熱い。熱い。
ここは、熱い。
おれの周りに広がる赤く輝く炎。
灼熱の業火が、あたりにある建物を焼き尽くしている。
「おれ」の見る景色は、黒く灰色に染まっていた。
一人は、全身が黒く焦げ焼きただれている。
もう一人は、上半身のまた先から下が無くなっていた。
「たすけて」「いたい」という声が聞こえる。
「おれ」に向かって語りかけられる声。
助けを求める声を無視して、おれはひたすら歩き続ける。
お父さんとお母さんとは、さっき離れ離れになった。
燃え盛る家の中に取り残されたおれを助けるために消えていった。
あれからどれほど歩いたんだろう。
もう、疲れた。ここで休んでしまいたい。
火災の空気を吸って酸欠になっているのか、「おれ」は意識朦朧となってその場に倒れこんでいた。
瓦礫がおれの体を覆うように落ちてくる。
瓦礫の下敷きになって、おれの体ははさまれてしまった。
もう、火はそこまで近づいてきている。
ああ、もう終わりだ。おれはここで死ぬんだ。
ごめん、お父さん、お母さん。
おれ、生き延びることできなかったよ。
◇
「…ッッ!…誰か!誰か生きている者はいないのか!」
火事が広がる業火の街を、僕は必死になって走り回っていた。一人でも多く、生きている人を助けるためだ。
聖杯から溢れ出した漆黒の泥により、この町は業火に包まれた。
その引き金を引いてしまったのは、奇しくも聖杯を破壊しアンリマユの召喚を阻止しようとした僕自身だった。
セイバーを利用し、僕は令呪を使い聖杯の破壊を命じた。その行動の招いた結果が、これだ。
聖杯を破壊しアイリを犠牲にし、僕は世界を救おうとした。「小」を犠牲にし、その他大多数を救うために。
その結果、僕はこのように冬木市の人々を不幸のどん底に叩き落としてしまった。
僕のせいで、今こうして現在進行形で大勢の人が死んでいる。
「・・・あ、あれは・・・!」
しばらく歩いていると、遠くにある瓦礫の中から、小さな手が出ているのが見えた。
あの大きさからして、おそらく小さな子どもくらいだろう。
瓦礫を抱え、中にいる子どもを助け出そうとする。
火災の熱に熱され、壊れたコンクリートの瓦礫がとても熱い。けれどそんなこと知ったことか。
この子は僕以上に、痛みと熱さで苦しんでいるんだ。
そうだ、僕は気づいていたはずなのに、僕は現実から目を逸らしてしまっていた。瓦礫の隙間から覗く子どもの手。その手が煤のように黒くなっていた。数多の戦場を渡り歩いた僕がこんな状態になっている子どもが『どうなって』いるかなんて想像出来たはずなのに、僕はその現実から目を逸らそうとしていたのだ。
「ああっ…、そんな…」
瓦礫をどかし、中にいる子どもを助けだす。
僕が助けたその子どもは、全身が黒焦げになっていた。
顔は焼きただれ、どのような人相なのか判別できない。その子が少年なのか、少女なのかすら分からなかった。
僕が助けたその子は、煤同然の黒焦げの姿となり僕の両手で抱えられていた。
人の肉が焼けた時の独特の匂いが、僕の鼻を刺激する。
僕は今まで色んな戦場を渡り歩いてきたが、この匂いには未だに慣れない。
こんな小さな子どもがこのような目に遭っていることに、僕はひどく心を痛めていた。
「は、早く・・・!早く助けないと・・・!」
その子を蘇生するために、僕は自分の肉体から『全ては遠き理想郷』を取り出そうとした。その時だった。
無くなっている。僕の肉体に埋め込んでいるはずの『全ては遠き理想郷』が、どこにも無くなっていた。
可能性があるとすれば、先ほど聖杯の泥に飲まれた時だ。おそらくその時に、僕の体の中に眠っているはずの『全ては遠き理想郷』は聖杯の泥に飲み込まれ、僕の体から離れてしまったのだろう。
「…ゥ」
「…!!息が、まだ息がある!」
僕は大きく息を吸い、彼または彼女に人工呼吸を施した。
ヤニで汚れ臭う息かもしれないが、この際そんな悠長なことは言っていられない。
「はあっ・・・!ダメだ、このままじゃこの子は・・・!」
その時、僕の目の前で『奇跡』が起こった。
「────なんだ。あれは…」
遠くに見える、『人』の形をした何か。それが、ゆっくりと落ちてきているのが見えた。
その姿に、僕は見覚えがあった。いや、忘れるはずがない。忘れていいはずがない。
だって彼女は世界を救うために見捨てた、僕の大事な人だったのだから。
「…ア、アイリっ!!」
聖杯の泥に飲まれ死んだはずのアイリの肉体が、僕の目の前に現れたのだ。
僕は夢中で、彼女の元に駆け出した。誰かの罠かもしれないなんて、そんなこと考える余裕もなかった。
目の前で死にかけの子どもが倒れているのに僕は不謹慎にも、自分の手で葬った彼女が再び僕の目の前に現れたことに対し喜んでしまっていたのだ。
ゆっくりと落ちてくるアイリの体を、僕は包むように優しく抱き留める。
この手で別れを告げたはずの僕の最愛の人、アイリ。
その姿が今、僕の目の前にある。
しかし彼女を抱き抱えた瞬間、僕は確信した。
「っっ、魂が、無くなっている…?」
抱き抱えたアイリの体からは、彼女の魂がなくなっていたのだ。
心臓からも拍動は聞こえるし、温もりだって感じている。
しかし生気を失ったその表情は、彼女の肉体に『何も入っていない』ことを示していた。
妻の肉体は、何も入っていない空の器となっていたのだ。
「そ、そんな・・・!アイリ・・・!!」
既に虫の息の黒焦げの一人の子どもと、目の前に現れた亡き妻の空の器。
僕は今、何をすべきなのか。答えは明白だった。
「この子の魂を、置換魔術でアイリの肉体に移植しよう。・・・そうしなければ、どちらとも死んでしまう・・・」
置換魔術とは、アインツベルンが得意とする魔術の一つだ。僕もアインツベルンに婿養子として入るにあたり、彼らから置換魔術に関する手解きは受けている。
置換魔術で出来ることは多岐に渡る。物体の移動から場所の移動、記憶の移動。ひいては『魂の置換』まで出来るという代物だ。その中でも魂の置換は、それらの魔術の最上位に当たる。
本来アインツベルンにとって外様の魔術師である僕が、そう易々と一朝一夕で出来る代物じゃない。
もしかしたら失敗するかもしれない。いや、むしろ失敗する可能性の方が遙かに高いだろう。
しかし僕は、この可能性に賭けていることにしたのだ。
無謀だと言うことは分かっている。かつての僕ならこの子もアイリも、どちらも見捨てることにしただろう。
「ごめんアイリ・・・。ごめんね。キミの体を、この子を助けるために使わせて欲しいんだ。」
「───擬似魔術方陣、展開。置換魔術、開始。」
そして僕は、アイリの肉体への魂の移植を開始した。
◇
僕が助けたその子が目を覚ましたという話を病院から聞いたのは、冬木大災害が起こってから一週間が経ってからのことだった。
あの子の魂をアイリの肉体に移植した後、僕はすぐに病院へと向かい彼女の入院の手続きを済ませた。
彼女の名前が分からなかったので、ひとまず僕は「アイリ」という名前で彼女の入院の申請を出していた。
黒焦げになったその子の遺体は、流石に持っていく訳にもいかないのでその場所に放置することにした。
生きている人間の体と、既に死んでしまっている子どもの亡骸。
流石の僕でも、二人の人間を一度に運ぶことなんて出来ない。しかも片方は死体だ。どちらも運んで僕も彼女も焼け死ぬなんてことになってしまったら、洒落にならない。
おそらく今頃あの子の遺体は身元不明の遺体として回収され、共同墓地に埋葬されていることだろう。
一年後に、今回の災害に巻き込まれた被害者たちの慰霊碑が建つことになっている。行方不明者の名前も載ることになっているので、彼または彼女の名前もそこに刻まれることになるだろう。
つまり表向きには、彼または彼女は死んでしまったことになる。
本来、このようなことは魔術業界の間で定められている神秘の隠匿について反している。魔術を行使して助けてしまった以上、これからの彼または彼女の面倒は僕が見ないといけないのだ。
近くの生花店で花を購入し、僕は彼女が入院する冬木総合病院へと向かっている。
彼女が入院している病室は560号室だ。そして今回、彼女と直接会うのは初めてのことになる。
「…よし、入るぞ。」
ドアをノックし、中に誰かいないかを確認する。
「…はい、どうぞ。」
すると中から、聞き馴染みのある声で女性の返事が聞こえて来る。
また再び、生きている彼女の声が聞こえる。部屋の向こうにいる彼女が、僕の知る『彼女』ではないと分かっていながら、僕は部屋の向こうにいるアイリとの再会に胸を弾ませ、ドアを開いた。
するとベットの方に、見慣れた人影が見えた。
白いブロンドヘアーに、真紅の様な赤い瞳。その風貌は、雪国に住む可憐な王女を思わせる。
かつての僕の妻と瓜二つの容姿の彼女は、ベットの上に座りながらこちらの方を覗いていた。
子どもとは言えど初対面の子に名前を言わないのは無礼だと思い、僕は自己紹介をすることにした。
「・・・やあ、僕の名前は衛宮切嗣。・・・訳あってキミを、助けることになったんだ。」
見た目は僕のよく知るアイリと同じといえど、彼女は全くの別人だ。
それを肝に銘じて、僕は彼女に話しかける。
「・・・だれ?あなたが、私を助けてくれた人?」
アイリの姿をした彼女は、ぼーっとした表情で僕の顔を見つめていた。
無理もない、僕のような強面のおじさんが、いきなり関係者面して自分の病室に入ってきたのだ。
警戒しない方がおかしな話だろう。
「・・キミが、僕の知っている人とよく顔が似ていてね。ところでキミ、自分の名前は分かるかい?」
目が覚めたら、彼女の本当の名前を聞こうと思っていた。目が覚めたら成人した女性の姿になっているだなんて、誰だって驚くはずだ。ましてや、もしも助けたあの子が男の子だったら尚更のことだろう。
しかし彼女の口から出た返答は、僕が頭の中でわずかながらに考慮していた、ある最悪の想定を示していたものだった。
「アイリ…?この『アイリ』って言うのは、・・・『私』の名前・・・なの?」
すると彼女は、左腕に巻かれているネームカードを指差した。
それは今回の災害に巻き込まれて意識を失った身元不明者に付けられているものだ。
ネームカードには、『アイリ』という名前と僕の携帯への連絡先が書かれている。
(・・・まさか、記憶を失っているのか?)
魂の移植の際の反動なのか、火災の際のPTSDなのか、それとも火傷で酸欠状態になり脳にダメージを受けてしまったせいか、助けたはずのその子は、『記憶喪失』になってしまっていた。
「ぐっ…!」
自分の至らなさに、僕は思わず悔しくなって歯を噛み締め拳を強く握った。僕の技術が未熟だったせいだろう。そのせいで移植の際に、その子の記憶の移植を取りこぼしてしまったのだ。
僕のせいだ。僕が聖杯を破壊したせいで冬木市の人達は『あんな目』になってしまったんだ。
そうだ、僕が聖杯を破壊しなければ、この子がこんな目に会うこともなかったのだ。
しかし僕はどのような形であれ「生きているアイリ」と再び会うことが出来たことに対して、史上の喜びを感じてしまっていた。僕の知る本来のアイリがもう既にこの世から去っていることなんて、頭では分かっている。目の前にいるアイリの姿をした彼女が、『本物の彼女』ではないことなど、分かりきっていたんだ。
(・・・ああ、アイリ。綺麗だ。)
しかし僕は、目の前にいる彼女が「初めて会った鋳造されたばかりの彼女みたいだ」と思ってしまったのだ。
生まれたばかりで、まだ遠くを見ていた無垢な彼女。
「・・・あ、ああ。そうだね・・・。キミの、名前・・・かい?」
ああ、ダメだ。それを言ってはおしまいだ。僕は、戻れなくなってしまう。
ここで別の言葉を言っていれば、彼女は『彼女』らしく、生きていけたはずなのだ。
僕は今でも後悔している、その一言で『彼女』の生き方を決めてしまったことを。
「───ああ、そうだ。キミの名前はアイリっていうんだ。」
僕は彼女に、『アイリ』として生きる人生を押し付けてしまったのだ。