2年後もしくは106年前 作:requesting anonymity
魔法薬学の、一部の1年生向けの「特別追加教室」に何故か参加したダンブルドア少年は、これから午後の最初の薬草学の授業に出るため皆と共にガーリック先生の待つ温室に向かう。一方7年生たちは各々の授業に出るべく各々の方向に解散しようとしている。
「ねえねえ、ギャレスたちは次は何の授業なの?」
グリフィンドールの女の子に背後から質問を投げかけられて、ずっと着ていたニフラーの仮装を既に脱ぎ終えて移動を始めようとしていた7年生たちは束の間動きを止めた。
「僕とマルフォイは錬金術。サチャリッサとアミットは数占い。で―」
「僕はお出かけするんだよ!」
元気いっぱいに宣言したその女生徒にダンブルドア少年は訊く。
「お出かけって、どこに行くんです?」
「グリンゴッツさ!ちょっと用事があってね……アルバスも来るかい?」
「いや僕は授業があるんで……」
「えぇー……一緒に行こうよぉアルバスぅ………」
その瞬間、ギャレス・ウィーズリーが誰よりも早く鋭敏に感づいたその女生徒の機微にダンブルドア少年も一瞬遅れて気づけたのは、彼が、幼い弟と妹が自分の目の前で今のこの先輩と同じような表情になってしまった経験が何度もあるからだった。
(あ、これはこっちが今すぐに譲歩してあげないと泣くやつだ)
「ギャレスは……」
「僕も授業があるんだよ?」
「サッちゃん……」
「私だって同じよ」
「………マルフォイ……」
「いくらお前の頼みでも錬金術の授業を欠席はできない」
「……………アミット………」
「僕も授業に出なきゃいけないから……ああもう泣かない泣かない」
誰よりも頼りになるのに時々信じられないほど振る舞いが幼くなる首席の女生徒を、あろうことかボロボロと涙を零し始めたその友人を困惑する素振りすら見せずに慣れた様子で慰めている7年生の先輩たちを、その場の1年生皆が不思議な表情で見つめていた。
「で、私に一緒に行って欲しいんだ?」
天文学の教室がある棟の、天文台の下の階。呪文学の教室に繋がる扉の傍の共同スペースで読書をしていたポピー・スウィーティングが同級生の友人たちに言い、アミットが皆を代表して謝る。
「本当にごめんポピー。その場に居ない人間に押し付けるなんてするべきじゃないのに」
「……ん?みんなだって、授業さえ無かったらコイツと一緒に行きたいでしょ?」
皆に厄介事を丸投げされたと言っていいこの状況を、「大好きな友人と2人きりになれる機会」と極めて前向きにポピーは受け止めていた。
「つまり、今回は私がコイツを独り占めできるって事だよね?」
「……まあ、そういう捉え方もできるが。本当に良いのかスウィーティング」
「ええ。皆と違って私は次が空き時間でその次も魔法史だし、コイツと居たほうが有意義よ……。そういうわけだから、一緒について行ってもいい?」
「ポピーちゃん大好き!!!」
大喜びして飛びついてきた友人を、ポピーはパフスケインでも愛でるかのように抱きしめた。
「で、どこに連れてってくれるの?」
「………ハニーデュークス」
「違うだろう?」
ギャレスが笑いながら指摘し、女生徒はポピーに抱きついたまま「グリンゴッツ」と呻く。それに続いてポピーが「ハニーデュークスに寄る時間はあるの?」と訊ねる。
「………ポピーちゃんめっちゃいい匂いする……あったかい……やらかい……すき……」
流石にちょっと恥ずかしくなってきたポピーに、ギャレスは言う。
「目的地はグリンゴッツだけど、君が今から行くのはダイアゴン横丁じゃない。けっこう遠いから、帰りならともかく行きで寄り道させちゃだめだよ」
「わかった………コイツの授業は?」
「ホントは今から錬金術でその次は魔法史。だけど更にその次の魔法生物学にしか出席できないと思うし、その予定で外出許可を取っといたから、まあそのくらいの時間には帰ってきてね。今回のグリンゴッツ行きはコイツの気まぐれじゃなくて向こうからの要請だから外せないんだ」
そのやり取りを傍で聞いていたポピーと同じハッフルパフのエヴァンジェリン・バーズリーはそんな2人を見て「親?親なの?」と言いながらクスクス笑っていた。
そして友人たちが各々の授業を受けるために解散していった後で、ポピーはまだ離れようとしないその女生徒に言う。
「じゃあ、連れてってくれる?」
「わかった。ついてきて」
どこかしらからの煙突飛行で行くのかと思っていたポピーがまだしょげ気味の女生徒に手を引かれて連れてこられたのはハッフルパフの談話室の真上。温室の傍の屋外だった。
どうやって移動するのかを察して嬉しくなったポピーは、女生徒に話しかける。
「ねえ、皆が意地悪したんじゃないって事はアナタも判ってるでしょ?」
女生徒は頷く。
「じゃあ、元気出してほしいな。だってこれから私と2人きりなのよ。嬉しくないの?」
数秒硬直した女生徒は、自分の頬をバチンと両手で叩いた。
「さ、行くよハイウイング!」
空中が火を吹き、不死鳥と共にその純白のヒッポグリフが姿を現す。
「ハイウイングはポピーちゃんを運んであげてね!」
「アナタは?!」
ポピーがそれを聞いて戸惑いを全身で示すが、女生徒は飛来した不死鳥を抱きしめて頬擦りしながら得意気に宣言する。
「僕は自分で飛びます!遠くまで飛ぶ練習がしたいので!」
そう言った女生徒がスルリとワタリガラスに姿を変えた事で、ポピーはその意図を理解した。
「さあ征くぞう!」
わざわざ一旦ヒトの姿に戻ってからそう宣言した女生徒も、ポピーも気づいていなかった。しかしポピーを背に乗せたヒッポグリフのハイウイングと、傍らでホバリングしている不死鳥は気づいていただろう。そしてこの5年後に生誕し魔法史上に名を刻む魔法生物学者となるニュート・スキャマンダーも、ダンブルドア校長にこのエピソードをここまで聞かされて即、その事に気づいた。
セストラル、という魔法生物が居る。骨と皮だけの暗い色の馬に大きな蝙蝠の翼が備わった姿のこの美しい生き物は、1993年に生産が開始される名高い競技用箒「ファイアボルト」の時速240kmという公称速度を超える速さで飛行することができる。そしてヒッポグリフも、セストラルに対して飛行速度が大きく劣るという例は記録されていない。
一方、カラスの飛行速度は平均して時速10から20km程度であり、際立って速く飛ぶ個体でも時速50kmほどがせいぜいである。つまり。
「アイツ見えなくなっちゃったんだけど、いいの?」
ポピーは心配そうに後ろを振り返りながら、自分が乗るハイウイングと並んで飛んでいる不死鳥に訊ねる。彼我の速度に10倍の差がある以上、そうなるのは当然だった。
「ねえ。ちょっと待ってあげよう、ハイウイング」
ポピーの意を汲んだヒッポグリフと不死鳥が、空の上でホバリングして待つこと約10分。
魔法生物の偉大さをその身で再確認したであろうワタリガラスが、ポピーの視界にやっと映った。
「あ、来た来た。ジタバタ飛んでるなぁ……」
まだ豆粒のようなサイズにしか見えない距離に居るのに、その友人は今ワタリガラスの姿になっているのに、ポピーには表情までわかるような気がした。
そしてそのワタリガラスは、今日もまた軽率に無茶をする。
「え、嘘!」
いきなり消えたと思ったら目の前に現れたワタリガラスを見ながら、ポピーが目を丸くしている。
「動物もどきって、変身したまま『姿くらまし』できるの?!!」
思わずそう言ったポピーの脳内では唐突に現れたグリフィンドール寮所属の友人ナツァイ・オナイが「いやいや無茶言わないでよ」と呆れている。
「なんか………やってみたらできた………」
不死鳥の優美な鉤爪で首根っこ掴まれたままヒトの姿に戻った女生徒は自分でやっておいて驚いているらしく、若干放心状態だった。
「きみたちってすっごく速かったんだねハイウイング……」
ゼエゼエと肩で息をしている女生徒を、ポピーが気遣って労う。
「……可愛く飛べてたよ」
「ありがとう……」
褒められてないと察しつつも嬉しかったらしい女生徒は、またワタリガラスの姿になってポピーの膝の上に飛び移る。
「えちょっと何々なになになになに」
ホバリングし続けるヒッポグリフのハイウイングの背の上で、そのワタリガラスが自分の服の中に入り込もうとし始めてポピーは狼狽える―しかしそれは恥じらいからではなかった。
「アナタ、アナタねえ!自分のサイズ、ニフラーの赤ちゃんくらいだと思ってるでしょ!アナタ、そこまでコンパクトじゃないのよ?!アナタはすごく立派なワタリガラスなの!」
自分の着ているハッフルパフ寮カラーの制服の襟首から嘴が覗き、すぐ満足げなワタリガラスの顔全体が出てきたのを見下ろして、ポピーは「あんまり動かないでね?」と言いながら笑っていた。
「待たせてごめんねハイウイング。出発しましょ」
ポピーの声に応えてそのヒッポグリフは再び大きく羽撃いて空を進み始め、不死鳥も傍らに並んで飛ぶ。そしてワタリガラスの体温を感じながら、ポピーは重大な事を思い出した。
去年の魔法生物学で習ってナツァイと一緒に背筋を凍らせたその事実を。
「ねえ、個人が勝手にヒッポグリフを移動手段にして空を飛ぶのは国際魔法使い機密保持法で明示的に禁止されてる重大な違反行為だって、アナタ覚えてるのよね?!!」
グアー、と楽しげに啼いたワタリガラスをよそに、ポピーは慌てる。
「私達、今!法律違反!!………なんでそんなに嬉しそうなの?!」
ワタリガラスの姿をしている友人のみならず、すぐ側を飛んでいる不死鳥まで楽しそうに歌い始めた事でポピーの焦燥と混乱は困惑に変わり、すぐに諦観に変わった。
「……まったくアナタたちったら………大丈夫なのね?心配いらないんだよね?」
不死鳥の歌に魔力があるからか、それに合わせて騒がしく啼くワタリガラスの声が幸せそうだからか、ポピーはハイウイングの翼が風を切る音を聴いている内に、すぐに楽しい気持ちに戻った。
そして不死鳥が唐突に大きく高度を上げ、ハイウイングがそれに続いて雲をの中を突っ切る。
「ぶあ!わー、びっしょびしょ!『防水呪文』やっとけばよかった!」
全身ズブ濡れになりながら楽しそうに笑っているポピーを乗せて飛ぶハイウイングの真っ白な羽は水を弾き、昼下がりの陽光を反射してキラキラと光っているようにすら見えた。
ポピーとその服の中のワタリガラスを乗せたヒッポグリフと不死鳥はお互いを追い抜いたり追い抜かされたりしながら飛び続け、遂には向こうの方に海岸線が見えてくる。
「え、ちょ。わあ!」
服の中から急に抜け出してヒトに戻った女生徒を見て、ポピーが目を丸くした。
「ラッカム先生が言ってたとおり。…………こんなところにあったんだね」
そう言って「姿くらまし」してしまった女生徒を追ったのか、不死鳥も空中で消える。
それに続いて急に高度を下げ始め更に加速したハイウイングの背で、ポピーはこの美しいヒッポグリフが何を感じ取ったのか解らず、危険が迫っていたりするのだろうかと一瞬考えた。
しかし、その場所に着陸して、一足先にそこに居た青年の表情を見て全てを察する。
ハイウイングも不死鳥も、この友人をこの場所で1人きりにさせないために急いだのだと。
「2年前、ここに来たんだ」
着陸したハイウイングの背から降りるポピーを横目に見ながら、青年は語る。
「ドラゴンに襲われて、ポートキーだった鍵で飛んだ先がここ……正確にはあっちの、海岸線の崖っぷちの隅の、奥まったところだった。そこからこの廃墟が見えて、『ああ、ポートキーの目的地はあそこみたいだな』って話になって、一緒にここまで来たんだ」
ポピーは反射的に、その背の高い青年を抱きしめた。抱えて、支えてあげなければ砕けてバラバラになってしまうような気が、ポピーにはしていた。
「だから、さっき皆にわがまま言ったんだよね?」
「……うん。ここに1人で来たら、たぶん僕動けなくなっちゃうから」
海岸線からすこし沖に出た波間に突き出ている断崖絶壁の廃墟の上で、ヒッポグリフのハイウイングもその青年の傍に寄ってきて顔を近づける。
そして、どうやら珍しく気を遣ったらしい不死鳥によって、そのホーンド・サーペントもまた青年の傍に現れ、太く長い胴で包み込むようにポピーとハイウイングの更に外側から青年を囲う。
「やあ、エリエザー……。ありがとね………いったい!何すんのさ!」
唐突に頭を啄かれて、青年は不死鳥を睨む。
「痛い!痛いいたい!ごめん!元気出す!元気出すから!そうだよね、みんな居るもんね!君たちだって居るもんね!いったい!ごめん!ありがとね!」
ガツンガツンと何度も容赦なく啄かれて頭から血を流しながら、青年は笑顔に戻った。
「で、ここはなあに?……グリンゴッツに行くんだよね?」
「ここね、ラッカム先生のお家なんだ。まあ『たぶん』だけど……そういえばそもそもポピーちゃんにラッカム先生の話をちゃんとした事ってあったっけ?」
青年にそう言われたポピーは「やっと気づいたの?」と言って笑う。
「名前はアナタから何度も何度も聞いてるけど、誰なのかを説明してくれた事は一度も無いよ」
「あっ………そうだっけ……ゴメンねポピーちゃん……こっち来てこっち。これ見て」
廃墟と言うべきか遺跡と言うべきか判断に迷うその場所にあって、青年が指し示したその壁は、在りし日の姿を比較的仔細に保っていた。
「レリーフ?この人がその「ラッカム先生」なんだね?」
「そう。この壁画というか彫刻というか、この左の、1人でトランプして遊んでる寂しそうなおじーちゃん居るじゃん?これがラッカム先生。何百年か前のホグワーツで占い学の先生してた人で、ポピーちゃんをまだ連れてった事無いホグワーツのお部屋に肖像画があるんだよ。先生たちが許してくれたら今度案内してあげるね!」
「それは楽しみだけどさ。このレリーフ『1人でトランプしてる寂しいラッカム先生』じゃなくて『タロット占いしてるラッカム先生』なんじゃないの?」
そう言いながら横を見たポピーの視界に飛び込んできたのは、目をまんまるに見開いて口を大きく開けたまま停止している青年の間の抜けた顔だった。
「ぁあ………そっかぁ……そうだねぇ……ポピーちゃんは賢いねえ……」
完全に思考の外にあったらしいその提言を受けて、青年は目から鱗が落ちたらしかった。
「……僕てっきり『ここに住んでた頃のラッカム先生は皆と疎遠になっちゃってたのかな』って」
「そうだったとして、なんでそれをわざわざ壁に彫ってまで後世に残すのよ」
相変わらず鋭い時とニブい時の差が激しい友人を見ながら、ポピーはクスクス笑い続けた。
「………。ポピーちゃんは賢いねえ……」
これが例えば一昨年までのマルフォイやノットの発言だったなら、わざと嘲るような事を言って嗤っているという可能性も大いにあった。しかしこの友人が誰かを愚弄するような冗談を言う人間ではないという事をポピーはよく知っていた―だからこそ仲良くなりたいと思えたのだから。
つまりこの外見すらも日々気まぐれに変わる友人は、本気で今日までずっとこの壁の浮き彫りを「一人寂しくトランプで遊んでいる」と解釈していたのだ。
「あっ!!」何かに気づいたらしいその青年が大きな声を出す。
「だからあの時フィグ先生、『この建物の持ち主は占い師』って言ってたんだ!あー、そっか!」
「なんだと思ってたの?」
ポピーがクスクス笑いを制御できなくなりながら苦しそうに訊く。
「フィグ先生にしかわかんない何かがあるんだろうなぁ……って。……そんなに笑わなくてもいいじゃんポピーちゃん……」
「だってアナタ可愛いんだもん。ねえちょっとこれ咥えてみて」
「赤ちゃん用のおしゃぶりじゃん……なんでこんなもん持ち歩いてるんだいポピーちゃん……」
「パフスケインの赤ちゃん用だよ。何か口に入れてないと落ち着かない子、たまに居るでしょ?」
「ああ、居る居るそういう子。僕はニンジンとかあげてるけどそうか赤ちゃん用のおしゃぶりか」
実用的な良いアイデアを貰ったと思った青年は、数秒遅れて理解する。
「で、これを僕が咥えればいいんですか」
「うん!似合うと思うんだ!」
輝くような笑顔に圧されて、青年は促されたとおりにする。
「………満足かいポピー」
「すっごくかわいい!アナタやっぱりパフスケインの赤ちゃんなのよ!」
興奮のままにとんでもないこと口走ったポピーの暴走はその後もしばらく続き、数分して正気に戻った時にはグリンゴッツに到着しているべき時刻がすぐそこまで迫っていた。
「なあにポピーちゃん。どしたの急に?」
高揚感と興奮状態の中にあって唐突に自分を客観視できてしまった結果急速に恥ずかしくなりつつあるポピーは、赤ちゃん用のおしゃぶりを未だ咥えたままで器用に普段どおり喋る青年に真っ直ぐ見つめられて、どんどんその顔を紅潮させていく。
「ごめん……なんか私…………興奮しちゃった……」
「……衣装用意しとくからまた今度着てねポピーちゃん」
それが「口止め料」だと、ポピーはすぐに理解してこっくりと頷く。
「さ、そろそろグリンゴッツに行かなきゃ……こっちだよポピーちゃん。ついてきて」
ポピーの手を引いて、青年はその断崖絶壁に立つ遺跡の崩れた壁の外側、数歩踏み外せば海に転落する崖っぷちを進む。
「さ、ここ。この壁。…………一応これ訊かなきゃね。『何が見える?』」
どこからどう見たって単なる壁だが何か期待されているのだと、ポピーは一見普段どおりにしか見えないその青年の微笑みから察して、どう答えてほしいのかなと考えを巡らせる。
そしてじっくり数分考えたポピーはその壁から視線を外して、隣に立つ青年を見つめた。
「もしかしてアナタには、グリンゴッツが見えてるの?」
その問いかけは青年にとって、仄かに期待していた答えよりも更に嬉しいものだった。
「……ポピー、僕の真似して。この壁に触って」
壁に片手を近づけ、しかし指先すらも触れはせずに翳したままそう促す青年の、急に不思議な落ち着きを宿したその声色にドキリとさせられながら、ポピーはすぐ言われたとおりにする。
「え、あれ?!」
体験したことがない種類の移動方法に戸惑うポピーの横で未だおしゃぶりを咥えたままの青年に、そのゴブリンは恭しく挨拶をした。
「私共の都合で御足労いただきましたこと、まず謝罪と感謝を申し上げます」
「気にしないで。そもそも僕が無理言ったのが発端なんだから。ごめんねぇ血縁でもなんでもないし客観的な証拠も無いって言っていいのに『僕が後継者です』なんて無茶言って」
そう言われたそのゴブリンは、急に慇懃な態度をやめて、ニヤリと笑った。
「大変だったぜぇ?なにせ金庫の正式な持ち主は何百年も前に死んでて、遺言だけに従ってるんだからな。しかも指示がやたらめったら具体的。それはつまり『該当しない事象に対処できない』って事だ。利用者様のご意思が第一だっつってんのにその『利用者様のご意思』がわかんねえときてんだ。遺ってる指示を全部浚って、お前さんの主張が正統なのかを確かめなきゃなんなかった」
ゴブリンは、そこで急に眉間にシワを寄せて「心底不愉快だ」と全身で表明した。
「その助けになったのが、ランロクとそれに従うゴロツキどもが調べてた内容だ」
「……きみのお父さん。ここの、今きみがしてる仕事の前任者ね。1回しか会った事ないけど、すっごく優しそうな人だった。僕、友だちになりたかった」
この年若いゴブリンと、自分の友人が随分気安い関係らしいのを見て、ポピーは気になった事をそのまま2人に問いかける。
「2人は、その。友だちなの?」
その問いに対して真っ先に口を開いたのは、当の年若いゴブリンだった。
「コイツは俺の代わりに、親父の仇を討ってくれたんだ。2年前―いやまだギリギリ『1年前』って言ったほうが正確か?―とにかくあの日。日刊予言者で『ランロク死亡か』って記事を見て。知り合いに片っ端から連絡して、どうも事実らしいと理解して。知らねえ種類の涙が出てきたもんだ」
「彼のお父さんが、彼が今してるこの職務の、前任者なのさ。それでその人は2年前、僕とフィグ先生の目の前でランロクに殺されたんだよ。あの人は僕らを守ろうとしてくれた。ランロクを説得しようとしてた。なのに僕、何もできなかった」
青年はゴブリンを見、ゴブリンも青年を見る。それはたった数秒だったが、無言の中にいったい幾つの言葉が含まれていたのかはポピーには想像することしかできなかった。
「で、さ。つまり僕の望んだ通りになるんだよね?その、12番金庫の所有権」
「先週だ。その『元の持ち主の指示』を記録した羊皮紙に、新しい項目が顕れた。今から俺がお前にその項目に従って質問をする―」
そしてゴブリンは、また「グリンゴッツのお客様担当従業員」の笑顔と口調に戻る。
「―では、12番金庫の鍵は私共が保管しておりますからその代わりに。『杖はお持ちですか?』」
「あるよ。これのことでしょ?」
青年はあっさりとその質問の意図を察して、1本の杖を取り出して見せた。
「確かに。まさにその杖です。―ゴブリンの銀……でもないな。なんだこりゃ?『木製の杖を見せてきたら追い返せ』『ゴブリンの銀製だったとしても追い返せ』『全く未知の材質だったら良し』って指示なんだが……マジで何でできてんだこれ」
「この杖は僕の身分証明書みたいなもんなんだよ。あ、これ誰にも言わないでね」
「誰にも言っちゃダメな事は、俺にも言っちゃダメだったんじゃないか?」
年若いグリンゴッツのゴブリンから当然の指摘を受けて、しかし青年は鷹揚に笑う。
「フィグ先生が望んだ事で、僕もそうすべきだと思ったからね。つまり、僕らはもっと、信頼できる相手を信頼するべきなんだよ。助けてほしい時は頼る。知らせることで守りが強固になるなら伝える。隠して守るだとか、完全に秘密にし続けるってのはどっかで限界が来るからね」
その言葉を聞いて、ゴブリンは雷に撃たれたような表情になる。
「……つまりお前さんは、この俺を信頼してくれるのか?」
「ん?だって友達だろう?」
そこでやっと脳が情報を処理し終えたらしいポピーが、大きな声を出した。
「ねえ待って、12番金庫って言った?『12番』?古い純血家系の金庫でも600番とかなのに?」
「そうですよ。こちらはグリンゴッツの『12番金庫専用受付』で、わたくしめはその専属職員です。こちらへどうぞ……指を無くしたくなかったら、トロッコの外に手を伸ばしたりしない事」
ポピーと青年はそのゴブリンの後についていき、不死鳥が翼を広げて炎上しホーンド・サーペントのエリエザー諸共姿を消すのを尻目に、指示に従ってトロッコに乗り込んだ。
「12番金庫って、どれだけ古いの?」
「創業者グリンゴットの時代からある最も古い金庫の1つですので、数百年前ですね」
「ポピーちゃんそろそろ息止めてねー」
「ぶわ!今のが『盗人落としの滝』ね?」
「ご存知でしたか」
「噂でだけね!もし私たちが『侵入者』だったら―」
「お察しの通り。『トロッコごと滝壺に』ですね」
そしてトロッコは、少しスピードを落とした。
警備員らしき服装の気難しそうなゴブリンを、青年がじっと見つめている事にポピーは気付く。
「ね、どうしたの?すっごく恐い顔してるよ?」
「……ごめんねポピー。まだちょっと身構えちゃうんだ」
全く説明になっていない青年の代わりに、当のその気難しそうなゴブリンが口を開いた。
「俺は一番古い区画の警備担当で、俺が今やってるこの仕事を前にやってたやつはランロクと繋がってたんだ。で、お前のお友達は直接、害を被ってる。俺だって逆の立場だったら睨むさ」
その言葉を聞いて、青年は何かに気づいたようにスッと笑顔を作った。
「ごめんね。ホントに……でも、きみとは仲良くなれそうな気がしてるよ」
「謝りたいのはこっちの方だ。あのクソ野郎共のせいで俺たちの信用がどれだけ落ちたか……」
何やらブツブツと憤り始めたその警備員のゴブリンは「12番金庫だな?」とだけ確認すると奥の通路へと消えていってしまった。
「すいません。愛想良くするのが苦手な奴なんです。仲間内でもあんな風なので、決してあなた方に悪感情を抱いているわけでは―」
「判ってるさ。大丈夫。彼は良いヤツだよ……」
そして、青年は2年ぶりにその金庫の前へとやってきた。
「前来た時は、『この中でさっきの警備員と闘うのかなぁ』とか呑気な事考えてたなあ……」
また表情が翳り始めた青年の手を、ポピーがそっと握る。
「え何、どしたのポピー」
「手、握ってほしかったでしょ?」
よそでやってくれねえかなと眉を顰めていた年若いゴブリンは、青年と付添いの娘さんが揃って自分を見つめるその表情から意図を察して、ますます眉間にシワを寄せた。
「……俺も???冗談だろ?」
正気かお前らと顔に書いてあるそのゴブリンに、青年は笑顔で語る。
「正直、2年前は僕、ゴブリン族をまるごと敵視してたと言っていい……ほんの一時期だけどね」
「……まあ、お前の身に何が降りかかったかを考えると、そうなって当然だな」
そう言った年若いゴブリンの眉間のシワが、少し薄れた。
「でもねぇ。アーンもガーナフも、通りがかっただけの僕を信じてくれた……あれ嬉しかった。それで気づいたんだよ。危ないヤツもそれに迷惑被ってる善良なヤツも両方居るんだって。それは魔法族もゴブリンも同じなんだって。あたり前のことなのに忘れてたんだ」
そのゴブリンは、少し躊躇ってから、青年が差し出したその手を握った。
「親父の事、覚えててくれてありがとな」
「きみのお父さん、僕とフィグ先生を見てさ。『夢じゃないよな?』って言ったんだよ」
「もしかして居眠りしてたか?」
「してた。僕らが目の前に居るのが現実だって気づいた時の笑顔がすっごくステキだった」
「親父はいっつも言ってた……グリンゴッツで働ける、それも一番古い区画の金庫の専用職員なんて名誉な事だしずっと座ってるだけで給料貰えるなんて最高だがいくらなんでも暇過ぎる、って」
「あー。僕とフィグ先生が行くまで何百年も誰も来なかったんだもんね……そりゃまあ寝るよね」
そんな話をしながら繋いでいない方の手に握った鍵で金庫の扉を開けた後で、そのゴブリンは訊いてもいいのかそっとしておくべきかずっと悩んでいた事をとうとう訊ねた。
「で、お前なんだってそんなもんずっと咥えてんだ?悩みがあるなら聴くぞ?」
ポピーが一気にまた真っ赤になって視線を逸らすのを、青年はクスクス笑いながら見ていた。
魔法生物の飛行速度
ホグレガのゲーム内では「強化無しの」箒と同格ですが、アレはどうもゲームバランスの都合か、ハイウイングとカリゴとセプルクリアが気を使ってゆっくり飛んでくれてるかのどっちかだと思われます。というのも原作「不死鳥の騎士団」において、その時点で既に時速150マイル(240キロ)の競技用箒ファイアボルトを乗り回していたハリーがセストラルの背に乗って飛ぶ際「箒に乗ってこんなに早く飛んだ経験は無い」と述懐しているためです。
つまり「最高速の箒よりセストラルの方が速い」と両方に乗った人間が体感しているわけです。
なので速度は セストラル≧ファイアボルト で、セストラルは時速240キロを超える速度で飛べると推測できます。(カラスの飛行速度は本文に書いた通り平均10~20km、際立って速い個体でも時速50km程度。ワタリガラスもここに一緒くたにしていい程度の飛行速度)
で、「アズカバンの囚人」でハリーはバックビークに乗った事があり、その経験があってもなおセストラルの飛行速度に驚いているので、セストラルとヒッポグリフの飛行速度には割と大きな差があるとも考えられます。
ついでに言うとバックビークに乗った後の「アズカバンの囚人」ラストでのハリーを思い起こすと飛行速度は バックビーク≦ファイアボルト だとも予想できます。
これはつまり今回の話と矛盾しているとも言えるのですが、「ハイウイングと並んで飛ぼうとしてあっさり置いていかれて全然追いつけないレガ主」という場面が書きたいというのが先にあったので仕方が無いんですね。
まあ『飛べる魔法生物』と『飛べる非魔法の生物』の飛行速度を比べた時に魔法生物の方が速く、且つ1892年時点でヒッポグリフとセストラルの飛行速度に関する比較研究の論文とかが出てさえなければ、公式設定と今回の話に矛盾は一応無いと言えるのでセーフ(ここまで言い訳)
ポピーちゃんは時々「好き」が暴走する子だと私は思っています