2年後もしくは106年前 作:requesting anonymity
その日の朝早く、ハッフルパフの談話室の2階に並んだ女子寝室のひとつにあるベッドの中でポピー・スウィーティングに強く抱きしめられた状態で目を醒ましたワタリガラスは、仰け反ってみたり脚を動かしてみたり翼を動かしてみたり首をめいっぱい伸ばしてみたりと、あったかいお布団とあったかいポピーちゃんからの二度寝を推奨する無言の誘惑を振りほどくために10分ほどモゾモゾと苦闘した末に、どうにかこうにかポピーの腕の中から脱出することに成功した。
ワタリガラスはスルリと女生徒に姿を変え、ベッドから起き上がる。
「ゆくぞお!」
そう声高に宣言してから「皆まだ寝ているので大きな声を出してはいけない」と気付いた7年生の女生徒は、サチャリッサとアデレードとウィラが目醒めていないのを確認して「ごめんね」と、安眠を妨げてしまった友人たちに小さな声で謝罪した。
まだ眠いので寝ていたいが今日の最初の授業が始まる前に、というか朝食の時間になるよりも早くゴドリックの谷まで行って用事を済ませて帰って来るつもりなので、7年生の女生徒は眠い目をこすりながらベッドに背を向けてムニャムニャと歩き出したが、しかしすぐにあったかいお布団が名残惜しくなって、戻りはしないけど見るくらいならと自分に言い訳して、さっきまでくるまっていたベッドを目に焼き付けるべく振り返る。
「……うぉあビッックリしたあ…………」
ベッドの中から上半身だけ起き上がってこっちを見ていたポピー・スウィーティングと目が合って、もう出発するはずだった7年生の女生徒はビクリと猫のように驚いて身体を跳ねさせた。
「ごっごっごっゴメンねポピーちゃん起こしちゃったね僕ちょっと行くところがあるん」
ポピーが起きているなどとは全く予想できなかった7年生の女生徒はまだ心臓がバクバクと激しめに拍動しているしなんだか身体がとても熱い気もするが、しかし今からやることがあった。
「行っちゃヤダ」
ポピーは上半身だけ起き上がったまま、誰が見たってまだ完全には目を醒ましていないと一目で解るふんわりした表情のまま、普段よりもあどけなさを感じさせる柔らかい声で、7年生の女生徒を見つめてたったそれだけお願いした。
そんなポピーの声にも、表情にも、今から出かけようとしていた7年生の女生徒の行動意欲と目的意識を撃ち抜き粉砕せしめて余りある致死性の破壊力があった。
だから仮にこれが7年生の女生徒の単なる好奇心のみに因る自分のための外出であったなら、ポピーは阻止できていただろう。
しかし今回この女生徒がゴドリックの谷へと赴くのは、後輩のためだった。
「んムにゅゔゥゥン……ポピーちゃんったらもう……もう……でもねえ僕ねえアルバスにだってこのせっかくの家族に学校に来てもらえる機会をねえ……楽しんでもらいたいからなー……」
ごめんねポピーちゃん僕しゅっぱつしなきゃと弁明しながら、7年生の女生徒は踵を返してポピーのいるベッドへと戻っていく。
「どこにも行っちゃヤダ……」
ベッドから身を乗り出して固く抱きついてきたポピーをその女生徒はすぐには引き離せなかったし、ごめんね行かなきゃいけないんだと再度説明するまでにも、少し時間が必要だった。
「あのねポピー、アルバスのママさんと弟くんと妹ちゃんはね、ホグワーツに授業を見に来ることはできないんだ。だってブラック校長が許可を出さなかったから。ウィーズリー先生が許可を出すことすら、校長がさせなかったから。『危ない』ってね。けどたぶん危ないからってのは建前で」
「やだ……そのニフラーさんたちも殺しちゃうんでしょ……知ってるんだもん……見たもん……」
ポピーは単に寝ぼけているのではなく、それどころか全く目を醒ましてなどいなかったのだと、ポピーに抱きつかれている女生徒はそこでようやく気付いた。
「ママどこにも行かぁいで……パパもどこにも行かないで……動物さんころしに行かないで……」
何と声をかけたらいいのか、何か声をかけるべきか否か、それとも揺すって起こすべきか。自分と出会う前の、おそらくはホグワーツにも入学していない幼い頃を夢に見ているのだろうポピーが必死で懇願する姿を目の当たりにしながら、7年生の女生徒にはどうしたら良いのかが判らない。
自分にとってフィグ先生がそうであるように、ポピーにとってはパパとママが、夢の中か過去の記憶と思い出の中でしか逢えない存在なのだと、その女生徒は知っているから。
たとえ辛かった過去でも、その中でしか逢えないのなら、「魘されているから」だなんて勝手な理由で取り上げるべきではないと、その女生徒は思っている。
「やだ…………やだぁ……そのこは私がお世話するの…………おねがい……」
パパとママが密猟者で、いろんな土地を転々としながら野営地で育った。それがポピーの幼少期である。ある日ついにヒッポグリフのハイウィングと一緒に逃げ出すまでは。
動物が殺される光景だって何度も見ただろうし、名前をつけて愛着をアピールして「ペット」という肩書きを与えようとしたのにそれでも毛皮や角を「収穫」されて、そうして処理を待つばかりの残骸に成り果てた動物たちもたくさん見てきたんだろうと、その女生徒には容易に想像できた。
ポピーが仲良くなった魔法生物にすぐ名前をつけるのは幼い頃のそんな辛い思い出に起因した行動なのではないかと、パパとママによって密猟されてしまって屠殺されてしまう運命の魔法生物たちを必死で守ろうとしていた頃についた習慣なのではないかと、その女生徒は推測している。
ポピーが名前をつけた魔法生物が、ポピーの両親に、いったいどれだけ殺されたのだろう。
ポピーの両親、アンガスとヴァイオレット・スウィーティング夫妻にしてみればそれは、もしくはそれこそが、密猟だけが、娘を養うための現実的で継続可能な手段だったのかもしれない。
或いはもしかすると密猟者集団の一員同士として密猟をする内に惹かれ合い、そしてポピーが生まれてしまったために必要なお金が一気に増えて密猟から抜け出せなくなったのではないかとも推測できたが、今ポピーに抱きつかれている7年生の女生徒はそんな可能性は、考えたくなかった。
ポピーのパパとママは密猟者だったけれど、密猟以外に生活する術を知らなかったし知ろうとしなかったけれど、それでもポピーのことは愛していただろうと、その女生徒は信じたかった。
邪魔なんかではなかったはずだと。
「やだ…………やなの……つれてっちゃダメ……お友達になったの…………」
ポピーのパパとママにしてみれば「ポピーのためにも」1匹でも多くの魔法生物を屠殺して少しでも多くの素材を採取し1クヌートでも多くの収入を得なければならなかったのだろう。
ポピーのため、というのが建前だったのか足枷だったのかは、想像するしかない。
「やだ……やだ……ああぁぁ………お友達になったのに…………ぁぁ……」
置いていけなくなってしまったポピーを、その女生徒はとりあえず元通りベッドに寝かせた。
そして起こそうかどうしようか迷った挙げ句の妥協案として、その女生徒はポピーの手を両手で握ったまま、ポピーが落ち着いてから出発しよう、と予定を変更したのだった。
仮にポピーが今なにか辛い目に遭っているなら助けてあげられるが、現在ポピーは辛かった過去をただ夢に見ているだけなので、その女生徒にも見守る以外のことは何ひとつしてあげられない。
そうして数分が過ぎた後、ポピーの寝息は唐突に安らかになった。
「きてくれた…………」
ベッドのすぐ傍に居なければ聞こえなかっただろう小さな声でそう呟いたポピーが夢の中でどんな光景を見ているのか、その女生徒には言い当てられるような気がした。
「えへへへ……あなたってやっぱり、ぁひるのさぁくのオーぐぃーだぁ…………」
夢とは脳が記憶を整理整頓する過程で見るものだ、と説明したマグルの学者がいる。仮にそれを今この場では事実だと仮定するなら、なるほど、いきなり全く別の場面に切り替わったり、その唐突な変化に違和感を覚えなかったりといった現象にも、ある程度の説明はつくかもしれない。
マグルの学者の言説が正しいのだとしても、あるいはそれが魔法に関する全くの無知さというマグル特有の克服しがたいハンディキャップに起因する誤った解釈だったとしても、今もうポピーが辛かった過去の夢に魘されていないことだけは確かだった。
「湖畔のあぅじも来てくれたの……? ジェラルドも……ペルセポネも……セプルクリアも……」
ポピーが見ている夢の中にはもう、パパもママも居なくなっているのだろう。ホグワーツに入学する前の幼い頃の辛い過去ではなくもっと最近の嬉しい記憶を見始めたのだろう。
パパとママが夢に現れないほうが穏やかに寝られるというのは果たして喜ばしいのか嘆かわしいのかと一瞬だけ悩んでしまった7年生の女生徒は、しかしすぐにそんな悩みなど振り払った。
「これからずっと幸せでいるんだから、一緒にそうするんだから、良いよね。昔が辛くってもさ」
そう言いながら7年生の女生徒が見つめているポピーの寝顔は今や嬉しそうにすら見えるほどに穏やかで、うっすらと微笑んでいるその口元が、ポピーが今いる夢の中がどのような光景なのかをまるで上映しているかのようにハッキリと物語っていた。
しかし次の瞬間ポピーはいきなり目覚めた。
「ああハイウィングにブラッシングしてあげっ! ……る…………時間……あれ?」
自分で急に出した大きな声にビックリして目を醒ましたらしいポピーは、真っ先に視界に入った見覚えの無い顔の女生徒が誰なのかを、疑問にも思わない。
ただ、その女生徒がすごく不安そうな表情を浮かべていることだけが、ポピーは気になった。
「……どうしたの? 怖い夢見たの?」
ポピーにそう問いかけられて、それがあながち間違いでもないような気がして、その女生徒は相変わらずポピーの手をしっかりと両手で握ったまま、困ったような顔をして笑った。
「勝てないなあポピーちゃんには」
「えっなあに? わたしへんなこと言った?」
その女生徒が笑ったのは、やっぱり覚えていないらしいと確認できて安心したからだった。見たくない夢を見たのが脳裏に焼き付いている朝は、元気を出すのがいつもより少し大変だから。
「ねえポピーちゃん、さっきどんな夢を見てたんだい?」
「んん? えっとね…………あれ? えっとね、そうだそうだ。あなたとね、湖畔の主とね、あとペルセポネとジェラルドとセプルクリアとね。皆でムーンカーフのダンスを見た……気がするな」
楽しかった気がしてるのにあんまり覚えてないやと言って、ポピーは恥ずかしそうに笑った。
「ねえポピー、僕いまからちょっとゴドリックの谷にお出かけしてくるけど、朝食の時間までには戻るからね――おや、きみも起きたのかいフェザーソーン?」
「うん。待ってる。私はせっかく起きたし宿題やろうかな。フェザーソーンもやる?」
ポピーのベッドの隣、サチャリッサ・タグウッドがまだ眠っている枕元にクッションで誂えられた寝床からこぼれ落ちるように脱出してポピーのベッドのすぐ足元まで移動してきた小さなハリネズミのような生き物が7年生の女生徒にヒョイとつまみ上げられてベッドの上までやってくると、ポピーはその幼いハリネズミのような生き物が歩く先にそっと指先を出して突っついてみたり逃げてみたりくすぐったりと戯れ始めた。
「ねえフェザーソーン、あなたも『いってらっしゃい』ってできる? ほら『いってらっしゃい』――わぁぁできてる……! 上手にお鼻鳴らせたねえフェザーソーン」
見分け方を魔法生物学で習うくらいにはハリネズミによく似ている、というか行動の差異で見分けるように教えられることからも姿形はハリネズミそのものだと言える魔法生物「ナール」の子供であるフェザーソーンは今こっちに視線を向けただけで別に挨拶してくれたわけではないんじゃないか、とその7年生の女生徒は思ってしまったが、ポピーが「できてる」と言ってるんだからたぶんあのナールの「フェザーソーン」は今ぼくに挨拶をしてくれたんだろうと、これからゴドリックの谷まで出かける7年生の女生徒は、ポピーの喜びっぷりだけを材料にそう判断した。
「行ってらっしゃい。ほらフェザーソーンも行ってらっしゃいってしてるよ」
そして「こりゃ宿題をやるかどうかは怪しいなあ」と察しつつも忠告はしない7年生の女生徒が「じゃあ行ってくるからね」とポピーにもう一度告げた直後その女生徒の頭の上は目を開けていられないほど激しい炎に包まれて、それが収まった次の瞬間には、既にそこに不死鳥が居た。
自分の方がお前より立場が上でいつも世話をしてやってるのはこっちだ、とでも言わんばかりの堂々とした尊大な態度で、その立派な不死鳥は女生徒の頭の上にとまっている。
「ゴドリックの谷に連れてってくれるかい? ダンブルドアさんってご家族のお宅に」
ベッドの上に寝っ転がって「フェザーソーン」と戯れているポピーを見ながら女生徒がそうお願いすると、不死鳥は翼を大きく広げて長い尾羽根もピンと立てて気取ったポーズをとってから、女生徒もろとも激しく眩い炎に包まれて「姿くらまし」したのだった。
「はい、はいはい! ……誰かしら、こんな朝早くに…………」
その直後、マグルたちに紛れて魔法族も住んでいるイギリス某所の集落「ゴドリックの谷」にある一軒のお家では、3人兄妹を1人で育てる母ケンドラ・ダンブルドアが、まだ寝ている次男のアバーフォースと末娘のアリアナをくれぐれも起こしてしまわないように気をつけながら、こんな朝早くからやってきたらしい非常識な誰かに応対するために2階から階段を降りてきていた。
「アロホモラ!」
玄関から聞こえてきたのが挨拶や他のいかなる呼びかけでもなく解錠呪文だったので、ケンドラ・ダンブルドアは焦った。声からしてまだ子供のようだが、だからといって強盗などではないと安易な思い込みで自分を安心させることは許されていないと考えているからだ。
アバーフォースとアリアナを守らなければいけないのだから。
一家を守る母であるケンドラ・ダンブルドアは杖を取り出しつつジリジリと玄関扉のすぐ傍まで来て警戒し続けているが、しかし、扉は開かない。
アロホモラは通常なら錠を一瞬で開けてしまうはずの呪文なのに、いっこうに開く様子が無い。
「あれぇ? もうちょっと右かなぁ……んやあもっと右っぽいな……ありゃ行き過ぎたや……」
結局そのダンブルドア家の玄関扉がようやく開いたのは、1分近くもガチャガチャぐりぐりと何やら苦戦する音だけが聞こえ続けた後だった。
「ねえケンドラさん鍵をもっと簡単なやつに替えといてほしいな」
「あなたは誰なのかしら?」
「そうだ見て見てケンドラさんこれさっきそこで捕まえたおっきいマルハナバチだよ」
「あなたは誰なのかしら?」
「食べちゃお」
右手に持っていた蜂を口へと運んでしまったその人物は、ケンドラが見た限りでは長男のアルバスより何歳か年上の、3年生か4年生くらいであろう強めのクセがついた栗色の髪を腰まで伸ばしているせいで細身なのにかなり膨張した輪郭をしている人懐っこそうな女の子だった。
服装からしてグリフィンドール生だと最初は思ったケンドラは、しかしその女の子が首に巻いているマフラーだけがスリザリン寮の物であることに気づいて戸惑い、そのスリザリンのマフラーに首席バッジが取り付けられているのに気づいてさらに戸惑い、そのマフラーにあるスリザリンの紋章をよく見てみればそこに本来いるはずの蛇ではなくフィニアス・ナイジェラス・ブラック校長が刺繍されているのに気づいてさらにさらに戸惑った。
そのスリザリン色のマフラーに刺繍されたブラック校長は、歯磨き粉のイメージキャラクターにでも選ばれたんじゃないかと思ってしまうくらいに爽やかな笑顔だった。
「あなたが何をしに来たのか、教えて貰えるかしら?」
このおかしな子はいつもアルバスからの手紙で言及されている「7年生の先輩」かもしれないと察しつつあるケンドラ・ダンブルドアは、未だに警戒はしながらも問いかける内容を変更した。
仮に訪ねてきたのが親戚でも強盗殺人をしに来たのなら有無を言わさず撃退するべきであり、逆に見ず知らずの他人でも目的によっては歓迎できる可能性もあり得ると、すなわち「誰なのか」はアバーフォースとアリアナの安全のためには大して重要ではないとケンドラは察したのだ。
そして今回のこのおかしな訪問者は、幸いにも後者の例だった。
「どうしたの? 何をしに来たのか教えてほしいんだけれど?」
「クちノなカに蜂の針がササッタ…………」
あらまあたいへん診てあげるからいらっしゃいと言ってその女生徒を玄関から家の中へと案内してしまったケンドラ・ダンブルドアと、生きたマルハナバチをそのまま食べたら口の中を刺されたアホ人間の両方を、不死鳥が向かいの家の屋根のてっぺんから静かに見下ろしていた。
「むぎゅぁ!! むゅあ!
「暴れないの。針が刺さったままじゃ治したって仕方ないんだから。ほら口をお開けなさい」
ケンドラ・ダンブルドアは我が子にそうするように、そのホグワーツ生の口の中を診ている。
「エバネスコ。スコージファイ、テルジオ」
「ぃ゙み゙ゃっ! お゙ぉごぼぼぁ! ぶゅあ!」
ケンドラ・ダンブルドアはそのホグワーツ生の口の中に杖の先を押し込んで、頬の内側に深々と刺さっていた蜂の針を消失させ、口の中を洗浄し、拭った。ただ、「スコージファイ」は本来なら皿や魔法薬を作った後の大鍋などに使用する「石鹸でしっかり洗う」呪文なので、ヒトの口の中に投射するのはこの呪文を考案した人物が想定している用法ではない。
そのホグワーツ生の口の中から小さなシャボン玉がいくつも飛び出してきて、部屋を漂う。
「エピスキー。さあ、あなたが我が家に何をしに来たのか、教えていただけるかしら?」
「ふやー、アィガトゴジャマシタ。……えっとね。ケンドラさん今日からホグワーツでね、今月の間ね、生徒の授業を生徒の家族とか親戚が見に来てもいい、っていう催しをやってるんだけどね。それにはブラック校長かウィーズリー先生から事前に届いた『招待状』が要るんだけどね――つまりケンドラさんたちについてブラック校長がどういう裁定をしたか、言わなくても判りますよね」
発言の途中から別人かのように理知的で冷静な声色になったその生徒が首に巻いているマフラーを、ケンドラ・ダンブルドアは一瞥した。そこに刺繍されているフィニアス・ナイジェラス・ブラックを。ただケンドラ・ダンブルドアは、言われずとも察せた「アリアナ・ダンブルドアはホグワーツに足を踏み入れてはならない」という、校長が下したであろう決定が、不服ではなかった。
アリアナの心が特に不安定になってしまった時に起きる「発作」を考えれば、それは当然の判断だと、ケンドラ・ダンブルドアは理解していた。他の生徒の命に危険が及ぶのだからと。
「違いますよケンドラさん。ブラック校長はアリアナちゃんのために、こう決めたんです。だってアリアナちゃんが発作を起こすってことは、アリアナちゃんの心が良くない形で揺れ動いてしまったってことで、それはつまりアリアナちゃんの心が傷ついたってことでしょ? ブラック校長が防ぎたいのはそっちですよ。アリアナちゃんが傷つくこと。だってブラック校長だってベルヴィナちゃんのパパだもの。ベルヴィナちゃんは6歳ですよ。アリアナちゃんのひとつ下。それってつまりおんなじぐらいですよ。だからアリアナちゃんが傷つくのはブラック校長にとって、ベルヴィナちゃんが傷つくのとおんなじ事なんです。ブラック校長、普段あんな人だけどね」
この生徒はどうやら本当に首席にふさわしいらしいと悟って、ケンドラ・ダンブルドアは驚いている。この子はホグワーツの全ての在校生の中で最も優秀な1人なのだと。
「けど、アリアナちゃんが来られないってことは、誰も来られないってことでしょ? アリアナちゃんだけ家に置いてくるわけにはいかないし、アブくんとケンドラさんのどっちかだけホグワーツまで来るってのも賢い判断じゃない。3人ともここに居るしかない。けどそれじゃアルバスが寂しいだろうなって僕おもうんだよね。だってさ他の皆は家族とか親戚が見に来てくれてるのに自分だけさ――だからね、僕これを持ってきた。ケンドラさん、これあげます。『両面鏡』」
そんな申し訳ないです受け取れませんとケンドラ・ダンブルドアは言おうか迷った。
しかし言えなかった。渡りに箒だと思ってしまった。願ってもない助けだと。
「…………これ『きみたちのお兄ちゃんからだよ』って言ったら、アブくん割っちゃうかな?」
「その可能性は大いにありますわ」
まだ2階で寝ている次男のアバーフォースは、兄への対抗心を燃やしているのか素直に甘えられないだけなのか、何かと長男のアルバスに挑むとか貶すとか喧嘩を売るとか拒絶するとか、そういう振る舞いを見せる傾向にあるのだ。
「ですから『お兄ちゃんからよ』って言って、まずアリアナに手渡すことにします。アリアナさえこれを気に入ってくれれば、そうすればアバーフォースは傷だって絶対につけませんから」
2枚1セットでお互い相手に映ったものを映し音も届ける「両面鏡」の片割れを、ケンドラ・ダンブルドアは結局、特効薬でも届いたかのように繰り返し感謝しながら受け取ったのだった。
そして、現在。ダンブルドア家の長男でありホグワーツの1年生である小さなアルバスの目の前の空中に、件の「両面鏡」のもう片方が浮遊している。
本日の2つめの授業である魔法薬学の教室で、最前列の中央というシャープ先生のすぐ目の前の一番いい席を確保して「忘れ薬」を作るべく頑張っているアルバス・ダンブルドア少年は、教科書のすぐ横に、机の上のいつでも視界に入る位置に「両面鏡」を魔法で浮かべて配置していた。
「ねえねえお兄ちゃんそれなあに? なにを入れるの?」
「これはカノコソウの枝だよアリアナ。カノコソウの枝でさえあればなんでも良いってわけじゃあないんだろうけど、僕らが使うものは『これなら使える』って誰かが選び抜いてくれた後のものだから、品質が悪いんじゃないかとか心配しなくていいんだ」
鏡に映った向こうでほとんど貼り付くようにしてこちらを見ている小さな女の子と会話をしながら大鍋を世話しているダンブルドアの声が聞いたこともないほど柔らかかったので、すぐ左隣で同じく「忘れ薬」をつくるために集中力をすり減らしているエルファイアスは驚いてしまった。
「時計回りに3回混ぜて――オブリビエイト!」
アルバス・ダンブルドアによる魔法薬作りは、普段通りに、すこぶる順調だった。
「ねえねえこっち来て! いっしょにお兄ちゃんを応援しましょ!」
鏡に映り込まない位置に居るらしい誰かに声をかけた妹のアリアナが今だれを呼んだのか、アルバス・ダンブルドア少年は説明されずとも察していた。
アブったらアリアナの傍に居てくれてるんだね僕の授業風景なんか見たくもないだろうにと、アルバス・ダンブルドア少年は大好きな弟に心の中で感謝していた。
「うわ、兄さんどうしたんだその背の小ささは。同級生の誰よりチビじゃないか」
「それは元からだよアブ」
鏡の向こうに映り込むなり外見をバカにしてきた弟に嗤われても、11歳のアルバス・ダンブルドア少年の表情は晴れやかで、その視線は暖炉の火のように暖かかった。
「ねえねえお兄ちゃん、授業が済んだらお兄ちゃんのお友達とか紹介してほしいの」
「もちろん良いよアリアナ。紹介したい人がたくさん居るんだ。人だけじゃないけど。アブもさ、見たら僕のことが羨ましくなると思うよ」
あの先輩たしかヤギもいくらか飼ってたよなと、アルバス・ダンブルドア少年は覚えていた。
しかしあの先輩が飼育している動物を見せるというのはつまり魔法省が「見かけたら逃げろ」と忠告している危険生物たちも見せることになるとすぐに思い至って、アルバス・ダンブルドア少年を一抹の不安が襲った。
「いいアリアナ、その鏡を伏せちゃえば、何も見えないからね。それにこの鏡は、鏡だ。映るだけ。見えるだけだ。なんにも心配いらないからね」
「うん。だいじょぶよ。だってアブくんが一緒だもの」
それは、すぐ隣にいるエルファイアス・ドージが「良かったなダンブルドア」と声をかけることすら躊躇ってしまうほどの、労いすら無粋な邪魔になるのではないかと思えてしまうほどに、幸せそうな光景だった。それにダンブルドアのそんな顔を、エルファイアスはこれまで見たことが無かった。今アルバス・ダンブルドア少年が無意識に浮かべている愛情に満たされた柔らかくて暖かい微笑みは、あの7年生の先輩にすら決して引き出せない種類の笑顔だった。
私語は慎みたまえ、とはシャープ先生だって言わなかったし、周囲にいるグリフィンドールとスリザリンの1年生たちも、誰も「集中できないから静かにしてくれないか」とは言わなかった。
その授業を思い思いの位置から見物している大人たちも、誰一人アルバス・ダンブルドア少年の無駄口の多さを咎めたりしなかった。
それは決して、ダンブルドア少年の手際が完璧だからではなかった。
一方同じ頃、5年生たちが新しい呪文を習得しようと頑張っている闇の魔術に対する防衛術の教室では、担当教授である年老いた魔女のダイナ・ヘキャットが、たったいま教室に入ってきた参観希望者の姿を見て、その眉間に大いにシワを寄せて、怪訝そうにその来訪者に声をかけていた。
「…………何しに来たんだいダニエル」
ヘキャット先生が声をかけたので、当然教室中の5年生たちのほとんどもその人物を見る。
その細身の男性は、若い女性のゴーストを連れていた。
「見ての通り、きみの授業を見に来た。不都合があるかねダイナ・ヘキャット上級研究員」
「私が辞めたの何年前だと思ってんだいダニエル。私はとっくに研究員じゃなく『先生』なんだ」
その時、自分たちを間に挟んで会話が続くという状況に堪えきれなくなったらしいヘンリー・ポッターが、その場の全員が抱いていた疑問を、とうとうヘキャット先生にぶつけた。
「あの、ヘキャット先生。この方はどなたですか? 察するにお知り合いのようですが」
そう質問したヘンリー・ポッターは驚いた。なにしろ今朝エデュエイダス・ウィーズリーと遭遇した際のブラック校長と、全く同じ表情をヘキャット先生がしていたのだから。
ヘキャット先生は心底嫌そうに、面倒そうに、来てほしくなかったとか呼んでないとか、そういう拒絶の色を隠そうともしていない顔でヘンリー・ポッターを始めとする5年生たちに紹介する。
「お察しの通り、ダニエルは私の古い知り合いだよ。けれどこの教室に今いる誰の親でも親戚でもない。こいつはお前さんたちじゃなく、私を見物するためにこの教室に来たのさ。こいつはね、私の元上司だ。私が昔働いてた職場の上司。解るかい? このダニエルはね、神秘部の部長なんだ」
ダニエルという名前らしいその男性に寄り添っている女性のゴーストが、リラックスしきった表情でヘキャット先生に微笑みかけている。
ヘンリー・ポッターと同級生たちが見ている前で、1人また1人と、次々にゴーストたちが教室へと入ってきていた。
ホグワーツ・レガシーでの「私は馴染めなかった」というセリフの裏にどれだけの辛い思い出があるのか、ポピー・スウィーティングがゲーム内で具体的に語ることはありません。
だからこそ想像力を掻き立てられるもので、だからこそ「編入生」が魔法生物学の授業でスリザリンの男子とレイブンクローの女子から庇ってくれた時、そしてそれ以降の出来事で、ポピーちゃんがどれだけ嬉しかったんだろうと考えると「最高の1年になった」という言葉にも、プレイヤーがその言葉から受け取るものよりずっと多くの感謝が込められているような気がしています。
次回、その男、ウィゼンガモットの天敵。