている。
焼け爛れ、煤のような黒色交じりの赤に変色した己が顔面の左側。
何となしに、そこに手をやってしまう。
白鷹は。目立つ容姿の少年であった。
腰までかかる程長い白髪を持つ背丈の低い少年で──そして、顔面の半分ほどが焼け爛れていた。
顔面の作りそのものは美形と言っても過言ではなかろうが。黒炭に浮かぶ溶岩のようなそれが非常に強烈な印象を与える。爛れた皮膚の上には鉄が押し付けられたような赤色も含まれており、焼き鏝にでも押し付けられたかの如き風情だ。
白鷹は叡の南東にある森に切り開かれた、小さな村の生まれであった。己が身を鳥に変化させる魔道を細々と伝えてきた、辺境の地の民族。その民族が住まう村は長く続く戦から逃れるべく、森の中逃げ込んだ先。結界を張り、人目を憚り、長らくひっそり続いてきたが──魔王軍が近くの所領を攻め込んだ際に結界が見つかり滅ぼされた。そして、村で唯一の子どもであった白鷹は、攻め込んできた将に気に入られ、寵童として召し抱えられる事となった。
寵童とは名ばかりの。要は魔王の軍勢の愛玩用の奴隷である。
己が肉親も友も故郷も奪われた先にあったのは、死すらも生温い。己が尊厳すらも奪われ続けるだけの日々。
己が全てを奪った者共の奴隷として過ごす。屈辱に表情を歪ませ、己が無力に絶望をくべ、ただ摩耗するだけの日々の中――ある日の戦場にて入鹿の将に拾われ、その一員となった。
それから。死をも厭わぬ鍛錬を積み重ねた。氷雪に耐えうる肉体を作り、如何なる状況であろうと身体を動かせるよう叩き込まれた。体術を仕込まれ、基礎となる魔道を覚え込み、その果てに──師より自身の新たな名である”白鷹”を受けた。奴隷から、忍へ。この命が尽きるまで、魔王を滅ぼす為使うべく。
死をも厭わぬが故。白鷹はその鍛錬を超えた。
己が尊厳を奪い尽くした者共を、一人でも多く地獄へ引きずり込む。ただそれだけの為に。
しかし──魔王は己の手の外で滅び去った。魔王は叡の外に出て、叡の外にて滅ぼされ死んだ。彼の目に見えていた未来は、その道を閉ざした。閉ざされた道しか知らぬ彼は、別の道というものを知らなかった。
そして。同じ状況に立たされた入鹿八柳は、己が進むべき道を見定めた。魔王が滅びた新たな時を受け入れ、立ち止まる事も無く。
道が途絶え、途方に暮れているだけの自身との差異が、どうしても見えてしまう。
自分は――今、何も見えていない。
彼女の要望を聞き入れるのは簡単だろう。付き人となるのは別に構わない。それは恐らく誰かがやらねばならない事で。ならば信頼できて、気の合う人間に任せたいだろう。八柳に信頼されている事自体はとても嬉しく思う。
だから、構わない。構わないのだが。
──そうしてただ請われるままに流れていくのは、ひたすらに八柳に対して申し訳なく思えてしまう心もまた白鷹には存在していて。
「.....」
ぼんやりとした考えを浮かべながら、白鷹は八柳の部屋から出ていき。屋敷の入口へと向かっていく。
まずは──祭の準備を終えてからだ。