2年後もしくは106年前   作:requesting anonymity

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89.ペスキピクシペステルノミ

「アミットぉー、セバスチャンんー。ニンジン返してほしいんだぁー……」

 1年生と7年生を集めて合同で授業が行われているホグワーツの闇の魔術に対する防衛術の教室で、1年生にしか見えない小さな7年生の男の子が、同級生2人が着ているローブの裾を左右の手で引っ張りながら何やら授業とは関係がない嘆願をしている。

「返すのは当然だし、いいけどさ。きみ、授業中にお食事しちゃダメだって解ってるよね?」

「そうなの? じゃあそうする。このニンジンはねえ、あのねえ、僕のおやつなんだよ。ニンジンはねえ、この根本のところが噛み応えあって僕すきなんだ」

 ニンジンを茎の根本にあたる部分、太い方の端から食べ始めてしまった友人を、アミット・タッカーとセバスチャン・サロウは呆れながら見つめている。

 

「食べちゃダメだって言っただろう。食べるのやめないなら授業終わるまで僕が預かるよ」

「ヤっ!! ぼくの!!」

「……ついさっきまでダンブルドアくん相手に全校生徒の模範たる首席としてふさわしい振る舞いをできてたんだろうに……きみって人は…………」

 

 この困った友人に規則を守らせようというアミットとセバスチャンの優しさも虚しく、生のニンジンをガリガリと前歯で削って一心不乱に食べ続け、ヘキャット先生から40点の減点とさらに罰則を宣告され、それでも尚ニンジンを齧り続けた小さな男の子の外見をした7年生は結局、そのまま数分とかからずにニンジン1本を完食してしまったのだった。

 

「この授業が済んでも、お前さんは私と一緒に残るんだ。罰則があるからね。いいね?」

「いいよぉ」

「リディクラス!!」

 

 ニンジンを食べ終わった7年生がヘキャット先生に怒られながら見つめるのは、3人の1年生。ひとりずつ初挑戦した時はダメだったが今度こそボガート退治に成功したグリフィンドールとハッフルパフの女子2名とレイブンクローの男の子は、うまくできたという実感がまだ湧いていない様子で、お互いの顔を見たり正面のクローゼットに視線を戻したりして、なぜ撃退できたのかわからないというような表情をして、戸惑いながら笑っていた。

 

「自分が、今なぜボガートを退治できたのか、答えられるかいミス・ブラウン?」

「はい! えっ、あ。えっと…………あんまり、怖く……なかったから……?」

 グリフィンドールの1年生、古く由緒正しいが純血かどうかをあまり気にしない家系出身のブロッサム・ブラウンは自分が今どうしてボガートを退治できたのかを理解こそしていたものの、それを文章にして他者に説明することは難しいらしかった。

「お前さんはどうだいミスター・ガンプ。『なんで今度はボガートをやっつけられたのか?』」

 ヘキャット先生に問いかけられて、レイブンクローのガンプくんはあまり考え込む様子もなく、前から知っていたかのように、本日この授業で新しく得た学びを述べる。

 

「それは、さっきボガートにしてやられた僕とブラウンとバーンの奴が、今度は一緒にやったからです。僕らは各々で最も怖いものが異なる。だからボガートは誰を狙うかで迷うし、それを決めたとしても、例えば僕にとって最も怖いものは、ブラウンとバーンの2人にしてみれば、そうでもないわけです。僕が震え上がっている間に、2人は落ち着いて『リディクラス』をやれる。反対にブラウンかバーンのどっちかが狙われてボガートが姿を変えても、ブラウンにとって最も怖いものでも僕にとっては特段これといった恐怖の対象ではないので、僕が『リディクラス』をやれば済む」

 

 ヘキャット先生はガンプくんの回答を称賛してから、1年生たち全員へ向けて語りかける。

 

「そう。その通りだミスター・ガンプ。よく分析できてるからお前さんに1点やろう。じゃあ皆。これで解ったね? ボガートを退治する方法。まずはボガートってものには怖がらせる以外の方法でこちらに害を与える能力は無いってことを覚えておくんだ。ボガートはドラゴンに変身したって炎は吐けないし、爪で引き裂いたり尻尾で叩いたりもできない。アクロマンチュラになったって毒もない。姿形だけだってことをね。そして笑いで退治する。それにはまず怖がらないことだ――」

 

 それができれば苦労は無いと、ヘキャット先生と目が合ったエルファイアスは思っている。

 

「――自分の心を制御して、怖いのを我慢する。慣れてくれば我慢する必要もなくなる。不意を突かれても『ああボガートか』なんて冷静で居られるようになる。それにね、考えてもみなミスター・ブルストロード。お前さんが一番怖いものが、あのへそ曲がりのイグノラムス・ゴーントが。そこらのクローゼットから出てくるなんてそんなこと、起きやしないはずだろう? ボガートは普通、狭くて光の差さない場所に潜んでる。どんだけ怖いものでも、そんな場所から出てきた時点で偽物だってことが、冷静でいられれば判るはずだね……さあ、お前さんたちにやらせてばっかりってのも威厳に欠ける気がするから、最後に私もボガートと勝負しようか」

 

「へキャせんせにも怖いものがあるの? へキャせんせ何が怖いの? 査読?」

 

 へスパーが口にしたそれは現役でも引退済みでも関係なくほとんど全ての神秘部職員が共通して恐れている関門だったが、ヘキャット先生にとっては「最も」怖いものではなかった。

「おや、難しい言葉を知ってるねミス・スターキー。私が怖いものが何かは見てればわかるよ」

 そう言いつつヘキャット先生はキャビネット棚の前に進み出て、一呼吸おいてから杖を構えた。

 

 キイ……と静かな音を立てて少しだけ開いたキャビネット棚の扉の奥から現れたのは、口の広い大きなガラス瓶らしきもの。それは相当に分厚いのか、それとも何か魔法で保護されているのか、床に落ちても割れるどころかヒビすら入らないままゴロゴロと音を立てながら転がってきて、ヘキャット先生の右足のつま先に当たって止まった。

 その瓶の中に小鳥が入っていることに気づいたポピーは、その小鳥が生きていると察してまた驚き、さらに小鳥が数秒で身体が大きくなって成鳥にまで生育したのを見て目を丸くした。

 そしてヘキャット先生が見下ろしている前で、その小鳥が入った瓶の蓋が、僅かに開いた。

 途端に小鳥は寿命を迎えて動かなくなり、小鳥の死体入りのガラス瓶は急速にくすんでいき、埃が積もって汚れていき、小鳥の死体は骨だけになり、瓶が接している教室の床が割れ、崩れ風化していく。物置きの掃除をしているような臭いが教室中に立ち込め、床の風化はどんどんと広がっていく。ヘキャット先生が瓶を見つめたまま微動だにしないなか、自分たちのところまで床の風化と経年劣化が広がってきたのを見て、1年生たちは反射的に後ずさりした。

 

「昔の話さ。済んだことだ。過去をいつまでも悔やむほど若くないんだ。見ての通りにね――」

 

 ボガートが潜んでいたはずのキャビネット棚が朽ち果てて崩れ落ちたのを見届けてから、今や全面カビだらけでいつ崩落するとも知れない天井の下で、ヘキャット先生はそう呟いて深呼吸した。

 

「――リディクラス」

 

 ヘキャット先生がそう唱えると風化していた床板も腐敗していた天井も朽ちて崩壊していたキャビネット棚も全てが元通りになり、どこにも見当たらない瓶の代わりにそこに居た1羽の小鳥が翼を広げて、キャビネット棚の中へと引っ込んでいった。

 ボガートが今いったい何に変身していたのかが、1年生たちには判らない。

 その1年生たちの表情を見渡して、誰かが質問するより先に、ヘキャット先生は口を開いた。

 

「ホグワーツの教師になる前、私は神秘部で働いててね。ある日そこでちょっと時に追いかけられて、私は逃げそこねた。それで見ての通りさ……いいかい。どんな魔法でも元通りにはできないってことも、人生にはある。それに、嬉しくない変化だけど元通りにしてほしくないってこともね。なんだい、…………私に言いたいことがあるなら、ハッキリ言いな」

 歩いて寄ってきた1年生の男の子にしか見えない姿をしている7年生は、ヘキャット先生の手を見ている。皮膚が薄く、シワだらけで、肉がほとんどない老婆の手を。

 かつての事故で通常より早回しされてしまったヘキャット先生の肉体の時は「リディクラス」でボガートが退治されても、元には戻らない。

 どこも怪我などしていないので、不死鳥の涙でも癒やせない。

 

「ニンジンあげます」

「気持ちだけ貰っとくよ」

 

 その7年生以外の誰も、ヘキャット先生にどんな言葉をかけるべきなのか、もしくはいかなる言葉もかけるべきではないのかを判断しきれずに黙りこくっていた。

 もう気にしてないとヘキャット先生は言うが、今ボガートがそれに変身したのも事実なのだ。

 

「どれだけすんなり済んでも、ボガート退治は大なり小なり気が滅入るもんだ。だからもう一度言うけれど、できるだけ複数人でやるんだ。独りでやれる自信があったとしてもね。いいかい?」

 

 はい、ヘキャット先生。と、7年生たちも含めたその場の全員が声を揃えた。

 

 ヘキャット先生は決して慰めの言葉など必要としておらず、どうしてもヘキャット先生に何らかの癒しを与えてあげたいと思うのなら、この授業から少しでも多くの学びを得るべく努力することこそ最もヘキャット先生に喜んでもらえる振る舞いだと、ダンブルドア少年は理解していた。

 もっと勉強を頑張ろうという決意を、熱意の程度の差こそあれどその場の皆が共有している。

 

「じゃあ、ボガート退治はここまでだよ。皆、ボガートをやっつけるのに必要なことが何かを忘れないように。杖をボガートに向けて『リディクラス』だ。さあ、皆で協力すれば、独りではできないことができる。そうだったねミスター・ガンプ? それに――7年生には改めて訊くまでもないだろうね? 今年も去年もその前も、力を合わせるってことをお前さんたちは実によくやってる」

 ヘキャット先生はそこで言葉を切り、教室の奥にある登り階段の先の扉へ杖を向ける。

 

「ロコモーター」

 

 宙を漂って独りでに運ばれてきたのは、小柄な1年生なら後ろにすっぽり隠れてしまえそうな、とても頑丈なのだろうと一目で解る重厚な外観をした鳥籠。

 しかしその中に入っているのは、鳥ではなかった。それには左右それぞれに2本ずつ、合計8本の細い手足があり、トンボのように無機的な丸さをもった大きな目が光を反射して光っていて、一対の翼は側頭部から生えているせいであたかも耳が異常発達しているかのように見る者を錯覚させる。カエルかトカゲのように横に裂けた大きな口には尖った歯が並んでいて、長い尻尾も含めたその全身は爬虫類を彷彿とさせる。

 鳥籠の中に数えられないほど何匹もギッシリ詰まったそれらがどれだけ厄介なのか、グリフィンドールの1年生、由緒正しいが純血を特別視しない古い家系出身のブロッサム・ブラウンは、何年か前にママの気まぐれによって執り行われた自宅の大掃除での、実体験として知っていた。

 

「ドクシー!!」

 

 おじいちゃんとおばあちゃんすら「開いたところを初めて見た」と言っていた扉の向こう、いったいどれだけ永いこと物置にされていたのか定かではないホコリまみれの暗い部屋の奥に巣食っていたあの小さくて厄介な奴らを追っ払うために、ブラウン家はその日1日を丸ごと消費したのだ。

 流石にあの時ほどの数ではなかったが、それでもたとえ1匹だけだったとしても細心の注意と警戒をするべき小さなモンスターが今あの大きな鳥籠の中にはどう数えたって何十匹と詰まっているのを見て取ったグリフィンドールのブラウンさんは、ヘキャット先生がこれから何をするつもりなのか、7年生たちに何をさせるつもりなのかを概ね理解できてしまったがために戦慄した。

 

「そうだよミス・ブラウンよく判ったね。こいつはドクシーだ。ホッグズ・ヘッドの地下倉庫の隅に蔓延ってたのをあそこのバーテンと一緒に片付けて、それをそのままここに連れてきた。今からお前さんたち7年生には、それぞれ何人かずつの1年生をこのドクシーたちから守ってもらう。そして今回はお前さんたち1人ひとりの対処の手際を見たいから、自分以外の7年生を助けるのも、自分の担当じゃない1年生を助けるのも禁止だ。いいね? それじゃあ、まずミスター・サロウ。お前さんにはそこのミスター・クラウチとミス・ヴィリディアンと――」

 

 そのまま特に考え込んだりもせず、大して時間も掛けずにヘキャット先生は全ての1年生をテキパキと数人ずつのグループに分け、7年生たちに割り振った。

「ねえねえポピーちゃんポピーちゃんドクシーさんってどんな生き物なのかしら!」

「歯に毒があるから、噛まれると大変なんだよ。それにすばしっこくてね。卵にも糞にも強い毒があるのに掃除を疎かにしてると家にだって湧いちゃうから、迷惑だって思ってる人が多いかな」

 自分がポピーちゃんに割り振られたのが嬉しいらしい逆立てたトゲトゲ髪のシャーロットとは対照的に、ブルストロードくんは自分を守ってくれる担当の7年生を信頼しきれない様子だった。

 

「お前、頼っていいんだろうなオミニス・ゴーント」

「さあ、どうだろうね?」

 

 ヨーロッパ全土でも随一の、妄執的とすら言える極端に厳格な家風で知られる古い家系、一族のほぼ全ての者が「お前たちなんかよりよっぽど純血」と他者を蔑むゴーント家出身であるにもかかわらず一族とは距離を置いている心優しい青年オミニス・ゴーントは、自分が生まれつき抱えている盲目というハンディキャップが理由なのだろうブルストロードくんの疑念を、はたしてコイツが本当にあんな数のドクシー共から自分たちを守ってくれるのかという不安を、面白がっていた。

 

「あら。おねーちゃんになったわ。よろしくねおねーちゃん!」

「よろしくねぇへスパー。それにエルファイアスくんも、ギャリックくんもガンプくんもね」

 

 今の今まで1年生にしか見えない男の子だったのに、起伏のある体型と腰まであるふんわりした栗色の長髪のお姉さんになった7年生がホコリを払うかのような手の動きだけで杖も使わず呪文も唱えずに己の服装を体型に合ったスリザリンのベストとローブに変え、同時にズボンもスカートにしてしまったのを見て、へスパー・スターキーは目を輝かせている。

 

「わたしもそれできるようになるかしら?」

「変身術の授業を頑張れば、へスパーにだって自分の服を自分で好きに『変身』させられるようになるし、杖無し呪文だって無言呪文だって練習すればきっとできるようになるよ――ところでガンプくんもしかしてきみドクシー嫌いかい?」

 その整った顔の小さな眉間に刻まれた深いシワが「なぜ僕がこんなことしなきゃいけないんだ」という文章を形作っていたガンプくんは、7年生の女生徒の予想通りの返事をした。

 

「できれば近寄られるのも避けたいんですがね」

 

 この魔法生物大好き人間の前ではたとえ対象がドクシーだとしても「穢らわしい」などとは言うべきでないと、ガンプくんは頑張って言葉を選んで我慢していた。

 そしてこの認識は7年生たちにも共通するもので、彼ら彼女らはヘキャット先生が言及していない制限事項がこの課題にはあるのだと既に察していた。

 

 もしもドクシーたちに怪我でもさせようものならポピーもあのバカも敵に回ると。

 であるならば、考えられる有効な手段は、そう多くはなかった。

 

「じゃ、お手並み拝見と行こうか」

 

 ヘキャット先生がどこか楽しげな口調でそう言いながら杖を気軽に一振りすると、ドクシーたちを閉じ込めていた大きな鳥籠が、中のドクシーたちはそこに残して瞬く間に、煙のように消えた。

 

「わあ、わあああああ!!!!」

 

 いったい1年生たちの内の誰がそんな悲鳴を上げたのか、誰にも判らなかった。

 檻の中にギッシリ詰め込まれていたのがストレスだったのか生来の性質に因るものか、解放された途端に教室中に広がって縦横無尽に飛び回り小さな身体からは想像もできないほどの生命力を爆発させて大暴れし始めたドクシーたちによって、1年生はほぼ全員が一瞬でパニックに陥った。

 

「ペトリフィカストタルス! 落ち着け。僕らが居るんだ、心配は無いだろう!」

「グレースちょっとこれこいつら大丈夫なのよね?!!」

「心配しないでブラウン。私たち誰かさんのせいでこういうの慣れてるから」

「デパっ、リクタスセンプラ! リクタスセンプラ! インペディメンタ!!」

 

 リアンダー・プルウェットは大雑把な狙いで数匹ずつまとめて「全身金縛り術」で行動を阻害して無力化しつつ、そうしている間にも頭上や背後や左右から迫りくるドクシーたちにも素早く杖を向けて、どうにか自分が担当する数人の1年生たちを今のところは守りきれている。

 そんなリアンダーから少し離れた位置にいるグレース・ピンチ=スメドリーは杖から炎を噴射するという方法でドクシーたちに「近寄ったらタダじゃすまないわよ」と示しつつ、それでも飛びかかってくる少数の向こう見ずなドクシーに緩慢な動作で杖を向けて、本当に火炎を浴びせる意思があるというそぶりを見せつけることによってドクシーたちを脅して撃退している。

 周囲の1年生や同級生たちにもドクシーにも炎を当てないように気をつけながら、同時にドクシーたちに「コイツは本当に火をぶつけるつもりだ」と信じ込ませるには、グレースの隣で不安そうにしている1年生のブラウンさんが思っている以上の高度な技術と繊細な杖捌きが必須だった。

 

 アーサー・プラムリーは自分が担当する1年生たち4人に背中を壁にくっつけて立つように指示し、自分はその1年生たちのすぐ目の前に立つことで注意を払うべき方向を限定して、視界に映っていない角度からドクシーが迫ってくる可能性を可能な限り減らしている。

 

 そんな光景を見ているブルストロードくんは、なぜ自分たちが襲われていないのかが判らない。

 

「カーベ・イニミカム。お父上かお母上から教わったりしてないかい?」

 

 ドクシーたちが解放された瞬間すでにオミニスが採っていたその方針こそが、ヘキャット先生の想定した回答だった。

「…………ブルストロード家の屋敷に施されている保護呪文の内、父上が僕にも理解できるだろうと判断して説明してくれたいくらかの呪文の中に含まれていた、と思う」

 父上には悪いが長ったらしい呪文をあんないっぺんにいくつも聞かされて覚えきれるわけがないとかなんとかブツブツ言い始めたブルストロードくんをよそに、7年生たちは各々手段こそ違えども、誰も慌てるそぶりなど見せないままドクシーたちに対処し続けている。

 

「プロテゴ・トタラム、サルビオ・ヘクシア、ステューピファイ……」

 

 足元の床に杖を向けて何やらブツブツと呪文を唱え続けている7年生はオミニスだけではなく、マルフォイもヘクター・フォーリーもイメルダ・レイエスも、皆おなじように自分が担当する1年生たちと自分とを保護呪文で包みこんで、ドクシーたちが近づけない安全圏を作り出している。

「ヴォラーテ・アセンデリ!」

「タラントアレグラ!」

 ルーカン・ブラトルビーやネリダ・ロバーツを始めとする、複合的な保護呪文による防御壁の形成という手段を実行し終えるよりも先にドクシーたちが飛来してしまった者たちは対処療法的にドクシーを1匹1匹相手しながら、隙を見て自分たちを保護呪文で包む作業を再開したり中断したりと忙しなく杖を動かし続け全ての方向に注意を払ってどうにかこうにか1年生たちを守っている。

 

 しかし、素早く保護呪文で自分たちを覆ってしまうのでも、絶え間なく迫りくるドクシーたちに必死で対処しながら保護呪文で自分たちを包もうと努力し続けるのでもない全く別の手段でドクシーたちに対処している7年生が、ふたりだけ居た。

 それは本来なら驚嘆されるべき光景だったが、他の7年生たちは誰もビックリしていない。

 

「ほらシャーロット。この子が群れの女王だよ。身体がちょっとだけ立派なの、わかるかな?」

 

 なぜスウィーティング先輩は特に魔法も使わずドクシーたちをこんなに大人しくさせてしまえるのか。床に着地してトコトコ歩いて寄ってきたドクシーが差し出されたポピーの手に従順に乗っかったのを目の当たりにしたダンブルドア少年には、ほとんど何も推測すらできなかった。

 魔法生物を手懐けるポピーの技術に改めて驚かされているダンブルドア少年のすぐ横では、そのカエルみたいなトカゲみたいな変な生き物をポピーちゃんのお蔭で間近で観察させてもらえているシャーロットが、大きくてまんまるの目をより一層大きくてまんまるにして大喜びしていた。

 

「おめめがおっきい……お口もおっきい……これお耳かしら……? かわいい……!」

「クルルル……そうでしょそうでしょ。クゥルルルルル……ドクシーってカワイイんだよ。ほらダンブルドアくんも見てみて。クルル、グルル、クルルルルル、グゴルルルル……」

 

 ポピーが言葉の合間合間に挟んでいるかなり高音の聞き取りづらい擬音のような鳴き声を、へスパーを膝に乗っけた7年生の女生徒も合間に発言を挟みつつ絶え間なく響かせ続けている。

「クルルル、グゥルルル……手に乗ってくれると嬉しいクルゥルルル………」

「ぐるる、ぐじゅるるるる……」

 へスパー・スターキーが真似しようとして真似しきれていないその声が、他の群れと遭遇してしまったドクシーが敵意など無いことを相手に知らせたい時に上げる友好的な意思の籠もった鳴き声だと、ギャレスとオミニスほか何人かの7年生は気付いていた。

 

「判ってるだろうけどあの2人のああいうやり方をヘタに真似しようとするなよ。大怪我の元だ」

「当たり前だろサロウ。あんな特殊技能が一朝一夕で習得できてたまるか」

 

 これから何が起きるのかを理解した7年生たちが1人また1人と構えていた杖を降ろし呪文を唱えるのも中断してその2人を見つめている中、縦横無尽に飛び回っていたドクシーたちは1匹また1匹とまるで眠気にでも襲われたかのように飛行速度を落とし、静かに着地し、ペタペタと床を歩いて誘われるようにその2人の方へと寄っていく。

 そして数十秒と経たない内に、全てのドクシーが大人しくなってしまった。

 

「見てシャーロット。ドクシーのお顔のこの皮膜はね、耳じゃなくて翼なんだよ。だって――こうやって――ね? 飛ぶのに使うんだよ。じゃあスパイスバイト、今度はお腹を見せてくれる?」

 

 ドクシーの群れのボスにもう名前をつけてしまったらしいポピーの掌の上で「スパイスバイト」がごろりとお腹を見せて寝転がったのを眺めながら、自分が受け持つ闇の魔術に対する防衛術の授業が魔法生物学に変わってしまったのを見ながら、ヘキャット先生は笑っている。

 

「ドクシーって、防衛術でやるのか。魔法生物学じゃないのか?」

 

「魔法生物学でもやるよガンプくん。けどね、魔法生物学で取り扱う時と『防衛術』で取り扱う時では、主眼をどこに置くかが異なるんだ。魔法生物学は魔法生物学だから、あくまでも主役は動物たちだ。どういう生き物で、どこに住んでて、どういう環境を好むのか。何を食べるのか、僕らにどういう影響を与えているのか、つまり害だったり利益だったりね――」

 

「そういや父さんが前に、ドクシーの歯を芯にした杖を作ってたな。出来栄えはあんまりだったみたいで店には並べてないが」

 レイブンクローの1年生、紀元前から脈々と家業を受け継ぐ杖作りの一族出身のギャリック・オリバンダーくんが口を挟んでも、その7年生は全く不快になど思っていない様子だった。

 

「――おや、そうなのかいギャリックくん。ジェルベーズさんの挑戦的な創作意欲はすごいよね。僕こないだトロールのヒゲの在庫は無いかって訊かれたよ」

「ドクシーの歯が芯になるのかオリバンダー?」

 興味を惹かれたらしいガンプくんが訊く。

 

「僕は『ならない』って意見を持ってた。ゲボルド爺さんは『できなくはないだろうけどウチの店で売るに値するだけの要求水準を満たさない』つまり弱い杖しか作れないだろうって意見だった。先祖が残した山のような資料を漁った結果は『作って売ってたこともあった』。だから確かめてみようって話になった……今のオリバンダーで売れる杖がドクシーの歯から作れるのか。まあできなかったわけだが、しかし今回正しかったのは僕じゃなくて父さんなんだ。つまり、実際に作って確かめてみるという方針を選ぶことこそが正解だったんだから。これでオリバンダー家は『ドクシーの歯は杖の芯にできなくもないが決して最高の素材ではない』って知識を新たに得たんだから」

 

「お前ら一族は、紀元前からずっとそうしてきたわけか……そりゃ凡百の杖作りなんかが勝てるわけは無いな…………積み上げた経験と知識の量が違う」

「そうだガンプ。僕は先祖の研鑽という名の、巨人の肩の上に立ってる」

 オリバンダーの言葉に感心しているらしいガンプくんに、その7年生は横から声をかける。

「それは僕ら皆そうだよ。だって、ホグワーツなんかまさにそうだろう? 授業ってそうだろう? 魔法生物学では動物について学ぶ。けど闇の魔術に対する防衛術では『どう対処するのか』を学ぶ。防衛術の主眼はあくまでも僕ら自身だ。どうやって対処するのかを学び、では実際に対処できるのかを確かめて、練習する。身の安全を守るための授業だからね」

 

 その7年生の肩まで登ってきた1匹のドクシーをへスパー・スターキーが見ている。ドクシーはへスパーと目が合っても襲いかかろうとはせず、ただへスパーの大きくてまんまるの目に映ったドクシー自身の姿が気になるかのように、じっとへスパーを見つめ返している。

 

 予想していた通りの穏やかな光景が広がる教室中を見渡していたヘキャット先生は、予定していた通りに、ポピー・スウィーティングに杖を向けた。

 

「オパグノ」

「イモビラス!!」

 

 ヘキャット先生がにっこりと笑いながら呪文を唱えた途端に全てのドクシーたちが攻撃性を取り戻してポピーに突撃しようとしたが、ほとんど同時に7年生の女生徒がまっすぐポピーに杖を向けて唱えた縛り術によって、ドクシーたちは水の中にでも居るかのようにその動きを封じられた。

 

「ごめんねきみたち。ちょっと寝ててね」

 そう言いながら7年生の女生徒はどこからともなく一鉢の若いマンドレイクを取り出して、それを手で持って引っこ抜いた。

 

 途端に凄まじい金切り声の悲鳴が部屋中に響き渡り、自分と1年生たちを素早く守った7年生たちと、守ってもらえた1年生たちと如何なる手段によるのか不明ながら平気らしいヘキャット先生とマンドレイクを鉢から引っこ抜いた当人以外、ドクシーたちが1匹残らず気を失った。

「フィニート・インカンターテム、リナベイト。リナベイト、リナベイト――」

 ヘキャット先生がドクシーたちにかけた呪文を解除してから、その女生徒は1匹ずつ意識蘇生呪文をかけて回復させ、落ち着きを取り戻しているのを確かめてからいつの間にやらその手に持っていた旅行カバンの中へドクシーたちを収納していく。

 

「お前が助けてくれたから僕はまだ生きてるのか? それともあれが育ちきってないからか?」

「どっちもだよクラウチくん。仮に無抵抗だったらきみ、夕食の時間までに目を醒ますか怪しい」

 既に元通り鉢に収まり静かにしているマンドレイクを見つめながら未だ両手で自分の耳を塞いでいるのは何もクラウチくんだけでも、スリザリン生だけでもなかった。

 まだビックリしている様子のオリバンダーくんもガンプくんも、その眉間に寄ったシワが「正気かコイツ」という感情をありありと示していて、2人ともその7年生の女生徒を睨んでいる。

 

 このおかしな7年生がマンドレイクの鳴き声から保護するための呪文をいつの間に自分たちに施してくれたのか、へスパーにもエルファイアスにも、さっぱり判らなかった。

 

「自分に割り当てられた1年生たち以外を助けるのは禁止だと言ったはずだね?」

「規則より先生の言いつけよりポピーの方が大切ですから」

 

 こちらを見もせずに即答した7年生の女生徒にヘキャット先生が満足気に30点与え、ポピーがその女生徒に助けてくれてありがとうとお礼を言って、それから2人がヘキャット先生にドクシーたちを貰っていいかと訊いて、ヘキャット先生が快く了承して、それで授業は終了になった。

 

「誰も噛まれたりしてないかい? もし引っかかれたりとかしてるなら僕の薬を――」

「ダメよギャレス」

「はいはいはい!! あたしどこも噛まれてないけどギャレスのおくすり飲んでみたい!!」

 

 友達のシャーロットがギャレスに飛びついたのを尻目に、へスパー・スターキーはヘキャット先生にもう一度ボガートと勝負したい旨を語り、許可を求めている。

 

「もちろん良いよへスパー。やってみな」

 

 教室の隅に追いやられていたキャビネット棚はへスパーの目の前まで滑るように移動してきて、ヘキャット先生の杖の一振りで、軋んだ音を立てながらゆっくりと開いた。

 

 そこから現れたボガートは、ヘキャット先生の姿をしていなかった。

 

「わたし、ヘキャ先生が怖いんじゃなかったのね。へキャせんせがたまーに怖い顔になるのが怖いんだと思ってたけど、それも違うのね。わたしはホグワーツの入学許可証が届いた時にわたしの頭の中で想像して膨らませちゃった『もしこんな先生が居たらヤダな』って空想上の『ヤな先生』が怖かったの。……たぶん、そうなの。だから私、もうへキャ先生が怖い顔してても、怖くない」

 

 そう言ってから杖を構えたへスパーの目の前で、そこに立っているボガートは概ねシャープ先生の姿をしていたが、首から上は塗りつぶされたように真っ黒な煙とも液体とも判別できない何かに覆われていて、果たして誰の顔をしているのかなど全く窺い知ることができなかった。

 しかしすぐにまた、ボガートは全く別の姿になった。

 

 そこに現れたのはへスパー・スターキー当人の姿だったが、へスパーがそんな表情をしているところなど誰も見たことがないくらいに悲しそうで、絶望しきっている。

 目の前のそんな自分が真っ二つに折れた杖を握りしめているのを見て、へスパーは自分が今なによりも恐れているものが何なのかを認識した。

 

「あら、退学になっちゃったのね。大丈夫よへスパー。だって私がんばるもの」

 

 そう言ったへスパーが「リディクラス」と唱えた途端にへスパーの姿をしたボガートの髪が逆立てられてトゲトゲになるのを、その7年生の女生徒は見ていた。

「ポピーちゃんポピーちゃん私もロットちゃんとおんなじトゲトゲの髪型してほしいの!!」

 ヘキャット先生が笑っているのはへスパーが見事にボガートを退治してみせたからというだけの理由ではなく、ミス・スウィーティングに飛びついていったへスパーが今、もう自分のボガートはヘキャット先生の姿をしてないのよ、と伝えてくれたのだと解っているからだった。

 

「…………ああ!!」

「どうしたんですか先輩。すごく頭が悪そうな声でしたけど」

「アルバス僕ねいいこと思いついた!!!」

 

 そう言った先輩のキラキラに輝いた目が毒ヘビの口の中に手を突っ込む寸前のシャーロットと全く同じ色をしていたので、ダンブルドア少年は不安を感じずにはいられなかった。

 しかし、そんなダンブルドア少年の懸念とは裏腹に、今回のこの7年生の思いつきは、そこまで荒唐無稽なものではなかった。

 

「ヘキャット先生ヘキャット先生僕ね良いこと思いついたんだ僕ねえっとね皆のねパパとかママとかお兄さんとかにね皆が授業受けてるとこ見てもらったら良いんじゃないかって思うんだ!!! だからね僕ね、えっとね、ゔぉ゙ぉぉぉーーーー!! ブラック校長ーーー!! シリウスくんとフィニアスくんが授業受けてるとこ奥様と一緒に見物したくないですかぁーーーーー!!!!」

 

 止める間もなく駆け出して行ってしまった7年生の女生徒が置いていったマンドレイクの鉢植えをサチャリッサ・タグウッドが回収し、ドクシーたちを収容した旅行カバンにポピーが杖を向けて呼び寄せ呪文で手元に引き寄せたのを見ながら、その場の全員が確信していた。

 

 遠からず、自分たちの親や兄や姉やその他の保護者が、ホグワーツに来ることになると。たとえ両親も身寄りも無い生徒でも、知り合いの誰かがホグワーツに来ることになるのだと。

 家族をダシにされたらブラック校長は瞬時に説得されると、ヘキャット先生は知っている。

 

 前例の無い「授業参観」という催しが、ホグワーツで開催されることが決定した瞬間だった。

 

 




 
【ドクシー】Doxy
 妖精やピクシーに似ているが実際には全く異なる種だという、8本の手足と一対の羽を持つすばしっこい小さな生き物。家庭内にも湧くうえ強い毒があるので害虫扱いされており、ドクシー・キラーという専用の駆除剤が市販されているが、一方でハニーデュークスではドクシーから取れる材料を使った綿菓子を売っていたり、ウィーズリー・ウィザード・ウィーズの人気商品「ズル休みスナックボックス」の材料に含まれていたりと、利用価値と需要もある生き物。
 ニュート・スキャマンダーはスーツケースにコイツの群れを入れて飼ってた。

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