2年後もしくは106年前 作:requesting anonymity
「それで、こいつがどういう生き物なのかをそろそろ訊いてもいいかな」
この1892年当時は17歳の青年だった、後に史上もっとも厄介事の多い情勢下で英国首相となる「かの有名な」ウィンストン・チャーチルくんが、空中に浮遊させられているモグラのようなカモノハシのような小動物を思いっきり顔を近づけて観察し続けながらそう質問した。
「こいつはアイアンデールのこそ泥だよ。こそ泥はパドレイエク・ハガーティさんっておじさんのおうちをメチャクチャに荒らし回って先祖代々の家宝のネックレスを盗んでったすごいやつだよ」
ウィンストンくんが欲している種類のものではない説明を口にしたのは、この場で1人だけ以前からウィンストンくんと親交があったホグワーツ在校生にして男女1人ずつしか居ない首席の片方でもある7年生。その時々で男子だったり女子だったり長身だったりチビだったり幼かったりと気まぐれに変化する外見を自分でも制御できていないこの胡乱な学生は、あくまでも今たまたま女子生徒になっているだけで、このような魔法界でも他に類を見ない奇妙な体質に成り果てるより前の生まれ持った元々の身体が男子だったのか女子だったのかは、もう本人も周囲も覚えていない。
実は男子なんですとカミングアウトされても実は女子なんですとカミングアウトされてもそれなりに驚けるしそれなりに納得できる中性的な外見だっただけでなく、それよりもっと目を惹く要素をたくさん持っていた派手で印象的で賑やかな子なので、性別はそれほどには重要ではないのだ。
ただ「男子の目を惹く服の上からでも目立つような派手な体型の」女子ではなかったことだけは本人も周囲もハッキリと覚えていた。
「…………本当に妙な体質になったなお前」
つい先程まで男子だったはずの女生徒の姿を改めて見ながらウィンストンくんが言う。
「ふふーん。いいでしょ。ポピーちゃんともセバスチャンとも一緒にお風呂入るんだよ」
こんな妙な体質になってしまった現実を当の本人が極めて前向きに受け入れているのも、本来の性別などというものを周囲も本人もほとんど意識しなくなった原因だった。
「その子はニフラーっていうイギリス原産の魔法生物でね、宝石とか貴金属とか金の糸の刺繍とかチョコレートの銀色の包み紙とか、そういうキラキラぴかぴかした物を集めるのが大好きなんだ。だからニフラーはいつだってそういう物を探してて、見つけたら取ろうとして、取ったらお腹の袋にしまう。それでニフラーのお腹の袋にはね、ビックリするくらいたくさんの物が入るんだよ」
ウィンストンくんが欲していた説明をようやくしてくれたのは黄色を基調とした黒のロープを着用している小柄な女の子、ハッフルパフ寮所属のポピー・スウィーティング。
「おはようリチャード。それにギャレスも。何か新しい宝物は見つけたかい?」
背の低い草原をかき分けて走り寄ってきた追加のニフラーたちを瞬時に見分けて挨拶した胡乱な首席の女生徒を横目に、ポピーはアイアンデールのこそ泥のお尻の辺りを左手で優しく掴み、そのままアイアンデールのこそ泥の身体をぐるりとひっくり返して頭を地面に向けた。
「さあウィンストンくんにネクタイピン返そうね、こそ泥」
こそ泥などという単語にこれほどの愛情を込めて呼ぶ人間を、ウィンストンくんは初めて見た。
「僕はむしろネクタイピンなんかを腹の袋にしまい込んだこいつが怪我してないかが心配だ。ネクタイピンだぞネクタイピン。ネクタイ『ピン』だぞ。針だぞ刺さってないか大丈夫か」
ウィンストンくんの懸念は、すぐ隣の賑やかな首席の女生徒に払拭される。
「大丈夫だよウィンストンくん。ニフラーのお腹の袋ってすっごいんだから。そりゃ針とか刃物ばっかり詰め込んだら大怪我しちゃうけど……ニフラーだって怪我するのは嫌だから、そういう失敗は小さい赤ちゃんの内に経験して、自分のお腹の袋の使い方を学んでるのさ。マーマデュークなんか生まれたばっかりの頃にビリーウィグをお腹の袋に詰め込もうとして刺されちゃってね――」
その女生徒の説明はしかし、ウィンストンくんに追加の疑問を抱かせるものだった。
「ビリーウィグとは」
「蜂だよ。魔法の蜂。綺麗な色の身体してる蜂でね、刺されると空中に浮いちゃうんだ」
「空中浮遊させる毒だと? 魔法界ってやつはつくづく――」
つくづくなんだと感じたのか、ウィンストンくんはその女生徒との会話の続きを口にできなかった。アイアンデールのこそ泥のお腹をポピーが指でくすぐり始めた途端、そのキラキラぴかぴかした物を集めずにはいられない小動物のお腹の袋から大量のコインや宝飾品などなどが滝のように流れ出て、真下の草原をいくらか押しつぶしてささやかな山を形成する様を目撃してしまったから。
ヤギらしき生き物の絵が彫られた銅貨が数十枚、翼のある生き物の絵が彫られた銀貨が10枚ほど、そしてドラゴンの絵が彫られた金貨が数枚。それに加えて銀製かもしれないナイフやフォークなどのカトラリーが複数セット、コガネムシの死体が4つ、弱ったコガネムシ1匹、これ幸いと自由へ飛び立っていった元気いっぱいのコガネムシ2匹、色とりどりの宝石が10個近くと、そこまで高価ではなさそうな、ちゃちなネックレスやら指輪やらが数点に、皿やティーポットなどの銀食器がいくつかに、過去にはティーカップだったこともあるのだろう白い陶磁器の破片がいくらか。
「あら割れてるわ」
サチャリッサ・タグウッドが杖を軽く振ると、その陶磁器の破片は独りでに修復されて4つのティーカップに戻った。
「…………なんてこった。これじゃまるで魔法じゃないか」
我ながら上手い冗談だと誇らしげなのが声色に現れている17歳のウィンストン・チャーチルは己の理外の現象を目の当たりにしても驚かず、それどころか明らかに喜んでいる。
「どう見たってお前の体重の数倍じゃ利かないだろうに、これぜんぶ腹の袋に入れてたのか!」
「かーわいいでしょウィンストンくん。どうだいこれがニフラーってやつだよ」
ぶちまけてしまった宝物たちを手当たり次第に掻き集めて元通りお腹の袋へとしまい直すアイアンデールのこそ泥が這い回る様を眺めながら、その女生徒はウィンストンくんに感想を求めた。
「どうも何も。お前によく似てるよ」
「ェェーどこがだい。僕クチバシないよ?」
「僕はチャーチルくんと同意見だ。ニフラーとお前はよく似てるよ――おっと! このネクタイピンはダメだぞこそ泥。持ち主に返すんだ」
草原を押しつぶして散乱している宝物の小山の上を這い回ってお腹の袋に次々しまい込んでいくアイアンデールのこそ泥が貨幣をほとんど片付けたことでその下からようやく発見されたウィンストンくんのネクタイピンを、セバスチャン・サロウは素早く拾い上げた。
「こそ泥め、曲がっちゃってるじゃないか無理やり取るから……」
セバスチャンがレパロと唱えもせずにただ杖で小突いて直したネクタイピンをウィンストンくんに返還している横で、緑青色の翼を持つスフィンクスの「ドロージードラム」が立ち上がった。
「見て見てウィンストンくん。こいつがマーマデュークで、そっち走ってるのがリチャードだよ」
「レヴィオーソ! こらマーマデューク。それはこそ泥の宝物だ。またケンカになるぞ?」
ぶち撒けてしまった宝飾品やら宝石やらを大慌てでお腹の袋にしまい直している「アイアンデールのこそ泥」の目を盗んで飴玉くらいある青色の宝石をくすねようとしていた別のニフラーを、セバスチャン・サロウは鋭く見咎めて浮遊呪文で空中へと隔離した。
「チャーチルくん、ニフラーと触れ合う時は油断しちゃダメだ。普通は金属製品を全部置いてきてからニフラーに挑むけど、上手く誘導する餌にもできる――あんなふうにな」
セバスチャンが指さした先へとウィンストンくんが視線を向けてみれば、ポピーがシックル銀貨を杖で操って「リチャード」を見事に釣り上げていた。
そのままポピーがゆっくりと操る杖の動きに従って空中を移動していくシックル銀貨をガッシリ掴んで離さないニフラーのリチャードも空中を移動して、飼い主たる女生徒の頭の上に着陸した。
「おもい」
ニフラーの「リチャード」を頭の上に乗せられたいつも賑やかな女生徒が呟き、当のリチャードはシックル銀貨をさっそく自分のお腹の袋へとしまい込んでいる。
「みんな少しずつ体毛の色が違うんだな」
「そだよウィンストンくん。黒に近い紺色だったり、明るい緑めの青色だったり、あと麦藁みたいな色だったり、真っ白のやつも居るんだよ……ほら見て。こいつは今朝生まれたばっかりなんだ」
ちょうど足元に駆け寄って来ていた真っ白な毛並みのニフラーを、その背中に乗っかっていた小さな赤ちゃんニフラーごと抱き上げた女生徒が、ニフラーの親子をウィンストンくんの顔の前まで持ってきて「ほらごらんウィンストンくんだよ」と紹介し始めた。
「ほらウィンストンくん、おっきい方が母親の『バロックボディ』で、その上にへばりついてるちっこいのはねえ、まだ名前決まってないんだ」
そう説明し終えた瞬間に、その女生徒は今朝生まれているのを見つけた時にポピーちゃんが何故この赤ちゃんニフラーへの名付けを先延ばしにするべきだと提案したのかに気づいた。
「そうだあウィンストンくんこの赤ちゃんニフラーに名前つけてあげて!」
「名前? 僕が? いいのか…………?」
「ウィンストンくんが名前つけてくれたら僕がうれしい!」
「きみはそうだろうけども。本人と親御さんの許可をだな――」
そこから先を言わなかったウィンストンくんは、いつも賑やかな魔法使いの友人によって差し出すように目の前に掲げられた白い毛並みのニフラー「バロックボディ」と、その背に乗っかった赤ちゃんニフラーと、相談でもするかのようにじっくりと見つめ合う。
ニフラーの親子の毛並みは磨りガラスのように真っ白なのに目だけは真っ黒で、おもちゃ屋に連れてきてもらえた子供みたいにキラキラと輝いている。
今度はどれを狙ってるんだと、ウィンストンくんはニフラーの親子に訊いてみたかった。
「きみに名前をつけてもいいか?」
ウィンストンくんがそう質問してみたら赤ちゃんニフラーが「キュウ!!」と元気に鳴き声を上げたので、ウィンストンくんは了承してもらえたのだと勝手に解釈することにした。
しかし数秒沈黙してから最終決定にふさわしいと思える名前を思いついてしまった後で、ウィンストンくんは真っ先に得るべき重要な情報を聞けていないと気づき、飼い主に質問を投げかける。
「この白くて小さいのはオスとメスどっちだ?」
「もうちょっとおっきくなんないとわかんない」
じゃあしょうがないオスでもメスでも関係ない名前にするかと、ウィンストンくんは思いついていた偉大な英雄の乗艦の名前でもある古代の有名な王の名前をそっと却下した。今後この小動物が成長してから仮にメスだと発覚した場合、可憐なお嬢さんに「アガメムノン」はそぐわないだろうと、ウィンストンくんはそう判断したのだ。
「それならお前の名前はヘイスタックスだ。雪の効果って感じの色をしてるからな」
「
ヘイスタックスと名付けられた赤ちゃんニフラーの飼い主である女生徒が説明を求めた途端、返ってきたのは名付けの理由に関する解説ではなくずっと静かにしていたダンブルドア少年とサチャリッサ・タグウッドの驚きの声だった。
「えっ先輩しらないんですか? ヘイスタックスですよ
「去年あんなに話題になってたじゃないの――積み藁よ『積みわら』! 去年発表された途端にぜーんぶ売れちゃったクロード・モネの連作! まさかとは思うけれどあなたクロード・モネは知ってるわよね? まだ生きてる中じゃ最高のマグルの画家の1人よ!」
あんまり理解できていないのが判る声色で「そうなのかい?」と問い返した女生徒をよそに、ダンブルドア少年とサチャリッサ・タグウッドの興奮っぷりに、ほかでもないウィンストンくん自身がとても驚かされていた。
「あー、その。僕は絵画好きの友人から聞かされただけで実はあんまり知らないんだが――」
1892年当時の「印象派」はパリやアメリカの画壇でこそ大いに評判になっていたが、ことイギリスにおいては未だに狂人の奇行か愚か者のペテンかあるいは単なる稚拙な未完成品かというような極めて低い品位の作風、評価に値しない絵として見られており、まさかこれが後の世においてルネサンス期の偉大な作品やロマン派などと同列に語られ西洋美術史に一際目立つ彩りを添えることになるとは、イギリス画壇のほとんど誰も思っていなかったのだ。
だからウィンストンくんにこの「パリにおける変な流行り」の話をした学校の寮のルームメイトも、あくまでも「どういう報道がされているのか」を親に送ってもらっている複数の芸術評論雑誌の記事で読んだだけで、詳しいのかと訊かれると全くそんなことないと返答することになるし、なんなら興味すらそこまで熱心には抱いていなかった。
もちろんこれはそのルームメイトに雑誌をちょっと読ませてもらったウィンストンくんとて同じで、まさか自分が中年になってから絵画制作に大いに熱中するとは、この当時まだ17歳だったウィンストン・チャーチルくんは想像だにしていなかった。
しかし一方で、この時すでにパリの「マグルの」画壇の流行を熱心に追いかけるだけでなく、印象派という名で知られ始めていた者たちが描く作品を素晴らしいものだと理解すらしていた奇特な魔女が、この当時のホグワーツには居た。
世界をより美しくするサチャリッサ・タグウッドにとって、制作者が魔法族かマグルかなど単なる背景情報の差でしかなく、どちらが上でも下でもなかった。
ある品物が美しいかどうかはその品物の完成度によってのみ決まるのだと、サチャリッサ・タグウッドは誰に教えられるでもなく悟っていた。
絵に魔法をかけて動かすなんてことができるせいで知らず知らずの内に手放している発想や工夫があるんじゃないかしらと、サチャリッサは後に魔法族の画家たちの怠慢を論じている。
事実、シュルレアリスムもキュビズムもトロンプルイユもアクションペインティングも、魔法界は思いつきもしなかったのだ。
「そんなにすごいんですかタグウッド先輩?」
サチャリッサと一緒になって声を上げたはずのダンブルドア少年が訊く。ダンブルドア少年はただ常日頃から新聞を隅々まで読み込んで一字一句違わず記憶しているだけで、だからパリで話題の印象派とか即売り切れた積み藁なる連作といった見出しを知っていただけで、詳しくはないのだ。
「これからマグルが描く絵画は全て、あの『積みわら』の影響を大なり小なり受けるわよ」
そして、ある分野について熱意をもって没頭し深い知識を有している者というのは、そうでない他者が己と比べてどれだけ無知なのかを、忘れているのが常である。
「――あなたたち、本当に知らないの?」
「知らないよぉ~?」
当然だろうと言わんばかりの態度でそう返してきたその女生徒の表情は、印象派どころか足し算も知らなそうだった。
「なんかすごい名前を貰ったみたいだよヘイスタックス。良かったねえ」
足し算も知らなそうな顔をした女生徒がそう声をかけると、その女生徒に両手で持たれている白い毛並みのニフラーの親子が「キュウ!」と声を揃えて返事でもするかのように鳴いた。
「ヘイスタックスがお名前ありがとうだってさウィンストンくん」
「名前を気に入ってくれたのなら良かったよ」
ニフラーの言いたいことが判るのかなどとは訊かないウィンストンくんのすぐ後ろでは、オミニス・ゴーントがスフィンクスの「ドロージードラム」の肩の辺りに杖を翳している。
「触ってもいいかドロージードラム」
緑青色の翼を持つそのスフィンクスは何ら声を発さなかったが、先端で赤い光が明滅している杖を持っているオミニス・ゴーントはどうやら接触する許可が下りたと判断したようだった。
「監督生の浴室に備え付けのバスタオルみたいだなきみは」
「ほらほらダンブルドアくんもドロージードラムに撫でさせてもらうといいよ」
スウィーティング先輩が背中をぐいぐい押してまで勧めてくるので、ダンブルドア少年はお言葉に甘えることにした。
「いっ、いいですか…………失礼しますねドロージードラムさん――わあ、すんごいゴワゴワの毛並みなんですね。毛の1本1本が固くてしっかりしてる」
「そうでしょそうでしょ。優しくて良い子なんだよドロージードラムは」
オミニス・ゴーントに肩の辺りを、ダンブルドア少年に横っ腹を撫でられているスフィンクスの「ドロージードラム」は、ラクダみたいに長い首をめいいっぱい伸ばしてポピーの顔を舐める。
「いつもニフラーたちを見ててくれてありがとねドロージードラム」
顔をベロベロ舐め回されながら嬉しそうに日頃の感謝を伝えたポピーの背後では、ギャレス・ウィーズリーが杖を軽く一振りして、アイアンデールのこそ泥がお腹の袋に元通りしまおうとしていた宝物の最後のひとつであるガリオン金貨を横取りしようと接近しつつあった別のニフラーを数秒だけ空中に浮遊させることで窘めていた。
「ケンカになるよリアンダー」
ウィンストンくんが改めて周囲を見てみれば、まだ名前が呼ばれていないニフラーたちが少なくとも10匹ほど、草原のあちこちを元気いっぱいに走り回ったり誰かの身体に登ろうと試みたり、あるいはドロージードラムの背に登ってそこで昼寝を始めたりしている。
「…………よく管理しきれてるな、こんなの」
「優秀な助手がいるし、みんなも手伝ってくれるからね!」
わざわざウィンストンくんの方へ向き直ってからさあ褒めておくれと言わんばかりに胸を張ってみせたその女生徒の頭の上では、ニフラーの「リチャード」が熟睡していた。
プウプウと鼻から漏れるようなリチャードの寝息はとても小さい音なので、ウィンストンくんの耳にまでは届いていない。
「ほらバロックボディとヘイスタックス、ポピーちゃんだよ」
「可愛い名前をもらえて良かったねえヘイスタックス。ちゃんとウィンストンくんにお礼言った? ほらお礼言おうねお礼――わああ上手……! なんて賢いの……!」
ポピーが白い毛並みのニフラーの親子を飼い主の女生徒から受け取る数秒の間、その親の背に乗っている赤ちゃんニフラーの「ヘイスタックス」がウィンストンくんの方を確かに向きはしたものの、そのヘイスタックスが発した「プゥ!」という鳴き声は、ウィンストンくんの耳には感謝というよりはむしろ何かを要求しているように聞こえた。
「ネクタイピンはあげないぞ」
ヘイスタックスとバロックボディの親子に、ウィンストンくんはキッパリと忠告したのだった。
「おいでー。良い子だねバロックボディもヘイスタックスも」
そして真っ白な毛並みのニフラー「バロックボディ」がその背に同じく真っ白な毛並みの赤ちゃんニフラー「ヘイスタックス」を乗っけたままポピーの腕から肩へと移動して、ポピーが着ているハッフルパフのローブのフードの中にすっぽりと収まった。
「さあさあウィンストンくん次は向こうにあるお山のてっぺんまで行ってドラゴンを見よう!」
「3日くらいかけて登山するって意味じゃないだろうな?」
「箒で飛んでったらすぐだよウィンストンくん! さーあセバスチャンとアンに会いに行こう!」
そう言い終わった時には既に箒を手に持っていたその女生徒のすぐ隣では、ポピー・スウィーティングがローブのポケットから引っ張り出した旅行カバンを地面に置いて開き、その中に杖を突っ込んで「アクシオ!」と鋭く唱えて人数分の箒を用意している。
「きみは箒で空飛ぶの初めてじゃあないんだっけねウィンストンくん」
去年のクリスマスパーティでウィンストンくんが箒に乗せてもらって飛ぶ光景を実際に目撃した以上わざわざ確かめずとも答えを把握しているのに、ギャレス・ウィーズリーはあえて質問した。
「そうだ。去年何度か経験した――けど、慣れたとは口が裂けても言えないな」
「僕らは自分で箒を操縦できるけど、きみの場合は他人に任せなきゃいけないからねえ。家族がいっぺんに移動するための複数人乗りの長い箒とかもあるんだけど、苦手だって魔法使いも居るんだ……自分の意思や操作だけが反映されるわけじゃないからね。後ろに乗っけてる小さい家族がイタズラしたり、逆に先頭に乗ってるおじさんの操縦が信用できなかったり」
ギャレスが誰の話をしているのか、去年のクリスマスパーティをご一緒したウィンストンくんにはすぐに理解できた。
「酒に酔った状態で箒に跨って飛行するのは、魔法使いの法律で禁止されてたりとかしないのか? 自動車や馬車とはわけが違うだろ。運転手や御者を雇って任せる余地も無いし、空を飛ぶのに」
「あの後アンドレアスおじさんには箒飛行禁止令がオリュンピアス大伯母さんから出たよ」
ウィンストンくんの質問に簡潔な回答を返しながら、ギャレスはポピーから手渡された自分の物ではない箒に跨る。
「さあさあさあさあウィンストンくんウィンストンくん後ろ跨って後ろ! とぶよお!」
早くボール遊びをしようと急かす大型犬のようにキラキラした目を向けられたので、ウィンストンくんは不安などそれ以上一切口にせず、ギャレスとの会話も切り上げて言われた通りその女生徒が跨っている箒の後ろに同じように跨った。
「そおーれびゅびゅーーーん!!」
嬉しさを制御しきれなくなりつつあるのが如実に現れている掛け声と共に、ウィンストンくんを箒の後ろに乗っけたその女生徒は同級生たちやダンブルドア少年の準備が完了しているのかなど確かめる素振りもないまま勢い良く飛び立ってしまった。
「後ろに乗るかオミニス」
「自分で飛べるぞセバスチャン」
セバスチャン・サロウとオミニス・ゴーントが短く言葉を交し、同時に飛び立つ。
「また後でねドロージードラム。それにリアンダーも、マーマデュークもアイアンデールのこそ泥もギャレスもダイコレクターも――みんなまた後でねー!」
「乗せてあげましょうかダンブルドアくん?」
「お言葉に甘えさせていただきますタグウッド先輩」
そうしてポピー・スウィーティングとサチャリッサ・タグウッドとダンブルドア少年も飛んでいってしまった後でギャレス・ウィーズリーは、ダンブルドア少年がサチャリッサに乗せてもらったために必要なくなった箒と自分用の箒をそれぞれ手に持ったまま、肩をすくめて呟いた。
「ま、工夫してみるさ」
1人で箒を2本使って飛ぶ方法など、ホグワーツでは教わらない。
一方、高速で空をゆく箒に乗せられたまま成すすべ無く輸送されているウィンストンくんは、自分を乗せて飛んでくれている友人である女生徒に大きな声で注意を促していた。
「お前の頭の上の『リチャード』が吹っ飛びそうだぞ!」
「宙返りするよおウィンストンくん!」
「するな!!!」
ウィンストンくんの抗議は聞き入れられることなくその女生徒はさらに飛行速度を上げて宙返りを敢行し、ちょうどウィンストンくんの身体が逆さを向いた時、宙返りの最高到達地点で案の定その女生徒の頭の上からこぼれ落ちたニフラーの「リチャード」はそのまま落下していき、女生徒が駆る箒が急降下して宙返りし終えたタイミングで狙いすましたかのように女生徒の頭の上に着地し、あたかも何ひとつ危険な出来事など発生していないかのように居眠りを再開しだした。
「肝が据わっているのか呑気なのか……」
女生徒の髪をがっしり掴んだままウトウトとしているニフラーを目の当たりにして感心半分呆れ半分のウィンストンくんを乗せた箒は、広大に見える森の上空をあっという間に通り過ぎていく。
「しかし毎回これ言ってる気もするが、本当に箒に跨って空を飛ぶんだな魔法使いってのは」
「僕も初めて箒飛行の授業受けた時ワクワクしたよおウィンストンくん! あウィンストンくん見てみてほら見えてきた見えてきた見えてきたよセバスチャンが! ほらあそこ飛んでる見える?」
自分を箒の後ろに乗せて飛んでくれている魔法使いの友人にそう言われると、違うと解っていても、ウィンストンくんとしてはどうしてもセバスチャン・サロウへと視線を投げかけてしまう。
「確かに飛んでるのが見えるな。僕らのすぐ後ろをついてきてくれている」
「そっちのセバスチャンじゃないよォ~?!」
言うと思った通りの返事をそのまま言った友人に笑わされたウィンストンくんを乗せて女生徒が駆る箒は森を越えて峻険な山肌を舐めるように急上昇し始め、自分たちは今ほぼ垂直だと思ったウィンストンくんがとうとう女生徒の胴体に腕を回してしっかり掴まったその瞬間、またしてもその女生徒の頭の上からこぼれたニフラーの「リチャード」がウィンストンくんの顔に降ってきた。
「ぶぁ! お前危ないからもっとちゃんとした足場に――」
ウィンストンくんが提案を言い終わるより早く、リチャードはウィンストンくんの懐へと潜り込み、ジャケットの裏地とベストの裾を左右それぞれの前脚でガッチリ掴んで居座る姿勢を見せた。
「――いいだろう。お前にとっては充分に緊急事態だし、僕の着てる服を引っ張ってヨレヨレにすることだって許してやるよ……シワになってもお前の飼い主に魔法で直してもらえばいいしな」
おとなしくしててくれさえすればけっこう可愛い奴じゃないかと、ウィンストンくんがニフラーという生き物にそんな好印象を抱いた途端、ギャアオオオオーーーンンという凄まじい叫び声らしき轟音がウィンストンくんの前身をビリビリと揺さぶった。
「ぎゃああおおーーーん!!!」
「叫び返す必要があるのか?!」
「ンエー? 挨拶してもらったらお返事しなきゃ。そうでしょウィンストンくん」
山の尾根の一際高くなったところに佇んでいるその怪物はドラゴンのような顔をしていて、ドラゴンのような大きい翼があって、ドラゴンのような長い尻尾があって、ドラゴンのように身体が大きくて、ドラゴンのような真っ赤な鱗で全身を覆われていた。
「こんなに想像通りで良いのか!!! 魔法のことは秘密だって法律があるんじゃないのか! 漏れてるじゃないか情報が!
恐怖と困惑と好奇心が綯い交ぜになった興奮と、目の前の現実が己の知識と常識の外にあるという衝撃によって大きな声しか出せなくなっているウィンストンくんが女生徒に叫ぶ。
そんなこと言ったらスフィンクスだってユニコーンだって巨人だって魔術師マーリンだってそうなのだが、しかし今ウィンストンくんの思考回路と視線はドラゴンの開かれた口に釘付けだった。
「まさか火を吐けるのも本当なのか??!!」
「やあやあセバスチャンおはよう! お食事に混ぜといた薬もちゃんと食べたかい?」
ウィンストンくんの質問にその女生徒は答えてくれず、その女生徒の問いかけにドラゴンのセバスチャンが返答してくれるわけもなく、それ以上なにができるはずもないウィンストンくんの視界はパニックを起こす時間的猶予すら無いまま眩いオレンジ色の光でいっぱいになった。
「インセンディオ!!」
声がした方をウィンストンくんが見てみれば、サチャリッサの懐に抱え込まれるようにしてひとつの箒に一緒に乗って飛んでいるダンブルドア少年が、すぐそこの山の尾根にいるドラゴンのセバスチャンが吐いた炎に魔法の炎を横からぶつけて軌道を逸らしてくれたのだと解った。
「アルバスさっすがー! 単なるインセンディオでドラゴンの吐く火に押し勝っちゃうなんてね」
「プロテゴくらい唱えたらどうですか先輩」
「ダンブルドアくんあなた飛んでる間ずっとほっぺが空気抵抗でぷるぷる揺れてて可愛いわよ」
「あー! アンもセバスチャンもおはよう! 今日は後でお風呂入れてあげるからね!」
追いついてきたポピー・スウィーティングの言葉を聞き取って初めて、ウィンストンくんは「セバスチャン」のすぐ後ろにそっくりの見た目をしたドラゴンがもう1頭居ると気づいた。
「鼻の穴がキリッとしてて可愛いのがセバスチャンで、尻尾がピュッとしてる美人がアンだよ」
「いやわからないわからない。僕らに火を吹いてきたのはどっちだ」
「そりゃセバスチャンさ。セバスチャンとアンは中国火の玉種って種類のドラゴンでね、野生だと清国の辺りに棲んでるのさ。ドラゴンって世界中に色んな種類がいるんだよウィンストンくん!」
会話しながらその女生徒とウィンストンくんに続いてポピーとサチャリッサとダンブルドア少年が自分たちの足元に着陸しても、ドラゴンのセバスチャンとアンは特に暴れる様子が無い。
それどころか2頭のドラゴンは吼えもせずに長い首をもたげてポピーに顔を寄せ、甘えるような仕草を見せ始めている。
「ポピーちゃんのこと大好きなんだよねこの子たちもさ」
「魔法使いの社会全体の中でも特に偉大な魔女だということか?」
「そだよウィンストンくん。だって魔法生物に優しくするってことにかけてはポピーちゃんに勝てる人なんてどこにも居ないもの。すごいんだよポピーちゃんったら」
褒め言葉すら聞こえていない様子で、ポピーは2頭のドラゴンの顔を両腕で撫で続ける。
「あサロウ先輩とオミニス先輩も来ましたね」
ダンブルドア少年が崖下を指さすと、セバスチャン・サロウとオミニス・ゴーントの2人がぴったり並んで飛んできていた。
そしてセバスチャン・サロウとオミニス・ゴーントが揃って山の尾根に到着した直後、サチャリッサ・タグウッドが気づいた。
「…………ねえギャレスはどこかしら? いつから着いてきてないの?」
ドラゴンを撫でるのに夢中なポピーを除いたその場の全員が数秒の焦燥に支配されたが、しかしその焦りはダンブルドア少年が遠くの空にギャレス・ウィーズリーを発見したことで解消された。
「あれじゃないですか。あの豆粒みたいに遠くの、酒に酔ったスニッチみたいな飛び方してる」
自分1人で箒を2本使ってどう飛ぼうかと思案して、片方だけを飛ぶのに使ってもう片方は単なる荷物として担げばいいという穏便なアイデアをつまらないよなと自分で却下したギャレス・ウィーズリーは、よせばいいのに十字に交差させた2本の箒を杖を振って創り出した縄で縛って固定して、その交差している中心部分に跨って2本共をどちらも使って推進しようと試みた結果、離陸後数秒で案の定制御不能に陥り、空中を縦横無尽に高速回転し続けながら急上昇や急降下や不規則で小刻みな方向転換などを絶え間なく繰り返して、辛うじて墜落だけは免れながら、皆もう到着した山の尾根へ、遠ざかったり横に逸れたりしながら徐々に徐々に向かって来ているようだった。
「ウィーズリー先輩、交差させた箒2本に跨ってる……僕、ちょっと目を離しただけなのに……」
ダンブルドア少年が呆れ果てて呟く。
「わぁぁあぁあァァぁアァァァァァァああぁぁあーあぁぁーーー!!!!」
表情も見えないくらい遠くで、声なんか全く聞こえてこないのに、豆粒みたいにしか見えないギャレス・ウィーズリーの制御不能の飛びっぷりを見ている全員が、今ギャレスがどんなに間の抜けた悲鳴を上げているのかを、こちらまで響いてきているかのように察することができた。
「彼は何をしてるんだ?」
ドラゴンが隣に居ることなど忘れたかのような口調でウィンストンくんが訊く。
「ああいう奴なんだよギャレスは。1秒だって目が離せない」
セバスチャン・サロウの声色は冷めきっている。
「『暴れ馬の呪い』でもあそこまでにはなりませんよねタグウッド先輩」
「そうねダンブルドアくん。後でウィラとイメルダに告げ口して叱ってもらいましょう」
サチャリッサ・タグウッドにしては珍しく、全くギャレスを擁護しようとしない。
「仕方が無いから迎えに行ってあげようかしら」
「そんな必要ないですタグウッド先輩。僕がやります……アクシオ!!!」
ダンブルドア少年がまっすぐ杖を構えて呪文を唱えると、幼児の落書きみたいな軌道で縦横無尽に遠くの空で暴れ狂っていたギャレスは、一転してブラッジャーのように鋭くまっすぐにダンブルドア少年へ向けてより一層の加速を伴って射出された。
「やあギャレス」
すごい勢いで接近してきたギャレスの悲鳴を聞き取って、オミニスだけが笑顔で言葉をかけた。
【積みわら】Haystacks
西洋美術史において印象派と呼ばれた一派を代表する画家、クロード・モネの連作。
1892年から見ると、去年(1891年)の個展で発表されたばかりの最新作。発表された場所たるパリや大西洋を越えた先のアメリカ合衆国などでは既に印象派は注目を集めていたが、しかし当時のイギリス画壇は閉鎖的で保守的だったために、印象派の価値を認めるのが比較的遅れた。
よって1892年のイギリスから見た印象派は概ね「フランスの奇天烈で理解不能な流行り物」。
ウィンストンくんの絵画好きの友人は、この当時のイギリス画壇とウィンストンくんの事情を考慮するとどうしても話の都合上存在していただく必要があった、架空の人物です。
本格登場の予定は無い。