建国祭
五日後。月に一度ある補給物資の空輸に必要な配送票にサインをし終えて、イリヤはその紙を目の前の士官へと手渡す。
にこりと爽やかな笑みを交えて、イリヤは言う。
「じゃ、その補給物資達は宜しく頼むね」
「ちっ。建国祭の前日だってのに、何で俺達がエイティシックスの補給なんざに…………」
配送票を乱暴に受け取りながらぼやく士官に、イリヤは目をまばたかせる。……まぁ、世間はお祭りムードの真っ最中だ。彼の愚痴もそう分からないことではないが。
とはいえ、今の共和国を守っているのは他でもない彼らが忌み嫌うエイティシックスなのだ。一日を丸々取られる訳でもないのだし、補給ぐらいは文句を言わずにやって欲しい。
「今頃第一区じゃあパレードでもやってんだろなぁ……。俺も子供達と一緒に行きたかったぜ……」
作業は真面目にしつつもそうこぼすのに、イリヤは流石に申し訳なくなってきて苦い笑みをこぼす。
予想はしていたが。世間は祝日とのことでサービス業以外は殆ど休みだし、軍の大半も仕事をほったらかしにして遊び回っている始末だ。いやまぁ、元から軍はそんな感じではあるけれど。
「……ちゃんと送ってきてくれたら、もう一枚追加するよ?」
ニヤリと口端を吊り上げて、イリヤは最も高い紙幣を財布から取り出して胸元でひらひらと舞わせる。
今回の補給物資の中には、イリヤが賄賂を贈って無理やり詰めて貰ったものも入っている。これは、ちゃんと仕事をしてくれれば、それに追加して贈呈してやるという意思だ。
勿論、賄賂は明確に軍規違反だけれど。どうせ誰も気にしない。
「……嬢ちゃん、マジか?」
「マジだけど」
驚嘆と疑問の入り交じった声に、イリヤは即答する。
まぁ、他の人達がいつにも増して遊び呆けている間に仕事をして貰うのだ。こういう時に好感度を稼いでいると、何かと後々便利になる。
少しの逡巡ののち、部隊長の士官は心地のいい笑みでイリヤの手を取った。
「乗った!」
†
共和国の本土こそ建国祭に沸いているが、エイティシックスの戦場に祝日などという概念はない。
相も変わらずの〈レギオン〉達を撃破し終えて、一度基地へと帰還すると、そこには一機の輸送機が留まっていた。月に一度だけある、空輸での物資補給だ。
既に切断された耳のレイドデバイスに無意識に触れながら、アスカは配送票のサインを待っている顔馴染みの士官の元へと歩み寄る。確か、ここ二年ぐらいはこの人の空輸区域下にアスカは配属になり続けている。
アスカを視認するなり、彼はその
「おう、やっと帰ってきたか」
お互い、名前も知らない関係だ。けれど、不思議とその距離感は近い。幾度となく衝突したからこそ成立した、一種の腐れ縁というやつだ。
「もう来てたんすね。もっと遅いもんかと」
「これでも予定時刻よりかは遅めだ。むしろ、お前らの戦闘が長引き過ぎてたんだよ」
「……今何時です?」
「十二時だ。二時間ぐらいはお前らを待つ羽目になった」
「そりゃご愁傷さまで」
肩を竦めて言うのに、その士官は特に気に触ったふうもなく続ける。
「とっとと配送票にサインしてくれ。でないと帰れんからな」
「確か、今日は建国祭でしたっけ」
サインを書きながらアスカは呟く。
建国祭。元々アスカの住んでいたところはあまり豪勢にする事はなかったけれど、第一区のパレードや花火はテレビで見た記憶がほんの僅かにだけれど残っている。
まぁ。本来、彼らの仕事たる軍隊に祝日だから休暇になるといった事はありえないのだが。そもそも今は戦時中だし。
書き終えた配送票を手渡すと、彼はやけに真剣な表情で言ってきた。
「いいか、シャープエッジ。くれぐれもあれがないこれがないだとか言うんじゃあねぇぞ。俺らはちゃんと配送したんだからな」
「……急になんなんですか」
意味が分からない。困惑するアスカに、その士官は悪い笑みを浮かべる。
「お前らのハンドラーからボーナスのチャンスなんだよ。だから協力してくれ。な?」
「はぁ」
了解とも否定とも取れる曖昧な答えをアスカはこぼす。
多分、賄賂だろう。共和国軍では蔓延って久しい、明確な軍規違反行為。
自分達のハンドラーがそんな違反に手を染めている事と、彼ら空輸部隊の士官達が、子供相手に金を貰おうとしている姿。そのどちらもに、アスカは内心深いため息を吐いていた。
両方共、共和国軍人としては善良な方だが、やっぱりおかしい奴らだ。
げんなりするアスカに、顔馴染みの士官はにっと笑って肩を叩く。
「まぁ、お前らも今夜は楽しめよ。その為に、お前らのハンドラー様は頑張ってくれてる訳だしな」
「…………はい?」
その言葉の意味に、アスカはすぐさま気付く事はできなかった。
†
その日の夜。最後の戦闘の指揮管制を終えたイリヤは、珍しくそのまま家に直帰して休暇を謳歌していた。
この日のために、随分と頑張ったなと自分でも思う。毎夜進めていた情報分析と各種迎撃兵器への指示を、この一週間は隙間時間の全てを使って何とか終わらせた。
そして。ようやく作れたのが、今の時間だ。夕食も食べ終えて、お風呂も終わって、髪も乾かし終わって。あとは寝るだけという状況。
いつにも増して軍の人達は仕事を放棄しているから、即応できるように一応軍服は着ているが。とはいえ、こんなにゆっくりできるのは本当に久しぶりだ。
淹れたコーヒーに口をつけて、イリヤは窓外の景色を見やる。夜の闇を掻き消す人工の光は、今日は一段と輝いていて。それ以外の自然の光を殆ど隠してしまっていた。
ふと、首につけたレイドデバイスが僅かに熱を帯びているのに気付いて、イリヤは眉を上げる。
「どうしたの? リンドウ大尉」
『……一応、お礼を言っとこうかなと思って』
「いろいろ送って来て貰って。ほんと、ありがとうございます」
僅かに口元を緩めながら、アスカは感謝を伝える。
フレイのやりたがっていた花火に、幾らか日持ちのする食糧品と、コーヒー等の嗜好品類。どれもエイティシックスのアスカ達にはとてつもない贅沢品だ。
少し離れたバラックの前でわあきゃあとはしゃいでいる仲間達を優しく見つめながら、アスカは口を開く。
『一応、全員分送ってきてくれたんですね』
少し悲しげな声で言うのに、イリヤは哀傷に目を細める。
できることなら、全員で花火を楽しんで欲しかった。けれど。それはもう叶わないから。ミオソティス戦隊は、もう三分の二を喪ってしまった。あと数名戦死者が出れば、この部隊も再編される。彼らとも
『でも、ほんとに良かったんですか? 哨戒に一人も出さないなんてこと』
訊ねてくるのに、イリヤは得意げに片目を瞑る。
「大丈夫だよ。代わりに他の隊に哨戒はして貰ってるから」
『……いや、別に何も大丈夫じゃないんだけど』
顔は見えないが。今、彼は絶対に半眼になっている。
くすりと笑みをもらしながら、イリヤは続ける。
「そうかな? 何かあったらミオソティス戦隊も動くって言ってあるし、問題ないと思うけど」
『……』
あ、黙った。
どうも呆れているのが伝わってきて、イリヤは肩を竦める。素っ気ないふりを装っている割には、随分と優しい人なんだなと改めて思った。
突然、ばーんと軽い爆発音がして、イリヤはその方向へと視線を振り向ける。
はたして、夜空には金色に煌めく火花が円弧を描いて咲いていた。
『……そっちも花火ですか』
イリヤは口端を吊り上げて笑う。
「そうみたいだね。……まぁ、大統領府のと比べるとちっこいけど」
『そりゃそうでしょ』
それきり会話は途切れて、二人は各々の花火を観賞する。イリヤは明るい夜空に上がる盛大な花火を、アスカは真っ暗な宵闇にぱちぱちと光る手持ち花火を。
『……ヴェーチェル大尉は、俺達とで良かったんですか?』
「え?」
ふと、訊ねられた問いにイリヤは戸惑う。
『いや、ほら……こう。一緒に居るべき人が居たんじゃないかなって』
気遣われているのだと気付いて、イリヤは愁眉を寄せる。別に、彼が気を遣う必要はないのに。
「ボクは友達いないからね。誘われたりはなかったよ」
『……弟さんとかは?』
「あの子は今日は友達と出かけてる。そのまま相手の家に泊まるらしいから、今日はボクは一人だね」
『…………なんと言うか。ほんとに友達居ないんですね、あんた』
遠慮なく軽口を叩かれるのに、イリヤは挑戦的な笑みを浮かべた。
「なんとでも言え」
†
西部戦線第八戦区第二防衛戦隊。その部隊の夜間哨戒班のプロセッサー達は、宵闇の中にそれを見る。
星も月の光も届かぬ、
その光景を凝視しながら、夜間哨戒班の班長は低く呻く。
「……戦隊長に連絡だ。……奴ら、とんでもねぇ数で来やがった」
†
彼らが〈レギオン〉の大軍勢を目撃する、その少し前。
電波の波に乗った機械の言葉が、夜闇の空を駆ける。
《――ノゥ・フェイスの指令に基づき、これより西部戦線軍はサンマグノリア共和国に対し掃討作戦を開始する》
《第八総軍は北部戦線を突進》
《第一六総軍は南部戦線を、第二二総軍は西部戦線をそれぞれ突進。
《なお、東部戦線第六総軍はギアーデ
《以上、作戦伝達事項を終了。各軍、行動を開始せよ》