2年後もしくは106年前 作:requesting anonymity
「僕はねえ、こっちのポーンを前進させます。ほら次きみの番だよピーブズ」
「それなら俺様はこのアップルパイをこっちに逃がすぜ」
今日の最初の授業がもうすぐ始まるはずの呪文学の教室で、担当教授のローネン先生が未だ姿を現さないのを良いことに、7年生たちはまるで自由時間かのように各々が好きに過ごしている。
「んむむーぅそう来るかあ。じゃあ僕はこのクイーンの右に新しく催眠豆をいっこ置いちゃう」
「だったら俺様はナイトをƢの16へ。お前のポーンを取る」
皆が知らないフリを決め込んでいたその青年とピーブズの勝負に、とうとう耐えきれなくなって最初に口を挟んだのはセバスチャン・サロウだった。
「お前らそれは一体なにをやってるつもりなんだ?」
「なんだいセバスチャンったらチェス忘れちゃったのかい? 今いいとこだから邪魔しないでほしいんだよね…………えーっと、えーっとね……待ってねピーブズ……催眠豆をこっちに動かすと、ピーブズは古くなったパンを投げるのが好きだから……僕のクイーンが――」
長考を始めたその青年が唸りながら睨んでいるのは、通常の駒に紛れて豆やら果物やら教科書やらが色々と配置された、泥酔しているとしか思えない、ぐんにゃりと歪んだ醜い楕円のチェス盤。
ピーブズが今しがた「退避」させたアップルパイ1ホールは、盤から半分ほどはみ出ている。
「ねえマルフォイ、あれって一体どっちが勝ってるのかな今」
「知ったことかレストレンジ」
純血を標榜する由緒正しい家系出身のスリザリン生であるマルフォイは、ルーン文字の自習のために開いていた書籍「スペルマンのスッキリ音節」から視線を動かそうともしないまま、友人であるやたら美人のスリザリン生レストレンジからの問いかけを極めて雑に受け流した。
「よぉし決めた! ピーブズ僕ねアップルパイ1切れほしい!」
「もちろん良いぞ。食べろ食べろ」
ピーブズは盤面の半分弱を占有しているアップルパイ1ホールから1切れ取って青年に差し出す。
「アタシもアップルパイ貰っていいかいピーブズ」
「もちろん良いぞ。食べろ食べろ」
自分もこれからここで呪文学の授業を受けるのだと言うかのように、さも当然のように教室の空中に浮かんでいるピーブズはそこでくるりと回転して頭を床へ向けた。
「ほらノット。あんたの分も貰ってきてやったよアップルパイ」
「どうもありがとうレストレンジ――なんだ。何のつもりだ」
ボーイフレンドのノットがアップルパイへと伸ばしてきた左手を、レストレンジはノットの分のアップルパイ1切れを持っている左手を高く挙げて避けた。
「ファーストネームで呼んでほしいって昨日の夜言ったろアタシは」
「…………アップルパイを、ありがとう。………………ピューシン」
望み通りにファーストネームで呼んでもらえて満足気にニンマリしてから、やたら美人のスリザリン生ピューシン・レストレンジは今度こそ快くアップルパイ1切れをノットに明け渡した。
「お前ら2人の関係性で今更なんで相手をファーストネームで呼ぶぐらいのことでそんなに赤面できるのか僕には判らないねノット」
「黙れマルフォイ…………!」
ニヤニヤと厭らしく嗤いながら親友をからかったマルフォイは、そのままもう1人の親友であるレストレンジへと視線を向けた。
「そういあアンタの親もフ今日来てくれうんだったハねマルフォイ美味し」
アップルパイを頬張りながら質問してきたレストレンジを、マルフォイは嗜める。
「食べながら喋るなといつも言ってるだろう……お前の兄と姉は今日かレストレンジ?」
「そうさ。昨日の夕食の時にんむぁフクロウが手紙を持ってきたろ。あれに『今ブリテンに着いた。もう今日は授業が済んだ後だろうからダイアゴン横丁で飲んで寝て明日そっちに行く』って」
アップルパイ1切れをあっという間に食べてしまったレストレンジがまだ少し紅潮したままのノットの頬を至近距離からじっくりと眺め始めたので、マルフォイはこれ幸いと会話を取りやめて再びルーン文字の自主学習に全ての集中力を振り向けた。
「――お? それでいいのか良いんだな? 『待った』は無しだってお前が言ったんだからな? それなら俺様はアップルパイを前進させてお前チェックメイトだ」
「あ!!!! んむにゃぁーー!! 負けた!! むぐぅーーー!!!! 嘘だあ! そんなハズないよ僕の催眠豆軍団がアップルパイに負けるなんて!! うぐぐぅーーぐぎぎぎぎぎ……!」
どうやら勝負が着いた様子の、チェスだと言い張るつもりらしい酷く歪んだ楕円の盤面からドタバタと逃げ出した青年は、感情のままにぎゃあぎゃあと騒ぎながら心の拠り所に縋り付く。
「ポピーちゃん!!!」
「なあに?」
「ピーブズがいじわるする!!!」
なんとも無理筋の訴えを受けてもポピーは青年を否定せず、しかし無条件に甘やかすわけでもなく、さらには困惑もせずにクスクス笑ってただ状況を面白がりながら、優しく言葉をかけた。
「じゃあピーブズにチェスで勝つのは諦めるってこと?」
ポピーの言葉によって青年は頬でも引っ叩かれたのような表情を浮かべ、唇をとんがらせて大いに葛藤した後その目に再び闘争心を宿して、ハグしてくれていたポピーちゃんから剥がれた。
「…………ぅ゙ぅ゙ぅ゙ぁあ゙きらめ゙ない゙!!! ピーブズもう1回やろ!!」
しかし青年の意欲とは裏腹に、ピーブズは何も返答せずニヤリと笑って空中を滑るように移動して青年の視界の中央から退き、教室の奥の扉を視線の動きで指し示した。
「おはようみんな」
「おはようございますローネン先生」
買ったばかりの新居が目の前でドラゴンに焼き払われたらマグルの夫婦はきっとこんな顔をするだろうなと思わせる愕然とした驚きと喪失感の混ざった表情で見つめられても、ローネン先生はにっこりと笑顔を浮かべてもう一度、その青年だけに改めて挨拶をしてくれた。
「おはよう。もしかして何か邪魔をしてしまったかな?」
「お゙はようごじゃいますローネンせんせ……」
じっとりとした視線に憤懣やる方ない忸怩たる悔しさを込めながらもローネン先生にきちんと挨拶できた青年を、ポピーが「えらい」「おりこう」「カッコよかった」と、まるで生まれて初めて指定された通りの位置でトイレができた仔犬にそうするように、激しく撫で回して褒めちぎる。
「他所様の家の教育方針に口なんか出すもんじゃないぞセバスチャン」
「僕まだ何も言ってないぞオミニス。それにアイツはウチの子でもあるだろ」
17歳とは思えないほど達観している時と3歳くらいの情緒をしている時の差が激しい同級生が名残惜しそうにチェス盤へと視線をやり、ローネン先生にそう促されるより早く右手の指先をくるりと回してアップルパイや駒や催眠豆などなどの雑多な品々と共にチェス盤もどこへともなく片付けたのを見届けて、ポピーはまたしても「えらいよ」と青年を褒めた。
「では授業を始めても構わんね?」
「よろしくお願いしますローネン先生」
呪文学の教室に居る7年生たちが声を揃えて返答し、青年はポピーとセバスチャンの間に座る。
そしてローネン先生は授業の最初の説明を始めようとして、何かを言おうとしたその口を一度閉じ、視線を呪文学の教室の入り口へと向けた。
「ようこそいらっしゃった。どうぞどうぞお好きな位置で――」
燃えるような赤毛に爽やかな微笑みを湛えたウィーズリー兄妹の長兄ユーウェイン・ウィーズリーが迷いなく弟の真後ろへと移動する中、ローネン先生の歓迎の言葉はポピーとセバスチャンの間の席に座っている青年の大きな声によって遮られた。
「ウィンストンくんだ………!」
今まさに始まるはずだった呪文学の授業などもはや意識の片隅にすら無いと言わんばかりに、青年はポピーとセバスチャンが制止しなければと考えるより速く、白く光る霧か煙のようなものに姿を変えて、ユーウェイン・ウィーズリーに続いて呪文学の教室に入ってきたその若者に突進した。
「ウィンストンくんだ!!! わああウィンストンくん来てくれたの?!! ねえ僕ウィンストンくんにね見てほしいものがいっぱいあってね案内したいところがいっぱいあってね紹介したい友達がいっぱい居てねあのねえっとねそんでねウィンストンくん今から一緒にドイツ行こドイツ!!」
溢れんばかりの嬉しさが表情のみならず全身の挙動に表れている青年に両手を固く握り締められたまま、その青年が歓喜を制御できずにびょんびょこ飛び跳ね続けているのを目の当たりにしながら、マグルのウィンストンくんは実に落ち着いた態度で、青年の提案を断った。
「ダメだぞ。今からはダメだ。僕はお前がこの学校の授業を受けるところを見に来たんだから」
「ウィンストンくん僕が授業うけるとこ見ててくれるの??!! やっっったぁぁああ!!!」
飛び跳ね方が一層激しさを増した青年と冷静そのものと言える態度の「ウィンストンくん」を見ながら、教室に集った7年目のN.E.W.T.レベルの呪文学を受講している生徒たちも、それを教えるローネン先生も、改めて説明されるまでもなく、ギャレスの兄たちの内の1人であるユーウェインに続いて入室してきたその銅を彷彿とさせる鮮やかな赤毛の青年の正体を、正確に理解していた。
そろそろ止めないとちぎれるのではないかと見る者に危惧させる激しさで飛び跳ね続けている青年越しに、ウィンストンくんは、話には聞いていた「こいつの同級生のみんな」と目が合った。
「どうもお世話になっております」
セバスチャン・サロウとポピー・スウィーティングはウィンストンくんに、ウィンストンくんも目が合ったその2人に、心の底からの深い感謝の言葉が挨拶よりも先に、お互いがお互いの目と共通の友人である青年を同時に視界に入れた途端に、考えるより早く口をついて出たのだった。
「きみたち、というかここにいる全員だな? 僕の代わりに散々苦労してくれてるのは」
緑の差し色が入った黒いローブを着用している男子生徒から教室全体へと視線を向けながら、ウィンストンくんが7年生たちへ確認する。
「ウィンストンくんウィンストンくんねえねえ見て見て見てこの子がポピーでこっちがセバスチャンでねその隣がオミニスでねその向こうがマルフォイとノットとレストレンジでねあっちに居るのがナッちゃんでねあとねアミットとリアンダーとアンドリューとねイメルダとね他にもね――」
青年は今や嬉しすぎて自分でもどうしたらいいのか判らず逆立ちなど始めているが、同級生たちもウィンストンくんも構わず会話を続けている。
「あなただよね? この子に文字の読み方とか服の着方とかを教えておいてくれたのは」
黄色の差し色が入った黒いローブを着ている小柄な女子生徒からそう質問されたウィンストンくんは、何を隠そうともせずに堂々と肯定した。
「いかにもそうだ。コイツがあんな環境に棲んでて病気どころか体調不良すら一切無かったのも、そんな奴と定期的に接触してた僕が感染症の類を何ひとつコイツから貰わなかったのも、いま思い返せばコイツの魔法ってやつのお蔭なんだろうな……確か、あるんだったよな? 教育を受ける前の、子供の魔法使いには、そういう、自分でも理解してない魔法を無意識に使うってことが」
ウィンストンくんの質問に、ウィンストンくんの視界の左端に居た男子生徒が答える。
「ほとんどが10歳以下の幼子に見られる現象だが、まあ仰る通りだと言えるね。父上が言うには僕は1歳になる前、離乳食に含まれていた嫌いな食材をグズりながら『消失』させてたらしい――」
その男子生徒はわざわざ立ち上がって歩いてきて、ウィンストンくんに握手を求めた。
「消失呪文はホグワーツじゃ5年生が習うもので、いつの時代でもほとんどの生徒が習得に苦戦するちょっとした試練なのにだ。こういう例は数限りなくある……僕はヒュペリオン・マルフォイ。よろしく。きみがそいつに施しといてくれた教育にはずいぶん助けられてる。感謝してる」
ウィンストンくんは快く握手に応じ、2人は微笑みを交わす。
「よろしく。僕はウィンストン・『ウィーズリー』だって今日だけは言い張れと厳命されてるけど本当はウィンストン・レオナルド・スペンサー=チャーチルだ。僕の認識が事実に即していると仮定するなら家族に魔法使いは1人も居ない。父は何故か魔法界の存在をご存知だったようだが」
ウィンストンくんの疑問に、教室の反対側からユーウェイン・ウィーズリーが回答してくれた。
「きみのおじい様はアイルランド総督で、お父様ご自身も財務大臣だっただろう? だから立場上まあ魔法大臣に接触されてても不自然じゃないよ。普通は政権のトップと陛下だけのはずだけど、何事にも『例外』とか『緊急』とか『臨時』ってことはあるからね」
「本当か?! だったら父はなんで僕にもっと早く――いや、当然か。言って信じるわけがない。言いふらしたって狂ったと思われるだけだ。現に僕だってそう判断して口を噤んでるじゃないか」
一瞬だけ愕然としてからすぐ納得して冷静さを取り戻したウィンストンくんは、そこで教師なのであろう壮年男性と目が合った。
その壮年男性は外交的な親しみのこもった笑顔でウィンストンくんに、本来しなくてもいいはずの意思確認をわざわざ問いかけてくれた。
「授業を始めたいのだが、かまわんかねミスター・『ワン・デイ・ウィーズリー』どの?」
「もちろんです。ご厚意によって観覧の機会を賜った立場にもかかわらずこのようにお騒がせしてしまって申し訳ありません」
「ィンストンくんウィンストンくんほら見てこれがピーブズだよピーブズはねえあ゙あ゙そうだウィンストンくんピーブズ見えな違う昨日見えるようにしたから今だけ見えるんだったウィンストンくんピーブズだよピーブズ見てみてピーブズはねえ前に手紙に書いたって気がするけどねえポルター」
激しく動いて嬉しさを発散しながら止めどなく大好きなウィンストンくんに大好きな友人たちを紹介する言葉を発し続けていた青年の方を、ウィンストンくんはついに向いた。
「ちょっと僕のお願いを聞いてほしいんだが、いいか?」
「なんだいウィンストンくん!! 僕ねウィンストンくんのお願いだったらね、嬉しい!!」
「そこにいらっしゃる先生の指導をよく聴いて、授業に真剣に取り組むんだ。できるな?」
「できる!!!!」
元気いっぱいにお返事した青年は大股でずんずん歩いてポピーとセバスチャンの間の位置に再び着席し、さあ始めてください今始めてください今日は何をするんですか早く説明してくださいという期待に満ちた熱い視線をソワソワと左右に身体を揺らしながらローネン先生へと注ぎ始めた。
「すごいや……1回で言うことを聞いた…………ポピーとかセバスチャンでも滅多にそうはいかないのに……じゃあ彼ってホントに前アイツが言ってた『ウィンストンくん』なんだ……」
昨年度にグラップホーンの「湖畔の主」と初めて引き合わされた時と同じ顔をして、レイブンクローのダンカン・ホブハウスが驚きの声を漏らしたのを最後に教室中がようやく静かになったので、本来の時刻よりも少々遅れた本日の7年生の最初の授業がやっと開始された。
「今日も、ご観覧なさる皆様がいらっしゃっているのだから、教師であるこの私と生徒であるきみたちだけでなく、ご観覧に来てくださった皆様も共に楽しめる内容にしたいと考えてね……では、きみたちが既に習得している呪文を、どれほど繊細に調節して行使できるのかを見せてもらおう」
ローネン先生が杖を優雅に一振りすると、皆の視線が集まっている教室の中央の空中に一目では全部でいくつあるのか判らないくらいたくさんの楽器が出現した。
弦楽器らしき物も、笛の類であろう物も、太鼓であろう物も、見慣れた楽器も珍しい楽器も、明らかにヨーロッパの物ではない見慣れない楽器も全てごちゃまぜに浮かんで待機している。
「これらのうちいくつかはホグワーツの備品で、いくつかは私や他の先生方の私物で、またいくつかは今回3年生のミスター・シマヅとミス・リュウサキのご親族をお招きするにあたりニホン魔法省に『文化交流』の名目で送っていただいた貴重な品だ。今からきみたちには、ここにある楽器の中から1人ひとつ選んで――人数分より多くあるから焦らなくていい――魔法で操って演奏してもらう。いいかね? 『楽器が独りでに演奏するように魔法をかける』のではない。楽器を魔法で操って『きみが』演奏するのだ。では1人ひとつ『呼び寄せ』なさい。もちろんできるね?」
即決したらしい数人の生徒が唱えた「アクシオ!」という声が響き、他の生徒もそれに続いて各々なんとなく興味を惹かれた楽器や、あるいは演奏した経験がある楽器を呪文で呼び寄せている中、ローネン先生は頭を床に向けたまま空中を漂っていたピーブズに声をかけた。
「何も破壊しないと約束できるなら、きみも楽器を選んで構わんよピーブズ」
「そぉーーーーう来なくっちゃァーーーぁぉぉオ俺様はこいつらが気に入ったぜい!!」
「んむーむむむ。よおし僕あれにしよ。アクシオぉ!」
最後にポピーとセバスチャンの間に座っている青年が楽器を選ぶと、呪文学の教室はいかにもピーブズが好みそうな、心地よい音色と不快な異音が混ざった祝祭のような騒がしさに包まれた。
「ぜえーーったい違う! ぜえーーったいその楽器そんな扱い方しないわよプルウェット!」
グリフィンドールの女子生徒ネリー・オグスパイアが、同じグリフィンドールの男子が続ける手にした楽器を今にも破損させそうな力任せの試行錯誤をやめさせるべく、大きな声を出している。
「解ってるけどさ…………ローネン先生これが何でどう鳴らす物なのか訊いても構いませんか」
底の深い素焼きであろう器の中に納められた木製の箱らしきものに細長い金属板が規則正しく並べられたその楽器がどこをどうする物なのかも判らず素焼きの部分を叩いてみたりなどしていたがついに困り果てて助けを求めたリアンダー・プルウェットの声に反応して振り返った、リアンダーの真ん前の席に座っていたナツァイ・オナイは、一目でその楽器の正体を判別した。
「あ。それムビラニュンガニュンガじゃん懐かしー。ババジデが上手だったなムビラニュンガニュンガ。ベンバメくんのアマコンデレとザネレちゃんのアシコとしょっちゅうセッションしててさ」
「ムビ……なんだって?」
ナツァイの発言を脳が認識し損ねたために、リアンダーは訊き返した。
「ムビラだよリアンダー。ムビラにもいろいろあるけどそれはムビラニュンガニュンガ。ムビラって金属でできてるとこの端っこを指で弾いて音を出す楽器だよ。そこ。押して、そのままはじく」
「……………つまりこれはワガドゥーの楽器か」
「そうだよ。ジンバブエの楽器。母さんがワガドゥーに手紙書いて送らせたんじゃないかな」
ナツァイが教えてくれた通りに金属の細長い板をひとつ指ではじいてみたら驚くほど透き通った音が鳴ってくれたので、リアンダーは嬉しくなって杖を何度も振って、どうやらそれがオルガンなどで言うところの鍵盤の役割を果たしているらしい、ずらりと規則正しく並んだ金属の細長い板を魔法で次々にはじいて好き放題に音を鳴らし始めた。
「音は良いかもしれないがそんな態度じゃ演奏とは呼べないだろうプルウェットめ」
教室の反対側から、スリザリンのマルフォイがリアンダーには聞こえない音量でそう腐した。
「あんたが持ってるそれは何だいマルフォイ。笛をどっさり束ねたようにしか見えないけど」
「解らん。もし笛じゃないとしたら僕はこの授業中は諦めて静かにしてるしかない」
「ミスター・マルフォイが選んだそれは『
ローネン先生は「笙」と「鳳凰」の発音を間違えていたが、それを指摘できるのはこの場ではギャレスとユーウェインのウィーズリー兄弟だけだった上に、彼らは2人ともギャレスが選んだリュートに似た弦楽器に夢中だったので、ローネン先生の発音の不完全さは終ぞ発覚しなかった。
「それ琵琶だよなギャレス」
「うん。弾いたことは無いけど、勝手は知ってる……けど曲とか知らないからなあ」
リュートに似た東アジアの弦楽器を杖で操ってポロンポロンと音を鳴らすことはできているギャレスだったが、しかしとても演奏と表現できる水準に達してはいない。
「ねえナティ、私のこの木製っぽい鈴みたいなのも、もしかしてワガドゥーの楽器なのかしら」
ローネン先生に最も近い位置に座っているスリザリンのグレース・ピンチ=スメドリーが、椅子から身を乗り出してグリフィンドールのナツァイ・オナイに訊く。
「そうだよ。それはエビニェゲって言って、両方の足首にそれ全部を均等につけてステップ踏むんだけど、グレースが知ってるリズムじゃないから私やって見せてあげるよ――ピーブズはちょうどいいからそのジャンベ3つ叩いて。ピーブズともなれば知ってるでしょう? アフリカのリズム」
ホグワーツの領内から出た経験など1回たりとも無いはずのピーブズに、しかしワガドゥー出身のナツァイ・オナイは確信を持ってそう要求した。
そしてナツァイが思った通り、ピーブズはナツァイの要求を当然のように軽く受諾する。
「そりゃもちろん。俺様は何だって知ってるぜぇー。知ってたほうが楽しいことなら何だってな」
「さすが! それでこそイギリス最強のポルターガイスト……なんで私スカート履いてるかな」
ナツァイはそう言いながら席を立って教室の中央まで進み出ると自分の足首まであるスカートを両手でハタいてズボンに変身させ、グレースの手元から「呼び寄せ」た木製に見える鈴のようなものがたくさんついた2本の長い紐を手際よく己の右と左の足首それぞれに巻き付けた。
そして準備ができたと見るや否やピーブズは空中に逆さに浮かんだまま、およそこの当時のヨーロッパの音楽からすれば考えられないほどの音の密度でその「ジャンベ」と呼称するらしい胴の長い太鼓を激しく叩き始めた。ピーブズだって腕は2本しか無いのにどうやって1つ鳴らすのに左右の手が両方要る太鼓を3つも同時にこんなにも素早く激しく鳴らせるのかはナツァイにもよく判らなかったが、しかしそんな野暮な質問をするような生徒はこの呪文学の教室には1人も居ない。
賑やかに騒ぐという分野において、ピーブズに不可能などあろうはずが無いのだから。
ピーブズが甲高い奇声を上げながら響かせる太鼓の陽気な音に合わせてナツァイが踏む、ピーブズと同じかそれ以上に素早く小刻みなステップによって、両足首に巻き付けられたエビニェゲなる鈴がシャカシャカと鳴らされ、自分が選んだ楽器に夢中だった7年生たちは1人また1人とホグワーツでは見ない激しさをしているナツァイとピーブズの情熱的な音色と動きに視線を奪われていく。
「……音楽がこんなだってんなら、そりゃ暑いはずだねアフリカ。行ってみたくなってきたな」
ひとしきり踊り終えたナツァイが満足げに「どう?」とグレース・ピンチ=スメドリーに訊ねた時レイブンクローのアミット・タッカーはそう呟いたが、一方のグレース・ピンチ=スメドリーは「私つまり今からそれをやるの? その鈴を魔法で操って?」と、自分が先ほど外観から推察できる構造の単純さだけで選んだ楽器にセットでついてきた「課題曲」の難易度に頭を抱えていた。
「冒険しないで見たことある楽器にしといて良かった」
そんなグレース・ピンチ=スメドリーの隣で、蛇のようにうねった形の管楽器を杖で操って浮遊させているネリダ・ロバーツは誰の助けも必要とせず、順調に魔法の力加減を調節し続けている。
「――おっとマズい。レパロ」
呪文で思いっきり破いてしまった凝った装飾の太鼓を落ち着いた杖捌きで修復したセバスチャン・サロウは、杖を一旦しまって太鼓を手で叩いてみて、適切な力加減を見極めようとしている。
最も順調に見えるのはそのセバスチャンの向こうに座っているオミニス・ゴーントで、彼は既にリュートとフルートを同時に杖で操って、眠気を誘う静かで落ち着いた旋律を美しく奏でることにただ1人だけ成功していた。
「すごぉいオミニス! カッコ良いっい゙い゙い゙何なになにに゙に゙!!」
自分が選んだ大きな楽器を目の前のテーブルに置いたまま放ったらかして教室内のそんな光景を眺めていた青年は、突如となりから聞こえてきたギョンギョンギョギョギョという錆び果てた扉のような凄まじい異音に驚いて、条件反射で音の出どころへと視線を向けた。
「ポっ、ポピーちゃん! ポピーちゃんポピーちゃ………ポピーちゃんったら!」
「んーー? なあに?」
こっちを向いたポピーちゃんのお顔がとっても楽しそうな笑顔だったので、青年は言おうとしていた内容を心の奥底へとしまい込んでしまった。
「……あー、のね。えーっと、ヴァイオリン弾くの楽しいかいポピーちゃん」
この7年生が表現を選ぶというのは、そう頻発する事態ではない。
「うん! 私この楽器好きかもしれない!」
ポピーは幸せそうな表情のまま、ヴァイオリンとヴァイオリンの弓を杖で操ってギョンギョンと、外敵を威嚇する時のオカミーを彷彿とさせる恐ろしげな異音を奏で続ける。
「……ウィンストンくんヴァイオリンで良い音鳴らすコツとか知ってたり……」
「あいにくピアノなら教わっていたこともあるがヴァイオリンの経験は無くてな」
「そっかぁ……まあポピーちゃんが楽しそうだからいいか……」
気にしないことにしようと決定した青年は、自分が選んだ大きな弦楽器に向き合う。
「これなんだろねウィンストンくん」
「なんで知らない楽器を選んだんだお前。見慣れた楽器を選んだ方が有利な課題じゃないのか?」
「そりゃだってこれが一番ワクワクしたからね。この張ってある細いのを指ではじくのかなぁー」
その青年が選んだ長方形の弦楽器はちょっとしたテーブルくらいの大きさがあるので、青年の両隣に座っているポピーとセバスチャンの作業スペースをいくらか侵犯してしまっている。
青年がその大きな長方形の弦楽器を未だテーブルに置いたままである一方、ポピーとセバスチャンは自分で選んだ楽器を既に杖で操って空中に浮かべたり手に持ってみたりしてステキな音色を奏でるための試行錯誤を開始しているために、その青年の楽器による領土侵犯はポピーからもセバスチャンからも苦言を呈されることなく、誰にも迷惑をかけていないと容認されているのだった。
「この爪っぽいのは指に嵌めるのかなあウィンストンくん」
「1本の指に3つ全部まとめて嵌めるのは違うと思うぞ僕は」
魔法で操って楽器を演奏するという課題なのだから楽器の基本的な扱い方から推測し探るのは今回の授業の主旨から外れるのだが、しかしローネン先生は「訊かれたら教える」という基本姿勢を崩さず、せっかくだからと見知らぬ楽器を選んだ者たちの半数以上がローネン先生に質問をほとんどしようとしないまま、知的好奇心と探究心が講じてか、皆ああでもないこうでもないと相談しながら、あるいは知っていそうな友人に訊ねたりなどしながら、正しい演奏方法を推測するという本来必要ないはずの作業を大いに楽しんでいる。
「そもそも『今回は禁止』も何も、独りでに演奏させ続けるための呪文なんて知らないんだけど私。器楽クラブに入ってりゃ教えてもらえるものなのかしら」
「何を馬鹿な。他ならぬ呪文学の担当教授にして我らがスリザリンの寮監でもある御方がすぐそこにおわすのにもかかわらず何を言ってるんだレイエス」
斜め後ろの席から根本的な指摘を受けたイメルダ・レイエスは、あろうことか目から鱗が落ちたような表情を浮かべて、ハンドルのついた小ぶりな弦楽器を操る杖の動きを止めた。
「…………そうだわ。ローネン先生ったら、呪文学の先生よね……!」
「実はそうなんだよミス・レイエス。あまり知られていないがね」
怒りを覚えたっておかしくない無礼な言葉を投げかけられても、ローネン先生はそう言いながらニッコリと微笑みをイメルダに返すだけで咎めもせずに赦してくれた。
「スリザリン1点減点。今のは流石に失礼だよイメルダ」
レイブンクローの品行方正な優等生ヘクター・フォーリーが首席の特権を発動しても、スリザリン生たちは誰一人文句や抗議を差し挟もうとはしなかった。
「ごめんなさいローネン先生。それで、あの、私のこれ。『ハーディガーディ』。正しい演奏の方法を、教えていただけないかしら? まずそれを知らなきゃ魔法の繊細な調節も何も無いわ」
「もちろん構わないとも。名前を知っていたのだから、見るのも初めてというわけではないね?」
自力で推測するのをやめてローネン先生に救援を求めたイメルダを他所に、ポピーとセバスチャンの間に座っている青年とその後ろに立っているウィンストンくんは、少なくともヨーロッパの物ではないと考えられるその大きな長方形の弦楽器について熱心に考察し続けていた。
「こんな大きさの物を持ち上げたまま演奏するわけがない。仮にもし持ち上げるならそのための柄なり台座なりがどこかに付属しているはずだがそれもない。だからこれはテーブル、あるいは床に置いたまま演奏するものだと僕は思うが、きみはどう考える?」
ウィンストンくんは青年が選んだ長方形の大きな弦楽器について考察しているが、青年は3つある付け爪のような物を右手の人差し指に全て装着したまま、なぜかその楽器自体には触れようとせず、ちょっとしたテーブルくらいの大きさがあるその弦楽器を凝視している。
「なんでこの楽器だけこんなに光ってるんだろうねえウィンストンくん」
青年がポツリと発したその言葉に教室中の7年生たちが反応し、課題に取り組む手を止めた。
「光っ、は? いやぜんぜん光ってないぞ。本当に光ってるように、お前には見えてるんだな?」
この青年から頻繁に送られてくる手紙に何もかも書いてあったために事情を把握しているので、ウィンストンくんは戸惑いつつも「何言ってるんだ」などと突き放すような言動はとらなかった。
「ェェ–!? ずっと光ってるよぉこのおっきい楽器。ねえねえ光ってるよねえセバスチャン」
「いいや。僕にはまったく光ってないように見えてる。ポピーもだよな?」
「うん。光ってるようには見えないけど、それってつまり――」
その大きな長方形の弦楽器に「この楽器はずっと光ってる」と言い張っている青年と、その両隣のセバスチャンとポピー、そして青年のすぐ後ろに立っているウィンストンくんが視線を注ぐ。
「……もしかして、古代魔法の痕跡だと気づいたからこの楽器を選んだってわけではないの?」
「あの楽器なんかすんごい光ってるなあ派手でイイなあと思って選んだんだよポピーちゃん」
「……カンが鋭い時は信じられないくらい鋭いのにニブい時は呆れるくらいニブいよな。きみ」
「なんだぁセバスチャンコンニャロウ」
青年は頬を思いっきり膨らませて不服を表明しているが、セバスチャンは気にしていない。
「表面にこんなに色んな模様というか絵というか、描いてないな何だこれ。彫刻? 何かを嵌め込んであるのか? こんなビッシリ装飾がしてあるのは、この種類の楽器は一般にこういう飾りつけがされるものなのか? それともこの楽器が――例えば普通より高級品だとか――特別なのか?」
「そら特別に決まっとるやろ。さっきからおたくらねめつけるだけねめつけてなぁんにも弾ことせえへんのやもん。ウチもう焦れてしもたわ。ほらもうぜぇんぶ教えたるさかいはよ弾いてんか」
自分たちがずっと観察していた大きな長方形の弦楽器がいきなり喋り出しただけでなくニュッと細い手足が伸びて起き上がってこちらを向いたのを、ポピーもセバスチャンもその間の青年もウィンストンくんも、それどころかローネン先生までも、呆気に取られて見届けてしまった。
「なんやの天狗が豆鉄砲でも喰ろたよな顔して。弾くん? 弾かへんの? はっきりしてんか」
「ガッキがシャベッタ……喋ったけど判んない……んんむむむ…………そうだエリエザー! おおーい! エリエザぁー! ちょっと通訳してほしいんだけどぉー!」
青年がどこへともなく大きな声で呼びかけると、どこからともなくシューシューという空気漏れのような聞き取りづらい音が響いてきて、青年も同じようにシューシューと空気漏れのような音を出して会話を始めた。
〈通訳? お前が今いる場所には私が出ていけるだけの広さがあるのか〉
〈ない〉
〈ならこっちにお前が来い。誰だか知らんがその話し相手も連れて。それなら通訳してやる〉
〈だめ。授業中。でも、通訳、要る。絶対〉
未だ勉強中で、口が裂けても流暢とは言えない蛇語を必死に使って青年は交渉を試みている。
〈報酬。エリエザーの身体、洗う。僕とポピーちゃんと、ウィンストンくんで〉
〈…………あの丸っこいチビもつけろ〉
〈アルバス? いいよ〉
青年はそこでシューシュー言うのをやめて、急に大きな声を出した。
「ピーブズこの部屋広くして! 思いっきり!」
了承の返事すらせずニヤリと笑ったピーブズが指を鳴らすと、呪文学の教室は急拡大されて床面積も天井の高さも10倍になった。
「うそだあ」
クィディッチ競技場にすら勝るほどの広大さがものの2秒で確保された呪文学の教室で、遥か上空の天井を見上げたナツァイ・オナイが思わず声を漏らした。
ピーブズにこんな真似が可能だとは露ほども思っていなかったナツァイを始めとするほとんどの生徒が驚いていてローネン先生すら目を白黒させているが、オミニスだけは何ら反応を示さないまま、マイペースにリュートとフルートと操って眠たげな旋律を演奏し続けている。
「いやはや。きみはいつも驚きを与えてくれるねピーブズ」
「なんだぁー? 乱痴気ランコラスからなぁーんにも聞いてねえのかエイブラハム坊っちゃん?」
ピーブズに子供扱いされても、エイブラハム・ローネンは何ら気を悪くしたりなどしない。
なぜならこのホグワーツにおいてピーブズを超える古株など、創設者たちしか居ないのだから。
呪文学教授たるエイブラハム・ローネンどころかその親世代も、そのまた親の世代も、さらなる過去の先祖も、ホグワーツの生徒だったことがある者たちは皆、ピーブズよりも後輩なのだから。
血みどろ男爵がホグワーツの生徒だった頃、ピーブズは既に今と何ら変わらずそこに居て、今と何ら変わらない不遜な態度で古くなったパンを幼き日の血みどろ男爵に投げつけていたのだから。
そんなピーブズがなぜ現在あれほどまでに血みどろ男爵を畏怖しているのかはピーブズと血みどろ男爵しか知らない秘密であり、両者共に、この件について誰かに何かを語ることはない。
まあ、痛い目を見たのだろう。
〈――はるばる来たのがどんな奴かと思ったら、箏の付喪神ごときが偉そうに〉
「あれま常陸の蟒蛇。誰ぞにバチ当てるだけで鯛やら何やら奉納して貰えるん羨ましいわあ」
〈その全身いますぐ腐らせてやろうか〉
「ほんまにそない真っ白なんやね。大根みたいでえらいべっぴんさんや」
音も立てずに出現して皆の頭上に浮かんでうねうねと蜷局を巻いているニホン出身の大きな大きなホーンド・サーペントの「エリエザー」は、通訳を任されたにもかかわらず誰の発言も全く英語に翻訳などしないまま、オミニス・ゴーントにも聞き取れるが意味は判らない日本語の蛇語で、お互いの何がそんなに気に障ったのか、楽器を相手にじめじめした罵り合いを始めてしまった。
〈付喪神に成るほどに永く使われてきたくせに、生存本能は備わらなかったらしいな〉
「あんたもしかして砂糖と醤油で甘辛ぁ煮たったら美味いんちゃうの」
「ダメ!!!」
楽器とホーンド・サーペントの罵り合いにポピーが大きな声を出して割り込んだ瞬間、ポピーの隣に座っている青年が自分が叱られたかのような錯覚に陥ってビクリと怯んだ。
「ダメだよエリエザー今いじわる言ってたでしょ。内緒の喋り方してもお顔で判るんだからね。あなたは強いんだから優しくしなきゃダメ! 悪いエリエザーにはもうブラッシングしてあげない」
自分を丸呑みにしたって全く腹の足しにもならなそうな、樹木のように太く長い胴体をうねらせている真っ白なホーンド・サーペントを見上げて、ポピーは一切怯まない。
「わかった。わかった。……私の負けだ。悪かったよポピー」
ポピーは「よろしい」と言ってエリエザーの反省を受け入れた後、今度は自分の目の前のテーブルに居る大きな長方形の楽器に視線を向けた。
「あなたもだよ。何言ってたのか判んないけど、あなたもエリエザーにイジワル言ったでしょ。そういうお顔をしてたもの。あなたきっととっても綺麗な音が鳴る楽器なんでしょ? だったらもっと相手に優しくしなきゃ、誰もあなたを演奏してくれなくなっちゃうよ」
ホーンド・サーペントのエリエザーから謝罪と反省を引き出したのと同じ毅然とした態度で、ポピーは今しがた初めて目の当たりにしたばかりの未知なる楽器を、我が子かのように叱った。
「ねえポピーちゃんこの楽器のお顔ってどこだい」
「今この子とお話してるからあなたは静かにしてて」
「はい」
例えば甲冑や彫像などの物体に魔法で与えられるのは人格「のようなもの」で、活き活きと動いて喋る肖像画も生きている「ように見えるだけ」で、そこには命など宿っておらず、あらかじめ教え込まれた語彙と知識を再生しているだけだというヨーロッパ魔法界における正しい知識をポピーもちゃんと持っていたが、しかしそれでもポピーにとって、いま間違いなく良くない振る舞いをしたこの楽器さんは、自分がしっかりと叱ってあげなければいけない相手だった。
「ほら。エリエザーにごめんなさいして。エリエザーもごめんなさいして」
そしてこの楽器も、ホーンド・サーペントも、ポピーの剣幕に圧されてあえなく引き下がった。
〈ごめんなさい〉
「ごめんなさい」
よろしいとだけ言って口を閉じたポピーの姿を自分の母親と重ねてしまったのは、ウィンストンくんだけではなかった。
「……ずいぶん可愛らしいガールフレンドだな」
「そうでしょうそうでしょう。ポピーちゃんったらすんごい可愛いんだよウィンストンくん」
今日は言葉の裏にある真意を読み取れる日ではないらしい青年は、ウィンストンくんの発言を聞こえたそのままに受けとって満足げに喜んでいる。
「…………弾きかた教えたるよって遊んどらんとその爪貸し」
枝のような細い腕をこちらに伸ばしてきたその楽器に、青年は右手の人差し指につけていた3つの爪のような道具を、言われた通りに全て渡した。
そうして始まった、楽器自身による演奏講座という妙な催しを皆の頭上から見下ろしている真っ白なホーンド・サーペントの「エリエザー」に、ずっとリュートとフルートを杖で操ってマイペースに演奏し続けていたオミニス・ゴーントが蛇語で話しかけた。
〈もしかしてそこに居るのかエリエザー〉
〈ああ。居るとも〉
オミニスに話しかけられた瞬間、その尊大なホーンド・サーペントは流暢なイギリス英語の蛇語で、まるで自分と相手が対等な立場であるかのように、実に親しげに返答した。
〈さっきから皆が何か騒いでるみたいだが、なんでだ?〉
〈楽器の中に付喪神が1匹紛れてただけだよオミニス・ゴーント〉
〈俺はツクモガミってのが何なのか知らないんだエリエザー。教えてくれるか〉
部屋が急にめちゃくちゃ広くなったことにも空中に巨大な蛇が出現したことにも、ウィンストンくんは魂が抜けるといった表現をするほどまでには驚いていなかった。そういう魔法があると聞いていたし、新しい友達ができたんだよと去年手紙で報告を受けていたからだ。
「きみがエリエザーか。きみがそうやって浮いていられるのも魔法なのか?」
蛇語など聞き取れないウィンストンくんは、鹿みたいな角が生えた巨大な蛇が自分の頭上でうねっているその姿を見上げて、会話に割り込んだ自覚も無いまま話しかけた。
しかし巨大な蛇が頭上からウィンストンくんに返してきた言葉は、挨拶ではなかった。
「お前の夢は叶わない。お前が目指す先にお前のための道は無い。お前はお前が目指した道で大勢の命を消費するだろう。そしてお前は隣の道を選び直す。しかしその道こそがお前用の道で、お前はその道を誰より上手く歩くだろう。その道の先でお前は成就し、お前の敵はお前が成就した後に現れるだろう。お前はその敵に斃されない。お前はその敵に斃させない。そしてお前が死した後、人々はお前が嗜好品を取り上げられて機嫌を損ねた瞬間の姿でお前を永遠に記憶し続けるだろう」
急に不明瞭な言葉をつらつらと浴びせられたウィンストンくんは、その大きな蛇が発した一連のよく解らないアドバイスか何かの、最後の部分だけ辛うじて意味まで認識することができた。
「僕が何で永遠に記憶されるって?」
ウィンストンくんは訊き返したが、大きな蛇はそれ以上なにも言ってはくれなかった。
〈どうかしたのかいエリエザー?〉
オミニスが問いかけると、エリエザーは再び蛇語で応じる。
〈いや、珍しい運命をしてる奴を見ると、どうしてもな〉
〈彼への予言だったんだね? ウィンストンくんかい?〉
〈ああ。そういう名前に見えた――それで、付喪神が何かって話だったな――〉
「ちゃうちゃう何回言うたらわかんのアホやな、そない引っ張るもんやないの。爪もっかい貸し」
僕のことアホって言ったでしょと頬を膨らませた青年に、その楽器は根気強く身振り手振りで正しい演奏方法を教えている。
〈ここらの人物画は喋るだろうオミニス。日本にも似たような術がある。道具に持ち主の声と語彙を覚えさせて、それを使って話せるようにするんだ。もちろん永い時間がかかるが、ひとつの物を永く使い続ける奴のためのマホウだからそれでいいんだ。それで、持ち主の言葉遣いを覚えた道具に、独りでに動くようにマホウをかけてやると、勝手に喋って勝手に動く道具ができる。ここにもそういう甲冑とか彫刻がたくさんあるだろ、あれと同じだ。付喪神の模倣品はそうやって作る〉
オミニスが理解しやすいように、エリエザーは彼本来の語彙ではなく魔法と言い換えて話した。
そしてエリエザーの説明を聞いてオミニスは、エリエザーが想定した通りの疑問を抱いた。
〈模倣品? ツクモガミそのものとは別なのかエリエザー?〉
〈ああ。ホンモノはな、勝手に成るんだ。誰も何も特別な細工なんかしてないのに突然。ただ永く永く大切にされ続けた道具が、たまに。魂が宿るって言い方をするが、神通力を――お前らの言う魔法力ってやつを――備えてる人間が同じ道具をずっと大切にしてると、そういうことが起きる〉
〈俺の道具も大切に使えばいつかそうなるかな? それともニホンでしか起きないことなのか?〉
〈何を馬鹿な。まさにこの城がそうだろうオミニス〉
エリエザーの言葉を聞き取ったオミニスの耳に、太鼓かなにか打楽器をめちゃくちゃなテンポで叩きまくっているらしいピーブズの甲高い雄叫びが響いてきた。
「人差し指! そーうそうその指。親指は? そうその指。中指わかる? そうおりこうさん」
「僕のことどんだけバカだと思ってるんだい」
そうして結局エリエザーには通訳をしてもらえないまま、青年はどうもプライドが高いように見えるその長方形の楽器を相手にお互いのジェスチャーだけを頼りに意思の疎通を図り、楽器の奏で方を楽器自身から教わるという魔法界においても妙な体験に辛抱強く取り組んで、その楽器を魔法で操って演奏するという今回の課題に、その楽器の名前すら知らないまま、授業が終了する時刻の寸前になってようやくどうにか成功することができたのだった。
「んに゙ゃぁぁ゙ぁ゙ーー……! 授業3回ぶんくらい疲れたんだけどぉーーー!! コイツ嫌い!!」
その楽器に何度も手を叩かれ厳しく指導され続けた青年は、とうに忍耐力の限界を超えていた。
「……へたくそ」
最後にそれだけ言うと、その細緻な装飾が施された箏の付喪神はコトリと音を立てて手足を引っ込め、あたかも何の変哲も無い単なる道具かのように、動きも喋りもしなくなってしまった。
「次はなんの授業なんだ?」
気分転換でも勧めるかのように、ウィンストンくんがそっと青年に質問した。
【ムビラニュンガニュンガ】Mbira Nyunga Nyunga
ジンバブエの楽器。地域ごとに多くの種類がある「カリンバ」の中のひとつ。
【アマコンデレ】Amakondere
ウガンダおよびルワンダの楽器。ラッパ。奏でられる音域が狭めのため、鳴らせる音階の異なる複数個のアマコンデレを複数人の奏者が並んで扱うハンドベル方式で演奏されることが多い。
しかし魔法界ではその限りではないだろう。
【アシコ】Ashiko
ナイジェリアおよびベナンつまりヨルバ文化圏に起源を持つ太鼓。手で叩く。
【ジャンベ】djembe
西アフリカらへんの比較的広い地域で見られる太鼓。手で叩く。
セネガル発祥だとされているが、ジャンベという日本語表記はフランス語由来だそうな。
【エビニェゲ】Ebinyege
ウガンダの伝統的な鈴というか鳴り物。乾燥させて中身をくり抜いた硬い実に種やら小石やらビーズやらを入れて作るので音はマラカスに近く、足首に装着して踊って演奏する。
【箏】
琴と一緒くたにされることも多いが厳密には別物の楽器。弦を白い柱が支えてたら箏。