本田はしがないサラリーマンだ。高校を卒業して今の会社に入った。
それまではなんの趣味も持ってなかった。友達が面白いからと進めてきたゲームも男の子が通りそうな車や戦隊ものといったヒーローにも興味が湧かなかった。
このままなんの取り柄もなく黙々と作業をこなし1日を終え生涯を終えるのだろうと漠然と思っていたが、社会人になった今考えが変わった。それも営業課に回されたからだろう。
とにかく覚えることが多くて必死に先輩の後を追い、トーク力も覚えていった。そんな慌ただしい中駅のホームで食べた立ち食い蕎麦の味に感銘を受けた。一口食べて一気に蕎麦の虜になった。それまでも蕎麦を食べなかった訳じゃない。年越しそばや引っ越しそば、それこそ高校時代はカップ麺の蕎麦にはお世話になりまくった。こんなにも惹かれたのは田舎で飲食店は一軒のみそれも専門店ではなく定食屋の隅に申し訳無さそうに[一応置いてますよ]的な感じで置かれている蕎麦を食べていた。別に不味くはなかったのだが東京はこんなにも上手いものかと思い知らされた。
それから、昼は必ず蕎麦になった。
地方に行く度、ご当地の蕎麦を食べたそれも50歳を目前に全て食べてしまった。
年季の入った革の鞄にはシステム手帳とは別に蕎麦手帳が入ってる。
我ながら恥ずかしくもあるが、大切なものだ。食べた蕎麦を撮り、感想を書く。美食家気取りで出汁は何を使っているだとか、蒲鉾の種類だとか、ネギの大きさだとかそれっぽく書いてる。
そんな手帳を新人の女の子に見られたときは「キモッ」とか言われ引かれるかと思ったが、予想に反して「蕎麦好きなんですか?」と目を輝かせて聞いてきた。
もたつきながらも「あぁ」と答えると「今度食べに行きませんか?」と誘われてしまった。
こんなおじさんと?と思ったが最近の子は蕎麦をあまり食べないようで語れる相手が欲しかったと言われた。
数日後、待ち合わせをして彼女のオススメの店に連れていかれた。
鰹や鯖といった海鮮の匂いは一切せず漂う香りは、珈琲。汁を啜る音もしない。ソファの席や半個室のような席があり、クラシックまで流れている。
面を食らっていると彼女がクスッと笑った。
席につくと「ガレットを2つ」と店員に注文を通した。
暫くして香ばしい四角いものが運ばれてきた。真ん中には目玉焼きだろうか半熟の状態で上には黒胡椒がかかっている。
「やっぱり、本田部長は知らなかったんですね。これフランスの蕎麦なんです。」
「日本人以外にも蕎麦を食べるのか?」
知らなかった。職業柄インターネットも使う検索なんて日常茶飯事だし、プライベートで蕎麦屋の情報は見ていたつもりだ。しかし、私が見ていたのはあくまでも氷山の一角。私の30年近くの蕎麦屋巡りはみんなが知っている店に行ったに過ぎなかったと気付かされた。
写真を撮り、一口食べてあの立ち食い蕎麦屋での感動が甦ってきた。食べ終わる頃には涙を流していた。
「美味しくなかったですか?」
心配そうに彼女が言う。
「いや、その逆。こんな香ばしくて蕎麦本来の風味を感じれるものは麺では味わえないかもしれない。所々プチプチ食感があるのもいい。今日は誘ってくれてありがとう。」
それから先ほど気付いたことを彼女に話ながらその日はお開きになった。
私にとっても趣味の合う人と話すのはこんなにも楽しいのかとこの年になって知った。休みの日新店舗開拓といい二人で店に出掛けた。
彼女はまだテレビが取り上げてない店など穴場を見つけるのがうまく感心してしまう。
どうもSNSというのを使っているらしい。この辺は全くわからない。
蕎麦友ができて暫くして出張が決まった、彼女に負けないぐらいの穴場を見つけてやるといきこんで出掛けた。
2泊3日の予定が、1日で済んでしまったが帰りの便は会社が用意した指定席の為1日休みになった。これで心置きなく蕎麦探索ができる。まるで遠足が楽しみでなかなか寝付けない少年になったような気分だ。
鼻に神経を集中させて匂いを嗅ぎとる。中心部から離れて寂れた感じになってきた。飲食店なんかないのではないか、そう思い来た道を戻ろうとしたとき風向きが変わったのかフワァっと鰹の匂いがした。キョロキョロ辺りを見渡すとガラガラと引き戸の音がして一人の男性が出てきた。
店先には看板は出ていない。今聞かなければと思い「あの~ここは」とかなり怪しげな聞き方になってしまった。
「蕎麦屋ですよ」初老の男性は聞き方には特に気にした様子は見せず答えてくれた。お礼をいい中に入る。
ガラガラとすりガラス特有なのか知らないが少し重みのある扉を引いた。
店内には先ほど嗅いだ鰹の匂いで充満していた。
彼女の友達になってからというもの穴場散策もそうだが、最初にその店で食べるのは"ざるそば"と決めている。これが蕎麦の味が一番わかる。因みに冬でもざるそばを置いてる店は結構ある。一番はメニューから省くのが面倒だから二番は通が味を見るため。本心は一番だと思うがどうしてもこちら側としては二番であって欲しいと思ってしまう。
テーブル席に着き、メニューにあるのを確認した。もう、12月。亭主的には面倒な客だろうが、「ざるそばで」と注文した。奥から「へい」と返事がする。よく見るとレジカウンターの側にセルフと書かれていてその下には天かすやねぎ、水もそこに買った。
壁一面に貼られた達筆な字で書かれたメニューを見ながら水を取りに行く。
一番人気はカツ丼らしい。
一番と赤文字で書かれている。
席からは見えなかったが漬け物もセルフらしい。
取ろうか迷う、だが初めての店純粋に蕎麦を食べたい。
水だけを取り席に戻った。椅子に座るとまるで座るのを待っていたかのようにざるそばが運ばれてきた。
なんの変哲もない、代わり映えのしない見立て。10人にざるそばの絵を描いてと言ったら10人皆が書くであろうざるそばだ。小皿にわさびがついている。
まずは何もつけずに食べるのも私のルーティンだ。
口に含むと粒々感がある舌触り、噛めば噛むほど甘くなる。
若い頃蕎麦畑に行ったことがある。花を見たくて写真で見て白い花が可憐で風に揺れるのを見てみたいと行ったが近くで見る前に行ったことを後悔した。臭いのだ、小学生のころ生き物係りで鶏小屋に行っていたがそこの匂いがした。
その後食べた蕎麦は匂いのせいか余計に美味しく感じ後悔したことを後悔した。
汁を飲んでみる。優しい甘めの汁。だが、後から鼻に抜ける鰹は堪らなく次をいきたくなる。
今日も水を飲むのも忘れて一目散に食べてしまった。グゥーっと水を飲み、会計を済ませて店をあとにした。
今年最期の蕎麦に満足だ。
来年も蕎麦を食べよう。
Love is … 蕎麦!