2年後もしくは106年前 作:requesting anonymity
1892年当時の英国魔法界でも、ウィーズリー家の在り方は何ひとつ変わらなかった。それは何百年もの過去と比べても、100年以上もの未来と比べても同じだった。
彼らの世帯収入で養っていけるとはとても思えない数の子供たちがいて、裕福ではなくて、親戚や友人がたくさんいて、いつでも賑やかな笑顔で溢れている。
「ええーー!! それじゃあなたギャレスの妹ってわけね! あたしもお姉ちゃんの妹だからおんなじね! ねえねえへスパーこの子ったらギャレスの妹なんですって! お友達になりましょ!」
この日、ウィーズリー兄妹の一番下の妹はもう少ししたらここに入学するんだわと嬉しく思いながら好奇心の赴くままにホグワーツを探検していたら、壁みたいに大きな砂時計が4つ並んだ天井の高い廊下で、瞳を自分よりもキラキラと輝かせた女の子2名とバッタリ出くわしたのだった。
「…………それじゃあそれじゃあアナタはギャレスのお姉ちゃんかしら?」
マグル生まれのハッフルパフの1年生シャーロット・クランウェルが続いて興味を惹かれたのは、ギャレスの妹だという女の子の少し後ろを歩きながら見守っている、ふんわりと腰まで長いカラメル色の髪をした魔女。
「ありがとう。でも私ギャレスのお母さんよ」
「そうなの?! ギャレスのお母さまったらあたしのママとおんなじくらい綺麗ね! ねえねえギャレスのお母さまも魔法使いなの? ギャレスみたいに楽しいおくすり作るのかしら?」
シャーロットがギャレスのママを質問攻めにしているすぐ横では、シャーロットとは対照的に何も質問しようとしないへスパーが、ギャレスたちウィーズリー兄妹の一番下の妹であるその女の子をじっくりと凝視している。
鼻と鼻がくっつきそうなほど接近されて、その女の子は思わず上半身を仰け反らせる。
「…………なあに?」
「わたしとロットちゃんがホグワーツにいる内に入学してきてくれる?」
ギャレスの妹ちゃんの手を両手で握って、へスパーはついに質問をした。
「わたしがホグワーツに入学するにはあと3年経たないといけないのよ。だって今8歳だから」
黄色い裏地のローブと青い裏地のローブをそれぞれ着た2人の女の子たちを順番に見ながら「私とそんなに身長変わらないしたぶん1年生よね」と予想したギャレスの妹は、青いローブの女の子にガッチリと両手を握られて気圧されながらも、質問にはきちんと返答することができた。
そしてギャレスの妹は自分がいま何を目的としてホグワーツを彷徨っているのかを、この好奇心旺盛そうな2人に言ったところではたして解決へと導いてくれるだろうかと大いに訝しみつつも、自分に見る目が無いだけで実は2人は優秀なのかもしれないという可能性に賭けて打ち明ける。
「ねえ、あなたはへスパーってお名前なのよね。ねえ兄さんたち知らない? いつの間にやら皆どっか行っちゃったみたいなの。皆わたしとおんなじ髪の色してるからすぐ判ると思うんだけど」
自分が皆からはぐれた側だとは認識していないらしいギャレスの妹は、あくまでも「お兄ちゃんたちが」迷子になったのだと現状を理解していて、だからこそ今まで焦りも慌てもせずホグワーツ内を興味津々で探索できていたのだった。
「いっしょにさがす?」
本人としては自分より3歳も年下の小さな女の子へ「年上のお姉ちゃん」が向ける余裕と優しさに満ちたカッコいい笑顔のつもりらしい、頼ってもらえたら嬉しいなという期待を全く隠せていないぷっくりとした笑みを顔いっぱいに浮かべながらへスパーはそう提案した。
「わたしへスパー・スターキー。1年生。この子は仲良しのお友達のロットちゃん。あなたは?」
「私はラヴィニア・ウィーズリー。ユーウェインとロバートとエドワードとコンスタンスとギャレスの妹。……ギャレスのことは、知ってる?」
自分がそう問いかけた途端に目の前の1年生女子のお顔が嬉しさで爆発したので、そのへスパーからの眩いほどに熱烈な視線を浴びせられたギャレスの妹のラヴィニアは思わず顔を逸らした。
「ねえ私ねえっとね今日ね今日の朝ねあなたのお兄さまたちに会ったわ! 背が高くってね、笑ったお顔がステキでね、みんなおんなじ髪の色でね、それでねそれでねポピーちゃんとわたしとグラフくんとロットちゃんのこと、こわーいおじさまから助けてくれたの!」
さああなたのお兄さまたちを探しに行きましょう! と元気に宣言したへスパーがシャーロットと一緒に歩き始めてしまったので、ギャレスの妹は慌て気味の早足で2人の後を追った。
ギャレスたち兄妹の母である柔らかい微笑みとカラメル色の髪をした魔女は、末娘を相変わらず優しく見守りつつも本人の選択と行動に任せていて、助け舟を出そうとはしない。
「どっちに行ったら居るかしら?」
「あら、あんなところにも廊下が続いてたのね! あっち行ってみましょ!」
じっくり考えてから行動し始める傾向が強いへスパー・スターキーと、考える前に身体が動いてしまうシャーロット・クランウェル。仲良しの1年生2人はお互いを補い合うようでいて、へスパーは考え込んでいる最中に誰かに先導されると考え込んだまま空返事でついて行ってしまうので、シャーロットがへスパーと共に行動するとお互いを制御も制止もしない迷走列車が発進するのだ。
ギャレスの妹である8歳のラヴィニア・ウィーズリーはホグワーツに来るのなんてもちろん今日が初めてなので自分よりはこの迷路みたいな城に詳しいのだろうと願いたいハッフルパフとレイブンクローの女子2名について行くしかないのだが、賢しきラヴィニアは、ずんずん進んでいってしまうシャーロットとへスパーがあまり信頼できない案内人だと既に見抜いていた。
「あ! オバケさんが居たわ、お話を聞かせてもらいましょう!」
「そうだわ変身術の教室に行ってみましょう。だってウィーズリー先生はギャレスのおばさまなんだから、この子のおばさまでもあるわよね。そうだわそうしましょう!」
方や前方の登り階段へ、方や右手側の扉から渡り廊下へと別れて歩いて行こうとしたシャーロットとへスパーの手を、ギャレスの妹である8歳のラヴィニアは左右の手で慌てて捕まえた。
「あら! どうしたの? お友達になってくれるの?」
「あたしと手をつなぎたいの?」
こっちを振り向いたシャーロットとへスパーはとてもとても嬉しそうな顔をしていたので、その天気が良いみたいな笑顔がギャレスの表情と重なって、ラヴィニア・ウィーズリーは過去お家で何度も目撃した、ギャレスをどうにか制御しようと頑張る兄たちの苦労が、少しだけ理解できた。
この2人はどうやらいま二手に別れようとしていた自覚すら無いらしいと気づいた8歳のラヴィニア・ウィーズリーは思わず眉間に深いシワを寄せ、それを見たシャーロットはあら大変この子なんだか困ってるんだわと理解して優しく声をかける。
「わかった! あなたギャレスと一緒じゃないから寂しいのね? 大丈夫よあたしとへスパーが居てあげるもの。あたし11歳。あなたよりみっつもお姉ちゃん。だからだいじょぶよ」
「あなたのこと、ヴィニちゃんって呼んでもいーい?」
本当にこのふたりは自分より3つも歳上なんだろうかと、ラヴィニアは疑い始めていた。
「好きに呼んでくれていいけど、それよりもお姉ちゃんたち、私と手を繋いでくれるかしら?」
8歳のラヴィニア・ウィーズリーがそう提案すると、シャーロットとへスパーのお顔はまたしても溢れんばかりの嬉しさで煌めいた。
「あたしはお姉ちゃんだからもちろん手を繋いであげる!」
「ロットちゃんも手、つなぐ?」
右手をシャーロットと、左手をへスパーと繋いで2人が好奇心の赴くままに別々の方向へ歩いていってしまうのを阻止できたと思ったギャレスの妹のラヴィニアは、嬉しそうな顔をしたシャーロットとへスパーが嬉々としてお互いの手を握ったのを見て深めのため息を吐き出した。
「……お姉ちゃんたち、何歳なんだっけ」
「ふふーん。あたし11歳よ、11歳。あなたより3つもお姉ちゃん。だから任せて!」
「わたしも11歳。ロットちゃんといっしょなのよ。いいでしょ」
得意げに胸を張るシャーロットと楽しそうなへスパーの笑顔を見るたびにラヴィニア・ウィーズリーは「私がしっかりしなければ」と、より強い使命感に駆られていく。
11歳のシャーロットとへスパーは8歳のラヴィニア・ウィーズリーよりも少し背が高かったが、しかし単に背が高いだけでは大人っぽくは見えないのだと、8歳のラヴィニアはこの時初めて客観的視点からその事実を思い知った。
ラヴィニアは後ろを振り返って「ねえママ助けてくれてもいいのよ?」と念じながら視線を送ってみたが、ママは優しい微笑みを返してくれるだけで、自分たちを先導してはくれない。
「……なあに? だってラヴィニアあなた今日はじめてホグワーツに来たのよ? なのに私が案内なんてしちゃったら勿体ないでしょう。探検なさいなせっかくだから」
そう言われてみればなるほどその意見にも一理あるかもしれないと、8歳のラヴィニア・ウィーズリーはママにあっさりと説得されたのだった。
「それじゃああっちに行ってみましょ!」
シャーロットとへスパーに手を引かれて、ギャレスの妹でまだ8歳のラヴィニアはどこだか判らない場所から別のまだ見ぬどこだか判らない場所へと、ホグワーツ城内を歩いていく。
「あっちの絵のおじちゃまもね、あの絵の女の人もね、むかーしむかしの卒業生なのよ!」
ポピーちゃんやお姉ちゃんや他の先輩たちから教えてもらった知識をちゃんと覚えていたので、シャーロットは8歳だというギャレスの妹ちゃんにホグワーツ城内のあれやこれやをちゃんと解説してあげることができた。
「ヴィニちゃんあれ、あの絵の動物さん何かわかる? あれはねえニフラーちゃんよ」
「ニフラーちゃんってかわいいのよ。いつだってステキなものを探してるの」
向こうの壁にかかった絵の中で青年が撫でている小動物が何かは、ラヴィニアもかつて兄たちに教えてもらった話からの推測でなんとなくとは言え理解していた。
しかし8歳のラヴィニアは「知ってるわよそのくらい」などとは言わずに、おとなしくシャーロットとへスパーの話を聞く役に徹している。
「ポピーちゃんにお願いすればニフラーちゃん見せてもらえるのよ。ポピーちゃんかわいいの」
「そうだわポピーちゃんはどこに居るのかしら。ポピーちゃん探しましょう!」
「兄さんたちを探してほしいんだけど?」
絶対もっと頼りになる生徒がいるはずだと思いつつも次から次へと通りすがる他のホグワーツ生には話しかけることができない8歳のラヴィニアの手を引いて、シャーロットとへスパーは好奇心の赴くままに扉をくぐり、階段を登り、廊下を歩く。
この時シャーロットもへスパーも、ラヴィニアちゃんのお兄さんたちを誰か1人でも見つけるためにはまずどうすればいいのかという問題の正しい答えを思いつけていなかった。
誰にも話なんか聞かなくていいし誰を探す必要も無いと、ラヴィニア当人も忘れていた。
「あら? なんの音かしら? 呪文の練習してるのかしら?」
「行ってみましょ!」
シャーロットとへスパーが聞き取って興味を惹かれたのは、遠くで何かが破裂しているような絶え間なく繰り返し遠くから響き続けるかすかな爆発音と、ビリビリと響いてくる僅かな振動。
おっきい音がする呪文ってどんなのがあったかしらと予想しながら音の出どころであろう方向へ近寄るべく階段を登り廊下を進むシャーロットとへスパーがホグワーツの上層階で、階段を途中まで登ったところの踊り場に立ち止まって右と左のどっちに進むべきかと一瞬だけ考えた瞬間。
シャーロットの頭に、小さくて軽い何かがころんと落ちてきた。
へスパーはラヴィニアと繋いでいるのとは反対の手をシャーロットの頭の上へと伸ばしてその小さくて軽い真っ白な粒を手に取り、シャーロットとラヴィニアの目の前に差し出す。
「ポップコーンだぁ!」
また、かすかな爆発音と振動が響いてくる。
そして飛来した2個目のポップコーンが今度はラヴィニアの目の前を横切って床に落ちた次の瞬間、数人分の慌ただしい足音と声がシャーロットの左手側の登り階段の上から聞こえてきた。
「デパルソ! ああクソやっぱり大して意味ないか……フィニアス、クランウェルお前ら先に行け! 誰でもいいから7年生を呼んでくるんだ! 管理責任はあいつらにある!」
「兄さん残ってどうするのさ! 逃げ――来た来た来た!」
規則なんか守ってる場合じゃないとばかりに3人が一塊になって大慌ての全力疾走で廊下の奥から階段へと飛び出してきたのは純血を標榜する由緒正しい家系出身のスリザリンの5年生シリウス・ブラックと、その弟で同じくスリザリン寮所属の4年生フィニアス・ブラック。当代のホグワーツ校長の実の息子である彼らは、ハッフルパフのローブを着用している女子生徒を自分たち自身よりも優先して守りながら、どうにかこうにかここまで逃走してきたのだった。
「あー! お姉ちゃん! ねえねえお姉ちゃんなにしてるの? かけっこ?」
「シャーロット?! あなた午後の最初は箒飛行の授業だから早めに芝地まで行くのよって言ってなかったかしら? それがどうしてここに――」
お友達のフィニアスくんとその兄であるシリウスくんと3人で大急ぎで階段を駆け下りてきたマグル生まれのハッフルパフの4年生女子クレア・クランウェルは、階段を半分降りたところにある踊り場に妹の姿を見つけて思わず立ち止まって話しかけた。
また、なにかが爆発したかのような音が遠くから響いてきた。
「わあ? わあああーーー!!! すごいすごいすごい!!」
階段の一番高いところにまだ居るシリウス・ブラックくんが再度投射した呪文を圧倒的な物量で押し流して階段へと溢れてきたのは、廊下を天井近くまで埋め尽くす大量の白い塊によって形成されたこんがりとバターの香る大雪崩だった。
「ポップコーンだぁーーー!!」
シャーロットとへスパーが声を揃えて目を輝かせて大喜びし始めた中、8歳のラヴィニア・ウィーズリーとその母であるマダム・ウィーズリーは揃って表情から血の気が引いていた。
犯人に心当たりがあるのだ。
「ねえねえお姉ちゃんこんなにたーっくさんのポップコーンどうしたの? 誰がくれたの?」
「ギャレスがコーンの粒に『双子呪文』かけて大鍋で炒ってるのよ! グリフィンドールの談話室の近くにある地図のふりした扉の向こうの隠し部屋で!」
案の定の経緯を聞き取って恐る恐るママの顔を見てみたラヴィニアの目に飛び込んできたのは、既にお説教の準備を完了したらしいママの世界一怖い静かな笑顔だった。
しかし奇しくもこの瞬間、8歳のラヴィニア・ウィーズリーは初めて来たホグワーツ城内をアテも無く探索し続ける必要がなくなった。
この当時のウィーズリー兄妹の末妹であるラヴィニアに5人いる兄たちの中には1人だけ、どこに居るかなんて探さなくたってどうせ判る、とびっきり賑やかなトラブルメーカーがいるのだから。
より騒がしい方へと進めばいずれそこに居る。それがギャレス・ウィーズリーなのだから。
「ねえねえロットちゃんのお姉ちゃん。このポップコーンとっても美味しいのね」
へスパーが口をもぐもぐと動かしてからそう感想を述べた途端にまたバボンと大きめの破裂音が響き、大量のポップコーンが追加で上階から、滝か洪水かと言わんばかりに溢れてきて降り注ぐ。
「プロテゴマキシマサルビオヘクシアフィアントドゥーリレペロイニミカム!」
聞き取れないほどの早口で保護魔法を展開したシリウス・ブラックくんはポップコーンの大雪崩が踊り場に到達する寸前で堰き止めることに成功したが、しかしほぼ透明だが目を凝らせば薄青色の膜として視認できる保護魔法の壁の上端は天井よりも少々低く、一定間隔で響く破裂音とともにその数を増し続けるポップコーンがいずれ保護魔法の壁を越えて溢れてくるのは明らかだった。
「今のうちに逃げろって言いたいんだろうけど、兄さんを見捨てる選択肢は無いよ」
フィニアス・ブラックが兄のシリウスにニンマリとした笑顔を向け、クレア・クランウェルは妹であるシャーロットとそのお友達のへスパーが手を繋いでいる知らない女の子に話しかける。
「あなたは生徒の誰かの家族かしら? 授業を見に来たのよね? 妹と遊んでくれてありがとう」
「あら、ホグワーツの皆には私たち家族こそお礼を言わなきゃいけないのよ? だって私や兄さんたちやパパとママの代わりに、ギャレスが毎日創る新作の薬の実験台になってくれてるんだもの」
妹のシャーロットよりも少し背が小さい燃えるような赤毛の女の子が誰の家族なのかをその言葉で理解したクレア・クランウェルは一瞬だけ、ウィーズリー先生から授業の最後に厄介な宿題を与えられた時と同じ顔を浮かべてしまった。
「こんにちはフィニくん。フィニくんもポップコーンひとつどーぞ」
へスパー・スターキーはラヴィニアと繋いでいた手をいつの間にやら離して歩き回り、拾い集めたポップコーンを配り始めている。
「おやありがとうへスパー。きみとお友達のシャーロットは何をしてるところだったのかな?」
「ロットちゃんとわたしはね、ヴィニちゃんのお兄さまたちを探してたのよ。もうひとつどーぞ」
へスパー・スターキーの返答を聞いて、4年生のフィニアス・ブラックは5年生である兄のシリウス・ブラックとお互いの顔を見つめ合った。
いくつもの呪文を組み合わせて施す複合的な保護魔法は張り終えてしまえば維持に神経を注ぐ必要は無いとようやく思い出して杖を下ろしたシリウス・ブラックは、スターキーによる説明を心の中で反芻して、これから何をしなければいけないのかを理解して、大きく大きく息を吐き出した。
「……つまりお前らの探し人は無事見つかったってわけだな」
また破裂音が響いたのと同時に保護魔法の向こうで増量したポップコーンの海を見つめながら、シリウス・ブラックくんが何かを諦めたような声色で呟いた。
「まあ、考えてみれば確かに、兄さんたちの中で一番探しやすいのはギャレスだったわね……」
ギャレスの妹でまだ8歳のラヴィニアが苦々しげにそう呟いたのと同時にほぼ透明の膜状に広がって階段を遮蔽している保護魔法の上端からとうとうポップコーンが溢れ始めた。
「もしかしなくてもアイツは家でもずっとああなのか? ギャレス・ウィーズリーは」
ポロポロと自分たちの頭上に降り注ぎだしたポップコーンを浴びながらシリウス・ブラックくんが投げかけた質問に、ラヴィニアではなくマダム・ウィーズリーが答える。
「そうよ。この前の夏休みにはグリフレットの――つまり私の旦那でこの子たちの父だけど――の右足の膝が7つに増えちゃって大変だったわ。その分だけ左手の指とか肘の関節が減っててね」
「いったい全体どんな魔法薬を盛られりゃそんな事態に陥るんですかねマダム・ウィーズリー?」
そう質問したシリウス・ブラックくんの口調は無礼とすら言えるほどに挑戦的だったが、マダム・ウィーズリーは全く気にしていない様子で端的に回答する。
「ギャレスの魔法薬の正体を知ってるのはギャレスだけなのよ。我が家でもね」
また爆発音が響き渡り、保護魔法の壁を越えんとするポップコーンの大雪崩が増量する。しかしそれだけではなく、今までは聞こえていなかったさらに小さな音量で高頻度の破裂音も、未だ踊り場で立ち止まったままのシリウスとフィニアスのブラック家の兄弟は聞き取っていた。
「ねえ兄さん、ポップコーンの弾ける音がさ、近づいてきてない?」
フィニアスが兄のシリウスにそんな確認をしたのとほぼ同時に、ほぼ透明な薄青色の膜で遮られた向こう側、保護魔法の堤防を決壊させつつあるポップコーンの大雪崩の、その中から声がした。
「おや、行き止まりだ。誰かがすぐそこに盾の呪文か何か張ったみたいだ」
「なにぃ? 誰だいそんな迷惑な真似するのは――ねえノット蜂蜜からめてみたんだ食べなよ」
「今の僕らに他人の迷惑行為を咎める権利は絶対に無いぞレストレンジ美味いなこれ」
5年生のシリウス・ブラックと4年生のフィニアス・ブラックの兄弟、そして同じく4年生のクレア・クランウェルと1年生のシャーロット・クランウェルの姉妹と、シャーロットのお友達であるへスパー・スターキーと、8歳のラヴィニア・ウィーズリーとその母親。
彼ら全員が見つめる前で保護魔法の膜に遮られた向こう側のポップコーンの大雪崩が独りでに左右に押しのけられ、そのポップコーンが形作る真っ白な並木道を通って現れたのは延々とポップコーンが湧き出続けている大鍋と並んで歩いているギャレス・ウィーズリーと、本来ならバタービールを注ぐべき大ジョッキを蜂蜜で満たしてそこにポップコーンをありったけ押し込んで蜂蜜漬けポップコーンを作っては食べ作っては食べを繰り返しているやたら美人のスリザリンの7年生女子ピューシン・レストレンジと、どうやらポップコーンの大雪崩を魔法でかき分けて道を拓いた当人らしい、杖を構えたスリザリンの7年生男子カンタンケラス・ノット。
「誰かと思ったらシリウスとフィニアスじゃないか何やってんだお前ら」
「何やってんだはこっちのセリフだぞノット。お前がいながら何だこの有り様は」
5年生のシリウス・ブラックは、普段は尊敬すらしている優秀な7年生のカンタンケラス・ノットに、ただ見知った間柄だからというだけではない、丁寧さを完全に廃した物言いで抗議した。
しかしシリウスくんの抗議に返答したのは、ノットではなくその隣のレストレンジだった。
「何を言ってんだいブラック。ポップコーンは美味しいからいっぱいあったら嬉しいだろ」
「……そういえばお前はそういう奴だったなレストレンジ」
呆れ果てているシリウスくんに、少し機嫌を悪くしたノットが保護魔法の壁越しに抗議する。
「レストレンジを馬鹿にすると許さんぞシリウス・ブラック」
「だったら馬鹿な真似を始める前に止めるのがお前の義務だろうカンタンケラス・ノット」
どんどん眉間のシワが深くなっていく兄のシリウスとは違って、4年生のフィニアス・ブラックは既に、ギャレス・ウィーズリーと同じくらいの落ち着きを取り戻していた。
「口の端にポップコーンの欠片と蜂蜜がついてるよカンタンケラスくん」
フィニアス・ブラックが柔和な微笑みを浮かべながら控えめな声量でそっと指摘し、7年生のノットは「む」とだけ呟いて杖を自分の口に向け、魔法で食べかすを拭い去った。
「ここ通っていいかなシリウスくん。僕ら魔法生物飼育学の授業に行くところなんだけど」
「ホグワーツをポップコーンで埋め尽くすつもりかウィーズリー」
自分のすぐ後ろに8歳のラヴィニア・ウィーズリーとその母親がいるのにも構わず、由緒正しい純血家系出身のシリウス・ブラックは、かなり久しぶりに「ウィーズリー」という家名を、注ぎ込める限りの侮蔑をありったけ込めて厭味ったらしく発音した。
「それいいアイデアだねぇシぃウスぶあック。お前やっぱり賢いやつだね」
「口の中にポップコーンを追加しながら喋るのをやめろレストレンジ」
いくら馬鹿共でも授業に向かうのだと主張している以上は行く手を遮る行為に正当性など無く、さらに言えば仮に自分が保護魔法の壁を維持しようと苦心しても7年生3人が相手ではさして時間も稼げずに防御を破られるだろうと確信できたので、5年生のシリウス・ブラックはしかたなく、つい先程必死に杖を振って施した保護魔法の防壁を解除するべく杖を操り始めた。
そして保護魔法は溶けるように消え、行く手を遮る壁がなくなった大量のポップコーンの大雪崩が階段の上から踊り場へと、ひいては階下の廊下やその先の部屋や棟へと殺到する。
しかしシリウスもフィニアスもクレアもシャーロットもラヴィニアとママも、ポップコーンに埋もれることはなかった。
「パーティス・テンポラス」
振り返りもせずに杖だけを顔の横から背後へと向けてノットがそう唱えると、天井まで埋め尽くさんばかりのポップコーンの大雪崩はまるで突き出た岩に割られた滝のように左右に分かれて降り注ぎ、シリウスとフィニアスを始めとする踊り場に居た者たちには1粒たりとも触れなかった。
涼しげなノットの表情を見て僅かでもカッコいいと感銘を受けてしまった自分が憎くて、5年生のシリウス・ブラックは口の中で頬の内側の肉をギリギリと噛み締めた。
「ちょっと何してるの兄さん口から血が溢れてるじゃないか」
「血じゃない悔し涙だ」
「わけ解んないこと言ってないでほらハナハッカのエキス飲みなよ兄さん」
プライドと憤懣遣る方無い複雑な気持ちが邪魔して弟であるフィニアスからの親切を素直に受け入れることができないシリウス・ブラックを、シャーロット・クランウェルが見つめていた。
「おにーちゃんお口けがしてるの? だいじょうぶ?」
「大丈夫だから放っといてくれるとありがたい」
シリウス・ブラックは妹のほうのクランウェルを雑に遠ざけようとしたが、しかしシャーロットは賢そうなおにーちゃんのお口から血が流れているのを見て、大丈夫じゃないと察してしまった。
そしてシャーロットは、こういう時だれにお願いすればすぐに魔法のお薬で怪我を治してもらえるのかを、今までのホグワーツ生活で学んでいた。
「ねえねえギャレスあのおにーちゃんお口を怪我しちゃったみたいなの」
「それならこの僕特製ウィゲンウェルド飴をあげよう。甘草味だよ」
ギャレスがくれた真っ黒い飴を、シャーロットは目をキラキラさせながら再びシリウス・ブラックくんの元へと駆け寄って行って手渡す。
「はいどーぞ! ギャレスがお薬くれたからきっとこれで治るわ!」
「んんギーギギギあァりがとうミス・クランウェル」
くたばれ穢れた血めと言いそうになったが弟の顔が視界に入ってギリギリ堪えられたシリウス・ブラックくんは、僕は何か悪事を働いたかと心の中で己の不幸を嘆きながら、その飴を受け取る。
「甘草味ね……甘草は甘草でも
10秒ほどごちゃごちゃ言ってから、シリウス・ブラックくんは真っ黒い飴を口に入れた。
ギャレスの傍らに自分の足で立っている大鍋からはポップコーンが無尽蔵とも思えるほどに止めどなく湧き出し続けていて、行く手を遮るものがなくなったポップコーンの大雪崩は階段から下へ奥へと流れ落ちて広がり、どうしたらいいんだろうとクレア・クランウェルが途方に暮れてしまうほど見渡す限りの通路と廊下を、そしてその先にいくつもある部屋を埋め尽くしていく。
「ギャレス」
「なにかなママ」
「自分で片付けをなさいね」
「はい」
マダム・ウィーズリーの目には見るもの全てを怯ませる迫力があったが、一方でへスパー・スターキーは脱いだローブを器の代わりに活用して、相変わらずそこら中に溢れているポップコーンをせっせと集めて蓄えている。
「ねえねえ、わたしも蜂蜜してもいいかしら?」
ありったけ集めたポップコーンを携えて、へスパーがレストレンジに訊ねる。
「もちろんいいともさ。ほら好きなだけ浸しな」
「わああ……ありがとう! ねえロットちゃんもクレアちゃんもヴィニちゃんもママさんも一緒に食べましょ。美味しいわよ蜂蜜ポップコーン。ピューちゃん天才だわ!」
へスパーがそう呼びかけると当然シャーロットは両目をキラキラさせて真っ先に寄っていき、レストレンジとへスパーと一緒にポップコーンパーティを開始した。
「あなたこれから箒飛行の授業に行かなきゃいけないって覚えてるかしらシャーロット」
姉のクレアが呆れてそう言うと、ギャレスの大鍋がまたしてもバボンと破裂音を響かせ、湧き出るポップコーンの量が増えた。
すでにどっちを見ても大量に溢れているポップコーンも、よく観察してみれば1個が2個に増殖している粒がちらほらと混じっている。
独りでに数を増やす気配が無い粒も相当な割合で混じっているが、それでも充分に脅威だった。
「おや、あんたら箒飛行の訓練なのかい。それじゃアタシらと向かう方向は一緒ってわけだね。魔法生物学の授業をやる場所と飛行訓練の芝地は隣同士だから――ほらノットも食べな食べな」
「今日の授業じゃ何を扱うんだろうな。お前何か聞いてないかギャレス」
「昼食の時にポピーがキメラのハウプトバートの話をしてたよ。ほらあの髭がすんごいやつ」
止めどなく湧き出てホグワーツを埋め尽くしつつあるポップコーンを気ままにつまみ食いながら雑談を続けているギャレス・ウィーズリーとピューシン・レストレンジ、そして普段は馬鹿どもを統制する立場のはずなのに今は一緒になってポップコーンを味わっているカンタンケラス・ノットの3人を忌々しそうに睨みながら、5年生のシリウス・ブラックくんはギャレス特製ウィゲンウェルド飴の甘さで抑えきれていない強烈な塩辛さを味わわされていた。
「これの、どこが、甘草味だっ、ウィーズリー……!」
「マグルの薬局で売ってる咳止め薬に着想を得たんだよシリウスくん」
シリウス・ブラックくんに睨まれても、ギャレス・ウィーズリーはいつも通りの気楽さで笑う。
この1892年当時、お菓子としての「サルミアッキ」は誕生していなかったが、その原型である塩化アンモニウム配合の鎮咳薬に味を改善する目的で甘草を混ぜたトローチや粉薬は既に、ヨーロッパの一部の薬局であくまでも薬として提供されていた。
「……僕にもその蜂蜜ポップコーンをひとつくれ」
口の中を埋め尽くす不快な甘みと耐え難い塩辛さと鼻の奥からやってくる独特の臭気に耐えかねて、へスパーとシャーロットにラヴィニアも加わっていたポップコーンパーティにとうとう参加してしまったシリウス・ブラックは、まるで何かに敗北したかのような悔しさを噛み締めていた。
「おいしい?」
「おいしい」
シャーロットからの質問に、シリウス・ブラックは素直に答えた。
シリウス・ブラックが口の中に自分で作った深めの傷は既に、綺麗さっぱり消えていた。
後に同姓同名の曾孫があの有名なハリー・ポッターと深く関わることになる5年生のシリウス・ブラックも、その弟であり後にマグルびいきを理由に勘当されるフィニアス・ブラックも、この1892年当時は単なる5年生と4年生の仲良し兄弟で、幸福で目まぐるしい子供時代の最中だった。
そして結局このあとポップコーンを溢れさせながら魔法生物学の授業が行われる屋外教室およびそれに隣接する飛行訓練の芝地へと移動していたら変身術のウィーズリー先生と出くわして、ギャレスとレストレンジとノットは3人仲良く100点ずつの減点と罰則を言い渡されたのだった。
義理の姉の目を見て「ごめんなさいねいつも」と謝ったマダム・ウィーズリーのすぐ横では、相変わらずレストレンジとノットとシャーロットとラヴィニアがポップコーンを食べ続けていた。
「はい。ウィーズリー先生もポップコーンひとつどーぞ」
へスパーが差し出してきたポップコーンを、ウィーズリー先生は受け取って食べた。
【ギャレス・ウィーズリーの妹】
ホグワーツレガシー本編で存在に言及されるが登場はせず、ファーストネームも不明。
年齢も不明だが、ゲーム本編の時点で「ホグワーツに入学するには早すぎる」らしい。
私の妄想では1892年時点で8歳。