2年後もしくは106年前 作:requesting anonymity
その7年生が大きな声で何事か叫びながら白く光る靄のような姿になって高速で廊下を駆けていくのは、もはやホグワーツでは珍しくもなんともない日常の光景だった。
「待ってください先輩! ヘキャット先生に通告されてたじゃないですか!! 罰則があるから授業が終わった後も教室に残るようにって!!」
その7年生の後ろを小さなグリフィンドール生の男の子が頑張って走って追いかける様子も、既にホグワーツの日常の光景になっていた。
「おや、どうやら噂通り本当に足が遅いらしいな。あのダンブルドア家のチビは」
「運動能力はそこらの蝶と競るが魔法力は凄まじいぞあのチビ。お前だって見たろ前に――」
今すれ違った4年生か5年生くらいに見えたスリザリンとレイブンクローの男子2名は明らかに僕を話題にして嗤っていたとダンブルドア少年はしっかり気付いていたが、そんな程度でいちいち気分を害したり心に傷を負ったりできるほど、ダンブルドア少年は暇ではなかった。
罰則をすっぽかすというもはや理解すらできない暴挙を働いたあの先輩を1秒でも早く捕縛してヘキャット先生に突き出さなければならないのだから。
「びよよよよぉーーーーんブラック校長ぉーーー!! 提案がありまーーーーす!!!!」
迷惑極まる声量でそう表明しながら、その7年間は接続先を刻一刻と変え壁に引っ込んだり再びせり出したりと気まぐれに動き続ける大階段の塔を、立ち止まってタイミングを見計らったりなど一切せずに、怒ったグラップホーンのような勢いで駆け上っていく。
「そおーれアクシオぉー!」
気まぐれに動き続ける大階段の塔で、本人としてはあれでも必死に走っているつもりらしいが、通りがかった生徒たちが失礼だとは思いつつも笑ってしまうほどにダンブルドア少年は足が遅く、それゆえに距離が離れていって今ではかなり下の方の階で壁に引っ込んで途切れてしまった登り階段がまた出てくるのを足踏みしながら待っていたダンブルドア少年に、その7年生は杖を向けた。
「つかまえた!」
「それ僕のセリフのはずだったんですけど」
魔法で呼び寄せられて勢い良く宙をスッ飛び目の前まで一気に上昇してきたダンブルドア少年をひょいと小脇に抱えて、その7年生は再び走り出す。
「ヘキャット先生が寂しがってますよ先輩。……罰則受けなきゃいけないの、覚えてますよね」
「覚えてるよぉ。でもね僕いいこと思いついちゃったから」
ダンブルドア少年を抱えたままその7年生は大階段の塔をてっぺんまで登り、歴史的な貴重品やらかつての生徒が獲得した賞の記念品やらが所狭しと飾られているトロフィールームも駆け抜け、その奥に続く階段をさらに登って一本道の廊下を通って、その像の前までやってきた。
「ここが校長室の入口。この像に正しい合言葉を伝えられれば校長室に入れるよ」と説明しながらその7年生はダンブルドア少年を両手で持って、高く掲げる。
「ほらアルバス。合言葉を当てるんだ!!」
無茶を言わないでほしいとも、そんなことできるわけがないとも、ダンブルドア少年は思わなかった。ダンブルドア少年は、自分を優勝トロフィーのように抱え上げた7年生の先輩から普通の生徒なら無理だと即断する難題を投げかけられて、ものの見事に知的好奇心を刺激されていた。
「今朝、先輩は確かブラック校長を訪ねてここまで来てるんでしたよね。それもかなり早い時間に。校長室に入るための合言葉は『ブラック家の家訓』だとマルフォイ先輩が以前ちらっと仰ってましたが、もう違うはずです。だってブラック校長にとっては先輩が朝早くに訪ねてくるなんてウンザリでしょうから。別に仕事に取り掛かってなくたっていい起床直後の静かな時間は、お忙しいブラック校長にとって貴重な心安らぐひとときだと僕は考えます。ウィーズリー先生とかならともかく先輩が校長室に呼んでもいないのに勝手に入れるなんてのは不本意なはずです。ブラック校長にとっては。なのでまず間違いなく、もはや校長室に入る合言葉はブラック家の家訓ではない」
思考過程を声に出して推理しているダンブルドア少年を、その7年生は肩車した。
「しかしブラック校長なので、校長室に入る合言葉も『ふさわしいか否か』を重視するはずです。今朝飲んだお茶の産地の名称とか奥さんが好きなお花とか贔屓のクィディッチチームの名前とか、そういうのではないと思います。おそらくスリザリン寮となんらかの関連性があって、当てずっぽうで正解できる人物をも自動的に選定できるような言葉にしたいはずです。つまりマグル生まれの生徒には絶対に言い当てられない言葉。純血を重視する者なら当然知っているけれどそうでない者はわざわざ知ろうとしない言葉。第一、思考回路って変えようとして変えられるものじゃない……だから、前の合言葉を決めた時に候補に挙がったのと同じ言葉から、今回も選んだはずです」
そしてダンブルドア少年は1分とかからずに、いくつかの言葉にまで候補を絞り込んだ。
ダンブルドア少年は既に「思いついた候補を順番に試していけば正解できる」と確信しているが、しかしそれはダンブルドア少年にとって、思考をやめる理由にはならなかった。
「まず思いつくのはゴーント家です。けどゴーント家が、オミニス先輩が言っていた通りの人たちなら……家訓も蛇語のはずだ。それってつまりブラック校長にも発音できないってことで、校長に発音できない言葉が校長室入口の合言葉に採用されるわけがない…………すると次の候補は――」
「ねえアルバスってなんで足までもっちもちなんだい?」
「――レストレンジ家の家訓だと思います、先輩」
「そっかぁ。なるほどねえ」
なぜアルバスは足すらもっちもちなのかを本人に解説してもらったと理解している7年生は何やら腑に落ちたらしく満足げに沈黙しているが、しかしその7年生の沈黙が続けば続くほど、肩車されたままそれ以上どうすることもできないダンブルドア少年の困惑は深まっていく。
「先輩? 先輩あの、僕はレストレンジ家の家訓が如何な言葉なのかを知らないので、先輩に仰っていただけなければ状況は何も変化せず、僕らが校長室に入れることもないんですけど?」
自分が肩車しているダンブルドア少年に頭上から促されてもその7年生はすぐには投げかけられた言葉の意味を理解できず、10秒ほどぼんやりしてからやっと目を醒ましたかのように返答した。
「ああー、そっかそっか。そうでした。アルバスのふくらはぎがもちもちだから忘れてた」
業を煮やしたダンブルドア少年は、答え合わせのつもりでその7年生に、改めて問う。
「先輩、レストレンジ家の家訓ってご存知ですか? なんて言葉なんですか?」
「んー? そんなの知ってどうするんだいアルバス。でもね僕ね教えてあげちゃう。アルバスかわいいから教えちゃう。レストレンジ家の家訓はねえ、『
大きく翼を広げて行く手を塞いでいる鷲のようなヒッポグリフのような怪物の像がグルリと回転してその姿を消し、代わりに螺旋階段が現れたのを見て、その7年生は俄に大喜びし始めた。
「おおー? アルバスすごいすごい! 合言葉当てちゃった!」
「先輩飛び跳ねないでください飛び跳ねるなら降ろしてください」
いったいどこまで本気なのか、それともいつまでふざけているのか。いま真面目に振る舞っているのか否かすら傍目には判別ができないその7年生は、相変わらずダンブルドア少年を肩車したまま、さっきまでガーゴイル――にはとても見えない翼のある怪物像――があった場所に現れた螺旋階段を勢い良く駆け登って、特に仕事をするでもなく優雅に寛いでいたブラック校長の、誰にも邪魔されない静かな時間を完膚無きまでに粉砕するために校長室へとやってきた。
「ブラック校長ブラック校長ぼくの提案を聞く権利をあげます!!」
「帰れ不届き者。そもそも貴様なぜ入ってこられる。いま合言葉を変えたばかりだぞ」
「合言葉ならアルバスが当てちゃいましたよぉ。それも一発で当てちゃいました」
ブラック校長の眉間に寄っていたシワが少しだけ柔らかくなったが、それを自分が赦免された証だとは捉えていないダンブルドア少年は相も変わらず7年生の先輩に肩車されたまま、できるだけ申し訳なさそうな表情を作りつつブラック校長の目をまっすぐ見据えている。
どんな言い回しで謝罪すれば最も処分が軽くなるだろうかと、ダンブルドア少年は考えている。
「…………どうやって当てたのか、どのように思考したのか。話し給えミスター・ダンブルドア」
そう問いかけてきたブラック校長の顔は不機嫌そのものだったので、ダンブルドア少年はまるで叱責されるために上司のところまで自分の意志で歩いていく魔法省職員のような気持ちで、さあ今から自分はギロチンにかけられるのだせめて堂々としていよう決して恥など晒すまいと、そんなふうに思い詰めながら質問に答えた。
「あっ、あの。えっとまず、これまでの合言葉がブラック家の家訓だということはマルフォイ先輩が以前話していたのを覚えていましたので、そこから出発しました。つまり、新たな合言葉が如何な単語であれ、もしくは短文であれ、それを選定するのがブラック校長ご自身である事は変わらないわけですから、校長先生が選びそうな候補、という考え方で絞り込みました」
ブラック校長の片方の眉が僅かに動き、それをしっかり見ていたダンブルドア少年は怯んだ。
「こっ、これまではブラック家の家訓が校長室の合言葉だったのですから、ブラック家でない、他の純血を尊ぶ古い家系の家訓なのではないかと。まず思い浮かんだのはオミニス先輩のゴーント家でしたが、ゴーント家がオミニス先輩から聞いた通りの方々なら家訓も蛇語だと考えられますので、教職員の大多数が発音できない以上、校長室の合言葉にするには不適当だと僕は思いました」
もし退学にならずに済むならどんな罰則でも喜んで受けたいだとか、でもやっぱり痛いのはイヤだから書き取り罰則なんかにしてほしいとか考えながら、ダンブルドア少年は言葉を続ける。
「次に思い浮かんだのはマルフォイ家ですが、マルフォイ家はあまりにも第二候補として適切すぎるというか、安直な選択肢だという気がしましたので、さらにその次の候補としてレストレンジ家なのではないか、校長室入口の新しい合言葉とはレストレンジ家の家訓ではないか、と……」
ふむ、とだけ呟いて、ブラック校長はダンブルドア少年を見つめている。不届き者の首席に肩車されたまま不安そうにこちらを見ている、つい先程この校長室に入るための合言葉を「ブラック家の家訓のフランス語発音」から別の相応しい言葉に変更しようと決心した際にブラック校長が内心でどのような論理展開をしたのかまでをほぼ正確に類推してみせた、1年生の小さな男の子を。
自分が純血家系の家訓から選ぶことくらい少し考えれば誰にでも推測できる、という客観的事実をブラック校長自身が理解しているのも、では次の候補はと考えた際に真っ先に思い浮かんだからこそマルフォイ家の家訓を採用しなかったのも、ダンブルドア少年の言ったとおりだった。
純血主義に殉じたのだと誤解して褒め称えている者も多いパーシバル・ダンブルドアが本当は何故あのような凶行に及んだのかを、フィニアス・ナイジェラス・ブラックは正しく認識していた。
特段親しくはなかったとはいえそれなりに見知ってはいたダンブルドア家の家長たる男の精神性と「予言者」の記事の過剰なまでの読み心地の良さに起因する違和感を頼りに、賢しきフィニアス・ナイジェラス・ブラックは報道されている内容が事実ではないことを鋭く見抜いたのだった。
我が子を愛する父親同士、思想信条は違えども、「何に最も怒りを覚えるか」は同じだった。
ああ、あの男は己の娘を傷つけた者共にも怒っているが、それ以上に我が子を守れなかった自分自身を赦すことができないのだと、ブラック校長はパーシバル・ダンブルドアに同情していた。
それが末娘のアリアナの身に降り掛かった災難だということは、あの事件以来アリアナ・ダンブルドアが全く屋外で姿を目撃されていないという風聞から察せた。
「グリフィンドールに30点。素晴らしい洞察力だミスター・ダンブルドア」
であればこの長男のアルバス・ダンブルドアが魔法だけに留まらない広範な分野で極めて優秀であるという事実は僅かでもあの不幸なパーシバル・ダンブルドアの慰めになるだろうかと、ブラック校長は不機嫌そうにしか見えない表情の裏でそんな憐憫に心を浸していた。
「ブラック校長ブラック校長ぼくの提案ききたいでしょう?」
「今すぐ出ていかねば私は貴様から100点減点することになるぞ」
この不届き者も自分と同じようにダンブルドア家を憐れみ、またその苦境それ自体はどうしようもなくともせめて彼らの心くらいは救ってやりたいと考えてこのようにダンブルドア少年を毎日のように連れ回しているのかもしれないとブラック校長は推測していたが、だからといってこの愚か者と馴れ合うような振る舞いは何か生理的な、根源的な嫌悪感とでも言うべき痒みにも似た感覚によって、そうすることは我慢がならないと感じられたために、ブラック校長はあくまでも、自分で首席に選んだこの7年生を忌まわしい輩として、どころか場合によっては敵として扱うのだった。
「しかたないからアルバス見せてあげます。ほらアルバスですよブラック校長すごいでしょう」
「ブラック校長こちらの先輩からブラック校長に提案がありまして、なんでもホグワーツの授業風景を生徒の親や家族に公開して見に来ていただくという催しを――当然『この日からこの日まで』と期間を設けてですが――執り行ってはどうかと、こういうお話なんですが、どう思われますか」
不躾にも肩車している7年生と大人しく肩車されているダンブルドア少年を、ブラック校長は見ている。ブラック校長は、あまりにもその才と実力が他と隔絶しているために不本意ながら今年度の首席の片方に選ばざるを得なかった7年生と、まだ1年生であるにもかかわらず既にブラック校長の胸中では「7年生になったら首席に」と何の異論も不満もなく選んでしまっている不世出の優秀さを持つ小さな1年生を、まるでその2人が額縁にでも収まっているかのように、どこか他人事のような気分で、その服装や身だしなみまで心の中であげつらって吟味しながら、今この2人の最優秀生から齎されたアイデアを却下するには如何なる理由が適当だろうかと思案していた。
それは記憶に拠れば前例の無い提案だったので、ブラック校長は面倒だからやりたくないのだ。
制度上では理事会という抑止力があるとはいえ実際には校長に権限と責任がほとんど集中しきっているホグワーツだが、それでも一応は魔法省の管理下にある公的な教育機関であり、毎年度の予算とて魔法大臣の認可を得た上で魔法省から与えられているのだ。
それはつまりホグワーツで学校の予算を割いて何か前例の無い催しを企画、実行するなら魔法省に話を通すのが正道だとブラック校長すらも理解しているということで、「意義」とか「懸念」といった煩わしい机上の空論をブラック校長が取り扱わなければいけないという意味でもあった。
「そうだブラック校長。自分は発情してるのにパートナーのメスに相手してもらえなくて溜まったフラストレーションを広い場所で大暴れして発散するグラップホーンの鳴き真似してあげますね」
ブラック校長はおろかダンブルドア少年すらその7年生に返答も他のどんな反応も返さないが、脚を肩幅に開いて腰を前方に曲げ、突き出した両手でグラップホーンの角を模しているその7年生は、無視されていることなど一切気にせず既に発声練習を始めている。
「本来ならホグワーツに足を踏み入れさせるべきではない穢れた血の生徒や、そうでなくても己に生来の優れた才覚があるかのような勘違いをしている有象無象の雑多な血統の子らをホグワーツに迎え入れているだけでも是正すべき間違いであるのに、それがどうして親どもまで穢らわしい足でホグワーツの廊下を歩かせねばならんのだ?」
想定していた通りの疑義を差し挟んできたブラック校長に、ダンブルドア少年は落ち着いた態度を崩さないまま用意していた反論を述べる。
「グゥ゙モ゙ォ゙ォ゙ォ゙ォ゙オ゙オオ゙゜ァ゙゜ァ゙゛ァ゙゛ァーーーーンン!! オ゙オ゙オ゙ーーーァ゙ァ゙ーー!!!!」
「純血家系の生徒がそうでない生徒やマグル生まれの生徒と比べて如何に優秀なのかを彼らの親に見せつけて、あるべき立場と態度を自ずから理解させる機会だとは考えられませんか校長先生?」
「パ゛ァ゙゜ァ゙゜ァ゙゜ァ゙゜ーーーーン!!!!」
「生徒の親や兄弟姉妹もしくは他の親類だけでも懸念はあるのに、誰も都合がつかなかったので親しい知人に委任などされる場合を考えると、誰が来るやら予測できたものではないのだぞ? 生徒の身が危険に晒されるような事態は発生しないと、きみは言えるのかね?」
指摘した問題点をダンブルドア少年とて想定していただろうと理解しているブラック校長は、それをあえて指摘するという方法で議論をその先へ、つまり如何な方策によって警備体制の強化を実現するのかという具体的な計画を立案する段階にまで進めようとしていた。
「安心と安全は違う。安全は前提であり、求められるのは常に安心だ。親とは我が子の事となると立ちどころに重度の心配性になる生き物だぞ、ミスター・ダンブルドアきみは親たちを納得させられるかね。授業を観覧しに来たのだと偽って誰とも知れぬ下賤の輩が入り込むのではないかという不安を払拭する手立てが何か思いついているのかね?」
「パ゛ォ゙°ォ゙°ォ゙゛!!! バ゛ァ゙ォ゙ン゙゜!!! ヴォ゙モ゙ォーーーー!!!!」
ブラック校長もダンブルドア少年も「生理的衝動の行き場がないグラップホーン」の鳴き真似を続ける7年生を、徹頭徹尾、この場に居ないものとして扱っている。
壁を埋め尽くすほどに並んでいる歴代校長の肖像画たちは当初こそ迷惑そうに顔を顰めていたが、その一心不乱な鳴き真似があまりに長い時間続くので、5分ほど過ぎた頃にはデクスター・フォーテスキュー翁もマダム・フィリダ・スポアも心配そうな表情を浮かべ始めていた。
「僕は心配していませんよ。だってブラック校長がいらっしゃいますから」
ダンブルドア少年は堂々と微笑みながらそう言い放ち、ブラック校長の眉が片方だけ動いた。
「モ゙゜ォ゙゛ォ゙ !!! バ゜ォ゙ !! グヴォ゙ォ゙ォ゙ーーーーー!!!!」
一部の肖像画たちから正気を疑われ始めていることに気付いてもいない様子で、その7年生は去年ポピーちゃんと一緒に練習した自信作の芸を披露している。
フィッツジェラルド先生を始めとするいくらかの肖像画たちはその物真似がソックリだと理解できていたものの、それでもこの7年生が何故いまグラップホーンの鳴き真似を始めたのかはサッパリ解らず、結果として他の多くの肖像画の先生方と同じようにすこぶる困り果てて苦笑していた。
ああいう時のグラップホーンは決まって疲労困憊で動けなくなるまで暴れ続けるので、その鳴き真似も自分が疲れ果てるまで続けるべきだというのが、この7年生とポピーの共通見解だった。
ブラック校長としては実施するとなると面倒な、ただ有意義なだけに留まるアイデアなどは却下してしまいたいところだったが、ダンブルドア少年はブラック校長が差し挟む疑義に対して、ことごとく無下にし辛い言葉選びで反論してくる。
提案するだけなら楽でもそれを実際に執り行うには測りがたいほどの準備と苦労が不可欠なのだと、お前たちは提案するだけで準備も運営も手伝いはしないだろうとブラック校長は痛烈に指摘したかったが、ただ唸るばかりで何も言えなかった。
「…………なんですかブラック校長? 僕ブラック校長ならできるって、信じてます!」
真っ直ぐにこちらを見つめてそう言ってくるダンブルドア少年の真摯な表情に、今年で8歳になる末息子アークタルスの世界一可愛いお顔が、ブラック校長の認識の中で重なってしまったのだ。
事ここに至ってブラック校長は冷静さを保ち心の変化を表情や態度に出さないようにと考えて遂に閉心術を行使し始めたが、ダンブルドア少年はそのようなブラック校長の胸中の動揺になど一切気づかないまま、もうちょっと気楽に笑ったら生徒に人気だっていくらか出るんじゃないか、とかそんな無礼な提案をするべきか、それともやめたほうがいいのか悩んでいた。
「ウ°ォ゙ォ゙ーーー!! ヴォム゙!! バ゜ァ゙゜オ゙ーーー!! ァ゙ォォ……、ォ゙…………」
ブラック校長とダンブルドア少年に無視されながら、その7年生はメスに拒絶されて狂乱した末にグラップホーンが感じた寂しさや無力感までも鳴き声で表現してみせる。
もしもあの魔法生物学者ニュート・スキャマンダーがこの場に居たならば彼はこの鳴き真似を賞賛しただろうが、残念ながら1892年はニュート・スキャマンダーが生まれるより5年も前だった。
「校長先生もしかして斬れ味の良い大きな斧とか持ってませんか? 今ちょうど使い道が――」
「バ°ォ゙ モァ゙!! グォ゙ぉア゙ア゙あそうだブラック校長、生徒の家族が授業を見に来るんですから、そうなれば当然ブラック校長だってシリウスくんとかフィニアスくんが授業受けてるところをご家族と一緒にご覧いただけますよ。むしろ校長が率先してこの催しの趣旨をお示しになるというのは僕ら生徒にとっては誇り高くすらあるんですが、どうですか? やりません? このイベント」
その7年生が急に正気に戻ったせいでダンブルドア少年や壁に並んだ歴代校長の肖像画たちと共に目を丸くして硬直してしまったブラック校長が、自分がこの2人の生徒と今まで何の話をしていたのかを思い出して「よかろう」と返事するまでには、10秒近い沈黙の時間があった。
「さっきからまるで発情したのにメスに相手してもらえなくて暴れてるグラップホーンみたいな声が廊下にまで響いてきてたけど、お前さん一体なにをしてるんだいフィニアス」
そう言いながら校長室に入ってきたヘキャット先生の姿を見て、それから視線を先輩へと移して、そして再びヘキャット先生を見て、ダンブルドア少年は先輩が一心不乱に続けていた鳴き真似はとても完成度が高く真に迫っていたのだと悟ったが、なぜ先程急にそれを始めたのか、またそれを唐突に中断したのかは、どれだけ考えても理解できなかった。
「ヘキャット先生ヘキャット先生、生徒の家族に授業を見物しに来てもらおうっていう僕のアイデア、ブラック校長が採用してくれたんですよ! アルバスが説得してくれたんです!!」
「そりゃ喜ばしいことだけどお前さんには今から罰則があるのを忘れてないだろうね?」
ヘキャット先生の静かな迫力を湛えた目で射抜くかのように見据えられても、その7年生はすこぶる嬉しそうに笑うばかりだった。
「覚えてる!! ねえねえヘキャット先生きょうはどんな罰則するの? 首刈りひざまくら?」
「そりゃ戻ってからのお楽しみだよ。――邪魔したねフィニアス。この子たちのアイデアを本当に採用するのなら他の先生方には私から知らせておくけれど、どうするんだい?」
却下するならこれが最後のチャンスだと、ブラック校長は理解している。
ヘキャット先生が今この校長室に入ってきたというのはつまりさっき変更したばかりの合言葉をヘキャット先生にも言い当てられたのだという事実には、ブラック校長は未だ思い至っていない。
「……ウィーズリー先生には、私がこれから知らせに行く。他は任せる」
そう通達したブラック校長の表情は、まるでグリフィンドールのシーカーがスニッチを掴む様を見せられたかのように苦々しげだった。
「すいませんブラック校長。先輩がお騒がせしました。僕は授業があるのでこれで失礼します」
「きみはまたいつでも来てくれて構わんぞミスター・ダンブルドア。しかし次からはそこの不届き者はどこかに収監しておくか、さもなくば鎖に繋いで口輪も嵌めてから来たまえ」
できる限り努力しますけど確約はできませんと正直に述べてから、ダンブルドア少年は既に校長室から出ていってしまった先輩とヘキャット先生を追いかけていった。
「そうだヘキャット先生。僕ねヘキャット先生にもヒマラヤのお土産買ってきたんだよ!」
「それはいいけどお前さんには今から罰則があるよ。授業中に食事をするのは別に構わないけど、それをやめろと言われてもやめないのは許容できない。わかるね?」
闇の魔術に対する防衛術の教室まで戻ってきたヘキャット先生は、連行してきた7年生をテーブルの前の椅子に座らせた。
「お前さんは、これが何か判るね?」
ヘキャット先生がそう言いながら取り出したのは、片手では持ち上げられなさそうな大きさの、先端が丸まった円錐形の、白い塊。
「知ってるよぉ。シュガーローフだよね。お砂糖の塊。それがどうしたの?」
「お前さんにはこのシュガーハンマーと、砂糖鋏と、それにこの縫い針と、インクと羽根ペンと羊皮紙を1枚だけ支給する。魔法は使っちゃいけない。解ったかい?」
解ったと返事をした7年生だったが、しかしまだ何をさせられるのか察せていない。
「レダクト。と、魔法を使っていいんなら楽なもんだね…………ほら。これがお前さんの罰則だ」
大きな砂糖の塊はヘキャット先生の呪文によって大小さまざまな破片といくらかの粉へとその姿を変え、ヘキャット先生はその粉砕された砂糖の瓦礫の山の中から握りこぶしくらいの大きさの塊を取り上げて、本日これから罰則を受ける7年生の前に置いた。
まだ食べてはいけないことだけは、その困った首席の7年生にも理解できている。
「これをどうするんだいヘキャット先生?」
「数えるのさ。その塊から粉の砂糖が何粒できるのか。実際に砕きながらね。ほら始めた始めた」
何を言われたのかを理解するために3秒を必要としてから一気に表情が蒼褪めた首席の7年生が鋏で少しずつ砂糖の塊を細かくしていくのを見ながら、ヘキャット先生は満足げに笑っている。
これこそが、後にも先にもただひとつだけ、この1892年度に首席の片方を務めたおかしな生徒が、心の底から恐れ慄いた罰則だった。
シュガーローフと呼称される砂糖の塊は粉の砂糖を固めて作るのではなく液体の砂糖を型に流し込んで作るもので、それすなわちシュガーハンマーや砂糖鋏といったような金属製の道具が必要になるくらいには硬いということだった。
「散らばってかないようにしないと……ンァァ硬いナァ……ン゛ニ゙ャッ! ……よおし砕けたぞぉ」
まだ始めてから1分も経っていないのに、その7年生の心はもう既に折れかけていた。
「ヘキャット先生ヘキャット先生グラップホーンの鳴き真似に興味ありません?」
「口じゃなくて手を動かさなきゃ終わらないよ」
その7年生がどうにかして罰を軽くしてもらおうとあれやこれや提案する度に、ヘキャット先生はピシャリとそれを却下するのだった。
レストレンジ家の家訓が「
レガ主とポピーちゃんは絶対に2人だけで魔法生物の声真似や形態模写を披露しあっている、という確信が私にはあります。