2年後もしくは106年前 作:requesting anonymity
目。この1892年当時は11歳だった小さなアルバス・ダンブルドア少年の目は昼下がりの強い陽光を浴びたビリーウィグのように見る者の眠気を醒まさせる青色をしていて、その青い目はダンブルドア少年の明晰な頭脳へ可能な限りたくさんの情報を届けるために、こぼれ落ちるんじゃないかと心配してしまうくらい大きくまんまるに見開かれている。
これからオーブンで焼くのかと思ってしまうくらいに真っ白でふっくらとしているダンブルドア少年の頬は芝生を押し潰して地面にぴったりくっつけられていて、できるだけ低い視点を保って観察しようというダンブルドア少年の知識欲と好奇心を土台となって支えている。
握りしめると焼き立てのパンみたいに見えるダンブルドア少年の小さな手は左右それぞれ羽根ペンと折りたたまれた羊皮紙を持っていて、観察して得た情報を絶え間なくメモし続けている。
「宝石みたいな色」
ホグワーツ城の屋外、魔法生物学の授業が行われる屋外教室のすぐ隣に位置する飛行訓練の芝地で、今ダンブルドア少年が真剣に観察しているその魔法生物は飛行訓練の授業を受けるべく集まった1年生たちに周囲をぐるりと取り囲まれて見つめられているにもかかわらず、慌てるわけでも戸惑うわけでも逃げ出そうとするわけでもなく、むしろ逆に自分を囲んで見つめている1年生たちに対して己の姿形を見せつけるような、あるいは「見ることを許してやるからありがたく思え」とでも言いそうな態度で、自慢げに堂々と芝地に佇んでいる。
「近くで見るとほんとにおっきいのね」
「ヴィニちゃんヴィニちゃん、この鳥さんがなんていう鳥さんか知ってる?」
「…………この子、もしかして不死鳥? ……ホントに? こんなに綺麗な赤色だなんて――」
8歳のラヴィニア・ウィーズリーは兄たちに読んでもらった本の文章と着彩されていない簡素な挿絵でしか知らなかった生き物の実物を、生まれて初めてこれほど近くで目の当たりにしていた。
その生き物は小さな身体を芝生に押し付けるようにしてできるだけ低い視点で不死鳥を観察しようと試みながら手に持った羊皮紙と羽根ペンを使って絶え間なくメモを取り続けていて、ホグワーツ城のどこかから拝借してきたとしか思えない甲冑の一部らしき湾曲した金属の板を不死鳥がどう扱うのか、不死鳥がその金属板に予定通りの反応を示してくれた場合に何が起きるのかを見届けようとしていて、芝生に押し付けられたその生き物のほっぺは焼き立てみたいにもっちりしている。
「ねえあなた、ダンブルドアくん。もうちょっと可愛さをどこかへ仕舞っといてくれないかしら」
不死鳥を観察したいのにどうしてもまんまるの男の子に視線を吸い寄せられてしまうラヴィニア・ウィーズリーは、とうとう我慢できなくなってその男の子本人に抗議した。
「なんです? 僕いま真剣なんですけど。僕が用意したこのプレートを不死鳥さんが――」
芝生に頬をむっちりと押し付けた低い低い体勢のまま、ダンブルドア少年は視線だけを8歳のラヴィニア・ウィーズリーへと向けて怪訝そうに問い返した。
「そういうところよ。やめてちょうだいむやみに可愛いのは。集中できないじゃない」
8歳のラヴィニア・ウィーズリーに手前勝手な苦情を入れれたたダンブルドア少年が「そんなこと言われたって僕にはどうしようも」と苦悩した直後、そのダンブルドア少年も、8歳のラヴィニア・ウィーズリーも、2人と一緒に不死鳥さんを観察しているシャーロットとへスパーも、次の瞬間に視線と意識の全てを不死鳥の鮮烈な振る舞いに奪われる。
芝生の上に置かれていた甲冑の部材らしき湾曲した金属板に、不死鳥が右足を押し付けたのだ。
すると金属板は数秒とかからずに不死鳥の足と接触している部分から赤熱していき、形状が歪み始め、間もなくドロドロに融けて広がり、みるみるうちに芝生を少し燃やしてしまった。
「どうだ」と言わんばかりの得意げな態度で、不死鳥が右足をゆっくりと持ち上げる。
「なーんてこった……これだからたとえどんなに温厚そうでも魔法生物を侮るべきじゃないんだ」
芝生に丸くしゃがみこんで不死鳥を観察している1年生たちの背後、少し離れた位置から遠巻きにその光景を観覧している親や訪問客たちの1人、羊みたいに白に近い黄金色でくるくるの癖っ毛をした魔法使いが感嘆の声を漏らした。
さっきまで湾曲した金属のプレートだったものは今や黒く煤けた歪な塊と成り果てていて、それが置かれていた部分の芝生からは僅かに炎が燻ぶり、ブスブスと焼け焦げる音が聞こえている。
どうやら不死鳥はその気になれば甲冑だって融かしてしまえるらしいと、その場のほとんどの者はこの時に初めて知ったのだった。
「不死鳥を侮ってかかるような愚か者は、必ずその愚行の報いを己が身に受けるだろうな。不死鳥ともなれば何が可能だとしても不思議は無いのだから」
おそらくスリザリン寮の誰かの父親であろう気難しそうな魔法使いが不死鳥とそれを囲む1年生たちを遠巻きに眺めながら呟く。
次の瞬間にその気難しそうな魔法使いも含む観覧希望者たちがどよめいたのは、不死鳥を取り囲んで至近距離から観察している1年生たちの中でも最も小柄な男の子が、ぷっくりとお肉に覆われた可愛らしいちいちゃな右手を不死鳥の足のすぐ前へと差し出したからだった。
不死鳥がダンブルドア少年の右手に、そっと右足を置く。
「……そっか。柔らかいのか。そうだ、そうか枝とか掴むし、そこにさらに自分の体重まで乗っかるんだから、そりゃクッション性が無きゃな……足ってそういうものだもんな……」
その不死鳥の足にガッシリと捕まえられた経験がダンブルドア少年には何度もあるが、ただでさえ突然現れた不死鳥に突然攫われるのに、さらに毎度なぜか真正面から顔面を捕まえられるせいで不死鳥の足裏の感触になど、意識を向ける余裕がこれまでは無かったのだ。
「――でもツルツルしてるんじゃなくて、なんだろうな、細かいデコボコがびっしりある」
「あたしも! ねえダンブルドアくんあたしも触りたい!」
ダンブルドア少年の手を押しのけるくらいの勢いで、シャーロット・クランウェルも不死鳥の足のすぐ前まで小さくてすべすべした右手を伸ばしてきた。
不死鳥がダンブルドア少年の掌から右足をのけてシャーロットの掌へ乗せたのを見て、観衆の中に居たシャーロットの父親が大きな声を出した。
「わあー! えっでもこれ柔らかいかしら? かたいわ! でもちょっとふんわりしてる!」
「僕はもっと骨に皮が直接って感じの硬さを想像してたんだ。肉がついてなさそうだったから。でも、この不死鳥の足は何ていうか、ギュッと詰まった分厚い肉って感じの硬さだよね。つまり僕が想像していたよりは、ずっと弾力があって柔らかいと感じたんだ――筋肉が発達してるのかな? けど普通どんなに鍛えたって足の裏に筋肉なんて……他の鳥はどうなんだろう……」
「ロットちゃんドアくんわたしも不死鳥さんの足に触りたいわ」
ダンブルドア少年が小さな手で羽根ペンをぎゅっと握りしめて猛烈にメモを取りながらシャーロットとの会話にも応じている横から、へスパーも手を伸ばしてきた。
そんな好奇心旺盛な1年生たちが誰ひとり火傷をしていないし鉤爪や嘴で引っかかれたりもしていないというのが、それを遠巻きに見ている親たちの一部には驚きだった。
しかしその光景を視界に入れつつも、まるっきり驚いていない者たちも居た。
「んもーー、あいつったら目立ちたがりなんだから……」
「それはあなたもでしょ?」
彼ら彼女らが寄ってたかってお手入れしているでっかいヤギに似たバケモノの正体が何かを、親たちや来訪客たちのほとんどは考えないように務めていた。
「そのキメラには普段どんな餌を食べさせてるんだいポピー?」
「お肉のおっきい塊だよおばあちゃん。骨付きのね。それに双子呪文をかけてあげてるんだ」
「ハウプトバートは食いしん坊だからねー。ほら! 三つ編みできたよハウプトバートぉ!」
ポピー・スウィーティングの祖母アイリーン・スウィーティングが興味深げに見ている前で、オミニス・ゴーントがキメラの「ハウプトバート」に右前脚を持ち上げるように促している。
「もしかして爪切りするの? そのおっきいヤギさんも爪切りするの?」
オミニス・ゴーントの左肩の辺りの空中に浮遊している簡素な装飾の鏡に映っている7歳のアリアナ・ダンブルドアが小さな声で訊き、その質問にキメラのハウプトバートの胴体を丸ごと隠せるくらい大量のヒゲを3本の太い三つ編みに整え終えたばかりの7年生の女生徒が答える。
「そうだよ。野生のキメラは崖で爪研ぎするんだ。前脚で岩壁をバリバリーってね。けどこいつらの爪ってメチャメチャに硬くてさ。爪が研げるまでに崖をザックリ削っちゃって、土砂崩れとか落石とか起きるんだ。もちろん生き埋めになるんだけどこいつら頑丈にできてるからね。土とか砂とか岩とかの層の下から平気で出てくるんだよ。しかも崖ひとつ崩したくらいじゃ全然研ぎ終わらないから次々に移動して次々に土砂崩れ起こすの。それを僕のカバンの中とかでやられると流石に困っちゃうからね。爪を切って整えてあげるんだ。伸びっぱなしだとキモチワルイみたいなんだ」
キメラのハウプトバートの背に登ってツノを洗ってあげているポピー・スウィーティングが、編み終えたばかりのハウプトバートのヒゲを満足げに撫でている女生徒から説明を引き継ぐ。
「爪があんまりに伸びてくるとムズムズするみたいでね。歩き方で判るんだ。あと、ずーっと伸ばしっぱなしだと、こうね、爪がクルーって曲がって伸びていって、最後には自分の前足の肉球に刺さっちゃう。そしたら痛くて歩けないし、歩けないんじゃ餌になる動物を捕まえられないでしょ? それが野生のキメラの寿命なんだよ。年取ったキメラは自分の爪を自分じゃ研ぎきれなくなるの。ほら、崖をいくつも崩して爪研ぎなんて、元気いっぱいじゃなきゃできないから」
あくまでも「両面鏡」に映るアリアナちゃんとアバーフォースくんに向けられたものであるその説明を聞いていて、ポピーの祖母アイリーン・スウィーティングには疑問が生まれた。
「――それであなたはキメラの爪をどうやって切っているの?」
ポピーのおばあちゃんにそう訊ねられて、オミニス・ゴーントは杖の手触りを確かめるようにゆっくりと握り直しながら、小さな声色で呟くように返答した。
「昔、父さんに覚えさせられた呪い。まさかこんな陽の当たる活用法があるとは」
オミニス・ゴーントはそう述べつつキメラのハウプトバートが持ち上げた右前脚の、オミニスの手の指より大きい鋭利な爪の先に自分の杖の先端を押し当て、スモモ飛行船の枝でも剪定しているかのようにサクリサクリと抵抗なくキメラの爪を短く切りそろえていく。
岩壁をいくつも削って崩落させなければ研げない硬度と強靭さを備えている上ほとんどの呪文が効かないはずのキメラの爪をすんなり切ってしまえるその魔法がどれほど強力な闇の呪文なのか、知っているのはこの場ではその呪文を行使している当のオミニス・ゴーントただ1人だけだった。
「僕はハウプトバートみたいに普通の呪文が効かないやつに魔法かける時は古代魔法でやるけど、たぶん一番良いのはポピーちゃんのやり方なんだと思うんだよね――ほらポピーちゃん、ハウプトバートの左前足の爪、切ってあげてくれるかい?」
「いいよー。ほらハウプトバート、左の爪もやったげるからちょっと待っててね――」
やっとキメラのハウプトバートのヒゲから手を離した女生徒に促されて、ポピー・スウィーティングはハウプトバートの背から降りると、どこからともなく旅行カバンを取り出した。
その旅行カバンには鳥の足跡の形をした大きな焦げ跡がついていて、取っ手の金具をよく見てみれば「ポピーちゃんの」と、誰がそれを施したのかがすぐに判る拙い筆致で刻印されている。
「ほら、これ。おばあちゃん見て見て。これね、ステュムパリデスの鳥の嘴から作られてる鋏なんだけどね、これすごく頑丈でね。ハウプトバートの爪をすんなり切っちゃえるんだ」
柄から刃先まで一貫してにぶい赤茶色の金属で作られているその鋏でパチパチとキメラの左前足の爪を切り始めたポピーに続いて、三つ編みにしたハウプトバートのヒゲをさっきまで撫で回していた女生徒が、向こうの芝生で不死鳥を観察している1年生たちの方を見ながら説明する。
「お察しの通り僕らもその鋏でやったほうが良いんだけど、ハウプトバートったらポピーちゃんにしかその鋏で爪切りさせないんだよね。僕とかオミニスがそのステュムパリデス青銅の鋏で爪切ってあげようとするとすんごい嫌がるんだ。だから僕らは『仕方なく』魔法でやる」
「俺がキメラの爪切りを手伝わせてもらう時に使うこの呪文は保護魔法が効かないし、ドラゴン皮だってスッパリ斬ってしまえるとても危険なものなんだ。なにしろ防御を無視して深手を負わせるための呪いだからな。それに本来は射程距離もけっこうあるけど、爪を切るのには要らないからな射程距離。唱え方を工夫して、杖の先が触れてるところしか斬らないように呪文を改造したんだ」
6年生だった昨年度、自分が初めてこの呪文でキメラの爪を切った時となりに居た親友のセバスチャン・サロウが「その呪文教えてくれ」と言わなかったことが、オミニスは今でも嬉しかった。
7年生の女生徒が杖を一振りすると大きなブラシが空中に現れ、それが独りでに動いてキメラのハウプトバートの全身を自動でブラッシングしていく。キメラのハウプトバートの下半身、指と爪ではなく蹄がある後脚とドラゴンそのものの長大な尾が生えている腰と尻周りには体毛は無く、その代わりにビッシリと鱗が覆っているのだが、そんな鱗で覆われた下半身にも自動で動くブラシはやってきて、研磨しているかのような遠慮の無い力加減でガシガシとキメラの身体を擦っていく。
「嬉しいねえハウプトバート」とポピーがにっこり微笑みながら語りかける。
そしてどうやらキメラのハウプトバートはそんな強めの力加減で丁度きもちいいらしく、その場でのしのしと足踏みして地面を鳴らしたかと思えば大きな声で吼えて、オミニス・ゴーントの傍に浮かんでいる両面鏡に映っているアリアナとアバーフォースのダンブルドア兄妹と、向こうに見える飛行訓練の芝地で不死鳥の観察をしている1年生や訪問客たちをまとめて驚かせたのだった。
「わあー、あのヤギさんじゃなくて……えっとね、キメラさん! すごく元気いっぱい!」
「そうだわ、不死鳥さんもポップコーン食べるかしら? 不死鳥さんポップコーンどーぞ」
キメラのハウプトバートと7年生たちが居る魔法生物学の屋外教室がすぐそこに見える飛行訓練の芝地で、へスパー・スターキーがローブのポケットから取り出した1粒のポップコーンは、へスパーの掌の上で2粒になった。
「これギャレスがくれたのよ。美味しいのよ不死鳥さん。ポップコーン」
へスパーがそう言って勧めている間に、へスパーの掌の上でポップコーンは4粒に増える。
「……そういえば、ウィーズリー先輩がまだいらっしゃいませんね。あの人だって今もうすぐ魔法生物学の授業を受けるはずなんですけど――」
ダンブルドア少年がそう言っている間に不死鳥はへスパーの手からポップコーンを1粒啄み、それによって残り3粒となったへスパーの掌の上のポップコーンは次の瞬間6粒に増えた。
「ギャレスならマチルダおばさんにお城のお掃除させられてるわよ。スリザリン生2人と一緒に。ギャレスったらグリフィンドールの談話室がある塔をポップコーンで埋め尽くしたから」
ウィーズリー兄妹の末っ子で8歳のラヴィニア・ウィーズリーは、まるで弟の話でもするかのように、兄が巻き起こした騒動について語った。
「ドアくんもポップコーンひとつどーぞ」
へスパーの掌の上には、12粒のポップコーン。
「フィニート!!」
ギャレスが双子呪文を施して作ったポップコーンの危険性をついに察したダンブルドア少年はへスパーの掌の上のポップコーン24粒に杖を向けて双子呪文を解除するべく杖を振り、それによって、へスパーの掌の上のポップコーンは勝手に数を増やさなくなった。
しかし次の瞬間、へスパーが着ているレイブンクローの色をしたローブの袖口から、1粒のポップコーンがころりと飛び出してきた。
続いて同じくへスパーのローブの裾から、反対側の袖の中からもポップコーンが出てくる。
「あら? ちゃんとポケットの中に仕舞ったと思ってたわ。どこかに引っかかってたのかしら?」
へスパーもシャーロットも気づいていないがこれはとても由々しき事態だと、ダンブルドア少年は既に悟っている。
8歳のラヴィニア・ウィーズリーも、このレイブンクローの1年生だというへスパー・スターキーさんが、先程ポップコーンで埋め尽くされつつあったホグワーツ城内で、両手いっぱいに掴んだポップコーンをこれ以上持ちきれないと思ったらポッケに詰め込み、また両手いっぱいに拾い集めてそれをポッケの中へ――という動作を何度も何度も繰り返していたのを思い返していた。
ギャレスが作ったポップコーンはとっても美味しかったので、へスパーはそれを皆にも分けてあげたいと考えたのだ。
ホグワーツで採用されているローブの内ポケットやズボンやスカートのポケットなどには「それなりの」検知不可能拡大呪文が施されていて、中で動物を飼育するとか自分用の別荘を建てるとかいう無茶はできなくとも、見かけよりはいくらか多めに物を詰め込んでおけるようになっている。
もちろんその検知不可能拡大呪文が「それなり」の容積拡張に留められているのは、試験の際の不正行為やその他の危険な用法および規則違反を助長しないための配慮である。
そして今、へスパーが着ているスカートのポケットもローブの内ポケットも、外見から想像するよりは「いくらか」大きいその容積を勝手に増え続けるポップコーンに埋め尽くされて、とうとう溢れ出してしまったのだ。
「あらあらあらあらあら?」
慌てているにしてはずいぶんのんびりした声色のへスパーは、あっという間に膝までポップコーンの山に埋もれてしまった。
「フィニート・インカンターテム!!」
血相を変えたダンブルドア少年が杖を振ってそう唱えた瞬間、ポップコーンの小山はその量を爆発的に増大させてへスパーどころかダンブルドア少年もシャーロットも、その他の1年生たちも皆ポップコーンの海の中に沈んでしまった。
ギャレスに「ポップコーンをいっぱい作ってくれ」とリクエストした主犯であり現在ポップコーンで埋め尽くしたグリフィンドール塔をギャレス及びノットと共に片付けさせられているやたら美人のスリザリンの7年生ピューシン・レストレンジは、単なるフィニートではあまり効果が出ないように、そしてフィニート・インカンターテムは逆効果となるように対策を施していたのだ。
だって食べても食べても減らないポップコーンが欲しかったから。
1年生たちが突如湧いて出たポップコーンの海に飲み込まれたのを見て親たちはどよめき、何人かは杖を取り出しすらした。しかし中には子供たちだけで充分に対処可能だと考えているのか、落ち着き払って見物を続けている者たちもいくらか居た。
「せんぱい!!!」
自分にはどうすることもできないと思ったダンブルドア少年は、ポップコーンの山脈の奥底から大きな声で救助を要請した。
「おやあー? なんだいアルバスぅ僕らにもポップコーン分けてくれるのかーい?」
「助けてもしいんです!!」
頭のてっぺんよりも高い位置まで増えてしまってなお増え続けるポップコーンの厚い地層の下に埋もれたまま、ダンブルドア少年はもはやポップコーンをどうこうすることは諦めて、自分の喉に杖を向けて大きな声を響かせている。
しかし大きな声を出そうとして口を思いっきり開けると当然ポップコーンが口に入ってくるので、ダンブルドア少年は言葉をうまく発音できない。
「んむぅ、おむ、せんぱっ……美味しい……」
喋ろうとすると眼前を覆うポップコーンがいくつか口になだれ込んで来るので、ダンブルドア少年はそれを反射的に、仕方なく、そんなつもりは無かったのだけれども、向こうから口に入ってきてしまうのだから僕としてはそうするしかなくて、もうひとくちだけにしよう最後にもうひとくちと、こんがりしたバターの香りに負けてポップコーンを味わい続けてしまっていた。
「あへスパー! ねえねえへスパーいっしょにポップコーン食べましょ。そうだラヴィニアちゃんにも分けてあげましょ。ラヴィニアちゃんはどこかしら。ダンブルドアくんもどこかしら?」
「わたしもしかしてポップコーンを持って来すぎちゃったのかしら? 少しだけにしておいたほうがよかったかしら。でもねしかたないのよ? だってポップコーンは美味しいから」
どうやらポップコーンを食べているらしいシャーロットさんと、この事態の責任が己にあると考えているのか誰も責めてなどいないのに自己弁護を始めているへスパーの声が聞こえてきて、ダンブルドア少年は安堵した。
「聞こえてるかいアルバス。双子呪文にはね、専用の反対呪文があるのさ。これでしかどうにもできないって状況があんまり起きない――つまり普通は『フィニート』の類で事足りるから、アルバスが知らなくてもしょうがないけどね」
しかしその7年生の女生徒は「双子呪文の反対呪文」を声に出して唱えることはせず、ただ魔法生物学の屋外教室からすぐ隣にある飛行訓練の芝地だったポップコーンの海まで歩いてきて、そこでニッコリ微笑んでから得意げに杖を一振りした。
既に飛行訓練の芝地を埋め尽くして溢れつつある大海のようなポップコーンは、7年生の女生徒が杖を振って魔法をかけた途端に2粒が引き寄せあって重なって1粒になり、その1粒のポップコーンもまた別なポップコーンと引き寄せあって重なって1粒になり、そんな通常の双子呪文が効果を発揮した際とは逆の動きが飛行訓練の芝地から溢れ始めていた洪水のようなポップコーンの全体で同時多発的に起きて、みるみるうちにポップコーンはその数を減らしていく。
もったいないと思ってしまうくらい迅速に減っていくポップコーンを7年生の女生徒は杖で操って、杖を持っているのとは反対の手にいつの間にやら用意していたらしい深皿の中へと吸い込まれていき、数秒後にはその場のほぼ全てのポップコーンがその深皿に山盛りになって収まった。
そしてポップコーンの洪水が片付けられたのと引き換えに現れたのは、皆一様に両手にありったけのポップコーンを握りしめて口をもぐもぐと動かしているシャーロットとへスパーとダンブルドア少年を始めとする幸せそうなお顔をした1年生たちと、ただ1人ポップコーンの欠片やら油やらで服と髪が汚れてしまったのが不愉快らしい、8歳のラヴィニア・ウィーズリー。
「……ポップコーン美味しいかいアルバス」
「先輩も食べますか」
この7年生がダンブルドア少年の振る舞いに呆れるというのは、そう起きる事態ではなかった。
ダンブルドア少年とへスパー・スターキーとシャーロット・クランウェルが両手にありったけ持っているポップコーンは、もはや1粒たりともその数を増やさない。
「先輩ひぇんはい僕アリアナほアブにもボップコーン食べさせてあげたいでふ」
ダンブルドア少年がポップコーンを口いっぱいに詰め込んだままでなければ、その発言の殊勝さに7年生の女生徒は心を打たれていただろう。
「そうだねえ」
7年生の女生徒がそう返答するのと同時にどこからともなく不死鳥が飛来して、7年生の女生徒が杖とは反対の手に持っているポップコーンが山盛りの深皿のフチに舞い降りた。
「それじゃあこれをケンドラ・ダンブルドアさんに届けてあげて。アルバスからアリアナちゃんとアブくんにですって伝え――書いときゃいいか。よろしくね」
7年生の女生徒は杖をポップコーンが山盛りの深皿に向けて一振りし、そこに「アリアナとアブに、アルバスより」と刻印された金属のプレートを取り付けた。
そして不死鳥は眩い炎を放って姿をくらまし、ポップコーンが山盛りの深皿も同時に消える。
「あ! ピカピカのお爺ちゃま! お爺ちゃまどこかに行くの?」
ちょうどその時ホグワーツ城内から出てきたエデュエイダス・リメット・ウィーズリーは、嬉しそうに声を上げたシャーロット以外にも、遠くからでもすぐに判別できた。
エデュエイダスの側頭部にのみまばらに残っている髪が虹色に光り輝いて禿げ上がった頭頂部をライトアップしているのを見て、エデュエイダス・リメット・ウィーズリーという人間に初遭遇したらしい者たちが目を丸くしている。
「やあやあこんにちは。また会ったね。きみたちは今からなんの授業だい?」
「あたし今から箒に乗ってお空飛ぶのよ!」
嬉しそうに返事をしたシャーロットさんがこれから受ける授業の内容を忘れていなかったことを、7年生の女生徒は心の中で「意外だ」と驚いてしまった。
シャーロットもへスパーもダンブルドア少年も、唸り声を上げながら髪と服を手で払い続けている8歳のラヴィニア・ウィーズリーと同じくらいには、髪と服にポップコーンの破片がたくさんくっついている。
「ねえねえピカピカのお爺ちゃま。お爺ちゃまもあたしたちの授業見に来てくれたの?」
シャーロットがそう訊ねると、虹色に光るエデュエイダスは片方の眉をぐいっと釣り上げた。
「それはとても魅力的だろうけど、僕にはこれから大切な予定があって、今からちょっと森に行くんだ。なんてったって僕は室長だから、この機会に何もしないってわけにはいかないからね!」
そう言うとエデュエイダスはどこからともなく取り出した小さな蓄音機をハゲ頭の上に乗せた。
掌の上に乗る大きさしかないその蓄音機にはどうやら魔法がかかっているらしく、特に固定などされているようには見えないのにエデュエイダスの頭の上から落ちるどころか傾くことすらない。
「さあ!! ケンタウルスたちをお茶にお誘いしに行ってくるよ!」
そう言いながらエデュエイダスは杖を取り出して、自分の頭の上の蓄音機を小突く。
すると小気味の良い破裂音が響いて蓄音機にレコード盤がセットされ、レコード盤ではなく蓄音機全体がまるごとエデュエイダスの頭の上で僅かに浮遊してゆっくりと回転し始めた。
スリザリン生の誰かの父親であろう気難しそうな魔法使いを筆頭に何人もの親たちが眉を顰めているが、世にも稀なるエデュエイダスはそんなことを問題にしない。
そして数秒すると、エデュエイダスの頭の上で浮かんで回っている小さな蓄音機から、耳が裂けるかと危惧してしまうほどの大音量で、悪夢みたいに酷い音質のオペラが轟き始めた。
「ね、ねえエディー大伯父さま、ケンタウルスたちってすごく気難しいのよね……? エディー大伯父さまが、前に、私にそう教えてくれたわよね……?」
「そうだよラヴィニア。だからとびっきりおしゃれをして行くべきなんだ。礼儀正しくして、相手に敬意を示すんだよ。だってケンタウルスはヒトよりもずっと賢くて気高い生き物だからね」
そう返答したエデュエイダスは、杖を自分の襟首に向けて蝶ネクタイを結ぶと、そのまま森へと歩いていってしまった。
虹色に光らせたまばらな髪でハゲ頭とその上の蓄音機をライトアップして、ホグズミードまで聞こえるんじゃないかというくらいのとんでもない音量で酷い音質のオペラを響かせながら。
シャーロットもへスパーもダンブルドア少年も8歳のラヴィニア・ウィーズリーと同じように目が点になってしまっている中、そのすぐ隣に位置する魔法生物学の屋外教室でキメラのハウプトバートを撫でている7年生のオミニス・ゴーントの傍に浮かんでいる両面鏡から、アリアナ・ダンブルドアの「わあー! ポップコーン!」という嬉しそうな声が、森の方からまだ響いてきている大音量のオペラに紛れてダンブルドア少年の耳に届いた。
「よかった……いや良くはないか…………」
どうやらアリアナはポップコーンを喜んでくれたらしいという安堵とケンタウルスさんたちが今から未知数の迷惑を被るだろうという推測が頭の中で正面衝突してしまって、ダンブルドア少年は喜んでも良いのか否かが判断できなかった。
野生のキメラの爪研ぎ方法も、双子呪文に専用の反対呪文があるというのも、ホグワーツの制服のポケットに「それなりの」検知不可能拡大呪文が施されているというのも私の妄想です。
あとこの当時のイギリスマグル界において蓄音機とかレコード盤は最新機器です。ホグワーツレガシーのゲーム内で探索できる範囲にはしれっとあったりするけど。