2年後もしくは106年前 作:requesting anonymity
午前中の授業が終わるとすぐにシャーロット・クランウェルは仲良しのヘスパーやお友達のダンブルドアくんも誘って、城の隣にあるホグワーツのクィディッチ競技場へと向かった。
「ねえねえハッフルパフのチームの隊長さんってどんな人? 何年生?」
「スリザリンのレストレンジにも負けないくらいには美人よ。私たちのキャプテンは」
説明になっていないし何も質問に答えていないと言える回答をしたハッフルパフの7年生サチャリッサ・タグウッドは、ホグワーツにあってはかなり珍しい事に、クィディッチにあまり興味が無かった。ただ、イメルダ然り我らがハッフルパフのキャプテン然り、箒に跨って飛んでいる最中には3割増しくらいでいつもより更に美人になる女の子たちって居るわよねと、そんな印象を普段から抱いているサチャリッサは、クィディッチをプレイしている選手をただ眺めるのは好きだった。
「ねえ、見学希望者を連れてきたんだけど、構わないかしら!」
競技場に入るなり杖の先を自分のノドに押し付けてそう叫んだサチャリッサの声は上空にまでしっかりと届き、ゴールポストよりも遥か高い位置を飛び回っていたハッフルパフクィディッチチームの選手たちの中から1人の女子生徒が地上まで急降下してきた。
「あらサチャリッサ。もちろん何人だっていつだって大歓迎よ。なんと言ったって――」
「こんにちは!! あたしシャーロット・クランウェル。ねえねえ練習見ててもいいですか!」
ハッフルパフクィディッチチームのキャプテンである女子生徒は箒から降りて、元気いっぱいに挨拶してくれた女の子をまっすぐに見つめた。
「あなた組分け帽子を質問責めにしてた子ね? 私は今年からやっとハッフルパフのクィディッチチームのキャプテンになった7年生のウィラ・ウィホルトよ。こんにちは。見学希望はアナタ? それとも『アナタたち』? 私たちはハッフルパフのクィディッチチームだから、見るのは別にいいけど私たちのチームに入れてあげられる可能性があるのはハッフルパフ生だけよ?」
堂々とした態度でそう言い放ったのは、ウェーブがかかったボリュームたっぷりの黒髪をかなり高い位置でハーフアップに纏めた凛々しい目つきの女子生徒。
そんな7年生のウィラ・ウィホルトを、1年生のシャーロット・クランウェルとヘスパー・スターキーが2人とも、その目を憧憬の念で燦々と煌めかせながら見つめている。
「おねーちゃんカッコいい! あたしもおねーちゃんみたいに上手に飛べるようになるかしら!」
「ねえねえどうしたらそんな風に上手に飛べるようになるの? ひみつのまほうがあるの?」
ウィラ・ウィホルトが普段からハッフルパフ生以外の見学希望者も広く歓迎しているのは、まさにこういう子たちに親切にしてあげればそのうちクィディッチを見るだけでなく実際にプレイし始めてくれるかもしれないという、経験に基づいた打算が根底にあった。
「もちろん、アナタたちだって必ず上手に飛べるようになるわよ。マダム・コガワの言う事をしっかり聞いて真面目に飛行訓練の授業を頑張れば、だけれどね」
しかし今回ウィラ・ウィホルトが普段のように単に見学を許可するだけに留まらずわざわざ練習を中断して地上に降りてきてまで見学希望者に自ら応対しているのは、その子たちを連れてきたのが自分のルームメイトであるサチャリッサだから、という友人への義理だけが理由ではなかった。
「あなたが4年生のクレア・クランウェルの妹のシャーロットで、それであなたがヘスパー・スターキーで、そっちの男の子はアルバス・ダンブルドアくんね?」
「おはようございますウィホルト先輩。はい、僕ダンブルドアです。練習お疲れ様です」
まだ2人並んで目を輝かせてこっちを見つめているヘスパーとシャーロットや、その後ろから挨拶してくれたダンブルドアくんを始めとする可愛い1年生たちに、自分だって慕われたいし仲良くしたいしあのおバカがいつもやってるみたいに抱っことかさせてもらいたい、ダンブルドアくんのほっぺ触らせてもらいたいと、ウィラ・ウィホルトは密かにそんな願望を抱きながら、あのおバカとその周囲によく居る同級生たちを9月2日以降ずっと羨ましく思いつつ遠目に眺めていたのだ。
そしてサチャリッサが今回シャーロットたち1年生をハッフルパフクィディッチチームの練習の見学につれてきたのは、そんな素直になれないルームメイトへのおせっかいも理由だった。
「あの、ウィホルト先輩。妹はその、まだ今日初めて箒に乗ったばっかりで、空中でひっくり返っちゃったりとか、前に飛ぼうとして急降下しちゃったりとか、そんな段階なんだけれど…………」
そんなヘタクソが今日このあと午後からすぐレイブンクローとの試合を控えている自分たちの寮のチームのキャプテンの貴重な時間を使わせてしまっていいのだろうかと、クレアは今にもウィホルト先輩に飛びつきそうな妹の背中をちらちらと見ながら心配している。
「誰だって最初はそんなものよ。1年生の初めての飛行訓練の授業で『上がれ』って何回言っても箒がなっかなか手元に浮かび上がって来てくれなかったからって、それで、それだけで才能が無いなんて判断する事はできないわ。……もちろん、一発で箒が手元に来たら大いに将来有望だけど」
そういえばダンブルドアくんあなた一度で呼び寄せた箒の勢いがすごすぎて腕の骨を折ったって聞いたんだけれどあの話本当なの、とウィラ・ウィホルトに問いかけられて、ダンブルドア少年はそれに関しては思い出したくないので訊かないでくださいとでも言わんばかりに視線をそらした。
「………今はもう、普通に静かにふわっと手元に喚ぶ事ができます。練習しましたから」
身に宿した魔法力の信じ難いほどの強大さの証左であると周囲からは受け止められているその出来事は、ダンブルドア少年本人にとっては自分の未熟さのせいで皆さんに迷惑をかけてしまった恥ずべき失敗に他ならず、あの反省すべき過ちから自分は学ばなければならないと考えているダンブルドア少年は、まさかそれが自慢できるなどとは、露ほども思っていなかった。
「あなた、来年以降グリフィンドールのクィディッチチームに入るつもりは無いの? それかあのブキャナンみたいに『1年生だけど今すぐ』って事も、もしかしたら可能かもしれないわよ?」
「いえ、今のところは特に…………試合を見るのは好きですけど……」
高いところが怖いので僕クィディッチはプレイしたくありませんと、寮のチームのキャプテンを務めるほどにクィディッチを愛好している7年生に、それも今はじめて会話した7年生にそんな拒絶するような発言を面と向かってぶつけようなどと考えられるほどの図太さも無遠慮さも、ダンブルドア少年は持ち合わせていなかった。
「あなた噂通り、とっても優しい良い子ねダンブルドアくん?」
どうやら見透かされたらしいと、ダンブルドア少年は鋭敏に察した。
「嫌なら嫌って言ってくれていいのよ? 私も皆もそんな事で傷ついたりしないわ。そうよね?」
「その通りだ!!」
空の上で練習を続けていたハッフルパフクィディッチチームの面々が、キャプテンの問いかけに応じて一斉に猛獣のような雄叫びを上げた。
その声を満足げな表情で受け止めたウィラ・ウィホルトは、更にチームメイトたちに吼える。
「ほらアナタたち、1年生が見に来てくれてるんだから、もっと低いとこで練習しなさい!」
「仰せのままに女王陛下!」
クアッフルを抱えた大柄な男子がそう茶化して急降下し始めると、周囲にいた他のハッフルパフクィディッチチームの面々もまるで一番乗りに賞金でも出るかのような勢いでそれに続く。
「ちょっと誰が女王陛下よ誰が」
「満更でもなさそうねウィラ?」
ルームメイトに見透かされて、ウィラ・ウィホルトはサチャリッサから視線を逸らした。
「…………そういえば、ポピーはどこ? またあのおバカと一緒?」
ウィラにそう訊かれたサチャリッサは、ただ黙って自分たちが今いるクィディッチ競技場の隅の一角を指差した。
「いい子だねーナティ。やっぱりナティはきれいな毛並みしてるね」
芝生の上に寝転がった1匹のガゼルを丁寧に丁寧にブラッシングしている自分たちのルームメイトをサチャリッサと共にぼんやり眺め続けた数秒間、ウィラはクィディッチ競技場の時間が止まったかのような錯覚を覚えていた。
「あのきれいな動物さんはなあに? ポピーちゃんのお友達?」
シャーロット・クランウェルが誰にとも無くそう訊いたのをきっかけに、ハッフルパフクィディッチチームの時間は再び通常通りに流れ始めた。
「ああ、ああ何かボーっとしちゃってた。いつもの事だけど、マイペースだねポピーも」
アーサー・プラムリーがそう言いながら頭を振り、サチャリッサは1年生たちに説明する代わりに、そのガゼルに大きな声で呼びかける。
「ナぁーティぃー! アナタはアナタたちのチームの練習を今まさにやってるハズじゃあなかったかしらー! グリフィンドールクィディッチチームのチェイサーのナツァイ・オナイさーん!」
「きゅーうけーいちゅーーぅ!!」
ナツァイ・オナイはスルリとヒトの姿に戻ってそう叫び返すと、またすぐにガゼルの姿に戻って芝生に寝っ転がり、続きをやってとねだるかのような甘えた鳴き声でポピーに呼びかけた。
「……さてはナティまたチームを2つに分けて練習試合してギャレスにこっぴどく負けたわね」
サチャリッサはそう呟いて、肩を竦めて見せながら笑った。
「ここ気持ちいいの? いいよ、もっとしたげるね。ほらナティ反対向きにごろんしてね」
変身したアニメーガスの同級生にブラッシングしてあげているポピー・スウィーティングは、とてもとても楽しそうだった。
「上手にごろーんってできたねナティ。えらいよ、良い子だね……」
右手に持った柔らかめのブラシでガゼルの脇腹を撫でながら同時に左手の指先で頭もくりくりとなぞってあげているポピーがそう口走ったのを聞き取って、ウィラ・ウィホルトは眉をひそめた。
「ポピーあの子ナティのこと赤ちゃんだと思ってない?」
「あんまり間違った認識でもないでしょう、今は。ほら見なさいよあのナティの甘え方」
また夕食の時間くらいに思い出して悶える羽目になるって自分でもわかってるでしょうに、とサチャリッサとウィラがナツァイ・オナイの話で盛り上がり始めた時、シャーロットとヘスパーはやっとその鹿さんが誰なのかを理解して、まるでスニッチを捕まえたかのように大喜びし始めた。
「ナツァイおねーちゃんって魔法で人間に変身したシカさんだったのね!! あたしびっくり!」
「すごい! ナティちゃんホントにアニメーガスなのね!! シカさんかわいい!」
ぴょんぴょこ飛び跳ねて喜んでいるその態度はレイブンクローのヘスパーそっくりであるものの理解度には天と地ほども差がある妹の背中を見つめながら、クレア・クランウェルは呆れていた。
「こないだ教えてもらったじゃないのシャーロットったら…………あのね。オナイ先輩は人間に変身できるシカさんじゃなくって、シカさんに変身できる人間。シャーロットわかる?」
「あたしもナツァイおねーちゃんなでたい!! ねえねえポピーちゃんあたしもなでる!!」
止める間もなく駆け出して行ってしまった妹を、クレアは慌てて追いかける。
「もはや見慣れちゃったわね」
「あなたにもあんな頃があったのかしらねサチャリッサ」
「どうかしら。『昔は純粋無垢で無邪気で天真爛漫だった』なんて。自分でそんな事を言う人は穢れを知っちゃってるでしょう? でも私は私が純真じゃあないなんて認めたくないわ」
クランウェル姉妹とポピーがガゼルを囲んでいるのを眺めながらそう答えたサチャリッサの達観したような態度を、ルームメイトのウィラ・ウィホルトはたった一言で崩した。
「ギャレスと話してる時はわりとあんな感じよアナタも――あら、なあに?」
ゆっくりと顔をこちらに向けて、じっとりと睨んできたサチャリッサを見つめ返しながら、ウィラ・ウィホルトは満足そうにニンマリした。
「あなたこそ箒と金のスニッチ以外に気になってる相手とか居ないのかしらウィラ?」
ちょっと顔を赤くしたままそう訊いてきたサチャリッサに、ウィラは一切逡巡せず即答する。
「私より速く飛ぶ奴全員よ。必ずその全員より速く飛んでみせるわ」
ウィラのそんなセリフを聞いて、サチャリッサ・タグウッドは何かを思い出した様子で笑う。
「……あなた試合でアンドリュー・ラーソンに煽られた時のクラッブみたいな事言うわね」
それは、去年の開幕戦の記憶だった。
「あのクラッブがそんな気の利いた事言ったの? 私そんなの聞いた覚えがないけれど?」
「目の前でゴール決められた直後に『馬鹿正直に突っ込んでくるだけじゃダメなんだぞ』って言われて、『おれは脳味噌の筋肉もちゃんと鍛えてるからバカじゃないぞアンドリュー』って」
今度はウィラ・ウィホルトがサチャリッサをじっとりと睨む番だった。
「もしかしてアナタいま私のことバカにしたのかしら?」
「まさか。アナタはとってもステキよウィラ。クラッブとゴイルみたいにぃ痛い痛いいたい」
サチャリッサの頬を両手で引っ張って、ウィラ・ウィホルトはどこか楽しげに怒ってみせる。
「アナタまでちょっとあのおバカに似てきたんじゃないかしらサチャリッサ・タグウッド。去年まではアナタそんな愉快な事言える子じゃなかったでしょう」
「ウチのビーターに何か言いたいことがあるらしいわね?」
2人の会話に割り込んでそう言ったのは、チームメイトたちを引き連れてクィディッチ競技場にやってきたスリザリンクィディッチチームのキャプテン、イメルダ・レイエスだった。
「あらイメルダ。今日もおでこが可愛いわね」
「誤魔化されないわよサチャリッサ・タグウッド」
「今は私たちハッフルパフが練習に使う時間なんだけど。まさかアナタたち『譲れ』なんて言わないわよねスリザリン?」
7年生でも特に我の強い女子たち3人が空腹のマンティコアがダンブルドア少年を見た時のような笑顔を各々の顔に貼り付けてキリキリと睨み合い始めたのを、ハッフルパフとスリザリンのクィディッチチームに所属している男子たちは「止めに入るのはヤだなあ」と思いながら、一方の女子たちは「ウィラったらあの箒いくらなんでもそろそろ買い替えるべきじゃないかしら」などと考えながら至ってお気楽に眺めている。
「ナティはシカさんじゃなくてガゼルだよ。どっちかっていうとウシさん。ほら、尻尾がシカさんよりウシさんみたいって思わない? それにナティのお尻はおっきくて尻尾の毛がツヤツヤでカッコいいでしょ? こう、毛の流れに沿って、反応を見ながら優しくブラッシングしてあげてね」
クィディッチ競技場の全体を見ても、サチャリッサとウィラとイメルダのやり取りを一切気にしていないのは、向こうで芝生に横になったまま液体のようにリラックスしている1匹のガゼルと、そのガゼルを練習台にして1年生のヘスパーとシャーロットにブラッシングの基本を教えているポピー・スウィーティングだけだった。
「ナティちゃんはお尻おっきぃの?」
「そうだよー。って言っても私は他のガゼルを見たこと無いから、去年までのナティと比べてだけどね。ちょっとお尻おっきくなったんだよナティ。かわいいでしょ。――ほらヘスパー、後ろ足のこのへんね。ここだけ毛の流れと逆向きにブラッシングしてあげるとナティすごく気持ちいいみたいで、可愛い声出して喜ぶんだよ――そう、そんな感じ。上手ねヘスパー」
「ナツァイおねーちゃんおめめがキレイね……宝石みたいにキラキラだわ」
ヘスパー・スターキーがポピーに教導されながら熱心にブラッシングをしている一方で、シャーロット・クランウェルは先程からずっと、芝生にしゃがんでそのガゼルの顔を見つめている。
妹がまた何か突拍子も無い真似をするのではなかろうかと、クレアは気が気でなかった。
「ナティちゃん尻尾とお尻がビクってなったわ。可愛い!」
「それはね、今の気持ちよかったからもっとやってって合図だよ。ヘスパー上手!」
そして、ブラッシングしているポピーとブラッシングされているナツァイを見ながらずっと思っていた事を、クレア・クランウェルはとうとう言った。
「ねえポピーちゃん、いつもお外でこんな事してるの? 男子が居るのに……ていうか恋人同士以外でこういうのって、しちゃあいけないんじゃないかなって私思うんだけれど」
「……へ?? ……どうして? ブラッシングは日当たりの良いところでやるのが一番だよ?」
私の心が穢れているだけなんだろうかと、クレアはポピーちゃんの屈託のない笑顔とリラックスしきったガゼルを見ながら、何故かどんどん熱くなっていく自分の顔がもしや真っ赤に染まってしまっているのではないかという不安を覚えていた。
「あ、尻尾もやってあげてねヘスパー。付け根に近いとこ。ナティそこも好きだから」
不安というものは、それについて考えれば考えるほどに増大していくのが常だった。
「ウシさんもお顔変わるのね……ナツァイおねーちゃんなんだか眠そうだわ……」
ガゼルの表情が変化している事に気づいたらしいシャーロット・クランウェルは、芝生にぺったりと座り込んだまま、ますますガゼルの顔に自分の顔を近づけて、今や匂いを嗅いでいるようにすら見える距離でその姿をつぶさに観察している。
「練習の邪魔をしに来たのなら、『帰れ』としか言えないわよイメルダ・レイエス」
「あら、練習してたのウィラ・ウィホルト? てっきりサチャリッサとお喋りしてるだけかと」
「イメルダあなた髪のケアには何を使ってるのかしら。それにアナタ前から思ってたのだけれどお肌もすべすべよね? ちょっとほっぺを触らせてもらっても構わないかしら?」
ウィラとイメルダの2人とは興味の方向が違うサチャリッサ・タグウッドのせいで、あるいはサチャリッサのお蔭で、その場は未だかろうじて口喧嘩未満のじゃれ合い程度に収まっていた。
「あ、やっぱりここに居たんだ。ねえポピー、ウチのチェイサーを融かされちゃ困るんだけど。もー、ナティったらまーたくてんくてんにされちゃって――」
箒に跨って城の方からクィディッチ競技場に飛来した強めのウェーブがかかった髪に丸メガネのグリフィンドールの女子生徒は、芝生に降り立つなり両手を自分の腰に当ててそう言った。
「えーっとね、うんとね。あなたはクレシダおねーちゃん!! ……あってた?」
「あら、そういうアナタはシャーロット・クランウェル。名前覚えてくれたのね? ありがとう」
話しかけてきたハッフルパフの1年生の女の子に優しく微笑みかけてから、クレシダ・ブルームは未だに失神呪文のような視線と言葉をぶつけ合っているハッフルパフとスリザリンのクィディッチチームのキャプテン2人と、それを遠巻きに眺めている両方のチームの選手たちに呼びかける。
「――ねえ、アナタたち暇ならこっちを手伝ってくれない? いま私たち『必要の部屋』で練習してたんだけど、あのおバカったら見てるだけじゃ我慢できなくなったみたいで『僕もやる!』って言い出して、それがすぐに『僕がスニッチとブラッジャーの役やるから皆で捕まえてね!』になって。ギャレスひとりじゃ抑えきれなくなってきたから鎮圧するの手伝ってほしいんだけど」
お互いの意思確認も話し合いも無く、それが当然かのように、そこにいた7年生たちは城の8階にあるその部屋へと移動を開始し、ハッフルパフとスリザリンの他のチームメンバーたちもそれに続く。そんないつものお昼のホグワーツで、皆が連れ立ってクィディッチ競技場を後にする原因をもたらしたクレシダ・ブルームは、生まれて初めて立ち上がろうとしているかのようなぎこちない足取りでポピーのカバンの中に消えていくガゼルを、笑顔で溜息をつきながら見送った。
「腰が抜けて立てなくなるまでブラッシングしてもらうのは練習が終わってからにしてほしいな」
ブルーム先輩がそう呟いたのを聞き取ってしまったクレア・クランウェルは、ますます自分の顔が熱くなったのを感じて、思わずその場の全員から視線を逸らそうと試み、慌てて後ろを向いた。
「なーに? お姉ちゃん」
するとそこにいた妹のシャーロットと目が合ってしまったクレアは慌てて「お姉ちゃんと手を繋ぎましょうシャーロット」と提案して誤魔化したのだった。
「ねえねえドアくん。『必要の部屋』ってなあに? あたしも行ったことある?」
「城の8階にある、いま自分に何が必要かを思い浮かべるとそれを用意してくれる魔法の隠し部屋だよ。そこに繋がる扉は普段は壁のふりをしてて、必要なものをハッキリ思い浮かべながら前をウロウロすると壁から扉が現れるんだよ。先輩が言ってた……ほら、あの『バカのバーナバス』のタペストリーがかかった壁あるだろう? あれの反対側の壁がそうなんだよ」
優しくて物知りでほっぺたまんまるでちっちゃくてかわいいドアくんに教えてもらったバカのバーナバスのタペストリーがどこにあったのかを頭の中でホグワーツ城を歩き回って見つけ出したヘスパー・スターキーは、それが自分の属するレイブンクローの談話室からとても近いという事に気づいて丸い目をさらに丸くした。
「あんなところに秘密のお部屋があったの? あたし全然気づかなかった!」
「僕らも先輩たちについて行こうか。……シャーロットさんはどうする?」
答えのわかりきった質問だと、ダンブルドア少年はそう思いながら訊いた。
「あたしもついてく! あたしあのお部屋すき!」
姉のクレアの腕をぐいぐい引っ張りながら追いついてきてそのまま自分とヘスパーを追い抜いていったシャーロット・クランウェルの背中を眺めながら、シャーロットさんは一体どれだけたくさん好きなものがあるんだろうかとか、嫌いなものなんてあるんだろうかとか、ダンブルドア少年はそうやって、本人に質問すれば済む疑問をいつまでもぐるぐると考え続けながら先輩たちの後に続いて必要の部屋へと向かうのだった。
(僕もシャーロットさんとかヘスパーみたいだったらよかったのにな)
それは、11歳の男の子が抱くものとしては、随分どんよりとした種類の憧れだった。
僕は2人みたいに前向きにはなれないと、ダンブルドア少年は勝手に自分で自分を縛っていた。
「ひょーーーーーーーほほほほほ!!! そんなんじゃ僕は捕まんないよぉ!!」
「ああもうあの先輩この短い時間にどれだけ反則するんだ!!」
「反則が決まってるのは選手だけで僕はスニッチでブラッジャーだから良いんだもーん!!」
使用者の要望に従ってクィディッチの練習試合ができるだけの広さと設備が確保されたホグワーツ城8階の公然の秘密「必要の部屋」で、ナツァイとクレシダを除くグリフィンドールクィディッチチームの面々とその練習を見物していた生徒たちは、いきなり乱入してきたアホの7年生1人に全員まとめてひたすら振り回され続けていた。
「こら逃げるんじゃない! おとなしくブラウンを返しなさい!!」
ネリー・オグスパイアが追いすがり、ギャレスとリアンダーが上下から迫る。
「くそ、やっぱり上手いなアイツ」
「そりゃ箒にはじめて乗ったその年に箒レースでイメルダに勝つ奴だからな……」
3人まとめてその女生徒にスルリと躱され、さらに正面から挑んだ2年生のブキャナンもその女生徒は跨っている箒と自分の前に乗っけた1年生の女の子ごとその場で縦に回転して回避した。
「ムーントリマーってあんな動きできるの?」
「今の『サーカムロータ』だと思うよ。つまり反則」
クィディッチにおいて選手、箒、4種の球、審判、観客に杖を使うのは反則である。そして杖なしで魔法を使うスタイルが主流なアフリカなどの魔法使いと魔女たちがクィディッチの国際試合に参加し始めてしばらく年月が経ったころ、「杖なし呪文」も杖を使った魔法と同様に禁止された。
つまりどのような形であれ、自分の乗っている箒に試合中に魔法をかけてはいけないのだ。
「ほらブロッサムくん。ここからだとギャレスたちがすっごくちっちゃく見えるだろう?」
「………………ホントだ。ギャレスもヘンリーもネリーもリアンダーもブライアンも皆、私の指の先に乗りそうだわ。それにクィディッチのゴールって、近くで見ると結構おっきいのね」
自分めがけて上昇してくるグリフィンドールクィディッチチームの面々を見下ろしながら、その7年生は自分の箒に乗っけた1年生のブロッサム・ブラウンに優しい口調で話しかけている。
「……どうだいブロッサムくん。ちょっと箒で高いところ飛ぶの平気になったり、しないかい?」
「ちょっとね。ちょっとだけ。ちょっとだけ怖くない――」
左右に散開したギャレスとリアンダーが、その7年生の女生徒に下から迫る。
「――でもやっぱり怖い!」
女生徒がスルスルと2人を躱したのと同時に、ブロッサム・ブラウンはそう訴えて身を竦めた。
「箒の柄の先端を見るんだ。すぐ目の前だから怖くないだろう? いいかい? そしたら次は、その先を見る。つまり『前』をね。前ってのは今どっち向いて飛んでるかによって上だったり下だったり右だったり左だったり過去だったり未来だったりするから、前は見てないと、どっちに進んでるのか判んないまま飛ぶことになっちゃうだろう? それってさ、そっちのほうが怖くないかい? だから勇気を出して、前は見る。それで地面と空が半分ずつ見えたら、ちゃんと水平に飛べてる」
「過去だったり未来だったりはしないと思うし、いま! 地面が! 迫ってきてる!!!」
「そりゃ真っ逆さまに急降下してるもの。ほらブキャナンくんを振り切るよぉー」
地面スレスレで急旋回して進む方向を真下から前方斜め上へと変更した女生徒の動きに対応しそこねて、2年生にしてグリフィンドールクィディッチチームのシーカーを務めるブキャナンくんは大慌てで急ブレーキをかけ、辛くも地面との正面衝突を回避した。
「ねえ今の危ないんじゃないかしら! ねえブライアンが怪我したらどうするつもりだったの!」
「そりゃ治すさ。死ぬほどのスピードは出てないし、今この『必要の部屋』の床っていうか地面の土は最っ高にフッカフカだからだいじょぶさ。おやあイメルダとウィラだ。しょおーぶだあ!!」
必要の部屋に入ってくるなり箒に跨ってこっちに突っ込んできたハッフルパフとスリザリンのクィディッチチームのキャプテン2人とその後ろから続々やってきた他のチームメンバーたちを見て、7年生の女生徒は内心から湧き上がる高揚感を全く抑えず表情と全身から発散する。
「うえへへへへへっへへへ…………僕つかまんないもんね!! ほらブロッサムくん前見て!」
その女生徒は箒の前に乗っけた1年生のブロッサム・ブラウンさんに絶えず話しかけ続けながらネリー・オグスパイアを躱し、リアンダーを躱し、クラッブとゴイルを躱し、すれ違いざまにギャレスの耳に息を吹きかけイメルダの脇腹を突っつきマルフォイとノットも躱し、再び追いついてきたウィラとイメルダから逃げて、上昇し急降下し急減速し急加速し、いつもより何倍も広くて天井も高い屋内クィディッチ競技場と化している「必要の部屋」を縦横無尽に飛び回る。
そしてそんな先輩たちを、1年生たちは揃ってポカンと口を開けたまま地上から見上げていた。
「すごーーい…………おねーちゃんたち、すごーい……!! あたしもあれやりたい!!」
「飛行訓練の授業を頑張れば、アナタもあんなふうに飛べるようになるわ。きっとね」
妹の手をしっかり握ったまま、4年生のクレア・クランウェルもシャーロットやヘスパーと全く同じ表情をして、飛び回る先輩たちとそれに勝るとも劣らないブキャナンくんを見つめている。
「あれ、あのおねーちゃんの箒に乗っけてもらってるのサムちゃんじゃない? いいなー……!」
ヘスパーがそう呟いたのと同時に、それまで1年生たちと一緒に地上から皆を見上げていたはずの、寮のクィディッチチームに所属していない7年生がダンブルドア少年の視界を塞いだ。
その小柄なハッフルパフの7年生は、仲良しの友達に乗っけてもらって瞬く間に皆に追いつき、ギャレスもセバスチャンもマルフォイも、ブキャナンくんすらも追い越して、あっという間にずっと逃げ回っていた7年生の女生徒の背後に現れる。
「わぁああ何なになに!!? え、あぁポピーちゃんいつの間に!!」
前足の鉤爪でガッチリと捕らえられた女生徒はひとしきり騒いでから一気に静かになり、ぐったりと両手を上げて「降参します」と態度で示した。
「……やあ。ハイウィング」
ポピーを乗せて飛翔しあっという間に自分を捕まえてみせた真っ白い羽毛のヒッポグリフに、その女生徒は捕まえられたまま首だけ振り向いて親しげに挨拶した。
そしてハイウィングはポピーと1年生のブラウンさんを乗せて地上へと再び舞い降り、ハッフルパフとグリフィンドールとスリザリンのクィディッチチームの面々がそれに続く。
「ねえねえサムちゃんお空どうだった? すっごくびゅんびゅーんってしてたけど」
「怖かったわ! けど、楽しかったような気もしてるのよね……」
「おにーちゃんたちもおねーちゃんたちもみんなすごいのね! あたしびっくり!」
「きみたち、もしよかったら今から練習、するかい?」
「はいはいはい!! あたしやりたい!! あたしも皆みたいに飛べるようになりたい!」
マルフォイやギャレスを始めとするまだ体力が尽き果てていない一部の上級生たちに、飛び回る皆を終始地上から他人事のような気楽さで応援していたオミニスやサチャリッサも加わって、皆してヘスパーとシャーロットやエルファイアスなどの1年生たち相手に箒で飛ぶ時のコツを教え始めた一方で、イメルダ・レイエスとウィラ・ウィホルトは、揃ってポピーを見つめている。
「ねえポピー、あなたどうしてクィディッチチームに入ってないの?」
そう訊いてきたイメルダに、ポピーはハイウィングの背から降りようとする1年生のブラウンさんを助けてあげながら答えた。
「私は箒より友達に乗せてもらって飛ぶのが好きだから。クィディッチは見てるだけでいいや」
それはポピーが3年生になったばかりの頃、ルームメイトのウィラ・ウィホルトから一緒にハッフルパフクィディッチチームの選手選抜試験に参加しないかと誘われた時と全く同じ回答だった。
「あ。おかえりナティ。ブラッシングの続きする? ……もっと気持ちいい事したげるよ?」
「……………んぇっとね、こんどにする。だって、まだ、ごごのじゅぎょうがあるから」
不死鳥と共にその場に姿を表したナツァイ・オナイは、寝起きかのような気だるげな声と表情でその提案をぼんやり拒否すると、そのままポピーに膝枕を要求した。
そしてギャレスに貸してもらった箒に跨った妹を見守りながらそのやり取りも聞き取ってしまった4年生のクレアは、自分は何も関係無いのに恥ずかしくなって独りで勝手に赤面したのだった。
【ムーントリマー】
「クィディッチ今昔」曰く、現在の「競技用箒」の先駆けとなった1901年発売の傑作箒。
しかし1890年が舞台の「ホグワーツ・レガシー」にも同名の箒が登場する。
つまりクィディッチ今昔で言及されているのは「ニンバス」でいうなら「2001」、つまり改良が重ねられた野心的な後継モデルであり、ホグワーツ・レガシー本編に登場するのはそれより前の「従来モデル」とか「旧世代品」に相当するものなのだろう。