2年後もしくは106年前 作:requesting anonymity
「事前に、どういう場所なのかは説明がありましたし、噂も流れてきていましたが、これは……」
ホグワーツの校長と、「防衛術」の教師。さらに7年生と1年生の生徒が1人ずつ。そして魔法省魔法生物規制管理部部長と、その部下の魔女。6人揃って大きなリボンが目を引くその一行の中でただ1人、ホグワーツの校長だけがすこぶる不機嫌だった。
「なかなか似合ってるよフィニアス」
「放っておいてくれないかねヘキャット先生」
なぜ私がこんな真似をと顔に書いてあるフィニアス・ナイジェラス・ブラック校長の右隣で、皆に大きなリボンを着けさせた張本人である7年生の青年は、自分も大きな赤いリボンを頭のてっぺんにつけて、同じく赤い大きなリボンを頭につけたダンブルドア少年と手をつないで、なだらかな草地をご機嫌で歩いている。
「ねえねえブラック校長、校長って、めちゃめちゃ遡ったらオミニスとも親戚なんです?」
「黙れ」
大きなリボンを頭の上で可愛らしく揺らしつつ「不愉快だ」と全身から発散して雑談を拒否したブラック校長を横目に見て、同じく大きなリボンをつけたヘキャット先生がクスクス笑っている。
「……ペベレルぐらいまで遡れば、まあどっかで繋がってるかもしれないね?」
「誰だっけそれ」
聞き覚えがうっすらあったらしい7年生の青年は、しかし詳細を思い出せずに首を傾げる。
「むかーし居たらしい純血家系さ――」
そこまで言ったヘキャット先生は、急に言葉を切ってすぐ横を歩いているブラック校長を見つめて、楽しそうにニッコリした。
「――ほらフィニアス。わざわざ魔法省からお越しくださった客人の前なのにそうやっていつまでもイジケてると、私はお前さんが5年生だった時の事を話したい気分になっちまうよ?」
どうやらフィニアス・ナイジェラス・ブラックは、ダイナ・ヘキャットが何の話をしようとしているのかを、それだけで理解したらしかった。
この400歳くらいにすら見える少し猫背の老婆、闇の魔術に対する防衛術をホグワーツで教えているダイナ・ヘキャットは、ホグワーツの生徒だった時期がブラック校長と被っているのだ。つまりそれは、「お互いに」当時を、要するに「若気の至り」を幾つも知っているという事だった。
ただ、その実フィニアス・ナイジェラス・ブラックは、ダイナ・ヘキャットに対して、一方的に不利な戦いを強いられていた。
なにせこのダイナ・ヘキャットという女は、当時から至って冷静沈着な優等生で、友人も多く、朗らかで誰に対しても別け隔てなく接し、「若さゆえの無軌道な振る舞い」とは無縁だったのだ。
ブラック校長とてヘキャット先生の学生時代のエピソードは幾つも知っているが、それを仮に誰彼構わず吹聴したとして、それはただヘキャット先生の評判を上げるだけの結果になるのだ。
「――そうだなヘキャット先生! せっかくの機会だ、楽しむとしよう!!」
要するにブラック校長は、ヘキャット先生に「学生時代の話」を持ち出されそうになった場合、その話を披露されたくなければヘキャット先生の意向に従う以外に選択肢が無いのだった。
急に態度を一変させて、原稿を読み上げているかのように単調な声でそう言ったブラック校長を、ダンブルドア少年が一瞬だけ怪訝そうな表情で見つめた。
「おや、あれはセストラルだね」
「あ! おはよセプルクリア! それとギャレス。どしたの?」
骨と皮だけの体躯にコウモリかドラゴンのような翼を持つ暗い色の有翼馬と、その背に乗っていた大きな目と白い毛並みをした猿のような生き物が向こうの空から飛来するのを見て、その青年は
嬉しそうな笑顔でそう話しかけた。
「んー? 何だいギャレス。急用なんだね? 今すぐ? わかった」
周囲の誰にも何も説明しないまま、独りで「ギャレス」の伝えたい事を理解したらしい青年はズボンのポケットを探って小石を取り出し、反対の手でそれに杖を向ける。
「ポータス!」
ホグワーツ領に施された数多い保護呪文のひとつである「姿くらまし防止呪文」は、現在そのホグワーツの領内に位置しているこの魔法のかかった旅行カバンの中の空間までも有効範囲内で、つまるところ、この旅行カバンがホグワーツ領内に在る限り、このカバンの中でも「姿くらまし」や「姿現し」はできず、だからこそ「ポートキー」にする為の小石をこの青年は常備している。
「おい、貴様――」
咎めようとしたブラック校長が何か言おうとしたのとほぼ同時に、その青年は「ポートキー」を起動してどこへともなく姿を消した。
「…………我らは『魔法運輸部』ではないのであるからして、何も見ていないと保証できるね」
「ちょっと部長! ……あー、でも確かにこの事の報告書は書きたくないな……」
「他の誰かならともかく、あの生徒だからな。今日一日で何十枚の報告書を書く事になるやら」
魔法生物規制管理部からお越しのお役人二人の苦々し気な表情を数秒眺めて、ダンブルドア少年は「その事」を思い出した。
「そう言えば、『移動キー』の制作って、魔法省が厳重に管理してるんでしたね……」
「まさにその通りだミスター・ダンブルドア。通常『民間』や『個人』に許可が出される事は無く、さらに言えばこの私にも事前の許可申請という手順を無視してあんな真似をする権限は無い。にも、拘らず。…………あの愚か者め」
ブラック校長の説明で、ダンブルドア少年は先輩が行使した魔法の違法性を改めて認識した。
しかしその事についてそれ以上誰が何を言うより先に、一行の前に再び魔法生物が現れる。
「おや。こんにちは」
どこからともなく飛んできたその不死鳥は、挨拶を投げかけてきたヘキャット先生の方を一瞬だけ見つつダンブルドア少年の顔を両足の鉤爪で正面からガッシリと掴み、そのまま炎に包まれてダンブルドア少年ごと姿をくらました。
しかし、その場に取り残された面々の中で慌てているのは魔法生物規制管理部職員の魔女ベリンダ・ブラウンだけで、ブラック校長もヘキャット先生も、そして魔法生物管理部の部長も、至って平然として落ち着き払った態度のまま、お互いの顔を見ていた。
「……じゃ、私達は自分の足で歩くとしようかね。たぶんセストラルの飼育区画だろうさ」
ヘキャット先生がそう言ったので、ベリンダ・ブラウンは深呼吸して心を落ち着かせた。
「ねえポピー。あんたそういや授業はいいのかい? 今もう始まってる時間なんだろ?」
「ウゥッ…………」
ビクリと体を震わせて目を逸らした小柄なハッフルパフの7年生の横顔を、狼人間のお姉さんがじっとりと見つめている。
魔法生物規制管理部の職員による飼育環境の査察が行われている旅行カバンの中、のとある小屋の、クローゼットに置かれている別の旅行カバンの中、の奥。
普段居住しているのとは別の区画の別の建物で査察が終わるまで静かにしていなければいけない狼人間のお姉さんと、なぜか一緒に隠れている今もう授業が始まっているはずの小柄なハッフルパフの7年生ポピー・スウィーティングは、ポピーが視線を戻したことで、また見つめ合った。
(アタシもこの子みたいに可愛いかったらなあ…………)
(ああいう服も、起伏のある体型も。アイツ好きなんだろうなぁー……)
お互いの姿を改めて観察し合っている2人は、バレエを初めて見た少女がプリマドンナに抱くような淡い色をした憧れを、互いに対して抱いていた。
「……もしかしてお姉さん、アイツに『触らせてあげた』事とかある?」
「……………………ノーコメント」
「ふぅーーん」
目を細めてニヤリと笑ってから、お姉さんの一番上まで締まりきっていない服のボタンから溢れそうになっている「それ」をじっとり睨んだポピーは数秒だけ静かになった後、さらに言った。
「ねえお姉さん」
「なんだい」
「私のこと『おねえちゃん』って呼んでみてくれない?」
「は???」
このハッフルパフの小柄な7年生の女の子が急に乱心したと思っている狼人間のお姉さんに、ポピーは至って真面目な口調で続ける。
「お姉さん今、『私がこんなに幸せでいいのか』って思ってたでしょ」
今度は、狼人間のお姉さんが答えに詰まって目を逸らす番だった。
「お姉さんちょっとしゃがんでほしいな」というポピーの要請に黙ったまま従った狼人間のお姉さんを、ポピーはギュウっと抱きしめた。
「私がこうするのも、アイツが優しくするのも、ホントはどっかで辛いんだよね、お姉さん。だってパパとママにも優しくしてもらってたから。なのに傷つけてしまったって思っちゃうから」
狼人間のお姉さんは急に腕を突っ張ったりして暴れ始め、ポピーを振りほどいて離れようとするが、ポピーの抱きしめる力は意外な程に強かった。
「でも、それでもお姉さんには、誰かが優しくしてあげなきゃいけなかったんだよ。もっと早く誰かがこうしてあげてれば、お姉さんきっと密猟者になんてならずに済んだ。……けど、お姉さん。狼人間になる前の事を思い出して辛くなっちゃうって言うんならさ。兄弟とか姉妹とかは居ないんでしょ? だったら私、おねえちゃんになってあげる。おねえちゃんならさ、ホントは居ないんだから、パパでもママでもないでしょ? だから私の事『おねえちゃん』って。呼んでみて?」
ポピーは、あの奇矯な友人に対してそうであるように、このお姉さんの事も魔法生物と同じに見て「お世話してあげたい」とか「愛してあげたい」と思っていたが、ただ「愛してあげたい」という思いに含有される「愛」の種類だけは、あの奇矯な友人に対するそれとは少し違っていた。
「やっぱりここに居たね。その子がどうかしたのかい?」
セストラルの群れの真ん中にしゃがみ込んでいた7年生の青年を見つけてその背中に声をかけたヘキャット先生の後ろから、魔法生物規制管理部の2人とブラック校長も追いついてきた。
「せめてもう少し…………ヒト用の通路も整備するべきでは、ないかね……」
「部長は運動不足ですね」
「きみが壮健過ぎるんだよブラウンくん。普通、山の尾根を歩かされれば、誰しもがこうなる」
膝に手をついて肩で息をしている魔法生物規制管理部の部長をよそに、その部下であるベリンダ・ブラウンは息を乱してすらおらず、至って元気いっぱいだった。
そしてそのすぐ隣では、フィニアス・ナイジェラス・ブラックもまた、平然としている。
「予想できた事だ。だから準備した。それだけの事」
そう言い放ったブラック校長は、別に普段から鍛えているので登山程度どうということは無いとかそういうわけではなく、単にひとりだけこっそり持参していた箒に跨って飛行してここまで来たので登山も疲労も回避できただけの事である。
自分の箒しか用意せず、もちろん誰も同乗させず、準備していない方が悪いと態度に出す。
それも「悪意」など一切なく、ただ、当然にそうする。
これがフィニアス・ナイジェラス・ブラックである。
「セストラルが牽く馬車の方が飛行手段としては好みなのだが、まあたまには箒も悪くないな」
あまつさえそう言い放ったブラック校長をベリンダ・ブラウンが一瞬睨んだが、ブラック校長は気づいていない様子だった。
「いやはや。…………すっかり頭から抜けておりました……」
去年も同じ経験をして同じように疲労困憊になった事を今思い出した魔法生物規制管理部の部長は、すっかり禿げ上がった頭を陽で輝かせながら、そう呻いて笑った。
そんな3人とヘキャット先生が見つめる先で、このカバンの中の飼育空間の持ち主である7年生の青年は、相変わらず何頭ものセストラルに囲まれたまましゃがみ込んで何やら忙しなく手を動かしているようだったが、皆に対して背中を向けたままそうしているので、何をしているのかは推測する以外に窺い知る方法が、ヘキャット先生たちには無い。
ごぽぁ、という小さな音を、ヘキャット先生の耳が聞き取った。
「よーーーし息した! いい子だね……もう大丈夫だよ」
「やった! 先輩すごいです!」
その歓喜の声を受けて青年が何をしていたのかを察したベリンダ・ブラウンは、続いて聞こえてきた可愛らしい声を聞いて初めて、セストラルの群れの中に紛れているその男の子に気づいた。
「あら。きみ居たのね。全然気づかなかったわ」
「アルバスはしゃがむといろんなものにスッポリ隠れちゃうんだよね……ほら、自分で立つんだ!よーしいい子だ! えらいよ……よく頑張ったね。そうだ、きみの名前決めないとね」
その青年と周囲のセストラルたちの蔭から歩み出てきた小さな身体のセストラルが未だ仔馬である事も、どころかつい今しがた生まれたばかりである事も、そして呼吸をしていない状態で生まれたのだろうという事まで、魔法生物規制管理部の2人はすぐに察していた。
「あ! 来てたんですねヘキャット先生。この子ねえ心臓動いてない状態で生まれてきたみたいで。それでギャレスとセプルクリアが僕を呼びに来たんです」
その仔馬のセストラルが歩くのに合わせて周囲の大人のセストラルたちがそれを見守るように動く、渦のようなセストラルの群れの中で、そう言った青年は満足気に笑っている。
「お前もありがとね。この子を助けるの手伝ってくれて」
セプルクリアの背の上に舞い降りた不死鳥にそう言った青年は、急にぐりんと首だけ動かして視線を別の方向に移した。
「ブラック校長、もし良かったらこの子に名前つけません?」
「そやつの名前はシリウスだ」
即答したブラック校長がなぜその名前を挙げたのか、なぜ珍しく面倒くさがる素振りを見せなかったのか。察しているのはヘキャット先生と魔法生物規制管理部の部長だけだった。
ブラック校長の「思うところ」が、どこにあったのかを。
「いいですねブラック校長! シリウスくん超かわいいですもんね!」
そっちじゃない方のシリウスだよ、とは、ヘキャット先生は言わなかった。
「ギャレスはどうする? 一緒に来るかい? まだシリウスを診てる? そう。ありがとね」
寄って来たデミガイズと手短に意思を疎通させてから、ひとりでに開いて必要な分だけの餌を浮遊させて自動配布する魔法のかかった給餌器にセストラルたちが群がっていくのを束の間見守った後、その青年はくるりと振り向いて「じゃ、行きましょうか」と皆に言った。
「次はどちらに向かうのですかな?」
「ゴドリックのとこだよ! おっちゃんに紹介したいんだ!」
それを聞いたダンブルドア少年は「いよいよかぁ」と気を引き締め、そんなダンブルドア少年の覚悟の決まった眼差しを横目に見て「でっかい猛獣なんだろうなぁ」と察したベリンダ・ブラウンもまた気を引き締めた。
「あなた本当にほっぺまんまるね」
「僕としては引き締めているつもりなんですが」
ベリンダ・ブラウンはカバンの中に入る前に少し話した自分の娘が先日送ってきた手紙の内容を思い出しながら、「これは触らせてもらいたくもなるね」としみじみ考えていた。
「またあの滝壺の湖ですか先輩?」
何も居ないように見える空中を撫でている先輩に、ダンブルドア少年が訊いた。
「んーん。あそこはあの2人の『お気に入りのお茶会場所』なんだ。で、普段居るのは別のとこ。そんでブラック校長一応もっかい言っときますけど、そのおリボン外しちゃダメなんですからね! 脳みそ食べてほしいんなら別ですけど! ウィーズリーズが棲んでる洞窟を通るんですからね!」
それを聞いて自分の頭のリボンを整え直した部長を見ながら、ベリンダ・ブラウンが訝しむ。
「部長、なんですウィーズリーズって。事前に渡された資料にありませんでしたけど」
「この生徒が飼育しているスウーピング・イーヴルの群れだ。飼育許可は要らん。飼育に成功した例など今まで無かったのだからな。しかし、だからこそ今――」
「……ああ、ハグリッドさんの班がかかりっきりになってる『草案』の」
「そうだ。一因だ。この生徒が飼育と繁殖に成功してしまったが故に『飼育には許可が必要』とする法律を新たに作る必要が生まれた魔法生物のひとつがスウーピング・イーヴルだ」
そんな話をしながら7年生の青年の後ろに続いて歩く魔法生物規制管理部の2人に、横からヘキャット先生が「迷惑かけるねいつも」と言葉を投げかける。
それに対して魔法生物規制管理部の部長は「まさか!」と大きな声を出した。
「最も楽しい種類の職務だとも! 『魔法生物と魔法族の関係性』と『魔法生物の生態』に関する新たな発展と発見を日々目にできるのだから! それに密猟者どもへの対処という分野においてもこの生徒には我らも魔法法執行部も大恩があるのだ!」
これは個人的な意見であって魔法生物規制管理部の公式見解ではないが、と前置きして、その禿げ上がった魔法使いは続ける。
「きみときみの魔法生物たちの助けになれるのなら、いくらでも法律を改正するとも!」
「……その発言を、私が『予言者』に売っちゃうとは考えないんですか部長」
部下のベリンダ・ブラウンにじろりと睨まれて、その禿げ上がった魔法使いは「ホッホホー」と誤魔化すように笑ってから額の汗を拭った。
そして彼らは、海岸に面した高い高い岩壁に沿って板一枚を渡してあるだけの危うい通路をそっと通って崖の途中の低い位置へと、波しぶきが足元を濡らす「その洞窟」の入口へとやってきた。
「マチルダー。ちょっと通らせてほしいんだけどー。今いいかいー?」
「きみ、もう少し人間用の通路もちゃんと整備するべきではないかね……」
「部長もっと運動しましょうね。ウチは魔法生物規制管理部なんですから。体が資本ですよ」
「はい…………」
ベリンダ・ブラウンが疲労困憊の上司に活を入れている最中にも、7年生の青年とその背を追うダンブルドア少年は2人してどんどん洞窟の奥へと進んでいく。
「フィニアス、お前さんは魔法生物たちの事、どう思ってるんだい。『校長先生』?」
わざとらしく肩書きを強調してそう訊いてきたダイナ・ヘキャット先生にブラック校長は言う。
「侮って痛い目を見るほど間抜けでも愚かでもないつもりだが? 『嫌いだ』という理由だけでヒッポグリフの蹴りや嘴の一撃を全て躱せるなら誰も苦労はしない。それに――」
「『敬ってその場が穏便に済むなら、そうするのが利口だ』……5年生のときにお前さんが言った事だったね? そうさ。自分のプライドを優先して不必要な波風を立てて無駄に動物を怒らせるなんて、狡猾なスリザリンらしいとは言えない。しかもそれで自分が怪我するなんて、ねえ?」
「まったくだ! 侮りは禁物だと言ったのに! セルウィンの奴め、未だにあれを根に持っているのだ……一杯やる度に愚痴を聞かせるなら、せめてたまには違う愚痴を聞かせてほしいものだ!」
ヘキャット先生と2人してどうやらお互いが学生だった頃の思い出で盛り上がっているらしいブラック校長を見ながら、ベリンダ・ブラウンは内心驚いていた。
この人こんなふうにも笑えるのか、と。
「その『セルウィン』は、あの『ミスター・セルウィン』だね?」
魔法生物規制管理部の部長が会話に加わった。
「そうだ。私の同級生。今ではセルウィン家の家長。あなたから見れば……3つ下の後輩。でしたな? ボガートはあやつの前では未だにヒッポグリフの姿になるのです」
そう言ってニヤリと笑ったブラック校長に、魔法生物規制管理部の部長も笑みを返す。
「覚えておりますとも。ホグワーツ中の噂になりましたからな……純血の生徒がヒッポグリフに蹴り飛ばされて骨を折ったと。そのヒッポグリフは殺処分『された事になり』、その生徒は慰めてくれるものと思って手紙を送った父親にこっぴどく叱られて泣いたと……」
「――ま、弟のシルバヌスみたいにはならなかった辺り、ちゃんと学んだらしいねあの堅物は」
そう締めくくったヘキャット先生に、どうしても気になったベリンダ・ブラウンが訊く。
「……そのヒッポグリフ、どうなったんです?」
「秘密裏に引き取られた先のセルウィン家で終生大切に飼育されたよ。セルウィンの家は今じゃ、そのヒッポグリフの子孫を何頭も飼育している。…………当人曰く、『戒め』だそうだ」
ヘキャット先生の回答を聞いて、自分が一番怖いものを自分の家で飼育するってどういう心境なんだろうなと、ベリンダ・ブラウンはそれまであまり良い印象を抱いていなかったセルウィン家についてぼんやりと思いを馳せたのだった。
「さて、ちょっと私語厳禁だよ」
洞窟の奥へ奥へと進んだ先、急に開けた大空間の入口近くで急に立ち止まったヘキャット先生がそう言った事で、ベリンダ・ブラウンはビクリと硬直した。
「あ、やっと来た。おーいブラック校長! 見てくださいウィーズリーズがまた増えたんです!」
大空洞の天井に空いた大きな穴から降り注ぐ陽光が、その青年と傍らの小さな男の子を、そしてその2人の周囲を飛び回る数え切れないほどの蝶のような蛇のような生き物たちを照らしていた。
被膜を広げて飛行するその生き物の背は苔に覆われたような緑色で、その反対の腹側はほとんど黒と言っていい暗さの紺色の胴体が、夏の空か宝石のような美しい青色の被膜を際立たせていた。
「先輩、頭に一匹へばりついてますけど大丈夫なんですか? スウーピング・イーヴルってヒトの脳を食べるんでしたよね?」
「大丈夫だよアルバス。マチルダは僕の頭に乗っかるのがすすすすすすすすすううううううう」
「先輩食べられてません?! 脳を食べられてませんか??!!」
ほしかった反応を貰えてご満悦の青年は、自分の頭に帽子か何かのように乗っかって覆っているスウーピング・イーヴルに「遊んでくれてありがとねー」と言いながら背を撫でてお礼をした。
「びっくりさせないでくださいよ……」
担がれたと理解してむくれているダンブルドア少年を気にせずハグしたりしながら、その青年は相変わらず楽しそうだった。
「この子たちにね。生まれたばっかりの子に。食べちゃいけない人間もいるんだよーって教えるのに、僕、このおリボンを使ってるの。ほら、シルエットが大きく違うと見分けやすいだろう?」
「先輩あたまから血が出てますけど。ホントに食べられてないんですね?」
「これはほら、マチルダは僕のあたま齧るのが好きだから」
「それは食べられているのと何が違うんですか??」
被膜の先端辺りを手のように使っているスウーピング・イーヴルの「マチルダ」に頬をベチベチ叩かれながら、7年生の青年はダンブルドア少年に言う。
「だってスウーピング・イーヴルって脳を『齧る』んじゃなくて『吸う』んだもの。まず頭の骨を溶かして小さい穴を開けて、そこから吸うの。血も一緒に吸っちゃうし、食事が終わった後は脳を喰われたんだからもちろん死んじゃってるよね。だから、頭から血が出てるのは大丈夫なんだ」
その説明で納得しそうになったダンブルドア少年に「もちろん血の匂いを嗅ぎつけて興奮しちゃう子たちもいるけどねー」とお気楽な口調で付け足しながら、その青年は大空間の陽が差す一角を離れて、さらに奥へと皆を先導して進み始める。
そしてダンブルドア少年が先輩の背中を追っかけて洞窟を出ると、そこは森と草原と岩だらけの砂地とのちょうど境界に位置しているらしい、周囲より少しだけ高い丘の上だった。
近寄るとブパブパ軽快な音を鳴らす黄色いラッパスイセンが見渡す限りに咲き誇っているその丘の中央、一番高い位置で、その生き物は臥して微睡んでいた。
ホグワーツの1階大広間にギリギリ収まるかな、と魔法生物規制管理部のベリンダ・ブラウンは寝ているのか目を閉じているだけなのかの判別ができない巨大極まるマンティコアを見上げながら、そしてマンティコアの背後に何輪か咲いている、その臥したマンティコアの背より高い巨大なラッパスイセンが鳴り出しませんようにと願いながら、何故か冷静にそう思っていた。
視界に入ってきた光景を理解できなくて、思考が凍結された結果としての冷静さだった。
「こんなでっかいラッパスイセンここにあったかね?」
「あ、それはサっちゃんが育てたやつです。品種改良ってのをしたんだってさ。魔法薬でズルしたとも言ってたけど、『肥らせ呪文』は使ってないってサっちゃん胸張ってました」
青年の説明を聞いて「ハッフルパフに10点」と宣言したヘキャット先生の隣で、魔法生物規制管理部の部長が口を開いた。
「つまり、去年マクファスティーの奴が報告書で濁していた『ドラゴン惨殺事件の犯人』が、この類稀なる巨躯のマンティコアだと、そういうわけだね?」
「そうだ。私が食べた」
地面を揺らすような低い声が静かに響き渡った事で、ベリンダ・ブラウンがビクリと怯んだ。
「はじめまして。あなたが『ゴドリック』ですな? 私は魔法生物規制管理部の部長をしております。つまり、あなたのような生き物に不届きな人間が危害を加えないように、逆に人々に危険が及ぶこともないように調整する事を職務としております」
「はじめまして。そうだ。私が『ゴドリック・グリフィンドール』だ。そこのすばしこい奴に貰った名前だ。それとあのドラゴンは今ではかなり貴重な種だったらしいな。悪かった」
「いえいえ。我ら魔法生物規制管理部と魔法省、そして国際魔法使い連盟の定める幾つもの法は、どれひとつとして貴方がた『魔法生物』の行動を縛るものではありません。『魔法生物』と接する際の、ヒトの行動を縛るものです。つまり、それを避けるために動くべきだったのは我らヒトの魔法族であって貴方でもヘブリディアンブラックでもなく、既に起きてしまった事はしかたがない」
そんな会話を傍で聴きながら、こんなでっかいマンティコアにも怯まないなんてすごいなあと、ベリンダ・ブラウンはハゲて太った優しいけどいつも動きの鈍い上司を今また少し見直した。
「『なんで昨日あんなに雨が降ったんだ』なんて、怒ってもしょうがないですもんね」
ダンブルドア少年のその言い回しが気に入ったらしいブラック校長が少しニヤリとしたことに、ヘキャット先生だけが気づいていた。
「ところで貴方たち『マンティコア』は、ヒトを好んで食しますな? そして、騙して仕留めて食する事もあると、我らは認識しておるのですが。貴方がホグワーツの生徒に対してそのような真似をしないという保証が、どこにあるのですかな?」
「愚問だな。仰る通り私はマンティコアで、マンティコアはヒトを騙して喰らうのに、その私が何を誓ったところで、それでお前たちは何をどう安心するというんだ?」
「ほんとだ!!」とでも言いたそうな顔で驚いている青年をよそに、ダンブルドア少年にも魔法生物規制管理部の部長にも、その部下ベリンダ・ブラウンにも、そしてヘキャット先生にもブラック校長にも、こんな問答は形式だけのものだと理解できていた。
ハート型のレンズにドギツいピンク色のフレームのサングラス。やたらツヤツヤしたたてがみとヒゲは幾つもの三つ編みに整えられ、それぞれの束の先端には可愛らしいリボン。胴体を覆うバレエダンサーのようなふんわりした短いスカートのドレス。そしてその頭の上で眠りこけている何匹ものパフスケインと、大きな身体のあちこちに止まっているフウーパーやジョバーノール。
こんなのが無差別に人を喰うというなら誰がどうやってここまで飾り付けたのかと、ベリンダ・ブラウンはそう感想を抱くので精一杯だった。
「ほらエリエザーも隠れてないでさ! ちゃんと挨拶しなきゃダメだろう」
〈…………わかってるよ〉
急に空が暗くなったと思った魔法生物規制管理部の2人が顔を上げると、そこには丘全体を覆えるほどの太く長い身体と枝分かれした2本の角をもった白い大蛇が、空中で胴体をうねらせて頭をのそりと動かし、星型のサングラスの向こうから怪しく光る両目をこちらに向けて、品定めでもするかのようにじっと魔法生物規制管理部の2人を睨んでいた。
なんで立派な角がクリスマスツリーのように色とりどりに飾り付けられているのかも、なんでそんな派手なサングラスをしているのかも、魔法生物規制管理部の2人はとても訊ねられなかった。
「……ミス・スウィーティングだね?」
「そう。」
ヘキャット先生の質問を肯定しながら、なんともいえない妙な表情で、その青年は笑った。
【ベリンダ・ブラウン】
ホグワーツ・レガシー内でいくつか読める「日刊予言者新聞」の記事のひとつに名前と発言だけ登場する魔法生物規制管理部職員の魔女。
記事の内容から類推するに1890年の時点でウィゼンガモットのメンバー。
私の妄想の中では1892年の時点で11歳の娘が少なくとも1人いる。