2年後もしくは106年前 作:requesting anonymity
ホグワーツの授業を親や家族が見に来るというのは、生徒だけでなく大多数の教員にとっても、高揚感と緊張が同時に去来する特別な出来事だった。
ミラベル・ガーリックもイソップ・シャープもサティヤヴァティー・シャーもエイブラハム・ローネンもダイナ・ヘキャットも観覧者が居ることを前提として「いつもとは少し違う授業を」と計画し、生徒の家族が授業を参観しに訪れるという機会を最大限に有効活用しようとしていた。
しかし、ここにひとつの例外があった。あるいは、ここにひとりの例外が居た。
「らが近視眼的かつ衝動的に敵視していた魔女という存在は我ら魔法族を指す語ではなく彼らの思う魔女らしさを満たす者や支配的価値観から逸脱した者共を指す語であるので当時の魔女狩りが我ら魔法族を見つけ出し駆除するために行われていたという見解は事実を正確に捉えているとは言い難くさらにこれを前提として彼ら当時のマグルが魔女だとして地域共同体から排除した被疑者たちの中に含まれた我ら魔法族の割合は稀少とすら表現できるものであるしその稀少な魔女狩りに遭った魔法族たちも火刑などの暴力的行為によって何ら害を被ることは無かったこれは初歩的な炎凍」
魔法史の教室でグリフィンドールとスリザリンの3年生たちに授業をしているその講師は、半透明だった。それは自分が話している内容をわかりやすく図示したり重要な語句を強調して書いて見せたりといった通常の座学で行われる工夫未満の手順すら一切行わず、ただブーン、ブーン、と僅かに開いた窓から風が吹き抜けるかのような抑揚の無い声で口頭の説明だけを続けている。
その教室に居るほとんどの生徒は既に睡魔に屈していたし、その光景を教室の後ろの方から見学している何組かの親たちも、どうにかこうにかまだ立ったまま、懸命に眠気と闘っている。
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最前列で授業を受けている息子を最後列から見守っている島津忠義公もまた、刻一刻とまぶたに重くのしかかってくる睡魔と懸命に闘っている。
「まったく、ホグワーツの生徒だった頃の気持ちを実に速やかに思い出させてくれるお方だ」
「座席に空きがあるからって座るわけにはいきませんわね。座ったら寝ますわよあたくしも」
「あの、すんません。……もしかしてホグワーツの授業って全部こんな感じなんやろか?」
遠い過去の思い出だったはずのビンズの授業を再び目の当たりにしながらどこか懐かしそうに苦笑いしていた上品そうな英国人御夫婦に、ニホンから来たミスター・リュウサキが声をかけた。
すると御夫婦はミスター・リュウサキの訛った英語をきちんと聞き取って、返答してくれた。
「まさか。魔法史だけが特別なのですわ。ホグワーツの魔法史の講師カスバート・ビンズは見ての通りゴーストですので、仮に解雇したところで、それを認識できるかどうか。それにビンズ先生はご自身が生前行っていた授業を生前と同じように続けているだけなのですから、あたくしと夫が生徒だった頃も、今も、あたくしの父と母が生徒だった頃も、それよりもっと前から、こうです」
寮で友人とやってた丁半博打が教師に発覚した朝みたいな顔をして、ミスター・リュウサキは唸った。このオバケの先生がクソつまらんのはオバケになってしもたからやないんやと、生きとった時からこんな感じの授業をしとったんやと、理解したからこその疲労感だった。
「そらまあ、寝てまうわな…………」
どうやってか眠気に耐えている島津忠宝くんの隣で机に突っ伏している自分の娘の背中を教室の後ろの方から見つめているミスター・リュウサキは、この件で我が子を叱る気にはなれなかった。
なにしろこの「魔法史」の授業の時間は、まだたっぷり残っているのだ。
一方、そんなグリフィンドールとスリザリンの3年生とその親たちがビンズ先生の授業を受けながら睡魔に屈している頃、元闇祓いイソップ・シャープの担当する魔法薬学の教室では、ハッフルパフとレイブンクローの1年生たちが「忘れ薬」を調合しようと頑張っていた。
「――それで、今してる手順は『45分~60分待つ』んだから、あと5分? 10分? どうしてこんなに幅があるのかしら? ねえねえシャープせんせ、あたしあと何分待ったらいいのかしら?」
わからないところをすぐ先生に訊けるというのは、そのハッフルパフの1年生の女の子シャーロット・クランウェルが持つ明確な長所だった。現に今、シャーロットが質問したのが聞こえていたらしいレイブンクローの気難しそうな男子がひとり、質問するなんて真似が許されているとは思っていなかったとハッキリ書いてある顔をして、驚愕の眼差しをシャーロットに向けている。
「素晴らしい。実に鋭い指摘だミス・クランウェル」
シャープ先生のこの返答でレイブンクローの男の子はますます目を丸くして驚いた。
「仰るとおり、この教科書に記されているレシピには『45分~60分待つ』とある。なぜ待つ時間に幅が設けられているのか。これには我らが魔法薬を作ろうとする際の、その時々によって異なる変数が関係してくる。つまり大鍋の材質、その部屋の室温、そして火加減。これらの要素から適切な煮込み時間を算出するために使う公式もきみたちにはいずれ覚えてもらうし自力で算出できるようにもなってもらうが、今日のところは私が適切なタイミングを教えようミス・クランウェル」
シャープ先生が杖を一振りすると、シャーロットと同じく煮込み時間をただ待つしかない1年生たちの大鍋の上に、一斉に砂時計が出現した。それは宙に浮かんでいて、中で砂が落ちている。
「その砂時計の砂が全て落ちたら次の手順に移りたまえ。概ねあと5分くらいだな」
そうアドバイスされたシャーロット・クランウェルは自分の大鍋のすぐ上に浮かんでいる砂時計をじっと見つめ始めたが、それから数十秒と経たずに頭が少しずつ少しずつ右に傾いていく。
砂時計の中でサラサラと落ちる細かな砂を見ているうちに、眠くなっちゃったのである。
「……シャーロット寝ちゃダメだよ。せっかく頑張ったのに、自分の大鍋に涎こぼすよ」
羊のようにくるくるした癖っ毛のフルームくんが右隣からシャーロットに声をかけるが、シャーロットは尚も傾きながらムニャムニャ言うばかりで、起きない。
しかし次の瞬間、シャーロットのみならず如何なる豪胆な子でも飛び起きるモーニングコールが幸運にもシャーロットの耳に届く。
「ここ? 案内していただいて感謝いたしますわ……本当に迷路みたいなお城ね」
「お気になさらず。
その声が聞こえてきた途端にビクリと鋭く反応したのはマグル生まれのハッフルパフ生シャーロット・クランウェルと、もうひとり。
「ママ!」
「母上!」
嬉しそうな声を上げながらバネじかけみたいな鋭い動きで眠気から解放されたシャーロットの後方、魔法薬学の教室の最後列の一番端にいた由緒正しい家系のレイブンクロー生男子のガンプくんもまた、魔法薬作りを頑張ろうとするあまり大鍋とその中身に齧り付かんばかりの姿勢となって丸まっていた背筋を、一気に伸ばした。
いつの間にやらガンプくんの大鍋の上にもシャープ先生の砂時計が浮かんでいて、サラサラと時間の経過と予定時刻までの残り時間を視覚的に知らせている。
魔法薬学の教室に集って「忘れ薬」を作り上げようと頑張っているハッフルパフとレイブンクローの1年生たちの中で、大きなミスをせずにここまで手順を進めてきた一部の者たちの大鍋の上では宙に浮いた砂時計の砂が今にも全て落ち切ろうとしていて、その他の大小さまざまなミスをやらかした者たちの大鍋の上の砂時計はまだいくらかの待ち時間を要すると示していて、取り返しのつかないミスをやらかした数人は工程を最初からやり直したので、まだシャープ先生の砂時計を必要とするところまで魔法薬作りを進められてすらいない。
魔法薬学教授イソップ・シャープは、教室にいるハッフルパフとレイブンクローの1年生たち全員の大鍋の状態を把握している。しかしそれは魔法薬学に精通しているために液面を見れば判断できるという話ではなく、単に1年生たちが行った手順を、全て見届けて覚えているのである。
それは元闇祓いイソップ・シャープの魔法使いとしての優秀さの証明であり、同時に彼の教職への適正の証明でもあった。
「ミスター・オリバンダー、ストップだ」
大鍋に投入しようとした材料が空中に浮いたレイブンクローのギャリック・オリバンダーくんが声のした方を見てみれば、シャープ先生がこちらにまっすぐ杖を向けていた。
「さっきと同じミスをしようとしているぞミスター・オリバンダー。教科書を読み直したまえ」
1年生たちは初心者なので、丁寧に導いてやるべきだとシャープ先生は考えている。
「ん? ……ああ『カノコソウの枝』だ! 『ヤドリギの実』じゃない! あー、そうかぁ……」
レシピのどこを間違えて記憶していたのかにようやく気づいたオリバンダー少年は「横着せずに教科書を常に開いて置いておくべき」という基礎的な教訓を得て、即その学びを実践している。
今シャープ先生は間違いなく生徒を正しい方向に導いたが、しかしこれが、シャープ先生が一部の生徒たちに怖がられている一因でもあるのだった。
「ミス・ヴィリディアン」
「ハァぁいっ!!」
何にも言わずに通り過ぎてくれたらいいなと思っていたのにシャープ先生に声をかけられてしまったハッフルパフのミス・ヴィリディアンは、夜中にこっそり起きてキッチンを漁っていたのがママに見つかったみたいに激しくビクリとその身体を震わせた。
「その砂時計の砂が全て落ちるまできみが行っているこの待つだけの手順の意義は何かね?」
「えっ、ええ? ……あっホントだ解んない…………どうしよう……」
予想通りの返答をし予想通りに慌て始めたミス・ヴィリディアンの柔らかなウェーブのかかった艷やかな黒髪越しに、シャープ先生は指先を少しだけ動かして教科書を魔法で操って捲る。
「基本の用語は教科書の2~6ページだ。一定時間放置するという工程の効果は3ページに記述されている。2年生以降で新しく必要になる教科書にはこれら基礎的な解説は載っていない。つまりきみはできる限り早く、これらの基本的な用語の意味するところを頭に入れておくべきだろう」
シャープ先生のその言葉が聞こえていたらしい別なハッフルパフの男の子が「『煮込む』ってこれでやり方あってたっけ」と呟きながら、大慌てで教科書をめくっている。
結局その男の子はすぐに「あってた……」と安心したらしい声を出したが、それと同時に授業風景を静かに見守っていた親たちの中から1人、高価そうな落ち着きのある深紫のローブを着た奥様が、しゃらしゃらとした優雅な美しさのある足取りでイソップ・シャープに近寄っていく。
「なんだねマクミラ……『ミセス』・ガンプ」
「イソップあなた、生徒を威圧しているわよ。そのお説教中みたいな表情どうにかしなさいな」
ホグワーツの教師に知り合いが居るのは、なにもウィーズリー家だけではない。魔法薬学教授イソップ・シャープにだってホグワーツの生徒だった頃はあるし、当然同級生も旧友も居るのだ。
お知り合いだったんですか母上、とガンプくんは訊きたくなっているが、我慢している。
自分がホグワーツの生徒だった時おなじように生徒だったこの人はもう既婚者だからファミリーネームはマクミランじゃあないと、イソップ・シャープは自分自身に改めて思い出させた。
イソップ・シャープはその学生時代はミス・マクミランだったミセス・ガンプに、恋い焦がれていたわけではない。淡い憧れすら抱いた過去は無く、特段親しかったわけでもない。しかしそれでも、同級生が結婚していて子を産んでいてその子が今もう11歳で自分の生徒だというのは、脇腹に刃物をねじり入れられるような痛みとともに、確実に動揺というダメージを与えてくるのだった。
イソップ・シャープがたとえ既婚者だろうが、たとえ独身だろうが、この生徒は自分の同級生の子なのだと再認識するたびに僅かながら動揺してしまうという点では何も変わりはなかった。
名前を聞いて思い浮かぶのはホグワーツの生徒だった頃の姿なのに、既に親だというのだ。
「……そんなつもりは無いのだから、改善しろと言われて改善できれば苦労はしない」
なんで怒ってるのか言ってくれなきゃわからないよ、と苦言を呈されたが自分としては全く怒っていないという苦い経験を、イソップ・シャープはホグワーツの生徒だった頃に何度もしている。
真顔でいると不機嫌に見える、ただそういう目鼻立ちなだけなのだ。生徒に厳しいと言われるのも、魔法薬学が危険と隣り合わせな上に繊細かつ難解な科目だからそうせざるを得ないだけで、厳しくしたいから厳しくするなどといった底意地の悪い教育方針を採っているわけではないのだ。
「ねえねえシャープせんせ。あたしのおくすりはどうかしら? これであってる?」
だからシャープにとって、一切怖がらず積極的に質問してくれるシャーロット・クランウェルを始めとする少数の生徒は、そのような依怙贔屓は厳に慎むべきだと解っているのに「お気に入り」と言う以外には適切な表現が見つからないのだった。
「問題なく順調に手順を進められているともミス・クランウェル。そのまま慎重に続けたまえ」
「もしかして上手くできてるかどうかって自分でわからなきゃダメだったかしら…………?」
シャープ先生のおめめがそう言っていたような気がしたシャーロットの集中力が途切れかけたその瞬間、シャーロットの大鍋の上に浮かんでいた砂時計の中で、全ての砂が落ちきった。
「あらまあ大変! 時間がきちゃったわ! えっとえっと、ひょうじゅん混合ふんまつ!」
シャーロットがカップ2杯の標準混合粉末材料を乳鉢に入れ、続いてヤドリギの実も4個乳鉢に入れて頑張って粉にする様子を、教室の最前列にいるシャーロットの正面に回り込んできたマダム・クランウェルが幸せそうな微笑みを湛えながら見守っている。
ママに見つめられていることにどうやら気づいていないらしいシャーロットから少し離れた位置では、45分~60分放置するという手順が済むまでの間に次投入する材料を粉末にし終えていたへスパーが、中くらいの細かさってこのくらいであってるかしらと呟きながら、標準混合粉末とヤドリギの実が一緒になった粉を乳鉢から大鍋へと投入している。
「反時計回りってどっちだったかしら……えっと、えっと…………こっちにしましょ」
2分の1を勘で引き当てたへスパー・スターキーは、大鍋の中身に杖を向けて、呪文を唱えた。
そして完成した魔法薬をしばらくぼんやりと眺めていたへスパーの耳に、「できたあ! あら? ママ! ママ来てくれたのね!!」という嬉しそうなシャーロットの声が聞こえてきた。
「――さて、見た限りでは皆、成功したかどうかはともかくレシピを最後までやり通したようだ」
シャープ先生は、教室に集ったレイブンクローとハッフルパフの1年生たちそれぞれの大鍋を、ひとつひとつ今あらためて検分していく。
「完璧な出来栄えだへスパー・スターキー。きみはレイブンクローに10点を齎した」
「ドロドロしたお肉とか目玉みたいな材料が無かったから、わたし安心だったの」
以前特別授業を受けて「頑張る」と決心はしたものの、へスパーは魔法薬学で取り扱う一部のグロテスクな材料がまだ少し苦手ではあるのだった。
「その調子で頑張りなさい。きみは今回手際もとても良かったなミス・スターキー」
続いてシャープ先生はへスパーの隣りのハッフルパフの男の子に「どこを間違えたか判るかね」と厳格な口調で訊き、うろたえる男の子にカノコソウの枝を大鍋に投入したあと鍋をかき回さずに杖を振っていたなと指摘し、それから「あくまでも大切なのは『なぜ失敗したのか』を分析して今後に活かすことだ。原因が判ったら失敗した事自体はさっさと忘れたまえ」とアドバイスした。
そしてそのまま数人が褒められたり窘められたりして、右隣のフルームくんが褒められて、シャープ先生はシャーロットの前までやってきた。
「ミス・クランウェル。きみが作ったこの『忘れ薬』は、完璧ではない。改善の余地がある。しかし、成功しているのか失敗したのかという尺度で評価するなら間違いなく成功している。つまりきみは忘れ薬を見事に作り上げてみせた。そして何より、何度もミスをしそうになっていたが、それら全てに直前で気づいて踏みとどまっていたな。その冷静な判断に10点やろう。……よくやった」
そう言ってくれたシャープ先生がそのまま自分の左隣の子を講評し始めたために「まだ静かにしてなきゃダメだわ」と思ったらしいシャーロットは両手で自分の口を抑えたまま、飛び跳ねたいのを頑張って我慢している。しかしその目は溢れんばかりの嬉しさで煌めいていて、そんな娘の顔を正面から見ているマダム・クランウェルもまた、娘そっくりの顔で嬉しそうに微笑んでいる。
娘が作り上げた魔法薬とやらがどの程度難しいものなのかはよくわからないが、それを作っているシャーロットの姿は永遠に眺めていたいと思わされるほど微笑ましいものだったのだ。
小さな手で材料を量り、刻み、潰し、大鍋をかき混ぜ、杖を振って呪文を唱え、まんまるの目とふわふわのほっぺをギュウッと引き締めた真剣そのものの顔で大鍋を見据える。そんなシャーロットの作業風景は、母親であるマダム・クランウェルが今日ホグワーツにやってきた目的そのものだった。愛する末娘のシャーロットがホグワーツでしっかり頑張っていると確かめられて、マダム・クランウェルはようやくリラックスし始めていた。
「ねえねえおばさま。おばさまはシャープ先生のお友達なのかしら?」
「そうよお嬢ちゃん」と学生時代はミス・マクミランだったミセス・ガンプが答えると、途端にシャーロットは大きな声とともに驚きを顔いっぱいに表明した。
「まーぁ! シャープ先生にもお友達がいたなんて、あたしびっくり! 独りぼっちじゃなかったのね! 良かったわねシャープ先生! これで安心!」
「ちょっとなんてこと言うのシャーロット! 失礼でしょう! すいません先生この子ったら」
構いません些細なことですからとマダム・クランウェルを宥めるイソップ・シャープの姿を眺めながら、レイブンクローのガンプくん以外にも何人もの生徒がクツクツと笑いをこらえていた。
先程までのリラックスが嘘かのように慌てているマダム・クランウェルとは裏腹に、シャーロットは相変わらず「シャープ先生にお友達がいたなんて。皆が知ったらビックリするかしら!」とこれからやることを思い浮かべて嬉しそうにしている。
そうして全員の講評を終えて「授業はここまで」と宣言したシャープ先生に「ありがとーございました!」と元気いっぱいにご挨拶して次の授業へ向かっていったシャーロット・クランウェルの足取りには、魔法薬を上手く作れたという喜びと達成感が如実に表れていた。
「……ん? ああ授業が終わったのか。……おいシマヅ何をどうしたら脚がそんな血だらけになるんだ。僕が寝こけてる間に何をしてたんだお前」
隣に座っているスリザリンの男子から疑問を呈されたグリフィンドール寮所属のマホウトコロからの交換留学生シマヅくんが履いている制服のズボンは右太ももの辺りがズタズタになっていて、そこから先が浸したかのように血で染まっている。
「授業を受けていた」
「癒務室に連れてってやるから、お前1回マダム・ブレイニーにちゃんと叱られろ」
シマヅくんがこの魔法史の授業で眠気に屈さないためにどういう手段を採ったのかを悟ったそのスリザリンの3年生男子は、弟を諭すような真摯な表情でシマヅくんにそう宣告したのだった。
「ほひょえ……んんむぁ授業終わりか。うーわタダちゃんどないしたんその足!」
スリザリンの3年生男子とは反対側、シマヅくんの左隣で睡魔に屈していた同じくマホウトコロから来た交換留学生のミス・リュウサキが大きな声を出したことで、教室の最後列で睡魔に屈していた親たちも目を醒まして立ち上がり、その中から1人の燃えるような赤毛の魔法使いがシマヅくんのすぐそばまで歩いて寄ってきた。
「おーやまあ。スッゴいんだな、きみ。そうまでして起きてたやつは同級生に居なかったよ」
「…………
「確かに。僕いま無礼だったな……はじめまして。僕はユーウェイン。ユーウェイン・ウィーズリー。グリフィンドールの7年生にギャレスっているだろ? あれ僕の弟なんだ」
マホウトコロからの交換留学生2人を見たいがために弟の受けている授業ではなくわざわざ魔法史の教室に来ていたユーウェイン・ウィーズリー、ギャレスの4人いる兄たちの中の最年長者たるウィーズリー兄妹の長男は、自己紹介しながらシマヅくんの膝に杖を向ける。
「エピスキー。いくら簡単に治せるからって、あんまり褒められた手段じゃないかな寝ないためにそんな流血するのは。だってほら、お友達が心配してるだろ?」
後ろで寝てた僕が言えた立場じゃないけど、と付け加えて爽やかに笑ったその燃えるような赤毛の魔法使いの言葉には、不思議な聞き心地の良さを伴った静かな説得力があった。
「言う通りだな。次からは控える。治療してくれたこと感謝する」
滑らかな英語でそう返答して頭を下げたシマヅくんを横目に見ながら、今しがたシマヅくんをマダム・ブレイニーのところへと連行しようとしたスリザリンの男子生徒だけは、あっさり治してしまったユーウェイン・ウィーズリーを、何か言いたげな憮然とした表情で睨むのだった。
「それにね、眠気を払拭したいだけならこんな深々と刺さなくていいだろ?」
そう指摘したら目から鱗が落ちたらしい驚きの表情になってしまったシマヅくんを見て、ユーウェイン・ウィーズリーは呆れ混じりの笑い声を上げた。
しかしその笑顔がこれまたとびっきり爽やかで、教室中の女子たちが俄に色めき立った。
ビンズ先生はとっくに壁をすり抜けて教室を去っていて、既に次の授業へと移動を開始している生徒もいる。生徒たちと同じように授業中は睡魔に屈していたほとんどの親たちも、このまま続けて我が子の授業を見る者や興味のままに全く別の学年の授業を見に行く者など、各々が各々の目的地へと移動し始めている。
ただ1人授業中ずっと起きていた島津忠義公が未だ直立不動のままでいるのは、親たちすら眠ってしまうという体たらくに憤っているからでも、呆れているからでもない。彼は魔法界自体慣れない上、ここは遠い異国の魔法学校なので、案内してもらわなければ移動などできないのだ。
「次の授業はなんだっけシマヅくん」
「魔法生物学だ」
このまま我が子の授業風景を見守るつもりの島津忠義公を、さらなる驚きが待ち受けている。
そして同じ頃、箒飛行の授業を終えて次なる授業を受けるためにホグワーツ城内を移動していた11歳の小さなアルバス・ダンブルドア少年は、最大級の障害物に行く手を塞がれていた。
「やあアルバス」
「食べ物なら持ってませんよ先輩」
そっけなくあしらって素通りしようとしたダンブルドア少年だったが、話しかけてきた7年生の女生徒に両手で頬を挟まれて引き止められた。
「僕いまから変身術の教室まで移動しなきゃいけないんで急いでるんですけど」
「アルバスにプレゼントがあるんだよね実はさ。ほらこれ。これあげる…………アレぇ?」
得意げにローブの内ポケットから何かを取り出そうとした7年生の女生徒はそのままポケットを探り始め、アレぇおかしいなあ無いなあどっかやっちゃったのかなあと呟きながら、ダンブルドア少年が見ている前でどんどんとその表情がションボリと翳っていく。
「僕もう行きますね。どこに忘れてきたのか思い出したら話だけは聞いてあげます」
「やぁだアルバスおいてかないで!! 待ってホントにあるの! ある! 今すぐあるから!!」
あるから待ってと訴えて泣きそうな顔でポケットの中やいくつも持っている旅行カバンの中まで探し始めた先輩の姿があまりにも哀れだったので、ダンブルドア少年は待ってあげることにした。
すると程なく、その7年生の女生徒の探し物は、天井をすり抜けてやってきた。
「ヘイ我らが空っぽ脳みそどの。忘れもんだぜ」
「あーーー!!! ピーブズ見つけてくれたの? どこにあったの? ありがと大好き!!」
「どこってお前がさっきまでいた
そっかあそっかあと繰り返しながらピーブズから受け取ったその品物を、7年生の女生徒はそのままアルバス・ダンブルドア少年に手渡す。
「アルバスこれあげる!! これねえ僕がねえ今朝早起きして渡してきたんだよ!!」
先輩が何を言っているのかを、ダンブルドア少年は最初理解できなかった。
しかし手渡されたものが簡素なデザインの枠に収められた鏡だと気付いた次の瞬間、アルバス・ダンブルドア少年の頭からは疑問も、先輩の振る舞いに対して言いたかった内容も全て消えた。
「あ。ほんとにお兄ちゃんのお顔が見えた! ねえねえわたしの声が聞こえてるってほんとう?」
「…………聞こえてるし、見えてるよ。……おはよう、アリアナ」
鏡に映っているのはそれを正面から見ているダンブルドア少年の顔ではなく、ゴドリックの谷にある自宅で過ごしているはずの7歳の妹、アリアナ・ダンブルドアの嬉しそうな顔だった。
「『両面鏡』。最初は僕ねえアリアナちゃんとアバーフォースくんとケンドラさんをご招待しようかとも思ったんだけどね、アリアナちゃんはこんなに人がいっぱいいるところ怖いかもしれないからね、アルバスだけ見られるこの方法にしたのさ。今朝ゴドリックの谷に行って渡してきたんだ」
ダンブルドア少年が自分の話をまったく聞いてくれていないのを確認して、その7年生の女生徒はピーブズの目を見てニヤリとしてから、なんとも満足げで優しい笑顔を浮かべる。
そしてお礼を言うのも忘れて鏡の向こうの妹に近況を訊いているダンブルドア少年の背中をしばらく眺めてから、7年生の女生徒はピーブズを伴って自分の次の授業へと向かっていった。
【標準混合粉末】Standard Ingredient
Standard(標準的な)Ingredient(材料)。いくつかの魔法薬のレシピに登場する、おそらくは汎用性が高く需要の多い幾つかの材料があらかじめ混ぜ合わされたもの。
たぶん元々多くのレシピにあった「共通する部分」を誰かが「じゃあコレとコレとコレ始めから混ぜときゃいいじゃん」って思いついて、実際にやってみたら劇的に便利だったんだろう。