翌日。西部戦線の司令所からほど近いアパートの一室で、その少女はキッチンで朝食を作っていた。
一目で
付けたエプロンから覗くのは、
イリヤ・ヴェーチェル。西部戦線第二戦区第一防衛戦隊『ミオソティス』を指揮するハンドラーが、彼女だ。
「ヴァルラー! いい加減起きなよー!」
弟に声をかけつつ、少女は焼いていた人口肉をプレートへと移す。食パンとベーコンに見立てた人口肉、それと少しばかりの野菜を、それぞれ二人分。
「ふぁあ……。……おはよう、お姉ちゃん」
「おはよう、じゃないの。お姉ちゃんそろそろ時間だから、早く食べちゃって」
エプロンを外すと、イリヤはプレートをテーブルへと運んで食パンを頬張る。
「……お姉ちゃん。それ行儀悪いんだからやめなって」
携帯端末に送られてきていた資料に目を向けたところで、弟から苦言を呈された。が、イリヤは特に気にするふうもなく応える。
「これも仕事のうちだから。ボクはいいの」
「……」
彼の視線が不満を物語っているが、イリヤは気にしない。資料の中の数字が目に留まって、思わず声が漏れた。
「……は?」
その資料は、西部戦線の第一から第三戦区の迎撃砲陣地の稼働率チェックのものだ。(勿論他のハンドラーが調査を依頼するはずがないので、指揮管轄外の戦区も調査を依頼している)
そこには、『第一陣地:八%』『第二陣地:六四%』『第三陣地:一九%』という、悲惨すぎてもはや笑いすら込み上げてくるような結果が記されていた。第二陣地だけが飛び抜けて良いのは、イリヤがこの戦区・防衛戦隊に着任してから毎回のように整備と調査を依頼しているからだ。が、それでもこの数値は普通に考えれば低すぎる値である。
……というか。第一陣地が余りにも酷い。なんなんだ、稼働率一桁って。寧ろなんでそいつだけ動いたんだ。
「どしたの、姉ちゃん」
ヴァルラに声をかけられて、イリヤの思考は現実に引き戻される。
「あ、いや、何でもないよ。ちょっと面白い報告が届いてたから。声に出ちゃった」
別に嘘は言っていない。“面白い”報告ではあったから。
ふと、時計を見ると、その針は始業時間の少し前を指していた。
「……と、もうこんな時間か。そろそろ行くね」
最後のサラダを飲み込んでから、イリヤは席を立つ。お皿に水をかけて、そのままの足で玄関へと向かった。
本来ならばローファーが普通なのだが、イリヤがいつも履いているのは軍靴の方だ。いつ何が起きるのか分からない以上、こういうのは履き慣れておく方がいい。
「お皿は洗わなくてもいいから、水にだけつけといてね。……じゃ、行ってくる!」
行ってらっしゃい、とヴァルラに見送られて。イリヤは司令部へと向かった。
西方方面軍司令部。そこがイリヤの勤務先で、戦場だ。
始業時間前なのにも関わらず
玄関ホールの隅に目をやると、そこには酒瓶と一緒に転がっている士官の姿がちらほらと見える。一緒に放り捨てられているパラレイドを見るに、昨夜に部隊を全滅させた
それもそのはずだとイリヤは思う。共和国軍人のその殆どはまともに仕事をしていないのだから。
特に、イリヤの職種であるハンドラーは、軍の中でも突出してサボりの多い職種でもある。防衛戦隊の指揮などなくともエイティシックスの人々は戦うのだから、最低限補給物資のサインだけしていれば人事の評価も下がらない。そして。そんな堕落した彼らを咎める人も、誰もいない。
いつもの光景に嘆息をついた――その時。
情報端末から
今日は早起きな奴らだなぁと思いながら、イリヤは管制室へと足早に向かう。
†
「こんな朝っぱら元気だねぇ、〈レギオン〉の奴らは」
パラレイド越しに聞こえてくる戦隊員達の声も、その殆どは眠たげな色を帯びている。正直、アスカもまだそこまで頭が冴えていない。
『さすがにめんどいな。ハンドラーは?』
唯一目が覚めていそうなセイエが訊ねてくる。
「まだ繋いで来てない。多分、始業時間前なんだと思う」
『てことは、編成とかは分かんねぇか。……いつも通り指揮は俺が執る。いいな?』
「うん。任せた」
〈ジャガーノート〉を操縦する傍ら、アスカは目を擦って小さく応答する。
ガンマウントアームこそ他の隊員達と同じ五七ミリ滑空砲なものの、本来機関銃が装備されている筈の箇所には一対の高周波ブレードが装着されている。
アスカ以外では、一年前の西部戦線にいた〈アンダーテイカー〉ぐらいしか使用例のないカスタムパーツだ。
いつもの
『第二小隊及び第三小隊は
了解、と全員が返答するのが聞こえてくる。直後、少し呆れたようにセイエは告げた。
『……お前はいつも通りで』
「ん」
それきり会話は途切れて、戦場に特有の空気がその場を支配する。稜線の多い荒野の先に〈レギオン〉の先鋒部隊が見えたところで、
『ごめん。遅くなった!』
やはり、
少し息を切らしているのに気づいて、アスカは微苦笑を浮かべる。別に、そこまで真面目にする必要もないだろうに。
セイエは訊ねる。
『編成は』
『
了解、との声に、ハンドラーは間髪入れずに言葉を続けてくる。
『後ろにいる
『了解』
『
「了解」
言いながら。アスカはスクリーンのレーダーをじっと見つめていた。敵を示す赤点に、味方機を示す青点の最前列――自機の黄点はどんどん近づいていく。
そして。その距離がある一定の幅まで縮まった、その時。
アスカは機体を全速力で走らせた。
『作戦開始!』
ハンドラーの号令を合図にして、各小隊は指定の位置へと移動する。数秒後、鈍色の空が刹那朱色の炎に
即座に着弾結果を伝える声が聞こえてくる。
『十機撃破! ……これ以上の援護はできない。シャープエッジ、残りの
「了解!」
言うのと同時。〈シャープエッジ〉は眼前の
機体重量は、基本的に〈ジャガーノート〉よりも〈レギオン〉の方が重い。
宙空に跳んだ〈シャープエッジ〉の機体は、己の限界速度を越えて
それと同時にアンカーの返しを解除し、ワイヤーを引き抜く。放り出された機体を何とか着地させると、そのままの勢いで爆散する
刹那の爆風が隙間から吹き込んで来るのを感じながらも、アスカは即座に次の敵機を睨み据える。眼前に佇んでいるのは、
『前方左側の二機は脚部を損傷中。今は行動不能だよ』
……ということは、まず落とすべきは右側の二機か。
「了解」
直後。機体の脇を四発の砲弾が掠め、地上に着弾したものが盛大に土煙を上げているのが視界の端に映る。一二〇ミリ砲の榴弾だ。殆ど装甲のない〈ジャガーノート〉にとっては、破片ですらも故障や撃破に繋がる。
それからは目を離し、一番近い
強烈なGが身体を襲うが、闘争本能に
途中で別の
一機目の側面へと躍り出たところで、二つ目のアンカーを引き抜いた。
放り出される機体を華麗に着地させると、間髪入れずにそのまま直進。左側の脚部を、高周波ブレードで切り飛ばした。
低い音を上げて
零距離での砲弾は過たずに上部装甲を貫徹し、直後、一機目の
即座に別の機体へとワイヤーを飛ばし、アスカは機体をそいつから遠ざける。直後、自爆の爆轟が耳を
がくりと
「こいつの留めは任せた!」
一瞬
恐らく、残りの二機はこの黒煙の先だ。そして。近くの
だが、アスカ達にはハンドラーの指揮管制がある。
「残りは!?」
『それぞれ二時の方向三〇メートル、十時の方向四五メートル! どっちも貴方に砲身は向いてない!』
ならば、尚更好都合だ。
に、と不敵な笑みをこぼして、アスカは――〈シャープエッジ〉は機体を突撃させた。
†
「シャープエッジよりハンドラー・ツー。周囲に敵影は確認できません」
『ハンドラー・ツー了解。……こっちでも〈レギオン〉の撤退は確認してる』
「シャープエッジ了解。――戦隊各位に通達。これにて作戦任務は終了。戦闘態勢を解除する」
努めて事務的にアスカが告げるのに、他のプロセッサー達は無言で詰めていた息を吐いていく。緊張が弛緩してももなお重苦しい空気の中で、ハンドラーの淡々とした声が聞こえてくる。
『後ほど今任務における損害確認を行う。各員、一九時までに自機の損害状況を戦隊長へと報告しておくこと』
一つ、息をついて。ハンドラーは感情を押し殺した声音で告げる。
『ボクからは以上だよ。……じゃ、また』
それきりハンドラーとは
それぞれの内部は既に確認してある。運が良かったらしく、全員即死だった。
これなら、彼らが〈レギオン〉共の
「……帰ろう。みんな」
日が暮れた頃にようやく基地へと帰還して、最初に出迎えて来たのはアスカ機付きの整備兵だった。
懐中電灯を向けてくるや、ボロボロの脚部と刃こぼれした高周波ブレードを見て、彼は顔をみるみる引き
が。帰ってきた〈ジャガーノート〉の数が出撃時よりも少ないことに気付いたらしい。彼はその顔を少し
所定の位置で機体を止めて、コクピットから降りる。近くに来ていた整備兵が、硬い声で訊ねてきた。
「……今日は、何人だ」
「四人」
四人。それが今日、アスカ達が失った戦友の数だ。
正直、油断していた。最近は戦死者が出なかったから。
「ハンドラーの奴は、」
「あの人は最善を尽くしてた。だから、今日のは仕方なかったんだ」
天頂に向いた砲を見つめながら、アスカは白銀の双眸を僅かに細めさせる。
あの方角から来られたら、迎撃するのに一番最善だったのはあの場所だった。地平線まで続く平野の中で、唯一、稜線の多い地帯があそこだったから。
敵の感知からすぐさま迎撃砲を起動して、
せめて。こんな駄作機じゃなければ。死ななくて済んだかもしれないのに。
「っ…………!」
奥歯を噛み締めて、〈ジャガーノート〉の装甲を思い切り殴りつけた。たったこれだけの動作で凹むぐらい、こいつの外板は薄くて、貧弱だ。装甲と言うのも
暫しの沈黙。最初に口を開いたのは整備兵だった。
「……脚は明日までには直しといてやる。ブレードはもう在庫がねぇ。次の補給まで待て」
こくりと頷いて。アスカはバラックへと向かった。
終始無言の夕食の最中。突如、レイドデバイスが僅かに熱を帯びるのにアスカは気付く。直後、聞き慣れた声が聞こえてきた。
『みんな。少し、いいかな』
その声はほんの僅かにだけれど震えていて。
恐怖と、悲嘆。
理性で押し殺した感情の中には、その二つがはっきりと浮かび上がっていた。
敢えて気付かないふりをして、アスカは冷淡に口を開く。
「……どうしたんですか、こんな時間に」
損害確認の時間まではあと一時間近くはある。その様子から考えるに、ろくな事じゃないなと思った。
ハンドラーは、暫し口を噤んで。少しの逡巡ののち、意を決したように言葉を続けた。
『……つい先程、西部戦線第一戦区第一防衛戦隊――ロングボウの特別偵察任務が発表されたんだ』