86-エイティシックス-『ミオソティス』   作:暁天花

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晩夏

 翌日。西部戦線の司令所からほど近いアパートの一室で、その少女はキッチンで朝食を作っていた。

 一目で白系種(アルバ)だと分かる月白種(アデュラリア)の銀髪を肩まで伸ばし、透き通るように綺麗な純白の双眸がまばたく。

 付けたエプロンから覗くのは、紺青(こんじょう)詰襟(つめえり)の共和国軍女性士官軍服で。彼女が軍人――それも既に大尉の位についていることが徽章(きしょう)からは確認できる。

 イリヤ・ヴェーチェル。西部戦線第二戦区第一防衛戦隊『ミオソティス』を指揮するハンドラーが、彼女だ。

 

「ヴァルラー! いい加減起きなよー!」

 

 弟に声をかけつつ、少女は焼いていた人口肉をプレートへと移す。食パンとベーコンに見立てた人口肉、それと少しばかりの野菜を、それぞれ二人分。

 

「ふぁあ……。……おはよう、お姉ちゃん」

「おはよう、じゃないの。お姉ちゃんそろそろ時間だから、早く食べちゃって」

 

 エプロンを外すと、イリヤはプレートをテーブルへと運んで食パンを頬張る。八六区の人々(エイティシックス)を強制労働させているお陰で、これだけは自然のものだ。

 

「……お姉ちゃん。それ行儀悪いんだからやめなって」

 

 携帯端末に送られてきていた資料に目を向けたところで、弟から苦言を呈された。が、イリヤは特に気にするふうもなく応える。

 

「これも仕事のうちだから。ボクはいいの」

「……」

 

 彼の視線が不満を物語っているが、イリヤは気にしない。資料の中の数字が目に留まって、思わず声が漏れた。

 

「……は?」

 

 その資料は、西部戦線の第一から第三戦区の迎撃砲陣地の稼働率チェックのものだ。(勿論他のハンドラーが調査を依頼するはずがないので、指揮管轄外の戦区も調査を依頼している)

 そこには、『第一陣地:八%』『第二陣地:六四%』『第三陣地:一九%』という、悲惨すぎてもはや笑いすら込み上げてくるような結果が記されていた。第二陣地だけが飛び抜けて良いのは、イリヤがこの戦区・防衛戦隊に着任してから毎回のように整備と調査を依頼しているからだ。が、それでもこの数値は普通に考えれば低すぎる値である。

 ……というか。第一陣地が余りにも酷い。なんなんだ、稼働率一桁って。寧ろなんでそいつだけ動いたんだ。

 

「どしたの、姉ちゃん」

 

 ヴァルラに声をかけられて、イリヤの思考は現実に引き戻される。

 

「あ、いや、何でもないよ。ちょっと面白い報告が届いてたから。声に出ちゃった」

 

 別に嘘は言っていない。“面白い”報告ではあったから。

 ふと、時計を見ると、その針は始業時間の少し前を指していた。

 

「……と、もうこんな時間か。そろそろ行くね」

 

 最後のサラダを飲み込んでから、イリヤは席を立つ。お皿に水をかけて、そのままの足で玄関へと向かった。

 本来ならばローファーが普通なのだが、イリヤがいつも履いているのは軍靴の方だ。いつ何が起きるのか分からない以上、こういうのは履き慣れておく方がいい。

 

「お皿は洗わなくてもいいから、水にだけつけといてね。……じゃ、行ってくる!」

 

 行ってらっしゃい、とヴァルラに見送られて。イリヤは司令部へと向かった。

 

 

 

 西方方面軍司令部。そこがイリヤの勤務先で、戦場だ。

 始業時間前なのにも関わらず(まば)らな門を抜けて、重厚な扉を押し開く。はたして、そこにも人は殆どいなかった。

 玄関ホールの隅に目をやると、そこには酒瓶と一緒に転がっている士官の姿がちらほらと見える。一緒に放り捨てられているパラレイドを見るに、昨夜に部隊を全滅させた()()()でもしたのだろう。

 それもそのはずだとイリヤは思う。共和国軍人のその殆どはまともに仕事をしていないのだから。

 特に、イリヤの職種であるハンドラーは、軍の中でも突出してサボりの多い職種でもある。防衛戦隊の指揮などなくともエイティシックスの人々は戦うのだから、最低限補給物資のサインだけしていれば人事の評価も下がらない。そして。そんな堕落した彼らを咎める人も、誰もいない。

 いつもの光景に嘆息をついた――その時。

 情報端末から侵入警報(アラート)が鳴り響いた。

 今日は早起きな奴らだなぁと思いながら、イリヤは管制室へと足早に向かう。

 

 

 

 †

 

 

 

 阻電撹乱型(アインタークスフリーゲ)が朝日を鈍色に埋め尽くす空の下。心地の良い風が装甲の隙間から吹き込んで来るのを感じながら、アスカは気怠げにぼやく。

 

「こんな朝っぱら元気だねぇ、〈レギオン〉の奴らは」

 

 パラレイド越しに聞こえてくる戦隊員達の声も、その殆どは眠たげな色を帯びている。正直、アスカもまだそこまで頭が冴えていない。

 

『さすがにめんどいな。ハンドラーは?』

 

 唯一目が覚めていそうなセイエが訊ねてくる。

 

「まだ繋いで来てない。多分、始業時間前なんだと思う」

『てことは、編成とかは分かんねぇか。……いつも通り指揮は俺が執る。いいな?』

「うん。任せた」

 

 〈ジャガーノート〉を操縦する傍ら、アスカは目を擦って小さく応答する。竜胆(リンドウ)を背景に鋭い剣をあしらったマークの機体が、彼の機体だ。

 ガンマウントアームこそ他の隊員達と同じ五七ミリ滑空砲なものの、本来機関銃が装備されている筈の箇所には一対の高周波ブレードが装着されている。

 アスカ以外では、一年前の西部戦線にいた〈アンダーテイカー〉ぐらいしか使用例のないカスタムパーツだ。

 いつもの剽軽(ひょうきん)な感情を消して、セイエは指示を下す。

 

『第二小隊及び第三小隊は前衛(フォワード)。第四小隊と第五小隊は後方支援に当たれ。第一小隊は各自状況に応じて柔軟に対応。アルスは俺と一緒に高所を取って敵情偵察。いいな?』

 

 了解、と全員が返答するのが聞こえてくる。直後、少し呆れたようにセイエは告げた。

 

『……お前はいつも通りで』

「ん」

 

 それきり会話は途切れて、戦場に特有の空気がその場を支配する。稜線の多い荒野の先に〈レギオン〉の先鋒部隊が見えたところで、知覚同調(パラレイド)に一人増えた。

 

『ごめん。遅くなった!』

 

 やはり、ヴェーチェル大尉(ハンドラー)だ。

 少し息を切らしているのに気づいて、アスカは微苦笑を浮かべる。別に、そこまで真面目にする必要もないだろうに。

 セイエは訊ねる。

 

『編成は』 

斥候型(アーマイゼ)近接猟兵型(グラヴォルフ)がそれぞれ大隊規模。それと戦車型(レーヴェ)が一四機確認できるね。……貴方達を巻き込みかねないから、迎撃砲の使用及び前衛(フォワード)斥候型(アーマイゼ)近接猟兵型(グラヴォルフ)はこっちからは撃てない。貴方達で何とかして』

 

 了解、との声に、ハンドラーは間髪入れずに言葉を続けてくる。

 

『後ろにいる戦車型(レーヴェ)はこちらから誘導飛翔体(ミサイル)で狙い撃つ。セイエ・ナレイン中尉(ブラックホーク)誘導飛翔体(ミサイル)の終末誘導に左目を借りるよ』

『了解』

リンドウ大尉(シャープエッジ)の突撃を合図に射出する。タイミングはそっちに任せる』

「了解」

 

 言いながら。アスカはスクリーンのレーダーをじっと見つめていた。敵を示す赤点に、味方機を示す青点の最前列――自機の黄点はどんどん近づいていく。

 そして。その距離がある一定の幅まで縮まった、その時。

 アスカは機体を全速力で走らせた。

 

『作戦開始!』

 

 ハンドラーの号令を合図にして、各小隊は指定の位置へと移動する。数秒後、鈍色の空が刹那朱色の炎に(ひらめ)いた。

 阻電撹乱型(アインタークスフリーゲ)の群れがひととき消え去り、眩しい朝日が戦場を照らす。そこから尾を引く数十条の光――誘導飛翔体(ミサイル)が見えてきて。直後。後方に並ぶ戦車型(レーヴェ)が一斉に火を噴いた。

 即座に着弾結果を伝える声が聞こえてくる。 

 

『十機撃破! ……これ以上の援護はできない。シャープエッジ、残りの戦車型(レーヴェ)は貴方に任せる!』

「了解!」

 

 言うのと同時。〈シャープエッジ〉は眼前の近接猟兵型(グラヴォルフ)目掛けてワイヤーアンカーを射出した。アンカー部分がセンサ部分を突き刺し、その機体の自律行動を停止させる。それと同時に跳躍し、すかさずワイヤーを巻き戻した。

 機体重量は、基本的に〈ジャガーノート〉よりも〈レギオン〉の方が重い。

 

 宙空に跳んだ〈シャープエッジ〉の機体は、己の限界速度を越えて近接猟兵型(グラヴォルフ)へと急速に接近していく。回避できる限界まで距離を縮め――撃発(トリガ)

 それと同時にアンカーの返しを解除し、ワイヤーを引き抜く。放り出された機体を何とか着地させると、そのままの勢いで爆散する近接猟兵型(グラヴォルフ)の隣を通り抜けた。

 刹那の爆風が隙間から吹き込んで来るのを感じながらも、アスカは即座に次の敵機を睨み据える。眼前に佇んでいるのは、誘導飛翔体(ミサイル)で撃破しきれなかった四機の戦車型(レーヴェ)だ。

 

『前方左側の二機は脚部を損傷中。今は行動不能だよ』

 

 ……ということは、まず落とすべきは右側の二機か。

 

「了解」

 

 戦車型(レーヴェ)達の主砲が一斉にアスカの〈シャープエッジ〉へと向く。咄嗟にあえて操縦を誤って、機体を地面に滑らせた。

 直後。機体の脇を四発の砲弾が掠め、地上に着弾したものが盛大に土煙を上げているのが視界の端に映る。一二〇ミリ砲の榴弾だ。殆ど装甲のない〈ジャガーノート〉にとっては、破片ですらも故障や撃破に繋がる。

 それからは目を離し、一番近い戦車型(レーヴェ)にワイヤーアンカーを射出。アンカーが取り付いたのを見てとって、跳躍と同時に巻き戻しを開始した。

 強烈なGが身体を襲うが、闘争本能に(たぎ)る今のアスカにはそれは認識されない。夜黒種(オニクス)に特有の過集中だ。

 

 途中で別の戦車型(レーヴェ)にもアンカーを射出し、最初のアンカーを切り離す。横へと急加速。

 一機目の側面へと躍り出たところで、二つ目のアンカーを引き抜いた。

 放り出される機体を華麗に着地させると、間髪入れずにそのまま直進。左側の脚部を、高周波ブレードで切り飛ばした。

 低い音を上げて擱座(かくざ)するのに飛び乗って、砲塔上部に主砲の砲身を差し向ける。撃発(トリガ)

 零距離での砲弾は過たずに上部装甲を貫徹し、直後、一機目の戦車型(レーヴェ)は装甲の隙間から赤い火を漏らしていく。

 

 即座に別の機体へとワイヤーを飛ばし、アスカは機体をそいつから遠ざける。直後、自爆の爆轟が耳を(つんざ)いた。爆熱にセンサが眩んだ二機目を、今度は真正面からブレードを叩き込む。八脚の基部故に装甲は薄く、けれども最も大切な部分。

 がくりと(くずお)れるのに飛び退(すさ)り、再び跳躍。砲身を切り飛ばした。

 

「こいつの留めは任せた!」

 

 一瞬知覚同調(パラレイド)を全員と繋ぎ、返答を待たずに再び切断。まだ居るであろう戦車型(レーヴェ)に、アスカは意識を研ぎ澄ます。

 恐らく、残りの二機はこの黒煙の先だ。そして。近くの斥候型(アーマイゼ)を失った今、戦車型(レーヴェ)の貧弱なセンサではこちらの姿を捉えられない。

 だが、アスカ達にはハンドラーの指揮管制がある。

 

「残りは!?」

『それぞれ二時の方向三〇メートル、十時の方向四五メートル! どっちも貴方に砲身は向いてない!』

 

 ならば、尚更好都合だ。

 に、と不敵な笑みをこぼして、アスカは――〈シャープエッジ〉は機体を突撃させた。

 

 

 

  †

 

 

 

「シャープエッジよりハンドラー・ツー。周囲に敵影は確認できません」

『ハンドラー・ツー了解。……こっちでも〈レギオン〉の撤退は確認してる』

「シャープエッジ了解。――戦隊各位に通達。これにて作戦任務は終了。戦闘態勢を解除する」

 

 努めて事務的にアスカが告げるのに、他のプロセッサー達は無言で詰めていた息を吐いていく。緊張が弛緩してももなお重苦しい空気の中で、ハンドラーの淡々とした声が聞こえてくる。

 

『後ほど今任務における損害確認を行う。各員、一九時までに自機の損害状況を戦隊長へと報告しておくこと』

 

 一つ、息をついて。ハンドラーは感情を押し殺した声音で告げる。

 

『ボクからは以上だよ。……じゃ、また』

 

 それきりハンドラーとは知覚同調(パラレイド)が切れて、アスカも詰めていた息をゆっくりと吐き出す。キャノピを開けると、晩夏に特有の心地の良い風が吹き込んできた。今日の戦闘を(いたわ)るような、慰めるような、優しい風。

 阻電撹乱型(アインタークスフリーゲ)の霧が晴れた空は、一面夕闇の(あけ)に焼き尽くされていて。見渡す荒野ののそこここには、撃破した〈レギオン〉の残骸が静かに佇んでいた。その中には、味方機の〈ジャガーノート〉もいる。今日、戦死した仲間達のものだ。

 それぞれの内部は既に確認してある。運が良かったらしく、全員即死だった。

 これなら、彼らが〈レギオン〉共の玩具(おもちゃ)になる事もないだろう。それだけが、唯一の救いだ。

 知覚同調(パラレイド)を戦隊だけに絞って、アスカは小さく声を漏らす。

 

「……帰ろう。みんな」

 

 

 

 日が暮れた頃にようやく基地へと帰還して、最初に出迎えて来たのはアスカ機付きの整備兵だった。

 懐中電灯を向けてくるや、ボロボロの脚部と刃こぼれした高周波ブレードを見て、彼は顔をみるみる引き()らせていく。

 が。帰ってきた〈ジャガーノート〉の数が出撃時よりも少ないことに気付いたらしい。彼はその顔を少し(かげ)らせた。

 所定の位置で機体を止めて、コクピットから降りる。近くに来ていた整備兵が、硬い声で訊ねてきた。

 

「……今日は、何人だ」

「四人」

 

 四人。それが今日、アスカ達が失った戦友の数だ。

 正直、油断していた。最近は戦死者が出なかったから。

 八六区(ここ)は、いとも簡単に人の命が散っていく場所なのだと。自分達は家畜でしかない存在なのだと。それを久しぶりに実感し痛感した一日だった。

 

「ハンドラーの奴は、」

「あの人は最善を尽くしてた。だから、今日のは仕方なかったんだ」

 

 天頂に向いた砲を見つめながら、アスカは白銀の双眸を僅かに細めさせる。

 あの方角から来られたら、迎撃するのに一番最善だったのはあの場所だった。地平線まで続く平野の中で、唯一、稜線の多い地帯があそこだったから。

 敵の感知からすぐさま迎撃砲を起動して、誘導飛翔体(ミサイル)も何発も発射させて。最新の情報と最善の指揮を提供し続けて。それでも、生き残れなかった命があった。

 せめて。こんな駄作機じゃなければ。死ななくて済んだかもしれないのに。

 

「っ…………!」

 

 奥歯を噛み締めて、〈ジャガーノート〉の装甲を思い切り殴りつけた。たったこれだけの動作で凹むぐらい、こいつの外板は薄くて、貧弱だ。装甲と言うのも烏滸(おこ)がましい。

 暫しの沈黙。最初に口を開いたのは整備兵だった。

 

「……脚は明日までには直しといてやる。ブレードはもう在庫がねぇ。次の補給まで待て」

 

 こくりと頷いて。アスカはバラックへと向かった。

 

 

 

 終始無言の夕食の最中。突如、レイドデバイスが僅かに熱を帯びるのにアスカは気付く。直後、聞き慣れた声が聞こえてきた。

 

『みんな。少し、いいかな』 

 

 その声はほんの僅かにだけれど震えていて。知覚同調(パラレイド)越しに伝わる感情に、アスカはつい目を細める。

 恐怖と、悲嘆。

 理性で押し殺した感情の中には、その二つがはっきりと浮かび上がっていた。

 敢えて気付かないふりをして、アスカは冷淡に口を開く。

 

「……どうしたんですか、こんな時間に」

 

 損害確認の時間まではあと一時間近くはある。その様子から考えるに、ろくな事じゃないなと思った。

 ハンドラーは、暫し口を噤んで。少しの逡巡ののち、意を決したように言葉を続けた。

 

『……つい先程、西部戦線第一戦区第一防衛戦隊――ロングボウの特別偵察任務が発表されたんだ』

 

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