2年後もしくは106年前 作:requesting anonymity
「おはようエルファイアス」
今日もまたルームメイトの誰より早く目が醒めたダンブルドア少年は、昨日の最後の授業を、正確には特別に見学させてもらった7年生の先輩方の魔法生物学の授業を思い出して、ベルビーさんはもうアズカバンに居るんだよな、とふと思って、そこで急いで頭の中を整理し直し、全く別の事柄について考えようとベッドの傍の自分の荷物を漁り、課されていた幾つかの宿題を取り出す。
―アズカバンに居る父さんは、自分のせいで僕が思い悩む事を、望まないはずだ。
1人で宿題をやりたくない気分になったダンブルドア少年は、そのまま談話室へと出ていく。
そこには、期待したとおりに、期待したとおりの先輩方が居た。
「やあアルバス。どしたの浮かない顔して」
「おはようございます、先輩」
ダンブルドア少年が質問に答えなかったからなのか、それとも単なる気まぐれか。その7年生はソファから立ち上がるとダンブルドア少年に近寄ってきて抱き上げ、そのまま元居たソファに腰を下ろしてダンブルドア少年を自分の膝の上に座らせてしまった。
「なんですか、先輩」
「今日ちょっと寒いから」
そこに、「太った婦人」が守っている廊下と談話室を繋ぐ通路から、1人の生徒が入ってくる。
「あ、おかえりトミーくん。どうだった、『朝稽古』は」
全身血まみれで帰ってきたシマヅ少年の名前を呼びやすく略したその7年生に、シマヅ少年は絨毯に座り込んで刀の手入れを始めながら淡白な返答を返す。
「やたらデカい蜘蛛に不届き者共が返り討ちに遭っていた。アクロマンチュラと言うのだったか」
カリマンタン原産だと本で読んだ気がするがここには居るんだな、と事も無げに言ったシマヅ少年は、ホグワーツの3年生の平均水準とは比べ物にならない程、戦闘に熟練していた。
「で、そのアクロマンチュラはどうしたんだい?」
「良い敵だった。即死させてやれなかった。俺の力不足だ」
そう言ったシマヅ少年の服の右襟が独りでに開かれ、右肩が露わになる。
「これが、デミガイズか。本当に視覚では全く判らなかったな。ただ本で読むのと実際に体験するのとでは違うんだな、やはり」
スゥーッと姿を表した白い毛並みに大きな目をした猿のような生き物が襟首を掴んでいるのを見ても、シマヅ少年は慌てる様子を見せない。
「……その精神力は評価するけどさ」と7年生は言う。
「助かる筈のつまんない傷で無意味に死ぬのは『サムライの誉れ』じゃあないんだろう?」
シマヅ少年の眼の前に突如鮮やかな炎を伴って現れた不死鳥がその血まみれの右肩に涙を落としたのを見て、ダンブルドア少年は漸くそれが返り血ではない事に気づいた。
「アクロマンチュラに噛まれたんですか!?」
「………その傷でよくもまあここまで歩いて帰ってきたもんだよ。呆れたね」
不死鳥の涙が抉られた肩に滴ると、全身で荒れ狂っていた不快な熱がさざ波のように引いていくのをシマヅ少年は感じた。それと同時に霞みきって手元を確認するのにすら推測という作業を必要としていた視界が少しずつ鮮明になっていく。
シマヅ少年が最初にハッキリと認識したのは、つかつかと歩いてくる7年生だった。
「ちょっと、いいかい。島津忠宝」
今まで「トミーくん」という気軽が過ぎる呼び方しかしてこなかったその7年生が急にきちんと名前で呼んできた事で、シマヅ少年は居住まいを正す。
「コガワ先生にね、キミの事を教えてもらったんだ。ね、キミさ。本物のサムライなんだろう?」
その7年生はシマヅ少年の正面に、シマヅ少年と同じように絨毯に直接座る。
「キミは、自分が今どういう立場か、わかってるのかい?ここはホグワーツだよ?」
ここはヨーロッパの端の端で自分がここでは余所者だということくらい解っている、と思ったシマヅ少年だったが、すぐに「そういう話ではない」と察した。
眼の前の7年生が自分の目をまっすぐに見ていたから。
「ねえ、キミはマホウトコロから来たよね。リュウサキさんと一緒に。で、ホグワーツからも3年生が2人、マホウトコロに行ってる。……これが実現するまでに英国魔法省とニホン魔法省がどれだけの数の話し合いをして、どれだけの長い時間調整と苦労を重ねた果てに今キミがここに居るのか、解っているのかい?もしキミがホグワーツで死んだら、『マホウトコロからの留学生がホグワーツで命を落としたら』どういう影響が出るか、想像ができないかい?……いいかい、今。ホグワーツに居る間。キミとリュウサキさんにとってはね。『死ぬ事こそ恥』なんだよ。アクロマンチュラが噛みつく事を許してしまったのは、確かにキミの実力不足と、その場での小さな判断ミスの積み重なった結果で、それは確かに恥だろうさ。でもキミ、だからってそれを強がって隠して、もし隠し通せてしまってそのまま死んじゃってたら、その影響でマホウトコロとホグワーツ、英国とニホンの魔法界に生じた全ての良くない影響の、責任が取れるのかい?それらは間違いなく、キミが受けるべき治療を受けようとしなかった事によるものだろう」
南蛮人のその言葉に声を上げて反発するほどには、シマヅ少年は齢を重ねていなかった。
「ねえ、誇り高いのと頑迷なのは違うんだよ。キミは誇り高いサツマのサムライだろう?ここで魔法の腕を上げて、戦いの腕も上げて、いっぱい経験を積んで、たくさん友達を作ってさ。それでマホウトコロに帰ったら、故郷の友達にホグワーツの話をするんだよ。それこそがキミが『この戦』であげられる最大の戦功なんだ。この交換留学は、当事者であるキミたち4人にとっては戦なんだよ。成長して生きて帰れたら勝ち。帰る前に死んだりしたら負けなんだ」
そこまで言ったその7年生は、急にどこか遠くを見るような、まるでシマヅ少年を透かしてその背後の遥か彼方を見ようとしているような不思議な表情になる。
「それでキミは、僕らを助けに来るんだよ。100年以上先だけどさ。その頃、僕らすごくすごく困ってるから。大きな戦が起きてるから。その時さ。助けに来てよ。僕、呼ぶからさ」
「それも、『夢で見た』んですか」
空気を読んで静かにしていたダンブルドア少年は、思わず横槍を入れてしまった。
「ん?そうだよアルバス。詳しくはわかんないけど、アルバスは真っ白な髪と髭のおじいちゃんになってて、校長室に肖像画があったよ。それで、ホグワーツ全域が戦場になってた。吸魂鬼とか巨人とか闇の魔法使いとかいっぱい居て、生徒がたくさん死んでた。敵の大将は未だ前線に出てきてないみたいだった。―燃えるような赤毛の男の子たちを見た。2人とも、おんなじ顔してた」
ダンブルドア少年はその「先輩が夢で見た光景」を思い浮かべて、すぐに不自然さを指摘する。
「……校長室に肖像画って、僕がホグワーツの校長になれるわけないじゃないですか」
「なるよ。アルバスは。ホグワーツの、とすら言わない『校長先生』って単語だけで、イギリス中の魔法使いがアルバス・ダンブルドアの事だとすぐに理解する。そういう日が来る」
「寝ぼけるのは魔法史の授業中だけにしてください、先輩」
ダンブルドア少年が呆れ気味にそう言うと、その7年生は更に真剣な表情になった。
「寝ぼけてるのはきみの方だよアルバス。きみは偉大になるんだ。功績と栄誉を積み重ねて、きっと失敗と後悔も積み重ねて、誰よりも偉大な魔法使いになる。だって、僕がそう信じてる」
嘘を言っているわけでもからかっているわけでもないらしい事は理解したダンブルドア少年は、しかしやはりその話を鵜呑みにはできなかった。
「……すいません。僕、やっぱり想像できません」
「燃えるような赤毛の男の子たちも?」
「あ、そっちは想像できます。なんかすんなりと。笑顔ですよね2人とも?」
その7年生に言われた内容についてじっくりと考えていたシマヅ少年は、己の中のプライドの、厄介さを構成している部分が不満を露わにしているのを感じたが、その抗議の声に耳を塞ぐ。
「その戦は、本当に起きるんだな」
「うん。100年以上の、すごくすごく先の話だし、証拠は示せないけど、確信がある。起きる」
「………必ず呼んでくれると約束してくれ」
「必ず助けに来てくれると約束してくれるかい?」
その言葉の意味するところを、理解できない島津忠宝ではなかった。
「ああ。必ず」
自分が今ここで死ねば、たとえそれがどんな因果と理由に依るものだったとしてもマホウトコロの皆の、ひいては故郷薩摩の皆の面目を潰す事になるのだと、13歳のシマヅ少年は漸く理解した。
「じゃ、シマヅくん。念の為にマダム・ブレイニーに診てもらいに行こう」
ずっと隅のソファで本を読んでいるふりをしながら聞き耳を立てていたギャレス・ウィーズリーがそう声をかけ、案内を買って出た。
「ん?ギャレスはどっか行ったのか?」
シマヅ少年とギャレスが出ていったのと入れ替わりに、数人の7年生が寝室から降りてくる。
「あー、リアンダー!ねえねえ遊ぼ!遊んで!かまって!一緒にゴブストーンしよ!」
「お前がその手に持ってるのは?」
「噛み噛み白菜!これ使ってゴブストーンしよ!」
リアンダー・プルウェットに飛びついたその先輩がいつの間にやらその腕に抱えていた、歯をガチガチ鳴らしている凶暴な野菜を仕舞うように説得している7年生の先輩方を見ながら、ダンブルドア少年は今日もまた呆れ気味の溜め息をついた。
「先輩は……全くもう……5分とお利口さんで居られないんだから……」
さっきまでかっこよかったのにと思いながら、ダンブルドア少年は宿題を取り出す。
「よーしよしよし……ちょっと手伝ってね……」
丸々と太ったドブネズミを手の上に置き、それが大人しくしてくれている事に感謝しながら杖を向けたダンブルドア少年は、昨日の午前中に、7年生の先輩方のすぐ後に受けた変身術の授業を思い出していた。自分が上手くできたという事を差し引いても、それは楽しい記憶だった。
「ウィーズリーせんせ、おはようございます!」
「おはよう、ミス・ブラウン」
「ペアを作り、交代で相手を自分の姿に変身させる」という高度な授業に挑み終えた7年生たちが出ていったのと入れ替わりに、1年生たちが変身術の教室に入ってくる。
「やあアルバス」
「おはようございますスウィー、あ違う、先輩。……なんで居るんです?」
「罰則だよ!」
何故か得意げにそう言った7年生の女生徒を見ながら、ダンブルドア少年は適当な席に座る。
「ねえアルバスどこで僕だって解ったんだい?ポピーちゃんは今日の変身術完璧にできたのに!」
「僕の事を『アルバス』って呼ぶ人はホグワーツにひとりしか居ませんよ先輩」
「あっ、そっかぁ………」
そして皆が席につき、最後に遅刻ギリギリのタイミングで駆け込んできた数人のスリザリン生が謝罪と共に表明したピーブズに対する憤りも暖かく受け入れて、ウィーズリー先生は口を開く。
「さ、1人1匹ずつネズミを配布するから、それを『嗅ぎタバコ入れ』に変身させるんだ」
「ウィーズリー先生ウィーズリー先生。見てみて見て見て」
「なんだい急に」
見本を見せようと思っていたら割って入ってきた、ミス・スウィーティングの見た目になっているその7年生が何を思いついたのか、ウィーズリー先生は察せていながら耳を傾ける。
「解剖学的嗅ぎタバコ入れ!」
片方の手を広げて親指を真っすぐ伸ばし、手首と親指の付け根の間に生じた窪みを得意げに披露してきたアホの7年生の頭を、ウィーズリー先生はわしわしと撫でる。
「……今アンタはミス・スウィーティングなんだよ?」
「はぇ?……あー、そっかぁ……ポピーちゃんおててちっちゃ……ほっそ……ぷにぷにだ……」
例えばオミニスなどならもっとクッキリと深い筈の窪みが殆ど無い今の自分の手をまじまじと見ながら、その7年生はその場に居ない友人を褒める。
「ポピーちゃん超かわいい………」
「わーかったから準備しな。お前さんは今罰則を受けてるんだよ」
その言葉を受けて、ポピー・スウィーティングの姿になっている7年生はパン!と手を打つ。
「俺様を呼んだか?」
「カバン持ってきてくれてありがとねピーブズ」
染み広がるように姿を現したそのポルターガイストは両手で持っていた旅行カバンを丁寧な動きで7年生の生徒の足元に置き、留め金を外して開く。
「はーいみんな、ちょっと1年生たちに協力してあげてね!」
7年生の声に従いカバンの中から幾つもの列をなして現れたのは、夥しい数のドブネズミだった。
「げっ」
エルファイアスは呻き声を上げ、スリザリン生たちは不快そうに眉を顰める。
ネズミたちはそれぞれ机や生徒の足をよじ登り、1年生の前に1匹ずつ並んだ。
「優しくしてあげてね?」
7年生がそう言ってニッコリするのを横目に、ダンブルドア少年は自分の眼の前に来たドブネズミと目が合ってしまい、反射的に軽く会釈した。
「あ。……今日はよろしくお願いします」
それを見た両隣のエルファイアスとロングボトムも、自分の眼の前のネズミに挨拶をする。
「あら?あなた毛並みがツヤツヤなのね!」
ミス・ブラウンがそう言っているのが聞こえたスリザリンのブルストロードは、そこで漸く自分のネズミをじっくりと観察し、その身体が一切汚れていない事に気づいた。
「お前、随分と良いご身分らしいな」
ブルストロードが突きつけた杖の先を、そのドブネズミは見つめている。
「欠かさずブラッシングしてますからね!」
得意げにそう言った7年生の頭の上には、ネズミの親子が乗っかっていた。
「ウィーズリー先生、ちょっといいですか!」
「はい、どうしましたミスター・ダンブルドア」
「『嗅ぎタバコ入れ』が分かりません。どのような物ですか?」
「こういうやつさ、アルバス。見たこと無いかい?」
ポピー・スウィーティングの見た目をしている7年生がどこからか取り出して机に置いたのは、掌に乗るサイズのモグラのような動物を模した入れ物だった。
「嗅ぎタバコって、粉末にしたタバコの葉を吸引して楽しむものなんだ。つまり葉巻でも紙巻きでもなく、粉を粉のまま保管して、外出先で楽しむなら粉のまま持ち歩くわけ。それを入れとくのがこれ。もっと簡単な、単なる缶だったりもするけど、凝ったデザインの物はとことん拘ってるよ。これは木彫りのニフラー。ボージン・アンド・バークスで買ったの。カワイイでしょ」
皆にも見本配ろうか、と言った7年生は杖どころか指先も振らずにただ「ロコモーター」と呟いて、カバンの中から幾つもの小さな缶やら箱やらを1年生たちに配っていく。
「……あ、そっかぁ」
ミス・ブラウンがダンブルドア少年より少し遅れて気付いた通り、何に変身させるのかを理解していなければ、最初の授業で習った「基本の法則」が関与するまでもなく、変身術は失敗するのだ。
「仮に『鳥』という生き物を全く知らない魔法使いが居たとしたら、その人物はどれほど優れた魔法使いだったとしても、何かを鳥に変身させる事は決してできないわけです。ですから―そうだね。ミスター・ダンブルドア。その姿勢は素晴らしいですよ。『嗅ぎタバコ入れ』と言われて具体的な物を思い浮かべられない人は、こちらの7年生が配ってくれた見本をよく観察する事だね」
さあ見本を見せてあげようか、と言ったウィーズリー先生は、7年生に視線を投げる。
「……うぇ゙え僕ですか??」
「嫌なら無理にとは言わないよ」
「……ヤじゃないかもしれない………」
はじめてだからやさしくしてねと呟いたその7年生はスルリとワタリガラスの姿に変わって、ウィーズリー先生が差し出した手の上に飛び乗った。
「さてブライアン」
「……あ、僕か。はいウィーズリー先生」
急にミドルネームで呼ばれて一瞬ピンと来なかったアルバス・パーシバル・ウルフリック・ブライアン・ダンブルドア少年は、ウィーズリー先生が何を問いたいのかが察せていながらも、質問が投げかけられるのを静かに待つ。
「『動物に変身した人間』に変身術をかける時、その困難さは『動物』か『人間』か?」
「『人間』です。ウィーズリー先生。人間に変身術を施すというのは、ホグワーツで習う中では最も難しい種類の変身術であり、動物に変身したアニメーガスに施す場合も、人の姿をしている時とほぼ変わりない難度、のはずです」
ウィーズリー先生はその解答を褒めた後、自分の手の上に乗ったままウトウトと船を漕ぎ始めていたワタリガラスに杖を向けた。
そして呪文が唱えられ、ワタリガラスは簡素なデザインの小箱に姿を変える。
1年生たちが拍手し歓声を上げる中、ウィーズリー先生は実習を始めるように促す。
「さあ、やってみるんだ。上手くいかなかったからってネズミに当たるんじゃないよ!」
その言葉を受けて、ダンブルドア少年は自分の眼の前のテーブルの上で本物さながらに動く木彫りのニフラーと取っ組み合いを始めていたネズミのご機嫌を指先で慎重に伺う。
するとネズミはすぐに察して、ダンブルドア少年の手の上に乗ってくれた。
「ご協力ありがとうございます」
ダンブルドア少年はたっぷり時間を使って意識を集中させてから、ネズミに杖を向けた。
「……嗅ぎタバコ入れという品の多様さを考えれば、成功だと言えない事も………」
自分が変身させた小箱に毛皮がバッチリ残っている事実から目を逸らしているブルストロードの隣では、同じスリザリンの1年生クラウチくんが尻尾の生えた嗅ぎタバコ入れを睨みつけている。
「ウィーズリー先生、その箱見せてください」
「ええ、いいですよミスター・ドージ。どうぞ」
エルファイアスが何を要求したのかと横目に注意を向けてみれば、先輩が変身させられた簡素なデザインの嗅ぎタバコ入れだったので、ダンブルドア少年は唱えようとしていた呪文を中断してエルファイアスに注目した。―何をしようとしているんだろう?
ダンブルドアをいつも隣で見ているからこそ、自分が別に格段の才能など無い凡庸な魔法使いだと言うことを既に理解していたエルファイアス・ドージ少年は、しかし凡庸とはいえ魔法使いである以上、ちゃんと努力すれば道は開けるのだという事も、これもダンブルドアをいつも隣で見ていて理解していた。他ならぬダンブルドアが、人一倍勉強熱心で努力家だったから。
ウィーズリー先生が「あの先輩」を変身させたこの嗅ぎタバコ入れは、配布された他の嗅ぎタバコ入れとは違って、「変身術の成果物」だという事が保証されていた。だからこそ、これをよく観察する事が助けになるのではないかとエルファイアスは考えたのだ。
エルファイアスはその小箱の蓋を開け、中が空なのを確認すると手触りを確かめ、蓋の手触りも確かめ、重量を掌で感じ、持ち上げ、睨み、隅の隅までじっくりと検分していく。
「……エルファイアス?」
ダンブルドア少年が思わず声を掛けるが、エルファイアスには聞こえていない。
その光景を見ながらちょっと考えたダンブルドア少年は、まあ元々何かしらやらかした結果の罰則としてこのグリフィンドールとスリザリンの1年生の変身術の授業で助手を務めているとの事らしいし多少の受難は先輩の自業自得かと軽く考えて、再び自分の掌の上で大人しくしてくれているネズミに意識を集中させ、大きく息を吸い込み、ゆっくり吐き出し、そして杖を向ける。
「素晴らしいねミスター・ダンブルドア!グリフィンドールに5点!」
ウィーズリー先生の声もエルファイアスには聞こえていない。自分に忍耐力というやつが足りていない事と、「できなくてイライラを募らせる」のは失敗への近道だと、エルファイアスはでっぷり太ったネズミに杖を向けながら、「嗅ぎタバコ入れ」に意識を集中させる。
ウィーズリー先生から受け取って散々に弄んだ「見本」のシンプルで簡素な小箱を開けっ放しにして捨て置いたまま。
そして意を決したエルファイアス・ドージは殆ど叫ぶようにして大きな声でハッキリと呪文を唱え、見事に太ったネズミを嗅ぎタバコ入れに変身させてみせた。
「良いよ。すごく良い!よくやったミスター・ドージ!グリフィンドールに更に5点だ」
杖を動かしたらネズミがそれを追いかけてくる事に気付いてしまったらしいミス・ブラウンが練習そっちのけでネズミと戯れ始めたその向こうで何度杖を振っても断固としてネズミのままで居る練習台に対して根気強く取り組み続けているロングボトムくんなどを眺めながら、ダンブルドア少年は自分が成功した時より今のほうがよっぽど嬉しかった。
そして、授業の最後の最後になってやっとウィーズリー先生に開けっ放しの小箱の姿から元のポピー・スウィーティングの姿に戻してもらった7年生の先輩が、目にいくらかの涙を溜め耳まで真っ赤になって「エルファイアスくんのエッチ………」と呟いたのが、11歳のエルファイアス・ドージの脳裏には未だ鮮明に焼き付いていた。
「そう言えば俺は、あの時あの先輩の、どこを触ってた事になるんだ??」
ダンブルドア少年から少し遅れて目を醒ましたエルファイアスは昨日の午前中の変身術の授業を思い出してふと疑問を抱きながら、既にダンブルドアが談話室へと降りていったのだと察して、身支度など一切しないままに自分も朝食までには終わらせているべき宿題を幾つか抱えて寝室を出る。
するとそこでは。
「やぁだ!降ろして!ごめんなさい!ゆるしてアルバス!」
「いいえ許しません!それに謝る相手は僕じゃないでしょう先輩!」
杖を構え激怒しているダンブルドア少年によって、その7年生の青年はグリフィンドールの談話室の中央、天井近くの高い位置に文字通り吊るし上げられていた。
「あの……ダンブルドアくん?私ちょっとビックリしただけだから……」
「いいえ!ちゃんと叱ってあげなければ駄目です!やってはいけない事はやってはいけないと躾けるべきです!相手がクレシダ先輩だったから僕らの内輪だけで済みますけど、これがホグズミードとかで道行く知らない人相手だったら僕らがどれだけ謝ったって収まらないんですから!」
縄を召喚して縛る「インカーセラス」と浮遊させて操る「ウィンガーディアム・レヴィオーサ」を併用しているらしいダンブルドア少年は、泣き叫ぶその7年生の手首を縛っているロープをギリギリとキツく締め上げていく。
「痛い!いたい!ごめんなさい!!」
ダンブルドアがこんなに怒っているところを見た事が無かったエルファイアスは親友に話しかけることができず、傍に居た別の7年生に事情を伺う。
「なあプルウェット。あの先輩何やらかしたんだ?」
その質問に対するリアンダー・プルウェットの回答は、エルファイアスの心から、ダンブルドアに対して「もうそのへんで勘弁してやったら」などの提案をしようという気持ちを根こそぎ消し去って余りあるものだった。
「さっき。いきなりクレシダのお尻鷲掴みにしたんだよ」
エルファイアスが腹の底から吐き出した大きな溜め息が、その場の皆の心情を代弁していた。
「ピーブズ!たすけて!降ろして!」
要請に応じて即参上したポルターガイストはしかし、嬉々として絵筆を操りその7年生の顔に落書きを施し始める。
「たすけてよぉー……」
「いかんせん、そのような権限を私共が有しているのかどうか、判断できかねますのでね」
わざとらしく慇懃な口調でそう言ったポルターガイストだけが、楽しそうに笑っている。
そこに、癒務室へ行っていたギャレス・ウィーズリーが戻って来た。
「お。ギャレス、シマヅくんは?」
「まだマダム・ブレイニーに叱られてるよ。ところでこれはなんの騒ぎだい?」
リアンダーから事情を聞いたギャレス・ウィーズリーは、軽く息を吐き出してからダンブルドア少年の隣へと歩いていく。
「ダンブルドアくんがなんでここまで怒ってるか、わかってるかい?」
「………僕がわるいことしたから……」
縛り上げられた両手首に全ての体重がかかっているその7年生の青年は宙に浮いたままメソメソと泣いてこそいるが、自分が何故叱られているのかをいまいち理解していなかった。
そしてそれは7年生たちがよく知っている「その友人」の行動原理であり、ダンブルドア少年はまだ知らない「その先輩」の数多い困ったところの1つだった。
つまり眼の前で動いているものは、それがなんであれ、触りたくなったら触ってしまう。
「いいかい、僕が今から言う事をよく覚えておいて」
するっと杖を振って青年を床に降ろしたギャレスは、その困った友人に言い聞かせる。
「受け入れてもらえるとわかりきってる時でも、そうじゃない時でも、相手が生き物なら、触る前に触っていいか訊かなきゃ駄目だよ。触るのは『いいよ』って言ってもらえてからだ」
それもちょっと違うんじゃないかと思ったダンブルドア少年だったが、この衝動的で非常識な先輩には「触ってはいけない」といきなり言うのではなく段階を幾つも踏んで少しずつ文明社会に馴染ませてあげなければいけないと、改めて決意していた。
そしてその決意は、その7年生の友人たちが昨年度の始めに話し合った教育方針と同じだった。
「わかったかい?」
「わかった……」
全く、もう、と憤りを全面に乗せた声色で呟いたダンブルドア少年は杖を降ろし、誰にも聞こえない小さな声で更に呟く。
「どれだけ好奇心が強いんですか先輩は。……実はホントにニフラーなんじゃないですか」
それは、その7年生に関する、下級生たちの間で広がっている数多い噂の1つだった。
「あの先輩はニフラーの血を引いてるらしいよ」「ああ、どおりで」と。
「ギャレスお尻触っていい……?」
「別にいいけど、今じゃなきゃダメかい?」
半泣きのままそんな事を訊いてきたその友人の頭を撫でながら、ギャレス・ウィーズリーはいつも通りに笑っていた。今日もまた心の底から呆れ果てた様子のダンブルドア少年がとんでもない表情でその青年を睨みつけている隣で。
解剖学的嗅ぎタバコ入れ
親指を力いっぱい伸ばすと分かりやすく浮かび上がってくる
親指の付け根にできる窪み。「手首の骨」と「親指の骨」と「腱」の隙間。
ここに嗅ぎタバコをひとつまみ乗っけて吸引するのにちょうどいいので
こう呼ばれるそうな。言い回しが洒落てるよね。