2年後もしくは106年前   作:requesting anonymity

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81.ヒマラヤの冒険

「イエティって、捕食される側なんですか? 僕なんとなく天敵なんて居ないのかと」

「私らもそう思ってたから皆でこうしてワクワクしてるネ。じゃなきゃオマエラ呼ばれてないヨ」

 

 ヒマラヤ山脈、カンチェンジュンガ。マグルの登山家たちが未だ辿り着いていない標高で現地駐在の魔女さんと会話しているダンブルドア少年の視界の中央では、ポピー・スウィーティングとニフラーの仮装に身を包んだ小さな女の子がラブグッドくんと共に、3人そろって夢中でイエティの死骸と周辺状況の検分を続けている。

「ちょうど胴体がバックリ喰いちぎられてるんだし、胃の中とか見てみよう」

 そう言うが早いかニフラーの仮装をしている女の子はスルリとワタリガラスに姿を変えて、白い毛むくじゃらの巨大なトロールとでも表現するのが妥当かと思われるその固有種の亡骸の真っ赤な断面から覗いている内臓に、自分の嘴を頭ごと突っ込んでほじくり返し始めた。 

 

「おや、阿尼马格斯(アニメーガス)だったノカ。あのバカコドモ」

「今年なったばかりなんです。取り組み始めたのは去年だって聞きました」

 そう返答しつつも、先輩に対する「バカコドモ」というあんまりな呼称には全く反論も抗議もする気が起きないダンブルドア少年は、ふと思い至って、中国の出身なのだろうその魔女を見る。

 

「…………あなたも動物もどきなんですか?」

 

 その魔女は返答する代わりに、スルリと狐に姿を変えた。

 

「わあ、すごく毛並みが綺麗ですね」

 ダンブルドア少年がそんな言葉を漏らした途端に、その大きな狐は背筋をピンと伸ばして身体と同じくらいあるたっぷりとしたフサフサの尻尾をゆらりと持ち上げて、「そうだろうそうだろう」と言わんばかりの上機嫌がありありと察せられる表情を浮かべながら得意げにポーズをとった。

 そしてレトリバー犬くらいある狐もまたポピーとワタリガラスの傍まで駆け寄ってイエティの遺骸の検分に参加し始めたので、できるだけ全員固まっていた方がいいと思ったダンブルドアくんとゼノビア・ノークも見物をやめてそちらへと近寄っていく。

 

「あら。アナタとっても綺麗な狐ね。どこから来たのー?」

 

 その大きな狐はイエティの検分に参加しようとした矢先に目を輝かせたポピーに遭遇して、撫でてもいいですかと顔に書いてあるポピーの煌めく瞳を見つめたままたじろいでいる。

「おや先輩。それって毛じゃないですよね? なんですそれ? 何の板です?」

 ワタリガラスがイエティの断面から引っ張り出したものを眺めていたダンブルドア少年は、イエティの直近の食事内容を示しているその残留物たちの中に正体不明の物体を見つけて、そう声に出して訊く。ダンブルドア少年の見つけたそれは一見すると破損した石板のようで、とても生物由来の何かだとは思えなかった。

 

「ラブグッドくん、これ、なんですかね?」

「んー?…………おや、これは珍しい。イエティはこれを食べない、というかとても捕食なんかできないと思ってたけど……これの持ち主じゃなくこれだけを食べたんだよね? すると、よっぽど空腹だったのか、何か薬効があって、それを経験則で理解していたのか…………」

 ひと目見ただけでそれが何かを理解したらしいライサンダス・ラブグッドは、何やらブツブツ呟くばかりでそれが何なのかをダンブルドア少年に教えてはくれなかった。

 しかしそれが意地悪しているのではなくて好奇心に突き動かされて目の前の事象に夢中になってしまっているだけだとダンブルドア少年は理解しているし、ゼノビアもラブグッドの奴の目の輝きようを見て遅ればせながら同じ事を察した。

 

「これたぶんなんかの鱗だと思うんだよね僕」

 

 いつの間にやらワタリガラスから人の姿に戻っていた7年生は、小さな女の子からスラリと背の高い青年になっていた。

「あっちだね」

 また独りで何かを理解したらしいラブグッドくんは何も無いように見える遠くを見つめているが、そちらへ歩いていこうとはしない。

「鱗? これがですか? エリエザーさんの鱗でもここまでじゃあないですよ?」

「そうじゃんエリエザーに見てもらえばいいじゃん詳しいもんね。おおーーいエリエザー!」

 

〈イヤだ。誰が雪山になんか出ていくか。私は蛇だぞ? 変温動物だぞ? 寒いのは嫌いだ。それに今お前たち西牛賀州に居るんだろう。だったら尚の事イヤだ〉

 

「サイギューガシューってなんだいエリエザー?」

 割りと早口めの蛇語をどうにか聞き取れはした青年だったが、聞き取れただけで単語の意味は判らない様子だった。

 そしてエリエザーからの返答が待てど暮らせど無いので、青年は頬を膨らませる。

「んもー、エリエザーったら。ねえー、誰かこっち来て一緒に冒険しないかーい?」

 

 青年がどこへともなくそう呼びかけた途端、青年の頭部が炎上した。

 そこに現れた不死鳥は青年の頭をギュウと踏んづけると、優雅に羽撃いて空中の一点に留まり続け、至近距離からその青年を見つめている。そんな不死鳥が「仕方がないから付き合ってやるよ」とか言っていそうな顔をしていると、ダンブルドア少年にはそう見えた。

 

「ねえねえお前この鱗、何の鱗か知らないかい?」

 

 青年が差し示したテーブルみたいなサイズの欠けて歪んだ円形の板を見るなり、その不死鳥は驚くほど美しくどこまでも響いていきそうな声で短く啼いた。

「んー? なんて言ったんだい今。聞いたことない声が出たねぇお前いまさ」

 それが同族に対してだけ発する極めて緊急性の高い救難信号だと、この場の誰も知らない。ただダンブルドア少年だけが、得も言われぬ不安という形で、その不死鳥と危機感を共有していた。

 

「何が居るのであれ、危険にしろそうでないにしろ、我らはそれを確認しなければいけないね」

 エルトン・エルダーベリー氏の言葉にその場のほぼ全員が同意し、危ないわよ危ないですよと抗議するダンブルドア少年とゼノビア・ノークを宥めすかして一同で再び移動を開始するのだった。

 

「正体を確かめてもいないモノに対策を講ずることは難しいからね。危険だという可能性があるのならば尚の事、誰かがそれを確かめなければ。他の者達が適切に行動できるように……まあ、むかし私にコレを言った男はその後すぐご機嫌ナナメのヌンドゥと鉢合わせして死んだがね。遅れて追いついた私たちが見たのは直視できない状態になったそいつの亡骸だけ」

 ひょぇー、とどこかお気楽な反応を示した青年をよそに、ダンブルドア少年は「なんで今その話をしたんですか」とただでさえ拭いきれない不安をさらに煽られて辟易している様子だった。

 

「そういうこともあるんだ。彼は死んだが、彼のお蔭で私とその時の仲間たちはヌンドゥが居るという情報を彼の亡骸を検分して得られた。と、そう考えることが彼への一番の弔いだと思うんだ。どんな分野であれ、研究に邁進した者が死ぬ時、残された者たちはそれをただ悲しむのではなく、未来への糧としなければいけない。同じ道を歩んだ友として、あるいは師として、またあるいは後塵を拝していた教え子としてね。できれば私もそういう風に弔われたいものだ」

「死ぬ予定があるのかいエルじい?」

 なんとも気楽な口調でそう聞いてきた青年にエルトン・エルダーベリー氏は答える。

「もちろん無いとも。まあ少なくとも向こう数年はね。しかしあらかじめ予定を立たことしか起こらない人生なんて、つまらないだろう?」

 

「いずれにしろ、死に方って選べないもんですよ。僕はそう思います」

 

 ダンブルドア少年がまるで100歳を超えた老人かのようにそう述べたのと同時に思考がフィグ先生に行き着いてしまった青年は、縋るような視線を隣のポピー・スウィーティングに向ける。

 一同は峻険な雪山を歩きながら会話を続けていたが、やがてゼノビア・ノークが気づいた。

「ねえ! ねえ箒に乗って移動しましょうよ! 私たち魔法使いでしょ!」

 その発想がスッポリと思考から抜け落ちていたダンブルドア少年は目を丸くしているが、一方でラブグッドくんは相変わらず、ゆったりとした表情のまま平然としている。

 

「高く飛んじゃだめだよ、今はね。それにあんまり大声を出すのもよくない」

 人差し指を口の前に立てて「静かに」と促したラブグッドくんが続けて言った一言はダンブルドア少年の不安をより一層煽り、その手に杖を握らせたのだった。

 

「見つかるからね」

 

 雲は足元より遥か下にあり、深い洞穴を覗いているかのような、海の底のような暗い青色の空がその場にいる全員の頭上を覆っていた。

「一体ここに今、何が居るっていうんですか。ラブグッドくんは何に――」

「ああ。あー、そうか、こんなに遠出するのか。……もう一度妈妈(ママ)に会いたかったヨ」

 ラブグッドくんが何に気づいたのかに思い至ったらしい中国魔法省所属だと思われる細身の魔女も狐から人の姿に戻るなりそう呟き、ダンブルドア少年は誰も何も教えてくれないので、かえって「僕にも本当なら気づけるのでは」とか「気づけて然るべきだから教えてくれないのでは」とか考えてしまい、本で読んだことがあるだろうかとあれこれ記憶の底を漁り始めるのだった。

 

「あらま。こんどは……これもイエティだよねポピーちゃん? ……たぶんだけどさ」

 

 そこにあったのは辺り一面真っ赤に染まった雪の尾根と、かなり風が強いのにも拘らずどこへも散っていかない、鼻が腐り落ちてしまいそうなほどの強烈な生臭さだけだった。

 ヒマラヤのこんな標高にいる生き物でこれほどの量の血を流せる図体をしているのはイエティくらいだろうと、ニフラーの仮装をした青年はかろうじてそれだけ推察できた。

「……恥ずかしながら、架空の生き物だと思っていたよ」

 そう言ったエルダーベリー氏も、何かに気づいた様子だった。自分たちが今なにを追い求めてカンチェンジュンガの高地を歩き回っているのかに気づいていないのは今や、ホグワーツから来た青年とダンブルドア少年とポピーとゼノビアの、学生4人だけだった。

 

「これは……血で染まってる範囲が広すぎて判りづらいけど、食べられたんじゃないね。踏まれた…………っていうか『轢かれた』って感じかな。これをやった犯人の、移動経路上に、たまたま運の悪いイエティが居た。それだけ。たぶん殺そうとも食べようともしてない。もしかしたらイエティが居たってこと自体に気づかないまま轢き潰して通り過ぎていったのかもね」

「おっきい鱗があって、身体を引きずって移動する子で、――蛇かな――エリエザーくらいには大きくって、このニオイ…………あ、ダンブルドアくん、そのへんの雪触らないほうがいいよ。呪いがかかってるみたいだから……歩いた跡に呪いを残していく……」

 

 青年とポピーは2人並んで立ち、ここに何が居たのかをラブグッドくんやエルダーベリーさんのように自分たちも見抜くべく、まるで独り言かのような口調で思考を発言として積み重ねて、記憶と照らし合わせて調査している。

「あ、そっか。ここってインドと清の間らへんだった。イギリスじゃないやそうだった」

 かなり根本的な気づきを今さら得たらしい青年が間の抜けた声を上げると、それに中国魔法省の所属なのだろう現地駐在研究員の魔女が反応した。

「イギリスじゃないかどうかは議論の余地があるネ。マグルの情勢じゃ所属テ意味だとインドは今イギリスだからネ。ま、インドのマグルが納得してるかどうかは怪しいネ」

「インドが大英帝国の麾下に加えられたからって、それで土着の生き物たちがイギリスの生き物になるわけじゃあないだろう?」

 

 地政学ではなく生物相の話をしているのだと判った上で混ぜっ返している現地駐在研究員の魔女と、彼女は誤解などしていないと百も承知であえて指摘した青年。

 この2人にもまだ、ラブグッドくんやエルダーベリー氏がそうであるように冗談を飛ばすだけの心の余裕があり、己の内から湧いてくる不安と焦燥を抑え込もうと頑張っているのは、ダンブルドア少年とゼノビア・ノークだけだった。

 

「ねえねえゼノビア。これ見てこれ。私たちが立ってるここ、私たちには判りづらいけど、向こうから来て、あっちに行った跡が残ってるでしょ? 真っ赤に。つまりねおっきい蛇だと思うんだ。でね、このあたりニオイがすごいでしょ? それでさ、私の予想が合ってるなら、この『何か』が来た方向に移動してみると…………」

 そこまで言ったポピーが目の前の血で赤褐色に染まった岩壁を登ろうとし始めてしまったので、ダンブルドア少年とゼノビア・ノークは慌ててポピーの後を追いかける。

 

「……アルバス肩車してあげようか?」

「お願いします!!!」

 

 どうにか最初の2歩だけ岩壁を登れたもののその次に手と足をどこに伸ばしたらいいのかが判断できないまま皆の肩くらいの高さで大苦戦してゼノビア・ノークにも置いて行かれつつあったダンブルドア少年は、見かねた青年に声をかけられて即答で救援を要請した。

 好奇心に突き動かされているスウィーティング先輩はシャーロットさんやヘスパーなどと同じようにどんどん先へ先へと進んで行ってしまうので放っておくわけにはいかない、というのが今の最優先事項で僕のプライドなんかは二の次だと、ダンブルドア少年は先輩に肩車してもらいながら自分にそう言い聞かせてどうにか現状を受け入れようとしていた。

 

「あなた肩車とっても似合うわねダンブルドア」

「ありがとうございますノーク先輩……」

 

 そしてポピー・スウィーティングとゼノビア・ノークと7年生の先輩に肩車されたダンブルドア少年は、凍った雪と血に覆われた岩壁を登りきり、そこから皆で岩壁の反対側を見下ろして、ポピーはようやくイエティたちが何にやられたのかを理解した。

 しかし、それが実際に起きたことだと理解はできても、納得はできていなかった。

 

「……居るの?! あんなのが?」

「ねえねえポピーちゃんそれ僕も知ってるやつかい?」

 

 自分だけまだここを通った大きな生き物の正体を察せていないのが悔しいらしい青年は、ダンブルドア少年を肩車したままポピーの袖を引っ張っている。

「でも、『そんなの本当に居るのか』って話するなら、ゴドリックもエリエザーもそうだし……」

 一体何に思い至ったのか、そこでポピーは言葉を切って隣を見た。

 

「なんだいポピーちゃん」「なんですスウィーティング先輩」

 

 ニフラーを模した目元を覆うマスクまで装着してニフラーの仮装をより完璧にした青年と、その青年に大人しく肩車されている11歳の小さなアルバス・ダンブルドアを、ポピーは見ている。

「あなたその服フードがニフラーの頭なんだから、そのマスク付けたら顔が2つになるよね?」

 この2人だってそうだしなあと思いながら、ポピーは青年に話しかけた。

 

「そうだよお。いいでしょ」

 

 見渡す限り赤と赤褐色と白しかない惨憺たる雪山の尾根の上で、青年は得意げに見栄を張った。

 

「ねえダンブルドアあなた後ろから見るとほっぺが顔から溢れてるわよ」

「えっ嘘ですよねそれどういう状態ですかノーク先輩」

「わたし見たまんまを言ってるだけよダンブルドア」

「アルバス降りて」

 

 ゼノビア・ノークと気の抜けた会話を繰り広げているダンブルドア少年に青年が唐突に短くハッキリと指示を出し、その声色から不穏なものを感じ取ったダンブルドア少年は敏速に従う。

 

「ゼノビアアルバス杖を構えてそこから動かないで」

 

 それだけ言って「姿くらまし」してしまった青年がどこに移動したのかを理解しているらしい不死鳥が、どこからともなく戻ってきてダンブルドア少年が見下ろしている雪山の斜面のかなり遠い位置へと飛んでいった。

 その遠くの斜面にも何かが通ったらしい引きずったような破壊跡が残っていて、よく目を凝らして見てみれば、そこには一粒だけ、何か白いものが動いていた。

 遠すぎて小さな点にしか見えないが、その点だけが汚れも無く血に染まってもおらず真っ白だったので、ダンブルドア少年でもしっかりとその点を目で追うことができた。

 

「あんな遠くのよく見つけますね先輩……あれもしかしなくてもイエティですよね……」

 

 ゼノビアも目を凝らしてその遠くをよーく観察してみるが、ゼノビアの目には飛び回っている不死鳥とイエティなのだろう白い点は確認できてもあの7年生がどこに居るのかは判らなかった。

 

 ダンブルドア少年からは点としか確認できない遠い雪の斜面で、青年と不死鳥はイエティと対峙している。青年はいつでも動けるように杖を気軽に構えていて、不死鳥は青年の周りを優雅に飛び回りながら注意深くイエティを観察している。

 

 そしてイエティは青年に向かって雪山全体が震えるほどの大きな大きな咆哮を上げた。

 

「ダメ!」

 

 青年が杖を握る手に力を込めた瞬間、ポピーが青年の隣に「姿現し」した。

「やっつけちゃダメ!」

 戦闘するつもりだった青年も不死鳥も困っているが、ポピーには確信があった。

 そのままポピーは杖も構えずイエティに近づいていって、真っ直ぐにイエティを見つめる。

 

「あなた、攻撃しようとしたんじゃなくて、怖かっただけなんでしょ?」

 

 まるで1年生の後輩にでも話しかけているかのような口調でそう声をかけてきたポピーよりも低い位置にイエティは立っており、そのせいでイエティからはポピーの姿は実際よりも大きく感じられていた。太陽はポピーの背後にあって、イエティからはポピーの姿が細部までは観察できなかった。だからイエティにはポピーの姿が、母親に見えた。

 

 しかしポピーはさらにイエティに近づいていき、母親ではなくヒトだとイエティにも判った。

 

「怖かったよね。大丈夫だよ。もう大丈夫。……私があなたを守ってあげるわリトルフット」

「もしかして連れて帰るおつもりですかポピーちゃん」

 いま遭遇したばかりのイエティにもう名前をつけてしまったポピーを、戸惑いながら青年と不死鳥が見ている。青年と不死鳥はイエティの方にも頻繁に視線をやって、「信用できる相手か」を、どうにかして推し量ろうと頑張っている。

 

「それはリトルフット次第だよ。どうする? 一緒に来る? 新しいお家とお友達が待ってるよ」

「ねえポピーちゃんイエティって目に付く生き物を全部食べちゃう――」

 

 もうポピーの方針を変更させることなどできないと理解していながら、青年は一応抗議をした。

 

 イエティは目に付く全ての生き物を殺して食べるというよく知られた常識には、言及されていない例外がある。それは別に秘匿されているわけではなく、単に言う必要がないほど当たり前なので誰もそれを言わないだけの、そうあって当然の摂理だった。

 

 イエティは家族を食べないのだ。

 

 未熟な自分を保護してくれて生きるのに必要な知識も与えてくれる相手を殺すような個体が生存できるわけもなく、生まれた我が子をすべて食べてしまう生き物は当然に子孫を残せないので、それは情や愛によるものではなく、単に自然淘汰によって刻み込まれた本能的な選択だった。

 通常それは同じイエティ同士の間だけのことだったが、今ここに例外があった。

 

「あなたおっきくて私の手が届かないから、座ってくれるリトルフット?」

 

 凶暴だと思っていたイエティがポピーの言う事を聞く様を、青年は驚きをもって見つめている。

 リトルフットと名付けられたイエティはその場に座って、さらに可能な限り頭の位置を低くするべくかなり急な斜度の雪原にベッタリと両手をついた。

 

 そしてポピーはリトルフットの頭を大喜びで撫で始めたが、その様子は青年にはどこぞの女王様が新しい臣下に絶対服従を態度で示させているようにしか見えなかった。

 

「これからよろしくねリトルフット」

「噛まれない? ねえポピーちゃん噛まれない?」

 

 まだ安心できない青年をよそに、ポピーはリトルフットと名付けたイエティに「お腹はすいてないのね?」などと親しげに話しかけている。

 

「ねえポピーちゃん。いい加減に皆のとこ戻んないとダメだと僕おもうんだ」

「ん? そう? じゃ戻ろっか。行こうリトルフット!」

「イエティって『付き添い姿くらまし』できるのかなぁ……僕じゃ無理そうだなぁ……悪いんだけどオマエそいつ任せていいかい」

 

 青年に要請されて、しかたなく不死鳥はイエティの頭に止まった。

 遠くの低い位置の雪の斜面、先輩たちが居る辺りがイエティ諸共激しい炎に包まれたことだけは、ダンブルドア少年とゼノビア・ノークの居る鋭い尾根の上からも判った。

 

 その直後ダンブルドア少年は得も言われぬ怖気を感じて、ラブグッドくんとエルダーベリーさんと現地駐在研究員の魔女さんが居るはずの下方を見た。

 

「見てみてラブグッドくん。この子リトルフットって名前にしたんだ!」

「だからきみたちを連れてきたんだよポピー」

 

 驚いていないのはラブグッドくんだけで、エルダーベリー氏も現地駐在研究員の魔女も目を丸くしたまま何も言えずに硬直していた。

「ほらアルバスもゼノビアも降りるでしょ」

 いつの間にか背後にいた青年に差し出された手を取って、ダンブルドア少年とゼノビア・ノークは「付き添い姿くらまし」させてもらって岩壁の下へ、ラブグッドくんたちのすぐ隣まで戻った。

 

「オマエとりあえずカバンの中に入っててくれるかい? ちょっと暑いかもだけど、できるだけ涼しいとこを充てがうからさ。すぐオマエ専用の住処を作るから待ってておくれリトルフット」

 

 青年が開いて向けたカバンの中へと吸い込まれることに抵抗する意思を示していたそのイエティは、次の瞬間何かにビクリと怯んで大人しく吸い込まれていった。

 

「戻ってきたね。さっききみたちがこっちに移動してくる時に上げた音と炎で気づかれたかな」

 

 イエティと全く同時に「それ」に気づいたのは、そう呟いたラブグッドくんだけだった。

 

 それから数分ほどして聞こえてきたのは、何かを引きずるようなズルズルという音と、それに混じった雪崩か掘削作業のような破壊音。音量からして本当に雪崩か土砂崩れか何か天災なのではなかろうかとダンブルドア少年は一瞬思ったが、やがて、その正体を理解した。

 さっき自分が登ってみたのとは逆側の斜面、急角度すぎて歩いて登ることなどできないはずの崖の下から登ってきたらしいそれと、ダンブルドア少年は目が合った。

 

 ホグワーツ特急が胴体を持ち上げたらこのくらいだろうなと思える太く大きな身体と、それを覆う一枚一枚がちょっとしたテーブルくらいある鱗。

 その巨大な蛇には、通常の蛇のそれのかわりに、ヒトの頭が9個ついていた。

 ダンブルドア少年は、その怪物を、本で読んだことがあった。ただし魔法生物図鑑ではなく、「大昔のマグルが書いたという空想まみれの動物図鑑」で、読んだことがあった。

 

「ジャンローだ!!」

 

 あろうことか大きな声を出した青年を、その巨大な蛇の9つの顔は一斉に見た。

「……ホントに相柳(シャンリォウ)とはネ。今日はまだ遺書は書いてないんだけどナァ」

 現地駐在研究員の魔女は、諦めたようにそう呟きながら杖を構えた。

 

 11歳のダンブルドア少年はその生き物を「山海経」で、読んだことがあった。

 

「何、なによあれ…………」

 ダンブルドア少年のすぐ隣から聞こえてくるゼノビア・ノークの声が震えている。

相柳(そうりゅう)です。見ての通り大きな蛇の身体にヒトの頭が9つあって、進行経路上の全ての物を破壊して、生き物は殺して食べてしまいます。そして通った後には汚濁しきった酷く生臭い水を残していきますので、そこにはその後も長いことどんな小さな植物ですら育たないと本で読みました。読みましたけど…………あの本は大昔のマグルの空想を書いたものだって……」

 

「お前らのトコもそうであるように、中国魔法省にも、国際魔法使い連盟と魔法界に通達してない秘密がいくつかあるヨ。……コイツはその中のひとつヨ。『山海经(シャンハイジン)』を書いたのは妄想たくましいマグルじゃなくて当時の最も優秀で熱烈な魔法生物研究家ネ。そこに書かれていることには勘違いとか伝聞に伝聞を重ねた間違いも多いけど、事実も確かに載ってるネ。そしてその中には、今でもまだ絶滅してない魔法生物も、いくつも載ってるネ。で見ての通りコイツ(相柳)もそうってワケネ」

 

 その大きな化け物の太く長い身体と9つの首と頭は、ダンブルドア少年が見上げる空をほとんど覆い尽くしてしまっているし、尻尾が一体どれほど遠くにあるのかは想像するしかなかった。

「コイツが残していく呪いのかかった汚水に関しては、明の時代に魔法薬が開発されてるから心配は要らないネ。まあとんでもない量必要になるせいで予算それに持ってかれるけどネ」

 現地駐在研究員の魔女はまた冗談めかしてそう言ったが、ダンブルドア少年には今そんな心配をする余裕も、無駄話は止めるべきだと抗議する余裕も無かった。

 

「コイツがリトルフットたちをいじめたんだね」

「ダメだよポピーちゃん。逃げることだけ考えなきゃダメ。絶対勝てない」

 

 ポピーとアルバスと皆も守りながらコイツを制圧するなら少なくともゴドリックとエリエザー両方に協力してもらわないと無理だと、そしてエリエザーは寒がりだから出てきてくれないしゴドリックは今お昼寝の時間だから手伝ってくれないと、青年は内心とても焦っていた。

 バジリスクのオミニスに睨み殺させるのはオミニスが嫌がるだろうからダメだと、青年は一瞬だけ思い浮かんだ短絡的なアイデアをすぐに自分で却下した。

 

「プロテゴ・ディアボリカ!! そんでペスティス・インセンディウム!!」

 

 杖を持った手を素早く振って「悪魔の守り」の暗い青色の炎で自分たち全員を頭上までスッポリ覆い尽くした青年は、反対側の手にも杖を持って、「悪魔の守り」の外側を「悪霊の火」の毒々しいオレンジ色の炎で囲んだ。

 エルダーベリー氏と現地駐在研究員の魔女が青い炎の内側にさらに保護魔法を追加しているのを横目に自分も知っている限りの「プロテゴ」のバリエーションを次々唱えて保護魔法で皆を守ろうとしているダンブルドア少年は、見た。

 

 杖も構えていないラブグッドくんが、フラリと保護魔法の外側へ歩いていくのを。

 

「えっちょっダっ、ダメだよライサンダスくん!!」

 

 青年が慌ててその後を追い、ダンブルドア少年もそれに続く。しかしラブグッドくんはゆるりと優雅に片手を振って、前方を塞いでいた「悪霊の火」に穴を開けてそこから出て行ってしまった。

「ラブグッドくん戻ってください! 死にますよ!!!」

「ほらきみたちも。空を見て。めったに見られる生き物じゃないよ」

「何言ってるのライサンダスくん、ダーメ!! もどって!! おねがい!!」

 

 青年は両手に持った杖で2色の炎を操ってライサンダスくんを守ろうとしながら自分の身体でライサンダスくんを押して保護魔法の中に戻そうと頑張っているし、ダンブルドア少年は両手でグイグイとライサンダス・ラブグッドくんを引っ張っているが、事ここに至ってもラブグッドくんは積もって凍った分厚い雪の下の地面にまで根でも張ったように動かず、のんびりと空を見ている。

 

 青年とダンブルドア少年はますます焦り、ゼノビアと現地駐在研究員の魔女とエルダーベリー氏は「戻れ」と必死で呼びかける。

 青年は「悪霊の火」をその巨大な怪物へと浴びせてみたが案の定、相柳は焦げもしていない。

 

 ラブグッドくんは遠くの空を見つめたまま、嬉しそうに笑っている。

 

「戻ってくださいラブグッドくん!! 死んじゃいますよ! ……ペトリフィカス――」

「ほら、来たよ。あれはめったに見られる鳥じゃないから、きみたちも良く見ておくべきだよ」

 

 めったに見られる生き物ではないから良く見ておくべきだというのが目の前の怪物の話ではないと、青年もダンブルドア少年もその瞬間やっと理解した。

 突如朝でも来たかのように暖かな日の色に染まり始めた空の向こうから、太陽そのものだとしか考えられないほどに光り輝く何かが、近づいてきていた。

 その何かはどうやら羽撃いていて、空そのものだと勘違いしてしまうほど大きいらしかった。

 

 自分たちの頭上までやってきたその巨大極まる七色に輝く鳥らしき何かは、9つのヒトの頭があるホグワーツ特急くらい巨大な蛇を鉤爪でガッシリ捕まえて、そのまま飛んで行ってしまった。

 

「助けに来てくれてありがとね」

 

 それを見送って、ラブグッドくんだけがお礼を言った。

 今度こそ全く正体も何も判らず、ダンブルドア少年は驚く以外のことができなかった。 

 

 青年は杖を下ろして2色の炎を両方引っ込め、皆も各々さっき張ったばかりの保護魔法を解除していく。その後も数分ほど、誰も何も言葉を発しなかった。

 まだ愕然としている皆の中にあって、ポピーと青年だけは、少し表情が違った。

 

 そして、心の中に未だ渦巻いている驚きを言葉として出力できる程度に、ほんの少しだけ落ち着きを取り戻したポピーが青年の方に振り向いた。

 

「……なに今の!! ねえ今のなんだろうね!!! すっごく大きかった! 光ってた!!」

「光ってたねえポピーちゃん!! ロック鳥かな! でもロック鳥って大昔に絶滅したはず――」

 

 同じ喜びと興奮を共有している青年とポピーは、そのまま暫くはしゃぎ続けたのだった。

 

「……あなたが、今のあれを呼んだんですか? もしかして」

 

 ダンブルドア少年はなんとなくそう思って、傍らに飛来した不死鳥に話しかけた。

 

 




 
【相柳】Xiangliu ※ハリポタの公式設定に関する補足ではありません※
 秦王朝成立前の戦乱期から漢の時代まで加筆され続けて成立した世界最古の地理書「山海経」に載っている怪物やら神獣やら亜人種やらのうちのひとつ。
 蛇の身体にヒトの頭が9つある怪物で、進行経路上の尽くを破壊して殺して環境を汚濁していく。曰く、退治された際に大量に流れ出た血(バカクソ臭い)が土地を汚染して辺り一帯で農業ができなくなったそうな。別に雪山に住んでいると言い伝えられてはいない。
「ハリポタの公式設定に存在しない」「ハリポタ世界に居そう」「絶対に誰も仲良くなれない」という条件で考えた結果登場した。 

「レガ主が仲良くなった怪物」はエリエザーとかゴドリックとか描写したけど、仲良くなる場面それ自体は描写したことなかったよなあと思って書いてたらなんかポピーちゃんが仲良くなった。
 これからよろしくねリトルフット。

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