2年後もしくは106年前 作:requesting anonymity
「パパ、ママ見てみて! あれ! あれがね、ホグワーツのね図書館なのよ! それにね見てみてあそこのおっきいドラゴンさん! パパママ見ててね――ほらぁー! ね? ね? ね!」
ホグワーツ城1階、様々な棟や塔へと繋がる中央ホールの、中央。人魚の彫像がくるくると回り続け、ユニコーンと狼人間がその上部に勇ましく立つデザインの壮麗な噴水のすぐそばで、マグル生まれのハッフルパフの1年生の女の子シャーロット・クランウェルとその姉で4年生のクレアが、パパとママにホグワーツ城のあちこちを、紹介させてもらっていた。
「あらほんとう。それじゃあつまりあれにも魔法がかかってるのねシャーロット?」
シャーロットとクレアの母、マダムと呼ぶべきか悩まされるほどに若く見えるミセス・クランウェルが、正面の壁の高い位置にあるドラゴンのレリーフが吼えたのを見て目を丸くしている。
「ホグワーツに魔法が全くかかってないものなんて無いんじゃないかしら。ねえ?」
「えっあっ、え? ……そうね?」
視界を横切ろうとしていたルームメイトにクレア・クランウェルはいきなり話しかけたが、クレアのルームメイトたるセラフィーナ・ボーンズは丁度その時たまたま通りがかっただけだったので当然話の流れを何も理解しておらず、完全なる当てずっぽうで肯定を返した。
「――あ、クレアのパパさんとママさん。こんにちは」
肩を覆い隠す長さの栗色の髪と眠たげにも見える眼差しが同級生の男子たちを悩ませるセラフィーナ・ボーンズはピタリと立ち止まって美しい所作でクランウェル夫妻に挨拶した。
「あらこんにちはセラフィーナちゃん。その鉢植えは何かしら?」
お若いマダム・クランウェルが興味を示したのは、セラフィーナが両腕で抱えていた植物。
「これは薬草学の宿題やるためにガーリック先生に借りた『キーキースナップ』よクレアのママさん。機嫌が良いと歌ったりしてくれるけど、ご機嫌ナナメになるとすんごい声で叫ぶの」
そう説明されてみれば唇のようにも見える紫色の花はマダム・クランウェルに「ブゥー!」と下品な罵倒に聞こえる鳴き声をぶつけてきたが、マグルであるマダム・クランウェルには植物がそんな振る舞いをすること自体が物珍しく、子猫でも見るような微笑みを彼女が崩すことは無かった。
「こら。良い子にしてなさい」
鉢植えを叱ってからマダム・クランウェルに軽く会釈だけしてすぐまた歩き出したセラフィーナは噴水の脇も通り過ぎて、温室へと繋がる大きな扉へと吸い込まれるように去って行った。
そしてセラフィーナの姿が見えなくなった直後、クレアとシャーロットのママたる年若いマダム・クランウェルは、余計なことに気付いてしまった。
「…………ねえクレアあなた、セラフィーナちゃんがやるべき宿題ってつまり、あなたがやるべき宿題でもあるはずよね? だって同級生なんだものね? ……もう終わらせたのかしら?」
どうやらその指摘は図星であったらしく、クレア・クランウェルはママに何も返事ができない。
しかし、錆びた歯車みたいにぎこちない動きで不自然な笑顔を浮かべながらもママの目を直視はできず視線を逸らす、というクレア・クランウェルの態度は、魔法学校の指導要領なんて何ひとつ知らないクレアのママとパパに、件の宿題の進捗をわかりやすく解説しているも同然だった。
「いつまでに提出するものなのかしら?」
「あさって……」
「今の進み具合から考えると、期限までに提出できる?」
「がっ、頑張るわ……」
深く溜め息をついたマダム・クランウェルがすぐに穏やかな笑顔に戻ってそれ以上の追及をしなかったのは、一番には己が娘への無条件の信頼ゆえだったが、あちらこちらへと行き交う生徒たちやその親族であろう大人たちが周囲に大勢居るから、という世間体も理由の一端ではあった。
「パパ、ママ。この噴水も見てほしいの。どうかしらどうかしらステキじゃないかしら!」
くるりと勢い良く振り向いたシャーロット・クランウェルは、今度は自分たちが今までずっと背中を向けていた、中央ホールのシンボルたる立派な噴水をパパとママに紹介し始めた。
「見てみて、この噴水! キレイでしょ! これねあのね全部ほんとに居るのよ。全部よ!」
シャーロット・クランウェルがパパとママに教えてあげているその噴水はいくつもの彫刻が組み合わさった壮麗なもので、美しい人魚の像が周囲を回遊し続けている中心部分にある円柱状の台座の上部ではふくよかな体型をした醜い小男の彫像が集団で最上部を支えていて、その最上部では額にツノがある馬と二足歩行の狼のような生き物の像がシャーロットのパパの興味を惹いている。
その噴水を構成している不思議な生き物たちがそれぞれ何なのかは、マグルたるミスター・クランウェルとミセス・クランウェルにも判別できた。
「この、周りを回ってるのはマーメイドで、台座を支えているのは……トロウかな?」
「一番上のはユニコーンと、ウェアウルフってやつかしら」
ホグワーツでは魔法生物学の授業は3年生からの選択科目だが、しかしシャーロットは大好きなポピーちゃんからステキな動物さんたちのお話をたくさん聞かせてもらっているし撫でさせてもらったことだってあるので、パパとママでも知ってる「言い伝え」と「魔法界における実際の姿」の違いをきちんと理解してパパとママに説明してあげることだってできるのだった。
「あのね人魚さんのことはね、人魚さんじゃなくてねマーピープルって言うのよ。あたし一緒に泳いだのよ! お姉ちゃんも、あとお姉ちゃんのお友達とダンブルドアくんとエルファイアスくんと7年生のおにーちゃんおねーちゃんたちも一緒に! マーピープルさんたちはお外の湖にたくさんいるのよ。おさかなみたいなお顔しててすっごくかわいいの!」
それはシャーロットが以前書いて不死鳥さんに届けてもらったお手紙に記されていた話だったので当然にパパもママもそれを既に知っては居たが、しかしシャーロットのパパとママは今日もまた改めて、シャーロットの目を見てもういっかい驚いてあげるのだった。
「おさかなみたいなお顔をしてるのシャーロット? マーピープルさんたちって」
シャーロットのママは、シャーロットが求めていそうな質問をしてあげた。
「そうなのよ! からだがとってもひんやりしててね、おさかなの匂いがしてね――」
シャーロットがママにお友達や楽しかったことなどの話を聞いてもらっているすぐ隣で、姉のクレアもまたパパにホグワーツ城の話を止めどなく語り続けていた。
「話には聞いていたけれど、そこいらじゅうに彫像や甲冑があるんだね。ホグワーツって」
「そうなのよ。それにねパパはママともう見ちゃったかしら……闇の魔術に対する防衛術の教室がある棟の階段登ったところに、とってもおしゃべりのガーゴイル像が守ってる扉があってね、鍵がかかってるから入ったこと無いんだけど、本当にとってもおしゃべりなのよ。だって通りがかるたびに声が聞こえるのよそのガーゴイル像の。それにね――」
妹が入学してきたのだから自分はお姉ちゃんとして落ち着いた振る舞いをしなければと普段から心がけている4年生のクレア・クランウェルはしかしこの時、パパとママにホグワーツを案内してあげられるのが嬉しくて、妹に負けないくらいにはしゃいでしまっていた。
そしてもちろん、親と一緒にホグワーツ城内を歩くというのはマグル生まれの生徒たちに限らずとも滅多にできる経験ではなく、それは魔法使いであり魔女でありかつてはホグワーツの生徒だった多くの親たちにとっても同じだった。
つまり今シャーロットとクレアとパパとママの視界の端を行き交う多くの者たちもまた、度合いに差こそあれども皆一様に、少なからず高揚感や感慨を覚えていた。
「――父上は禁書の棚に収蔵されている書物をご覧になられた経験があるのですか?」
ちょうどクレアとパパの背後を通り過ぎたスリザリン生の男子は自分の父にそんな質問をした。
「もちろん、何度も。お前も
自分が学生だった頃から何ひとつ変わっていないように見えるホグワーツ城内の壁や天井、何の変哲もない甲冑すら懐かしみながら、その魔法使いはあどけなさの残る息子と共に歩いていく。
「O.W.L.ですか――僕は3年生ですから、まだ先の話だと思っていますが――」
「準備と言うべき内容が授業に含まれ始めるのは4年生からだが、O.W.L.を『まだ先の話』だと棚上げしていいのは2年生までだ。この私のように3年生の間ずっとノンビリと与えられた課題だけをこなしていると、5年生になってから目を回すハメになるぞ」
尊敬する父からそんな言葉を貰って、いま父上が僕に語り聞かせてくれた話の要旨はO.W.L.に関する忠告ではないと、そのスリザリンの3年生男子は実にすんなり父親と心を通じあわせていた。
「目を回したのですか、父上」
その男子生徒がニヤリと笑いながら訊くと、隣を歩いているお父上もニヤリと笑い返した。
「そうだ。ローネンの奴が手助けしてくれていなかったら、一体どれだけの科目で落第していたやらわからん。『防衛術』とて受講を続けられていたかどうか――7年間寝室を同じくした友人たちの中であいつだけは3年生になったその日からO.W.L.に向けた自主学習を始めていたからな……」
ホグワーツ城内を久しぶりに歩いて学生時代の思い出が心の底から次々に湧き上がってきているのは、その上品な佇まいの魔法使いだけではない。
「ホグワーツの教師ともなれば、やはり学生時代から際立っていたのですね父上」
「ローネンの授業は楽しいだろう?」
はい父上と即答したスリザリンの男子生徒はちょうと中央ホールの端、魔法薬学の教室へと続いている廊下の入口あたりに差し掛かって、そこに置かれていた肥満体の彫像に興味を持った。
「そういえば父上、この『おべんちゃらのグレゴリー』も、こうして像が飾られているということはつまり、ホグワーツの卒業生なのですか?」
息子からの素朴な質問に、父は明瞭な回答ができなかった。
「どうだかな。ブリテンの出身ではあるが、ホグワーツ創設より後の生まれだったかどうかが……魔法史で習ったこと自体は覚えているのだが…………ああいや、思い出した。おべんちゃらのグレゴリーはマグルの王に取り入り有能な薬師として仕えた。そのマグルの王とはリチャード1世だ。獅子心王だ。ひたすらに外征を続けた12世紀の王だ。そしてその12世紀にはホグワーツは既に世界最高の魔法学校として今と変わらずここに存在していたのだから、当時を生きたブリテン出身の魔法使いである『おべんちゃらのグレゴリー』も即ちホグワーツの卒業生だということに、なる」
それは解説ではなく、明らかにあやふやな知識をどうにか組み立てた推測に過ぎなかったが、しかしそんな積み木のように不確かな推論は、彼の息子にひとつの学びを与えたようだった。
「……なんだ。どうした。どういう表情だそれは」
なぜ息子が湧き上がるように笑顔になったのか、その魔法使いには解らなかった。
「いえ、僕はただ、父上はすごい魔法使いなのだと、今あらためてそう思っただけです」
おそらくホグワーツの卒業生なのであろう太った魔法使いの実物より大きいと考えられる立派な彫像を見上げながら、そのスリザリンの3年生は勉学への意欲を新たにしていた。
ある設問に対しての正答が判らなかったとしても、その設問に関する知っている部分の知識や、関連語句の周辺情報を何でもいいから思い出して並べてみれば、見えてくるものはあるのだと。
これはきっとどの科目の試験でも使える攻略法だぞと直感したからこそ、そのスリザリンの3年生の男子生徒の表情は綻んだのだ。
「ところで父上」
また何やら疑問が浮かんだらしいスリザリンの3年生男子が「おべんちゃらのグレゴリー」のまるまると肥えた姿の像を見つめながら傍らの父に質問をした、その時。
「なぜホグワーツにはこんなにも多くの像があるのですか? 歴史が長いので著名な卒業生や魔法史に名を残す偉人となった傑物も多いというのは理解できるのですが、ホグワーツにはおよそ卒業生を模したものではないと思われる像も数多くありますよね。なぜこれほどまでに廊下にも城外の校庭にも像やら甲冑やらが飾られているのでしょうか? 創設者たちの意向でしょうか――」
ゴトン、と。重そうな落下音が響いた。
「何だ? 何が――さてはウィーズリーの奴がまた何かやらかしたか? わけのわからん魔法薬でセバスチャン・サロウあたりを鉄の塊にでも変えたのか? それとも――」
音の出どころを見極めようと周囲を見回したスリザリンの3年生男子とその父親は、マグル生まれのシャーロットとクレアのクランウェル姉妹と同じかそれ以上に目を丸くして驚いてしまった。
それは彼ら親子が純血を標榜する由緒正しい家系の出身であり、ホグワーツ城にはマグルが作ったかのように全く微動だにしない彫像も数多あると、当然に知っているからこその驚愕だった。
「――わあー、すごいすごいすごい! ユニコーンさんも狼人間さんトロールさんたちも皆みんな走って行っちゃったわ! あたし噴水の動物さんたちにこんな魔法がかかってるなんて知らなかった! ねえねえ見てみてお姉ちゃん石でできてる動物さんたちも知らないおじさまの像も甲冑さんたちも皆みんな動いてるわどうしてかしら! じっと立ってばっかりで飽きちゃったのかしら!」
驚きと嬉しさが爆発して今にも駆け出しそうなシャーロットを、姉のクレアは同じくらい興奮しながらもその手をしっかり握って捕まえておくことを忘れなかった。
「待ってよどうして甲冑が持ち場を離れて――あの誰だか知らない魔女の像って動けたの?!」
驚きのあまり大きな声を出したのはシャーロットとクレアだけではなく、生徒たちも親族たちも、このとき中央ホールに居たほとんど全員が想像だにしていなかった光景を目の当たりにして、信じられないが現にいま起こっているから現実だと、どうにか冷静さを保とうと頑張っていた。
ゴトン、ゴトン、ゴトン――と、天井の上からも足元からも右からも左からも前からも背後からも、ありとあらゆる方向から、何か相当に重量のある物が次々に落下しているようなその音は響き続けていて、理解の早い者は既に、自分の目の前で起きているこの驚愕の光景は現在ホグワーツ中で発生している事象なのだと勘付いていた。
「申し訳ありませんがもし可能であれば脇に退いてくれますかな、賢明なるスリザリンの3年生たるミスター・ハーバート・バークならびにその父君であられるミスター・カラクタカス・バーク」
魔法など何ひとつ施されていないものだと思っていた「おべんちゃらのグレゴリー像」に話しかけられたスリザリンの3年生の男子生徒とその父は、あんぐりと口を開けたまま安物のオモチャみたいにぎこちない動作でヒョコヒョコと脇に退いて道を空けた。
「どうもありがとう。では、いざ征かん!」
銅像に扮していただけかのように滑らかな動きで去っていった「おべんちゃらのグレゴリー」のゴトンゴトンと響く大きな足音だけが、確かに彼は金属製の彫刻であり12世紀を生きた本人でも像のふりをしていた誰かでもないという事実をスリザリンの3年生男子とその父に再確認させた。
「ねえねえお姉ちゃんあっち見てあっち! 動物さんの彫刻がいっぱい歩いてきたわ! ねえあれライオンさんじゃないかしら。でもその隣のトリさんみたいなお馬さんは何かしら?」
シャーロットがそうであるように姉のクレアとてセストラルの外見は知らないので明確な答えを妹に教えてあげられずに、ただ「珍しい魔法生物かしらね?」としか返答できなかった。
「あの石の動物さんたちも甲冑さんたちも皆どこに行くのかしら? ついて行ってみましょ!」
そう言い終わらないうちに通りがかった甲冑に身を包んだ騎士の像を追って歩き出してしまったシャーロットに引っ張られる形で、姉のクレアとパパとママも好奇心に従い移動を開始した。
「ねえサマンサ、これ、何が起こってるのかな」
「それは解らないけれど、誰がこんなことしたのかは判るわ。あと『姉さん』と呼びなさい」
通りがかりに聞こえてきた姉弟らしきレイブンクロー生2人の会話から、クレア・クランウェルは今こうしてホグワーツ中の像という像を起動してしまった現象を引き起こした犯人を悟った。
そしてそんなクレアが妹のシャーロットや両親と共に追いかけている彫像や甲冑たちの向かう先、ホグワーツ城の南側出入り口たる木製の屋根付き橋がすぐ目の前にある時計台1階の、ゆったりと左右に揺れ続けている大きな振り子の下で。
グリフィンドールの7年生にして秘密の決闘クラブ「杖十字会」の取りまとめ役でもあるルーカン・ブラトルビーが両手でしっかりと持っている簡素なデザインの鏡の中から、小さな女の子の困惑した様子の声が聞こえてきていた。
「おにいちゃんが見えなくなっちゃった……」
時計台1階の両端にそれぞれある扉から続々とやってくる騎士像や甲冑や魔法使いや魔女の像たちの隊列に視界を塞がれて、「両面鏡」越しにゴドリックの谷にある自宅からその光景を見ている7歳のアリアナ・ダンブルドアが心配そうに声を漏らした。
「アブくん、おにいちゃんが見えなくなっちゃったわ」
同じソファの隣同士にピッタリくっついて座っている1歳違いの兄へと向けられたアリアナちゃんの声も表情も、あたかもアバーフォースお兄ちゃんならこの困った事態を解決してくれると信じているかのように、はっきりと手助けを要請していた。
「大丈夫だアリアナ。兄さんはいざとなればウサギか何かの巣穴とかそのへんの石の裏とか、あとはそうだな誰かの靴底の溝とかに隠れてやりすごせるから何も心配しなくていいんだ」
アリアナが解決してほしいのはアルバスお兄ちゃんの姿が見えないこと自体ではなくそれによって呼び起こされる不安な気持ちのほうだと、アバーフォースは鋭敏に理解していた。
「クィディッチだって、どんなにすごい試合でも見えなきゃつまんないもんね……移動しよっか」
そう呟いたルーカン・ブラトルビーはアリアナちゃんとアバーフォースくんが映った「両面鏡」を持ったまま立ち上がり、それでもホグワーツ中から集合してくる彫像と甲冑の軍団に視界を遮られて何も見えやしないのを改めて確認してから、今も続いているはずの我らが杖十字会チャンピオンとシマヅくんとダンブルドアくんがあのギャレスの親戚のおばあちゃんに挑む戦いをしっかり見届けられる特等席を確保するべく移動を開始した。
「んー、ダメだ場所取られてる。じゃあどこに行こうかな……」
しかし、ルーカンが今いる時計台1階からすぐ外に出たところの「時計台の中庭」の端、魔法生物学の授業が行われるホーウィン先生の小屋と屋外教室やその周辺を一望できる見晴らしの良いポイントには、すでに真っ白なケンタウルスの彫像が何頭も並んで弓を構えていた。
「危ないぞお前たち。我らはここからあの魔女を矢で狙う」「つまりここには反撃が飛んでくる」
石材でできているケンタウルスの像と、その向こうで同じように見晴らしの良い位置に陣取って弓を構えている石膏でできたケンタウルスの像がルーカンに忠告してきた。
「だよね。んーーーーあんまり近寄ると全体が見えないしなあ……箒とってこようかな……」
「お困りかねミスター・ブラトルビー」
背後からいきなり声をかけられてビックリしたルーカン・ブラトルビーが「両面鏡」を持ったままぐるりと慌てて体ごと振り向くと、そこにいたのは燃えるような赤毛と心配になるほど青白い肌をして刷毛みたいに立派な口ひげを蓄えた、背の高い細身の男だった。
その男の隣にはルーカンが名前を思い出せない魔女のゴーストがピッタリと寄り添っていて、さらに背後にも頭上にも夥しい量のゴーストたちが夜の灯りに集う蛾のように集っている。
「…………ギャレスの親戚の人?」
僕はこの人の名前を知らないぞどうしようと思ったルーカンはとりあえず最も妥当な可能性に賭けてみたが、しかしその推測はハズレていた。
「いいや。私はウィーズリー家の人間ではないよ。もしそうだったら光栄だが、ね」
その男は優雅な動きで握手を求めるかのように右手をルーカンへと差し出し、それから掌をくるりと回して空へ向けた。
「良い位置で見物したいなら空だよ、少年」
自分の身体がふわりと宙に浮き上がったのが単なる浮遊呪文の効果ではないことを7年生のルーカンはすぐさま理解したが、しかし、ではいかなる魔法がこんな真似を可能にするのかは、ルーカンにはまるで推測もできなかった。
箒などの道具にも変身術の類にも頼らない単独自由飛行というのは「理論上は可能なはずだ」というだけで未だに誰も成し遂げていない未完成の魔法分野だと、ルーカンはきちんと知っていた。
しかしその男はさも当然のようにルーカンを空へと導き、自分自身も空中に浮遊している。
「私はダニエル・ダングラス・ヒューム。霊媒師で、神秘部の部長でもある。今日は我が部下たるライサンダス・ラブグッド上級研究員の勧めでこのホグワーツに来た。あの生徒を見にね」
目の前の男に関する疑問が無数に湧き続けているのにもかかわらずそれら全てを棚上げしたまま、ルーカン・ブラトルビーは納得してしまった。
ああラブグッドくんの上司の人かあそりゃしょうがないや不思議なはずだと、ルーカンはどの疑問にも答えなど示されておらず全く解消されないからこそ腑に落ちていた。
「ねえねえルーカンおにいちゃん。いっぱい走ってる透明の牛さんはなあに?」
両面鏡を持ってくれているルーカン・ブラトルビーおにいちゃんが空中浮遊させられたことによって再び視界が確保されたアリアナちゃんが訊いた。
「あれは守護霊の呪文っていう魔法でね、うまく唱えられればあんなふうに、動物さんの形した光る煙みたいなものを創り出せるんだよ。ホントは『吸魂鬼』っていう怖いオバケを追っ払うためだけにしか使わない呪文だし、あんなにたくさん創り出せるものじゃあないはずなんだけどね」
「それってアルバスおにいちゃんにもできる?」
両面鏡の向こうにいるアリアナちゃんから素朴な疑問を投げかけられて、ルーカン・ブラトルビーは困った。7年生のルーカンは守護霊呪文がどれほど難しい魔法なのかも、1年生のアルバス・ダンブルドアくんがどれだけ優秀なのかも、正しく理解していたから。
「練習すれば、きっとできるようになるよ」
少し考えてから、結局ルーカンは否定も肯定も言い切る決断ができずに無難な回答をした。
ともすれば無責任の誹りを受けるかもしれなかったルーカンの投げやりな言葉は、しかしアリアナちゃんにとっては充分に「できるよ」という保証として機能した。
そしてその投げやりな保証は実際には、事実を正しく捉えてはいなかった。
「エクスペリアームス!」
「……はずれたな。これだけの距離があって、こちらが移動しながら飛び道具で敵を狙うというのは、それ専用の訓練をしていなければそうそう当たるものじゃないぞ――伏せろ!」
より広い場所で戦闘ができなければ勝ち目は無いと判断してホグワーツ城南側出入り口たる木製の屋根付き橋を渡ってすぐ右に曲がり、再びホグワーツ領内へと戻る形で魔法生物学の屋外教室へと続く曲がりくねった下り坂を走っているシマヅくんがダンブルドア少年に大きな声で忠告した。
「わぁあプロテゴ!!」
言われた通りに頭を下げつつ杖も振ったダンブルドア少年が展開した盾の呪文はブラッジャーが突撃したガラス窓のように砕き割られ、自分を担いで運んでくれていたアフパドル卿の石像もろともダンブルドア少年は吹っ飛んだ。
「レヴィオーソ! 守り損ねてごめんねアルバス大丈夫かい!」
「大丈夫です先輩」
大慌てで飛んできたワタリガラスがストンとした細身に真っ直ぐな黒髪をした7年生の女生徒の姿に変わってダンブルドア少年へと杖を向けつつ緩やかな下り坂の道に着地し、ダンブルドア少年はどこも怪我などしていないのでまだ戦えますという報告を一言で済ませながら再び杖を構えた。
「ボンバーダ!!」
そんな彼らと戦っている相手であるところの老婆オリュンピアス・ウィーズリーは、寄り道でもするのではないかと思ってしまうほどゆったりした足取りで、優雅に歩いて追ってきている。
オリュンピアスの歩幅はさして大きくもないので猛然と走って追いすがる騎士像たちや、ヒトの全力疾走よりずっと速く走れる鹿やライオンやグリフォンなどの動物たちの彫像の群れにも当然に追いつかれて攻撃を受けているが、オリュンピアスはそちらを見もせずに、守護霊呪文の牛の群れの一部と杖を持っていないほうの手だけで軽々とそれらの攻撃を受け流し続けている。
「狙いを修正してきたかい。やるじゃないかオノリアの甥っ子」
半ば景色の一部とすら言える視界の奥からダンブルドア少年が飛ばしてきた爆破呪文を、オリュンピアス・ウィーズリーは口でこそ褒めつつも杖を持っていないほうの手であっさりと弾いた。
「なんにしても、馬が欲しい。馬の石像とかないのかホグワーツ――」
ブツブツと呟きながら周囲を見渡して石像たちのどれが何を模したものかを見定めているシマヅくんがなぜいま馬を欲しているのか、ダンブルドア少年には解らなかった。
「馬? 馬で今なにするんですか? 移動のためですか?」
「――なぁ居っが。日本のたわっぜ違ごどん、ま贅沢ぁ言われん」
ダンブルドア少年には今シマヅくんが日本語でなんと言ったのかはサッパリ解らなかったが、しかしシマヅくんおよびシマヅくんのお父上の普段の話し言葉はおそらく標準的な日本語ではなく出身地の訛りが強く反映されているのだろうとは、流石にもう察せていた。
「そこの人馬一体! 乗せてくれ」
シマヅくんが流暢な英語でそう声をかけたのは、ホグワーツ城から湧き出るように続々と参戦してきている石像たちのうちの、オリュンピアス・ウィーズリーの傍をいったん素通りしてシマヅくんとダンブルドア少年と7年生の女生徒のところまで馳せ参じた1体だった。
「私はあくまでも石像だから別に良いが、本物のケンタウルスたちには『乗せてくれ』なんて間違っても頼むんじゃないぞ少年。私に乗っている姿を本物のケンタウルスたちが見るのもマズい」
背中に乗ることを許しながら、ケンタウルスの石像はシマヅくんにそう忠告した。
「そうなのか。なんでだ?」
跨りながら訊き返してきたシマヅくんに、そのケンタウルスの石像はシンプルな説明を告げた。
「なぜならそれはヒトに対して『簡単なのでいいから芸でも見せてくれよ猿らしく』と要求するのと同じくらい失礼だからだ。蹴り殺されても文句は言えない……もし森に出入りするつもりなら、あるいは既に出入りしてるなら覚えておけ。ケンタウルスが最も嫌うのは、馬扱いされることだ」
シマヅくんは自分がいま跨ったケンタウルス像からの言葉を自分なりに咀嚼するために沈黙したまま数秒を消費してから、ケンタウルス像に返事をした。
「つまり敬意をもって接するべきだが、こちらから接触を試みること自体が『敬意に欠ける』と解釈されうるわけか。悪意もしくは功名心や打算、あるいは単なる好奇心があるに違いない、と」
「そうだニホンの少年。賢く、誇り高く、理性的だが、基本的にはとてもヒト嫌いの生き物だ」
「だったらやっぱりグラップホーンと一緒になって追いかけ回すべきではないですよね先輩」
「えー。でもドランとエレクとかけっこするの楽しいんだよアルバス」
シマヅくんを乗せたケンタウルスの石像が弓を引き絞って矢を放ったが、騎士像を粉砕しながらゆったり追いかけてきているオリュンピアス・ウィーズリーはヒョイと横に1歩移動して躱した。
「ところでその弓矢はケンタウルス特有の物か、それともヒトの弓矢とそれほど差異は無いか?」
「本物のケンタウルスが使う弓矢は、という意味の質問なら、ヒトのそれより良くできていると彼らは自負しているだろうが、そのとおりそれほど作りに差は無いと言えるだろうな」
「……俺のような家の出身の生徒は、ホグワーツにおいて変身術と呼称されているものと同じ魔法処の授業で何よりも先に、日本魔法省の定める指導要領を無視して、これを練習するんだ」
そう言いながらシマヅくんは自分の杖を引き抜いて握り締め、腕を真っ直ぐ前方に伸ばして杖の先を空へ向けた。
するとシマヅくんの手の中で杖は太くなり、シマヅくんの背丈の倍近くあるのではないかとダンブルドア少年が思ってしまうほどに長く伸び、曲線を描いて形を変え、弦が張られた。
「……それがニホンの弓なのかいシマヅくん? おっきいんだねえすっごく」
「西洋の弓ってのは小さいんだと聞いてはいたが、実際に見て驚いたぞ――おいダンブルドア」
シマヅくんが自分の頭から引き抜いた1本の髪はスルリと滑らかに矢へと変身した。
「なっ、なんでしょうかシマヅくん」
「弓と矢の正しい扱い方を見せてやる」
ありがとうございますと言おうとしたダンブルドア少年が口を開くより先に、シマヅくんは乗せてもらっているケンタウルスの石像に「突撃!」と大声で合図した。
「えっ弓矢の使い方見せてくれるんじゃ――」
戸惑うダンブルドア少年の声などとっくに背後に置き去りにしてしまったので全く聞こえていないシマヅくんは、ケンタウルスの石像に小声で短く追加の指示を出した。
「あの婆様の右横を全速力で走り抜けろ」
「正面から突っ込むんじゃないのか」
訊き返してきたケンタウルス像にシマヅくんは指示を繰り返す。
「違う。奴の右側を――俺たちから見て右側を――できる限り至近距離を、全速力で走り抜けろ」
さっき渡り切ったホグワーツ城南側出入り口の屋根付き橋を背にしてゆったり歩いて追ってきているオリュンピアス・ウィーズリーは背後から飛びかかってきたライオンの石像をヒョイとお辞儀するような動作で躱し、横から柄の長いメイスのような武器を両腕で振りかぶって叩きつけようとしてきた騎士像を杖を持っていない方の手から放った赤色の閃光で軽く吹き飛ばしながら、前方から突っ込んでくるケンタウルスの石像とその背に跨った島津忠宝少年へ鋭い眼光を飛ばしている。
「アルバスなにしてるんだい杖構えなシマヅくんに合わせるよ」
「あ。はい先輩」
「あのおばーちゃんの鼻を狙って失神呪文を飛ばしなアルバス――」
「ステューピファイ!!!」
先輩からの指示を最後まで聞き終えるよりも早く、ダンブルドア少年はそれを即刻実行した。
「僕が合図したら、って言おうとしてたのに……まあいいや。そのまま撃ち続けて。防がれても避けられてもとにかくあのおばーちゃんを呪文で狙い続けるんだ。あのおばーちゃんの牛の守護霊の群れは厄介だけど、対処できないんだから無いものとして考えるしかない。牛は無視、いいね?」
ダンブルドア少年からの返事を聞こうとはせずに、7年生の女生徒は白く光る靄のような姿になってオリュンピアス・ウィーズリーへと高速で発射されていった。
「構うな。あんな霧か霞かみたいな牛どもよりお前の方が頑丈にできてるだろう石なんだから」
早口で檄を飛ばしたシマヅくんが跨っているケンタウルスの石像はオリュンピアスおばあちゃんへと猛烈に突進して行き、その突進の勢いを殺すべく放たれた洪水にすら見える10頭近い牛の姿の守護霊の群れと真っ向から衝突した。
「ウッぐ……!」
その途端にシマヅくんが連想したのは、渡河。魔法処で数年前に受けたとある授業での、大鎧を身につけて腹まで水に浸かり、徒歩でザブザブと河を渡ったあの身体の重さだった。
「今なら指示の変更を受け付けるぞサムライボーイ!」
シマヅくんを乗せて走っているケンタウルスの石像は言外に退避を提案しているが、シマヅくんにそんな選択肢は無い。
「変更なしだ。突っ切れ!!」
流れの強い河を重装備のまま渡ろうとしているかのような強烈な抵抗を全身に感じながらも改めて直進の指示を出したシマヅくんは少々の減速を余儀なくされながらも牛の形をした守護霊の群れを切り裂くように力強く突進してくれているケンタウルス像の背の上で、全身をめいっぱい使って弓を引き絞り、両腕のみならず肩にも腰にも足にもありったけの力を込め続けたまま、守護霊呪文の大河を越えた先にいるオリュンピアス・ウィーズリーから目を逸らさない。
「マダム・ウィーズリー、覚悟!」
「不意打ちするんなら黙ってやりな大マヌケ」
背後から斬りかかってきた騎士像をヒョイと躱して足を引っ掛けて転ばせたオリュンピアス・ウィーズリーは、等身大の石像相手にそんな真似をしたら普通は骨など折りそうなところ、まったく痛くもない様子で転ばせた騎士像に杖を持っていないほうの手で浮遊魔法を施して操作し、右から回り込んできていたライオンの彫像にぶつけて諸共に砕いた。
「おやホグワーツ城の設計者じゃないか。お前さん名前なんて言うんだい? ヘルガ・ハッフルパフとロウェナ・レイブンクローのどっちかの旦那かい?」
真鍮か何かでできているのだろう黄金色の大きな魔法使いの像が迫っているのを確認したオリュンピアスは頭上から雨のように降り注いだ10数本の矢を見もせずに軽く払いのけ、そのまま杖を金属製のホグワーツ城の設計者の像へと向け、呪詛と守護霊呪文の牛3頭をぶつけた。
ホグワーツ城の設計者の像は生前の本人の倍はあるのではと思わせるほどの大きさかつ金属製だからか守護霊呪文の牛3頭に突進されても一瞬動きが鈍っただけでアッサリと耐えたが、一瞬だけとはいえ確かに動きが鈍ったのをオリュンピアスは見逃さない。
オリュンピアスはすぐさま100頭は下らないんじゃないかと思える守護霊呪文の牛の群れの大雪崩を追加で創り出してホグワーツ城の設計者の像へと突撃させ、力ずくで押しつぶしにかかった。
「あのおばあちゃますっごいのね。おにいちゃんったらだいじょぶかしら?」
「心配要らないさアリアナ。だって兄さんはチビだから呪文なんか飛んできたって当たらないよ」
オリュンピアス・ウィーズリーが滞留させている守護霊呪文の牛の群れや突撃させている守護霊呪文の牛の群れを、3階くらいの高さに浮かんで見下ろしているルーカン・ブラトルビーの左肩のそばを漂っている簡素な装飾の「両面鏡」から、アリアナとアバーフォースの声がした。
ダンブルドアくんの弟と妹は仲良しなんだなあと思いながら、ルーカンは拭い去れない疑問と不安を一緒くたにして、すぐそこで自分と同じように浮遊している人物へとぶつける。
「あの、ヒュームさん。箒や絨毯とかに乗らずに自由に飛ぶって、理論上不可能じゃないってだけの、まだ誰も創り出せていない魔法ですよね。それで僕ら、今どうやって浮いてるんです?」
「もちろんマジックだよ」
かつて国際魔法使い機密保持法違反の疑いがあるとして自分を逮捕しようとした闇祓いフランク・ポドモアに詰問された際に返したのと同じ言葉を、神秘部部長ダニエル・ダングラス・ヒュームは穏やかに微笑みつつルーカン・ブラトルビーへと投げかけた。
「やあ゙ーっぱり連射するより一撃の威力が要るよ、な゙ぁっ!」
空に浮いているルーカン・ブラトルビーおよび両面鏡とダニエル・ダングラス・ヒュームが見下ろしている先の地面では、ダンブルドア少年の隣で杖を構えている7年生の女生徒がオリュンピアスを攻撃しようと試みたが、しかしオリュンピアスは目ざとく反応して大きく身を躱し、今まさにオリュンピアスに飛びかかっていたセストラルの石像が破裂して塵になって消えた。
「あっヤベ。直せないのに…………どうしよ後で怒られる……」
「使う呪文は選びましょうね先輩――コンフリンゴ!」
ダンブルドア少年が投射した爆破呪文はオリュンピアスが操る守護霊呪文の牛の群れに飲まれて失速し、オリュンピアスの力強く鋭い杖の一振りで無理矢理軌道をねじ曲げられて、坂道の横に生い茂る木々の向こうへと消えていった。
木々の向こうの遠くから爆発音が響き、鳥が空へと逃げていくのが7年生の女生徒にも見えた。
そしてすぐ視線をオリュンピアスへと戻した7年生の女生徒は、ちょうど守護霊呪文牛の群れの大雪崩に飲み込まれて引き倒される瞬間のホグワーツ城の設計者の像がずっと左手に抱えていたホグワーツ城の模型をオリュンピアスめがけて放り投げるところを目撃した。
大広間がある建物と大階段の塔を象ったものだと思われるその金属製の模型は放物線を描いて空中を舞いながら一瞬でその大きさを劇的に増し、ダンブルドア少年と7年生の女生徒が背を向けている下り坂の先にある魔法生物学の授業が行われる小屋くらいにまで巨大化して、オリュンピアス・ウィーズリーを頭上から押し潰さんと迫った。
しかしオリュンピアスは慌てず騒がず杖を頭上に向けて、今や城の一部がそのまま降ってくるのと大差ない重量であろうその模型に魔法をかける。
「
口では縮小呪文を唱えつつ無言で軟化呪文も放ったオリュンピアスの視界を占有したのは、鏃。
小石のように小さく綿花のように柔らかくなったホグワーツの模型がオリュンピアスの頭にポトリと当たってから地面に落ちたのと同時に、守護霊呪文の牛の群れの洪水のような突進を切り裂くように突き抜けて駆けてきたケンタウルスの石像に跨ったシマヅくんは、オリュンピアスの目の前まで迫り接触するのではないかと危惧するほどの至近距離で真横を通過する刹那に、むしろ拳の間合いだと言える近さで、矢を放っていた。
「プロテゴマキシマ!!」
「南無神變大菩薩」
杖を持っていないほうの手で咄嗟に盾の呪文を行使したオリュンピアスだったが、シマヅくんが何やらホグワーツでは聞き馴染みのない呪文のようなものを唱えながら放った矢はオリュンピアスの盾の呪文を飴細工のように引き延ばして切り裂かず、ブラッジャーが新聞紙など物ともしないようにまとわりついた盾の呪文ごとオリュンピアスの顔の中心に直撃した。
「おばあちゃま!」
アリアナが驚きと恐怖で大きな声を出したために、アバーフォースは鏡をテーブルに伏せて向こうの光景が見えないようにするべきだったと後悔しながら妹をぎゅっと抱きしめた。
両面鏡が映し出すホグワーツの景色の地上に小さく姿が捉えられているオリュンピアス・ウィーズリーが微動だにしていないと、単に倒れず踏みとどまっているのではなくまるっきり姿勢を変えてすらいないと、アバーフォースとアリアナは数秒経ってから気づいた。
「くそ、もう1回だ――あの婆さんが矢をどうやって防いだのか解らなかった!」
すれ違いざまに矢を放って駆け抜けていったケンタウルスとシマヅくんの悔しそうな足音と声を聞き取って、オリュンピアスは窓枠に小鳥が止まっているのを見つけた朝のように笑った。
「甘い甘い。保護魔法だけが防御じゃないよサムライ」
ころりと地面に落ちた矢はその途端に元の1本の髪へと戻り、何ひとつ魔法などかかっていなかったかのように風に吹かれて飛んでいって見えなくなった。
その瞬間発生した落雷をも、オリュンピアスは無言で防御してみせた。
「お前さんは
オリュンピアスは斬りかかってきた騎士像2体をまたしてもヒョイと躱してあしらい、その後ろから突進してきた翼のあるイノシシの彫像を杖の一振りでバラバラに砕きながら守護霊呪文の牛の群れを7年生の女生徒とダンブルドア少年へと殺到させて呪文での攻撃を妨害する。
身長ほどもあるメイスを振り上げた騎士像と全身を隠せるほどの大きさの盾を押し出して突っ込んできた騎士像の同時攻撃を盾の呪文で真正面から受け止め、その2体の騎士像の頭上から守護霊呪文の牛の群れを滝のようにとめどなく浴びせ続けて地面に押し倒し身動きを封じる。
いくつもの魔法を同時に行使しつつ並行して守護霊呪文で創り出した夥しい牛の群れも操り軽々とした身のこなしで楽しそうに戦い続けているピンと背筋の伸びた燃えるような赤毛の小柄な老婆オリュンピアス・ウィーズリーはこの当時、議論の余地無く、英国魔法界最高峰の実力を持つ者たちから見てすら一線を画す怪物だった。
とある集落に迫ったウェールズ・グリーン普通種の雌のドラゴンを叱りつけて追い払ったことすらあるオリュンピアスは、しかし後の世代には全くと言っていいほどその名が知られていない。
このウィゼンガモット首席魔法戦士を長年務めた偉大な魔女オリュンピアスが魔法史に名を刻まず歴史の奥底に埋もれていった理由は明白だった。
「ぼっ、僕も、僕も何かしないと……まずあのデタラメな守護霊呪文をどうにかしないと……」
オリュンピアスの人生最後の日々は、アルバス・ダンブルドアの青春時代なのだから。
愛する夫エデュエイダスが1899年に亡くなった途端に元気をなくして引退したオリュンピアスがそのまま数ヶ月で嘘のように静かにその生涯を終えてからしばらく後に、あのゲラート・グリンデルバルドが世界を震撼させるのだから。
つまりオリュンピアスという怪物は、それを上回る怪物の出現によって忘れ去られるのだ。
(守護霊呪文でなら、守護霊呪文と正面からぶつかって、ちゃんと力比べができるかもしれない)
アルバス・ダンブルドアによって。
「せんぱい守護霊呪文ってどうやるんですか!」
「えっなんだいアルバスどしたの急になんで今そんな――」
「いま教えてください!」
そうしてダンブルドア少年の剣幕に圧されて守護霊呪文の唱え方とコツを手短に説明した7年生の女生徒は、最後にひとつだけアドバイスを付け加えた。
「アリアナちゃんとアバーフォースくんが見てるよ、アルバス」
「……エクスペクト・パトローナム!!」
ダンブルドア少年の杖の先から噴出した青白く光る濃い霧のようなものは長くて大きな尾羽根をもった壮麗な鳥の姿形となって力強く飛翔した。
「わああー! 見て見てお姉ちゃん、とっても……とってもきれい!」
今ちょうどホグワーツ城から時計台の中庭へと出てきたシャーロット・クランウェルの目に映っている景色の全てで、海みたいに見えるほどの数の青白い牛の群れが、同じく青白い大きな鳥が羽ばたく度に放たれる青白い波のような壁のような衝撃によって押し流されて叩きのめされて形を失って波間の泡か何かのように舞い散って吹き飛ばされていく。
そして全ての方向へと波動のようなものを放ちながら空を征くその美しい鳥は、ほんの10秒ほどで今の今まで数え切れないほど圧倒的な大群を形成していた守護霊呪文の牛たちを、他ならぬその比較にもならない出力の差によって、1頭残らず完全に消し去ってしまった。
「こりゃ驚いたね……アタシの負けだよ。まーったく大したもんだ!」
大きな口を開けて堂々とそう宣言して満足げに笑い始めたオリュンピアスの後ろで、思わず立ち止まったケンタウルスの背から、シマヅくんが降りた。
「お兄ちゃんすごい! お兄ちゃんかっこいい!」
自分のところまで到達して尚も減衰する様子を見せずどこまでも広がっていく守護霊呪文の波動を浴びながら地上を見下ろしているルーカン・ブラトルビーのすぐ横で、同じく宙に浮かんでいる両面鏡から、嬉しそうなアリアナ・ダンブルドアの興奮した声が響いていた。
「守護霊が不死鳥とはね! どんな動物かあるいは虫か魔法生物か、何だったとしてもそれで守護霊呪文の威力が変わるわけじゃあないんだが、私ゃ流石にたまげたよアルバス・ダンブルドア」
「あっ、ありがとうございます……でも僕その必死で……い゙っ! ありがとうございます……」
ずんずんと歩み寄ってきたオリュンピアスに握手を求められて応じたら握力の強さにビックリさせられた11歳のアルバス・ダンブルドア少年は「成功した感覚を覚えてるうちに」とこの直後から守護霊呪文の自主練習を本格的に始めたものの、しかし最初の大成功は夢だったんじゃないかと本人のみならず7年生の女生徒やシマヅくんすら疑ってしまうほどにまるっきり全く成功できないまま空き時間を全部使い切ってこの日の全ての授業も終わって日が沈んでしまっても、まだちょっとした時間を見つけては練習し続けて、しかし杖からは煙も出てこず時間だけを消費したのだった。
【カラクタカス・バーク】Caractacus Burke
闇の魔術に関する品も取り扱っているノクターン横丁の怪しい店「ボージン&バークス」の創業者の1人。この店の創業が1863年なので、その時点で少なくとも成人していたと思われる。
バーク家はマルフォイ家くらいには純血の家系だが、カラクタカス・バーク自身の血統は不明。
【ハーバート・バーク】Herbert Burke
フィニアス・ナイジェラス・ブラック校長の娘であるベルヴィナ(1892年当時6歳)の、夫。
カラクタカス・バークの息子で1892年当時スリザリンの3年生、という部分は私の妄想。