2年後もしくは106年前   作:requesting anonymity

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16.不可逆の夜

 夜の闇と降りしきる雨の中、遠雷がホグワーツ城を照らす。

 かと思えば森の向こうに雷が落ち、天文台から外を見下ろしている数人の教員たちと1人のグリフィンドール生の顔まで打ち据えるような雷鳴が轟く。

 母親である占い学教授ムディワ・オナイの防水呪文の傘の下で7年生のナツァイはこの件の始まりとなった1年前の事を思い出していた。

 

 秋の初めだというのにその日は呆れるほどの快晴で、マフラーなどとても巻いていられないほど暑かった。城の中庭で芝生に足を投げ出して座ってボーッとしていたグリフィンドールの6年生ナツァイ・オナイの元に、1人の友人がやってくる。

「ナッちゃん、ナッちゃん。今いい?」

 いつもどおりの楽しそうな笑顔でヒョコヒョコと歩いてきたその青年はマルフォイ家の人間を彷彿とさせる滑らかなシルバーブロンドの髪にウィーズリーのようなそばかすを備え、左半分がスリザリンの緑で右半分がグリフィンドールの赤、という派手で珍妙な制服の上から同じカラーリングのローブを纏っていた。

 

「なあに? ……まーたそんな服着て。怒られるよ?」

「いいでしょこれ。ねえねえナッちゃん、ブラッシングさせて!」

 

 戸惑いのあまり硬直してしまったナツァイ・オナイの顔に、暖かな陽光が差している。

「杖でブラシを出して操るんじゃなくて、これで丁寧にさ!」

 いやもちろん杖でやってる時も手を抜いたりなんてしてないけど、と付け足した青年をよそに、ナツァイは自分の顔がどんどん熱くなっていくのを感じていた。

 

「それは、変身してって事だよね?」

「ん? そのつもりだけど、ヤなら変身しないままでもいいよ?」

「…………###?!!!!」

 何も言葉が出てこなかったらしいナツァイの表情はしかし、内心の動揺を雄弁に語っていた。

「『Mhoro Ndingakukumbundira here?』……合ってる?」

 目を白黒させて口を開けたり閉じたりするばかりで一向に返事をしてくれないナツァイに、青年は尚も柔らかい笑顔のまま話しかける。

「『Nhasi kuri kupisa』『Ndingakukumbundira here?』……ンデベレ語の方がよかった?」

「………別に好きにしてくれていいけど、私が暑いのはあんたの言動のせいだからね」

 やった!と言って抱きついてきた青年を、不思議な感情を抱えたまま受け止めたナツァイは嬉しいやら恥ずかしいやら、とにかく笑顔が抑えられなかった。

 

「ショナ語なんていつ覚えたのさ」

 目をそらしながら笑っているナツァイは、やっとそう訊く。

「夏休み中だよ。ナッちゃんの故郷の言葉覚えたらもっと仲良くなれるかなって。でもさすがにいくつもは無理だからさ、1番話す人多いらしいショナ語にしたんだ。言語多すぎるよあのへん」

「アフリカはどこもそうだよ。いろんな部族がいるから」

「ねえ、結局ナッちゃんの故郷の言葉、ショナ語で合ってる?」

「さあ、どうだろうね?」

 そう言ってイタズラっぽく微笑んだナツァイから、青年はやっと離れる。そして一息吐き出してからスルリとガゼルの姿に変わったナツァイは芝生の上に腰を下ろした青年の膝に顔を乗せ、青年がブラシでその毛並みを撫でるのをゆったりと受け入れる。

 

(あれだけいろんな生き物を飼って毎日世話してるだけの事はあるね……)

 

 そのブラッシングを心地良いと思ってしまった事が急に恥ずかしくなったナツァイはまた顔が熱くなるのを感じたが、今はガゼルの姿なのだから気づかれないと信じる事にして目を瞑る。

 

「ナッちゃんやっぱりちょっとお尻おっきくなったよね?」

 

 ナツァイ・オナイはほとんど跳ねるようにしてその身を起こし、速やかに人の姿に戻った。

「おま、あんたね! そんな人が気にしてる事を………!」

 顔から火が出る思いをしながら大きな声で抗議したナツァイはしかし青年の表情を見て、悪気は無い言っても無駄大きくなったのは事実大きくなったのは事実大きくなったのは事実とぐるぐる悩んだ末に「もう!」と憤ってみせてからその表情を和らげた。

「あなた私に相談したいことがあるから来たんだよね? ……言ってみなよ早く」

 バレてたかー、と笑った青年はナツァイの目をまっすぐ見つめて、訊いた。

 

「ねえナッちゃん。『動物もどき』ってどうやればなれるの?僕もなりたい」

 

 ついにこの時が来たか、と思ったのをナツァイは1年経った今でも鮮明に思い出せた。そして雷雨が打ち据えるホグワーツの天文台でその時の事を思い起こしていたナツァイに、母で占い学教授のムディワ・オナイが声をかける。

「何をそんな急にひとりで恥ずかしそうにしてるの、ナティ?」

「………内緒。内緒」

 母の優しい微笑みを見て、ナツァイは一体何をどこまで見透かされたのかと気が気でなかった。

 

「そう言えば、ちょうど去年の今頃だったか。あの時は頭を抱えたものだ」

 シャープ先生も1年前を思い出して笑っている。ヘキャット先生もウィーズリー先生も同じ日を思い起こしているようで、それはナツァイの脳裏にも今朝の事かのように蘇ってきていた。

 

「ねえねえナッちゃん、ドクロメンガタスズメって森に居るかな?」

 

 暖かなと形容するには強烈すぎる日差しが降り注ぐホグワーツの中庭で、芝生に座ったままそんな事を訊く青年を当時は6年生だったナツァイが立ったまま見下ろしている。青年のその言葉は、既に「動物もどきになる方法」について調べ始めている事を示していた。

「いくらあなたでも、1人でやるのはダメ。ちゃんと先生に許可を取らなきゃ」

 ナツァイが苦悩する理由はひとつ。この青年がやると1度決めた事を「やめなさい」と言って中止させる事ができた唯一の人物は、去年亡くなってしまったのだ。

 好奇心に突き動かされている時のこの親愛なる友人は誰が止めても止まらない。輝くような笑顔から察するに「動物もどきになる」は青年の中で既に決定事項であり、仮にどんな理由をつけて周囲の人間が制止したところで、この青年はたった1人でその困難な目標に挑んでしまうだろう。

 だからこそナツァイは全面協力を即決したのだ。

 

「じゃあ、教えてくれるんだね?」

「ダメって言ったってやるでしょ。だったら誰かが傍で見てなきゃ」

「ねえナッちゃん『Ndingakukumbundira here?』」

「……好きなようにしてくれていいよ」

「ナッちゃん大好き!!」

 

 そして暫く抱きしめられたナツァイは青年の手を引き、占い学の教室へと向かった。

「おやナティ、どうしたの?」

 そこに居てくれた占い学教授の母ムディワにナツァイが手短に事情を説明すると、それを聞き終えたムディワ・オナイは頭を抱えた。

「――まあ、遅かれ早かれいつかはこうなるとわかっていた事ね。この子が興味を持たないなんてありえないもの。……ウィーズリー先生とシャープ先生、それにヘキャット先生を呼びましょう」

 

 そして屋敷しもべ妖精ディークの手助けで即呼び集められた先生方もまた、一様に頭を抱える。それはナツァイが先程苦悩したのと同じ理由に依るもので、つまりは「この子は止めてもやる」という確信からくるものだった。

「とりあえず、みんなで校長室に行こうか。校長の許可を貰わなきゃならないだろう」

 そう言ったヘキャット先生を先頭に、一同は連れ立って校長室へと向かう。そんな中で先程その青年の手を引いて入ってきた自分の娘が未だ青年の手を握ったまま離さずに居る事に気づいたムディワ・オナイは、目の前の光景から妄想を膨らませて邪推するという予見者にあるまじき行いを脳内でしてしまっていた。

 

「ちょっと目を離したらすぐフラフラどっか行っちゃうから捕まえておくべき」というのは、1年間その困った友人と過ごした同級生たちの共通見解だった。

(そうだよ。勝手にどっか行っちゃわないようにしてるだけ。他意は無いよ)

 ナツァイは心の中で自分に言い聞かせている。

 

「で? つまり何かね。カリキュラムに無い特別学習に許可を出せと? 『動物もどき』に?」

 ブラック校長は怪訝そうな表情で言うが、ウィーズリー先生は冷静だった。

「許可をいただければ万全な監督下で課題に取り組ませる事ができる。けど許可をいただけない場合、この子は1人で勝手に突っ走る事になる。どちらの方がより穏当かという話ですよ校長先生」

 危険だからやめろと言ってやめると思うかい、とヘキャット先生も言う。それはブラック校長とて重々承知していた。

 

「…………いいだろう。ただし」とブラック校長はその青年を見据える。

「誰彼構わず言いふらす事は許さん。どうしてもこの場に居ない誰かに協力を仰ぐ必要があるなら事前にここに居る内の誰かに相談しろ。この事を知らせる人数も最小限に。本来今ここに居るだけの人数でも多すぎるくらいなのだからな」

 

「具体的に何をどうやるのか、知ってるの?」

 ナツァイの質問に、青年は「大体の流れは………」とあやふやな解答をする。

「まず必要なのがマンドレイクの葉。これを1ヶ月の間ずっと口の中に含み続けるんだ」

 説明を始めたのは、ヘキャット先生だった。

「途中で吐き出してしまったり、逆に飲み込んだりしたら最初からやり直し。で1ヶ月間やりきったら満月の夜にこれを瓶に入れて自分の唾液に浸し、これを月光に当てる。………そう。月に雲がかかってたら新しい葉で1ヶ月やりなおしだよ」

 

 青年はヘキャット先生の目をまっすぐに見つめてその説明に聴き入っている。

「無事月光に照らしたなら次は自分の髪の毛1本と、7日間日光に照らされていない露を小さじ1杯と、ドクロメンガタスズメの繭をその瓶に入れる。そしたらこの瓶を暗くて静かな場所に置き、雷雨になるまで誰からも触れられないままに保つ。雷雨になるまでの間はこの瓶を覗き見るとか光を当てるとかしちゃいけない。この瓶の事を考えるのもよくない。そしてそのあいだ、つまり雷雨が来るまでの期間、日の出と日の入りの度に自分の心臓に杖を向けて『動物もどきの呪文』を欠かさず唱える。雷雨が来たら瓶のところに行く。全てうまくいっていたなら赤い水薬ができてるから、広いところに行って『動物もどきの呪文』を唱えてからそれを飲む」

 ヘキャット先生は青年の目を見据えて、説明を締めくくる。

 

「そしたらアニメーガスの、もしくは聖マンゴで残りの一生を過ごす不幸な者たちの仲間入りだ」

 そこまで聴き終えると青年は「『動物もどきの呪文』ってどんなのなんです?」と質問する。

 

「「アマト・アニモ・アニマト・アニメーガス」」

 

 それを同時に諳んじたのはムディワとナツァイのオナイ親子だった。

「杖の振り方とかは?」

「無いよ。この呪文は常に自分の心臓に杖を向けて唱える」

「私もナティも杖じゃなくて人差し指だったけど。まあそれは『ワガドゥー式』ね」

 そこで、そこまで黙って聞いていたシャープ先生が口を開く。

 

「できた薬を飲み干してから『失敗だった』と発覚したらもう取り返しはつかない。これこそが最も避けるべき事態であり、それより前ならいくらでも、極論人生が続く限りやり直せる。である以上は途中段階で不安要素が生じたなら躊躇わずに手順を1から、つまりマンドレイクの葉を摘むところからやり直すべきだ。一連の手順の理論上の最短所要期間は1ヶ月と1日か2日だろうが、実際にはどんなに優秀な者でも数年はかかる。もちろん、何度も1からやり直す羽目になるからだ」

 

 続いてオナイ母子が、自分たちが経験した「1からやり直す羽目になった事態」を挙げる。

「マンドレイクの葉を飲み込んじゃう、吐き出しちゃうは皆必ず何度かやるわ」

「恋人とキスしちゃってやりなおし、ってのもワガドゥーで見たよ」

 あーそっか葉が他人の唾液に触れちゃマズイんだ、と青年が呟く。

「1ヶ月が経って月光に瓶を照らした翌朝から何日も雷雨が続いたせいで、自分に朝晩呪文唱える機会が無くてやり直しって事もあったな。アレは運悪かった」

「暗いところに置いた瓶を見ちゃった、光が当たっちゃった、誰かに触られちゃった、あとそういう失敗をしないか不安で瓶のことが頭から離れなかったからやり直し、って事もあったね」

 

 ウィーズリー先生は青年に、不確定要素を念押しする。

「あんた以外の誰にも、ってのはたぶん肖像画とか動物たちも含むよ。それとこれは知ってるだろうけど、何に変身するのかは選べないからね。………少なくとも、普通は」

 ウィーズリー先生が言外に示したそれこそが最大の不確定要素にして不安要素。今回アニメーガスに変貌するべく試練に挑むその6年生が生まれ持った未だ謎多き「古代魔法」の事だった。

 

「古代魔法を『見る』事ができる者、そのような才能を生まれ持った者は、全ての呪文と特別な関係を結ぶ。動物もどきの呪文だけが例外だと、考えるべきではないでしょうね」

 

 そう言ったのは壁に並んだ歴代校長の肖像画の中の1人、マダム・ニーフ・フィッツジェラルドだった。

 

「ご存知なのですか、マダム・フィッツジェラルド?」

「まあ、皆さんよりは古い時代の人間ですから。ある程度は。ですが―」

 額縁の中のフィッツジェラルド先生は、その青年を見つめる。

「確かな事を言えるのは他ならぬその子自身だけです。そうでしょう?」

 

「僕、何になるんだろうな。ランロクはなんか無理矢理ドラゴンになってたけど、アレたぶん仮に僕がなーんにもせずに見てたとしてもランロク、たぶんあのまま元には戻れなさそうだったな」

 この6年生が考えても仕方のない事を口に出すのは多かれ少なかれ不安を感じている時だけだと、ヘキャット先生とウィーズリー先生、それにナツァイ・オナイも察していた。

 

「ねえ、何になりたいの?」とナツァイがわくわくしているような表情を作って訊く。それはもちろん不安を拭い去ってあげようという気遣いで、質問された青年自身もそれはわかっていた。

「んー………魔法生物の動物もどきって、居るんだっけ?」

「理論上は存在し得るけど、例は知らないね」とウィーズリー先生が言う。

「オナイ先生はアフリカウミワシで、ナッちゃんはガゼル。ナッちゃんのお父さんはキリン。だけど魔法省の登録簿に載ってたのはほとんどがそこらに普通に居そうな動物だった。てことはつまり、その人の血縁的なルーツである土地に棲んでいる生き物が候補って事でいいのかな」

 ぐるぐると考え込み始めた青年に、ナツァイはもう1度同じ事を訊く。

 

「それは有力な仮説の1つらしいけど、でもあなたは何になりたい?もし選べるならさ」

「…………蛙チョコレート?」

 

 校長室に寒々しい空気が流れたが、ヘキャット先生だけは落ち着いていた。

「いいかい、よく聴きな。蛙チョコレートは『体がチョコレートでできてる魔法の蛙』じゃなくて、蛙の形に作ったチョコレートに魔法をかけてあるだけだよ」

 

「そうなの??!!!!」

 

 呆れて何も言えずにいる一同の中にあって、「あれってああいう生き物なんだとばかり」と呟いている当の青年だけが心底驚いた様子で目を見開いていた。

 

「誰よりスゴい奴なのに。誰よりおバカなんだからもう…………」

 

 雷雨が屋根を鳴らす真夜中のホグワーツ、その天文台で傍らの娘がそう呟いて急にクスクス笑い始めるのを見たムディワ・オナイも、他3名の教授たちもその場に集った皆が、お互い同じ日の同じ場面を思い起こしていた事を察してナツァイと同じようにクスクス笑い始める。

「ミスター・ウィーズリーもそうだが、その場の思いつきで材料を大鍋に投入する事がどれほど危険な行為か、どうすれば真の意味で心から認識してもらえるやら………」

 シャープ先生が眉間にシワを寄せてそう言うと、ウィーズリー先生が「悪いねいつも……」と申し訳無さそうに苦笑した。

「でもでも、私が魔法薬学のN.E.W.T.クラスに進めたのって半分はギャレスのお蔭だよ」

「そうなのかい?」

 庇うようにそう言ったナツァイに、ウィーズリー先生が訊く。

「ギャレスの説明って、なんていうんだろ。『自分にもできるかも!』って気持ちにさせてくれるんだ。めっちゃ褒めてくれるし。で、ギャレスに見てもらいながらやればうまくいくんだけど、その後1人でやったら全然うまくいかなくて、サチャリッサに助けてもらったんだ」

 

 魔法薬学に取り組む意欲を持たせる事はギャレスが誰より上手だったが、魔法薬学の天才でない人間にわかりやすく噛み砕いて説明するのはサチャリッサの方が上手なのだった。これは、直感型の思考回路を持っているギャレスとひとつひとつ丁寧に理論立てて新しい薬を作り出すサチャリッサという2人の研究プロセスの違いでもあった。

 

「あの子は、どうだい?」

 そう訊いたヘキャット先生の言う「あの子」が誰のことかなど、聞き返さなければ察せないナツァイではなかった。

「教えるのはサチャリッサと同じくらい上手だけど、やってることはギャレス以上に全く参考にならない。だってアイツこないだマンドレイクに声の大きさで勝とうとしてたんだよ?」

 

 初耳の奇行に揃って天を仰ぐ3人の教授と、何故かひとりだけ楽しそうに笑っているヘキャット先生を見ながら「やっぱ言っちゃマズかったかな」などと考えているナツァイが居る天文台の遥か眼下。ホグワーツ城に隣接する湖の縁に、その青年は防水呪文を使うのも忘れて立っていた。

 その手に握られた瓶の中の赤い液体を見つめる青年もまた、1年前にナッちゃんから教えてもらった「成功した時に起きること」を思い出している。

 

「まず、すごく痛い。そして不快。これは自分がこれから変身する生き物の鼓動を心臓が刻み始めた事によるもの。そして、これは当てはまらない人も居るみたいなんだけど………自分が何に変身するのかを『見る』。白昼夢というかヴィジョンというかなんというか。とにかくそういうのが見える。そして、そのまますぐに変身『してしまう』。このアニメーガスになった瞬間の、人生最初の変身だけは自分の意思でなく強制的に行われる。それと、いい?失敗だろうが成功だろうが、瓶の中身を飲み干したらもう元には戻れないんだからね。この魔法の効果を取り除く方法は無い」

 

 その説明を受けながら「今もっかいハグしていいか訊いたら怒られるかな」とか考えていた事を、青年はつい先程の事かのように鮮明に思い起こせた。

「いい?『その時』は、とりあえずある程度の深さと広さの水辺には居るべきだよ。魚とかに変わるかもしれないんだから」

 1年前のナツァイが心配そうに自分を見つめてくれぐれも注意深くねと念押しするその綺麗な目を脳裏に浮かべながら、青年は雷雨が鳴り響く中で杖を取り出し、自分の心臓に向ける。

 

「アマト・アニモ・アニマト・アニメーガス」

 

 そして、瓶の中の赤い液体を一息に飲み干した。

 

 その瞬間これまでの努力とやり直しの日々が高速で脳裏を巡り始めて「死」という単語すらもが青年の心によぎる。―僕失敗したの?!どうせならもっと面白い死に方がよかったな!フィグ先生がお花畑の向こうから手を振っている!おーいフィグ先生!あ、ミリアムさんはじめまして!

 

 マンドレイクの葉を興味本位で食べてみた事でまず最初の失敗。その後も何度か思いがけず葉を飲み込んでしまって失敗。天候の巡りのタイミングが合わず失敗。どーしても瓶が無事かが気になってしまい念の為にやり直し。呪文を噛んでしまいやり直し。

 そんなこんなで6年生の内に成し遂げることはできず、夏休みの間も取り組み続けたもののファスティディオが瓶の中を覗いてしまったり、そういえば何も説明してなかったペニーが瓶を綺麗に洗ってしまったりといった事が続いて夏休みは終わって7年生となりブラック校長の髪を入れたポリジュース薬を飲む時も、2日前の「特別試合」の後で吐いちゃった時も。去年の挑戦開始早々に「舌の裏に葉をしまう」という画期的な発明をしていなければ失敗していただろう。

 

「…………ん?あれ?君たち道案内してくれるのかい?」

 

 気づけば青年はホグワーツへの編入許可書をフクロウが届けてくれるまで住んでいた場所、ロンドンの地下に広がる下水道網の中に居た。

 目の前にわらわら集まってきたのはその頃色々助けてくれていた覚えている限りでは人生最初の友達、数限りないドブネズミたちだった。

 

「あ、そっち、わかった」

 

 当時着々と大規模に再構築されて人が入り込む余地がなくなっていたロンドンの下水道網だったが、この青年は同じように下水道に入り浸ってそこに流れ着いている金目のものを漁って生きている者たちとは違い、いつも使っている出入り口が突然封鎖されていた経験どころか道に迷うことも急に上がった水位に飲まれることもネズミに敵意を向けられることも、どころか擦り傷を負った事も無く病気どころか痒くなった事すら無かった。それは今にして思えば未就学年齢の魔法族によく見られる「無意識に依る魔法」だったのだろうと推察できたが、当時は疑問にも思わなかった。

 

「うお、でっかい蛇。どっから来たんだい?」

 

 記憶の中の下水道をネズミたちの後を追って進む青年はボアコンストリクターとすれ違って挨拶するが、進む方向が違ったのでそのまま通り過ぎる。

 

「あ、今度はそっちに曲がるんだね。…………うわあの噂ホントだったのか」

 

 ネズミたちが避けた方の分かれ道の先から大きな醜い豚が睨んでいるのを見た青年はたじろぐ。当時のロンドン下水道網には「紛れ込んだ豚が繁殖している」という真偽不明の噂があったのだ。

 

「ん?あっちに行けばいいの?ありがとね」

 

 下水道の出口に辿り着いた青年がドブネズミたちに促されるまま下水道から這い出て月光に照らされたそこは、テムズ川の岸、イースト・エンドにあるロンドン塔の敷地内だった。

 

「わあ、すごいすごい!きみ綺麗だねえ!」

 

 茂みから出てきた純白の孔雀を柄の間眺めていた青年だったが、一瞬目が合ったその孔雀は羽ばたきながら地面を蹴って向こうの方に去っていってしまった。

 

「えー。嫌われちゃったのかな………」

 

 そう言った青年の耳にロンドンという街のランドマーク、ウエストミンスター宮殿の時計塔、通称「ビッグ・ベン」とも呼ばれる鐘の音が響いてくる。

 そして時計塔の方を見ようとした青年は、そこに居た生き物に見つめられている事に気づいた。

 

「アイツ大丈夫かな………大丈夫だよね」

 心配で心配で仕方ないナツァイは天文台で祈り続けている。そんな娘に占い学教授のムディワ・オナイが優しく寄り添うのをシャープ先生が見つめ、ウィーズリー先生とヘキャット先生はどこ見るでもなくただ待っている。

「きっと大丈夫よナティ。大丈夫」

 

 ナツァイ・オナイは、いつの間にやら雷の音が止んでいる事と、さっきまで豪雨だったのが今では霧雨に変わっている事に気づいて、顔を上げる。

 しかしやはり不安になってしまい母の顔を見ると、ムディワ・オナイは何かを見つめていた。

 ヘキャット先生もシャープ先生も同じ方向、天文台の端の柵を見つめている。

 

「目の色が、あの子がよくつけてるバカなデザインのメガネと同じだね」

「……身につけている物が体表面の模様などに反映される例があると、読んだ事はあったが」

 そしてナツァイ・オナイは、柵の上に佇むその生き物と目が合う。

 

「gunguwo……! zvakaisvonaka gunguwo………!!」

 興奮気味にそう呟いたナツァイに、母親が優しく声をかける。

「そうね。すごく立派なカラスだわ………」

 

「ワタリガラスとは!確かにあんたらしいね。なんでもかんでもすぐ口に入れる。変なもの拾ってくる。賢くて、なのにどこかすっとぼけてて、そして、翼を広げてどこにでも行ける」

 ヘキャット先生はそう言って満足そうに微笑んでいる。

 

 オレンジと緑の目をしたその大きなワタリガラスは嬉しそうに一声啼き、翼を広げて飛び上がるとすぐにその姿をスルリと滑らかに一変させる。

 

「褒めて!!」

 

 天文台に降り立った7年生の女生徒は、そのままの勢いでナツァイ・オナイに抱きついた。

「よかった………うまくいってよかった………おめでとう」

「ありがとねナッちゃん。でも、なんで泣いてるのさ」

「安心……しちゃって………」

 

「変身術の課題としちゃ最高峰の難易度だ。だからあんたに100点やろう。1年で成し遂げる奴はそうそう居るもんじゃないよ」

 ウィーズリー先生もそう言って嬉しそうに笑っている。

「魔法薬学の課題としても、もちろんこれ以上のものは無いと言っていいだろう。単に薬を作るだけではない、複合的な実践力を証明したな。私からも100点だ」

 そう称賛していつになく優しい視線で女生徒を見つめるシャープ先生に、占い学教授のムディワ・オナイが気持ちを切り替えてから声をかけた。

「私とウィーズリー先生は校長に報告してくるわ。それにこの2人は寝なきゃ」

 

 抱き合ったままぴょんぴょん飛び跳ねて笑っている2人の7年生は、ヘキャット先生に声をかけられるまでの数分間、そのまま星明かりに照らされ始めた天文台でくるくると喜び続けていた。

 

「ねえねえナッちゃん、今日一緒に寝よ!ほら、もうそんなに場所取らないからさ!」

 天文台から階段を降りてグリフィンドールの談話室へと向かう2人は、まだ興奮気味だった。

「そんな頻繁にホグワーツで変身しちゃダメって母さんに言われたよね?……私達が避けなきゃいけない事が何か、わかってる?ヘキャット先生になんて言われたんだっけ?」

 

「『下級生の前で変身をひけらかして、それで下級生が興味持って勝手にやろうとして、挙げ句にその下級生が取り返しのつかない失敗をする事』うん。ちゃんとわかってるよ。でもさ!」

 

 それでもやっぱり嬉しさが溢れて止まらないんだよ!と言った女生徒はスルリとまたワタリガラスに変身して、ナツァイの腕の中に収まる。

「もう。しょうがないヤツだね、あんたって」

 微笑みながらそのワタリガラスを抱きとめたナツァイは、次の瞬間蒼い顔になって硬直する。

 

「なにそれなにそれ!すごいすごい!すごーーい!!おねーちゃんたちそれどうやったの?!」

 

 就寝していたもののトイレに行きたくて目が醒め、談話室から抜け出て廊下を歩いていたら道に迷ってしまった小さなハッフルパフの1年生の女の子が、全身から湧き上がる爆発寸前の好奇心をその目に宿して、眩い笑顔を煌めかせていた。

 

 




動物もどきになる方法は公式設定に基づく。ただし「よくある失敗例」は私の妄想によるもの。

ショナ語はジンバブエの公用語の1つ。ただオナイ母子の第一言語かは不明。
Mhoro Ndingakukumbundira here?「やあ ハグしていい?」
Nhasi kuri kupisa「今日は暑いね」
gunguwo zvakaisvonaka gunguwo「カラス、綺麗なカラス」
該当部分なんとなくで読み飛ばしても問題無いように書いたけど一応。

Q.なんでレガ主が動物もどきに?
A.遅かれ早かれなりたがるだろうと思ったのと、仮にゲーム本編に実装されていたらプレイヤーみんなこぞって自分のキャラを動物もどきにしたんだろうな、と。

Q.なんでワタリガラス?
A.「『守護霊呪文で出てくる動物』に含まれる」「魔法生物でない」「ハリポタ本編に出てくる動物もどきと被らない」「ハリポタ本編に出てくる動物」「ロンドンに縁のある動物」「強すぎない動物」「妄想広げる上で便利」「イギリスに居る動物」「稀少過ぎない動物」「ポピー・スウィーティングが持って歩ける動物」………とか考えてたら行き着きました。解釈違いだ!って人も居るだろうけど許してほしい。

今後の話では、そんなに頻繁には変身しない。………たぶん。
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