2年後もしくは106年前   作:requesting anonymity

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84.校長の優雅な朝

 世界最高の魔法学校という評価を不動のものとして久しいホグワーツ魔法魔術学校ともなれば、それを統率する校長の職に就く人物も、相応しい「格」というものを持ち合わせていなければならない。優れた魔法の知識、才能、実力はもちろんであるが、血統こそ最も重視されるべき事柄であり、今現在ホグワーツの校長を務めているこの私がそれら全てを兼ね備えていることは、全てのホグワーツの生徒にとって、否、魔法界全体にとって得難い幸運である――というのは私の親しい友人から以前受け取った賛辞だが、しかし我が友イグノラムス・ゴーントのこの言葉は決して単なる社交辞令や親しい間柄だからこそ許される軽口に留まらない、真実を深く抉った金言であろう。

 なぜならこの私、ホグワーツ魔法魔術学校校長フィニアス・ナイジェラス・ブラックは言うまでもなく純血で、それも魔法界随一の由緒正しい歴史と家格で広く知られる高貴なるブラック家の直系子孫であり現当主であるからして、この私以上にホグワーツの校長に相応しい者がもし居るとすれば、それこそ我が友イグノラムス・ゴーントくらいのものだろう。

 

 我が友イグノラムス・ゴーントは私と同じように何世紀も、それどころかホグワーツの創設者たちの中でも最も偉大な魔法使いであるかの輝かしきサラザール・スリザリンにまで遡ることができる、現在の魔法界では嘆かわしくも少なくなってしまった真に純粋なる穢れ無き魔法族の血統を保つという我らに与えられし高潔な責務を全うせんとする知性溢れる誇り高い男である。

 

 彼の友として、そして純血の由緒正しいブラック家の家長として、私にはこのホグワーツを世界最高の魔法学校との評判に違わぬ気品ある城に保ち、また生徒たちが歴史あるホグワーツの名に泥を塗ることの無いように教え導き、また各教科を担当する他の教授たちもそのようにあるよう監督し統括する責任があるのだから。

 

 たとえ私個人が校長という職を欲していなかったとしても、未熟で無軌道な自称魔法使いたちと接しなければいけないこの立場を煩わしく考えていたとしても、そんなことは関係がないのだ。

 校長という職にはそれだけの責務があり、一度就いた職を「嫌だ」というだけで放り出すなど魔法界で最も高貴なるブラック家の家長にあるまじき振る舞いであろう。

 

 ホグワーツの校長である私には、由緒正しい純血家系の生徒たちが彼ら彼女らの純粋なる血統に相応しい成人魔法族に育つよう教え導く責任があるのだから。

 

 であるからして当然私の日々の飲食にもそれにふさわしい物を選び抜いて然るべきであり、毎朝の日課たる目覚めの一杯にも、最も口に合う茶葉を惜しみなく使用して私自ら丁寧に淹れた紅茶こそが相応しく、凡百の安物などはマグルが生産に関わった品と同じく私の舌が受け付けない。

 もちろん高価でさえあればそれで良いというものではないが、私が私の口に合うものを選ぶと、自然と最高級品を手に取る結果になってしまうのだ。

 しかし茶葉を含む食品の目利き、更に言えば味覚全般に関しては妻のほうが私よりも優れているという議論の余地のない事実があるので、これが妻が選んでブレンドしてくれた茶葉である以上、何と何と何を混ぜたのか、どういう配合で混ぜたのかなどは訊かないのが礼儀というものだ。

 

 訊かないのが礼儀だと、妻が言うのだ。「あら、訊かなければ判らないのかしら?」と。

 正直なところ訊かなければ判らないが、妻のあの発言が「当ててみなさい」という意味なのは判りきっているので、いま淹れ終わったこの一杯を私はよく味わって飲まなければならない。

 気付けを目的として一気に飲み干すなど以ての外であり、一口ずつゆっくりと、しかし冷めない内に、全ての風味と香りを逃さず余さず堪能して、分析して、全身に染み渡らせるのだ。

 

 そうすると茶葉のブレンドの詳細のみならず妻の愛までが私の心を満たし、穏やかでリラックスした気分とともに充実した朝の時間を過ごすことができる。

 紅茶はもうちょっとゆっくり味わって飲んだほうがいいと妻に言われたのは、交際し始めたばかりの頃だった。妻のアーシュラと私はホグワーツの同級生で、もちろん寮も同じだった。アーシュラは学生時代から誰より美しく、当時の私は「あれほどの女性と結婚できる者は一体どれほどの果報者だろうか」と妄想を膨らませて、自分の脳内に創り出した架空の恋敵に嫉妬したほどだ。

 

 だからアーシュラに交際を申し込んで了承してもらえたあの日、私は間違いなくホグワーツで最も幸福な男だった。あの時アーシュラが「仕方ない人ねアナタって」という言葉と共に浮かべた、私をまんまとイタズラに嵌めた時の兄上を彷彿とさせる愉快そうな笑顔を、私は一生忘れないだろう。ああ私はこの人と結婚するという栄誉に浴することになるのだと、私はあの時理解したのだ。

 

 兄上。シリウス兄様。わずか8歳で死んでしまった、大好きな兄上。素晴らしい人だった。母上が私と兄上それぞれにお菓子をくれても、兄上はいつも兄上の分を私に半分わけてくれた。なぜそんなことをするのかと訊いたら「お前は弟だからだ」と、「お前が生まれた時、私は本当に本当に嬉しかったんだよ」と言って笑っていた、大好きな兄上。欠点などひとつも無かった兄上のように育ってほしくて、私は長男に兄上の名前をつけた。

 

 欠点が無い人間などいないと言う者もいるかもしれない。しかし、シリウス兄様には本当に欠点が無かった。8歳で死んでしまったという事実の悲劇性ゆえ実際には有していた十人並みの欠点に「まだ8歳だったのだから」と目を瞑っているだけではないか、と当時1年生だった私に言ってきた不愉快極まるグリフィンドールの上級生が居たが、もしそうだったとして、それが非難されるべき依怙贔屓だとでも言いたいのか? 兄上は素晴らしい兄上だったのだ。これは誰にも覆せんのだ。

 

 ああ、この紅茶も兄上が好きそうな味だ。

 

 アーシュラと兄上は紅茶のみならず、好む味が全般的に似ているのだ。甘すぎるものや甘いだけの菓子などは嫌い、単純でない、深く複雑な味わいのものを好む。父上が何かの気まぐれで取り寄せたアジアの緑色の茶を兄上が美味しい美味しいと言って喜んで飲んでいたのを覚えている。兄上はあの時まだ5歳だったのに! 私には苦くて飲めたものではないとしか感じられなかったのに!

 

 舌が肥えているという言葉よりは「年寄りじみている」という評価の方が適切なのではないかと今でも思ってしまう。兄上を思い出すといつでも身を抉られるような哀しみを感じるが、すぐにそれは兄上との幼き日の楽しく幸せな思い出の数々に染め上げられて、私の世界は束の間、光と色鮮やかさでまばゆいほどに輝く。そして再び「しかし兄上はもう居ない」という事実に思い至って、また私の目に映る世界は少しだけ色褪せ、少しだけ暗くなり、私は現実を現実として正しく捉えられるようになるのだ。こうして私は日々を生きていて、兄上のお蔭で今の私がある。

 

 しかし、それだけではない。兄上が死んでしまったという哀しみが私の心から消え去ることは決して無いが、私の心に哀絶と孤独感と喪失感しかないというわけではない。

 私にはアーシュラがいる。それに長男のシリウスと、次男のフィニアスと、三男のシグナスと、長女のベルヴィナと、四男のアークタルスがいる。

 妻と我が子たち。私の宝物。もし仮に「ブラック家の全財産」と「妻と我が子たち」のどちらかを選ばなければいけない事態に陥ったとしたら、私は喜んで前者を手放すだろう。

 それで妻と我が子を守れるというのであれば、我がブラック家の数多い金銭的、物質的資産や歴史的な価値を持つ家宝の数々など、屋敷しもべが身に纏うボロ布ほども惜しくないではないか?

 

 この点に関してだけは、私はあの分からず屋で貧乏なウィーズリー家の者共とすら意見の一致を見られるだろう。家族こそ宝なのだ。これを間違えて家族より家宝を優先して守るような浅ましい輩は、須らくロクな死に方をせんのだ。

 そして今、その私の最愛の息子たちが、2人。このホグワーツで勉学に励んでいる。

 いや今はまだ勉学に励んでいる時間ではないが、恐らくまだスリザリン寮の自分たちの寝室のベッドで寝ているであろうが、シリウスとフィニアスはこのホグワーツに居るのだ。

 

 それが誇り高いことだというアーシュラの見解も間違いなく正しくはあるが、しかし己の父が校長を務める学校で学ぶというのは、決してただ誇らしいだけの経験ではないだろう。

 私が生徒だった頃のホグワーツで、もし校長を務めていたのが我が父シグナス・ブラックだったら? 想像しただけでゾッとする! 父上はきっと同じ規則違反でも私には他の生徒の倍の数字の減点を言い渡したに違いないのだから! そしてもちろん加点は他の生徒の半分だ! 父上はそういう人だった! 「最愛の者にこそ最も厳しく」。父上の口癖だ!

 

 いかん、父上が私に説教している時の顔が思い浮かんできた。この紅茶まで苦いような気がしてきたマズいマズい。お帰りください父上。ご心配していただかずとも私はしっかりやっています。

 いえハイそうです昨夜はかなり遅くまでワインとチーズを味わっていました弁解の余地はありません面目次第もございません今後このようなことがないように致しますからお帰りください父上。

 

 紅茶をもう一杯飲むことにしよう。

 

 この爽やかな風味はカッシテリデス産の茶葉を連想させるが、飲み下した後にじんわりと残る穏やかな甘みはアンティリア島のオカミー保護施設の職員たちによって育てられているアッサムの亜種を思い出させる。と思う。確信が持てないから答えを教えてくれと私が言ったらアーシュラは、またあの愉しそうな表情で笑ってくれる。

 しかし私は、私が正解を言い当てた時のアーシュラの驚いた表情も見たいのだ。

 

 私の次男のフィニアスは笑った顔がアーシュラにそっくりだ。4年生になって、フィニアスは昨年度と比べてさらに増えた課題に懸命に喰らいついている。あの子は良い子だ。自慢の息子だ。ただ唯一、己を魔法族だと思い込んでいる穢れた血の生徒とすら交友関係を結んでしまうほどに友人を選ばなさすぎるところだけが困りものだが、だからといって私がフィニアスを深く愛しているという事実は揺らがない。我が子なのだから当然だ。あの子は良い子だ。ただ、慈愛に値しない者共もこの世には居るのだと未だ知らずにいるだけなのだ。あの子はこれから学んでいけばいい。

 

 そして、シリウス。兄上の名前をいただいた、私とアーシュラの初めての子。シリウスは5年生だ。時の経つのは早いものだ。フィニアスが初めて自分の足で立った時、シリウスは自分がそれを成し遂げたかのように得意満面で大喜びしていた。あれがもう十数年前だとは。

 あの小さなシリウスが今や同級生たちと肩を並べてO.W.L.試験に挑もうとしているのだ。シリウスは兄上に似て聡明で品行方正そして成績も優秀だが、些か頑固すぎるところがあるように思う。

 

 私が他ならぬホグワーツの校長である以上あまりこういったことは主張するべきではないが、発覚しないように気をつけながら己の利のために少々規則を無視するくらいは、考え方の柔軟さを培うという意味で将来のために有益ですらあると思うのだが。あの子はフィニアス曰く、先輩も後輩も同級生も肖像画ですら残らず寝ている早朝にも拘らず、自分で自分の規則違反に気づき、それをフィニアスが背後から見ているのにも気づかないまま咎めてスリザリンから減点したというのだ。

 

 もちろんそれは讃えるべき清廉さなのだが、正直父親としては少々心配でもある。もっと笑ったって誰も叱ったりしないと以前フィニアスがシリウスに言っていたが、私もその意見に賛成だ。

 誰も見ていないのなら、今の私のように歩き回りながら紅茶を飲んだって構わないのだ。

 そうだ、ブリオッシュがあったはずだ。ヘキャットの奴がよこしたブリオッシュ。どこの店のものかは判らんがとにかく美味いのだ。記憶が正しければ――よしよし良いぞ、まだ残っていた。

 

「あ! ブラック校長もう起きてる! えらい! おりこうさん! 僕ほめてあげる!」

「今すぐ出ていくか100点減点されるか選ばせてやろう」

 

 よりにもよって、こやつが押しかけてくるか。マックルド・マラクローに噛まれた覚えはないのだが。まったく、朝くらい静かに過ごさせてくれてもいいだろうに、これだからこの城は。

「ちゃんと用事があって来たんだから出ていきませんー。ヒマラヤから全員無事に帰ってきましたよって報告と、あとお土産。ブラック校長にお土産買ってきたんですよ中国魔法省本部で」

 

 中国魔法省本部と言ったか。ヒマラヤでイエティの観察をするのではなかったか? 何故中国魔法省本部にまで赴く必要が――ああ、ミス・スウィーティングか。

「つまりお前たちは今度はイエティを連れて帰ってきたわけか」

「ヒョォエなんで判ったのブラック校長カンが鋭すぎて気っ色悪ぅい」

 貴様の服装の方がよっぽど気色悪いだろう。なんだその眼鏡は。そんな奇天烈な眼鏡どこで手に入れた。そもそもネグリジェ姿のまま校長室に来るな。寝癖と伸びきった襟首をどうにかしろ。

 

 つくづく、誰もこやつを実技で上回れないとは何と忌々しいことか。

 

 才能と実力。それ以外の全てと引き換えに、それだけは類稀なるものを持ち合わせているこの愚か者を、私は毎年度の新7年生の中から男女1人ずつしか選べない「首席」に、全校生徒の模範たる最優秀生徒に、選ばざるを得なかった。

 己が所属する寮に此奴以外の全生徒を合算したより多くの加点と減点を1人で齎しているこの不届き者は昨年、積もり積もった1756点の加点と減点がちょうど打ち消しあって、寮の得点へ与えた影響がゼロに収束したのだ。

 

「イエティがポピーちゃんに懐いちゃったんです。だからこのカバンの中――にしまってある別のカバンの中――に棲むとこ作ってあげたんです」

「何度これを言ったか判らんが、くれぐれも他の生徒に怪我などさせないように」

「だいじょぶですよリトルフットはブラック校長くらいおりこうですから。ポピーちゃんの言うこと良く聞くし、それにポピーちゃんが叱るとすんごいションボリするのがカワイイんです」

 

 イエティの性格なんぞに興味は無いが、ミス・スウィーティングとこやつが飼育している魔法生物どもに関して魔法省に見咎められるような不祥事を起こしていないのも事実だ。

 万が一の際に知らぬ存ぜぬで通して責任をウィーズリー先生に押し付けるためにも、例えばカバンの中に作ったという棲息環境などについてはあまり深く訊くべきではないだろう。

 

「あ。それとですねブラック校長、僕ねブラック校長に謝んなきゃいけないことがあって。あのねブラック校長にあげようと思って中国にしかいないホーンド・サーペントの珍しい亜種のウンチをどっさり買ってきたんですけどね。ここに来る前にガーリックせんせに遭遇しまして。お土産好きなの選んでって言ったらガーリックせんせ大喜びでウンチ全部持ってっちゃって、ブラック校長にあげる分が無くなっちゃいました。ごめんねブラック校長。ウンチはまた今度プレゼントします」

 

 ドラゴンやムーンカーフ然り、ホーンド・サーペントの糞も肥料になるのだろうか。寡聞にして知らんが、ガーリックの奴が欲しがったというのはつまりそれを意味する――しかしガーリックめ。いくら使い道がある貴重な品とはいえ、糞で喜ぶとは。あやつとて年頃の娘だろうに。

 

「そんでこれ。1袋はアーシュラさんにあげてください。江山緑牡丹(じゃんしゃんりゅーむーだん)っていうお茶です。ブラック校長飲んでみて飲んでみて。これねえポピーちゃんとラブグッドくんが美味しい美味しいって言ってねえ、絶対これにしようってすんごい言ったんだよ。だからねえ僕ねえブラック校長にこれあげようって思ったの。だってポピーちゃんとラブグッドくんが美味しいって言ってたからね!」

 

 相変わらず朝は言語能力が低下しているなこいつは。理由の説明が説明になっていない。

 おい今から飲むとは言っていないぞ私はまだ何も返事をしていない貴様それはちゃんとブリオッシュに合うんだろうな。まあ、他ならぬミスター・ラブグッドの目利きなら信用できるが。

 

「そんでねえブラック校長これもあげます。これねえ緑牡丹(りゅーむーだん)はねえ、透明なティーポットで淹れて飲むのがいいってお店のおばちゃんが教えてくれたからね」

 

 これだ。こやつが持ち合わせる、当世唯一の稀なる才能。古代魔法。今こやつが私の目の前で構えている杖は木製ではない。主には魔法生物に由来する強力な魔法力を備えた芯材と選び抜かれた木材を組み合わせるというオリバンダー家秘伝の製法ではない、世界最高の杖作りゲボルド・オリバンダーをして「経験がない」と言わしめた、詳細不明の材料から作り出された、古代魔法を扱うためだけの杖だ。きっと私がこの杖を持ったら、穢らわしいマグルが愚かにも魔法族の杖に触れた時のように、杖が私を使用者として認めず激しく拒んで弾き飛ばすのだろう。

 

 私の眼前で、極東風のやたら丸い形状をしたティーポットが、呪文も用いずに形成されていく。

 ちょうど霧か霞かといった朧げな状態だった守護霊呪文がハッキリと動物の姿を象るように、透けるほど薄いネグリジェだけを着て狂ったデザインの眼鏡をかけた体格の良い男子生徒が振る杖の動きに従って、憂いの篩に注ぐ記憶の雫のような銀色のドロリとした何らか、恐らく古代魔法そのものなのであろう何らかが、今まさに潰れた球の形をしたティーポットとなっていく。

 

 私はこんな早朝から一体何を見せられている? なぜこやつは今ネグリジェを着ている? 寝間着というものは寝室でせめて普段着に、校則に従えば制服に着替えてから廊下に出るものだと、こやつは未だに学んでいないのか? ヘキャットもフィグもウィーズリー先生もミス・スウィーティングもミスター・ウィーズリーもミスター・サロウもミスター・ゴーントも他の生徒も何度と無く教えただろうに、なぜこやつはこうも人類文明に阿るということをせんのだ?

 

「あ★そうだせっかくだから貔貅(ぴーしゅー)の形にしよ。あの子ったらかわいいもんね」

 

 こやつがそう配慮しているからこそ私の目がこのティーポットを捉えられているのだろうということは、一昨年度の終わりにあのフィグの葬儀で見た騎士の像のことを考えれば明らかだ。

 

「びょん! できましたよブラック校長。これあげます。茶壶(ちゃーふー)って言うらしいです。アジアのティーポット。日本だとこれをキュースって呼ぶんだって、お茶買ったお店のおばちゃんが教えてくれました。でもあのおばちゃん声おっきくって早口ですんごい怖かった……」

 

 こやつは清国の言語が解るのだったか? ああいや、そうかラブグッドの奴が通訳したのか。

 

「彼らにとってはあれが普通の滑舌で普段の声量なのだ。慣れておらんとたまげるがな」

 

 私の目の前に浮かんでいる玉のような形をした東洋風のティーポットはガラスでできているかのように透き通っていて、それを外側から包んで支えるように覆っている、金属のようにも見える複雑で精緻な銀色の渦巻き模様がティーポットの4つの短い足や持ち手をも形成している。

 ティーポットの丸い胴体部分を覆う銀色の渦巻き模様は注ぎ口から見て左右の側面を大きく避けていて、そこからガラスのように透明なポットの中を観察することができるようだ。

 

「ラブグッドくんもそう言ってました。アルバスとゼノビアはポピーちゃんの背中に隠れてました――そうだティーポットだけ作ってもダメじゃんティーカップカップカップ要るやカップじゃないや何だっけなんて言うんだっけおばちゃん教えてくれたもんね茶鍾(ちゃーじょん)作る!」

 

 こやつの杖がこれを紡ぎ出すところを実際にこの目で見ていなければ、今わたしの眼前に浮かんでいるティーカップから取っ手を無くして僅かに小さくしたような器を構成しているガラスのような透明な物質と、その表面を覆う形で渦巻きのような模様を形成している銀色の金属らしきものが全く同じ材質だとは、たとえこの品を長年愛用したとしても永遠に夢にも思わないだろう。

 

「はいブラック校長、茶鍾(ちゃーじょん)です。ブラック校長とアーシュラさんとシリウスくんとフィニアスくんとシグナスくんとアークタルスくんとベルヴィナちゃんとスクロープの分と、あと予備ふたつ」

 

 空中に並んだカップの透明な表面を走る銀色の渦巻き模様はひとつひとつ微妙に異なっていて、これなら確かに一度「これ」と決めて、それを守って各々が各々の物として使い込んでいけば、遠からず「これが自分のカップだ」と自然に見分けられるようになりそうだと思えた。

 

「スクロープにも、たぶん居るんでしょう他の屋敷しもべにも、飲ませてあげてくださいね。じゃなきゃ僕ゆるしませんからね。わかってますねブラック校長」

「淹れ方を教えてもらえねば、飲ませるも何もないとは思わんかね?」

 

 中国式の茶の淹れ方など知っているが、流石に今は説明させてやるのが礼儀というものだろう。

 

「難しいことなんにもないですよ? お湯沸かして、お茶っ葉入れて、お湯注いで、花が咲いたら飲める合図――ああ! お湯沸かす容れ物も作んなきゃ!」

 

 貴様いま随分すんなりとこのティーポットやティーカップなどと同じ材質で同じデザインをしたティーケトル(やかん)を創り上げたが、その魔法はそのように濫用して構わないものだったか? むしろ濫用されないために、悪用されないために他ならぬ貴様が守護するのではなかったか?

 

「アグアメンティ~。どんどーん。 おおーい。お湯沸かしたいから火をくれないかい?」

 

 杖を振って勝手に創った1人用の真っ赤なソファにネグリジェの裾など気にもかけずにドサリと腰を下ろした不届き者がどこへともなく声をかけた途端に飛来した不死鳥がその男子生徒の膝の上で翼を畳んで身を丸めてリラックスし始めた。あの鳥は、あやつの膝の上でよくもまあ居眠りなどできるものだ――次の瞬間には勢いよく立ち上がって駆け出すやも知れぬというのに。

 

 この不届き者はあろうことか不死鳥の背の上に遠慮なくティーケトル(やかん)を置き、数秒もせず透明なティーケトルの中に満たされていた水は激しく泡を噴き上げて熱湯へと変わった。

 背は湯を沸かせるほどの高温にしていながら、足と腹はヒトの脚を傷つけない常温のままとは。相変わらず、つくづく底の知れぬ鳥だな不死鳥というやつは。

 

「そんでブラック校長見てくださいこのお茶っ葉。まあるくしてあるんですよほらぁ! これ1個でこのティーポット何杯分もお茶入れられるんですよ飲み干しちゃったらお湯注ぎ足して! そんんでねえお店のおばちゃんがやって見せてくれたんですけどねえいいですかお湯注ぎますよ」

 

 そのティーポットにお湯が注がれて少しすると、ティーポットの中に入れられていた緑色の小さな玉が少しずつ、花のように開き始めた。それに伴って湯は淡く柔らかな春のような緑色に染まっていき、それとともに私の期待も不本意ながら高まっていく。

 どうやら確かにこれは、透明なティーポットを用意するだけの価値があるらしい。

 

 そして程なく、茶葉の花は丸いティーポットの中で満開となった。

 

「どぉですか! これが江山緑牡丹(じゃんしゃんりゅーむーだん)ですよぉブラック校長! 飲んでみろコンニャロ!」

「確かに、これはアーシュラが気に入りそうだ。淹れたのが貴様でなければ更に良いのだがな?」

「なんだあコンニャロ! 飲め! 飲めコンニャロウ!」

 

 もっと上品に、いやせめて落ち着きをもって勧められないものか? 猿には不可能な芸当か?

 

 しかし、この材質がこやつにはラピスラズリかターコイズのような明るい青色に光って見えるというのは未だに――さすがに今さら疑ってはおらんし納得もしたが――理解はしきれんな。銀とガラス、もしくはそれと見た目を同じくする何かにしか、私には見えん。

 光って見えるというのも何かを反射してという意味ではなくこれ自体が光を放っている、正確にはこの材料に宿っている「古代魔法の痕跡」が光を放つらしいが――解らんな、やはり。

 

 しかし時には解らんことを解らんまま単に情報として丸暗記するのも難解な事物を理解する上で大切な姿勢だ、という父上の言葉に、今は従うとしよう。

 さて、このジャンシャンリュームーダンなる茶は如何な味わいか。見かけにばかり気を配って本質がおろそかになっているようでは一流には程遠い、というのは魔法族も茶も同じだが――。

 

 ああ、この上品な香りといい、爽やかな口当たりといい、きっと兄上が気に入っただろう。

 

「ありがとう。妻もきっと喜ぶ。大切に飲むとしよう」

「ブラック校長お礼とか言えたんですね…………おりこうさんだぁ……」

「今すぐ出ていくか100点減点されるか選ばせてやろう」

「ヒョエーじゃあねブラック校長それティーセット全部準備すんのめんどい気分だったら適当なカップにその玉ひとつ入れてお湯注ぐのでも玉1個で4、5杯くらいまで楽しめるから気軽に飲んでね!」

 

 ようやく去ったか。よくもまあこんな朝早くからああも無闇に騒がしくいられるものだ。

 しかし、あやつ1人が居るだけで途端に平穏や静寂といった類の安らぎは叶わぬ夢と消えるな。

 何の物音も聞こえん私好みの静かな朝がやっと戻ってきた。生徒たちが談話室から抜け出し始めるまでの束の間しか保たれぬ静寂だが、この時間が好きなのだ。

 

 一昨年の、鐘楼塔のてっぺんの取り外させたはずの鐘がいつのまにやら戻っていたのも、入学名簿と受け入れ羽根ペンのある部屋へ繋がる扉の鍵が盗まれていたのも、あやつが犯人だろう。

 つまりあの「許可の鍵」は、あやつが飼っているニフラーのどれかが腹の袋にしまい込んでいるか、カバンの中かホグズミードのあやつの店の地下にしまい込まれてそのままというわけだ。

 しかしそれは、すなわち盗まれる心配が無いということで、ならばあやつが卒業する際に返却させればそれでよいのではなかろうか? あやつの管理している魔法生物どもの目を盗んであやつから何かを盗むなど不可能なのだから、あやつが持っていれば鍵は安全この上ないと言えるだろう。

 

 そうだそうだ。早急な対処などいらん。そんなことより今は茶とブリオッシュを味わうことだけに集中する時間だ。些末な余所事を思考している暇などあろうか。

 この茶の見た目も、味も、この今しがた目の前で生み出されたティーセットも、さぞやアーシュラが喜ぶだろう。それにベルヴィナは目を輝かせるに違いない!

 

 理由をつけて昼にでも一度グリモールド・プレイスに帰ってしまおうか。夕食の時間までにホグワーツに戻れば――いや、夕食を食べてからゆっくり戻っても、どうとでも言い訳はできるか。

 しかしそうするとシリウスとフィニアスを放置することに――。

 

「…………こういう種類の悩みこそ、真に『幸福』と呼ぶべきものに違いないのだろうな」

 

 容器に書かれているこの文字列を、おそらくジャンシャンリュームーダンと読むのだろう。ふむ。江山綠牡丹(ジャンシャンリュームーダン)か。……スクリブナーが管理しているこのホグワーツの図書館にも英語話者向け漢字辞典の1冊くらいあっただろう。後で寄ってみるか。

 会話するだけならともかく文字を読むとなると中華という土地はいかん。漢字は数が多すぎる。

 ルーン文字でさえ学生時代さんざん手こずらされたというのに覚えきれるかあんなもの。

 

 今もう一杯この茶をおかわりしても、私を咎める者は誰もいない。父上も、母上も、兄上も。

 

「良い茶だ。これは良い茶だ。兄上にも飲ませてさしあげたかった…………」

 

 あの愚か者が勝手に創って置いていったソファの上に、不死鳥の尾羽根が1枚残されていた。

 

 




 
【シグナス・ブラック1世】
 フィニアス・ナイジェラス・ブラックの父。理由は明かされていないが、フィニアス・ナイジェラス・ブラックが4歳だった1851年に22歳という若さで夭折している。

【シリウス・ブラック1世】
 フィニアス・ナイジェラス・ブラックの兄。理由は明かされていないが、父が亡くなった2年後の1853年に8歳(もしくは誕生日次第で7歳)という若さで夭折している。
 長男シリウスが亡くなった時、次男フィニアス・ナイジェラスは6歳(か5歳)。
 フィニアス・ナイジェラス・ブラックはきっと兄のことも父のことも「幼い頃の記憶」としてハッキリ覚えているだろう。

【イグノラムス・ゴーント】※ファーストネームも性格も詳細設定全て妄想です※
 ゲーム「ホグワーツ・レガシー」本編でそういう人が存在することだけ語られるゴーント家の家長。オミニス・ゴーントの実の父で、オミニス曰くブラック校長の友達。(ここまでが公式設定)
 読者が「ゴーント家」という単語から想像する通りの人物で、超がつくほど極端な純血主義ですぐ怒るしすぐ磔の呪文使うし純血魔法族でない者は不快害虫と同列に扱う。

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