2年後もしくは106年前   作:requesting anonymity

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50.ヒッポグリフとバタービール

 あの日の、期待と不安でどうにかなってしまいそうだった胸の内を、怯えているとすら表現できただろう自分の振る舞いを、私は今でも鮮明に思い出す事ができた。

 6年生になったばかりの頃、その日、今日もまたホーウィン先生のお手伝いをしようかなと考えていた私に、その友人はいきなり言った。

 

「バタービール飲みたくないかい?」

 

 その前の年、5年生の時に話した私の密かな夢を、この友人は覚えていてくれたのだ。どころか後で聞いたところによると、どうやらマダム・シローナや他のお客さん、さらにホグズミードに住んでる人たちにまで、わざわざ許可を貰いに周ってくれたりもしていたらしい。

 

 どこまでかっこいいんだろう。

 

「えっあの、今から………?」

「今から。僕とポピーちゃんの2人で。ハイウィングも一緒にね!」

 

 この友人と出会うまで、私が友人に数えられる相手は、ハイウィングとおばあちゃんしか居なかった。ハイウィングはヒッポグリフで、おばあちゃんはおばあちゃんだ。魔法生物と、祖母。つまり私には、言ってしまえば、友達が居なかったのだ。

 あの頃、私はもしかして寂しかったんじゃないかって今さらながら思ったりも、時々する。

 ハイウィングも居るしおばあちゃんも居るしジェラルドやペルセポネも居るしと当時の私は思っていたけど、人間の友達ができた今考えると、周りからは「一人ぼっち」に見えていただろう。

 

 だから、私が一緒に「三本の箒」に行きたいと思える「友人」は、ハイウィングかおばあちゃんだけだった。コイツに、この「編入生」に会うまでは。

 

 4年生の中頃だったと思う。ある日いきなりみんな呪文を失敗するという事件があった。

 私も唱えていた呪文がいきなり途切れてびっくりしたし、先生たちも原因が判っていない様子だった。それから何週間かして、「来年から貴方たちの学年に新しい生徒が1人加わります」と言われた時、私たちはみんなビックリした。

 なにせ、余所から転校してくるわけではないというのだから。

 つい最近魔法力を発現して、いま入学の準備のためにフィグ先生から基礎を学んでいると。

「5年生で?」と誰かが訊くと、ウィーズリー先生は、「お察しの通り、異例中の異例だね」と、私たち生徒と同じくらい驚いている様子だった。

 

 いざ入学してきたそいつは、想像以上にムチャクチャだった。

 

 まず滅多に授業に出ない。なのに、たまに出たと思ったら誰より上手くできる。だいたいの呪文を一発で習得してしまう。「盾の呪文」って、私すんごく苦労したのに。

 それに「オリバンダーさんの店で杖を買ったその日にそのままトロールを倒した」なんて、普通なら信じないだろう突飛な噂も流れてくる。他にも「密猟者を密猟してるらしい」とか「パジャマ姿で授業受けてた」とか。少なくとも最後のは本当だ。だって私同じ授業受けてたから。

 そして、忘れもしない、あの魔法生物学の授業。

 

 私と友達になってくれた。

 

 スリザリンとレイブンクローのいじめっ子から私を庇ってくれたソイツは、あっという間に私の世界の中心に居着いて、私は色んな事をソイツに体験させてもらった。

 ハイウィングにも、その新しい友達を紹介した。

 グリフィンドールのナツァイと一緒に、危ないところだったハイウィングともう1羽のヒッポグリフをあのハーロウから助け出してくれたって聞いた時は、思わず抱きついてしまった。

 一緒にケンタウルスと交渉して、密猟者と戦って、ムーンカーフのダンスを見た。

 スニジェットが孵化するのを見た。

 グラップホーンを、それにユニコーンも、他にも色々。「必要の部屋」で、見せてもらった。

 

 「ほらポピーちゃん、早く早く!」

 

 その時、親しくなる前から今までの事を無秩序に思い出し続けながら覚悟を決めようとしていた私の手を引いて、そいつはぐいぐいと先へ進んでいった。

 私の隣を歩いていたハイウィングが、引っ張るソイツと引っ張られる私を見ながら、とても楽しそうにしていたのを覚えている。

 そして私が覚悟を決めるよりずっと早く、私たちは到着してしまった。

 その友人は私の顔を覗き込むと、ぐいーっと笑った。

「僕もハイウィングも一緒に居るんだから、怖くないでしょ?ポピー。」

 私は結局気持ちを整えるのに30秒ぐらい使って、深呼吸した後で扉に手を置いてまた深呼吸して、もう一度その友人の顔を見て、扉の方に向き直ったけどまた不安になって友人を見て、ハイウィングを見て、それからもう一度深呼吸して、やっと扉に置いた手に力をこめる事ができた。

 

「いらっしゃい。待ってたよ」

 

 マダム・シローナはそう言って、私たちを笑顔で受け入れてくれた。

「ほらアンタたちも。ヒッポグリフに接する時はどうするべきかって、知ってるだろ?」

 マダム・シローナは店内に居た他の客たちにもそう呼びかけながらカウンターから出てきて、私の後に続いて入店してきたハイウィングの目を見てピタリと止まった。

「そりゃまあ魔法生物学の授業で習ったからね。……昔の話だが」

 そう言って立ち上がったパリー・ピピンさん以外にも、その場に居た全員がハイウィングの前に進み出て、一定距離まで来たところで止まった。

 

 そしてマダム・シローナが最初にハイウィングの目を真っ直ぐ見たまま頭を下げ、ハイウィングがお辞儀を返すのを待ってからゆっくり頭を上げたのに続いて、お客さんたちは一人ひとり丁寧に、ハイウィングにお辞儀をしてくれた。

 

「ポピー・スウィーティング。そしてハイウィングも。ようこそ『三本の箒』へ。歓迎するよ」

 

 お客さんの最後のひとりが頭を上げた時、マダム・シローナはそう言って微笑んでくれた。

「シローナお姐さま僕バタービール飲みたい。あとカンパーニュも3個ほしい」

「……アンタうちのカンパーニュのサイズ知ってて言ってるんだろうね」

「やっぱり4個ほしい!あとフルーツの盛り合わせも!」

 その時の、食べ切れるのかオマエと言いたかったんだろうマダム・シローナの呆れ顔を私は今でも鮮明に思い出すことができた。

 

 あの時、私の方を振り向きもせずにさっさと自分だけカウンターの席に座ってしまったのはわざとだったのか、それとも何も考えていなかっただけなのか。私は今でもちょっと気になっていた。

 私が、引き寄せられるように隣の席に座ったのを見ながら、アイツは満足げだった。

 マダム・シローナは、私の目を真っ直ぐ見て、私が何を注文するか決めるまで待っててくれた。

 けど私は、何を注文するのかは、もうずっと前から決めていた。

 

「ば、バタービール!……ひっ、とつ………」

 

 声がひっくり返ってしまった。

 

「はいよ。ちょっと待ってな」

 そう言ったマダム・シローナは笑わないでいてくれたし、他のお客さんたちもそうだった。

 ただ、私の左隣に座ってカンパーニュをモリモリ食べている奴だけが、声を殺して笑っていた。

「……そんな笑わなくたっていいじゃん!」

 小声で抗議した私に、ソイツがなんて言ったか。今でもハッキリ覚えている。

 

「だってポピーちゃん、初めてここでバタービール注文した時の僕とおんなじだったから……」

 

 そして話してくれた「初めて三本の箒でちゃんと注文をした日」の話を最後まで聞いた私は、それがつい数ヶ月前の事だと言われて大いに驚いたのだった。

「この子のお蔭でランロクもルックウッドもハーロウも居なくなって、ホグズミード中の客の入りが見違えるくらい増えてるんだ。だからその御礼にね。祝勝会をやったんだよ」

「僕、初めて三本の箒に来た時は、『来店』じゃなくて『避難』だったからねぇ。その後も何回も来てたけど、誰かとの待ち合わせ場所に利用したり単に店の中を探検したりするだけで、何にも頼まなかったんだよねー………今考えるとすんごい迷惑なお客さんだ!」

「他の客が頼んだもの勝手に食べるし。鍵かけてあるのに開けて入るし」

「家の荷物勝手に漁って持ってくしな!」

 マダム・シローナに続いてそう苦情を言ったおじさんは、バタービールを掲げて笑っていた。

「それはぁ……だってアロホモラ覚えたから……」

「アロホモラにあんなにもたつく奴を見たのはアンタが初めてだよ。ところで――」

 そしてマダム・シローナは、ハイウィングの方を向いた。

 

「――お客さんにぜひ飲んでほしい特別なバタービールがあるんだけど、いかが?」

 

 マダム・シローナがカウンターに置いたその深皿に、ハイウィングは顔を寄せた。

「あっちの隅っこで酔いつぶれてるエリー・ペックにアドバイス貰って作ってみたんだ。ヒッポグリフ用のバタービール。好む味も人間とは違うんだろうし、そもそも味覚も違うだろうし」

 マダム・シローナが指し示した隅のテーブルでは、魔法生物とその生産物を取り扱う店ブルード・アンド・ペックの店主さんが、ニーズルを抱きしめてグウグウ眠っていた。

「……なんで僕に意見訊いてくれなかったんですかシローナお姐さま」

「コガネムシとかドクツルヘビの皮とか喰ってるやつの意見が参考になるわけないだろう」

 マダム・シローナにそう言われて、ソイツは「本当だ!!」と目から鱗が落ちた顔をしていた。

 

「……どうハイウィング。おいしい?………そう。よかったあ」

 ハイウィングの目を見て、カンパーニュを早くも2個食べ終えたソイツの顔も見て、私はいよいよ自分のバタービールに口をつけた。

 

 あまい。あむぁい。思っていたよりもずっと。思ってたのとは、ちょっと違う。そっか。こんな味だったのか。甘くて、温かくて、シュワシュワしてる。こんなに嬉しいものだったんだ。

「………どうだい、お嬢さん?」

「すごく美味しい。マダム・シローナ、ありがとう!!」

 

 この日の事がきっかけで、バタービールは私の新しい好物になった。

 

「ねえポピーちゃん。今日はポピーちゃんにね。紹介したい友達が居るんだよ」

 そう言いながら、ソイツはフルーツの盛り合わせを私の前にスライドさせてきた。

 そしてフルーツの盛り合わせのすぐ上の空中が火を吹いたのを、私もマダム・シローナも、他のお客さんも目を丸くして見つめていた。

 

「ほら、きみのぶんだよ。食べて食べて」

 

 姿を現した大きくて立派な不死鳥は、カウンターの上に舞い降りて、私なんかには目もくれずに、夢中でフルーツをつっつきはじめた。

「コイツね。もうランロクもルックウッドもハーロウもやっつけたんだからどっか好きなとこ行きなって言ったんだけどね。どこにも行こうとしないんだ」

 不死鳥なんて初めて見た私は、その説明が全く頭に入ってこなかった。バタービールを飲み干してからもう一度同じ話をしてもらって、やっと「不死鳥を飼ってる」という事だけ理解できた。

 何より私がビックリしたのはハイウィングが既にもうその不死鳥と仲良しになってた事だった。

 私にも友達ができたのと同じように、ハイウィングにも友達ができていたのだ。

 

「美味しいね。ハイウィング」

 

 ヒッポグリフが来店したのは初めてだと、マダム・シローナは教えてくれた。

 不死鳥を見たのも初めてだと言って、マダム・シローナは笑っていた。

 その後も心ゆくまで食事をして、バタービールもおかわりして、いっぱいお喋りした。

 ハイウィングも嬉しそうだったし、最後の1個のカンパーニュを不死鳥に奪われたアイツは悔しそうに頬を膨らませてた。なんか私が想像する「不死鳥と飼い主」の知的で高尚な関係性とは少し違う繋がりが、この友人と不死鳥の間にはあるみたいだって私は思った。

 

 マダム・シローナに「また来ていいですか」と最後に訊いたら「大歓迎だよ」と言ってくれた。

 

 三本の箒から出てすぐに、アイツに抱きついちゃったのを覚えてる。

 アイツの羽毛はすっごくふかふかだった。

 

 ………ふかふか?ふかふかだったっけ?………羽毛??

 

「あ。そっか…………おはよう。ハイウィング」

 

 そういえば。昨日私はハイウィングと一緒に寝たい気分になって、アイツにワガママ言ったんだった。ここ、カバンの中の、どこだっけ。ヒッポグリフの巣って、山地だっけ、海岸だっけ。

「三本の箒」に初めてハイウィングを連れて行った時の事を夢で見たあたり、どうやら私は今どうしてもバタービールが飲みたいらしい。

 5年生の時、初めて「三本の箒」に行ったのもアイツとの待ち合わせ場所に使ったからで、つまりそれはアイツのお蔭で足を踏み入れる事ができたのだ。緊張を通り越して怯えていると言っても良かったあの時の私に、マダム・シローナはすごく優しくしてくれた。

 でもあの時はバタービールを頼む勇気が湧かなくて、グリューワインを注文したんだった。

 だからハイウィングを初めて連れて行った時、勇気を出して注文したバタービールのあの甘さは、たぶん私は一生忘れないんだろう。

「あれ。カリゴもセバスチャンももう起きてたの?……じゃあ朝ごはんにする?」

 他のヒッポグリフたちが寄ってきたのをきっかけに、私は枝やら藁やらを集めて作られているヒッポグリフの巣の中から起き上がって、いつもの仕事を始めた。

 

 つまり、アイツが飼っている魔法生物たちのお世話の、お手伝い。

 

 起き上がったら頭がハッキリしてきて、自分が今どこに居るのかも思い出せた。

「ロコモーター!」

 杖を振って、カリゴとハイウィングとセバスチャンの前にそれぞれの分の兎を並べる。この子たちは賢いから、この兎が、自分たちのごはんがどこに保管されているのかも解っているけれど、そこを直接漁ったりはしない。サンダーバードの巣の中だから。

 

 法律を幾つも無視して「拡張」されているカバンの中はやたらめったら広いので、飛べる子や足が速い子に乗っけてもらうか、もしくは箒で飛ぶのがほぼ必須だ。

さもなければこの中を移動するだけでお昼になっちゃうだろう。

 

 ヒッポグリフたちの巣が密集しているエリアを離れ、密林にいるルーンスプールたちの様子を見て、傍の小屋においてあるカバンの中に入り、そこに広がる砂漠の只中にあるオアシスの湖にいるケルピーが遊んでほしそうにしていたので、そこで箒を降りた。

 

「おはようカペラ」

 

 カバンの中のこの辺は本当にずっと暑くて、アイツが意図的にそうしない限り曇る事すらないんだけど、ここに居る動物たちは皆そういう気候が好きな子ばっかりだから、汗だくなのは私だけ。

 ――起きてから着替えてないから当然ネグリジェを着たままなんだけど、まあいいや。

「泳ごうカペラ!」

 自分に杖を向けて「泡頭呪文」を唱えて、湖に入る。これも去年散々苦労して習得した呪文。

このケルピー「カペラ」は去年保護して以来ずっと手綱をかけっぱなしで、一度緩んで外れた時も自分で手綱を咥えて付け直してほしそうにしていたくらい、もうすっかり人に慣れている。

 と言うよりは、私とアイツに懐いてしまっている。

「私ね、ハイウィングを初めて三本の箒に連れて行った時の夢を見たんだ」

 カペラのところまで泳いで行って、海藻のようなたてがみを掴む。カペラは私の話に耳を傾けてくれているのか、単に私を視界に入れたいだけなのか、首をぐいっと曲げてこっちを見てきた。

「………カペラもバタービール、飲んでみたい?」

 あ、この頭の動きは「肯定」の時にするやつだ。

 

 カペラは私が背中に跨って、もっとしっかり両手でたてがみを掴むのを待ってくれた。

「おまたせカペラ」

 私がそう言い終わるより先にカペラはものすごいスピードで泳ぎだして、私は振り落とされないように頑張りながら、片手に握ってる杖を落とさないように気をつけながら、その速さと水の抵抗を、水面から顔を出した時の飛沫と束の間の涼しさを、そして何より嬉しそうなカペラの姿を堪能した。カペラやハイウィングに限らず、動物たちが嬉しそうだと私も嬉しくなる。

 そしてカペラはケルピーとしての本能がそうさせるのか湖の中へ、底に近い深みへと潜っていって私は泡頭呪文を必死で練習した去年の自分の努力が実った事を実感した。

 

 より深いところを泳いでる時の方が、このカペラは楽しそうだから。

 

「ぶあーーーー!!!!……あ。おはようネリダ」

 

 そのまま暫く湖の底を泳いでいたカペラが今度はどんどん上昇していって、私が久しぶりに湖面から顔を出すと、そこにはいつの間に来ていたのかスリザリンの7年生ネリダ・ロバーツと、このカバンの持ち主でもありカペラの正式な飼い主でもある私の、えー、大好きな友達と、そしてちっちゃくてもちもちなグリフィンドールの1年生でとっても優秀なダンブルドアくんもそこに居た。

 

「お、おはようポピー………居たんだ……」

 

 そう言ったネリダは水着を着ていた。ふふーん。つまり泳ぐ練習しに来てるってわけだ。

 ネリダはマーピープル、いわゆる人魚にとても興味を持ってて、5年生の時にマーピープルたちから貰った、正確には湖畔の熱い砂の上でダンブルドアくんの頬を引っ張ろうと隙を伺っているあの困った奴に5年生の時に代わりに取りに行って貰った、マーピープルからの「贈り物」を。ネリダはとてもとても大切に肌見放さず身に着けている。

 それにマーミッシュ語の練習もしているらしい。本当にマーピープルの事が好きなんだと思う。

 けど、ネリダは泳げない。そもそも水が怖いらしい。水が怖い子がどうやってマーピープルを好きになったんだろうって思うけど、そのあたりの事は私は知らない。今度訊こうと思ってるけれど、去年からずっとそう思い続けてるばかりで実際に訊けたためしは無い。

 

 それでネリダは去年から、今ダンブルドアくんのほっぺたを引っ張っているアイツに勧められて、泳ぐ練習を始めた。それで去年1年間かけて水への恐怖を克服したネリダは、見事に。

 

 しっかり覚悟を決めてからなら水に顔を漬けられるようになった。

 

 そう。まだぜんぜん泳げないんだ。

 だから練習をしに来てる。ネリダは普段おとなしくて、あんまり積極的な方でもないけど、マーピープルへの情熱はどうやら本物らしい。

 マーピープルたちからの贈り物を自分で取りにすら行けなかった事はネリダの中に、マーピープルたちへの相当大きな「罪悪感」を生んだらしく、ネリダはずっと泳ぐ練習に熱を上げている。

 水に顔を漬けるまでに必要な覚悟を決める時間も、だんだん短くなってきている。

 

 一方のダンブルドアくんは、いま見た限りではどうやら水への恐怖は無いらしい。

 ただ身体の動かし方が目も当てられないほど鈍臭い。なんか動きがもっちりしてる。かわいい。

 あ、でも流石に足がつかないのは怖いみたい。泳げないとそうだよね。

 

「ポピーちゃんギューってしていい……」

「いいよ?」

 いちいち訊かなくてもいいのに。

「カペラはキレイだねぇ………」

 耳元でそんな事、そんな声で囁かないでほしい。そっちはそんなつもりじゃなくても、こっちはその気になっちゃうんだから。

 

 顔が熱い。

 

 そしてとっても大きくてカッコいいグラップホーン、「湖畔の主」の背に乗ってやってきたスリザリンのセバスチャンとオミニスも合流して、やがて本格的に泳ぎのレッスンが始まった。

 

「エピスキー」

 

 セバスチャンがオミニスの肩の辺りに杖を向けて、いくつもあった痣のようなものをキレイに消し去った。曰く、それはセバスチャンの双子の妹のアンが昨日の夜つけたキスマークらしい。

 ホントにキスしただけなのかな、なんて思ってしまったが、今そんな妄想をしたらたぶん色々と我慢ができなくなるのでやめた。

 

 なにせ私は今寝巻きのネグリジェを着たまま泳いでいる最中で、その上うしろから、大好きな相手に抱きしめられているのだ。これで2人きりだったらたぶん、すぐにでも顔から火を吹いた挙げ句猿に変身してただろう。「魔法で」という意味では、もちろんない。

 私をいま後ろから抱きしめているコイツに「そういう興味」が、はたしてどこまであるのかは未だによく判らないけれど、私にはしっかりある。そりゃ、そりゃあるよ。あるでしょ普通。

 

「ところでポピーちゃんさ。気づいてる?」

「なっ、なにがかな」

「服。すんごい透けてる。水から上がる時言ってね隠したげるから」

 

 えっ嘘。

 

 …………ホントだ。

 

 砂漠をジリジリと焼く強い日差しよりも、今の自分の体温の方が高いような気がしてきた。

 きっと頭から湯気とか出てるよ私いま。

 気を落ち着かせるべく視線をあちこちに振った私が見たのは向こうの浅いところでひたむきに泳ぐ練習を続けているダンブルドアくんとネリダ、そして2人に泳ぎを教えているセバスチャンだった。すぐ傍にはオミニスも居るけど、会話に参加しているだけで泳ぎを教えている様子はない。

 

「ダンブルドアくん。魔法使いが泳ぐ時、特に水の中を泳ぐ時に有用な呪文。わかるかい?」

 オミニスの質問に、ダンブルドアくんはすぐ答えた。

「真っ先に思い浮かぶのは『泡頭呪文』ですね。僕まだ使えませんけど。あとは変身術で、そうですね……首から上だけ魚になるとか。全身変わらなければ自我は失いませんよね。『動物もどき』でなくとも。後は………そうだ。呪文じゃないですけど『鰓昆布』っていうのも本で読みました」

 その解答を褒めたセバスチャンは、ダンブルドアくんに「その先」を言うように促す。

 

「そうだね。魔法が使えるなら、色々手段がある。たぶん僕らが知らないだけで他にもまだあるんだろう。……けど、これらにはどれも、共通点がある。解るよね?」

「水中で呼吸をする手段が提供されるだけで、泳げなきゃ泳げない、って事ですよね」

 セバスチャンとオミニスが笑顔になったのが、ここからでも判った。

 

「ポピーちゃんお腹やーらかいねえ………」

 今むこうの会話が気になってるからちょっと静かにしててくれないかな。

「こんなに細くてすべすべなのに、ホントに内臓ぜんぶ入ってるのかいポピーちゃん………」

 入ってるよ当たり前でしょ。あんまり揉まないでくれるかな。

 

「そう。よくわかってるねダンブルドアくん」

 向こうに居るセバスチャンの言葉に、私は頑張って意識を集中させた。

「泡頭呪文も鰓昆布も、それに変身術を使っても。それで泳ぎ方が身についたりはしない。それに僕ら魔法使いは水中でだって杖が手放せないから、両手を思いっきり使って泳ぐのもあんまりオススメはできない………杖を持ってるわけだからね。まあこれは気にしない奴も居るけど……」

 

「先輩ですか」

 

「そう。アイツ泳ぐとき杖しまうんだ。持ってたほうがいいと思うんだけど――とにかく、つまり僕らは、上手に泳げる必要がある。魔法の助け無しでね。ダンブルドアくんもネリダも。仮に将来アイツやナツァイみたいにアニメーガスになったとして。それで変身したのが水中の生き物だったとして。『泳げない魚』って、格好つかないだろ?」

「そうでなくても、泡頭呪文が上手でも、鰓昆布を使っても。泳げなきゃあんまり意味ないよな」

 オミニスもセバスチャンに続いてそう言い、セバスチャンが「ほら、もう1回頑張ろう!」とダンブルドアくんとネリダを励ました。

 ダンブルドアくんがセバスチャンに手を持ってもらって水に顔を漬けチャパチャパとバタ足の練習をしている横で、ネリダがオミニスに手を持ってもらっていた。

 

 ネリダはやっぱりまだ、水に顔を漬ける前に覚悟を決める必要があるらしい。

 

「ねえポピーちゃん」

 そんな光景を眺めて気持ちを落ち着けようとしているのに、コイツはまた声をかけてきた。

 だから今そんな優しく話しかけられたらドキドキしちゃうんだってば。

「……なあに?」

「今日ね。お昼にもネリダとアルバスが泳ぐ練習するんだけどさ。その後みんなで『三本の箒』に行かないかい?僕ねバタービール飲みたいの。アルバスを連れてってあげたいっていうのもあるけど、なにより僕がバタービール飲みたい。ポピーちゃんも一緒に行かない?」

 

 ……まただ。またこれだ。

 

 こんなふうに、私が唐突に何かをしたくなった時。あそこに行きたいとか、あれが食べたいとか、あれがやりたいとか。そういう時、決まってコイツも同じ衝動に駆られていて、私に、一緒にやろうよと提案してきてくれる。これが私には「その子とずっと一緒に居なさい」という、何か一種のアドバイスのように思えてならない。

 何からのアドバイスだろう。やっぱりおばあちゃんかハイウィングかな。

 おばあちゃんかな。おばあちゃんは優しいし何でも知ってるから。今度の休暇で家に帰ったらおばあちゃんに訊いてみようかな。

 

 それかもしかして、単に私がコイツとずっと一緒に居たいからそう思うだけなのかな。

 

「ダンブルドアくん、バタ足ってそんなには膝を曲げないんだよ」

「そうなんですか???」

「まずもっと力を抜いて、足の付け根から動かすんだ。力を込めるのは水を蹴る時だけ」

「そうなんですね……全然知りませんでした……」

 

 ダンブルドアくんの可愛さに気を取られながら、私は私を抱きしめているその友人を見つめる。

「――私も丁度、なんか無性にバタービールが飲みたくなってたところなんだ」

「そう?じゃあ一緒に行こうねポピーちゃん。大好き!」

 それは私の方こそなんだけど、そんな事言ったらたぶんほっぺにキスくらいはされちゃうし、そしたら私はたぶんいよいよ我慢ができなくなっちゃうんだよね。

「あ、そうだポピーちゃん。ギャレスのフィフィ・フィズビー・ビール飲まない?」

 それってあれよね。甘くて酸っぱくて強烈な味の、飲むとレヴィオーソされたみたいに宙に浮く、ギャレスが作ったいーっぱいある変な飲み物の内のひとつ。キンキンに冷やすと美味しい。

 

「…………飲む」

 

 そして湖から上がろうとした私が、水深が腰までしかない辺りまで来たところで、アイツは何やら慌てて私を呼び止めてきた。

 よく解らず向こうに視線を向けると、セバスチャンとダンブルドアくんが慌てて後ろを向いた。

 

 ………忘れてた。

 

「ポピーちゃん服!服!」

 

 向こうに居るセバスチャンとダンブルドアくんとオミニスとネリダの姿がいきなり目の前に現れた白いカーテンで遮られて見えなくなった瞬間に、私はやっと感情が状況に追いついて、一気に恥ずかしさが噴き上がってきた。

 

 顔から火が出そうな熱さを感じながら身体の前をどうにか両腕で隠そうと頑張っていると、ソイツは私が着ているネグリジェの、湖面から出ている部分に手を翳して魔法で乾かしてくれた。

 翳された手が身体の傍を通っていく時に感じた身体の熱は、たぶん魔法のせい。きっとそう。

 そして湖から上がった私の着てるネグリジェを裾まで乾かしたソイツはニッコリ笑って言った。

 

「フィフィ・フィズビー・ビール。冷やしてあるよ」

 

 ギャレスの髪と同じ色をしたその瓶は、確かに痛いくらいに冷たかった。

 のしのし寄ってきた湖畔の主の大きな身体にもたれて、キンキンに冷えたフィフィ・フィズビー・ビールを一口飲むと、ジリジリと肌を焼く砂漠の熱が口の中から追い出されるのを感じた。

「おいしい?」

 フィフィ・フィズビー・ビールの効果で身体が宙に浮いた私のスカートの中を思いっきり覗こうとしながらそんな質問を投げてきたソイツの姿は、どうにも可笑しかった。

 

 少し高くなった視界の中央で、ダンブルドアくんとネリダは相変わらず泳ぐ練習を続けている。

 

「………ダンブルドアくんかわいい」

 

 フィフィ・フィズビー・ビール一口ぶんの空中浮遊はすぐに終わり、ゆっくり落下した私の身体を受け止めてくれたのは、私が大好きで大好きでたまらないソイツだった。

「ポピーちゃん朝ごはん食べよっか。湖畔の主も一緒に」

 どこからともなく飛来した不死鳥が両足でガッチリ掴んでいるバスケットに追加のフィフィ・フィズビー・ビールを含む豪華な朝食が入っているのを見て、私は抱っこされたまま頷いた。

 

 




 
ある日いきなりみんな呪文を失敗するという事件
 ホグワーツ・レガシーの公式シネマティックトレーラーより。
(あくまでもシネマティックトレーラーの描写からの妄想)

フィフィ・フィズビー・ビール
 ゲーム「ホグワーツ・レガシー」の中でギャレスが作ろうとしている謎の飲料。
 会話で名前が挙がるだけでモノ自体は登場しない。なので味も効能も私の妄想。

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