2年後もしくは106年前   作:requesting anonymity

85 / 100
85.微睡みの中のポマンダー

 1892年9月24日、朝。校長室から出てきた首席の7年生が、ネグリジェ姿のまま廊下にたくさんある誰とも知れない肖像画に興味を惹かれたりしながらピョコピョコと楽しげな足取りでスリザリンの談話室へ戻ろうとしている時。グリフィンドールの談話室ではダンブルドア少年が、ハッフルパフの談話室ではポピー・スウィーティングが、そしてレイブンクローの女子寝室ではまだ目を醒ましきっていないゼノビア・ノークが、それぞれの友人たちに、中国魔法省本部土産にヒマラヤ山脈・カンチェンジュンガ土産という肩書きを背負わせて渡そうとしていた。

 

「おはようダンブルドアくん、その本はもしかして自分用のお土産かい?」

 

 ダンブルドア少年が身支度を済ませて談話室に出てみたら既にそこにいた何人かのグリフィンドール生のひとり、燃えるような赤毛の7年生男子ギャレス・ウィーズリーは何やら宿題なのだろう羊皮紙を、資料だと推測される数冊の本を睨みつつ文章で埋めようと奮闘していた。

「あ、いえ。これは先輩が買ってくれたやつです。『山海経』の現代語完訳版。全24巻セットだとちょっと安くなるからって……高すぎるからいいって言ったんですけど……」

 現代語と言ったって「向こうの」現代語であって英語じゃないよなと思いながら、ギャレス・ウィーズリーは大きくて分厚い本を抱えたダンブルドア少年に、一言だけ確認をする。

 

「ちゃんとアイツにお礼言ったかい?」

「もちろんです。けど、そしたら先輩大喜びして、お菓子どっさり買ってくれて――」

「ちゃんとアイツにお礼言ったかい?」

「もちろんです。けど、そしたら先輩大喜びして――」

 

 そこでダンブルドア少年は言葉を切って、じっとウィーズリー先輩を見つめた。

 

「…………朝食の前ですけどウィーズリー先輩みんなに内緒で一緒にお菓子食べません?」

 

 ヒマラヤに行った思い出をみんなが起きてくるまで話さないという選択をしていたが話したくて話したくてもはや我慢しきれなくなったのだと、ギャレスはダンブルドアくんが今そんな提案をしてきた理由を正確に見抜いていた。

 

「いいね。何があるのか見せてくれるかい?」

 ギャレスがそう返事しながら羽根ペンを走らせる手を止めてこちらを見たのを受けて、ダンブルドア少年は自分たち2人が今いるグリフィンドール談話室の奥、男子寝室の方向へと杖を向けてクッキリはっきり「アクシオ!」と唱え、自分の寝室からそれを「呼び寄せ」た。

 

「イモビラス」

 

 明らかに速度が出過ぎていた幾つもの包みや紙袋や箱を目の前の空中で静止させて、ダンブルドア少年はギャレスが宿題をしているテーブルの、ギャレスの正面にある椅子に座った。

 

「どれから食べますか」

 

 誰かに見られたら怒られるとでも信じているかのような囁き声でギャレスの意見を訊くような言動をしながら、ダンブルドア少年はギャレスの返事など待たずに、早速ひとつの包みを開けた。

 そんなダンブルドア少年を真正面から見つめているギャレス・ウィーズリーは、末の妹と話している時と全く同じ、毛布のように穏やかで包容力を感じさせる暖かい笑顔を浮かべている。

 

「それはなんだいダンブルドアくん?」

饅頭(マントウ)って言うんだそうです。あちらのマフィンというかパンというか、そういうものです」

 

 説明を言い終わらないうちに早速ダンブルドア少年はずしりと重そうな紙袋を目の前の空中から手に取りテーブルに置いて、それに封をしていた赤い長方形の紙の、端を指でつまむ。

「これは符籙(フールー)と言って、これにあらかじめ施された保護魔法を、これを貼り付けたものに、貼り付けている間、齎すんだそうです。今回は温度と新鮮さを保つ魔法ですね」

 そう説明しながら紙袋の口に封をしているその赤いお札を剥がすダンブルドア少年の手つきからは、これはイギリスには無いものだから絶対に完全な状態で保存しておきたい、という、絶滅種の化石を掘り当てた古生物学者のような慎重さと、焼き上がったスポンジ生地を型から外す新婚の奥様のような、失敗するわけにはいかないという緊張が、まるっこい手のほんの僅かな震えとなってグリフィンドールの談話室全体へと発散されていた。

 

「ヨーロッパ魔法界とは全然やり方が違ってて面白いねえ。そういう独自の技術体系がまだ現役で残ってるってのがまた面白いや。それも文化の保全に努めてるとかでもなく自然に残ってるのが」

 

 そう言ったギャレスに何の返事もせず、ダンブルドア少年は何やら文字らしきものが書かれている赤いお札を慎重に、努めて慎重に、決して破いてしまわないように、剥がした跡も残らないように、途中で一旦手を止めて、人差し指と親指で直接つまむという方法から杖で魔法を行使するという方法へと方針を転換して、その手に握った杖の先でお札の端を慎重に操って、あたかも妹が膝にこしらえた擦り傷でも診るかのように、そっと、細心の注意を払って「浮遊呪文」を制御する。

 

 そんな小さなダンブルドア少年のまんまるのお顔があまりにも真剣な表情をしているので、その光景を真正面から見ているギャレスは、まるでクィディッチの試合の最中のような緊張感に自分まで飲み込まれそうになっていた。

 

 ダンブルドア少年が手に持つ杖の先端の僅かな動きに従って、赤いお札が剥がされていく。

 何度か手を止めて杖で操る部分を変えつつ丁寧に丁寧に作業を進めたダンブルドア少年は、その小さな紙1枚に結局数分を費やして、とうとうその御札をマントウの入った紙袋から、望み通りの完全な状態で剥がすことに成功した。紙袋には剥がした跡など残っていないし、御札にはほんの僅かな破損どころか撚れやシワ、折れ曲がった跡すらない。

 

「……あ、すいませんウィーズリー先輩。食べましょう食べましょう」

 

 しばらくその御札を、自分の丁寧で慎重な作業の成果である傷一つ無い蒐集品を両手で大事に持って眺めていたダンブルドア少年は、その御札越しにギャレスの微笑みが視界に入って、慌ててそう言って、開けたきりほったらかしだった紙袋に杖を向けた。

 

「綺麗に剥がせてよかったね。ダンブルドアくん」

「はい。僕これ日記に貼ろうと思ってるんです。ちょうど今のことを書く、今日の分の文章の横に。そうすると後で読み返す時うれしいですからね――ああすいません、食べましょう!」

 

 一体なにが恥ずかしくなってしまったのか、ダンブルドア少年は慌てて杖を一振りして「レヴィオーソ!」と唱え、紙袋の中からその「マントウ」をひとつ取り出した。

 それは膨らんでいて、フワフワで、イギリスの何かに例えるならばパンに似ていた。ただ、パンよりももっと柔らかくて、それがダンブルドア少年が気に入ったところだった。

「もっと、ちょうど向こうの暖炉の傍のソファにあるクッションくらい大きいのも売ってたんです。先輩ったらそれを一目見るなり大喜びして『僕あれほしい!』って――」

 

 ダンブルドア少年はそんな話をしながら、赤い御札をローブのポケットから取り出した厚めの日記帳にそっと挟んで、その日記帳の革のカバーのボタンを留めて、また元通りにしまう。

 

「それでスウィーティング先輩に、『僕あれ買いたい! 買っていいポピーちゃん!』って。先輩ったら、先輩のお金なのに何か買う前に必ずスウィーティング先輩にお伺いを立てるんです」

「アイツ僕らと買い物する時も絶対誰かにそれ訊くんだよね。自分でこしらえたお金なのにさ」

 

 ダンブルドアくんが杖で操ってよこした「饅頭(マントウ)」をさっそく手にとって口に運びながら、ギャレスはその友人を思い浮かべて口元を緩めた。

 そんなギャレス・ウィーズリーに、ダンブルドア少年はかねてからの疑問をぶつける。

 

「ウィーズリー先輩ウィーズリー先輩、結局あのクッションみたいな大きさのマントウをあの先輩ったらいくつもいくつもどっさり買い込んでて、他にも色んな店を巡りながら皆へのお土産も山のように買って、僕らにも色々と買ってくれたんですけどあの人、ホグズミードにあるあのお店の売上だけで、あんなたくさんの出費を賄えてるんですか? 先輩ってなんかこう、羽振りが良いというか、金銭面で不自由してるようには見えないというか、言ってしまえば『裕福』ですよね? でもあのお店、そんな頻繁にお客さんが来るんですか? 先輩って何が収入源なんです? あの人自身の倫理観ではセーフだからって、違法行為で収入を得てたりは…………しませんよね?」

 

 マントウを口元まで運んだままの体勢で一時停止してそう訊いてきたダンブルドア少年があまりにも真剣な目をしていて、この子はアイツを疑っているんじゃなくて本気で心配しているんだと理解できてしまったので、ギャレスは湧き上がってくるクスクス笑いを抑えることができなかった。

 

「してない、してないよそんなに不安そうな顔しなくても。それに、アイツがそういうことを始めた時に、すぐ見つけて止めるのが僕らの役目なんだから。見ててあげなきゃいけない奴だし、見てて飽きない奴だし、僕らは喜んでそうする――アイツの収入源は仰るとおりあのホグズミードの店で、あの店はアイツが5年生の時に人殺しの不動産詐欺師から買ったものだけど、ホグワーツの5年生が不動産を一括払いで購入できるような資金をどうやって溜めたのかって、それも気になってるんだよね? ……でもこれは、だいたいの予想はさ。できてるんだろう? ダンブルドアくん」

 

 冬から春へと季節が変わっていく頃の、溶け残った積雪のように真っ白で柔らかい、口に入れた瞬間に溶けてしまうのではないかと思ってしまうほどの儚さすら感じさせる饅頭(マントウ)に力いっぱい齧りついて口の中をいっぱいにしてしまったその瞬間に問いかけられたので、ダンブルドア少年はギャレスにすぐ返答することができなかった。

 すいませんちょっと待ってください今飲み込みますからねと表情で訴えながら、ダンブルドア少年は口の中にギュウギュウに詰め込んでしまった饅頭(マントウ)を頬張る。

 

「ああごめんねダンブルドアくん大丈夫ゆっくり食べて」

 

 クスクスと笑ってしまいながら、ギャレスはどうにかそう言って自分も饅頭(マントウ)を一口齧った。

 

 そしてじっくりと時間を消費して口の中の饅頭(マントウ)をどうにか咀嚼しきって飲み込んだ後で「指名手配犯の討伐報酬ですよね」と解答したダンブルドア少年に、ギャレスが「そうだけどそれだけじゃないよ」と説明してあげている時。

 彼ら2人が話題にしている7年生の生徒が今まさに向かっているスリザリンの談話室でも、既に目を醒まして身支度も済ませた早起きな数人の生徒が、大広間で饗される朝食すらまだまだ先な、窓越しに見える湖中の風景が黒に近い深緑からエメラルドグリーンへとその色合いを変化させつつある静かな朝の時間をどうせなら有意義に過ごそうと、先日マホウトコロからやってきた交換留学生の女の子、3年生のミス・リュウサキに、ニホンの遊びを教えてもらっていた。

 

「その『季語』ってなんだリュウサキ」

 

 純血を標榜する由緒正しい家系出身の7年生、カンタンケラス・ノットがテーブルの上の資料を眺めながらミス・リュウサキに問うた。

「簡単に言うと『季節に紐づいてる単語』で、『これがそうです』ってズラッと挙げられて決まってんねんけど…………アレは言うても『日本における』季節の移ろいを表してるモンで、ここはエゲレスやからなあ。そんな気にせんでもエエと思う。季語が何かって、それ単体で『1年間の中の特定の時期』を連想させる単語でさえあればエエんやから……うん。季節がイメージできる言葉やったら、なんでもエエんやない? だいたい季節ゆうたかて春夏秋冬だけやないし」

 

 そんな厳しぃやってもアレやしなあと考えながら、ミス・リュウサキは探り探り説明している。

 

「…………それはつまり『雪』とか『クリスマス』とか、そういうことか?」

 

 ノットの隣で同じように難しい顔をしているマルフォイがそう訊くと、ミス・リュウサキは肯定した。しかし考えが狭まらないように、ミス・リュウサキは肯定の後に言葉を付け足す。

「冬やったらせやね。それは冬の季語。やけど、ホグワーツならではのもんが欲しいかなぁー? ええやん。季語を新しく作ってもうても。場面とか想いとかを5、7、5に――つまり『タタタタタ、タタタタタタタ、タタタタタ』の17音にどうにか収めんねん。基本的には好きにしたらエエけども――もう解っとると思うけど、文字数の無駄遣いだけは絶対でけへんで」

 

 マルフォイが興味を持ったことによって始まった「俳句」の体験教室で、まずは基本のルールを理解したスリザリンの7年生男子2人は、とりあえず何かひとつ言うべく頭の中で言葉を幾つも思い浮かべて、それをどうにか17音にねじ込むべく眉間にシワを寄せて無言で試行錯誤を続ける。

 

黄桃(おうとう)(しか)めっ(つら)の 5、7、5」

 

 マルフォイとノットの眉間のシワを正面に捉えたミス・リュウサキはさっそく一句詠みつつ、テーブルの上のガラスの皿に盛られている美しく切り分けられた瑞々しいモモに手を伸ばして、そこにある銀のフォークのうちひとつを、それが刺さっているモモの一切れごと自分のものにした。

 

「ゴ、シチ、ゴって『5、7、5(Five Seven Five)』の事だったよな。けどそれ4音じゃあないのかリュウサキ」

「なんでやのノットくん。『ごーひちご』で5音やないの」

 

 深く追求して論戦になっても勝ち目はないと理解しているので、ノットはそれ以上訊かない。

 日本語には出身地由来の訛りがあるし英語にも日本語に寄った訛りがあるミス・リュウサキは、日本語でもそうしているように、英語の発音の矯正を早々に投げ出していた。現状伝わっているのだし、これから2年間英語を日常的に使用するのだからある程度は自然と矯正されるだろうし、訛りのせいで自分の英語が伝わっていない場合は向こうがそれを指摘してくれるだろうからその時にひとつひとつ直せばいいだろうと、ミス・リュウサキはそう楽観的に考えていた。

 

「んんんー!! ()()ぁ。ええわぁー。ええわぁ最高やぁホグワーツぅ……。おんなじ寝室の子ぉらも仲良ぉしてくれるし、優しいし別嬪さんやし……言うことあらへんわぁー」

 モモを一切れ口に運んでご満悦のミス・リュウサキを見て、マルフォイは先日耳にしたこのマホウトコロからの留学生がグリフィンドールに組分けされたもう1人の交換留学生シマヅくんともども患っている、厄介な病とすら言える問題について思い出した。

 

「そういえばリュウサキお前、バターは相変わらず無理なのか? あの『ボウトル』は」

 

 そう訊かれた途端に渋い顔になったリュウサキは、現状をありのまま白状する。

「……努力はしてます。けどなー。平気なんもあるけど、無理なん多いんは変わらんなぁ」

「グリフィンドールのシマヅくんはもう昨日の夕食でも普通にバクバク喰ってたのにか?」

 自分もフォークに手を伸ばしてモモを一切れいただきながら、ノットが訊いた。

 

「タダちゃんはなー。あれ克服したんとちゃうのよ。気合で我慢しとるだけなんよ。舌と身体は『無理ムリむり喉通らんよ食べられへんよ』て訴えてんのにあの子ぉはそれを無視できんねん」 

「そりゃまた随分な生き物だな。サムライってのは皆そうなのか?」

「まあ、度合いに差ぁはあるけど皆だいたいそんなもんやね」

 

 ミス・リュウサキはそう返答して肩を竦めて見せ、マルフォイも同調するように苦笑した。

 

「クルーシオ どこ吹く風と 寒稽古」

 

 ようやく一句詠めたノットだったが、いかんせん初めてなので出来の良し悪しが自分では判らず、褒めるか貶すかしてくれと、急かすようにリュウサキさんへと視線を投げかける。

「薩摩のお侍の魔法族がどういうもんなんかを端的に表しててエエと思うでウチは。…………あんな、解っとるやろけども、ウチかて別に俳人でも歌聖でもあらへんのやからそんな批評なんかできる立場とちゃうねんでホンマは。それにどこの誰がせっかく俳句に興味持ってくれた友達が初めて作った句の不出来を指摘すんねんな…………ウチは良ぅできた句やと思いました!」

 かなり困りながら開き直ってそう宣告したミス・リュウサキが「気楽にやりぃや気楽に」と呟いてまたモモを一切れ食べたのを視界に入れながら、マルフォイは自分も何か一句詠むべく最近あったことなど思い浮かべながらギュウギュウと眉間にシワを寄せて苦心し続けるのだった。

 

 そして数分後、マルフォイのあまりの苦々しげな表情を見かねたリュウサキさんが「川柳とか短歌ゆうのもあるよ」と新たな選択肢を示すという形で助け舟を出した頃、レイブンクローの談話室の奥に位置する女子寝室のうちのひとつでは、未だ微睡みの海に肩まで浸かっているゼノビア・ノークを、既に身支度を済ませているルームメイトのうちの1人が揺すり起こそうと試みていた。

 

「ほらノーク、あなた今日は早起きするんじゃなかったの? お土産くれるんじゃないの?」

 

 昨晩遅くに帰って来るなりあれほど嬉しそうにそんな宣言をしていたのだから今日の朝食の時間になる寸前で起きてゆっくり思い出話をする機会を逃しちゃこの子が可哀想だと、そう考えてルームメイトはゼノビア・ノークの身体を揺さぶる。

「なぁに……わたしアナタのおねえちゃんしゃないのよ……」

「それはこっちのセリフなんだけど?」

 ゼノビア・ノークがムニャムニャとした発声で口にしたのは寝ぼけているわけでもない純然たる寝言だったが、そのルームメイトは律儀に返答した。

 

「わかった……わかったわよ手つないだげるかぁら、そんなかおしないの……」

「この子ったらもう」

 

 そう呟いたルームメイトの女の子はゼノビア・ノークの身体を揺するのをやめて、その代わりにゼノビアの鼻と口に自分の片手をぺったりと押し付けて完璧に塞いだ。

 

 30秒ほどそのままゼノビア・ノークの呼吸を阻止しながら寝顔を眺め続けたルームメイトは、「ぷふぁっひゃ!!」という妙な声とともに目を醒ましたゼノビアにニッコリと挨拶した。

 

「おはようゼノビア。今日も寝顔がとっても可愛いかったわよ」

「……おはよぅミラぁ…………私もぃかして寝坊した?」

 

 自分のベッドに座ったまま寝間着を一気に脱ぎ捨てて、それっきり動きを止めたゼノビア・ノークは着替えるでもなくぼんやりと寝室全体を見回して、昨晩予定したはずの「起きたらやること」を思い出すべく、目覚めきっていない頭を懸命に働かせて霞のように朧げな記憶を辿っている。

 

「なにか着なさいよゼノビア。…………なあに? 抱っこしてほしいの?」

「ヤよ違うわよミラったら」

 

 モゾモゾと緩慢な動きで着替えを再開したゼノビア・ノークは、シャツのボタンを大胆に掛け違えつつも、どうにかこうにか数十秒でシャツとベストとスカートとローブを着用し終えた。

 そんな寝ぼけ気味のゼノビアをじっくりと観察して、ルームメイトの女子生徒はクスクス笑う。

 

「ゼノビア貴女ぐっちゃぐちゃじゃないの…………ほら、やったげるから1回脱ぎなさい」

「ミラったぁ私をそぉいう目でみてたのね」

「違うっての! アナタ鏡を見てみなさいゼノビア。そんなカッコで談話室に出てくつもり?」

 

 自分がスカートを前後逆に履いていることにも気づいていないらしいゼノビア・ノークは、ルームメイトのミラに言われるがまま鏡を見て、それでもよく判らなかったのでグチグチと抗議の言葉を漏らしながらも抵抗はせず、いま着たばかりの服をスルスルと次々に脱がされながら、相変わらず思い出せそうで思い出せない「起きたらやること」が何だったのかを考え続けている。

 

「…………手慣れてるぁねミラ……アナタ何人の女の子にこんなことしてぅのかしら」

「ねぼすけだけよ。早起きしたいなら早く寝なきゃダメだって言ったのにゼノビア貴女ずーーっと旅行の思い出を話し続けるんだもの。……いい加減に目を醒まさないとハグするわよ」

 

 ルームメイトの口から溢れた「旅行の思い出話」という単語を30秒近くかけて処理し終えたゼノビア・ノークの寝ぼけた脳みそは、今これから自分が何をするつもりなのかをついに思い出した。

 

「アアそうだわお土産!! 私あなたにお土産を渡したいのよミラ・ヒッチェンズ!」

 

 ベッドの傍の開けっ放しのトランクケースに飛びついたシャツしか着てないゼノビアの尻を見せられながら、大人っぽくて素敵という褒め言葉には程遠い背伸びしたいお年頃の友人を、そのレイブンクローの3年生の女子は自分だって同い年だろうに、どこか庇護すべき対象として見ていた。

 ゼノビアと自分は同級生なのに、妹が居たらこんな感じかなと考えるのもしょっちゅうだった。

 

(わたしもう子どもじゃないのに、って不満げに言うのは子どもだけなのよゼノビア)

 

 数年前、同じことを口走った自分にママが言った「子どもの頃は良かったなあ、って呟くようになったら大人よ」というかなりくたびれた意見はまだ10代前半のミラにとって到底すんなり受け入れられるものではなく、故にミラは母親のその言葉を「子供向けの誤魔化し」だと理解していた。

 

 ママの隣で視線をそらして苦笑していたパパの顔を思い出す度、ミラは未だに笑えるのだった。

 

「えい」

「ぎゃァァ!!! なぁにするのよミラ!!」

「だって視界をほとんど占領してフリフリ動いてるんだもの」

 

 いきなり尻を鷲掴みにされたゼノビアの抗議の声を受けても、ミラ・ヒッチェンズは右手も左手も離そうとせず、ゼノビアがルームメイト用のお土産の数々を手元に用意し終えるまでの間、しっかりとゼノビアの尻を捕まえ続けたのだった。

 

「離しっ、離しなさいよ!」

「ヤよ――ゼノビアあなたもうちょっとお腹いっぱいお食事してもいいんじゃない?」

「余ぉ計なお世話よ!」

 

 かしましく騒ぎ始めた2人の声が届いたのか、未だ目を覚ます気配がない他のルームメイトの1人が、ベッドの中から抗議するような呻き声を上げた。

 そして「この子ったら細すぎるんじゃないかしら」という疑問が湧いたミラがルームメイトのゼノビアを背後から抱きしめるようにしてその体型を確かめだした時、高い塔の上にあるレイブンクローの談話室と寝室からは正反対と表現できる地下階にある、ハッフルパフの暖かな談話室の2階部分に位置する幾つもの樽の蓋のような丸い木製の扉の奥の女子寝室のひとつでは、既に朝の身支度を終えたポピー・スウィーティングがいつものように魔法生物のお世話をしていた。

 

「その子がピーシウって生き物なのねポピー?」

「そうだよサチャリッサ――ほらポム、反対側したげるから。ごろーんってできる?」

 

 そのまんまるの胴体に短い手足と小銭入れのように大きな口をした四足動物の子どもがベッドに座っているポピーの膝の上で言われるがまま寝返りをうったのをその隣の自分のベッドに腰掛けて眺めながら、サチャリッサ・タグウッドは存在自体知らなかったその生き物の話を、そしてなによりポピーがこの「ピーシウ」なる生き物を入手したヒマラヤ旅行の話を聞き出すべく、ルームメイトのポピー・スウィーティングに質問を投げかけ始めた。

 

「その子『ポム』って名前にしたの?」

「そうだよ。ホントは『ポム・ド・アンバー』なんだけど、ちょっと長いからね」

「『pomme d'ambre(琥珀のリンゴ)』って……ああ、そういうこと。確かにピッタリね」

 

 片手に乗せると手足がはみ出す小さな貔貅(ピィーシォウ)をヒト用らしき羽根ペンくらいの大きさしかない柄の長いブラシで撫でているポピーは皆まで言わなかったサチャリッサの発言を引き継ぐようにして、サチャリッサが既に察している、この貔貅(ピィーシォウ)の子どもへの名付けの意図をあたかもクィディッチの試合でハッフルパフが先制点を獲得したかのような興奮気味の口調で説明する。

 

「そう『ポマンダー』。まんまるだし、中に宝物が入ってるし、精緻な装飾が施されてるポマンダーみたいに毛並みがとっても綺麗だし、それにねポムったらすっごい良い匂いがするんだ!」

 

 ポピーにお腹を撫でられて、その小さな貔貅(ピィーシォウ)の子どもは大きな口をムニャムニャ動かしながら「フカァァァァ…………」と、とても力強い猛獣とは思えない気の抜けた寝息を立てた。

 

「貴金属類とか宝飾品とかしか食べないんだったわよねそのコって。餌代凄いことにならない?」

「それはそうだけど、でもそんなの今に始まったことじゃないから。アイツも居るしアイアンデールのこそ泥とかリチャードも居るし、アルマンドたちレプラコーンだって居るし、大丈夫だよ」

 

 必要経費もすごいが魔法生物たちのお世話の副産物による収入もすごいので、このポピーが人生最初のヒトの友達であるおかしな同級生と共に行っている魔法生物の保護および研究活動は、今のところは誰に借金することもなく、誰に融資してもらう必要もなく順調に運営されていた。

 それは学生の身としては逸脱していると表現できるほどの富を生んでいるということでもあったが、ポピーにとっても、この保護活動の中心人物であるポピーの大好きな友人にとっても、それは行動についてきたいくつかの結果の内のひとつに過ぎず、ましてや決して目的などではなかった。

 

 ポピーはこの魔法生物たちの飼育が生んだ利益を「自分は手伝わせてもらってるだけだから」として占有権は自分ではなくアイツにだけあると考えていて、一方その「アイツ」である奇矯な首席の7年生は「皆に手伝ってもらってるし特にポピーちゃんなんか居なきゃ破綻するだろうし」と、魔法生物を飼育していることで生まれた利益をあくまでも「共有財産」だと考えていた。

 

「そういえば、あのサンダーバードとオーグリーのハーフの『ライサンダス』は?」

「ホグズミードの店の地下の飼育区画だよー。生まれたばっかりなんだから、パパとママと一緒じゃないとね。ペネロープもドラウトプルーフも自分の子どもって初めてだからもうね、大変」

 

 サンダーバードであるペネロープの兄弟たちが子育てを手伝っているのも、父親であるドラウトプルーフが子守りに積極的なのも、およそ野生で見られるとは考えられない珍しい光景だったが、その出来事の稀さをポピーも首席の7年生も、あまり理解していなかった。

 

 なにせ2人にとって、魔法生物に関する過去例のない新発見など、日常茶飯事なのだ。

 

「なあにポム。どんな夢みてるの? 夢の中でもグッスリおやすみしてるの?」

 

 幼い貔貅の「ポム・ド・アンバー」に話しかけるポピーがあんまりにも幸せそうなので、サチャリッサは辛抱しきれなくなって、その小さくてまんまるの動物をもっと近くで観察するべく自分のベッドからポピーと貔貅がいる隣のベッドへと移動したのだった。

 

「あら、あなたも起きたのねフィッツジェラルド」

 

 ずっとアデレード・オークスと一緒のベッドで眠っていた数匹のパフスケインたちの中でも最も小さな一匹が目を醒まして、ころりころりと転がって移動しポンと跳び上がって勢いよくポピーのベッドの上に、サチャリッサのすぐ隣に乗った。

 

 ポピー・スウィーティングのベッドがあるので、この女子寝室は毎晩魔法生物だらけだった。

 

 一方、同じホグワーツ城の地下階でもハッフルパフの談話室からは少し離れた位置、窓から湖の中が見える場所にあるスリザリンの談話室までもうすぐの少々薄暗い廊下では、いろんなものに気移りしながらようやくここまで帰ってきた7年生の女子生徒が、相変わらずネグリジェだけを着用した開放的でだらしない姿のまま、クッションくらいあるでっかい饅頭(マントウ)を両手で持って囓りながら、傍らに浮かぶポルターガイストと会話しつつ歩いていた。

 

「どうだいピーブズぅ。いいでしょこれ。おいしいしおっきいし幸せだろう!」

「おう。いいなこれ。俺様これ気に入ったぜ」

 

 そのネグリジェ姿の女生徒と同じように、ピーブズもまたクッションくらいある大きな饅頭(マントウ)を両手で持って囓りながら、女生徒の隣にくっついて空中をフワフワ移動している。

 

「あとねえピーブズこれもあげる。これねえ爆竹(バオヂウ)って言ってねえ。色とりどりだったりはしないし火の勢いもそんなにで煙ばっかりなんだけどねえ。もうねメチャメチャにウルサイんだよ。どっさり買ってきたのこれ全部ピーブズにあげるつもりで買ったからね。あげる」

 

 女生徒が大きなマントウから片手を離して指先を一振りするとその場に現れたのは、サンタクロースでも担ぐのを諦めそうな、大きな大きな袋。

 

 その袋の中身をチラリと確認したピーブズは、空中に浮かんだまま縦に2回転した。

 

「お前って奴は最高だぜ!」

 

 歓喜を全身で表現しているピーブズがパチンと指を鳴らすとそのパンパンに膨らんだ大きな袋はどこへともなくしまい込まれ、現れた際と同じくらい速やかに一瞬で姿を消した。

 

「…………マントウ食べきっちゃったや。……もう1個たべよ。ピーブズも食べる?」

「もちろんだ兄弟!」

 

 あの変な7年生がピーブズと一緒に枕を食べながら廊下を歩いていたと、下級生たちの間にそんな噂が広がるまでに、それほど時間はかからなかった。

 

 




 
饅頭(マントウ)】 ※ハリー・ポッターの公式設定ではありません※
 中華風蒸しパンというか、肉の入ってない肉まんというか、「まん」というか、そういうもの。
 いろんな形だったり色だったりする、中国北部地域における主食。まんじゅうのルーツなだけはあり、まんじゅうと漢字表記が完全に同じなので登場させるにはルビが必須な厄介フード。

【ポマンダー】Pomander ※ハリー・ポッターの公式設定ではありません※
 中世ヨーロッパで流行した携帯用香炉。小さな球体の容器で、中に香りの出どころである物体(麝香だったり龍涎香だったりナツメグだったりラベンダーだったり様々)を入れておく。
 上流階級の持ち物の常として、凝った装飾が施されている品も多かった。
 そんな描写は公式設定にもホグワーツ・レガシーにも無いけどサチャリッサは持ってると思う。

【ミラ・ヒッチェンズ】 ※ハリー・ポッターの公式設定ではありません※
 私の妄想の中にのみ存在するレイブンクローの3年生。ゼノビア・ノークのルームメイト。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。