86-エイティシックス-『ミオソティス』   作:暁天花

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夢の終わり

 突然、深夜に叩き起された。

 何事かと寝ぼけた頭で考えるよりも先に、セイエが硬い面持ちで見下ろしてくるのが視界に映る。

 

「やっと起きたか、アスカ」

「……なに、夜襲?」

 

 目を擦りながらアスカは問う。

 この時間帯に起こして来るあたり、それぐらいしか心当たりがない。しかし、セイエは更に眉間の皺を深くするばかりだ。

 

「ただの夜襲なら良かったんだがな。今回のはちと違いそうだ」

「……と言うと?」

「ついさっき、第七戦区から西部戦線全域に無線で即応警報が届いた」

「……!」

 

 その言葉に、アスカは目を見開く。

 即応警報。万が一の事態が起こった時のために、西部戦線のエイティシックス達が独自に構築している通信網の事だ。

 各戦区において最低一つの無線装置が各々の部隊によって用意されており、緊急事態にはその無線装置を使って各防衛戦隊同士で連携を取れるようにしたものだ。そして、それが全域に渡って使われたということは。

 尋常ではない事を悟ったアスカは、真紅の双眸をきっと細める。

 

「他のみんなも起してくれ。準備でき次第、全員で出撃する」

 

 

 

 速攻で出撃の支度を済ませたアスカは、セイエと一緒にプロセッサーを全員叩き起してから格納庫へと急ぐ。

 他の隊員よりも一足先にバラックを出ると、格納庫のシャッターは既に開いていて。懐中電灯の明かりだけが〈ジャガーノート〉の白茶色の装甲を照らし出していた。

 格納庫へと着くなり、こちらに気づいた整備兵が駆け寄ってくる。

 

「エンジンは既に動かしといた。いつでも出撃はできる状態だ」 

「ありがとうございます」

 

 簡潔に礼を言って、アスカは即座に〈ジャガーノート〉へと乗り込む。 

 キャノピを閉じ、慣れた手つきで操縦桿(スティック)のボタンを押す。起動した左右と正面の光学スクリーンの光が、夜の闇に紛れていたコクピット内をほのかに照らし出した。

 じん、とレイドデバイスが熱を帯びる。

 

『大尉に報告しなくていいのか?』

 

 聞こえてきたのはセイエの声だ。

 暫しの思考ののち、アスカは口を開く。

 

「流石にこの時間帯じゃあ寝てるでしょ。まずは俺達でどうにかしよう」

 

 まだ状況が明確になっていない以上、勤務時間外のヴェーチェル大尉を呼び出すのは早計だ。まともに仕事をしない他のハンドラーならまだしも、あの人には随分と世話になっている。できる限り休息は摂って貰いたい。

 

『……お前、夜勤のハンドラーも居るの忘れてねぇか?』

「どうせやってないでしょ」

『まぁ、それはそうだろうが……』

 

 ばっさり切り捨てるのに、セイエの苦笑した声が耳に届く。出撃の準備が全て整ったところで、今度は少女の声が聞こえてきた。

 

『ごめん! ちょっと遅くなった!』

 

 フレイの声だ。直後に数名の声が届いてきて、その全員が〈ジャガーノート〉の起動を手早く進めていく。

 

『状況は?』

 

 緊張の声音で訊ねてくるのに、アスカは目を細めて答える。

 

「ついさっき全戦区に即応警報が発令されたところだ。まだ詳しい事は何も分かってないけど……、ただ事じゃないのだけは確かだ」

『……了解』

 

 言葉を詰まらせつつも応答するのを聞いて、アスカは今一度気を引き締める。

 

 

 

 基地から出撃して、数十キロ程離れた稜線の多い平野の一角。そこで、アスカ達は〈レギオン〉共の大軍勢を見る。

 空は夜の闇よりも深い黒で、阻電撹乱型(アインタークスフリーゲ)の展開するそこに辺りを照らす光は何もない。唯一、地平線上に際限なく拡がる幽鬼の如き青い光だけが、襲い来る津波のように揺らめいていた。

 

「……は」

 

 その光景に、アスカの口からは掠れた笑いがこぼれ出る。

 なんだ。この数は。

 一個師団――いや、それすらも遥かに凌駕している数だ。暗闇の中に見える範囲だけでも、一個軍団はあるだろう。そして。それが全戦域に渡って確認されているということは。

 ごくりと唾を呑み込んで、アスカは無線を全周波にして告げる。

 

「全軍、直ちに撤退を提言する。……この数だ。俺達だけじゃあ勝ち目がない」

『だからって逃げてどうすんだよ!?』

『ここを退いても俺達に逃げ場はないんだぞ!』

「けど、ここで戦っても無駄死にするだけだ!」

 

 焦燥の混じった反論に、アスカは強い口調で怒鳴り返す。

 

「こんな射線の通りやすいところ、俺達のガラクタじゃ十分も持たずに全滅だ! まずは俺達が生き残る事を考えろ!」

 

 少なくとも、こんな場所で戦っては駄目だ。〈ジャガーノート〉の脆弱な装甲は、時には斥候型(アーマイゼ)の機関銃弾ですらも致命傷となりうる。

 隠れる場所も逃げる場所もないここでは、まともな戦闘にすらならない。

 周囲の戦隊が行動を決め兼ねている最中、アスカ達は躊躇なく〈ジャガーノート〉を来た道へと翻らせる。無線を切るのと同時に知覚同調(パラレイド)を繋いで、努めて冷静に指示を下す。

 

「大尉に繋ぎつつ、まずはいつもの伏撃位置まで撤退する。各員、後方からの流れ弾には充分に注意!」

 

 了解、との声が全員から聞こえてきて、アスカは視線を眼前の光学スクリーンに戻す。

 直後。 

 宵闇の空に、刹那閃光が煌めいた。

 

 

 

  †

 

 

 

 耳を劈く大音響に、イリヤははっとして目を覚ます。

 直後、何かが崩落する轟音が外から聞こえてきてベッドを飛び降りた。軍服に袖を通しすらせずに、何事かとカーテンをがっと開ける。直後、目に飛び込んできた光景に絶句した。

 

「は…………!?」

 

 窓外に見えるのはまだ明るいままの市街地と、相変わらず(そび)え立っている頑健なグラン・ミュールの要塞群だ。

 が。そのグラン・ミュールの一角が、何かに抉られたかのように崩れ落ちていた。

 あれが。先程の轟音の正体か。

 

 窓の下がにわかに騒ぎ出すのを聞きながら、イリヤはネグリジェを脱いで素早く軍服へと手を伸ばす。

 いくらグラン・ミュールが整備されてないとはいえど、あんな崩れ方をする程整備不良は深刻ではない。そして、あの抉れたような破壊の跡。それが指し示すのは(ただ)一つ。〈レギオン〉の攻撃だ。

 

 恐らくは新型だろう。現在の共和国軍のデータベースには、レーダー探知範囲外から、それもこれ程の威力を投射できる機種は存在しない。

 ……ただ、心当たりはある。

 タイツを穿()き終え、大尉の徽章(きしょう)をがっと掴んでバッグへと放り込む。 いつの間にか反応を示していたレイドデバイスを首へと()めて、イリヤは家を出た。

 

 

 

  †

 

 

 

 時間稼ぎとなることを選んだ部隊達が、後方で決死の爆発音を轟かせる。それを、アスカは険しい表情をして聞いていた。

 全軍が一斉に撤退すれば、速力ですらも劣る〈ジャガーノート〉ではいずれ〈レギオン〉共に追い付かれてしまう。ただでさえ無力な機体なのだ、そんな事態になってしまえば全滅はまず避けられない。

 

 それを分かった上での、決死の遅滞戦闘だった。自分達はその戦場で死ぬまでを耐え抜き、撤退していった同胞達に希望を繋ぐ。素晴らしく、それでいて悲壮的な自己犠牲の精神。

 同胞に十死零生(じっしれいせい)の運命を押し付け、自分達は生き残る――。そんな判断が本当に正しかったのかどうか。疑問が頭をよぎった時だった。 

 

 不意に、じん、とレイドデバイスが熱を帯びる。

 

『ごめん! 遅くなった!』

 

 聞こえてきたのはヴェーチェル大尉の声で、アスカは安堵と驚愕の入り混じった表情を浮かべる。

 こんな時間だというのに、このハンドラーは呼びかけに応えてくれた。

 どうやら走りながら繋いでいるらしい。はぁはぁと激しい息をもらしながら、ヴェーチェル大尉は大声で訊ねてくる。

 

『今そっちはどうなってんの!?』

「俺達にも詳しいことは……! ただ、もの凄い数が西部戦線全域で侵攻してきてます!」

 

 数個軍集団か――はたまたそれ以上か。総数はアスカには予想もつかない。ただ、かつてない程の大軍勢が、今宵一斉に攻撃を仕掛けてきた。その事実だけがあった。

 

『……これが、()()()()()()の言ってた大攻勢か……!』

 

 憎々しげに呟かれた言葉に、アスカは訝しげな表情をつくる。

 大攻勢? いったい、何の話だ?

 そんな疑問を問う暇もなく、ヴェーチェル大尉は捲し立てるように叫ぶ。

 

『事情は分かった! ボク()もすぐに応戦体制に入る! ……五分、耐えて!』

 

 き、と目を細めて。アスカは決意の声音で応答する。

 

「……了解!」

 

 

 ヴェーチェル大尉との知覚同調(パラレイド)が切れた後、アスカ達は〈ジャガーノート〉を回頭させてそれぞれの伏撃位置についていた。来たる〈レギオン〉の襲来に備える異様な静寂の中、セイエの声が鋭く響く。

 

『ハンドラーの言う事なんて信じていいのか?』

 

 その言葉に、アスカは複雑な気持ちで目を細める。

 指揮管制官(ハンドラー)。アスカ達有色種(コロラータ)を強制収容所へと押し込め、戦えと鉄の棺桶(ジャガーノート)情報処理装置(プロセッサー)として詰め込んだ白系種(アルバ)の一員だ。

 これまで良くして貰っていたとはいえ、こんな絶望の状況下だ。動いてくれる保証はない。

 戦隊員の総意を代弁したセイエの言葉に、アスカは信頼のこもった声音で応える。

 

「今は信じるしか生き残る方法はないよ」

 

 

 

  †

 

 

 

 プロセッサー達との知覚同調(パラレイド)を切断して、イリヤは()()()()()()()()()()()()()()知覚同調(パラレイド)を設定する。再び、起動。

 刹那鈍い痛みが頭を襲うが、イリヤは構わない。はっきりと聞こえるように、大声で叫んだ。

 

「こちら第二戦区第一防衛戦隊指揮管制官(ハンドラー)、イリヤ・ヴェーチェル! 動ける者は応答せよ!」

 

 暫くして、聞こえて来たのは一人の若い男の声だった。

 

『こちら第一六八防衛隊! 大尉、これはいったいどうなってるんです!?』

 

 露骨に狼狽える男の声に、イリヤは怒鳴りつけるように応答する。

 

「現在、西部戦線はヴラディレーナ・ミリーゼ大尉の提唱していた〈レギオン〉軍の大攻勢に晒されているものと思われる!」

 

 

 ――〈レギオン〉が活動を停止する事はない。彼らは近い将来、共和国に再び大きな脅威を与えるだろう。

 

 

 一年ほど前に、東部戦線第一戦区第一防衛戦隊――スピアヘッドの特別偵察任務を、軍規違反を片手に送り届けた後に鮮血の女王(ブラッディ・レジーナ)が提出したとされる報告書の一文である。

 軍の上層部からはまるで相手にされず、知らず握り潰された報告書だ。

 

 けれど。それは従来の言説を疑う数少ない共和国軍人の間で密かに検証され、結果、概ね事実だと判明した報告でもある。

 〈レギオン〉は、いずれ再び共和国に対し大きな攻勢を仕掛けてくる。それが、イリヤのような現状に疑問を抱く軍人に一致していた認識だった。

 そして。その時は来てしまった。

 込み上げてくる焦燥を理性で抑え付けて、イリヤは荒々しく告げる。

 

「戦時特例法第九条二三頂に基き、イリヤ・ヴェーチェル大尉よりグラン・ミュールに駐在する全軍人へ告ぐ! 各員、速やかに各種迎撃兵装を起動し、全兵力をもって〈レギオン〉に対抗せよ!」 

『しかし、それではエイティシックスの連中を支援する事に――』

 

 ことここに及んでまだ巫山戯(ふざけ)た事をのたまう男に、イリヤは怒鳴る。

 

「今、ここで奴らを叩かなければ西部地域の住民は全員地獄行きだ! とっとと対応に当たれ!」

 

 

 

 グラン・ミュールへの指示を出し終え、今度は電話で空輸部隊の基地へと繋ぐ。詰め込めるだけの補給品を詰めて今すぐ第一区へ飛べとだけ言って、応答を待たずにすぐさま切断。

 それと同時に、イリヤは目的地に辿り着いていた。

 

 案の定夜勤の人員の居ない西部方面軍司令部の門を抜け、重厚な扉を押し開く。中に踏み入って、まず聞こえてきたのは耳を(つんざ)く様な大きな侵入警報(アラート)だった。

 情報端末のものでもなければ、各部隊の指揮管制失礼からでもない。司令部全体に鳴り響く、不気味で異様な警報音だ。

 数刻の間呆けたようにそれを聞いて、イリヤははっとする。き、と目を細めて奥歯を噛み締めた。

 

「……グラン・ミュールの陥落警報か」

 

 十数年前に設定されたきり、一度も発令される事のなかった警報だ。そして。グラン・ミュールの陥落は共和国の絶対国防圏の陥落を意味する。

 酔い潰れた当直士官の傍を駆け抜け、イリヤは空の指揮管制室を横目に自分の部屋へと向かう。

 

 

 部屋に着くなり、イリヤは息せききった声で認証を開始させる。声紋と網膜パターンの認証を経て、管制が開始。

 ホログラムのスクリーンが次々と浮かび上がり、薄暗い部屋の中をほんのりと照らし出す。メインスクリーンに映し出された赤の輝点(ブリップ)――基本的に〈レギオン〉だ――に、イリヤは絶句した。

 

「な――」

 

 その数、約五○○。斥候型(アーマイゼ)近接猟兵型(グラヴォルフ)が構成する第一陣に、少し離れた後方には相変わらずの斥候型(アーマイゼ)と普段見ることの少なかった戦車型(レーヴェ)の大群が待ち構えていた。

 その更に後方、第三陣には重戦車型(ディノザウリア)の姿が多数確認できる。

 防衛戦隊の〈ジャガーノート〉では、まず勝ち目がない数と相手だ。

 

 ちっと舌打ちしつつも、イリヤは座標入力を開始。同志達と密かに設定していた三個戦区の迎撃兵器の指揮権を行使し、更なる座標の入力を急ぐ。

 こんな事になるなら、もっと早く他戦区の部隊とも知覚同調(パラレイド)を繋いでおくんだった。

 そんな後悔と焦燥に駆られながらも、イリヤは極めて正確に迎撃兵器達の目標座標の入力を完了させる。

 そして。ミオソティス戦隊へと知覚同調(パラレイド)を繋ぎ。イリヤは冷えた声音で通告する。

 

 

 

『――着弾用意!』

 

 〈レギオン〉先鋒部隊との戦闘の最中、突然入り込んできた凛然の声に、アスカは刹那目を見開く。

 直後。その意図を理解して叫んだ。

 

「全員着弾準備!」

 

 眼前の斥候型(アーマイゼ)をブレードで斬り伏せ、即座に後退。来たる衝撃に機体を備えさせる。

 

『着弾――――今!』

 

 爆轟と共に宵闇の空が刹那鮮やかな(あけ)に煌めき、大気を震わせる。見えてきた夜空に、無数の誘導飛翔体(ミサイル)が降り注いだ。

 阻電撹乱型(アインタークスフリーゲ)の残骸がはらはらを舞い落ちる夜闇の中に、誘導飛翔体(ミサイル)の第二波が到着。アスカ達からは少し離れた〈レギオン〉の第二陣の頭上で炸裂し、自己鍛造弾が驟雨(しゅうう)となって彼らに容赦なく襲い掛かる。

 突然の後方部隊の消失に双方が呆気にとられている最中、ヴェーチェル大尉が叫ぶ。

 

『第二陣以降はボクの方で何としてでも削り切る! 君達は第一陣に集中して!』

 

 迎撃砲が眼前の近接猟兵型(グラヴォルフ)を木っ端微塵に粉砕するのを見ながら、アスカは決然と応える。

 

「了解!」

 

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