2年後もしくは106年前 作:requesting anonymity
7歳の女の子と8歳の男の子の兄妹が、ピッタリくっついてリビングのソファに座っている。
アリアナ・ダンブルドアとアバーフォース・ダンブルドアが頬をくっつけ合って見つめている簡素な装飾の鏡にはゴドリックの谷ではない全く別の場所の風景が映し出されていて、向こう側の音や声なども聞こえてきていた。
しかし、すぐに向こう側の風景はほとんど見えなくなる。
「ねえねえアリアナちゃんは食べもの何が好き? あたしはリンゴのパイが好きなの!」
僕の友達を紹介するねと鏡に映っているアリアナとアブに断ってから「両面鏡」をシャーロットさんに渡したのは自分なものの、シャーロットさんがあんまりにも鏡に顔をピッタリくっつけているので、果たしてあれでアリアナとアブにシャーロットさんのお顔がちゃんと見えているんだろうかと、11歳のアルバス・ダンブルドア少年はちょっと心配になってしまった。
口では見て見てと促しているシャーロット・クランウェルはしかし、齧ろうとしてるかのように鏡にビッタリと張り付いていて、へスパーには鏡の縁しか見えない。
「ロットちゃんロットちゃん。わたしもごあいさつしたいな」
「あら! そうねそうだわあたしばっかり! はいどうぞ!」
レイブンクローの1年生、のんびり屋さんのへスパー・スターキーにちょんちょんと袖を引っ張られて、シャーロット・クランウェルのお顔はようやく「両面鏡」から剥がれた。
仲良しのシャーロットに特等席を譲ってもらって、へスパーがその不思議な鏡を覗く。
「まあ! あなたがドアくんの……どっちだったかしら…………? うんとね……お姉ちゃん!」
2択をヤマ勘で当てようとして外したへスパーだったが、鏡の向こうのアリアナとアバーフォースは、かたや嬉しそうに、かたや愉快そうに笑っている。
「兄さんはアリアナと身長変わらないからな。そりゃ当てずっぽうにもなる」
何やら満足げなアバーフォースの視線は、鏡の隅に右半分だけ映っている兄アルバスの不服そうな表情へと注がれている。
「ダンブルドアお前、弟の前だとちゃんと11歳になるんだな」
「……何エルファイアス。僕いつも11歳だけど。同級生だろう」
ルームメイトのエルファイアスくんの発言の意味するところをアルバス・ダンブルドア少年がすぐには理解できないというのは、滅多に起きることではない。
しかしエルファイアスくんの発言に関する疑問はすぐにアルバス・ダンブルドア少年の心から掻き消えてしまい、代わりに意識はアリアナとシャーロットとへスパーの会話へと引き戻された。
「ねえシャーロットおねえちゃん。シャーロットおねえちゃんたちが居るのはお城のどこなの? ホグワーツっていうのはおっきいお城なんだってアブくんが教えてくれたのよ」
「シャーロット『おねえちゃん』……おねえちゃん……そっか。あたし11歳。この子7歳……!」
なにやら自分の顔の横に持ってきた両手の全部の指を激しく動かして感激し始めたシャーロット・クランウェルの正面、アリアナとアバーフォースの顔が映っている鏡面の裏側から、その人物は「両面鏡」に手を伸ばして持ち上げた。
すると当然、ゴドリックの谷にあるダンブルドア家のリビングでアリアナとアバーフォースが並んでソファに座ってピッタリと顔をくっつけて夢中で覗き込んでいる「両面鏡」に映っている景色も目眩を引き起こしそうなほど激しく動き、画角を大きく変化させる。
「ほら、見えるかい? 両面鏡ってちょっと離れるだけで全然音を拾ってくれなくなるんだけど、映すだけならけっこう遠くまで見せてくれるから――」
両面鏡を持ち上げて周囲の景色を見せてくれている人物は指先だけが画角に収まっていて、アリアナとアバーフォースからはその人物の姿が確認できない。
しかしこの時、その「向こうの両面鏡」を誰が持っているのかなど、アリアナとアバーフォースにはどうでもよかった。
「ここはホグワーツ城の中だよ。闇の魔術に対する防衛術の教室からちょっとだけ歩いたところ。見ての通り広くなっててね、ソファとかテーブルとか置いてあって、僕ら生徒がおしゃべりしたり、宿題したり遊んだりできる。それも単にここを通り過ぎたいだけの人たちの邪魔をせずにね。こういう場所がホグワーツにはいっぱいあるんだ」
両面鏡に映っている「向こうの景色」は床も壁もソファも遠くもお家とは全然違っていて、アリアナだけでなくアバーフォースも訊きたいことやもっと近くで見てみたいものがたくさんあった。
「そこは吹き抜けになってるのか? 下の階を見下ろせるのか?」
鏡の向こうからアバーフォースくんがそう訊いてきたので、その両面鏡を持ち運んで周囲の風景を見せてあげている7年生は当然に、大股で数歩前進して柵から大きく身を乗り出し、求められるままに鏡をゆっくりと動かして、空間全体を見せてあげた。
「そうだよアバーフォースくん。ほら、ここは広ぉーいんだ」
「落ちますよ先輩。そんなに身を乗り出したら危ないです」
アルバス・ダンブルドア少年は口頭で忠告はするが、先輩の身体を支えたり引っ張って制止したりといった行動で安全を確保しようとするそぶりは見せない。
発言とは裏腹に、2階から1階に転落した程度で先輩の身に危険が及ぶと思っていないのだ。
「あっちにもあっちにも通り道があって、階段もたくさん。お兄ちゃん迷っちゃわない?」
アリアナからの質問に、両面鏡を持ち運んでいる7年生が回答する。
「ホグワーツでは皆、何回も迷いながら教室から教室への道順を覚えていくのさ――ほら、あそこ見えるかい? 向こうに困った顔して階段を降りてる子たちが居るね。話しかけてみようか」
そう言うが早いかその7年生は「両面鏡」をアルバス・ダンブルドア少年に手渡し、目の前の柵からくるりと身体を投げ出して、2階から1階へと吹き抜けを飛び降りた。
「ヘーイきみたちどこ行くんだい?」
「わ゙あ何どこからいきなり誰!!」
急に上級生が目の前に降ってきたので、その3年生たちは仰天して尻もちを搗いてしまった。
「私たちオナイ先生のところに宿題提出しに行きたいんだけど、この子の道案内についてったら知らない廊下をいくつも通ったあげくここに着いたのよ。……ねえ、占い学の教室ってどっち?」
そう問いかけてきたレイブンクローの女の子にニッコリと笑顔を返してから、その7年生は断固として視線を合わせようとしない「友人たちに道案内をした女の子」へと視線を移す。
「占い学の教室は逆方向だよゼノビア」
本当は知らないのに近道を知っていると主張した挙句に友人たちを巻き込んで道に迷ったゼノビア・ノークは、話しかけてくれた7年生に視線を合わせられない。
そんなゼノビアの頬を両手で挟んで無理矢理にその瞳を覗き込んだ7年生が「ついといで!」と宣言してゼノビアと友人たちを先導して歩き始めるところまでを、吹き抜けになっている2階から、ダンブルドア少年は両面鏡を下に傾けてアリアナとアバーフォースに見せてあげていた。
「すごーい……ころーんって降りてっちゃった…………」
「真似しちゃダメだぞアリアナ」
いま見た7年生による曲芸にまだ驚いている弟と妹に、ダンブルドア少年は問いかける。
「アブもアリアナも、他に見たいものとかある? 映ってるもので、気になるものない?」
そう言いながらダンブルドア少年は鏡を持ったままゆっくりとその場で一回転し、アリアナとアバーフォースに左右と背後も見せてあげた。
「んーとね、あ。ねえお兄ちゃん、あれはなあに? あの絵はだあれ? ゆうめいなひと?」
「火に包まれてる女の人の絵だ兄さん。そっちの壁の、ユラユラしてるやつ」
アリアナがどの絵に興味を惹かれたのかを兄より早く理解したアバーフォースが鏡の向こうに居る兄のアルバスに説明し、どれのことかを理解したアルバス・ダンブルドア少年は鏡を両手で持ったまま、その「火に包まれている女の人」の絵が飾られている壁の傍で独りでに宙に浮いて演奏し続けているいくつかのヴァイオリンを眺めていた上級生たちに声をかけた。
「あの、すいません。タッカー先輩、あそこに飾られている『炎に包まれている女の人の絵』は、いったい誰を描いたものなんですか? 実在したひとですか?」
聞き馴染みのある可愛らしい声に背後からそう問いかけられたレイブンクローの7年生のアミット・タッカーは「知ってるだろうになんで訊くのかな」と思いながら振り返って、予想通りにアルバス・ダンブルドアくんだった質問者が両手で持っている鏡を見て、それだけで状況を理解した。
そしてアミット・タッカーは、アルバス・ダンブルドア少年ではなく「両面鏡」に映っている小さな男の子と女の子に優しく笑いかけてから「炎に包まれている女の人」の絵の解説を始めた。
「やあ、きみたちはアルバス・ダンブルドアくんのきょうだいかな? 僕はアミット・タッカー。レイブンクローの7年生。よろしくね。それで、あの絵ね。あの絵はむかーしむかしの有名な魔女を描いた絵でね、あの絵の女の人は『変わり者のウェンデリン』って呼ばれてるんだ――」
アミット・タッカーがダンブルドア家の3兄妹に「変わり者のウェンデリン」に関する、本来なら魔女狩りだとか火炙りの刑だとか虐殺だとかの物騒な単語がいくつも並ぶはずの説明を丁寧な言葉選びによって絵本のような世界観に落とし込んで語って聞かせている中、吹き抜けの階下にある階段から、行き交う生徒たちの足音も話し声もアミット・タッカーのすぐ後ろに浮かんでいるヴァイオリンが独りでに奏で続けている音色も全て遮って、大きな大きな声が響いてきた。
「アルバスぅーー! それじゃあ僕ちょっと占い学の教室まで行ってくるからねえーー! でも心配しないでね! 僕すぐ戻ってくるから待っててねーー!」
ああ今こっちを見て思いっきり手を振ってるんだろうなと鮮明に想像させられる元気な声が聞こえてきて、アルバス・ダンブルドア少年はアミット・タッカーとお互いの顔を見合いながらどちらからともなく吹き出すように笑ってしまった。
いま聞こえてきた先輩の発言は上辺だけはアルバス・ダンブルドア少年とアバーフォースとアリアナへ向けられた「ほったらかしにするわけじゃないからね」と安心させるための言葉のようにも聞こえるが、実際には今の先輩による大音量の発言でもっとも重要なのは「すぐ戻ってくるから待っててね」という部分であり、優しいから配慮してくれているのではなく寂しいからどっか行っちゃわないでほしいのだろうと、アルバス・ダンブルドア少年にはすぐに理解できた。
「ああいう犬いますよねタッカー先輩。身体がおっきくて、すぐ大喜びする」
「いるね。こっち見ながら思いっきり尻尾振ったりしてね――ほら、きみ道案内してあげるんだろう占い学の教室まで! だったら寄り道しちゃダメだよー?」
アミット・タッカーが返事をしてくれたのが聞こえたらしいその7年生は、吹き抜けになっている2階を1階から見上げて、ちぎれんばかりにブンブンと両手を振って飛び跳ねている。
「わかったぁ! 僕ねぇ寄り道しないよお!!」
「ちょっと、ねーえ! 道案内してくれるんでしょ? ほらもう行ーくーの!」
ゼノビア・ノークに胴をぐいぐい引っ張られても、ゼノビアの友人たちに引きずられても、その7年生は満面の笑みでダンブルドア少年とアミットに嬉しそうに手を振り続けたのだった。
「…………で、何の話だったっけ。……ああそうだ『変わり者のウェンデリン』だったね――」
「ねえねえお兄ちゃんあのお爺ちゃまはだあれ? あの頭がピカピカしてるお爺ちゃま」
ダンブルドア少年は自分が持っている両面鏡の向こうのアリアナが誰に興味を示したのかが、その人物の姿が視界に入っていないにもかかわらずすぐさま理解できた。しかしその一方で、アリアナちゃんが興味を示した「頭がピカピカしてるお爺ちゃま」が視界に入っているアミット・タッカーは、すぐにこの場を離れるべきではないかと焦り始めていた。
アホの7年生を引きずりながらゼノビア・ノークと友人たちが消えていったのとは逆側の廊下から現れたエデュエイダスさんが、ブラック校長とオミニスのパパさんを伴っていたから。
今にも誰かを殺しそうな表情をしているイグノラムス・ゴーントの緑色の目が唐突に睨む方向を変え、吹き抜けの対面にいるアミット・タッカーを捉えた。
しかし次の瞬間エデュエイダスも同じ方向を見て、アルバス・ダンブルドア少年を発見した。
「おやおやおやおやおや! おやおやおやおやおやおや! そこのきみ! きみが持っているのは両面鏡かいもしかしてぁぁ遠いなあ歩くのが面倒くさい階段がつらい! スクロぉープ!!」
「はい旦那様。スクロープはここにおります。しかし旦那様はとうにブラック家から勘当されていらっしゃいますのでスクロープは旦那様の命令に従うことが許されていません」
バチンと大きな音を立てて現れた片耳が無い屋敷しもべ妖精はエデュエイダスの指示を聞こうとしないが、すかさずその屋敷しもべ妖精の主人であるフィニアス・ナイジェラス・ブラック校長が、心底イヤそうに、その屋敷しもべ妖精に命令を与えた。
「……手伝ってやりたまえスクロープ」
「はい御主人様」
とにかくエデュエイダスの興味を自分とイグノラムス・ゴーントから別の何かへと振り向けたかったらしいフィニアス・ナイジェラスは、エデュエイダスがスクロープに連れられて階段の途中から「姿くらまし」でダンブルドア少年とアミット・タッカーが居る吹き抜けの2階へと一気に移動した隙に、イグノラムス・ゴーント共々そそくさと逃げ去ってしまった。
己の道徳と主義に照らすと「排斥するわけにはいかない」とか「敬意を払うべき」という結論しか出ないので、フィニアス・ナイジェラス・ブラックにとっても、イグノラムス・ゴーントにとっても、このエデュエイダスはまさしく天敵だった。
なのにエデュエイダスがフィニアス・ナイジェラス・ブラックのこともイグノラムス・ゴーントのことも大好きなのが、いつまでも解消されずに2人を辟易させる悩みの種だった。
「ピカピカのお爺ちゃま! どうしてお爺ちゃまはピカピカなの?」
両面鏡の向こうに居る小さなアリアナからの質問にエデュエイダスは快く回答する。
「愛する妻オリュンピアスが片思いの相手だったころ、遠くからでも気づいてもらいたくて始めたんだよ。私はちょうどO.W.L.試験を受ける学年で、オリュンピアスは監督生で首席だった……」
そこでエデュエイダスは力いっぱいの笑顔を浮かべてから言葉を切り、年寄りの昔話は子供が聞いて楽しいものではないという信念に基づいて話題を変える。
「ところで、きみの一番好きな授業は何かな。ミスター・アルバス・ダンブルドア?」
エデュエイダスがそう問いかけるのと同時に、エデュエイダスの側頭部にまばらに残っている髪から放たれている色とりどりの光が眩しさを増した。
「えーー、っと。全部楽しいんですけどひとつだけ選ぶというのなら……魔法生物学、ですかね」
「おやあ? 魔法生物学は3年生からだと記憶していたけれど。今はもう違うのかな……?」
自分がホグワーツの生徒だったのが一体何十年前なのかを考慮すれば多少システムやカリキュラムが変化していても不思議はないとか考え始めているエデュエイダスをよそに、ダンブルドアくんが移動するのに合わせてずっとピッタリついてきていたシャーロットとへスパーは、ダンブルドアくんが何の話をしているのかを、アミット・タッカーと同じように正しく理解していた。
そしてなぜこの1892年のホグワーツ魔法魔術学校において1年生でも魔法生物学に触れる機会があるのかを生徒でも教職員でもない人間に理解してもらうために、説明などは必要ではなかった。
「見て見ておばあちゃん。スパイスバイトはとってもお利口さんなんだよ……ほら食べた!」
変わり者のウェンデリンの絵画が飾られている壁のすぐそばのソファにずっと座っていた小柄なハッフルパフの7年生の女子生徒は隣に座っている優しそうな老婆に見守られながらドクシーに給餌していて、その小柄なハッフルパフの女子生徒と老婆の足元の床ではニーズルやらパフスケインやらニフラーやらがべったりとリラックスした姿勢で微睡んでいる。
何かを見つけて駆け出そうとしたニフラーをすぐ横にいたニーズルが寝ぼけ眼のまま前足で押さえつけて捕まえるところを目撃したへスパーはポピーちゃんの隣に座っているお婆ちゃまと目が合って、さっきからポピーちゃんと一緒にいるこのお婆ちゃまが誰なのか、皆よりもかなり遅れて今ようやく理解した。
「あ、わかった。あなたはもしかしてポピーちゃんのお婆ちゃまなのね? どうりでそっくり!」
物事をじっくりゆっくり考えてから理解する性質らしいレイブンクローの女の子にそう訊ねられて、ポピーの隣に座っている老婆は一層にっこりと微笑んだ。
「そうだよ。私はこの子のお婆ちゃんのアイリーン・スウィーティング。よろしくね」
「わあー! ねえねえポピーちゃんのお婆ちゃま、お婆ちゃまも動物さん好き?」
「あたしも動物さん好き! あ、ねえねえピカピカのお爺ちゃん、お爺ちゃんも動物さん好き?」
「スウィーティング先輩それ前に闇の魔術に対する防衛術の授業で使われてたドクシーたちの群れのボスですよね。掌に乗っけて危なくないんですか? あの時も思ったんですけど」
へスパーはポピーのお婆ちゃんに話しかけ、シャーロットはエデュエイダスに話しかけ、ダンブルドア少年はポピー・スウィーティングに話しかける。そんな光景を目の当たりにしたアミット・タッカーはなんだか楽しくなってしまってクスクス笑いの発作に襲われた。
「……ホグワーツって、賑やかなんだな。もっと落ち着いた場所かと思ってた」
ダンブルドア少年が持っている鏡から聞こえてきたアバーフォースくんのそんな感想も、アミット・タッカーの笑いを誘った。
「そうだね。ホグワーツは毎日賑やかだ。一昨年からは特にね」
アミット・タッカーはダンブルドア少年が両手で持っている両面鏡を覗き込んで返事をしたので、アリアナもアバーフォースも鏡に映った優しそうなお兄さんの顔を覚えることができた。
「良かったねアブくん」
ゴドリックの谷にある自宅のソファに1歳上の兄と一緒に座って両面鏡を見つめている7歳のアリアナ・ダンブルドアは、隣に居てくれているアバーフォースに笑いかける。
「楽しそうよホグワーツ。アブくんもあと何年だっけ? 3年かしら? もう少し経ったら入学するんだものね。アブくんだってお兄ちゃんに負けないくらいお友達がたくさんできるわ!」
両面鏡から聞こえてきたアリアナちゃんの発言にアミット・タッカーは違和感を覚えたが、しかし彼はアリアナちゃんの言葉に何が欠落しているのかを、すぐには言語化できなかった。
一方アバーフォース・ダンブルドアは妹を心配させないように、自分が今アリアナを心配してしまっているなどとは本人に気づかれないようにと、あくまでも嬉しそうな笑顔を保っている。
アルバス・ダンブルドアくんの表情が一瞬だけ曇ったことに、ポピーは鋭く気づいた。
「アブくんも杖を買うのよ。ヤギさんの角じゃダメなのよ? 魔法の杖じゃなきゃ。知ってた?」
「…………そうだね、アリアナ。あと3年したら、アブもオリバンダーさんの店で杖を買うんだ」
優しさだけしか籠もっていないはずのダンブルドアくんの声の奥に少しだけ混じっていた悲しみを聞き取ったアミット・タッカーはついに、自分が感じていた違和感の正体に気づいた。
7歳のアリアナ・ダンブルドアは、自分がホグワーツに入学できる日は決して来ないと理解しているのだ。そしてその事実を、既に受け入れているのだ。
そしてそんなアリアナの2人の兄は、8歳のアバーフォースと11歳のアルバスは、まだ7歳の妹がホグワーツに入学できない理由が「他の生徒に危険を及ぼすから」だけではないと理解している。
己の意思では魔法力を行使できないというのは、あくまでも懸念の半分なのだ。
妹を助けたい一心でたくさんたくさん本を読んで調べた11歳のアルバス・ダンブルドアは、オブスキュリアルは通常10歳まで生きられないと、既に知ってしまっている。
アリアナが11歳になったのに入学許可証が届かなくて悲しい、というのは考えられる中で最も幸福な可能性の未来なのだと、ダンブルドア家の3兄妹は知っている。
だから7歳のアリアナ・ダンブルドアは同じソファにピッタリくっついて座ってくれている兄のアバーフォースに「楽しみね」とか「良かったね」などとは言っても「私も早く11歳になりたい」とか「私が入学したらお兄ちゃんたちにだって負けないわ」というような、ギャレス・ウィーズリーの妹が毎日のように口にしている種類の言葉は、決して言わないのだ。
まだ7歳のアリアナ・ダンブルドアは、諦観というものを既に身につけてしまっていた。
自分がお婆ちゃんにはなれないことも素敵なお嫁さんにはなれないことも恋する機会だって無いこともオトナになるまで生きられないことも知っているアリアナは、決してそれらになりたいと言わなかったし、そうなった自分についての空想を兄たちやママに語ったりもしなかった。
そんな話をすればアブくんもお兄ちゃんもママだって困ってしまうと、アリアナは知っていた。
アリアナはアブくんのこともお兄ちゃんのこともママのことも困らせたくなかった。困らせたくないのに時々自分でも自分をどうにもできなくなって、身体が勝手に動いて、やっと収まった時には近くの全部をぐちゃぐちゃに壊してしまっているのだ。
だからアリアナ・ダンブルドアは、優しいアブくんがピッタリくっついてくれる度に、今だって、いつもごめんねと言いたくなってしまうのだった。
こちらから訊いて促さなければワガママすら言わないアリアナが心の裡にどれだけの悲しみや悔しさや辛さや寂しさを抱えているのか、11歳のアルバス・ダンブルドアには想像もできない。
それが想像もできないと理解できていることが、ダンブルドア少年の利口さの証左だった。
だから今日こうして虹色に光るエデュエイダス・リメット・ウィーズリーと巡り会えたことは、ダンブルドア家の3兄妹にとって望外の幸運だった。
「今年の我が家のクリスマスパーティに私はきみを招待する。レディ・アリアナ・ダンブルドア」
このお爺さんは妹の事情を知らないんだとダンブルドア少年は思ったし、アバーフォースも両面鏡から聞こえてきたその声の主を「何も知らないくせによくも」と心の中で罵った。
できもしない提案をして妹につらい希望を持たせないでほしいとダンブルドア兄弟は思った。
そして兄たち2人が予想した通り、アリアナ・ダンブルドアはその提案を受け入れなかった。
「うれしいけどね、ダメなのよ。私みんなを怪我させちゃうかもしれないから。お爺ちゃまのことだって怪我させちゃうかもしれないのよ? お兄ちゃんが学校で使うもの買うのにダイアゴン横丁まで私も連れて行ってもらえたのだって、ホントならダメなことだったのよ? アブくんとお兄ちゃんとママと一緒に出かけたほうが、おうちでアブくんと2人だけで待ってるより良いかもしれないって、お兄ちゃんが言ってくれたのよ。それで何回も練習して、それでやっとお出かけできたのよ。私お爺ちゃまにも、お爺ちゃまの大切な人たちにも、誰にも怪我させたくないの」
そう述べたアリアナの声はとても小さかったので、すぐ隣に居るアバーフォースと両面鏡を持っているアルバス・ダンブルドア少年と、ダンブルドア少年のすぐ近くに集まっているシャーロットとへスパーとアミット・タッカーとポピーとポピーの祖母とエデュエイダス以外の者たち、つまりホグワーツ城の闇の魔術に対する防衛術の教室がある棟に今いる他の誰にも聞こえていなかった。
しかしエデュエイダスは、側頭部にまばらに残っている髪を虹色に光らせて禿げ頭を照らしている陽気なエデュエイダス・リメット・ウィーズリーは、両面鏡に映っている可愛らしいお顔が暗く翳ってしまった小さな女の子に断固としてにっこりと優しい笑顔で、なおかつ周囲を行き交う生徒たちには聞き取れないように気を遣った控えめの声量で語りかける。
「私は怪我をしないよ。きみがオブスキュラスを抑え込めなくなってしまっても、大丈夫。だって私はエデュエイダス・ウィーズリーだよ? 魔法生物規制管理部ケンタウルス連絡室室長だよ? なんにもせずに給料だけ貰うことに関しちゃ私の右に出る者は居ないんだよ? だから大丈夫」
英国魔法省で最も自慢できない管理職を長年務めているエデュエイダスの何ひとつ根拠など無い言葉には、しかし何故か聞いた者を安心させる不思議な説得力があった。
なぜ今「もしかすると大丈夫かもしれない」と自分は思ったのか、11歳のアルバス・ダンブルドア少年にも8歳のアバーフォースにも全く判らなかった。
しかし確かに、虹色に光るエデュエイダスは、およそ不幸などとは無縁そうに見えた。
「大丈夫だよ。一緒にギャレスのおうちで皆とクリスマスパーティしよう」
「そうだね、大丈夫。どうしても不安なら、ちょっとずつ練習しよう。きっとそのための両面鏡だ。パーティで会う予定の皆と、あらかじめ知り合っておける。だろう?」
真っ先にエデュエイダスに同調したポピーとアミットはアリアナちゃんの事情を全ては知らなかったが、それでも2人には「大丈夫だよ」と保証できるだけの根拠があった。
「アイツがいるから大丈夫だよ」
それが誰の話なのかをすぐに理解して、ダンブルドア少年は笑ってしまった。
「アルバスぅー! アルバスアルバスぅーー!! ねえ僕ね占い学の教室に行く途中でオナイ先生と会ったんだよほら見てオナイ先生だよカッコイイでしょねえアルバス僕もゼノビアもぜんぜん気づかなかったんだよこれから大広間で皆でお昼たべる時間なんだから占い学の教室になんて行かなくたってオナイ先生には会えるんだったのにさ僕ね――お返事がない! おーいアルバスぅー!」
占い学のムディワ・オナイ先生とレイブンクローの3年生女子ゼノビア・ノークに左右の手をそれぞれ繋いでもらっている背の高い女生徒が、びょんびょこ飛び跳ねながら輝くような笑顔を浮かべてこちらに向かってきていた。
なんで下着姿なのかは訊くだけ無駄だと、ダンブルドア少年は知っていた。
【ケンタウルス連絡室】
読んで字の如くの職務内容の部署だがケンタウルスがここを利用した例は無いため恐ろしく暇で、「ケンタウルス連絡室に転属」という言葉は「解雇」を意味する隠語として使われている。
アリアナ・ダンブルドアは母や兄たちに自分がいつも迷惑をかけていると思っていただろうし、介護させてしまっているのを気に病んでいただろうと私は考えています。
そしてアバーフォースとアルバスの妹なのだからきっと、とても賢い子だったのでしょう。