2年後もしくは106年前   作:requesting anonymity

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87.ぼくの怖いもの

 この日、ホグワーツの1年生たちの、朝一番の授業は「闇の魔術に対する防衛術」だった。

「あ! おはようロットちゃん。ロットちゃん髪の毛がステキね。グラップホーンさんみたい!」

「へスパーおはよう! これねポピーちゃんがしてくれたのよ! いいでしょ良いでしょ」

 ハッフルパフの女の子の普段ならふわふわと柔らかでボリュームたっぷりなブロンドの髪が全てギッチリと固められて丁寧に逆立てられて幾つもの太く大きなトゲを形成しているのを見て「おやまあ何だ一体あれは狂ったかクランウェルの奴め、さあどんな言葉を選んでからかってやろうか」とか考えていたスリザリンの1年生たちは、一息に出鼻をくじかれた。

 

 あんなに大きな声でハッキリと褒めたへスパー・スターキーの後に続いてどんなイヤミを言っても、客観的にはこちらの発言が少数派の意見に聞こえてしまうだろうと、スリザリンの1年生たちは各々そう考えて口を噤んだ。

 しかしイヤミを言わないと決定したことで彼ら彼女らがシャーロット・クランウェルのおかしなトゲトゲ頭を見つめる視線は少々その色を変え、それによってスリザリンの1年生たちの脳裏に、新しくひとつの疑問が浮かぶ。

 

(クランウェルの奴まさか今日は終日あのままで居るつもりか? あのまま授業を受けるのか? あの狂った髪型は規則違反じゃあないのか? ハッフルパフが要らん減点を被るのではないか)

 

 へスパー・スターキーが「私もポピーちゃんに会ったら頼んでみましょ」と口走ったのを聞いて己の聴覚の異常を疑いながらそんな懸念をしていた、イギリス魔法界に古くからある由緒正しい家系出身の1年生、狡猾で厭味ったらしくて誇り高くて友達を決して裏切らないスリザリンのミスター・ブルストロードは、右隣に佇んでいる同じ純血家系出身のクラウチくんと目が合った。

 そしてブルストロードくんとクラウチくんは同時に、己の知識不足という壁にぶち当たった。

 

(…………待て、そもホグワーツの規則に髪型の指定など明記されていたか?)

 

 入学許可証と一緒に届いた「入学までに準備すべき品の一覧表」に載っていた内容を思い出し、母上や父上を始めとする身近な「ホグワーツの卒業生たち」から聞いた話と合わせて思案する。

(『ホグワーツの品位を下げる愚かな振る舞いは控えるように』みたいな根本的でぼんやりした条文が規則の最初の方にあったはずだが、髪型を具体的に指定して禁止もしくは義務化する規則は無いよな……しかし、一般論に照らして『あまりにもあまりな髪型』は、先生方が改めろと指示なさったとしても全く横暴などではない。そしてクランウェルのあの髪型は…………)

 

 ブルストロードくんとクラウチくんも、その他の大多数の1年生たちも、同じ結論に至った。

 

(先生方があの髪型を見てどうお考えになるか次第、というわけか)

 

 減点を被る可能性があるハッフルパフの1年生たちも、シャーロットが仲良しのへスパーと2人してあまりにも嬉しそうで誇らしげなので、何も言えずにいる。

 ヘブリディアンブラック種の勇壮なドラゴンの骨格標本が天井から吊り下げられている闇の魔術に対する防衛術の教室で、集団の最前列できゃあきゃあと盛り上がるシャーロットとへスパーと、それを見て困っているその他の1年生たち。そんな中で、教室と廊下を隔てる扉が開かれた。

 

「あら? アナタたちどうしてここに居るの?」

「ん? お前らなんで居るんだ? ここは僕らが今から授業を――」

「あ。おはようシャーロット。さっきぶりだね」

「おやおはようエルファイアスくん。もしかしてきみたちも今から『防衛術』かい?」

 

 ゾロゾロ連れ立って入ってきたのは、7年生たちだった。

 

「なんで居るかってそりゃあ僕ら今からここで『防衛術』の授業だからなんですがねマルフォイ『先輩』? しかもこの次もここで『防衛術』の授業なんです。つまり2コマ続けて」

 7年生たちがここに来た理由も、それが何を意味するのかも既に察せていながら、ブルストロードくんは厭味ったらしい笑顔と声色をわざわざ作っていそいそとマルフォイにぶつける。

 それは決して不和や諍いを齎す不躾な言動ではなく、むしろ兄に遊んでもらう弟のそれだった。

 

「おやそれはそれはどうしたことかな。僕らだって今からここで2コマ続けて『防衛術』の授業を受けるんだがね。未熟なきみたちが僕らの授業に巻き込まれて癒務室送りになる前に教室を分けるよう、良ければ僕からヘキャット先生に進言してあげようかブルストロード?」

 

 一見すると売り言葉に買い言葉でケンカをし始めそうなその2人が、実際には気さくな朝の挨拶を交わしているだけだという真実を、縁のない人間には難解極まるスリザリン語を、グリフィンドールの7年生たちはすでに正しく理解している。

 

「お前ちょっと背が伸びたんじゃないかブルストロード」

「最後に会った昨日の晩から今までの間でそうそう目に見えて伸びるわけあるかマルフォイ」

「おや。それじゃあ外見ではない部分の成長が僕にそう感じさせたのかもな」

 

 それはあからさまなお世辞で、全く心の籠もっていない言葉だけのものだったが、ブルストロードくんはそれを理解していても尚どうやらとても嬉しいらしいと、1年生たちにも判った。

 

「ポピーちゃん! ねえねえポピーちゃんへスパーがこの髪カッコいいって!!」

「ポピーちゃんポピーちゃんわたしもロットちゃんとおんなじにしてほしいの!」

「いいよーへスパー。でも今からは授業だから、そうだね……お昼の前にね」

 大喜びで突進してきたシャーロットを受け止めてあげながら、ポピー・スウィーティングはへスパー・スターキーのリクエストにも笑顔で応じている。

 

「あんたたち今から授業で何をやるのかってことをヘキャット先生から聞いてたりしないの?」

「なんにも聞いてないわよナティ。でも、これってつまり、一緒にやるのよね?」

 

 グリフィンドールの1年生、マルフォイと同じくらいには古くて由緒ある家系出身のミス・ブラウンが同じグリフィンドールのナツァイ・オナイと交わしている会話の内容は、その場の大多数の人間の見解を代弁し、その見立てがおそらく正しいだろうという認識を共有し直すものだった。

「ところであのおかしなやつは? っていうかダンブルドアくんも今朝から見てないんだけれど」

「きみが思い浮かべているのが僕が思い浮かべているのと同じやつなら、そいつは朝食の時間が始まるより早くにダンブルドアくんを誘拐して森に行ったよ」

 

 グリフィンドールのブラウンさんからの問いかけにウィーズリーの奴が答えているのを見て、スリザリンのクラウチくんの脳裏に今、新たな疑問が浮かんだ。

「なあサロウ」クラウチくんはその疑問を、最も明確な答えを持っていそうな7年生にぶつける。「お前らなんであのおかしなやつを、見るたびに姿も背格好も声も顔もまるで違う、男子だったり女子だったりするあのアイツを、いつもすぐに識別できるんだ? どうやってるんだ?」

 

 スリザリンの1年生の男の子にそう問いかけられて、笑顔を浮かべたのはセバスチャン・サロウだけではなかった。そこにいる7年生たちは、みんな笑っていた。

 それが自分に対する嘲笑ではなくあの7年生に対する諦観と親しみの混ざった楽しい笑顔だと、クラウチくんはそう気づくまでに数秒かかった。

 そしてセバスチャン・サロウは同級生たち全員の共通見解を、代表して説明する。

 

「きみだってすぐ見分けがつくはずだよクラウチくん。だって――」

「ニンジンじゃんけんだっ!!!!」

 

 その瞬間ドバーンと勢いよく扉を開いて現れたその7年生の女生徒はズボンの制服とシャツの上からスリザリン色のベストと見る者が見ればドラゴン皮だとすぐに判るコートを前を開けて着ていて、両手にそれぞれ1本ずつニンジンを握りしめた拳を肩より高い位置に構えて腰を落とした今にもこちらに飛びかかってきそうな姿勢で、杖十字会の試合の直前かのように挑戦的な笑顔で、セバスチャンを真っ直ぐ睨んでいた。

 

 そちらを見もせずクラウチくんに向けられたままのセバスチャンの穏やかで楽しげな笑顔には「ほらね言ったとおりだろう?」とハッキリ書いてあった。

 

「セバスチャン!!!!」

「…………なんだい?」

「僕とニンジンじゃんけんで勝負だっ!!!!」

 

 堪えきれずに笑ってしまいながら、セバスチャンはどうにかその女生徒に訊く。

「…………じゃあまずルールを教えてくれるか?」

 セバスチャンの質問に対してその女生徒が返したのは、7年生たちの予想通りの答えだった。

 

「ニンジン持ってた方が勝ち!!!!」

「アクシオ」

「アクシオ」

 

 女生徒から見て真正面のセバスチャンと左前方のアミット・タッカーがほとんど同時にそう唱え、女生徒が両手にそれぞれ1本ずつ持っていたニンジンは、両方とも奪い去られた。

 そして数秒硬直してから、その女生徒はゴトンと痛そうな音を立てて膝から床に崩れ落ちた。

「ン゛ニ゙ャア゙アァァァ゙゛゛゛…………負けちゃったよおポピーちゃーん……」

 そんな女生徒を見て「なんなんだコイツは」という思いを新たにしていたブルストロードくんは、さっきウィーズリーの奴がブラウンに何と言っていたかを思い出して、気付いた。

 

「おいお前ダンブルドアはどうした。一緒にいるんじゃなかったのか」

「…………タベチャッタ」

 

 一瞬の沈黙が流れた後、ブルストロードくんは大げさな声色と動きで慌て始める。

「おまっ、お前とうとう――なーんで食べちゃうんだお前!! 我慢って概念は無いのか!!」

「アァ-ルバスネェ、ホッペモチモチダカラネエ、マルカジリ。……ソレデボクネェ、ブルストロードクンモネェ、タベチャウ」

 その言葉を聞いて、ブルストロードくんはまたしても、大げさに驚いてみせる。

「なに?! お前――やめろ、父上と母上が黙ってないぞ!!」

 ブルストロードくんは咄嗟に距離を取ったが、その女生徒はガバリと勢いよく起き上がったかと思えばそのまま四つん這いになり、手足を激しく動かしてガサガサと器用に走って迫りくる。

 

「マルカジリ!! ガオーーーー!!!!」

「やっ、やめろお前! 僕なんか食べても腹は膨れないぞ見たらわかるだろう!!」

 

 追いかける女生徒と逃げるブルストロードくんを、シャーロットとへスパーも見ている。

 

「がおー!!」

「がおー!!」

 

 シャーロット・クランウェルとへスパー・スターキーまで何やら面白がってこちらを追いかけ始めたので、ブルストロードくんの逃げ足もまた、より一層必死さを増す。

「なんであいつは四つん這いであんなに早く走れるんだいポピー」

「いつもあれで湖畔の主とかイメルダとかと競争してるから慣れてるんだよアミット」

 7年生たちは止めに入るわけでもなくブルストロードくんを助けてあげるでもなく、ただ授業が始まるまでの時間を立ったまま歓談しながら潰している。

 

「ブルゥストロォォォォォドックン!!! マルカジリ!!!」

「まるかじり!!」

「まるかじり!!」

「やめろお前なんで四つん這いでそんなに速いんだ来るんじゃないクランウェルもスターキーもなんでそんなに嬉しそうなんだやめろ捕まるものか捕まらんぞ僕は!!!」

 

 ああ、こう改めて他の子が走っているところを見てみるとダンブルドアくんって本当に足が遅いんだなあと、ポピーは暢気にもそんなことを考えている。

「アタマァニ、カミツク。ガオーーーー!!! カァンネンスルゥンダァ!! ブルゥゥスットロォードクン!!!!」

「アセンディオ!」

 その瞬間に女生徒が手足で踏んでいた部分の床だけが勢いよく隆起し、ブルストロードくんを追いかけ回していた7年生の女生徒は勢いよく天井に叩きつけられた。

 机の下に隠れたくなるくらいの衝撃音が響き渡り、天井から吊るされているヘブリディアンブラックの骨格標本が揺れる。

 

「ギョブヘッ!!!」

 

 妙なうめき声を上げた女生徒の直ぐそばを走っていたシャーロットとへスパーは驚いて立ち止まり、さっきまで床だったはずの柱と天井との間に挟まれて身動きができなくなっている7年生の女生徒を見て、それからこの床を柱にしてしまった呪文が聞こえてきた方向へと視線を向けた。

「…………やあアルバス」

「僕ちょっと目を離しただけなのに。なーにをしてるんですか先輩は」

 皆が今いる闇の魔術に対する防衛術の教室と廊下とを隔てる出入り口の扉を背にして、白くて柔らかそうな小さいクッションみたいな何かを左手に持った小さなダンブルドア少年が、右手に持った杖を真っ直ぐ7年生の女生徒に向けたまま、ヘキャット先生と並んでそこに立っていた。

 

「あー! ヘキャットせんせだ!! ヘキャット先生おはよーございます!!」

「へキャ先生へキャせんせ、今日は何をするの? ねえねえ何をするんですか!!」

「おはようミス・クランウェル、それにミス・スターキー」

 

 あのひと何歳なんだろうと事情を知らない大多数の生徒たちから疑問を抱かれている、600歳くらいの老婆にしか見えないダイナ・ヘキャット先生は、ミス・クランウェルのトゲトゲと逆立った髪型を見て一瞬目を丸くしながらも、飛びついてきた1年生の女子2人をすぐ普段通りの穏やかな笑顔に戻ってしっかりと受け止めた。

「みてみてヘキャット先生! この髪ポピーちゃんがしてくれたのよ! グラップホーンさん!」

 ヘキャット先生は反射的にポピー・スウィーティングの方に視線をやり、すぐ戻した。

「おや、それは良かったねえミス・クランウェル。それじゃあ今日も授業を頑張れるかい?」

「あたし頑張る! ヘキャット先生すき!!」

 

 ねえねえ聞いて聞いてとヘキャット先生から離れようとしないクランウェルとスターキーの背中を眺めながら、まだ授業が始まってもいないのに疲労困憊で、膝に手をついてどうにかまだギリギリ立っているブルストロードくんに、同じスリザリンの1年生で同じくイギリス魔法界に古くからある純血を標榜する由緒正しい家系出身のクラウチくんが声をかける。

 

「…………楽しかったかブルストロード」

「わりと」

 

 ダンブルドアの奴がこの7年生にくっついて回る気持ちが少し理解できたブルストロードくんの胸中には、しかし同時にそれとは相反する思いも去来していた。

「けど、毎日はゴメンだ。……月に1回ぐらいが適量だ。コイツは」

「なぁんでだぁーいブルストロードくーん。遊ぼうよぉーー!」

 床が隆起してできあがった柱の先端と天井との間に相変わらず挟まれたまま、女生徒はわさわさと両手足を動かして眼下のブルストロードくんに声をかけた。

 

「ダンブルドアくんおはよう! ねえねえ授業がんばりましょうね!」

「ドアくんドアくんその白いのはなーに? ニフラーさんのベッド?」

 

「おはようシャーロットさん。スターキーさん。これはね『饅頭(マントウ)』っていうアジアの蒸しパンでね。中国魔法省であの先輩がドッサリ買って、僕とノーク先輩にもくれたんだよ」

 ダンブルドアくんのその説明を聞いて、へスパー・スターキーは色めき立つ。

「ドアくんたち中国魔法省に行ったの?? ねえねえお話! お話きかせて! あでも今からはへキャせんせの授業だわ! 私へキャせんせの授業だいすきなの! だからドアくん授業終わったらお話聞かせてほしいな! どんなところだったのかとか、何があったかとか!! あでもね今からはへキャせんせの授業があるから――」

 

「1回深呼吸して落ち着こうスターキーさん」

 

 発言が堂々巡りしそうだったへスパーをダンブルドア少年が止めたところでちょうど授業が始まる時刻になり、闇の魔術に対する防衛術教授ダイナ・ヘキャットが教室全体へ向けて口を開いた。

 

「おはようみんな」

「おはようございますヘキャット先生」

 

 そこにいる1年生と7年生たち全員が声を揃えて挨拶をして、ようやく授業が開始される。

「オロシテ…………ダレカァ……オロシテ……」

 隆起した床と天井に挟まれて身動きが取れない女生徒を放置したまま。

「ンニャッ、ニ゙ャッ! ン゙ーーーー」

 身体を捩って引っ張って、女生徒は無理やり脱出しようとしている。

「ンニャアアアア゙ア゙ァァァ…………」

 隆起した床と天井との間にしっかりと挟まれていて自力では脱出できないという事実を確認し終えた女生徒はピタリともがくのをやめ、自分を放置して開始された「防衛術」の授業を見学する。

 

「さて、今日はまず7年生の皆に手伝ってもらって、1年生の皆にちょっとした挑戦をしてもらう。そしたらその次に、1年生の皆に手伝ってもらって、7年生の皆にちょっとした挑戦をしてもらう。つまり今からは1年生の皆に――これに挑んでもらうよ」 

 ヘキャット先生がパチンと指を鳴らすと、ヘキャット先生の背後、皆の視線の注がれる先の正面に大きくて古めかしいキャビネット棚が現れた。

 7年生たちはそれをひと目見ただけで、今から1年生たちが何に挑まされるのかを察している。

「それじゃあお前さんたちの中で誰か、このキャビネット棚の中に潜んでるモノについて、私の代わりに説明してくれる人はいるかい? ――『ボガート』とは何か」

 

 ダンブルドア少年を始めとする数人の1年生が指名されることを期待して手を挙げた一方、自分たちに対する出題ではないと理解している7年生たちは、誰も手を挙げていない。

「はい! はいはいはい!! ヘキャット先生! 僕、僕わかる!! ボガートわかる!!」

 7年生の中ではただひとり、柱のように隆起した床と天井との間に挟まれて身動きできずにいる女生徒だけが、答えたいから指名してほしいと大きな声でアピールしていた。

 

「…………お前さんいつまでそうやって挟まってるつもりなんだい?」

「エエェェ??? 僕デランナイのに? こんなに! シッカり! はぁ゙さまってて! 出らんないのに?」

 無茶言わないでヘキャット先生と不服そうな女生徒に、ダイナ・ヘキャットは平然と告げる。

「変身すりゃ抜け出せるだろう?」

 

 目からウロコが落ちたらしい女生徒はその目をまんまるにしてヘキャット先生を10秒ほど見つめてからスルリとワタリガラスに姿を変えて床に降り立ち、そのまま嘴をポカンと開いて固まった。

 

(この手があったか…………)

 

 頭の中で何を言ったのかがハッキリと表情に表れているワタリガラスを見下ろしたヘキャット先生は呆れたように笑い声を漏らし、1年生たちに向き直ってスリザリンの男の子を指名する。

「――じゃあミスター・ブルストロード。『ボガート』について、説明してくれるかい?」

 すぐ隣にいるダンブルドア少年に勝ち誇ったようなスリザリンらしい笑顔を向けてから、ブルストロードくんは一呼吸おいて話し始める。

 

「はい。ボガートは『まね妖怪』とも呼称される厄介なモノで、通常は棚の中のような暗くて狭い場所に潜み、ヒトがその棲み家を開けると飛び出してきます。そして飛び出してきたボガートは常に、ターゲットだと定めた対象が最も恐怖する姿で出現します。ボガートがターゲットを切り替えれば、その姿も変わります。つまりボガートが『本来』どんな姿をしているのかは、誰も観測できた試しがありません。いかなる手段であれ、観測できた時は、常にこちらにとって最も恐ろしい姿に変身しています。そしてボガートは、生物ではありません。死者でもありません。存在でも動物でも霊魂でもありません。魔法生物規制管理部はボガートを、ポルターガイストやディメンターと同じ『非存在』に分類しています。それすなわち過去生きていたことなど無く、これから死ぬことも無い。いかなる呪いも効果は発揮せず、殺すことはできません。ただ『撃退』だけが可能です」

 

「すばらしい!」ヘキャット先生はブルストロードくんの正確な知識を称賛する。「全くその通りだ。スリザリンに2点やろう。いいかい? このキャビネットの中にそいつは居る。ボガートだ。お前さんたち1年生は順番にこいつと勝負する。撃退方法を身に付けてもらう。いつか不意にボガートと出会っても独りで対処できるようになってもらう。いいかい? 今ミスター・ブルストロードが教えてくれたように、ボガートはお前さんたちが一番怖いものになって出てくる。だから想像するんだ『自分が一番怖いものってのは何なのか』。一番目の前に出てきてほしくないものを。ボガートは必ずそれを見抜いて、その姿になるからね。ボガートに誤魔化しは効かないよ」

 

 そしてヘキャット先生の言葉をそこで遮って、シャーロット・クランウェルが質問する。

 

「そっ、そんなの。どうやってやっつけたらいいのかしら?」

「いい質問だねミス・クランウェル。ボガート退治にたったひとつだけ有効な方法。効果覿面の対抗手段。それは――コイツだよ」

 両手でワタリガラスを捕まえて皆の視線の高さに持ち上げたヘキャット先生が何を言いたいのかを、察せている1年生は少数だった。

 

「カア!!」

 

 ワタリガラスに変身したままの女生徒は元気に一声啼き、何をすべきで何を要求されるのかを既に理解しているダンブルドア少年とブルストロードくん他数名は必死に考えを巡らせている。

 自分にとって最も目の前に出てきてほしくない恐怖の象徴を、どうやって滑稽に改変するかを。

 そしてヘキャット先生はダンブルドア少年やブルストロードくんなどの、ボガートに対処する方法を既に知っている様子の生徒ではなく、まったく話についてきていないのが全部顔に出ている生徒の中からひとり、選んで指名した。

 

「ミス・スターキー。前にどうぞ。こっちに来てくれるかい?」

「はい! なあにへキャせんせ。なにするの?」

 案の定なにも察せていないらしいへスパー・スターキーに、ヘキャット先生は1から説明する。

「いいかいスターキー。ここにキャビネット棚があるね? でも中には服とかマフラーとかじゃなくてボガートが入ってる。私が今からこれを開くから、そしたらボガートは、お前さんが一番怖いものの見た目をしてここから出てくるんだ。お前さんが一番怖いものはなんだいスターキー?」

 

 のんびり屋さんなだけで別に頭がニブいわけではないへスパーは、しっかり解っていた。自分にとって最も怖いものとは、真っ先に連想できたものではなく全く思い浮かびもしないもの、思い浮かべることすら避けているものこそがそうなのだと。

 だからへスパーは、ボガートが自分の前で何に変身するのかを、正確に想像できた。

 

「…………シャープ先生」

 

 その言葉を聞いてへスパーの怖いものはシャープ先生なのだと思った1年生たちと7年生たちのいくらかが、堪えきれずに笑い声を上げた。

「シャープ先生が怖いのかい?」

 ヘキャット先生は優しく、努めて優しく語りかける。

「お顔が怖いの……優しい先生だって、判ってるのよ? でも、でもね…………」

「それじゃあシャープ先生が、ガーリック先生の服を着てても怖いかい?」

 

 それはそれで種類の違う怖さがあるよなとセバスチャン・サロウは思ってしまったが、口には出さない。セバスチャンも他の7年生も、1年生たちを、へスパー・スターキーを見守っている。

「……こないだシャープ先生がね。ニフラーちゃんの格好してたの。わたしそれがいい」

 へスパーはボガートが何でどういうモノかを知っているので、対処法も理解している。だから自分が今なにを思い浮かべるべきかも理解していて、既に努力を始めていた。

「よし。じゃあそれにしよう。いいかい? ボガートに効く呪文はひとつだけ。リディクラス(馬鹿馬鹿しい)。恐怖を糧にするボガートを撃退するのは、『笑い』だ――心の準備は良いかいミス・スターキー?」

 

 状況をちゃんと理解しているからこそへスパーは心の準備なんて全くできていなかったが、それでもどうにか勇気を奮い起こしてヘキャット先生に「がんばる」とだけ返事をした。

「よし。それじゃあミス・スターキー、もう一歩前に――そう。そこだ。いいね? 他の皆はスターキーの後ろに。1列に並ぶんだ」

 教室奥の壁に到達した列は折れ曲がり、その結果1年生たちはぐるりと部屋を囲った。

「よく考えるんだ! 自分が一番怖いのは何か。物だとは限らないね? そしてそれをどう改変すれば滑稽になるかを。いいかい? 杖を真っ直ぐボガートに向けて『リディクラス』だ。怖がりながら唱えても効き目は無いからね。別の怖いものに変わるだけだ。恐怖を笑い飛ばすんだよ」

 

 そしてヘキャット先生はゆっくりと数字を5からカウントダウンし、2でキャビネットを開いた。

「あ、ヘキャット先生ひどい」

 アミット・タッカーの端的な感想だけが、へスパーを支えている。

 直後。少しだけ開いたキャビネット棚の隙間を押し拡げるようにして、ボガートは現れた。

 

 ヘキャット先生の姿をして。

 

「ゔうーーー……やっぱりこわい……」

 

 思っていた通りのものが目の前に現れたへスパーは頑張って勇気を奮い起こしているが、そんなへスパーの背中だけでなくボガートのヘキャット先生と本物のヘキャット先生も同時に視界に入っている7年生たちは、みんな頑張って笑いを堪えている。

 そして当のヘキャット先生はと言えば怖がられていたのがちょっとショックだったようで、どうか見間違いであれと願っているかのように何度もそのボガートの横顔へと視線を向けては逸らし向けては逸らしと繰り返しているが、何度見ても確かにへスパー・スターキーと相対しているボガートは、ダイナ・ヘキャットそのものの姿をして、そこに佇んでいる。

 応援とかしちゃダメなんだろうなあと、アミット・タッカーは考えている。

 

 へスパーが考えるに、ヘキャせんせは2人いて、授業中に切り替わっている。すなわち優しくてあったかいへキャせんせと、恐ろしくて冷たいへキャせんせの2人。

「あれもしかして、ソイツと決闘してるときのヘキャットじゃないか? 表情が」

 7年生のマルフォイが、ワタリガラスを抱えているポピーに囁いている。

「あー。確かに。ヘキャット先生ってけっこう容赦ないもんね」

 教室の端に固まっている7年生たちはとても小さな声で会話をしているために1年生たちには聞こえておらず、へスパーの視界は目の前のボガートがほぼ全てを占めている。

 

(大丈夫。だいじょぶよへスパー。だってボガートは『怖がらせるだけ』だって、すごく怖いけれど、ただ怖いだけで、それしかできないんだってアミくんが前に教えてくれたもの……)

 

 へスパーは、そのヘキャット先生の姿をしたボガートを、真っ直ぐに見つめる。

 

(それに本物のへキャせんせだって、時々こわいだけで、いつもは優しいもの……)

 

 へスパーはボガートに杖を向け、手の震えを抑えるために、どうにか恐怖に打ち勝つべくボガートの目を、あの賑やかな7年生と決闘している時の、とっても怖いヘキャット先生のとっても怖いお顔のとっても怖い目を、頑張って直視した。

 

「ㇼっ、リディクラス!!」

 

 へスパーがそう唱えた途端にボガートのヘキャット先生はニフラーの仮装を身に纏い、己の服装の変化が信じられない様子で手やら胴やらに視線をやって戸惑っている。

 

「いいよ! よくやったミス・スターキー!! 次!」

「うわああーーーんアミくん怖かったぁーーー!!!」

 

 見事にやり遂げたへスパーは壁際の隅っこに居たアミットをすぐ見つけ出して駆けていき、へスパーの後ろに控えていたグリフィンドールの1年生、同級生たちより少し背が高いロングボトムくんの番が回ってきた。

 ボガートはロングボトムくんを見るなりすぐに姿を変え、ヘキャット先生の代わりに現れたのは、燃えるような赤毛にそばかす顔の、ピンと背筋の伸びた小さなお婆さんだった。

 

 ボガートが誰に変身したのかを理解した途端、ブルストロードくんもクラウチくんもプリンスくんも、グリフィンドールのブラウンさんも7年生のマルフォイもノットもヘクター・フォーリーも、リアンダー・プルウェットもグレース・ピンチ=スメドリーも、皆ビクリと怯んだ。

 ヘキャット先生までその身を一瞬だけ硬直させたのが、ポピーにはわかった。

 ボガートが変身した人物を知っている者の中で怯まなかったのはギャレス・ウィーズリーと、ポピーに抱えられているワタリガラスと、そしてシャーロット・クランウェル。

 

「お、っお久しっ、お久しぶり、です。マだっ…………マダム・オリュンピアス・ウィーズリー」

 

 恐怖に打ち勝つための最初の試みとして、ロングボトムくんはマダム・ウィーズリー本人ではないことが明白なボガートに、そうだと理解していながらあくまでも丁寧に挨拶した。

 

「あれ誰だ? 皆知ってる人なのか?」

 

 その人を覚えていないエルファイアス・ドージが小声で訊き、背後から答えが返ってくる。 

「ウィーズリーの奴の親戚の婆さんだ。ウィーズリー家の最年長。純血魔法族の最年長。ウィゼンガモット首席魔法戦士。危険生物処理委員会委員長。あの婆さんには、誰も敵わない」

 端的に説明してくれたプリンスくんの声は少しだけ震えていた。

 

「あら? その人ってあたしのお家のお隣に住んでる元気なお婆ちゃまじゃないかしら?」

 

 シャーロットの声が背後から聞こえてきて、ロングボトムくんは少しだけ心に余裕ができた。

 

「リディクラス!!」

 

 ロングボトムくんが勇気を出してそう唱えた途端マダム・ウィーズリーの身体は大気圏突破を目指しているかのような速度で縦に引き伸ばされ、ボガートは普通のヒトなら死を連想してしまう勢いで天井に頭をぶつけ、痛みに耐えるかのようにうずくまって動かなくなった。

 

 背後からみんなの笑い声が聞こえてきて、ロングボトムくんはホッとして息を吐き出した。

 

 そのまま次々とボガートに挑んだ1年生たちは皆頑張って恐怖と戦い、ハッフルパフの男の子は噛み噛み白菜をクアッフルに変え、スリザリンの女の子はシャープ先生にバレリーナの格好をさせ、グリフィンドールのブラウンさんはアクロマンチュラをでっかいパフスケインに変身させた。

 シャープ先生、オーグリー、シャープ先生、武装したゴブリン、ウェールズ・グリーン普通種のドラゴン、汚れた丸テーブルの上の割れた酒瓶、そしてまたシャープ先生、次にまたヘキャット先生とボガートは目まぐるしく1年生たちそれぞれの「恐怖」へと姿を変えていき、そして今目の前でハッフルパフの男の子、羊のようにくるくるの癖っ毛のフルームくんが目の前に現れた大きく肥え太った醜い豚を丸焼きに変えたところで、ついにダンブルドア少年の番が回ってきた。

 

 収監された父さんが現れたらどうすればいいだろうかと、ダンブルドア少年は考えている。

 

「あっ……」

 

 そしてボガートはダンブルドア少年の目の前で、小さな女の子の姿になった。

 その女の子はうつ伏せに倒れていて、明らかに助からない量の血を流している。

 

「アリアナ!!!!」

 

 ダンブルドア少年は思わず、そう叫んでしまった。

「リディクラス!!」

 女の子の姿が消えて、男の子の姿になった。今度は仰向けに倒れていて、全身ズタズタだった。

「アブっ……!! ダメだ、ダメだダメだ…………リディクラス!!」

 男の子の姿が消えて、今度は大人の魔女の死体がそこに現れた。母親だと皆が察している。

「リディクラス!!」

 ケンドラ・ダンブルドアの死体が消え、再びアリアナ・ダンブルドアの死体が現れる。

「リディクラス!!」

 

 小さな女の子の死体が消えて、ガリガリに痩せこけたパーシバル・ダンブルドアの、土にまみれた全裸の死体が現れた。

 それは、今はまだそうなっていないことをダンブルドア少年は知らない、そして近い将来そうなることが確定している、パーシバル・ダンブルドアの埋葬直前の姿だった。

 アズカバンの囚人が収監中に死した場合、皆一緒くたにアズカバン敷地内の共同墓地に、ディメンターの手によって埋葬される。どれほどの凶悪犯だろうが、情状酌量の余地があろうが、外に遺体の引き取りを求める親族が居ようが区別無く。

 

「リディクラス!!」

 

 そしてとうとうボガートは、「その時」のアリアナの姿になった。

 床に倒れている小さな女の子は全身に細かい怪我をいくつも負っていて、弱々しく息をしていて、可愛らしい服が血と泥で汚れている。

 

 その瞬間、ダンブルドア少年とボガートの間に、ワタリガラスが割り込んだ。

 

「こっちだボガート!!!」

 

 ワタリガラスがレイブンクローの制服を着た青年の姿に戻ってそう叫ぶと、ボガートはまたしてもその外見を一変させた。

 

 そこに現れたのは、ゆったりした水色のパジャマの上からドラゴン革のマントに袖を通してトロールのレリーフが飾り付けられたトップハットを被った、男子にも女子にも見える顔立ちと体型をした、5年生の「編入生」。その手には金属製のようにも見える不思議な杖が握られていて、その両目はランロクすら可愛く見えるほどの、ギラギラとした危険な光を放っている。

 

「…………リディクラス」

 

 青年が杖を取り出しもせずにそう唱えるとボガートは一瞬紫色に光って粉々に砕け、キャビネット棚の中へと吸い込まれていった。

 

「お前さんは、よく頑張ったよ。ミスター・ダンブルドア」

 

 辛うじてヘキャット先生だけが、ダンブルドア少年への慰めの言葉を絞り出すことができた。

 

 ダンブルドア少年はさっきまでボガートがいた辺りの床を凝視したままゼエゼエと肩を大きく動かして息をしていて、普段授業で何かうまく行かなかった時はすぐに始まってしまう自罰的な反省すらもできない様子で、ただその場に立ち尽くしていた。

 

「大丈夫だよアルバス。大丈夫。大丈夫…………」

 

 割り込んでボガートを退治してしまった青年がヘキャット先生に許可も取らないままダンブルドア少年を教室の外へ連れて行っても、誰も何も言わなかった。

 

 




 
 アリアナ・ダンブルドア存命中も、アルバス・ダンブルドアにとっての一番怖いものは、そんなに大きくは変わらないと思っています。ただ、ボガートが変身するそれが「最悪の想像」なのか「最悪の現実」なのか、それとも「最悪の過去」なのかが違うだけで。

 アリアナ・ダンブルドアとダンブルドア家に悲劇が起きたのはレガ主が6年生である1891年で、レガ主がダンブルドア少年と出会うのはレガ主が7年生になってダンブルドア少年が1年生で入学してくる1892年。どんな英雄でも、どんな物語の主人公でも、たとえ今世紀で最も偉大な魔法使いアルバス・ダンブルドアその人でも、間に合わなければ何もできない。

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