2年後もしくは106年前 作:requesting anonymity
「ダニエルだ。ダニエルが来た」
ホグワーツ中のゴーストたちが、その男の話をしていた。
その男の葬儀は1886年に行われ、その男は数多い知人に悼まれながらパリのサン=ジェルマン=アン=レーに埋葬された。そうしたい気分だったからだ。
当時ちょうど学究精神の赴くままに徹夜続きで疲労が限界を超えていたその男はそれから何日か土の中でぐっすり眠って爽快にリフレッシュして、本気で悲しんでくれた友人たちには申し訳ないことをしたかもしれないと思いつつ墓から這い出ると、数カ月ぶりに職場に顔を出した。
英国魔法省神秘部に。
それからは知られざる神秘部の奥底での研究の日々に久しぶりに戻っていたその男は、この度、部下の1人から「ぜひ会ってほしい後輩がいるんだ」と提案されて、母校のひとつであるホグワーツ魔法魔術学校へと戻ってきたのだった。
「やあアントニア。これからお茶でもどうかな。2人っきりで……ゆっくりと」
「えっあっあっ、だっだだダニエル?! 会えて嬉しいけれどっ私は――もう違うけど昔はホグワーツの校長だったので――生徒たちの手前そういうお誘いは、嬉しい、嬉しいけれど――」
大航海時代が植民地支配拡大競争の時代へと移りつつあった17世紀にホグワーツの校長を務め、今もホグワーツにゴーストとしてその姿を残している聡明なる魔女アントニア・クリースワーシーを手慣れたものかのように口説いたその男は、くるりと進む方向を変えて左手に見えていた階段を登り闇の魔術に対する防衛術の教室へと、かつて自分の部下だった魔女の顔を見るために向かう。
「あっ待ってダニエル違うの断ってない――お茶、お茶しましょ……『お茶』……」
心の準備をしようと思ったらその男が去っていこうとしたので、「サー」と敬称される半透明のアントニア・クリースワーシーは慌てながら空中を滑るように移動してその男の後を追った。
そして男が闇の魔術に対する防衛術の教室へと入るなり、そこで5年生に授業をしていたダイナ・ヘキャットは心底から嫌そうな顔をしてその男を睨んだ。
「…………なにしに来たんだいダニエル」
その一言で生徒たちの興味を惹いてしまったダイナ・ヘキャットは、生徒たちにその男の職業と自分のかつての職業を説明しなければならなくなった。自分が魔法省で働いていた頃の上司だと。
その男の姿を一目でも見たいかのように、続々とゴーストたちが教室に集まってきている。
そんな中でダイナ・ヘキャットがその男の背後にくっついて佇んでいる女性のゴーストだけをじっとりと睨みつけたのは、それが誰なのかを承知しているからだった。
「元校長がナンパされて簡単に引っかかってんじゃないよサー・クリースワーシー」
「それは……だっ、だってダニエルは素敵なひとだから……」
普段は物静かで理知的なアントニア・クリースワーシーがこんなふうに感情を表に出してころころと表情を変える様を見たことがある者は、彼女の生前にすらあまりいなかった。
「ダぁニエル」
「何かねヘキャット上級研究員」
「帰っとくれ居てほしくないから」
ダイナ・ヘキャットの、彼女らしくないとすら言える辛辣で酷薄な対応は、かえって生徒たちにその男との親しさを強調して言外に示す結果となっていた。
ヘキャット先生がこんなに親しげなんだからきっとオミニス・ゴーントの父親みたいな危ない人ではないのだろうと安心したグリフィンドールの5年生のヘンリー・ポッターは、ダニエルという名前らしいその男のファミリーネームを察した気になって、早とちりして本人に訊いた。
「あの、ダニエルさんはギャレスの親戚ですか? ダニエル・『ウィーズリー』さん、ですか?」
その男の髪も、短く整えられたヒゲも燃えるような赤毛だったので、ヘンリー・ポッターがそう勘違いするのも仕方のないことだった。しかし、その男はウィーズリー家の親戚ではなかった。
燃えるような赤毛に薄いとはいえソバカス顔の男がウィーズリー家の親戚ではないというのは、ことイギリス魔法界においては、直感に反する事象だと言えた。
「おや、彼らと親戚だと思われるのは光栄だけれど、残念ながらそうではないよ。私のファミリーネームはウィーズリーではないし、把握している限りではウィーズリー家の誰とも血縁は繋がっていない。私はダニエル・ダングラス・ヒューム。イギリス生まれアメリカ育ちの『マグル生まれ』で、最初の1年間だけイルヴァモーニーで学んでホグワーツに転校してホグワーツを卒業した、今ヘキャット上級研究員が紹介してくれたとおりに神秘部の部長を務めている、霊媒師だ」
まーた始まったと、ダイナ・ヘキャットが忌々しげに声を上げた。
「詐欺師の間違いだろデタラメ男」
相手によっては激しい憤りと共に杖を取り出してもおかしくない誹りが自分へとぶつけられても、その男は全く気に障った様子もなく、相変わらず静かな微笑みを湛えている。
「ウィゼンガモットもマグルの科学者たちもそう言うがね。だったら有罪にしてみたまえ」
ウィーズリー家を彷彿とさせる燃えるような赤毛とそばかす顔に、ウィーズリーよりはマルフォイ家の人間かのような青白い肌と、青い目。魔法界の歴史上の全ての
普通はマグルがマグルを騙す際にのみ用いられるその職業を、ダニエル・ダングラス・ヒュームはウィゼンガモットに被告人として召喚された時ですら平然と名乗ったのだ。
「ウィゼンガモットは私が『国際魔法使い機密保持法の重大な違反を犯した疑いがある』とかなんとかしつこいがね。毎度言ってるじゃないか。私が彼らの前で行っているパフォーマンスには魔法なんか一切使用していないと。信頼できる協力者、簡単な仕掛け、事前の練習。これらが魔法だと言うのならマグルだって国際魔法使い機密保持法に違反できる」
ダニエル・ダングラス・ヒュームのその発言で、ダイナ・ヘキャットの眉間のシワがまた深くなった。ダイナ・ヘキャットは今や授業などそっちのけで、かつての上司を睨んでいる。
「じゃあダニエルお前、お前の『交霊会』に疑いの目を向けるマグルにもそう言ったのかい」
ダイナ・ヘキャットがダニエルにこの質問をするのはこれが初めてではない。
「いいや? 彼ら科学者たちは私の交霊会をインチキだと思い込んでいた。信頼できる協力者、簡単な仕掛け、事前の練習。これらで説明できると信じていた。とんでもない! だから私は彼らが『嘘を暴いてやる調べさせろ』と要請してきた時はいつも受け入れてきた。元から存在などしないトリックを探すのは完全に無駄だが、彼らは調べなければ気が済まない様子だったのでね。そしてウィゼンガモットと同じく彼らもまた、ありもしない私の罪を捏造することに失敗し続けている」
この短い時間でもう発言が矛盾しているダニエル・ダングラス・ヒュームが本当に国際魔法使い機密保持法に違反したのかはヘンリー・ポッターには判断できなかったが、少なくとも正直者ではないのだろうと、ヘンリーのみならずその場の5年生たちは皆、そう直感した。
「――ダニエルが来てるってのは本当かな?」
「おやエデュエイダスじゃないか久しぶりだ」
側頭部にまばらに残った髪を虹色に光らせてハゲ頭をライトアップしているエデュエイダス・ウィーズリーが教室に入ってきたことで、ダイナ・ヘキャットは杖を取り出そうか迷った。
「だいたいダニエルお前! 6年前にやったお前の葬式は何だったってんだい! 私はわざわざ授業を休ませてもらってパリまで行って参列したんだ!」
ヘキャット先生がこんなに声を荒らげるのを、ヘンリー・ポッターは見たことが無かった。
「私としてもその件については非常に心苦しく思っているがね。きみは既に神秘部の職員ではないから、その質問に正しく回答することは機密保持義務違反になってしまうんだ。申し訳ないが」
平然とそう言い放った燃えるような赤毛とそばかす顔に青白い肌の神秘部部長ダニエル・ダングラス・ヒュームに、ダイナ・ヘキャットはとうとう杖を向けてしまった。
「お前が法規を語るんじゃないよダニエル、ダングラス、ヒューム!」
「ホッホーぅ喧嘩だ! 大変だねダニエル!」
なぜか楽しそうなエデュエイダス・ウィーズリーだけが、この次は何が起こるのかとワクワクしているのを隠そうともしない嬉しそうな表情でヘキャットとダニエルのやりとりを観戦している。
グリフィンドールのヘンリー・ポッターも、その友人のルーピンくんも、休学していた2年間を取り戻すべく5年生として学び直しているアン・サロウも、まさかヘキャット先生に限って感情のまま呪文を人に放ったりしないはずだと、そう自分に言い聞かせて困惑を抑える努力をしている。
「……ヘキャット上級研究員」
「私はもう『無言者』じゃない」
ヘキャット先生の言葉が決別を宣告しているように聞こえて、アン・サロウは息を呑んだ。
「ヘキャット上級研究員」
「なんだい!」
お前の話を聴いてやるつもりなんか無いと言い放ったかのような強い口調で問い返したかつての神秘部職員ダイナ・ヘキャットに対して、この1892年当時に神秘部部長を務めていたダニエル・ダングラス・ヒュームの口から出た言葉は、たった一言だけだった。
「すまなかった」
かつて自分の上司だったその男がいま自分に向けている、一見すると真摯な態度に見えるその目を数秒じっと睨んでから、ヘキャット先生は返事をした。
「…………いいよ。……良かったよ、お前が生きてて」
大きく大きくため息を吐き出してからではあったが、あろうことかダイナ・ヘキャットはその男を赦した。ヘキャット先生の中で一体どのような葛藤があり逡巡がありどのように自分自身を説得したのかは、そこにいる5年生たちには想像するしかなかった。
「それで? ダニエルお前、ホグワーツに何しに来たんだい。私の授業を見物しに来たってのは『今の』目的だろ? 『今日の』目的はなんだい」
ヘキャット先生がそう訊ねると、ダニエル・ダングラス・ヒュームはピカリと目を見開いてから実に外交的な、愉快さによって自然に形作られたのではなくそうする利点があるから浮かべているのだとアン・サロウにも判別できる、ゆったりとしていながらどこか距離を空けようとしているかのような印象を与える笑顔になった。
「『紹介したい後輩がいる』とラブグッド上級研究員から促されたものでね。ただ、紹介したい後輩がいるとしか説明してもらえなかったワケだ。ないかねヘキャット上級研究員。心当たりは」
問いかけられたダイナ・ヘキャットどころかその場の5年生たちにも、さらにダニエル・ダングラス・ヒューム目当てで集まってきているゴーストたちにすら、そのホグワーツの卒業生であるラブグッドくんが「紹介したい」と言ったのが誰のことなのかを、瞬時に2択まで絞り込めていた。
そしてこの1892年のホグワーツでは、誰かに「その2人」を探しているんだと訊ねられたら、ホグワーツの教職員も在校生も、口をついて出る返答はまるっきり同じだった。
「探さなくたって見つかるよ。今年のホグワーツに来て、あの子に出くわさないなんて不可能さ」
いつも通りの穏やかな声色に戻ってどこか自慢げに笑いながらそう仄めかしたヘキャット先生は「でもねダニエル」とかつての上司に、かつての部下としてではなくホグワーツの闇の魔術に対する防衛術教授として、どうしても諫言せずにはいられなかった。
「ミスター・ラブグッドがそんな意図で言ったんじゃないのは解ってるけどね、ホグワーツの生徒で見どころの無い子なんて1人もいないんだ。そこは勘違いしてほしくないね」
ダニエルという名前らしいこのおじさんは「紹介したい後輩がいると言われた」と言ったのであって、その「後輩」以外の生徒に見るべきところが無いとは全く言っていないのに、ヘキャット先生とてそれは理解しているだろうに、それでも「見どころの無い生徒なんていない」と言ってくれたことが、どの教科にもこれといって自信を持てずにいる一部の5年生たちには嬉しかった。
「見たい授業を見に行って、行きたいところに行きなよダニエル。そのうち向こうから来る」
だから早くどっか行ってくれないかいとダイナ・ヘキャットがもう一度催促したのはかつての上司ダニエル・ダングラス・ヒュームだけでなく、側頭部にまばらに残った髪を虹色に光らせて自分のハゲ頭をライトアップしているエデュエイダス・ウィーズリーに対してもだった。
なにしろエデュエイダスは現れてからずっと教室の一番うしろに立って視界の隅に映り込み続けて人懐っこい笑顔を向けてくるので、ダイナ・ヘキャットとしては、かつての上司ダニエルに対する怒りや憤りといった負の感情が雲散霧消しないように保つのがとても困難だったのだ。
「…………カッコ悪いとこ見せてすまなかったね。授業を続けるよ」
エデュエイダス・ウィーズリーもダニエル・ダングラス・ヒュームもまだどこへも行っていないのにどうやら居ないものとして扱うと決めたらしいヘキャット先生は、呪文の練習を誰からともなく中断してしまっていたその場の5年生たちに謝罪の言葉を述べてから授業を再開したのだった。
そして英国魔法省で知られざる神秘部の部長をこの当時務めていたダニエル・ダングラス・ヒュームは、午前中の授業が終わって昼食までいくらか猶予がある自由時間に、ラブグッドくんが「会って話したら面白いだろうな」と想像してそうなるように画策したその2人と、出会った。
「今度は何を思いついたんだ! 僕をどうするつもりだ! オミニス笑ってないで助けてくれ!」
そこは、ホグワーツに数多く存在する教職員や生徒たちが空き時間に憩う場所のひとつであり、城の各所から城内の別の各所へと移動中の者たちが行き交う主要な通路のひとつでもあるエリア。
ホグワーツ城の大広間から玄関ホールを通り抜けて外へ出て左手にある短い階段を途中まで降りた、「大広間がある棟」と「1階メインホールがある棟」を繋ぐ石造りの大きな橋それ自体を含む「高架橋の中庭」と呼称されている広々とした屋外の一角にある石の階段の踊り場で、スリザリンの男子生徒が1人、木製の落ち着いた雰囲気の椅子に縄で厳重に縛り付けられたまま喚いていた。
「暴れちゃダメだよセバスチャンじっとしてて! 大丈夫! きっと雲の上まで飛んでいける!」
「飛んでいきたいと願った覚えがない! はなっ、離してくれ――おいアン、この縄を――」
「暴れないでお兄ちゃん。もっとたくさん花火をくくりつけるんだから」
いま交わしていた会話の内容からしてその男子生徒の妹なのだろう女子生徒ともう1人の生徒が椅子の脚に次から次へと花火を縛り付けているのを、さらに数人の生徒たちが見物している。
それは一見すると悪質な集団的暴力行為だったが、どうもそうではないと次の瞬間に判明した。
「ほらアン、これ僕のぶんの椅子だよ! だからアンいっぱい花火くくりつけてね!」
スリザリンの男子生徒が拘束されている椅子に花火をくくりつけていた生徒の片方が杖を一振りして椅子をもうひとつ創り出し、そこに自分で座ったのだ。
「楽しみだねえセバスチャン!」
「全身に大火傷した理由をマダム・ブレイニーに説明してめちゃくちゃに叱られるのが、か?」
抵抗を諦めたらしいスリザリンの男子生徒の隣で同じような椅子に大喜びで座った、ドラゴン皮のコートをパジャマの上から羽織っているスラリとした体型の女子生徒がパタパタと動かし続けている足が花火をくくりつけるのに邪魔だったのか、スリザリンの女子生徒が手で抑えつけている。
「ねえダンブルドアくん、この木はなあに? この夜のお空みたいな色の実はおいしいかしら?」
そんな椅子と花火と元気な生徒のすぐ後ろでは、長くてふんわりしたブロンドヘアが太陽の光を反射してキラキラ輝いているハッフルパフ生の女の子が、その女の子よりも背が低い小さなグリフィンドール生の男の子と一緒に、そこに植えられている不思議な佇まいの木を眺めている。
「これはスモモ飛行船だよシャーロットさん。実が逆さまに、空に向かってなってるでしょ。だからスモモ『飛行船』って名前なんだ。タルトにすると美味しいんだってさ――ていうか、大広間で出る食事に、スモモのタルトが時々あるの覚えてないかな? あれがこの果物のタルトだよ」
「こんなにくらーい青色のスモモなんてあるのね! 今日のお食事で出るかしら?」
届かないのが解っていても、その女の子は枝の先の果物に手を伸ばさずにはいられない。
「採っちゃダメだよシャーロットさん。誰かが採ったらみんなが採るから、木に実が残らない」
好奇心旺盛なシャーロット・クランウェルにそう忠告した11歳のアルバス・ダンブルドア少年は、背後で繰り広げられている先輩たちの愚かな遊びを、決断的に無視し続けている。
「さーあアン、こんなもんでいいでしょう! さあさあ火を点けてアン! 僕とセバスチャンがお空のたかーいところまで飛んでいけるか見ててね!」
「僕は納得してないぞ。誰か先生方に咎められたら『きみが無理矢理に』って言うからな」
自分とセバスチャン・サロウが並んで座っているそれぞれの椅子が埋もれるほど大量に取り付けられた花火にアン・サロウが着火する瞬間を、その7年生の女生徒はクィディッチの試合のクライマックスかのように全ての集中力を注ぎ込んで見つめている。
そしてあろうことかその光景を眺めている他の生徒たちが誰ひとり制止しようというそぶりすら見せないまま、アン・サロウによって花火は点火された。
「あーあー…………」
「セバスチャンのやつ死んだんじゃないか?」
冗談としてそんな発言ができるくらいには、彼ら7年生の毎日は平穏で幸福だった。
すぐ隣にいるシャーロット・クランウェルがそちらを見たので、参加してなるものかと頑張って無視していたアルバス・ダンブルドア少年も、つられてその光景を見てしまった。
ホグワーツの大広間からメインホールへと移動する際の最短経路であり、生徒たちが空き時間を過ごす憩いの場のひとつでもある「高架橋の広場」の、石造りの高架橋全体を一望できる階段の踊り場で。花火の量が足りなかったのか取り付け角度が良くなかったのか、見物人たちが予想していた通りにセバスチャン・サロウともう1人の7年生の女生徒が座っている椅子はどちらも空へなど射出されず、ただ赤やら緑やらの激しすぎる火花と煙と音に飲み込まれて見えなくなっている。
「プロテゴ」
もはや光の塊にしか見えなくなりつつある大量の花火と煙と、その中心にあるはずの2つの椅子と2人の7年生、そしてすぐ隣にいる友人とすら会話できないほどの轟音。それら全てが合わさって撒き散らされている生存本能すら呼び起こされそうな熱量を浴びせられている10月の真昼の青空の下の「高架橋の中庭」で、ただひとつアルバス・ダンブルドア少年が盾の呪文を唱えた声だけが、凍りつきそうなくらいに冷え冷えとしていた。
おそらくセバスチャン・サロウは悲鳴か恨み言を、もう1人の7年生は大喜びの歓声を上げているだろうとダンブルドア少年には予想できたが、そんな声は当然、花火の轟音にかき消されてまるで聞こえてこず、花火に着火する前からこの光景を見続けていなければそこに人がふたりも居るとは思えないほどに赤や緑の大量の火花が大量の煙を照らして、眩しすぎる光が視界を占有している。
ダンブルドア少年がふと隣を見てみれば、シャーロット・クランウェルがあんぐりと口を開けて立ち尽くしていた。どうやらビックリしすぎて恐怖も好奇心も湧かないらしい。
花火が全て燃え尽きて光と轟音が収まるまでに、結局数分かかった。
「しっ、死ぬかとおもった………………」
「ふひゅーははははは!! ぜんぜん飛ばなかった!」
煙と燃えカスの丘の上に座っているその2人は、周囲の皆が想像した通りに、まるで正反対の表情を浮かべていた。
「あ椅子の脚が燃えてるや」
しかしセバスチャン・サロウとは対照的に嬉しそうだったその7年生の女生徒は、ふと自分の足元を見た次の瞬間に、一瞬の間を置いてから慌て始めた。
「…………背中だけ夏休みみたいにあったかいな? ああこれ背もたれが燃えてるんだねたぶん。違うかもしれない! せ゜ぇ゙もたれだけじゃないねコレ!! わ゙ぁぁぁぁ僕にも火が点いているあ゙あっつい熱いぁぁ゙ぁアあつい熱いあーーちゃちゃちゃ!! に゙ゃーーー!!!」
アン・サロウはセバスチャン・サロウには炎凍結呪文やら何やらの防御を施していたが、その女生徒には何も保護魔法を施していなかった。自力でどうにでもできるだろうと思っていたからだ。
「この紅茶は美味いなレストレンジ」
「そうだねノット」
見物している他の7年生たちは、事ここに至っても全く慌てる様子がない。
「いい? あの先輩みたいになるから真似しちゃダメだよシャーロットさん」
「わかった! あたし真似しないわダンブルドアくん!」
グリフィンドールとハッフルパフの1年生ふたりは、いま慌てた拍子に階段の踊り場からすぐ下の高架橋へとこぼれ落ちていった7年生の女生徒よりもよっぽどお利口さんだった。
そして階段の踊り場から転落したその女生徒は空中でスルリとワタリガラスに姿を変え、尚も燃え盛ったまま大慌てで、高架橋を行き交う生徒たちの間を縫うようにしてあてもなく飛んでいく。
しかしその火だるまのワタリガラスは高架橋の中程まで飛んだところでそこに漂っていたゴーストの胴体に突入してしまい、それによって幸いにも消火された。
「ぶやっ、はっ…………そういえば自分で火ぃ消せば良かったかもしれない……」
珍しく本気で取り乱してしまったその女生徒は、落ち着きを取り戻してから次々思い浮かんできた「スマートな解決法」の数々を、石造りの高架橋の上でゴロゴロ転げ回ることによって、衣服についた煤と一緒に払い落とした。
「――ね? ダニエル。理解できたでしょう? ミスター・ラブグッドが貴方に、紹介したい生徒について詳しい説明を何もしなかった理由が」
火を消してくれたゴーストのクリースワーシー先生が話しかけた見知らぬおじさんに、その7年生の女生徒は石造りの高架橋の中程で仰向けに寝転がったまま視線を向けた。
その見知らぬおじさんは髪も口ひげもウィーズリー家みたいに燃えるような赤毛で、その肌はマルフォイ家みたいに青白くて、背が高くてとても痩せていた。
ピッタリと寄り添っているクリースワーシー先生のみならず、そのおじさんの背後にはホグワーツ中から集まってきたらしいゴーストたちが大勢着いてきている。
「おっちゃんはゴーストの皆と仲良しなのかい?」
「ラブグッド上級研究員が言っていたのはきみの事かな?」
仰向けに寝たまま「頭上を」見上げている7年生の女生徒と、それを見下ろしている青白い肌に燃えるような赤毛のおじさんは、お互い挨拶も自己紹介もせずに質問を投げかけた。
「僕ねえ椅子に花火いっぱいくくりつけて空とんだアジアの昔の人のお話をちょっと前に聞いたからねえ僕もやってみようって思ったんだよ。おっちゃんも一緒にどうだい?」
「普通『箒なしで空を飛びたい』と志した場合、それは『道具無しで』という意味であることが多いように思うが、きみはどうやらそうではないらしいね」
「ねえねえおっちゃんも花火くくりつけた椅子に座って空飛ばないかい? 楽しいよ?」
7年生の女生徒もゴーストを引き連れているおじさんも、お互いの目を見つめながら言いたいことを言っているだけで、相手の話をあまり聴いていない。
「いいかね? 箒は杖と同じなのだ。つまりあくまでも魔法の力を効率良く発揮するための触媒であって、それ無くしては魔法の力を何ひとつ発揮できないというものではないのだ」
そう宣言した直後、その燃えるような赤毛に青白い肌のおじさんは、ピッタリと寄り添っているゴーストの魔女アントニア・クリースワーシーの顔のすぐ横にそのおじさんのつま先が来るくらいにまで、直立姿勢のままふわりと浮かび上がった。
箒も、他の如何なる道具も用いず鳥などに変身もしない、身ひとつでの自由な飛行。
それはこの当時の魔法界では「不可能ではないはずだが未だ誰ひとり成し遂げていない」という、前人未到のはずの魔法だった。
「なんだあの男、なにをどうやってる? ゾンコのオモチャを使ってるわけでもないぞ!」
「自分で自分の服に『レヴィオーソ』とか……いや、だったらあんなゆっくり上昇できない――」
あんな真似できるはずがない何かタネがあるはずだと周囲の生徒たちはざわつき始めているが、その男は空中浮遊という秘術を誇示するわけでもなくただ単に浮いたまま、しかしリラックスした気軽な態度だからこその迫力を伴って、あっという間にその広々とした「高架橋の中庭」に居る全員の注目を一気に集めてしまった。
しかし、彼の「交霊」をインチキだと疑ったマグルの碩学たちも、魔法をマグルに披露していると疑いをかけたウィゼンガモットの陪審員たちと魔法法執行部および闇祓いたちも、何度も何度も同じ疑いをかけて毎回徹底的に取り調べたにもかかわらず、結局この男が実際には何をどうやっているのかは一度たりとも、何ひとつ暴くことができなかったのだ。
だから今はじめてその男が身ひとつで空中へ浮かび上がるのを目撃したばかりのホグワーツ生たちが、その男が行っているのか否かすら不明なインチキを見破れないのも、仕方のない話だった。
そして仰向けに寝たまま目を丸くして見上げている7年生の女生徒に、その男は空中に浮遊したまま、やっと自己紹介を始めた。
「初めまして。私はダニエル・ダングラス・ヒューム。神秘部で部長を務めている。つまりダイナ・ヘキャット先生のかつての上司であり、ライサンダス・ラブグッドの今の上司というわけだ。そしてきみ。単刀直入に提案させてもらうが――卒業したら――神秘部に。来ないかね?」
「ピーブズさんって先輩以外にもそういうお手伝いするんですね。ちょっと意外です」
背後から小さな男の子のそれだと判る可愛らしい声が聞こえて、ダニエル・ダングラス・ヒュームは空中に浮かんだままくるりと振り返った。
「マぁージで勘の鋭いおチビちゃんだなぁーー? 俺様がいるってなんで判ったんだぁーあ?」
ピーブズがダニエル・ダングラス・ヒュームの身体から離れながら染み渡るように姿を現すと、周囲から視線を注いでいた生徒たちのほとんどがガッカリしたらしい落胆のため息を漏らした。
しかし燃えながら飛んでいった先輩を追いかけてここまで来ていたアルバス・ダンブルドア少年と相変わらず仰向けに寝転がったままの7年生の女生徒だけは、まだ何か理解しきれていないかのような顔をして、ひとつも見逃してなるものかと決意しているかのように真剣な目をして、7年生の女生徒はそのおじさんの背中を、ダンブルドア少年はピーブズをそれぞれ見つめ続けている。
「ピーブズさん、その人お知り合いなんですか?」
ダンブルドア少年が注意深く質問を投げかけ、ピーブズは快く質問に答える。
「もォちろん。こいつはダニエル。ダニエル・ダングラス・ヒューム。生きた人間より俺様みたいなのと気が合うおかしな奴で、神秘部の部長なんて職をやれるだけのことはある神秘の権化さ」
「おっちゃん、なんで全身古代魔法の痕跡まみれなんだい? 全身まんべんなく薄めの青色にぼやあーって光ってるから僕、最初おっちゃんのことゴーストかと思っちゃったんだけど。もしかして僕とかラッカム先生とかイシドーラみたいに、おっちゃんも古代魔法が使えるのかい?」
7年生の女生徒から質問されたその男は再び空中でくるりと振り向いてダンブルドア少年に背を向けて7年生の女生徒を見下ろすと、ピーブズが今した証言とは矛盾する回答を述べる。
「いやいやまさか。ウィゼンガモットにも言ったがね。私のこういうパフォーマンスは全て、何も魔法なんて使っていない。信頼できる協力者、あるいはちょっとした装置、あるいは工夫と練習。そういうものだけで説明できる、単なる宴会芸だよ。古代魔法だなんてとんでもない」
このダニエル・ダングラス・ヒュームという男について確かに言えるのは、ただ彼が1892年に神秘部部長の座に就いていたという事実と、神秘部の部長を務める者は優秀な研究者であるだけでなく本人が貴重な研究試料でもあらねばならないという、知る人ぞ知る神秘部の慣習だけである。
そしてこれが、それまでは「お店も続けつつ闇祓いをやる」一択だったその7年生の卒業後の進路の選択肢に「神秘部」という新たな候補が正式に加わった瞬間だった。
【ダニエル・ダングラス・ヒューム】Daniel Dunglas Home
Homeと書いてヒュームと発音する。1833年生まれ1886年没。イギリス生まれアメリカ育ち。予言者を自称していた母親のもとに生まれ、幼少期から不可思議な体験や現象をいくつも繰り返したと記録されている、霊能者。
上流階級の友人も多く、パトロンのおかげで裕福だった。
彼が他の「不可思議な能力を持つと主張、披露した者たち」と異なる点は見物料を請求しなかったこと、交霊会に参加する費用を請求したりもしていないこと、インチキだという証言こそ多々あれど公の場でそれを証明されたり詐欺で有罪になったりといった事態に一度も陥っていないこと。
そして彼を疑う者たちの調査をいつでも快く受け入れたこと。
ただし敗訴した経験自体はあり、ダニエル・ダングラス・ヒュームと養子縁組すれば上流階級の仲間入りができる、と目論んだがアテが外れた途端に態度を一変させた女性によって「あのお金は私から彼が霊的な影響を行使して不当に奪ったものだから返せ」と裁判を起こされて負けている。
彼は赤毛であり、長年結核を患っていたという健康状態の影響を抜きにしても、壊れそうなくらいに白い肌で痩せていて背が高かった。
もっとも身長については時たま30センチほど変化したとも証言されている。
(ここまで史実で、ここから妄想)
マグル生まれの魔法使いであり、イルヴァモーニーに入学してホグワーツに転校した。
レガ主の前の神秘部部長で、何度も何度も国際魔法使い機密保持法違反の容疑でウィゼンガモットに召喚されている。しかしその全てで神秘部部長という立場にものを言わせることなく、ただ「マグルの前で行ったパフォーマンスには魔法など全く用いていない」と言い張って無罪を勝ち取った。つまり彼の霊能力に疑いの目を向けたマグルの有識者たちが彼のインチキを証明できなかったのと同じように、ウィゼンガモットも彼のパフォーマンスが魔法だとは証明できなかった。
史実では1886年に死んでいるけれど私はレガ主の前の神秘部部長はこの人が良いと思った。
原作者曰く「幽霊が見えると主張しているマグルは、嘘をついているか、実は魔法使いで国際魔法使い機密保持法に違反しているかのいずれか」