2年後もしくは106年前   作:requesting anonymity

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 昼食の時間が終わってもまだ、その7年生は罰則から解放されていなかった。

 石のように硬い砂糖の塊を砕いて粉にし、その粉末が何粒あるのかを一粒ずつ数えるという果てのない作業は、1分たりとも静かにしていられないような元気いっぱいのティーンエイジャーには、ディメンターのキスにすら匹敵し得る、極めて重い刑罰だった。

 それも生者ではなく死者に与えられるような、永遠に続ける前提で考え出されたような無限とも思える地獄の極刑である。

 5年生でホグワーツに入学する前の年、1889年に出会った最初の人間の友達であるウィンストンくんに「死んだ後はどうなるの?」と訊いた際に伝えられた物語を、その青年は未だ覚えている。

 シャワールームを知らないような奴に主の救済がどうとか洗礼の有無がどうとかいう正確で長い話を聞かせても無駄だと察していた当時14歳のウィンストン・レオナルド少年は、普段この不思議な秘密の友人に知識を与える時そうしているように、極限まで単純化して話をした。

 

「ウィンストンくんが教えてくれたんだよね。悪いことしたひとが死んだ後に行くところと、悪いことしてないひとが死んだ後に行くところは違うんだって。フィグ先生は悪いことしてないから、ミリアムさんとおんなじところに居るんだよ。あったかいところでね、懐かしい皆に囲まれてね」

 

 青年が口にしたのは独り言だったが、ヘキャット先生はその私語に寄り添う言葉を投げかける。

「私とかマチルダとかフィニアスとか、他の先生たちの言う事を聞かないのは別に構わないよ。だって私たちは誰もエリエザー・フィグじゃあないからね。けどお前さんね。サロウとかゴーントとかスウィーティングとかタッカーとかオナイとかタグウッドとか他の皆の、お前さんの友達の言う事は聞かなくちゃあいけない。本気で叱ってくれる友達なんてのは、普通お前さんみたいに大勢居るもんじゃないんだから。タッカーに『ダメだ』って言われたのに食べ続けたのは、よくない」

 

 青年はヘキャット先生にお説教されながら、砕いた砂糖の破片をさらに細かく潰してできたいくらかの粉末を縫い針でひとつずつ数え、という一文字を羊皮紙に羽根ペンでひたすら並べていく。直線を1本ずつ引いていけばちょうど10で一文字が完成するルーン文字のは数をメモするのにぴったりだと、去年アミットが教えてくれたのだ。

 既に何枚もの羊皮紙が同じルーン文字でびっしりと埋め尽くされていて、それは文字が並んでいるというよりむしろ網の目を模写したかのような緻密さによって見るもの全てに得も言われぬ近寄りがたさを感じさせるが、石のように硬い砂糖の塊を砕いてできた粉を数えるという哲学のような作業は未だ、10分の1すらも終わっていない。

 

「んねぇヘキャット先生。僕このままだとこれやってるだけで卒業しちゃう気がするんだよね」

「罰則やったって別に科目の成績は上向かないから、それやってるだけじゃ卒業できないよ」

 

 青年が鋏で砂糖の塊を細かい破片にし、それをハンマーで粉にして数えて羊皮紙にメモする作業の音だけが、その青年とヘキャット先生の2人しかいない闇の魔術に対する防衛術の教室に響く。

 青年が数え終わった分の砂糖の粉がひとりでに宙に浮かんでヘキャット先生の手元にある広口瓶の中へと収まっていくのも、別にヘキャット先生の慈悲ではなかった。

 

 数え終わった砂糖をどうするかが考えに含まれていない青年によって教室の床が一時的にでも砂糖まみれになることを嫌ったが故にそうしているヘキャット先生は、いつ終わるとも知れない作業を続けている青年の表情をじっと観察している。

「5328、5329。…………5330で、残りのお砂糖がまだこんなに。んぁええ? 1万よりずっと多そうだね。……あれぇ? そう言えば9999万9999に1を足すとぉ……なにになるんだろうな?」

 一昨年に15歳でホグワーツに入学するまでロンドンの下水道網でネズミに囲まれて生活していたが故に初等教育がすっぽ抜けているその7年生の青年は、「万」の次の単位を知らなかった。

「きゅうせんきゅうひゃくきゅうじゅうきゅう、の次が1万なんだから、9999万9999の次にも、たぶん何かあるよねぇ。なんだろな……1、じゅう、百、千、万……んん、よし。わかんないからセバスチャンにしよ。9999万9999たす1は、1セバスチャン。よおし僕が決めましたよ。えらい」

 

 また次なる破片を念入りにハンマーで砕いて粉末にし、その粉が何粒あるのかを5331から再び数え始めた青年は、いま集中を切らしたら二度と作業を再開できないと理解していた。

 とうに尽き果てている根気を無理やり保とうとして保ちきれていない青年がそろそろ限界を迎えようとしている現状には、ヘキャット先生も気付いている。

 

「失礼しますヘキャット先生、今いいですか――おや、きみそれまだやってたのかい」

 そして青年とヘキャット先生しかいなかった教室にアミット・タッカーが入室してきた瞬間、その青年の気力は尽きた。

「…………ヘキャット先生、これはどういう罰則ですか?」

「そこの砂糖を粉にして、粉が何粒あるのか計数するのさ。魔法なしでね」

 ファイア・ウィスキーに催眠豆を入れて飲み干したかのように虚ろな目と白い顔をしている青年を一瞥してから、アミット・タッカーはヘキャット先生にひとつだけ確認する。

 

「手伝っても構いませんかヘキャット先生?」

「許可しよう」

 

 これからアミット・タッカーが何をしようとしているのかを、ヘキャット先生は察している。

 アミットが思いついた方策は、この罰則の想定解答だった。

「きみが数え終わった砂糖はどれで、いくつまで数えたんだい?」

「数え終わったやつ? んとね5352だよ。数えたお砂糖はねぇ……アレぇそういやどこだろ」

「ここだよ。この瓶の中さ。床にバラ撒かれたくなかったからね」

 

 お借りしますと断って、ヘキャット先生からその瓶を受け取ったアミットが持ち出したのは、魔法薬学で使用する真鍮製の秤。

「きみが数えたこの瓶の中の、これだけの砂糖が、これで5352粒あるんだね?」

 アミットが確認し、青年は頷く。そしてアミットは瓶の中に収められていた「計数済みの砂糖」を瓶から出して計量し、羊皮紙に羽根ペンでその数値を記録する。

「で、こっちの、この大きい破片とか小さい破片とかを全部数えればいいんだよね?」

 続いてアミット・タッカーは、青年がこれから数えなければいけない残りの砂糖を秤で計量し、その数値も羊皮紙に羽根ペンで書き記す。

 

 そしてアミット・タッカーはそのまま羊皮紙の上で羽根ペンを走らせて、青年が数えるべきだった砂糖の粒の数と、ついでに粉末の砂糖1粒の重量も計算で導き出した。

 

「総数は概算で、1粒の重さは平均値ですけどね。なにせ砕くところからやっている以上、1粒あたりの重量が均一なワケありませんから。けどただ砕いて数えるのは現実的ではないですし、こうでもしないとヘキャット先生の貴重なお時間をどれだけ浪費してしまうやらわかりませんので――」

 

 ヘキャット先生が「レイブンクローに10点やろう」と宣言した一方、残りの人生を全部この作業だけで消費してしまうのではなかろうかとすら思い始めていた青年は、自分が諦めつつあった難事業をものの数分で完了してしまったアミットを、驚愕と尊敬と脱力感が混ざりあった滑稽な表情で、これ以上ないくらい目を丸くして見つめている。

 

「えぇ??? えっ、えっ?? ねえアミット僕すんごい時間かかっ……そっかあ…………」

 

 なぜ自分の目から涙が止めどなく溢れてきたのか、その青年には解らない。

 

「僕、アミット僕ね、がんばって数えたんだよ」

「そうだね。お疲れ様」

 アミット・タッカーはあくまでもその青年を労うだけで、罰則を課される原因になった行いに関するお説教を始めることもなく、諭すような発言もしなかった。

 

「ヘギャットせんせごめんな゙さい…………」

 そうするように促されている気がしたので、青年はヘキャット先生に謝罪した。しかしヘキャット先生は、その謝罪を受け入れない。

「謝る相手が違うだろう。お前さんが今回言う事聞かなかったのは私かい?」

「…………あっ、アミッ……アミット、ごめんね」

 誰より優秀で誰より頼れるのにニフラーの赤ちゃんより目が離せない友人の顔をまじまじと見て、アミット・タッカーは笑ってしまった。

 

「実技じゃないお勉強も頑張れば、きみにだって僕が今やったような近道ができるようになるよ」

「まほう?」

「計算。ヘキャット先生、もうこのあたりで赦してあげてほしいんですけど、どうですか」

 同級生の誰かがそのうち助け舟を出しに来るだろうと最初から予想していたヘキャット先生は、アミット・タッカーに確認されるまでもなく、元よりその青年に充分な反省の色が見られれば、作業完了を待たずして罰則を終了するつもりだった。

「……いいよ。できれば自力で『ある程度まで計数してから計量して計算する』って方法にたどり着いてほしかったけど、まあ仕方ないね」

 

 やめなさいと言われたらやめるんだよ、ともう一度その青年に念押ししてから、ヘキャット先生は2人に退室を許可した。

「そうだヘキャット先生、僕ねヒマラヤの……あ、いや中国魔法省のおみやげあるんだ。だからね、あのね。これあげる。月餅(ユエビン)っていうんだって。美味しいんだよ」

 その青年が差し出した真っ赤な紙袋を促されるまま開封してみたヘキャット先生は、知っているよりも一回り大きい月餅が登場して目を丸くした。

「桃の月餅だよヘキャット先生。お店のおばちゃん声おっきくて早口で怖かったな! あ、それとねヘキャット先生これもあげますこれ。偃月刀!」

 

「なんだって?」

 思わず訊き返したヘキャット先生に、青年は身長より大きな柄のついた片刃の武器を渡す。

「ヘキャットせんせに似合うと思って」

「お前さんアタシをなんだと思ってんだい」

「強くてカッコいい!」

 

 何か言おうとしてやめたアミット・タッカーに連れられて退室していった青年の姿が見えなくなったあとで、ヘキャット先生は片方の手を気軽に振って青年に科していた罰則の残骸である砂糖やら鋏やらを綺麗さっぱり片付けてしまい、真っ赤な包みから分厚い円形の焼き菓子らしきものを1つ取り出して、齧った。

 

「…………まーったく、手のかかる子だよ。こんな物騒な物どうしろってんだろうね」

 

 青年が置いていった偃月刀を見ながら、ヘキャット先生は月餅をもう一口かじった。

 中国魔法省本部にも何度か赴いた経験があるダイナ・ヘキャットは月餅の味くらい知っていたが、自分で買うのと生徒からお土産で貰うのとでは、同じ品でも味わいがまるで違うのだった。

「こりゃ紅茶が欲しくなるね」

「ディークを呼びましたか?」

 ポンと音を立てて現れた屋敷しもべ妖精に、ヘキャット先生は驚きもせず話しかける。

 

「呼ぼうと思ってたところさ。一緒に月餅食べながらお茶しないかいディーク」

「おやまあ! ディークは喜んでご一緒させていただきます!」

 

 屋敷しもべ妖精のディークはパチンと指を鳴らしてティーセットを出現させ、ヘキャット先生は杖を一振りしてディークのために椅子を創り出した。そのまま1人の魔女と1人の屋敷しもべによってティーポットにもティーカップにもスプーンにも魔法がかけられて、道具が空中を漂って茶葉がどこからか飛来して、独りでに紅茶が淹れられていく。

 

「あの立派な武器をどうなさったのかディークは訊きたいです。討ち入りをなさるのですか?」

「あれね。つい今しがた生徒がくれたんだよ。似合うと思ったそうだ」

 

 その生徒が誰なのかなど、屋敷しもべ妖精のディークは質問しなかった。

 

「――そんでねえ、ゴドリックの背中に乗って飛んでもらってる間にねえ、みんなで星みたんだ。マグルに見られないように雲の上飛んでもらってたから天気関係なくてさ。もうね、めーっちゃ綺麗だったんだから! アミットにも見せてあげたかったなぁーー。ゼノビアもアルバスもポピーちゃんもおめめキラキラにしてお空眺めててね。3人ともすんごいカワイかったんだよ」

 

 ようやく罰則から解放された青年の話を聴きながら、アミット・タッカーは午後の最初の授業が行われる変身術の教室へと向かっている。

「星がいっぱい見えたのかい? ホグワーツから見る夜空くらいに?」

「ホグワーツにだって負けないくらい見えたよ。アルバスの目にも映ってた。けどやっぱり気になるのはあの相柳(ジャンロー)を連れてっちゃったすんごい眩しいでっかいやつと、鳳凰かと思ったら違った石頭のやつだなー。あれなんだったんだろうなー? 魔法生物なのかな」

 アミットは物知りだから何か心当たりがあるのではと本気で期待して質問しているその青年に、アミット・タッカーは至極当然の回答をする。

「きみに判んないんじゃ僕にも判んないよ。ほら、お昼食べてないよねきみ。これあげる」

「わあー! ありがとうアミット! これキッチンで貰ってきてくれたんだね?」

 着ているローブの魔法で容量が拡張されたポケットから取り出した大きなパンを渡しながら、アミットは心当たりこそ無いが興味を惹かれた事柄について質問をぶつける。

 

「そのジャンローってどんな奴だい? きみたちイエティ見に行ったんじゃないのかい?」 

「えっおねジャンおーあえ、むぉいしいねぇこのパン。エいエあーぐらいおっきいヘビぇね、あたぁが9こあっむㇸね、んむ。あむ、そんでね――」

「ごめんごめん、食べてからでいいよ食べてからで」

 

 そうかいじゃあそうすると返答したつもりの青年は、口の中にみっちり詰め込んだパンが溢れないように口を閉じたままそう発言したので何ひとつマトモに発音できていなかったが、アミット・タッカーは親切にも青年が何を言おうとしたのかを理解して微笑んでくれたのだった。

 一方、彼らが今向かっている変身術の教室がすぐ目の前にある中庭では、授業開始まで未だ少し時間があるのに既に集まっている一部の7年生たちが、壁際のベンチとその前の芝生に固まって座ってのんびりと食後のひとときを過ごしていた。

 

「ソイツが『貔貅』かスウィーティング。…………本で読んだことはあったが、実在するとは」

 

 ベンチに腰掛けているポピー・スウィーティングの膝の上で熟睡中の、丸い身体と短い手足がカラフルな毛並みに覆われた猫くらいの大きさの幼いその貔貅(ピィーシォウ)が大きな口をむにむにと動かしつつ、とても空など飛べるようには見えない小さな翼からも力を抜いてダラリと広げ、フガァと息を漏らして眠り続ける様は、この場に居る生徒たちの注目の的になっていた。

 

 しかし皆の視線がその丸い生き物に集中していたのは、この時までだった。

 

「ニフラーが好んで集めるような種類の物だけを、この子は食べるんだ。それでね。寝るのがすきでね、排泄ってものをしないの。必要がないし、その機能も器官もないんだよ。それでね――そうだサチャリッサ、サチャリッサにお土産があるんだ。アイツが選んだんだけどね――ほらこれ!」

 

 ポピーが傍らに置いていたカバンの中から取り出した大きな鉢植えが視界に入った全ての生徒が、1人の例外も無く驚きの声をあげた。

「うわ、なんだいそれ?」

「げぇ何だその悪趣味な……何だそれ??」

 ヨーロッパの魔法界においてはその名を知る者すら少なく、魔法植物の愛好家や研究者たちの中にさえ実在するとは信じていない者が多いその植物が何なのかを、一目で見抜いたのはサチャリッサ・タグウッドだけだった。

 

 その植物が実在するかどうかはともかくよく知られた逸話については誇張と事実誤認が多分に含まれているはずだというのが、その植物に関するサチャリッサの見解だった。

 

「人参果!! 野生では中国の限られた地域にしか存在してない稀少種よ! ポピーまさかアナタまさかアナタまさか、これを私にくれるの?? 本当に?」

 見た目が面白いから買ってきただけでこの植物についてはお店のおじちゃんの滝壺のような止めどないセールストークしか知らないポピーは、予想の10倍喜んでもらえて、ビックリしていた。

 

「これがそんなに珍しいのか? 僕には単純所持すら違法な闇の魔術による品にしか――」

「何をセバスチャン・サロウ! とんでもない! これ人参果よ、人参果(レンシェングォ)!」

 

 興奮のあまり早口になっているのがサチャリッサ・タグウッドなので、その場に居る7年生たちは皆、闇の魔術の産物にすら見えるこの奇っ怪な物体が実際には珍しい魔法の植物なのだとは察せたが、しかしそれを理解したからといって、即座に困惑が収まるわけもなかった。

「悪いがタグウッド、聞いたことも本で読んだことも無いんだが。……なんなんだこれは」

 ヒュペリオン・マルフォイがそう訊いた横で、ルーカン・ブラトルビーも無言で頷いている。

 人参果という単語自体初耳の者が多い7年生たちの中で、サチャリッサに次いでその奇怪な植物について詳しかったのは、オミニスだった。

 

「じゃあ、『人参果』が、模型とか想像図とか絵画じゃなくて現物が、今ここにあるんだな?」

「そうだよオミニス。きみこれ知ってるのかい? 僕らの目の前に鉢植えがある。普通の木に見えるけど、人間の赤ちゃんがどっさり実ってる。………………笑った……」

 杖の知覚によって補っているとはいえ目が見えないオミニス・ゴーントに自分たちが今何を見ているのかを説明している途中でその鉢植えに実った赤子の1個と目が合ってしまったハッフルパフのアーサー・プラムリーは、途端に赤い丸眼鏡をかけた顔を吐きそうなほどに歪めて黙った。

 

「ノクチュアおばさんが読み聞かせてくれたことがあるんだ。すごい古い外国の本。そういえばアジアの特に東の方の本だって言ってたかな――けど、覚えてるけど。どこまでが迷信でどこまでが事実なのか、どこまで信用していいのかは訊かないでくれ。俺は実在しないと思ってたんだからな――ノクチュアおばさんが読んでくれた本によれば、人参果ってのは、まずアジアの特定の地域の特定の場所にしか生えてなくて、それで……3000年に1回花が咲いて、それが追加で3000年経つと実がなって、さらに追加で3000年かかって熟する。この実の香りをひと嗅ぎでもすればその人は360年生きる。実をひとつ食べれば4万7000年生きられる、と…………されている」

 

 無茶言うなよ、とリアンダー・プルウェットが冷たく突き放すように呟いたが誰もそれを咎めない。説明したオミニスでさえ、解説の内容を事実だとは考えていない。誇張されているはずだと。

 その鉢植えを囲んで見つめている7年生たちだけでなく、周囲の他の生徒たちも集まってきて、みんながサチャリッサの言葉を待っている。

 今ホグワーツに居る中では、もしかするとミラベル・ガーリックを勘定に入れても尚、誰よりも薬草学という分野に精通しているのかも知れない、後に歴史に名を刻むことになる偉大な魔女を。

 

「この人参果が、実を収穫できるようになるまでに永い時間がかかることは事実よ。さすがに伝説ほどではないけれど……それに、人参果が厄介なのはそこじゃあないわ。人参果が厄介なのは、その実がとんでもなく繊細だってこと。誰かが枝に触るとこの実は――つまりこの赤ちゃんたちは死んでしまう。さらにこの実である赤ちゃんたちは見ての通り赤ちゃんの形をしているだけではなくて、五感を備えている。人格や自我といったものは無いし、この実だけで一個の生命として独立しているわけでもない単なる果実だけれど、動いたり笑ったりはする」

 

 人参果の実の1つがきゃあきゃあと声を上げて笑うと、サチャリッサの表情も柔らかくなった。

 

「ちょうどホグワーツに飾られている絵画みたいにね。さらに、この実は金属に触れると落下し、草木に触れると萎れ、水と接触すると溶け、土に触れると土に還る。火に触れると燃えるってのはだいたいの植物が普通そうだから割愛するけれど、とにかく触っちゃダメで、収穫する時は金属製の品で優しく触って、落ちてきたところを布で受け止める。実は布に包んだまま出荷されるのよ。もちろん布には厳重に保護魔法が施されているし、つまりそんな植物だからこの鉢植えにも――」

 

 サチャリッサが人参果の枝へと伸ばした手は案の定、ほぼ透明のブヨブヨした壁らしきものに阻まれる。それはサチャリッサの手が接触するまでは完全に目視できず、まるで水で満たされた革袋のように押せば押すほど押し返してきて、人参果の鉢植えを柔らかく守っている。

「あサチャリッサ私わすれてた。これ。この鉢植えにかかってる保護魔法の管理方法と、この鉢植えの上手なお世話の仕方を店員さんに訊いてきたんだ。これ私そんなに珍しいだなんて知らなかったんだけど、そういえば店員さんも『いつ来ても陳列されてるものじゃない』って言ってたっけ」

 ポピーから手渡された羊皮紙ではないザラザラした紙をポケットにしまって、サチャリッサ・タグウッドは人参果の鉢植えを見つめる。

 ポピーはそれをいくらで買ったのかも誰がそのお金を出したのかも言わなかったが、サチャリッサはどちらも概ね察している。

 

「ちょっと良いかしらポピー。こっちに来てくれると嬉しいのだけれど」

 

 人参果の鉢植えを挟んだ対面で壁際のベンチに座っていたポピーは貔貅を抱えて立ち上がり、芝生に座っているサチャリッサの傍まで言われるがまま寄っていって、サチャリッサに捕獲された。

 ポピーを我が娘かのように強く抱きしめたサチャリッサは何も言わないが、とても感謝されているのだとポピーは少し恥ずかしさを感じつつもサチャリッサの体温から理解している。

 

 どれだけ慎重な取り扱い方をしなければならない稀少な品なのかを説明されても、マルフォイにもリアンダーにもルーカンにも、目の前の鉢植えは闇の魔術と悪意の合作にしか見えていない。

「アナタたち誤解しているようだけれど、これ不死鳥の涙くらいにはありがたがられるべき品よ」

 

 サチャリッサから正しい知識が与えられたとて、それで己の感性を抑え込むのは容易ではなく、第一印象というものはそうそう払拭などできなかった。

「これホントに貴重品だから厳重に保管したいんだけど、しまってもいいかしら?」

「さっさとしまってくれると助かる」

 マルフォイの返答は皆の総意を代弁しているのだと解っているが、サチャリッサは「人参果は忌まわしい品ではないのだけれど」とかなんとかブツブツ言いつつも、これ幸いとその赤ん坊がたくさん実っている立派な鉢植えの隣にローブのポケットから引っ張り出した大きなトランクケースを置き、そのトランクケースを開いてクッキリハッキリと呪文を唱えた。

 

「キャパシウス・エクストリムス!」

 

 検知不可能拡大呪文によって外見には一切の変化が無いままその容量だけを劇的に増大させたトランクケースの中へ、杖の一振りで大きな泡の中に格納した人参果の鉢植えが宙に浮かび上がっていくよりも先に「パック!」ともう一度鋭く唱えてしまい込んだ。

 そしてトランクケースに杖を向けてローブのポケットの中へ移動させると、ふうと息を吐いてから再びサチャリッサはポピーを抱きしめて離さなくなった。

「ありがとうポピー。大切にするわ。私ギャレスと一緒にきっと人参果から――」

「おや、僕の話かいサチャリッサ?」

 

 背後から急に話しかけられたサチャリッサはピクリと目を丸くし、ポピーを抱きしめたまま声がした方向へと振り返る。

「ギャレス! ねえギャレス私ヒマラヤというか中国のお土産を貰ったんだけどそれが――」

 そこまで言葉を発してから、ポピーにもらったお土産を私は今しまい込んだばかりだと気づいたサチャリッサは動きを止め、さっきまで鉢植えがあった地面を一瞥してから、自分がぎゅっと抱きしめているポピーを見つめる。

 

 抱きしめられながら見つめられているので、ポピーもサチャリッサを見つめ返す。

 

「おや、その子が噂のアジアのニフラーかい?」

 サチャリッサに抱きしめられているポピーが抱っこしている丸っこい動物を見たギャレスがそう訊いたのと同時に、その貔貅は目を醒ました。

 

「フガ?」

 

 大きな目を開けたり閉じたりしてから周囲を見回した貔貅は、頭をぐいっと動かしてポピーの顔を見上げている。

「ごはんの時間にする? それとも運動したい?」

 貔貅の目を見つめ返して望みを察そうとしているポピーの頬を、サチャリッサが見ている。

 

「そろそろ授業が始まっちゃう時間よポピー」

 

 ポピーを抱っこしたままヒョイと立ち上がったサチャリッサがすぐそこにある変身術の教室へとみんなを先導して歩き出した途端に、また背後からサチャリッサに声がかかった。

 

「ポピーちゃーん! 僕ねアミットとヘキャット先生にお土産渡した! ポピーちゃんは――あらまポピーちゃんったらお姫様だねえ」

 緩いウェーブのかかったアッシュグレーの長髪を空気抵抗で膨らませながら駆けてきたメリハリのある魅力的な体型をした女生徒の後方から、いま城の中から出てきたアミット・タッカーが、まったく急ぐ様子もなく優雅に歩いてきていた。

 

「あ、こら。もう授業が始まるのよ」

「きみせめて教室の中でやりなね」

 

 スルリとワタリガラスに変身した女生徒はポピーの腕の中から抜け出して地面に降りた丸っこい貔貅と激しく戯れ始めたが、サチャリッサとアミットに窘められて、皆がそうしているのに従って貔貅ともども大人しく自分も変身術の教室の中へと入っていった。

 

「おはよう、みんな。今日はお前さんたちに、ひとつ、新しい呪文を覚えてもらうよ」

「おはようございますヘキャット先生。あの、ヘキャット先生、その大きな武器は一体……?」

 

 先程までこの場で7年生が罰則を受けていたことも、直前までヘキャット先生が屋敷しもべ妖精のディークと優雅にお茶していたことも一切感じさせない、椅子や机が片付けられて広い床面積が確保された闇の魔術に対する防衛術の教室で、ヘンリー・ポッターから投げかけられた当然の疑問に、ヘキャット先生はその長い柄の先に片刃の大きな剣のようなものが据え付けられた「偃月刀」と呼び表される武器を片手に持ったまま、ニッコリと笑って返答した。

 

「似合ってるだろう?」

 

 確かにそれはそうですけど、とか言いたかったが、ヘンリー・ポッターは何も言えなかった。

 

 




 
【人参果】※ハリー・ポッターシリーズの公式設定ではありません。
 五行(木火土金水)に関連する性質を持つ、中国の伝説の果実。3000年に1回開花し3000年かけて実をつけ3000年かけて実が熟し長寿を齎すが、外見が人間の赤ちゃん。なのでお師匠様はドン引きしてしまい、所有者に勧められてもなお食べようとしなかった。猿と豚と水妖怪はこれを勝手にとって食べて持ち主に怒られ、猿が逆ギレして木を伐採して実を全てダメにして激暴れした。
 なにしてんだ流石に。

 人参果の効能と生育期間の無茶さについては、異議は大昔の中華大陸の皆様宛でお願いしたい。

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