『……つい先程、西部戦線第一戦区第一防衛戦隊――ロングボウの特別偵察任務が発表されたんだ』
その言葉に、プロセッサー一同は押し黙る。
特別偵察任務。
それは、東西南北の第一戦区第一防衛戦隊に最後に下達される命令として悪名高い任務の名称だ。
戦隊の結成から数ヶ月、苛烈な戦闘を生き抜いた“号持ち”――アスカのシャープエッジなどの異名を持つ者がそれにあたる――を、確実に殺す為だけに立案された、作戦とも言うのも
一ヶ月分の食糧をもって〈レギオン〉支配域へと突進するだけの、事実上の自殺任務。期間は無制限、撤退及び支援は一切禁止という、任務としての
震えた唇を必死に抑えた声で、ハンドラーは言葉を紡ぎ続ける。
『発令は一週間後。当該部隊の全滅から再編までの間、ボク達ミオソティス戦隊には対応する〈レギオン〉部隊の増加が予測されてる。……だから、』
「……噂には聞いてたけど、ほんとだったんだな」
ハンドラーの言葉を途中で遮って、セイエは他人事のようにぼやく。少し呆れたような笑みをこぼして、彼は吐き捨てた。
「あんたらの為ではないとはいえ、数年間を必死に戦って、守ってもらって。その結果が無駄死にしろって命令だもんな。ほんと、すげぇこと考えるよ、
『……』
「どうせ
『……』
押し黙るハンドラーに、フレイは苦笑混じりに口を開く。
「まぁ、そういう事だから。教えてくれたのはありがたいけど、私達にできる対策は何もないわよ」
『……そう、だよね』
暗いハンドラーの声とは対照的に、フレイはいたずらっぽく笑う。
「そんなに私達のことを気にかけてくれるんだったら、一つ、お願いしてもいいかしら?」
『……はい』
ハンドラーが頷いたのを感じて、フレイは続ける。
「花火? っていうの、やってみたいのよね」
『…………、花火……?』
ハンドラーは困惑げに反芻する。
「そ。花火。どうせあと一年ぐらいで私達は死ぬんだし? なら、最後にやってみたいのよね。楽しいらしいし」
愉しげに頬を緩ませるフレイに、アスカは浮かび上がってきた疑問を投げかける。
「……フレイって、もしかして花火やった事ないの?」
「うん。私のとこはそういうのする余裕も、見たこともなかったから」
こともなげに言われるのに、アスカは怪訝な表情をする。いくらエイティシックスとはいえ、花火を見た事すらないって……。そんな事ありえるのか?
「……もしかして住んでたのヨルシャーだったりする?」
「あら? 私言ったことあったっけ?」
「そこ、俺達の間じゃ特に治安が終わってることで有名な地区だよ」
「え……。じゃあ、アスカ達は強盗殺人強姦とかってのは日常じゃないの」
「…………」
目をぱちくりさせてさも当然かのように言うのに、一同はドン引きする。治安の酷いところだと聞いてはいたが……。まさか、それ程だったとは。
アスカが顔を引き
「……ま、そういうことだから。花火、お願いね、大尉」
ハンドラーは暫し押し黙って。ふ、と、笑った――ような気がした。
『……うん。分かった』
やったぁとはしゃぐフレイを横目に見ながら、アスカは伝わってくる感情に目を微かに細めさせる。表面を取り繕ってはいるものの、やはり、
戦隊長だからと、他の隊員よりも少しだけ高い同調率が。彼女の本心を僅かながらに映し出している。
だから。アスカには分かってしまったのだ。
ヴェーチェル大尉が、特別偵察任務に怯えていたことも。ヨルシャーの環境に絶句し、義憤とやるせなさを強く感じていたことも。
口の端を少し吊り上げて、アスカは誤魔化すように言う。
「ついでですし、損害報告も今やっときませんか?」
『え? あ、まぁ、いいけど……。そっちは大丈夫なの?』
訊ねてくるのに、アスカはにこりと笑みを返す。
「報告書以外なら、もう全部できてますよ」
†
その日の深夜。当直のプロセッサー達以外は整備兵も含めて皆が寝静まった頃。どうにも寝付けないアスカは、一人バラックを出て空を見上げていた。
遮るもののない満天の星空は、どこを見ても星屑で埋め尽くされていて。これだけはエイティシックスだけにしか見られない絶景だなとアスカは思う。
空を埋め尽くす色とりどりの星屑と銀河に、綺麗な円弧を描く満月。そして、そんな夜空を横切る大きな
人の光も、汚れた空気も何もないからこそ見れる、大自然の絶景だ。
ふと、レイドデバイスが熱を帯びるのに気付いて、アスカは小さく呟く。
「……ハンドラー?」
『あ、もしかして起こしちゃった?』
帰って来たのは、ここ数ヶ月で聞き慣れたハンドラーの――ヴェーチェル大尉の声だ。中性的な、そして透き通るような声色の。
少し苦笑を漏らして、アスカは応える。
「いえ、俺はさっき目が覚めちゃって。それから寝れなくて。……ハンドラーは、なんでこんな時間に?」
『特別偵察の時期になると、どうも眠れなくてね』
「それまたどうして」
苦笑の中に強い情動が渦巻いているのを感じて、アスカは思わず問い返していた。
ほんの些細な興味だったけれど、ハンドラーは応えるのに少し躊躇ったようだった。嫌なら言わなくても――と口に出しかけたところで、消え入りそうな声がアスカの耳に届く。
『……過去の西部戦線第一戦区第一防衛戰隊――ロングボウに、〈ドラグーン〉というプロセッサーが居たのは知っていますか?』
「……? 知ってる、けど……?」
〈ドラグーン〉。西部戦線のエイティシックスではかなり有名なプロセッサーだ。防衛戦隊での対〈レギオン〉戦闘が確立されていなかった時期に、正確無比な射撃をもってして数々の〈レギオン〉を屠り、更には
けれど。その人がどうしたというのだろう。
『その人、ボクの兄さんだったの』
「……え?」
思わず自分の耳を疑った。〈ドラグーン〉が、ヴェーチェル大尉の兄……?
『〈ドラグーン〉。本名、ヴァレリヤ・ヴェーチェル。兄さんが、三年前のロングボウ戦隊の戦隊長だったの』
アスカが絶句している間にも、ハンドラーは衝撃の過去を痛切に紡いでいく。
『その時のロングボウは、たまたま父さんが
「死んだって……!?」
狼狽えるアスカに、ハンドラーは空しく笑った。
『うん。死んだのは父さんのことだよ。……正確には、自殺か』
ふ、と過去を痛むように、ハンドラーは呟く。
『ボクと弟を残して、三年前に父さんは死んじゃって。……それが、特別偵察の時期になると毎晩甦ってくるの』
母親は――と言いかけて。アスカは咄嗟にそれに気付いて口を噤む。ハンドラーの兄がエイティシックスだったのだ。ならば、母型が
母と兄は幼少期に強制収容所へと送られ、父は自殺した。今ハンドラーにあるのは、父と同じ
グラン・ミュールという壁の向こうでも、共和国の犠牲となった人が居た。それを、この瞬間にアスカはどうしようもないまでに実感してしまった。
沸き立つ激情を抑えて、アスカは少し冷たく言い放つ。
「……でも、それは過去だろ?」
満天の星辰を見上げながら、アスカは続ける。
「喪った過去は絶対に取り戻せないし、変えられない。……だから、乗り越えるしかないんだよ」
ずっと背負い込んでいても、何の解決にもならない。その気持ちには、いつか決着をつけなければならないのだ。
でないと、前に進めない。
「……それに。大尉のお兄さんと、今のロングボウ戦隊には何らの関係性もないし。ましてや、俺達ミオソティス戦隊は尚更関係ないんだ。そう、思い詰めすぎるのは良くないんじゃないかな」
特別偵察任務も、アスカ達の境遇についても。ヴェーチェル大尉が思い悩み、心を痛ませる必要なんてないのだ。
だって。あんなにも自分達に尽くしてくれてるのだから。
それきり会話は途切れて、アスカの耳には遠い戦場の音だけが鳴り響く。哨戒中の二人からの連絡はないから、少なくともアスカ達の戦区ではないものだ。
『……なんか。ごめんね』
「……? 何がです?」
唐突に謝られた意味が分からず、思わず問い返した。
対して、ヴェーチェル大尉は自嘲気味に笑う。
『こんな白ブタの――ボクの話を聞いて貰っちゃって。ほんと、ごめんね』
その言葉に、アスカは思わず微苦笑を浮かべる。
「……大尉って、もしかして突然告白とかされたりしませんか?」
『え? なんでそれを知ってんの?』
「……そりゃあ、分かりますよ」
普段はあんなに強く振る舞って、有能なのに。ふとした瞬間に弱いところを見せてくるのは、それは反則技だろう。無意識にやってるんだから尚更タチが悪い。
肩を竦めて、アスカは笑う。
「……大尉、友達いないですよね。多分」
『うるさいな。どうせボクは同性からは嫌われますよーだ』
ぷいっと不貞腐れたような声に、アスカは増々おかしくなって声を上げて笑う。
もし自分が女で
アスカがひとしきり笑った後で、ヴェーチェル大尉は改まった様子で口を開く。
『……でも。ほんとに、ありがとね。今日は話聞いてくれて』
「どういたしまして……と言ったらいいのかな?」
感謝されるのも何か違う気もするが……まぁ、いいか。
『……じゃ、ボクはそろそろ寝るよ。おやすみ、リンドウ大尉』
こくりと頷いて。アスカは星空を見つめながら言葉を返す。
「おやすみなさい。ヴェーチェル大尉」
それを最後に
ふぁあとあくびをして、誰に言うでもなく呟いた。
「……俺も寝るかな」
†
ロングボウ戦隊の特別偵察任務が発令されてから一週間が経った、その日の夕方。アスカは、一桁にまで減った僚機へと指示を下す。
「敵部隊の撤退を確認。各員、戦闘態勢を解除。……帰投許可を」
『了解。帰投を許可します』
痛みを押し殺したような声音で、ヴェーチェル大尉は努めて事務的に言葉を返してくる。了解と返すと、大尉は無言で
撤退の最中、少し肌寒くなってきたのを感じながら、アスカははぁと重い吐息を漏らす。
深夜に大尉の話を聞いてから、二週間。数ヶ月で数人しか出ていなかった戦死者は激増し、プロセッサーは四分の一にまで減ってしまった。
〈レギオン〉の侵攻ルートは日に日に緻密なものになっていて。ここ数日は、毎回荒野から来襲するようになってきている。〈レギオン〉にとって最も有利な戦場で、アスカ達にとっては最も不利な戦場。
部隊編成も、以前のような
幸いこの部隊はハンドラーが各種迎撃武器を使用してくれているから、撃破には他部隊と比べて被害は少なくて済んでいるけれど。
問題は、その数だ。
ここ数週間、一度の戦闘における〈レギオン〉の数は増大の一途を辿っている。つい先程の戦闘では、全体で旅団規模の〈レギオン〉部隊が襲来した。今日はもう、三度目の襲撃だというのに。
その物量にプロセッサー達はどんどん疲弊し、それが注意力の散漫となって彼らをどんどん殺していく。その度に一人にかかる負荷は上がり続け、けれども人員の補充は一人として来ることは無い。
ヴェーチェル大尉もやれる限りの援護はしていたけれど、余りの数に使用可能兵器が追い付いていないようだった。
共和国の怠慢が、自分達のハンドラーを間接的にだけれど苦しめている。その事実に、アスカは複雑な感情を持たざるを得ない。
なんで。幸せに生きるべき人が嘆いて、痛みを背負って。生きる価値のない白ブタ共が、のうのうと遊んで生きているんだ。
「……くそ」
色んな感情のこもった声は、吹き込む風に消えていった。
†
今日の管制が終わって、
ここ数週間分の〈レギオン〉に関する諸情報と、各種迎撃兵装の調査結果。それがこの山の正体だ。
まずは情報分析をしなければと、イリヤは積んだ報告書と資料に目を通していく。
この二週間で、ミオソティス戦隊には甚大な被害が出ている。現在残っているのは、部隊定数のたった三分の一。通常の部隊ならばとっくに全滅判定をくらって再編されている損害の数だ。
人員補充はやはり通るはずもなく、だからイリヤはこの数で増大し続ける〈レギオン〉の対処に当たらなければならない。
どうにかして〈レギオン〉の戦術に穴を見つけられれば。そうすれば、もうこれ以上彼らが重い負担を背負うことも、死ぬことも防げるはずだ。
その第一の施策として、まず最初に取り組んだのは迎撃兵装達の更なる稼働率の上昇だった。
迎撃砲の整備を徹底させ、貯蔵されていた
けれど。それでも全体の稼働率は五○%を超えることはなくて。膨大な数の〈レギオン〉に対して、イリヤは圧倒的に無力だった。
……だから。もっとボクが頑張らないと。でないと、何も守れないから。
不意にレイドデバイスが熱を帯びるのを感じて、イリヤはずっと思考に沈めていた意識を現実へと引き戻す。
「……どうしたの? リンドウ大尉」
目をぱちくりさせて言うのに、リンドウ大尉は少し探り探りの声で返してくる。
『いつもの時間になっても繋いで来なかったので、少し気になって。……他に用件があるのなら、後にしますけど……』
言われて、掛けられていた時計を仰ぎ見た。
二二時三六分。
確かに、いつもならば全ての報告ごとが終わっている時間帯だ。なんなら、お互い
少し頬を緩めて、イリヤは伸びをしながら伝える。
「うーん…………、今日はいいや。報告書だけ送っといてくれるかな?」
『りょーかいです』
正直、今日はそれらをする余裕がない。最低限戦死者と稼働可能の数は分かっているから、どうにかはなるだろう。
『…………それと、大尉』
「なに?」
『そんなに思い詰め過ぎなくていいって、俺、この前も言いましたよね?』
僅かな怒気と同時に心配の感情も伝わってきて、イリヤは少し戸惑う。そんな感情をプロセッサーに持たれたのは初めてだ。
努めて平静を装って、イリヤは口を開く。
「……別に、そんなつもりはないよ」
『………………はぁ』
深いため息をついて。リンドウ大尉は淡白に言う。
『言い方は悪いですけど、俺達は所詮ただの捨て駒なんです。だから、みんな死ぬのは当たり前で――』
「当たり前なんかじゃない」
思わず、言い返していた。
念を押すように、イリヤは強く言葉を紡ぐ。
「君達は人間だよ。少なくとも、ボクの中では」
『…………冗談、ですか?』
暫しの沈黙の後、返ってきたのは本気で呆れている声だった。
けれど、イリヤは真剣な表情のままそれを伝える。
「本気だよ。……けど、それが上に立つ者の傲慢で、ただの綺麗事なことも分かってる。ボクは
所詮、イリヤは
「だけど。君達は紛れもない人間なんだ。身体の構成も、
ただ、目や髪、肌の色が違うというだけで、共和国が家畜だと一方的に切り捨てただけの。同じ人間だ。
幾ら無駄だと言われようが、偽善だ不快だと言われようが、辞めるつもりはない。……でないと、ボクは母さんと兄さんを否定することになってしまうから。
「だから。少なくともボクにとっては、君達が死ぬのが当たり前でもないし、ましてや捨て駒でもない。ボクの、大切な部下だよ」
イリヤが言い切ると、リンドウ大尉はひととき沈黙する。ふ――と、彼は柔らかい笑みを零したのが明確に分かった。
『そういう綺麗事を並べ立てるの、友達無くすんでやめた方がいいですよ』
茶化すような言葉に、イリヤは肩を竦める。
「ボクは既に友達いないから。大丈夫だね」
『……ほんと、いい性格してるね、アンタは』
「どういたしまして」
『別に褒めたつもりはないんだけど』
少し呆れたように言われるのに、イリヤはくすりと笑う。同年代の人とこんな風に話したのは、いったい何時ぶりだろう。
ひとしきり笑ったあとで、イリヤは訊ねる。
「――それで。用件はそれだけかな?」
『あ、待ってください。一つ、確認しておきたい事があって』
「なに?」
一瞬、リンドウ大尉は口を噤んで。少し怯えたような感情がイリヤを
『大尉、フレイが言ってたの、忘れてないですよね』
ああ。それのことか。
ほのかに頬を緩めて、イリヤは当然のことを告げる。
「忘れる訳ないでしょ。……ちょっと遅れたけど、来週には届くと思うよ」
『来週……。……建国祭、ですか』
「まぁ、そうなるね」
言われて、イリヤは苦い笑みを漏らす。
本当はもっと早くに送ってあげたかったのだが……、ここ最近は本当に忙しくて。気が付いたらその時期にまで伸びてしまっていた。
口の端を微かに歪めて、イリヤは祈りを込めてそれを伝える。
「だから。その日までは、みんなで生き延びてね」
リンドウ大尉も笑ったようだった。その声音に決意を込めて、彼は応える。
『もう、誰も死なせやしませんよ』