闇の先
大攻勢から二ヶ月が経った頃だった。
隣国、ギアーデ
その時のアスカ達は西側での防衛戦闘を任せられていたから、当時その戦線がどういう状況にあったのかは分からない。ただ、後から聞いた話によると、
そして。それを撃破したのは、約一年前に特別偵察任務でこの国を去ったスピアヘッド戦隊の生き残りだった。彼らの共和国での
それから、共和国軍は救援に駆けつけてくれたギアーデ連邦軍と共に北部への反攻を開始。第一地区までの領土を奪還し、そこで戦線はいったん膠着した。
戦闘が一段落したのち、ギアーデ連邦は共和国に対してあらゆる調査を開始した。〈レギオン〉戦争が始まってからの
最初こそ共和国に同情を寄せていた連邦軍人達も、その
同時に。アスカ達エイティシックスに対しては、最大限の支援が講じられた。そして、その一環として。アスカはギアーデ連邦のある一家――ゼラニウム家の養子として迎え入れられることになった。
アスカの瞳の色を見て、最初こそ憐憫の感情を向けられてどうしようかと思ったが、結局それが最後だった。
全ての調査が終わった時、ギアーデ連邦の共和国に対する感情は最悪の一言に尽きた。
それでも、最低限の支援だけは続けると、ギアーデ連邦の暫定大統領エルンスト・ツィマーマンは公式会見で明言した。
これで、少なくともイリヤの弟――ヴァルラが餓死する事はないのだと思って、安心した。
それから数週間後、ゼラニウム家のもとに一通の通知書が届いた。ギアーデ連邦軍からの、教育通達書と軍人志願書だった。
前者は強制だったが、後者は志願制のものだった。
しかし、アスカは迷わず軍に志願した。新しい家族には止められたが、聞かなかった。
希望配属先には、“サンマグノリア共和国”と書き記した。これについては、ゼラニウム家の皆は流石に言葉も出ないようだった。
そして。その着任式が始まる、少し前。
アスカは、
†
冬の終わりを告げる暖かい風が頬を撫でていく。澄み渡る
エイティシックスの生き残りの一部が共に資金を出して建設した、小さな石碑だ。西部戦線で散っていった
白い
あの後、アスカは無事に仲間達と合流すると、ヴラディレーナ・ミリーゼ大尉の指揮下へと入った。収容所に残る同胞のためにあえて踏みとどまった者や、独自に拠点を築いて抵抗した者など。様々な人がそれぞれの意志の元に戦い、そしてその殆どが散っていった。
幸運にも、ミリーゼ大尉の下にはエイティシックスの大多数が参集したから、強固な防衛線を築くことができて。生産プラントも確保していたお陰で、最低限の食糧供給だけは続けられた。
けれど。そんな極限の状況にあってもなお、
あともう少し長引いていたら、内部崩壊していたのかもしれないなとアスカは思う。それ程に、
――これから、きみたちは自分の手で未来を紡いでいけるんだよ。
建国祭の日。闇と炎の世界の中で、イリヤが最期の
「あんたの言う通り、おれ達はもう自由の身だ」
目を開けて、アスカは緩く笑う。
ギアーデ連邦の救援によって、全てのエイティシックスは迫害から解放された。こんな世界だから多少の制限はあるだろうが……それでも、自分の手で未来を紡いでいけるようになったのだ。
もし、
こんな世界は見られなかった。差別も迫害も何もない、暖かい世界は。
「ありがとな」
そう、呟いて。アスカは石碑に背を向けた。
ヴァルラが慰霊碑に着くと、そこには一人の少年が石碑の前に立っていた。
ヴァルラと同じ共和国軍の軍服に、けれども
「あ、あの!」
ヴァルラは思わず声をかけていた。
彼がこちらに気付いて目を向けてくるのに、心臓の鼓動がより一段と大きくなる。緊張で上擦った声で、ヴァルラはそれを問うた。
「君、……って、西部戦線で戦ってた……んですか?」
彼は暫し沈黙して。に、と含みのある笑みを浮かべる。
「……ああ。そうだよ。俺は四年、ここで戦ってた」
やっぱりか、とヴァルラは胸中で呟く。彼の家族も友達も、そして仲間も。何もかもはここで――いや、あのグラン・ミュールの外で散っていった。守られるべき人々だったはずなのに。
短く深呼吸をして、緊張に高鳴る心を何とか落ち着かせる。胸に右手を押し当てて、ヴァルラは頭を下げた。
「すみませんでした」
「……は?」
呆気にとられた声が聞こえてくる。当然だ。
それでも、ヴァルラはしなければならないと思っていた。
「謝って済むことではないと、僕も分かってます」
けれど。謝らないのはもっと卑怯だと思うから。許されなくても、それは当然だろうとヴァルラは思う。
「……なんで、そう思ったんだ?」
思考を見透かしたかのような問いに、ヴァルラは真摯に答える。
「……僕は、
ほんの僅かに、両目に発現しているぐらいだが。それでも、ヴァルラは確かに
地面に視線を下ろしたまま、ヴァルラは言葉を続けた。
「それに。姉さんがいつも言ってたんです。エイティシックスは人間なんだ、って」
姉さんは父さんと同じ西部戦線の
いつもは飄々としていただけに、その姿は深く心に残っている。
そんな姉さんと、ヴァルラは一度だけ喧嘩をした事がある。
なんで自分は
その時、姉さんは両目に涙を溜めて、けれども確固たる意志を宿してヴァルラに言った。
「……お前、名前は?」
「え?」
突然訊かれて、ヴァルラは少し戸惑う。予想していた反応からは程遠い反応だ。
「いいから。教えてくれないか」
その言葉に何か必死なものを感じて、ヴァルラは訝しみつつも名前を告げる。
「ヴァルラ・ヴェーチェル、です」
「……ヴェーチェル?」
「君のお姉さん、名前は?」
「イリヤ、です」
なんでそんな事を訊くんだろう。
訳が分からず、ヴァルラの中にはただただ困惑だけが積み上がっていく。そんなヴァルラとは対照的に、
「……そうか。お前が……」
ぽつりと彼が呟くのが風に混じって聞こえてくる。つい、訊いてみたくなった。
「……僕の姉さんのこと、知ってるんですか?」
彼は暫し考えるそぶりをみせて――ふ、と笑った。過去を懐かしむように。
「ああ。知ってるよ。色々とな」
「なら――っ!」
それを察したらしい、彼は肩を竦めて笑う。
「それはいいけど……その前にやる事があるだろ? 俺も、お前も」
「……あ、」
そういやそうだった。この後には着任式が控えてるんだった。
歩みを進めて、ヴァルラは手に持っていた白百合を慰霊碑に供える。振り返って、彼の瞳を見た。そこで、ヴァルラは彼の瞳が
少し後ろめたいものを感じつつも、ヴァルラは問う。同じ人間として、当たり前のことを。
「あの、お名前をお聞きしても?」
ヴァルラの胸の階級章を見て、
「俺はアスカ。アスカ・リンドウだ。……よろしくな、ヴェーチェル“少尉”」