86-エイティシックス-『ミオソティス』   作:暁天花

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白系種《アルバ》とエイティシックス

 突如襲いかかってきたとてつもない衝撃と破壊音を、イリヤは咄嗟に身を屈めた状態で聞く。無意識に瞑っていた目を開けて――その光景に絶句した。

 先程まで見ていたモニターは飛散した瓦礫に完膚なきまでに打ち破られ、隙間からは夜の空が見えていた。晩夏に特有の心地のいい風が吹き込んできて、イリヤの頬を撫でていく。

 何が、起きているのか。咄嗟に理解できなかった。

 

『――大尉!? ヴェーチェル大尉!? 聞こえてたら返事してください!』

 

 必死の声音で叫ぶ声が知覚同調(パラレイド)越しに聞こえてきて、イリヤは我に返る。散発的な爆発音が空気を震わせているのに気付いて、現状を悟った。

 ――これは、〈レギオン〉の砲撃か。

 

 ここから確認できる着弾の被害規模から推測するに、恐らく、この一帯を砲撃しているのは長距離砲兵型(スコルピオン)だ。西部戦線はモニターの見えていた直前まで地雷除去の砲撃が続けられていたから、この砲撃は少なくとも西側からの攻撃ではない。東部は遠すぎるし、南部はミリーゼ大尉の主管轄下だ。そう易々と〈レギオン〉を通したりなどしないはずだ。

 

 つまり。この砲撃は北側からしかありえない。

 そして。そう断ずるに足りる情報が、今のイリヤには揃っている。北部から逃げてきていた人々に、最も攻勢が薄かったために戦力の配置も少なかった北部戦線。それが、今の共和国の戦況を表していた。

 

「……北はもう全滅か」

 

 自然とこぼれ出た言葉は、爆声に呑まれて消えていく。ぎり、と奥歯を噛み締め、イリヤは決然の色を瞳に灯して知覚同調(パラレイド)に応じる。

 

「こちらイリヤ・ヴェーチェル。……ボクは大丈夫だよ」

『大尉!? よかった……! 生きてた……!』

 

 歓喜に染まるリンドウ大尉の声に、イリヤは冷たく言い放つ。

 

「ただ、司令部はもう使えない」

 

 先程まで使用していた指揮管制室は、ただの瓦礫の部屋と化していて。レーダーを使用した指揮管制はもはや実行不能の様相を呈していた。……それに。

 

「修正を終えたあとの有効打が、あと数分もすれば司令部(ここ)を木っ端微塵に吹き飛ばす。西部戦線の中央指揮はもう壊滅したと考えていいと思う」

『……やはり、ですか』

 

 工兵の隊長の声が重く響き渡る。ただでさえ数的にも質的にも不利な戦況なのだ。それに加えて指揮系統の喪失となると、戦況はより厳しいものとなる。 

 しかし、だからといって戦うことを――打ち勝つことを諦めたりはしなかった。

 唯一、無事だった無線装置に手をかけ、イリヤは冷然と告げる。

 

「現時刻をもって西方方面軍司令部及び第二戦区以北のグラン・ミュールと、それに付随する迎撃兵器を全面的に放棄する。該当部隊は直ちに撤退を開始し、以南の部隊と各自合流。ミリーゼ大尉の指揮系統に入り、各位防衛戦闘を展開せよ」

『……あんたはどうするんです?』

 

 訊かれるのに、今度は知覚同調(パラレイド)を起動して応える。

 

「ボクは地下工廠のフェルドレスを起動して、自衛しつつここに留まって指揮を再開する。……ルース大尉、貴方達もここに残ってくれると嬉しいんだけど」

『民間人の避難がまだ完了してないんです。私達まで退()く訳にはいかんでしょう』

「助かるよ」

 

 ふっと笑みをこぼしながら、イリヤは瓦礫の隙間から這い出る。立ち上がって、闇の中に燃え上がる朱色の炎と、空を覆う黒い硝煙を見つめた。

 きっと目を細めて、イリヤは告げる。

 

「リンドウ大尉、君達はここを撤退して」

『え?』

 

 彼の戸惑いを感じつつも、イリヤは冷淡に続ける。

 

「ボクは工兵中隊のみんなと一緒にここで〈レギオン〉先鋒部隊を足止めする。君達はミリーゼ大尉のところと合流して、()()()()()戦闘をして」

『あ、あんた、なにを……?』

 

 語気を強めて、イリヤは言い放つ。

 

「君達の戦いはもう終わったんだ。希望のない戦場で、()()()()()()()()をする必要はもうない」

 

 彼らの戦争は今日で終わった。共和国の迫害は、今宵グラン・ミュールの崩壊と共に終焉を迎えた。武力のない白系種(アルバ)が、武力の象徴たる軍事力を持った有色種(コロラータ)――エイティシックス達に楯突ける筈もない。

 これから防衛戦の中央指揮を執るであろうミリーゼ大尉も、そんな差別を許すはずがない。もう、ただ死ねと――無意味に散れという命令も、作戦も下達される事は未来永劫ないのだ。 

 暫し、リンドウ大尉は押し黙って。感情を押し殺した声が知覚同調(パラレイド)に届いた。

 

『…………了解』

 

 

 無線と知覚同調(パラレイド)の両方を切断して、イリヤは崩れた階段を降りて地下格納庫へと向かう。奇跡的にも怪我らしい怪我はしていなかったために、その足取りは軽快なものだった。普段から最低限動ける身体はつくっていたのが、功を奏した。

 薄暗い地下の廊下に軍靴の音がカッカと鳴り響き、その奥に着くやいなやシャッターの開閉ボタンを押す。それが開くと同時に内部の照明が点灯し、そこに置かれていた数機のフェルドレスが姿を表した。

 

 XM4A2E8――〈アキリーズ〉。それが、ここで開発されていたフェルドレスの名だ。

 ついぞ一機しか完成することはなかった、現状打破派の技術士官達が地下工廠で密かに開発を進めていたM4A1〈ジャガーノート〉の試作後継機。

 歩行制御プログラムこそ貧弱なままなものの、四脚の強度を強化し、機関銃弾程度は防げるように増厚されたコクピット装甲など、細かな調整が加えられている。

 その他にも通信機器が強化されたほか、主砲が()()ミリ滑腔砲に換装されているのが最も大きな特徴だ。数少ない報告書から現用機の欠点を洗い出し、そして最も必要とされていた火力の向上を目指した新型砲。

 

 コクピットに飛び乗り、起動スイッチを押し込む。閉じた装甲コクピットに光学スクリーンが展開され、暗闇をほのかに照らし出す。微改良されたエンジンの駆動音が耳を打ち、けれどもその振動がコクピットにまで届くことはない。

 

「まさか、ボクが乗ることになるとはね」

 

 独り言を呟きながら。イリヤは、操縦桿(スティック)を巧みに操作して格納庫奥のエレベータへと機体を移動させる。

 士官学校では一応フェルドレスの操縦課程が設けられており、イリヤはそこを圧倒的な成績で修了している。(とはいえ、選択課程だったので数人程しか受けている人はいなかったが)

 この機体の試験搭乗もイリヤが担当していたから、動きはとても滑らかなものだった。

 エレベータの中央に機体を載せると、ひとりでに動き出すのをイリヤは感じる。昇っていく間に機体のレーダーが作動し、フリップに疎らな青点(味方)赤点(レギオン)の輝点が表示されていく。

 

 ――これを昇り切ったら、そこは戦場だ。今までのように後方の安全な場所から指揮していたのとは違う、一歩間違えれば命を喪う()()の戦場。

 深呼吸をして強ばる心を落ち着かせる。きっとスクリーンに目を向けて、イリヤは来たる〈レギオン〉との戦闘に備える。

 

 

 

  †

 

 

 

 あちこちで爆轟が巻き起こるのを全身で感じながら、アスカは決然とした声音で口を開く。

 

「セイエ、お前は他の戦隊員を連れて南へ離脱しろ」

 

 彼は暫し、沈黙して。程なくしてから、感情を抑えた声が知覚同調(パラレイド)から届いた。

 

『……お前はどうするんだ?』

「俺は、ここでギリギリまで〈レギオン〉の足止めをする。……大丈夫だ、ここで死ぬ気はさらさらないよ」

 

 安心させるようにアスカはからりと笑う。実際、ここでくたばるつもりは毛頭ないのだ。……ただ、放っておけない人がいるだけで。

 

『お前が居てもいなくても、〈レギオン〉共の進撃速度は大して変わらない。焼け石に水だ。……それでも、お前は残るってのか?』

「ああ」

 

 即答した。アスカには、どうしても放っておけない人がいる。その人がここに留まり、命を賭して遅滞戦闘を行って多数の命を救おうとしているのだ。

 その勇姿を、敢然と立ち向かう心を。アスカは最期まで見届けたかった。

 

「大丈夫だ。必ず戻る」

 

 その言葉でセイエは全てを察したようだった。後ろで機体を回転させる音が鳴り、視界の端に〈ジャガーノート〉の後部が見える。再び視線を前へと戻したところで、彼の声が届いた。

 

『皆で、南で待ってる』

「ああ。お前らも死ぬなよ」

『当たり前だ』

 

 そう、二人は短い言葉を交わして。アスカは自分の仲間であり家族であるミオソティス戦隊から離脱した。

 

 

 セイエ達が南へ離脱していくのをレーダーフリップで見送って。アスカは来るべき〈レギオン〉に備えていた工兵中隊の中隊長車両へと機体を向かわせる。程なくしてこちらに気付いたらしい、彼は無線で通信を繋げてきた。

 

『何をしている。君も早くここを離脱したまえ』

 

 鋭い口調で言われるのに、アスカは決然とした声で返す。

 

「俺はここに残ります。()()()()()()()()()()()()()()()

『……それは〈レギオン〉の撃滅か? それとも――』

「放っておけない人がいるんです」

 

 工兵隊長の言葉を遮って、アスカはそれを強く否定する。

 

「いっつも俺達に関わろうとして、軍規違反も承知で支援攻撃をやってくれて。……それで、友達のいない人が」

 

 共和国軍人だからと、クズで守る価値もない人々の為に命を懸けて。弟のことが心配で堪らないだろうに、それを押し殺して。俺達の指揮に全力を注いでいる人が。

 その人を、アスカはどうしても見捨てて去っていけなかった。その人を失いたくない――そんな、有り得ない感情がアスカを支配していた。

 暫し、工兵隊長は口を噤んで。少し柔らかい声が、荒い音質の中から届いた。

 

『その人はここから南西にある公園から出てくるはずだ。お前の指揮は私達には任されていない。その“放っておけない人”に指示は仰げ』

「……了解です」

 

 そう言って、アスカは言われた場所へと向かった。

 

 

  †

 

 

 公園に偽装されたエレベータドアが、ぱっくりと口を開けて夜の空を視界に入り込ませる。いつの間にか阻電妨害型(アインタークスフリーゲ)が展開していたらしい。その闇は鈍色に蠢いていて、燃え盛る炎を反射した空にはところどころに薄い朱色が灯っていた。

 正面を見据え、その視界に地上が映りかけて――その時。

 じん、とレイドデバイスが微かに熱を帯びた。

 

『待ってたよ。ヴェーチェル大尉』

 

 聞こえるはずのない声に、イリヤは唖然とする。

 エレベータのせり上がりが停止して、〈アキリーズ〉の前に佇んでいたのは一機の〈ジャガーノート〉だった。

 白茶色の装甲には竜胆(リンドウ)を背景に鋭い剣をあしらったパーソナルマークが描かれていて。それが意味している人物は、イリヤが知る限りは一人しかいない。

 

「リンドウ大尉!? な、なんで君がまだここにいるのさ!?」

 

 西部戦線第二戦区第一防衛戦隊『ミオソティス(忘れな草)』。それの戦隊長――アスカ・リンドウ大尉が、目の前にいた。

 イリヤの当惑をよそに、彼はさも当然のように言葉を続けてくる。

 

『隊のみんなは既に全員南に離脱させたんで大丈夫です。……そんで。俺はどこにつけばいいですかね?』

「な……、何を言ってるの! 君もすぐに離脱して!」

 思わず怒鳴っていた。何故、彼がこんなところにいるんだ。

 

『まだあんたが残ってるのに、退ける訳ないだろ!』

「は……?」

 

 怒鳴り返されたリンドウ大尉の声に、イリヤは怪訝と怒りが入り交じった瞳を細める。沸き立つ激情を抑えて、イリヤは冷淡に言葉を並べ立てた。

 

「言ったでしょ? 君達の戦争はもう終わったの。白系種(アルバ)の指揮に従って、ただ死ぬしかない戦闘をする義理も、必要も君にはもうないの。だから――」

『これは()()()()()!』

 

 イリヤの言葉を、リンドウ大尉の宣言が断ち切った。決意に染まったその声に、イリヤは一瞬気圧される。

 一度深呼吸して、リンドウ大尉は静かに言葉を続けた。

 

『俺は、ヴェーチェル大尉に――()()()に死んでほしくないから、ここに居るんだ』

「……なんで、そんなことを」

 

 純粋な疑問だった。イリヤは、傲慢にもエイティシックスの人々を人間と叫びながらも差別し、救いの手を差し伸べようともしなかったただの偽善者だ。彼らに恨み、憎まれこそすれ、死んでほしくないなどと言われる義理も資格もない。

 リンドウ大尉は口調に微かな困惑を交えながらも言葉を紡いでくる。

 

『俺にも、なんでそんなことを思ってるのかは分かんない。……けど、あんたを放って逃げることなんてできないって思ったから』

 

 それに。と、彼は告げる。

 

『あんたが指揮官(ハンドラー)じゃなきゃ、俺達ミオソティス戦隊はここまで生き延びることはできなかったんだ。これは……、その。ちょっとした恩返し……なのか?』

「…………くふ」

 

 言葉の途中で疑問形になるのに、イリヤは堪らず笑みをこぼしていた。こんな緊迫の場で、いつ死ぬのかも分からない戦場だというのに。この人は。

 すっかり険のとれた声音で、イリヤは呟く。

 

「……馬鹿じゃないの」

『ああ。多分、大馬鹿だよ。俺は』

 

 にこりと、微かな自嘲の混じった声音で彼は返してくる。通常の同調率では伝わらなっただろう、少し歪な信頼関係が、イリヤにははっきりと感じとれた。

 どうせ、何を言ってもこの人は撤退の指示を聞かないだろう。そう思って、イリヤは指示を下す。

 

「ボク()が守るのは中央広場付近だよ。あそこは道が広いから、多数の〈レギオン〉が通過しようとすることが予測される。それを阻止するのが、ボク達の役目だ」

 

 こくりと頷くのを感じて、イリヤは続ける。

 

「まだ住民の避難が完了してない以上、一機の斥候型(アーマイゼ)ですらも通過は容認できない。ボク達で対処できない分は工兵部隊に処理を要請するから、できないと判断したらすぐにボクに伝達して」

『了解』

「それと。作戦に移る前に、一つだけ約束して欲しい」

『なに?』

 

 訊いてくるのに、イリヤは努めて軽い口調で応えた。その裏にある真意を決して悟らせないように。

 

「ボクの命令には必ず従うこと。いいね?」

 

 特に何かに勘づくふうもなく、リンドウ大尉は応える。

 

『りょーかい』

 

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