2年後もしくは106年前 作:requesting anonymity
「投票!!」
「違う違う。『Vote』じゃない。『王手』だ。『ōte』。あと別に宣言しなくていい」
「えー、でも俺は言いたいよシマヅくん」
「……もちろん、言いたいなら言ってもいい」
全ての授業が終わり夕食も済んだグリフィンドールの談話室で、ニホンから来た3年生のシマヅくんに、数名の同級生たちが「ショーギ」なるニホンのボードゲームを習っている。
チェスみたいなもんなら自分もやってみたいなと興味を抱いた他の生徒たちもそのテーブルにわらわらと寄っていき、すぐに「自分は最前列に居るんだからすこし屈むか」などと気を遣う者が現れ始めるほどの人だかりが形成された。
「で、だ。ミス・ホーウェル、貴様はまだ敗北していない。チェスの『チェック』とは違うんだ。『このまま貴様が何もしなければ次で俺が勝つぞ』というだけで、対処不可能だとは限らない」
追い込まれているミス・ホーウェルに、背後からシマヅくんが盤面を見つつアドバイスする。
「え、……あホントだ! こっちのゴールデンジェネラルでポーンを取る!」
ミス・ホーウェルが気づいたその突破口は、しかし対戦相手である友人には読まれていた。
「すると今度はそのお前のゴールデンジェネラルが、俺のフレグランスカートに取られるわけだ。でフレグランスカートがゴールデンジェネラルに変身する。つまりまたオーテ」
「…………シマヅくん私これどっちにしろ負け濃厚なんじゃないかな?」
数秒考えてからそう言ったミス・ホーウェルに、シマヅくんは「暗黙の了解」を説明する。
「『ここからだとどうやっても絶対に負ける』と思ったら、その時点で降参を宣言するのが普通だ。将棋は実際に相手の王もしくは玉を取るところまではやらない。勝敗が決したらそこまでだ。しかし同時に『勝ちの目がまだあるのに早々と諦めて降参する』のは、とても恥ずかしい行いだ」
流暢なイギリス英語で将棋のルールを説明するシマヅくんは、別に将棋が特別強くも得意でもないと自認していた。父上に勝てたためしは無いし、弟相手にも負ける事の方が多い。
しかしそれは薩摩島津家の内で比べた場合であり、マホウトコロの生徒たちの中では充分以上に強い指し手だった。
「……むー…………私はまだ諦めない! 王様がこっちに逃げます!」
ではホグワーツにおいてはどうなのかと言えば、一度説明されただけでルールを理解するどころか幾つかの定石まで察してみせた驚異の11歳がひとり、島津忠宝の前に立ちはだかっていた。
「…………そこでいいんですね先輩? じゃあその角行をこの桂馬で貰います」
「にゃーーーー! 僕のコーナー☆ゴーが!! 待ってアルバス今の無し! もっかい考える!」
「先輩はまず全部の駒でいっぺんに攻めるのを止めるところからだと思うんですよ僕。なんで王将までこっちの陣地に突っ込んでくるんですか」
「えーーっとえーーっとじゃあじゃあこっちのフライングカートでシルバージェネラルを取る! そうするとこのフライングカートはなんと★DRAGON・KING★になります! 最強! 無敵!」
「いや別に無敵ではないですけど…………」
11歳の小さなアルバス・ダンブルドア少年は、もう既に将棋を教導する側に回っている。
「……なんでフライングカートが★DRAGON・KING★になるんだいアルバス?」
「僕に訊かれましても……」
困ったようにそう言いながら、ダンブルドア少年は歩で先輩の★DRAGON・KING★を取った。
「むにゃーーーー!!! アルバスのいじわる!! なんてことするのさ!!!」
「王手です先輩」
「ぷぎゅーーーーーー!!!!」
そして戦局よりも先に、その7年生の忍耐力の方が限界を迎えた。
「…………なんだい?」
ショーギに挑戦している皆の輪の中に入っていなかったオミニス・ゴーントは、ダンブルドアくんとショーギをしていたその友人がテーブルから離れて目の前に来たのを察して、そう訊いた。
「だっこ!!!!」
「はいはいおいで。……ダンブルドアくん、次は俺の相手をしてくれるかい?」
「構いませんけど、…………あの、オミニス先輩。あの、えー、そのですね」
目が見えないのに将棋ができるのかをそのまま訊ねていいものか、どう訊くべきかと考え始めたダンブルドア少年に、オミニスは言う。
「きみから見て、最も手前の最も左端のマスを『1のA』とする。右端は『9のA』だ。つまりきみの側のコーナー・ゴーの初期位置は――」
「『2のB』ですね。理解しました。ではオミニス先輩からどうぞ」
その2人が何を始めたのか、すぐに理解できた者は少なかった。
「『7のG』にあるポーンを『7のF』に」
「じゃあ僕も『3のC』にある歩を『3のD』に」
聞いてすぐに盤面を思い浮かべるには相当の訓練を要するであろう符号を用いてお互いの頭の中だけでショーギバトルを始めたのだと気づいた者から、皆次々に手を止めてその2人を見つめる。
「……ごめんシマヅくん、ドランクエレファントはどう動くんだっけ!」
「『醉象』は真後ろ以外に1マスだ。……すごいなお前ら」
「じゃあその『スィーゾー』を『5のH』から『6のH』に」
「歩を『8のC』から『8のD』に」
淡々と勝負を進めるダンブルドア少年とオミニス・ゴーントの言葉を聞きながら、ナツァイ・オナイとクレシダ・ブルームは自分たちが駒を戦わせていた盤面を睨んで、向こうの2人の対戦が今どうなっているのかを理解しようと頑張っている。
「ねえ『6のH』ってどこだっけ…………」
「ここ。じゃないこっち。このマス!」
「――銀を『3のA』から『4のB』へ。……歩を先に突っ込ませ終えるべきな気もしないでもないですが。まあ守る準備をしましょう」
「じゃあ俺はフライングカートを『5のH』に」
ナツァイとクレシダが理解するよりも先に、ダンブルドア少年とオミニスの「現在の盤面」は次々に先へと進んでいく。
そして数分もかからずにグリフィンドールの談話室に集っている者たちの殆どが、その2人のショーギバトルが今どのような戦況なのかを推察するのを諦めてしまった。
「ねえシマヅくん」
「なんだホーウェル」
苦闘も功を奏さず友人に敗北した3年生のミス・ホーウェルは、しかし楽しげに訊く。
「ショーギって、魔法がかかってるやつもあるんでしょ? 『魔法使いのショーギ』が」
「もちろん。将棋を理解してもらうには魔法がかかってないやつの方が説明しやすいから、まずはこっちを使ってもらってただけだ。……じゃあ、『魔法使いの将棋』やってみるか?」
そう言ったシマヅくんは懐から風呂敷包みを取り出してそれを傍のテーブルに置いて解くと次の瞬間、急に声を張り上げた。
「並べ!!」
突如13歳の男の子から島津家次期当主に変貌したシマヅくんにグリフィンドール談話室の皆が驚く暇もなく、その「つわものども」は現れた。
カチャカチャと音を立てながら一糸乱れぬ足運びでテーブルに並んだ、それまで見たこともない妙な甲冑を着た木彫りの兵団を、グリフィンドールの談話室に集う皆が興味津々で見つめている。
「兜の前立てが、字の形をしているだろう? 読めなくとも、『普通の』将棋の駒が手元にあるんだから、見比べればどれがどの駒かは判るな?」
「…………これ、つまり、ニホンの『騎士』はこういう甲冑を着るんだね?」
「そうだ。俺はホグワーツに交換留学する事が決まってから、初めて『英吉利の鎧』を見て驚いた。見た目の違いもそうだが、何よりその装飾の少なさに」
「並びからして、このおじちゃんが『キング』だよね? 誰かモデルが居――」
ルーカン・ブラトルビーは、質問を最後まで言えなかった。
その精巧な木彫りのキングが、とんでもない大声で名乗ったから。
「我 、島 津 家 1 6 代 当 主 島 津 義 久 ! ! ! ! 」
シマヅくんの声が大きいのはきっと家族全員先祖代々そうだからなんだろうなと、グリフィンドールの談話室に集っていた面々はこの時察した。
「この王将は義久どのだ。この将棋の駒は我が薩摩の職人が彫ったものだから、歩まで皆、島津家の家臣や兵たちを模していると聞いている。『大将棋』も家にあるのだが、あれは将棋というものを紹介するのに使うには駒が多すぎるから持ってこなかった」
シマヅくんはそのまま、嬉しそうに微笑みながら木彫りの武者を一人ひとり紹介していく。
「この角行は惟新斎どのだ。こっちの飛車が歳久どので――」
そんなニコニコ顔のシマヅくんの説明を聞きながら「シマヅくんは家族が大好きなんだな」と理解している皆の輪から少し離れた位置のテーブルでは、ギャレス・ウィーズリーの周りにも、いつものように1年生たちがわらわらと集合していた。
「あたしのキンをここに動かして、ギャレスのギンを取るわ!」
「ありゃ、そうくるか。むーー……」
チェスにしろ将棋にしろ、この年のホグワーツの7年生の中で最も強いのはオミニス・ゴーントとヘクター・フォーリーのどちらかだろうという意見で皆一致していたが、では最も教えるのが上手いのは誰かという話になると、その2人を差し置いて真っ先に名前が上がるのが、このギャレス・ウィーズリーだった。ギャレスは初めてその光景を見た人間が例外なく感心の声を上げる程に、ルールの理解もおぼつかない初心者を、楽しませるのが上手だった。
「んーーー、じゃあ僕はこっちの桂馬できみの香車を貰うよ」
「え、あ。そっち? あたしそっち側すっかり忘れてたわ! あらやだどうしましょ……」
やっと駒の動かし方をいくらか覚えたばかりのハッフルパフの女の子は、周囲のお友達みんなと一緒にああでもないこうでもないと相談し始める。
わざと劣勢を演じている、もしくはわざと負けている、勝たせてくれていると相手に察されれば一転して顰蹙を買いかねない繊細な作業を、ギャレスは事も無げに完璧にこなす。
そしてその光景に慣れている7年生たちは、ギャレスが1年生や2年生相手に負けたり勝ったりして楽しませている場面に遭遇する度に、いつもみんな同じひとつの疑念を抱くのだった。
つまり、自分とチェスの勝負をしているときもギャレスは、勝つ事よりも相手を楽しませる事を優先しているのではなかろうかと。
本当はもっと強いのではないかと。
その一方で、普段のプレイスタイルが素のそのままで裏にも底にも何も隠れていないと、ありありと察せる同級生の友人も、7年生たちには居た。
「ねーオミニスぅ、今どっちが勝ってるんだいー? 聞いてるだけじゃわかんないんだけどなー」
ソファの上でオミニス・ゴーントに膝枕してもらったままオミニスの頬へと右手を伸ばしているそのド派手なメガネの女生徒は、明らかに退屈し始めていた。
「俺の方が劣勢だよ。守るので精一杯…………シルバージェネラルを『7のH』から『6のH』に」
オミニスがそう言ったのと同時に、シマヅくんを囲んでいる皆がまたしても歓声を上げた。
飛車が竜王に成ったのである。
「ホーンド・サーペント?」
「龍だ。北海龍王敖順。……いや、こっちじゃ龍も夜刀神も一緒くたに『ホーンド・サーペント』だと、俺がこっちに出立する前に校長が仰っていたか――」
「……アジアにしか居ない種類のホーンド・サーペント?」
「まあ、そんなところだ」
ハンガリー・ホーンテイルの翼を毟り取って胴を引き伸ばしたような、装飾だらけのバジリスクか、それこそ図鑑で見たホーンド・サーペントの挿絵によく似たその生き物の木像がドラゴンだとは、2年生のブキャナン少年にはとても思えなかった。
しかしその木像はみすぼらしさとは無縁で、これが本当に居るというのなら一度見てみたいとブキャナン少年のみならず周囲の全員にそう思わせるほど、優美で迫力に満ちた姿だった。
「オミニスはお顔がキレイだねえー……」
「眠いんなら寝室に行ったらどうだ?」
「やだぁみんなと一緒がいい……」
この友人が5年生だったあの年のあの日を最後に、以降一晩たりとも独りで寝た夜が無いことを、7年生たちは、みんな知っている。
自分が所属していない寮の寝室にも、男子寝室にも女子寝室にも勝手に自分用のベッドを置き、毎日気まぐれにどこかのベッドで寝る。誰かのベッドに入り込んで寝る。誰かを拉致して抱き枕にして寝る。それも無理なら「アイアンデールのこそ泥」と、それか「ハイウィング」と、あるいは「湖畔の主」か「セプルクリア」か「カリゴ」、もしくは「ヘイゼル」や「ジェラルド」と、とにかく誰かしらの「ともだち」と一緒でないと寝られないのだと、7年生たちは皆知っている。
たまに森の中などに独りで居る時、疲労困憊で倒れるように眠ってしまった場合は目を覚ますまで不死鳥がぴったりと傍に寄り添って離れないのだと、いくらなんでも帰りが遅いと探しに出てそれを目撃した経験が何度もある7年生たちは知っている。
その友人が本当は誰と一緒に寝たいのかも、7年生たちは皆知っている。
もう絶対に叶わない願いだからこそフィグ先生が夢にいつも出てきてくれるのだと、その7年生はよく理解していた。
だからフィグ先生が夢に出てくるたびにとても嬉しくて、とても寂しいのだった。
「チェック。…………もう一度やるかね?」
「もっかい! もっかいやろフィグ先生!」
ホグワーツ。魔法理論の教室の奥にある、魔法理論の教授のオフィス。そこで1人の教師と1人の生徒が、同じテーブルの対面に座ってくつろいでいる。
2人の意向に従って、チェスの駒はゲームが新しく始まる時の位置へと戻っていく。
「フィグ先生フィグ先生、ぼくどうやったらフィグ先生にチェスで勝てますか!」
「キングまで動員して全部の駒で一塊になって攻め込んでくるのは、止めたほうがいいな」
「そうなの?!!!」
相手のやりたい事が察せたら、それをやらせてあげるのがエリエザー・フィグのチェスだった。ヘキャット先生やウィーズリー先生とは違ってチェスが他人に誇るほど強いわけではなかったエリエザー・フィグにとって、そんな余裕綽々の戦い方をさせてもらえる相手はそんなに居なかったが、この愉快な教え子はその数少ない例外だった。
全部の駒を一塊にして攻め込むなど対局相手の忖度無しには不可能な戦法なのだが、この生徒はそんな事、フィグ先生とチェスしていた時もまさか手加減されているなどとは思っていなかったし、他の友達などとチェスしている時も全く気づいていない。
意気揚々と全ての駒を一塊に集合させ、意気揚々と全部の駒を敵陣に突撃させる。戦略も何もあったものではなく、そんなやり方で誰かに勝てるはずもなかった。
しかしその生徒は大好きな相手とチェスできるだけで嬉しくて楽しいので、何度負けても何も戦法を改善などせず再び勝負を挑む。
魔法を使う時や魔法生物たちの世話をしている時、そして何より戦う時に発揮される優れた判断能力と視野の広さは一体どこへ行ってしまっているのだろうかと、その生徒とチェスをする度に同級生の友人たちは疑問に思っている。
フィグ先生の手の内を読もうと無駄な努力をしていたその生徒は、盤面を睨んでいた顔を上げて、正面のフィグ先生を見つめる。
「フィグ先生、僕ね、闇祓いっていいなって思ってるんですけどね」
「ふむ。きみならきっと素晴らしい闇祓いになれるだろうな」
2人の間で盤上の駒は勝手に試合を進めだしているが、どちらもそれを見ていない。
「それとねフィグ先生、ポピーちゃんがね。卒業したら僕の助手してくれる事になったんです。動物たちのお世話を卒業してからも手伝ってくれるって!」
「本当かね! それはめでたい……いいかね、きみたちだから心配は要らんと思うが――」
「はい、フィグ先生。仲良くします」
「うむ。しかしだ。それを意識しすぎるあまり遠慮がちになるのも良くない……まあ、ほどほどにやるのが大切だ。何事も極端に過ぎるのは良くない結果を招くからな」
「はい、フィグ先生」
チェスの駒は盤の上で勝手に動いて試合を展開し、その生徒はフィグ先生を見つめる。
「あのねあのねフィグ先生、僕ね去年ねチェス作ったんです。ウィンストンくんに手伝ってもらって。よかったら今から一緒にやりません?」
「もちろんいいとも。……普通のチェスとは違うのかね?」
「はい! あのねまずね――」
フィグ先生は、その生徒を真っ直ぐに見つめる。生徒の方も見つめられている事に気づいて、広げようとしていたその自作のチェスセットを一旦しまう。
「もちろん、今日の内に終わらせておくべき宿題は、もう全て済んでいるんだね?」
「………………ひとつのこってますね……」
その生徒は思わず視線を逸らして、すぐ戻す。しかしもうそこにフィグ先生は居なかった。周囲もフィグ先生のオフィスではなく、さっきまで見ていた全ては消え去っていた。
「……ちぇー。フィグ先生とチェスしたかったのにな」
そう独り言を呟いたきり、その生徒もまた解けて薄まって消えていった。
「おはよう。やーーっと起きたな? ……シマヅくんがチェスしたいってさ」
女生徒の目に飛び込んできたのは、オミニス・ゴーントの顔だった。
「オミニスぁお顔キレイだねえ」
「起きな良い子だから。膝の上で朝まで寝られたら俺、困っちゃうよ?」
「むやあ……」
意味を成さない声を漏らしながらムクリと起き上がった女生徒は、ぼんやりと周囲を見回す。
まずオミニスの顔を見て、次にポピーちゃんとハッフルパフの姉妹を見て、セバスチャンとスリザリンの皆を見て、ヘクターを見て、ギャレスと1年生の子たちを見て、シマヅくんと3年生のお友達たちを見て、ナツァイやサチャリッサやクレシダや他の皆を順番に見て、更にキョロキョロと周囲を見回して、そこに何らかが居るのを期待したかのように天井を見上げたあとで、女生徒はその男の子に声をかけた。
「ねえアルバス。チェスしよチェス。僕チェスしたい」
「いいですけど、つまり今なんにも話を聞いていなかったって理解でいいんですね?」
「ほえ??」
オミニス先輩に話しかけてもらったのにも気づいてないんですねと呆れているダンブルドア少年の呟きが耳に入っていないらしいその女生徒は、何も気にせず友人たちに提案する。
「ねえねえシマヅくんとマルフォイも一緒にチェスしよ! ポピーちゃんも!」
また変なこと言い始めたぞこの先輩はと思っている下級生たちをよそに、指名された7年生たちも、指名されなかった他の7年生たちも、みんな今から何が始まるのかを理解していた。
「なんで皆さんなんの疑問も無い感じなんですか? 5人でどうやってチェスするんですか?」
訊きたいことが湧き出て止まらないダンブルドア少年をよそに、氏名されたマルフォイとポピーは杖を振って女生徒が座るソファの対面にもうひとつソファを出現させ、談話室に幾つもあるテーブルのひとつを「ロコモーター」と唱えて移動させ、その2つのソファの間に据えた。
「アルバス僕の膝座って」
「はい」
「ポピーちゃんは隣座って」
「いいよ」
コイツちょっと寂しい気分なんだろうなと、それはつまりフィグ先生の夢を見たんだろうなというところまで、ポピー・スウィーティングだけでなく、グリフィンドールの談話室に今いる7年生たちは皆、とっくに理解していた。
そして女生徒が旅行カバンの中に杖を突っ込んで「アクシオ!」と叫んで呼び出したのは、折りたたまれた大きな羊皮紙とチェスの駒ってこんな形だったかと訊きたくなるような小物の数々。
女生徒はテーブルにその羊皮紙を広げ、端を杖で叩く。
「ホグワーツ領マップ、『エクリジス襲来』。難易度ネルソン級」
「シマヅくん、そしてダンブルドア。まずはキングを誰にするか選ぶんだ」
「キングを誰にするか選ぶ?????」
マルフォイ先輩の説明を、ダンブルドア少年は飲み込めない。なまじチェスに慣れ親しんでいるぶん、ダンブルドア少年はシマヅくんよりも混乱していた。
「僕はフィグ先生にする!」
「じゃあ私はナティにしよ」
「僕はシャープを選ぼう」
慣れた様子でゲームの準備を進めている7年生の先輩3人と見慣れぬ小道具たちを見比べながら、先に理解したのはシマヅくんだった。
「つまりこれは『普通の魔法使いのチェス』ではなく貴様たちのオリジナルの改変されたチェスで、どの駒をキングに選ぶかで性能に違いがあるんだな?」
「まさにその通り。確かルールブックもあったよな?」
「あるよ! ウィンストンくんに書いてもらったやつ!」
女生徒はエリエザー・フィグの人形をしっかりと握りしめたまま反対の手を気軽に振って、その小冊子を対面のソファに座っているシマヅくんの手元に飛来させた。
「んまあ勿論ルールブックは全文英語なわけだけど。大丈夫シマヅくん?」
「問題無い…………『エクリジス襲来』ってのはつまり、参加者全員で協力して、自動で動く敵陣営のキングを取ったら勝ちか」
「そーだよ! いいでしょこれ! これねえみんな褒めてくれるんだよ!」
女生徒が自慢げにそう言った瞬間、隣のポピーはずいっと身体をその女生徒に寄せた。
この「チェス」を作ったのは去年なので一番褒めてほしかったフィグ先生には披露できていないという事実を今この友人は意識してしまったと、ポピーは察していた。
そしてその女生徒と膝の上のダンブルドア少年を挟んだ反対側、同じソファの女生徒の右隣にわざわざオミニスにスペースを開けてもらって、ポピーと同じようにこの友人の心の内を察したらしいナツァイ・オナイもぴったりくっついて座った。
そして談話室中の7年生たちも皆、ぞろぞろと寄ってきて女生徒が座るソファの周囲に陣取る。
自分たちと同じように先輩たちも好奇心に駆られたのだと、そのテーブルの周囲に集った下級生たちのほとんどは思っていた。
「じゃあ俺はヘキャット先生にするか。で、他の生徒や屋敷しもべたちが歩、じゃないポーンか」
「選ばれなかったキングたちはナイトになります。性能はキングの時よりちょっと下がる」
「で、このエクリジスってのは何だ?」
「むかーし居た闇の魔法使い。とんでもなかったらしいんだけど、根城に籠もって研究ばっかりしてた奴だから、正直そんなに『ヤバい』って実感はしづらいんだよね。マグルの漁師を攫って実験台にしてたらしいし、作り出したものとか作り出したと言われてるものとかから察するに、まあ凶悪ではあったみたいだけど…………」
シマヅくんの質問に答えてポピーが述べた説明で、周囲を囲む下級生たちの内の数人が「魔法史で聞いた名前だな」と気づいて教科書を取り出し始めた。
「ホグワーツに攻めてきた事があるんですか?」
「無いよ。そこは想像。『もし攻めてきたらどんなかな?』ってさ。ランロクだけじゃすぐ飽きそうだったから……みんなはともかく、僕はランロクは『実際どうだったか』を知ってるからさ。どうしても『本当はもっとこう……』って思っちゃうから、僕が知らない戦いも要るなって思って」
女生徒のその話を聞いて、ハッフルパフの女の子は隣の姉に訊く。
「ランロクってなあに?」
「一昨年ホグワーツに攻め込んできた危ないゴブリンよ。おっきい金属の機械で地面に穴掘って入ってきたんだって。それで先生たちがランロクの兵隊を食い止めてる間に、あの先輩がランロクをやっつけたのよ。だから私たちが今ホグワーツでお勉強できてるのも、あの先輩のお蔭なのよ」
知らなかったと顔に書いてある2年生や1年生たちの表情にその7年生に対する憧れが表れ始めるのを見ながら、7年生たちは同じ先生の事を思い起こしていた。
「先輩これいくらなんでもフィグ先生だけ強くしすぎじゃないですか? ルールの公平性が――」
シマヅくんに渡してもらったルールブックを読み込みながらダンブルドア少年が抗議したが、女生徒は聴く耳を持とうとしない。
「フィグ先生はどんだけ強くてもいいんだもん」
ポピーとナツァイは左右から更にその女生徒の方へと身体を寄せ、ダンブルドア少年は自分を抱き締める先輩の腕に少し力が籠もったのを感じた。
「今回の敵のキングはエクリジスで、敵の駒は主にディメンター。厄介だぞ」
そう言ったマルフォイの声は、友人たちや周囲の下級生たちの意識を「その年のあの戦い」から目の前のチェス盤へと引き戻そうと試みているかのように大きかった。
「シマヅくんも、ダンブルドアくんも、ルールは理解した? 細かいところはやりながら説明するから、わかんないところあったら訊いてね?」
ポピーもマルフォイに加勢して、話題を「このチェス」に留めようと頑張っている。
「じゃーやりましょう!皆キングを好きなとこに置いて! どうせ初期位置はランダムなので!」
楽しげにそう言った女生徒が、実際のところ心の底にどれほどの喪失感を抱えているのか。周囲に集まる友人たちには、単に推察し想像する以外には、知る方法が無かった。
ただ、決して解消などされていないという事だけは確かだった。
今がとっても楽しくて毎日幸せな事と、「それとこれとは別の話」なのだと。他ならぬこの友人は去年からずっと、折に触れてそう口にしているのだから。
「アルバスほっぺ触っていい?」
「それを触る前に訊けるようになったの偉いですよ先輩」
一昨年の話は「予言者」が書いていた内容と伝聞でしか知らないダンブルドア少年も、先輩にとってのフィグ先生という人はたぶん僕にとっての父さんやアリアナなんだろうなと想像して、この先輩がまだ心の底に喪失感と孤独感を抱えているのを、うっすらと理解していた。
「痛い痛い痛い抓っていいとは言ってませんよ先輩!」
「美味しそうに見えたの」
「齧っていいとも言ってませんよ?!」
また騒がしくなり始めたその2人を、ナツァイとポピーが左右から見ている。
「チェス始めないの?」
「やる! やろう! ゲーム開始!」
膝に乗っけたダンブルドア少年の頬を両手で捏ね回しているその女生徒がナツァイに言われてやっとそう宣言したのと同時に一瞬だけテーブルの上が霧で覆われ、すぐに晴れる。
そこにあったのはホグワーツだとひと目で判る立体模型と、その周辺の地形図だった。
「『キング』はどこだ?」
シマヅくんがそう言った途端にホグワーツ城が透き通り、城内に配置されていた幾つもの駒の中で強く光っていたその駒、闇の魔術に対する防衛術のヘキャット先生を、シマヅくんはすぐに見つけることができた。
「あ、そこはハッフルパフの談話室だね。守り硬いんだよ」
そう言ったポピーが使う今回の「キング」であるナツァイ・オナイの初期位置は、監督生の浴室だった。本人を精巧に模した駒はご丁寧に服など着ておらず、浴槽に首まで浸かっている。
「僕のフィグ先生は天文台のてっぺんだ…………来てる来てる来てるディメンター! 屋外に居るべきじゃないやフィグ先生撤退!」
盤の端、ホグワーツ城に隣接する湖の向こう側。実際ならホグズミードへと続いているであろう方面からぞろぞろと迫ってくる真っ黒な駒の軍勢と、慌ただしく自陣の駒に指示を出し始めた先輩たちを見ながら、ダンブルドア少年は自分がひとつ大きな勘違いをしていた事と、ルールを読み飛ばしていた事に気づいた。
「これ『自分の手番』が順繰りに回ってくるんじゃないんですね?」
「リアルタイムでどんどん動くよ。だからボーッとしてると負けるけど、相手を待たずにどんどん勝手に動かしていいの。だから滑舌良いほうが有利かな。ポーン部隊前進! 無いよりマシだから家具とか積み上げて壁作ろう! ルークは増やしたら増やしただけ有利!」
まだ順応できていないダンブルドア少年をよそに、シマヅくんは水を得た魚のようだった。
「飛行訓練の広場に居るポーン部隊。そうお前ら。一番近くまで迫ってきている敵のナイトを、あれは巨人だな? あの小部隊を倒すぞ。コガワ先生を先頭にして前進開始。離れるなよ。それとトロフィー室に居るポーン。そうお前。お前はすぐに校長室に行ってブラック校長を引っ張り出せ。で船着き小屋に居る部隊は全速力で大広間まで撤退しろ。そこでその数相手は無理だ――」
ディメンター以外にも色々居る敵部隊の最前列の集団がホグワーツ側、ポピーが操作権を持つ黄色い駒たちとシマヅくんが操作権を持つ青い駒たちの内の、城の外に居たいくつかの小部隊と接触し、ついに戦闘が始まった。
「北門前のポーンはそのままルークを作れるだけ作れ。防衛陣地は硬いに越したことは無い……そっちのポーン、お前ゼノビア・ノークだな? そんなとこで何やってる急いで城の中に戻れ!」
マルフォイが孤立していたポーンに指示を出し、ダンブルドア少年がフォローする。
「僕のウィーズリー先生が近いですね、カバーに向かってください」
「敵のキングはどこだ……?」
「ディメンター駒をある程度の数倒さないとそもそも出現しないんだよ。で、ディメンターは守護霊呪文でだけ倒せるの。だから守護霊呪文が使える駒をできるだけディメンターだけにぶつけるのが大事。その駒が守護霊呪文使えるかどうかは杖かざすと判る――あー居たピーブズ!」
「呼んだか兄弟?」
「あ、ピーブズごめんね違うのチェスの話なの!」
「おーや、またそれやってるのか? お前あくまでもそれをチェスと言い張るつもりなんだな?」
現れるなりその「チェス」が進行しているテーブルの上に漂って観戦に加わったピーブズの見つめる先で、その誰にも操作権が無い特殊駒のピーブズが南門で孤立していた1年生の男の子を模したポーンに迫っていたディメンターを、ドロップキックで撃退した。
「ピーブズは誰にも操作権が無くて勝手に動くんだけど、50%の確率で指示に従ってくれるの。そんで他の駒とは違って、ピーブズの駒だけは今どこに居るかを強調表示する機能が無いんだ。アンドリューとオミニスはそのままそこで頑張って! ギャレスが1年生逃がすまで!」
主にホグワーツ城内で防衛戦を続ける他プレイヤーとは違い、シマヅくんは部隊を城から離れた位置まで動かして積極的に攻勢をかけている。
「ヘキャット先生、そのまま森に入ってくれ。小部隊に別れて幾つも居るディメンターが城を攻撃してる他の部隊と合流する前に叩きたい」
この「変則チェス」を大いに楽しみ気に入った島津忠宝少年が2年間の留学を終えて帰国した後に魔法処城郭や地元薩摩をモチーフにして「とても楽しかったあのチェス」を将棋で再現しようと試みたのを切っ掛けに、日本における「魔法使いの将棋」は大きく変貌を遂げる事になる。
「……そう言えばきみ、まだひとつだけ今日やるべき宿題が残ってるの覚えてるよね?」
「いーまそれ言わなくてイイじゃんギャレスぅーーー」
「これ済んだらやりましょうね先輩?」
「はい…………」
その「チェス」の盤面はジリジリと城の中まで攻め込まれて見るからにホグワーツ陣営が劣勢で、勝負はどれだけ早く敵のキングを討ち果たせるかにかかっていた。
「ゆけー! 強いぞフィグ先生!!」
楽しそうにはしゃぐその女生徒の片方の手を、テーブルの下でポピーはぎゅっと握っていた。
「醉象」すいぞう。
現在主流の「本将棋」には存在しないが小将棋や中将棋などにはある駒。王の前が初期位置。
真後ろ以外に1マス動ける。成ると「太子」もしくは「王子」になり、真後ろを含むすべての方向に1マス、つまり王将や玉将と同じ動きができるようになる。