2年後もしくは106年前 作:requesting anonymity
「見てみて見てみてウィンストンくん! ポピーちゃんだよポピーちゃん」
「こんにちは素敵なレディ。きみの話は何度も聞いた」
「見てみて見てみてウィンストンくん! セバスチャンだよセバスチャン」
「こんにちは素敵なセバスチャン。きみの話は何度も聞いた」
親にとっておきの宝物を見せる幼子のように、でっかい枝を拾ってきた犬のように、その生徒は大好きなウィンストンくんに大好きな友人たちを次々に紹介していて、一方のウィンストンくんはまるで親か飼い主のように笑顔を浮かべて、紹介された1人ひとりに丁寧に挨拶をしていく。
「見てみて見てみてウィンストンくん! ナッちゃんだよナッちゃん!」
「こんにちは素敵なレディ。なんでもアニメーガスとやらを習得する上でとても助けてくれたそうで。こいつが中途半端な部分動物人間として今後の人生を過ごす羽目にならなかったのはきみの教導に依るところも大きいのだろう。その節はありがとう」
「見てみて見てみてウィンストンくん! アミットだよアミット!」
「こんにちはミスター・タッカー。複数科目の座学でとても助けてくれていると聞いた。感謝する――ところでお前つぎの授業があるんじゃないのか? 移動し始めなくていいのか?」
同級生全員を網羅するまで続く懸念があった友達紹介に割り込む形で、ウィンストンくんはその生徒に重要なはずの確認をした。たとえ魔法の学校などという自分にとって未知も未知の世界でも学校である以上は授業に遅刻したら咎められるだろうと、ウィンストンくんはそう推測したのだ。
しかし今この瞬間に限って言えば、その推測は前提から外れていた。
「それがねぇ、いいんだよぉウィンストンくん! 僕もポピーちゃんもセバスチャンも次の授業は空きコマなのさ。だって7年生で箒飛行の授業を取ってるのなんてイメルダとウィラとリアンダーとヘクターともう何人かくらいだからね。飛ぶのが何より好きか、逆に苦手意識があるか…………僕は時々、飛びたい気分の時に箒飛行の授業があったら混ぜてもらうんだけど今日は今から他にもっとやりたいことがあるからね――だからねポピーちゃんに素敵なお知らせがあります!」
チャドリー・キャノンズが勝ったくらいの輝く笑顔を急に向けられて、ポピーは戸惑う。
「……それはもしかして、私が嬉しいお知らせ?」
「ウィンストンくんはわりと動物が好きです!!」
以前から手紙で伝えられていた話から想像していたよりももう少し小柄だったポピー・スウィーティングに勢い良く視線を向けられて、今度はウィンストンくんが戸惑う番だった。
「なにかな、レディ・スウィーティング」
ウィンストンくんがそう問うてもポピーはウィンストンくんの目を見て微笑むばかりで、一言も返答をしてくれない。
当然に困惑を深めていくウィンストンくんがもう一度ポピーに意図を訊こうと考えたその瞬間、ウィンストンくんはいつの間にやら背後で開かれていた旅行カバンの中へと吸い込まれていった。
「捕まえた!!! よぉーしそれじゃあ僕いまからウィンストンくんに魔法生物たちを紹介してあげます僕と一緒に来るひと!!!」
「……ウィンストンくんには捕まえちゃう前に説明するべきだったんじゃないかな?」
その生徒が元気いっぱいに突き出した右手を誰より先に掴みながらポピーが訊ねる。
「んェーーだって僕ねえウィンストンくんにねビックリしてほしかったから!」
「僕も行く。ポピーとお前だけなんて心配でしょうがない」
「私も。あなたに場所借りて植えさせてもらってる子たちの状態も見たいし」
セバスチャン・サロウとサチャリッサ・タグウッドも参加を表明し、セバスチャンがオミニス・ゴーントに「来るだろ?」と確認をした後、ふと視線を戻してみたら既にその生徒はポピーの制止すら間に合わない突発性と初速を発揮して走り始めてしまっていた。
「ウィィィンストンくんきっと喜ぶぞぉーーー!!! 僕てんさい!!!」
絶対に逃がしてはいけないと視線を交わして互いに確認した7年生たちが規則違反も厭わず走って追跡を開始したのと同時に、大喜びですっ飛んでいくその生徒は白く光る靄のような姿に変わって劇的にその速度を上げた。
「マズいぞ、あいつごきげんだ! ウィンストンくんが来てくれたのが本当に嬉しかったんだ!」
「早く捕まえないと何を始めたって不思議じゃないわ!」
白く光って高速移動するその生徒を全力疾走で追いかけながらそんな言葉を交わしているセバスチャンとサチャリッサの少し後ろにポピーとアミット・タッカーが遅れて続いているのは単にこの4人の足の速さの差が表れているだけだが、ギャレス・ウィーズリーとオミニス・ゴーントがそのポピーからも大きく離されているのは速力とは一切の関連性が無かった。
「大変だねみんなは」
「大変そうだなみんな」
走るどころか移動を開始してすらいないギャレスとオミニスは廊下の向こうの角を曲がって姿が見えなくなった同級生の友人たちを見送ってしまってから、やっと歩き出した。
「あいつが今なに思いついてどこに行こうとしてるのかなんて解りきってるだろうにね」
「まあ慌てるのも解らなくはないけど、だからこそ俺たちは冷静でいないとな」
「今度はどこに行くの?」
ギャレスとオミニスが呪文学の教室から出てすぐの壁にあるイグナチア・ワイルドスミスのレリーフに近寄ると、そのレリーフはお決まりのセリフを発し、緑色の火が灯った。
「グリフィンドールの1年生が今受けてた授業と次受ける授業、把握してるかギャレス」
「いま魔法理論の授業が終わったところで、次は変身術の授業だよオミニス」
「じゃ決まりだな。変身術の中庭――いや、ダンブルドアくんならまだそこまでたどり着いてないな。彼は移動し始めるのこそ早いが足は遅いから……『闇の魔術に対する防衛術の塔の1階』に」
行き先を表明した途端いきなり勢いを増した緑色の炎に全身を包みこまれたオミニスは、一瞬だけ激しく燃え盛った緑色の炎が綺麗さっぱり消えてしまったのと同時に姿をくらましていた。
「僕も『闇の魔術に対する防衛術の塔の1階』」
オミニスに続いてギャレスも緑色の炎に全身を包まれてその姿を消した直後、彼らと入れ替わるようにして、これからローネン先生の授業を受けるスリザリンとグリフィンドールの5年生たちが呪文学の教室の前に続々と到着し始めるのだった。
「あ。おはようございますオミニス先輩。これから『防衛術』か『魔法理論』ですか?」
今日の最初の授業だったアーマンド・ディペット先生の「魔法理論」の教室での座学を終えて次に控えるマチルダ・ウィーズリー先生の「変身術」の授業を受けるべく移動中だったグリフィンドールの1年生、同級生の女の子たちの誰より背が小さいアルバス・ダンブルドア少年は、ちょうど階段を降りて闇の魔術に対する防衛術の塔の1階までやってきたところで、緑色の炎を伴って前方にいきなり現れたスリザリンの7年生に驚きもせず挨拶をした。
「いや。俺は次は空きコマだけど、ちょっときみとウィーズリー先生に謝罪しなければいけない理由が今しがた新しくできたところでね」
聡明なアルバス・ダンブルドア少年はオミニス先輩のこの言葉だけで、事情をだいたい察した。
「僕は今回の変身術の授業を受けることができないという理解でよろしいですか」
「まことに申し訳ない」
「ァァァァァアアああーーールバスだぁぁぁぁーーーー居たぁぁぁぁぁあああ!!!!!」
ともすれば「誰かが僕に向けて呪詛を撃ったんだ」と理解して盾の呪文など唱えても何もおかしくはないと言える勢いで突撃してきた白く光る靄の塊のようなものを、ダンブルドア少年は何ら対応しようとするそぶりを見せないまま、ただぎゅうっと眉間にシワを寄せて待ち受けた。
「やあアルバス!!」
「嫌ですからね先輩」
言っても結果は変わらないと解っている言葉を、ダンブルドア少年は自分を納得させるためだけに、あえてその困った先輩へとぶつけた。
一方その頃、来月末に18歳の誕生日を控えているウィンストン・チャーチルくんは、なにひとつ説明も予告もされずに背後で開かれた旅行カバンの中へと吸い込まれ自分の身に何が起きたのかも全く理解できないまま、暖かな日の差し込む背の低い草原に尻もちをついた体勢のまま、まさか実在などするはずがないのにもかかわらず現にいま目の前にいるその怪物に、今すぐ舌で顔を舐められてもおかしくない至近距離で見つめられていた。
初めて見るその怪物を、ウィンストンくんは見たことがあった。
生きている実物は初めて見るその怪物を、ウィンストンくんは絵画として見たことがあった。
もちろんいま目の前にいるその怪物とかつて見た絵画では細かな外観の差異も多々あったが、しかしそれでも目の前の実物とかつて見た絵画とのいくつもの共通点から「あの絵の怪物だ」と確信していたウィンストンくんは、実在したとは思っていなかったという驚愕が全身を稲妻のように駆け巡った瞬間の衝撃から未だ回復できていないものの、その怪物の名前と性質は悟っていた。
ウィンストンくんはその怪物を、オイディプス王の行く手を塞ぐ試練の逸話として知っていた。
「まず最初の者が到来し、続いて次なる者が到来し、そして終わりを告げる者が現れる。しかし終わりを告げる者は最初の者より早く現れる。この3人はそれぞれ名を何と言う?」
「エオス、ヘリオス、セレネ。あるいはもっと単純に、朝、昼、晩」
怪物にヒトの言語で流暢に問いかけられてもウィンストンくんは動じない。何か出題されるだろうとは予想できていたからだ。それどころかむしろウィンストンくんは、目の前の怪物による出題がギリシャ語でもエジプト訛りのアラビア語でもなく英語でなされた現実に安堵さえしていた。
僕は英語とフランス語しか解らないんだよ頼むぞと、ウィンストンくんはその怪物と目が合った瞬間から最初の出題がなされるまでの束の間ではあるが確かに必死で祈っていたのだ。
「1つめの容れ物には、2つめの容れ物以外の何も入れることができない。しかし2つめの容れ物には、この世界の物も、形ある物も、形の無いものも、この世界のものではないものも収めることができる。存在しないものさえ収めることができる。これら2つの容れ物の名前とは何か?」
「…………額縁と……キャンバスだ」
でも額縁には許可証や最近だと写真なんかも入れるよなとウィンストンくんはすぐ連想したが、いくらなんでも初遭遇の怪物を相手に揚げ足を取ろうと試みるような愚かな真似はやらなかった。
この怪物のご機嫌を損ねたら僕は死ぬと、まだウィンストンくんは緊張している。
(『極めて限定的な機能しか持たない容れ物』に『万能に近い機能があるように聞こえる容れ物』が収まる、という対比の奇妙さのために、問題文に粗が生まれるという欠陥を許容したのか? そんな美意識に基づいた取捨選択ができるほどの知能がこの怪物にはあるのか? それとも誰かに繰り返し教え込まれた文章を記憶したそのまま発話しているだけで意味など理解していないのか?)
ウィンストンくんの心の中で次々と湧き上がって渦巻いている疑問の数々がそうであるように、ウィンストンくんの眼前の怪物による出題も尽きる気配がない。
「その人物は大勢の者に寵愛され丁重に世話を焼かれて育つが、病に罹ることを願われ、重篤な症状となれば喜ばれ、尊ばれ、踏み付けにされ、血を流すことしか許されない。これは誰?」
「貴腐ワインだろ」
さっきから魔法などに関する知識が全く必要ない問題ばかりなのは僕への配慮なのだろうかとウィンストンくんは考察しているが、それを目の前の怪物に訊いてみるほど無謀にはなれない。
「見ることも聞くことも嗅ぐことも触れることも味わうこともできないのに、お前は見て聞いて嗅いで触れて味わっている。どちらを見ても見えないが、何を見てもそれを見られる。手を伸ばしても届かないが、お前の手は常にそれに触れている。それに形は無いが、全ての形あるものにそれはある。ただお前の心だけが、それを感じないことができる。お前の心は何を忘れられる?」
「時間の流れだ」
「生きたクジラを初めて見たフランス人の船乗りはいかなる巨人の名を呼ぶか?」
「
「10体のトロールたちが食料の配分を相談している。話し合いはいつまで続く?」
ここで初めて、ウィンストンくんは怪物の問いかけに即答できなかった。それどころか問題を解く糸口すら見つけられず、ウィンストンくんの思考は既に、問題文を読み解くという作業よりもヒントをくれと要求する権利が自分にあるのかどうかという判断へと主眼が移ってしまっている。
「そもそも始まりません。トロールたちの知能では話し合いは不可能です。際立って賢い個体なら簡単な単語を用いて対話も可能ですが、そんな稀な個体が複数集まることはまずありません」
背後から声が聞こえたウィンストンくんが草原に尻もちをついたまま無理な姿勢で振り返ってみれば、そこに立っていた、制服であろうベストとローブとマフラーが全て別の色を基調としている嬉しそうな笑顔の女生徒に愛する飼い猫かの如く抱き上げられた小さな男の子が、ため息をつきそうな表情をしたままウィンストンくんと怪物を見つめていた。
「ウィンストンくん見て見て見て見て見て見てほらぁこれがアルバスだよ! いいでしょ!!!」
拾ったボールを咥えて持ってきた犬を彷彿とさせるその女生徒とは対照的に、抱き上げられている小さな男の子は弟が散らかしたおもちゃを代わりに片付けてあげている時と同じ諦観混じりの静かさを湛えた目をして、ウィンストンくんに敬意の込もった挨拶をしてくれた。
「……ホグワーツにようこそお越しくださいましたウィンストン・チャーチルさん。僕はアルバス・ダンブルドアです。グリフィンドールの1年生です」
大きなため息をついてから、ウィンストンくんはゆっくりと立ち上がった。
「会えて光栄だアルバス・ダンブルドア。聞いた話では毎日のようにそちらの我が友人と遊んでやってくれているようで。本人に代わって深く感謝する」
ウィンストンくんが背の低さに一切言及しなかったのもあって、アルバス・ダンブルドア少年は話には聞いていたが会うのは初めてであるその上品な佇まいの青年に、さっそく好印象を抱いた。
「こちらこそお会いできて光栄です。この先輩がホグワーツに入学する前の段階であなたが予めこの先輩に施しておいてくれた教育が、いま僕らをとても助けてくれています」
抱き上げられたままダンブルドア少年はウィンストンくんへ丁寧に言葉を返したが、しかしウィンストンくんにとっては、今もっとも気になるのはダンブルドア少年ではない。
「おいお前」ウィンストンくんは見覚えが無いはずのその女生徒が誰なのかなど即座に理解して、語気強めに言葉をぶつける。「ここは何で、ここはどこだ。僕に何した?」
「ここは僕のカバンの中だよウィンストンくん。検知不可能拡大呪文とかで思いっきり広くしてあるんだ。そんでね、ここにはねえ。僕の大好きな魔法生物たちがいっぱい居るんだよ! だからね今からねウィンストンくんにね、いっぱいいっぱい色んな生き物見せてあげる!!」
「ウィンストンくんに遊んでもらってたのドロージードラム? 良かったねぇ。よーしよしよし」
今の今まで感情などあるのかすら判別できない静かな表情のまま自分の眼前に迫ってただ淡々と謎を出題し続けていたその怪物が小柄なポピー・スウィーティングにまるで単なる飼い猫のように撫で回されてお腹を見せている様を、ウィンストンくんは目を細めながら見ている。
「…………もしかしなくても。あれはスフィンクスだな?」
ライオンの身体とヒトに似た顔をした生き物を指し示しながら、ウィンストンくんが問う。
「そうだよぉウィンストンくん。どうだい! かーわいいだろうドロージードラムは!」
「悪いがまだ僕は『スフィンクスは実在する生き物だった』ってとこに驚いてる段階なんだ――というか。そうか……こういう感じか、スフィンクス」
17歳のウィンストンくんは、絵画と伝承の中だけの存在だと思っていた、誰がそうしたのかは判らないが大昔の誰かが外見や性質などを「創作」したのだと思っていた、その生き物を見ている。
「こうして現物を目の当たりにしてから思い返すと、僕が以前に見たことある絵画や彫刻は……相当に抽象化というか、制作者によって意味が付け足された姿形にされてたんだな」
ウィンストンくんが発したその感想は独り言だったが、そんなこと気づきやしないその女生徒は嬉々としてウィンストンに返事をする。
「スフィンクスってエジプトとギリシャと、あとトルコらへんにも棲んでるんだけど、見た目がちょっとずつ違う亜種がいろいろ居るんだよ。そんでドロージードラムはその中でも立派な翼を持ってることが多い種類。でもスフィンクスって交雑が進んじゃってる生き物で、大昔は亜種ごとにクッキリしてた外見の特徴の差が薄まっててね、今じゃもう個体差って理解した方が正確なんだってホーウィンせんせが……話したっけ? 魔法生物学の先生が言ってた。ドロージードラムの翼はジャンプの距離伸ばすくらいの飛び方しかできないけど、ドロージードラムのきょうだいには翼で長く飛行できるやつも、翼が無いやつもいるんだ。でもねみんな問題出すのが好きなんだよ」
そんな風にのんびりした口調でスフィンクスについての解説を始めたその友人の表情をちらりと横目に見ただけで、ウィンストンくんは直感した。
「それで飼育は違法ってわけだな?」
「そうだよぉ。いいでしょ」
あろうことか褒めてもらえると確信しているかのような自負と期待を湛えた目で見つめ返してきたその友人を、ウィンストンくんは叱らなかった。
「お前『法律』がどういうものなのかも、それに違反するってのがどういう状態を指すのかも。会ったばかりの頃に僕が教えたことちゃんと覚えてるんだな。えらいじゃないか」
「そうでしょそうでしょ。僕えらいんだよ。だってねウィンストンくんが教えてくれたんだもの。だから僕ぜんぶちゃんと覚えてるよ。まずね、僕はね、ともだちは、たべない!」
それは3年前、ウィンストンくんがこの友人に初めて出会った日。何十匹も引き連れていた仲良しのドブネズミたちを常食していたその浮浪児に、ロンドン塔の一角で遭遇して交流を試みたウィンストンくんが「お金」や「服」などよりも優先して、いちばん最初に教えたことだった。
「そうだ。えらいぞ」
「おりこうさんだね」
ウィンストンくんとポピーがほとんど同時にその女生徒を褒めた。
「そんなことより飼育が違法なのに飼育していることには魔法生物規制管理部を納得させるだけの理由があるんですか? 許可を貰っているんですか? それとも黙認されているだけですか?」
まだ抱きかかえられたままのダンブルドア少年が冷淡な口調で訊く。
「ふふーん。ところがちゃんと飼育許可を貰ってあります! その証拠にほら、ドロージードラムがしてる首輪をよく見てみてよアルバス。そこに魔法生物規制管理部の飼育許可登録番号と、飼い主の連絡先と、許可が発行された日付と、最後に飼育状況を監査した日付が書いてあるでしょ」
先輩が得意げにそう言うので、ダンブルドア少年は相変わらずその先輩に抱っこされたまま、スフィンクスの「ドロージードラム」を改めて良く見てみる。
「首輪? 首輪なんかどこにも……あ、本当だアレ首輪だ! 素敵なネックレスじゃない! ええ首輪ってあんな緩くていいものなんですか先輩――じゃありませんねスウィーティング先輩!」
首というよりは胸元と表現するべき位置にゆったりと余裕をもって付けられていたために、ダンブルドア少年はそれが己を美しく見せるための装飾品ではなく飼育管理下にある個体だと示すための拘束具だとは一瞬気づけなかった。
しかしダンブルドア少年は、本来カッチリと装着するべき首輪を誰がそんな首飾りのように緩く取り付けたのかはすぐに察して、当の犯人であろうポピー・スウィーティング先輩に鋭い口調で事情を説明するよう要求した。
「ドロージードラムは首の周りキュッてなるのキライみたいだから仕方ないよ」
そう述べたポピーはようやくスフィンクスを撫でるのをやめたが、今度は「ほらドロージードラム、あれが前に話したダンブルドアくんだよ。美味しそうでしょ」と、聞き捨てならない内容のプレゼンを始めてしまった。
「きみはスフィンクスを見慣れているのか? 魔法界では普通に居るものなのかスフィンクスは」
ウィンストンくんにそう問いかけられたので、ダンブルドア少年は快く基礎的な知識を伝える。
「いいえ。僕も生きてるスフィンクスは今はじめて見ましたし、野生個体が棲息している地域ならともかくイギリスじゃ滅多に見られる生き物じゃないです。イギリスでスフィンクスがそのへん歩いてたら普通は魔法生物規制管理部に――つまり『然るべき公的機関』に通報がされます。もちろん、目撃者がスフィンクスから生きて逃れることができたならば、ですけど。つまり、ロンドンのシャフツベリー・アベニューをライオンが歩いてた場合と同じ種類の騒ぎになるでしょうね」
ダンブルドア少年が例に挙げた喩えはウィンストンくんにも想像しやすいものだったので、ウィンストンくんはその光景を鮮明に思い浮かべて背筋を寒くすることができた。
「こうして思いっきり懐いているのは常識的には考えられない稀な実例だということか」
「そうです。先輩とスウィーティング先輩以外の誰かにこれができるなんて僕には思えません」
そしていい加減降ろしてください先輩とジタバタもがきながら訴えたダンブルドア少年はようやく草原に自分の足で立つことが許され、先輩の腕から逃れてウィンストンくんの隣に並び、スフィンクスのドロージードラムを身体の隅々やほんの小さな挙動まで余さずじっくりと観察し始めた。
「なぞなぞを出題する以外で喋ることはあるんですかスウィーティング先輩?」
ダンブルドア少年は観察していて浮かんだ疑問を有識者にぶつける。
「たまにね。お腹痛いのを治してほしいって訴えてくる時とか、つまり私たちに何か急いでほしい時は問題出さずに普通に話しかけてくるよ。だって急いでほしいんだから、そりゃそうするよね」
ポピーにお腹を見せて甘えていたドロージードラムがごろりと身体を反転させて再び座り込む。
「スフィンクスってのは肉食なのかいレディ・スウィーティング?」
ウィンストンくんからの質問にも、ポピーは快く答える。
「ほぉら立ってドロージードラム。そうだよウィンストンくん。いつもの食事はお肉だし、ホントはヒトも食べちゃうんだ。でもここに居る子たちは食べていいよって許可が出た時しかヒトを食べないよ! ちゃんと躾をしてるからね! それとね果物とかも喜ぶんだ。ドロージードラムはスイカが好きなんだよねー。またこんどあげるからねドロージードラム」
ベッドから出なさいとルームメイトに急かされた早朝のポピーのように緩慢な動きで、スフィンクスのドロージードラムはのっそりと4本の脚を伸ばして立ち上がった。
かつて家族で赴いたウエストミンスターの動物園で見た大人のオスライオンより明らかに大きいと、ウィンストンくんはドロージードラムが立ち上がった姿を目の当たりにして初めて気づいた。
それまでは眼前に迫った顔から目が離せなかったりお腹を見せて甘えている姿だったりで、本来の図体というものを先入観なく見られていなかったのだ。
スフィンクスのドロージードラムは胴体と4本の脚こそウィンストンくんがかつてロンドン動物園で見たオスライオンのそれで、脚と胴を覆う毛並みも砂漠のような黄土色だったが、しかしラクダを彷彿とさせる長い首の先にはヒトによく似た顔があって、オスライオンならたてがみがあるはずの頭と顎周りは羊のように強くカールした真っ黒な長い頭髪とヒゲに覆われていて、肩から生えているくすんだエメラルド色の翼は確かにそれで飛行できるとは考えられない、身体の大きさと比較するといささか頼りないと言ってしまえるサイズだった。
しかしその翼は決してみすぼらしいものではなく、むしろスフィンクスという生き物の神秘性を際立たせる装飾として見事に機能しており、その「くすんだエメラルド色」が錆に覆われた青銅を連想させる緑青そのものの色合いなのもあって、ウィンストンくんにはそのスフィンクスが、どこか彫像に命を吹き込んだような無機質さがあるように感じられた。
「こう改めて見てみるとドロージードラム、きみ、ずいぶんおしゃれじゃないか」
ネックレス扱いされている首輪だけでない色とりどりの髪飾りやら首飾りやら腕輪やらをドロージードラムがいくつも身につけていることに興味を惹かれて、ウィンストンくんはそう呟いた。
「尻尾まで緑青の色をしてるんですね。ドロージードラムさんだけがこうなんですか?」
「ドロージードラムのきょうだいは、尻尾はライオンの毛の色だよ。尻尾までエメラルド色なのはドロージードラムだけ。カッコいいでしょ」
ポピーはドロージードラムの翼と背中を覆う羽根と羽毛のくすんだ色を、あくまでも銅を含有する金属製品にできる錆の色ではなくエメラルドの色だと言い張って譲らない。
「僕は良い色だと思うけどな、緑青。あれは文明の歴史の色だ」
ウィンストンくんがポピーにそう告げた直後、背後でドサリドサリと何か重いものが落下した音と衝撃が響いた。
「居た! やっと見つけた――ダンブルドアくんチャーチルくん大丈夫かい!」
「いたわねポピー。わたし大暴れ毒柳の生育具合を見たいんだけれど」
「痛……どこだここ。草原か? 草原っていうと居る生き物は……」
「やあドロージードラム。元気そうだね、ヒゲを1本貰ってもいいかな?」
自分の背後に現れたのがそれぞれ誰なのかを、その女生徒は声だけですぐ察した。
「セバスチャンサッちゃんオミニスギャレス見て見てほら! ウィンストンくんがドロージードラムとお友達になってくれたんだよ! ドロージードラムったらすっごく喜んでたんだから!」
その女生徒は大喜びで報告するが、カバンの中の草原地帯にやってきた4人が女生徒の言葉に何か返事をするよりも先に、ウィンストンくんがその友人に追加の疑問をぶつける。
「なあ、ずっと気になってたんだが、スフィンクスってのはこんな理想の避暑地って感じの草原に棲んでるものなのか? 野生の棲息地を再現するんだって、お前手紙に書いてたよな」
「んーん。スフィンクスが棲んでるのってこんな草原じゃないよ。けどドロージードラムはここの担当なのさ。だってスフィンクスってね、大切な宝物を守るのがとっても得意なんだもの」
その女生徒の説明が要領を得ないと、最も大切な語句が抜け落ちているとすぐ気づいたポピーがウィンストンくんに追加で説明をする。
「ここはスフィンクスじゃない別の生き物の飼育場所で、ドロージードラムはその生き物たちを守ってくれてるんだよ。いつもありがとねードロージードラム」
ポピーの説明にもその生き物の名前が含まれていなかったので、ウィンストンくんは当然にその「この草原で飼育しているスフィンクスではない生き物」が何かを訊こうとしたが、しかしウィンストンが訊くまでもなく、その生き物は既にウィンストンくんのすぐ足元まで接近していた。
「あ、チャーチルくん背中」
「ん? なんだ? なんだ何だなんだお前――あ! こら待て!!」
対処する暇も与えないすばしっこさであっという間にウィンストンくんの肩まで昇ってきたそのモグラのような小動物はウィンストンくんの上品なネクタイにぶら下がって一瞬でネクタイピンを取り外すと、慌てているウィンストンくんの視界を横切って素早く逃走を開始した。
「待て! なんなんだお前! 僕のネクタイピンなんか盗ってどうするつもりだ!! くそ、速いなお前――レディ・スウィーティング! この小さな盗賊はいったいなんだ!」
ウィンストンくんは狙いを定めて飛びついたが、その小動物は一瞬早く身を躱す。
「その子はアイアンデールのこそ泥だよ。かわいいでしょ」
結局セバスチャンが杖を一振りしてその前科持ちのニフラーを捕獲するまで、アイアンデールのこそ泥とウィンストンくんの追いかけっこは1分以上続いたのだった。
「泥棒!!!」
セバスチャンに捕まえられたニフラー「アイアンデールのこそ泥」にウィンストンくんは語気も荒く詰め寄ったが、決して掴んだり叩いたりなどはせず、その顔にはネクタイピンを盗られた怒りではなく未知なる可愛らしい生き物への好奇心が堪えきれない微笑みとなって表れていた。
なぞなぞ考えるのに要した時間がそこ以外の展開を考えるのに使った時間と同じくらいある。
スフィンクスの外見はBen Kovar氏がファンタスティックビーストシリーズのために制作したが映画本編には採用されなかったいくつかのコンセプトアートおよび実在するスフィンクスモチーフの彫刻や絵画を参考に想像しました。古今東西のスフィンクスの彫刻、翼ある率がけっこう高い。