師匠に言われる言葉は、いつも同じだった。
「お前は分かっていない」
師匠に言われる言葉はいつもこれだった。
私が何をやっても最後には大抵この言葉がついてくる。
何がいけなかったのか、何で悪いのか、何をしてはならないのか、何に疑念を抱いているのか。
全部全部自覚している。心で理解している。
なのに、師匠はいつもお前は分かっていないと言う。
私を何も分かっていない。そうやって私は心の中で切り捨てていた。
この国有数の精鋭部隊に所属、その中でも最高戦力の魔術師であった師匠は力こそあれ老いには勝てず、遂には前線を離脱。その後は離れの町で魔術の研鑽を積み、今では大賢者と呼ばれるほどの存在になり、国を越えて世界においても師匠の元を訪ねる人々が居るほど実力は評価され、今日に至るまでかなり注目されている。
今は人の気配がまるでない辺鄙な山奥の小屋に移居し、そこで二人暮らしている。一週間に三人はこの山奥まで師匠の元を訪ねに来るが、必ずその日のうちに事を済ませて帰してしまう。
「黄昏時だ。今日は
「まだ、続けれます」
意地を張って杖を構え、もう一度初めから詠唱を開始する。
すると、無言で師匠に杖を取られてしまい、結局続けて特訓することは出来なかった。
いつもこれだ。
弟子を取ったことがない師匠が、私を特別に弟子として一緒に住まわせてくれた。何を教えてもらえるのだろうと期待してみれば、結果はこれ。最初の最初だけ、私が習得したい魔術のコツを教わったぐらい。それ以外は基本放置状態だ。
私は何のために、ここへ来たんだろう。
最近は、そればっかりが頭の中でぐるぐる回っている。
「今日は鹿肉を使ったシチューだ。冷めぬうちに頂こう」
「……はい」
師匠の後に続いて、小屋に入る。
初冬の風も、僅かに入り込んできた。
私にはもう、時間がない。
「ご馳走様でした」
晩御飯を平らげて、食器を洗い暖炉の前の椅子に座る。
ホットコーヒーを飲みながら、師匠と二人、向かい合って。
いつも何も話さない。
暖炉の火を眺めながら、時間を惜しみながら、それでも時計の針がかちかちと鳴る音を聴いて、今を静かに感じている。
限界、だったのかもしれない。
言いたくても言えないこと、いつかいつかと期待していたこと。来る日も来る日も待っていた、いつもとは違う言葉が欲しかった。
私は師匠に話しかけていた。意を決して、言ってしまった。
「師匠はいつも私に同じことを言いますよね。お前は分かっていないって。私にはそれが分かりません。全てを理解した上でここに来たのに」
返事を待った。
コーヒーを啜る音が、私の鼓動を加速させた。
かちかちと、やけに鮮明に聞こえた。
「お前がここに来てから、もうすぐ二年が経つ」
「はい」
「今まで、儂はお前をずっと見てきた。だからこそ、今一度問おう」
暖炉の火から私の眼へ視線を移して、真剣な眼差しで語りかける。
「時間がないのが、分かっているのか」
「…………分かっています」
そんなこと、とうに理解している
「いや、お前は分かっていない」
「……私は!! 分かってるよ!! 全部!!」
なんで。どうして。
師匠はいつもこんなことを言うんだろうか。私だって、こんなに苦労して魔術を習得しようとしているのに。その為に毎日毎日、毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日…………こうして、特訓しているじゃないか。
「……お前は、まだ何も分かってはいない」
「じゃあ、教えてよ。ちゃんと言葉にして伝えて。いま、ぜんぶ、わたしに」
私は、これでまた同じことを言われたらこの人の元を離れようと決意して、そして言った。
師匠の言葉に縋り付く思いで、私は今ここに居る。
「力が欲しい。知恵が欲しい。そう祈っただけでは何も変わらない。分かるな? 祈って、そして追い求め行動することが重要なのだ。
力が欲しくて、祈ってなお研鑽を積むのなら力は自然と身につく。祈ってなお勉学に励むのなら知恵を授けられる。神は必ず報いるのだ」
「それなら、私だって毎日特訓してる!! なのに、なんで……!」
私がここでどれほど特訓してきたか。
師匠が一番間近で見ているはずなのに。
「今一度言え。お前がここへ来た目的はなんだ。何故魔術の習得を試みるのか」
「私が、ここへ来た目的……。師匠は知ってますよね」
「言え」
怖いほどに、痛いほどに視線が刺さる。
震えた唇を一度触って確かめた。まだ、私は生きている。
「私がここに来たのはとある夢を、とある未来を見たから。この国を滅ぼすほどの巨大な星が天から降ってくる。そしてそれを、私が穿つ。その夢を現実にするために魔術を習得したくてここに来た」
「魔術を習得し、星を穿つ。それほどの大魔術、いや、魔術の域を超えたいわば魔法のようなものだ。国を守るほどの力を身につけたお前はどうなる」
「……言ったでしょ。私はその魔術を放ち、身を焦がすほどの力に耐え切れず、星に風穴を開けて遂にはバラバラになって降り注ぐ小隕石を見届けながら死ぬ。それが私の知っている未来。時間がないことも分かっている。後百日しかないことも分かっている。だから、私は、教えてほしい」
私が、三年前に知った未来。
覆しようもない現実。
積み重ねて、そして捨て去った過去。
私は全てを犠牲にしてここへ来た。
「お前は、死にたいか?」
師匠は問いかける。
私はすかさず答えた。
「死にたくない。死にたくないけど、するしかない」
知ってしまった以上、もう逃げ場はないみたいなもんだった。
「この国を守るためか? この国に生きる人を守るためか?」
「それは……」
「前にも聞かされたな。この星が降ってくるのは厄災の始まりに過ぎないと。その後どう足掻こうと厄災は訪れ多くの人々は死ぬと。それならば、今ここで死のうが後に死のうが変わりはないではなかろうか」
「師匠、一体何を言って……」
「つまりは、お前は無理をせずとも魔術を習得する必要はない。そう言っているのだ」
私はあっけらかんとして、開いた口が塞がらなかった。
それってつまり、逃げていいってことじゃないか。
「儂も歳だ。時期に寿命を迎える。ならば星にこの身諸共砕いてもらうがまたとない死に様だ」
「師匠……わた、し……わたしは!」
「無理をせずとも良いのだ。それに、まだ成人もして居らぬ小娘が背負うものでもない。この時が十年早ければ、儂が代わってやれたものよ」
涙が、零れ落ちそうになる。
胸の奥の苦しみが、スッと引いていくような気がした。
こんな風に、私を想ってくれていんだ。
その事実が嬉しくて、同時に悲しかった。
だって、あと百日しか一緒に過ごせないから。
「ありがとう、師匠。私をそんな風に想っていてくれて。でもね、私は逃げたりしない。死ぬのはちょっぴり怖い。でも、師匠がそう言ってくれたから私は今救われたよ」
「大好きな家族が居た。我儘で、頑固で、だらしなくて、こんな私を愛してくれる家族がいた。一緒に笑って過ごした友人がいた。今では故郷を離れて遠くに行ってしまったけど、想いを伝えれなかった好きな人がいた。私には、例えすぐに死ぬとしても少しでもみんなの時間を守りたい。少しでも、笑顔でこの世界に居てほしい。それが叶うことはないかもしれないけど、それでもそんな未来があるとしたら私は賭けたい。何もやらずに逃げ出すなんて、出来ないよ……。だって、こんなにも沢山の愛を受けてきたんだから。家族と、友人と、そして師匠からも」
私の頑固は、例え死ぬ直前でも変わらないんだろうな。
そんなことを思いながら、想いの丈を師匠に伝えた。吐くだけ吐いて、スッキリした私とは違って、師匠は少しだけ悲しげな表情をしていた。
もしかしたら、泣きたいのかもしれない。
師匠は、暫く目を閉じた。
深呼吸する音から、緊張が伝わる。白く長い髭が何故か艶やかに見えた。きっと、私の涙のせいだろう。
暖炉の火が、ぱちぱちと。
慰めるように暖かさを保ったまま、私たちを見守っている。
「お前は、何故儂の元へ来たのか」
「師匠は、魔術が得意だから」
「それだけではなかろう。儂は分かっておる。だからこそ、今ここではっきり言っておく」
一呼吸挟むと、重圧のある声で私に言った。
「お前は死ぬ。儂にはお前を救う術はない。一縷の望みもないことを、お前は知っているだろう。幾ら魔術に長けているからとは言え、限界はある。お前を守り切ることは儂には出来ぬ」
「…………そっか。やっぱり、死ぬんだね」
私は、心のどこかで期待していた。
大賢者である師匠であれば、もしかすると私を死から救えるかもしれない、と。でも、やっぱり無理だった。
改めてそう言われると、心がギュッと苦しくなった。でも、それも一瞬で、むしろストンと自分の中で何かが変わった。
「それでも、お前はやるのか?」
「はい。私は、星を穿ち、みんなを守ります。そのためにここへ来ました」
「……そうか。覚悟は出来たな。お前は今、分かったのだ」
そうか。そうだったんだ。
私、覚悟したつもりだったけど、出来てなかったんだ。
「師匠は、ずっとそのことを言ってたんだね。うん、覚悟は出来たよ」
そう言うと、師匠は微笑んだ。
初めて見たかもしれない。穏やかな笑顔。
何かを想うような、悲しげで、それでいて温かい微笑み。
私は思わず抱きついた。
「師匠、最後の百日間は名前で呼んでほしい」
「……良かろう。それぐらいのことはしてやれる」
「私に、みんなを守ることは出来るかな」
少し不安になって、つい聞いてしまった。
頭にふわりと、皺のある大きな手が私の頭を優しく撫でる。人の温もりを感じるのは、久しぶりだった。
「出来る。ずっと見てきた儂が言うのだ。それに、既に魔術を行使する実力はある。後は覚悟が足らぬだけであった」
「そう、なの?」
「そうとも。皆を守る力は、もう持っている」
その言葉を聞いて、私は安心した。
他の誰でもない、私の死に際まで側に居てくれる師匠だからこそ。
ああ、それ程までに、なんだかんだ好きだったんだ、私。
「もう特訓の必要はない。残りの時間は、穏やかに過ごそう」
「それで、いいの?」
「よい。無理する必要など、とうにないのだからな」
師匠が言うなら、きっとそうなんだろう。
私はみんなに、報いることを考える。
ここまで授かってきた、多くの愛情に対して。
「終わりの夜は、何か食べたいものはあるか?」
「最後の晩餐? うーん、でもやっぱり、最後に食べるのは」
「今日と同じ、シチューがいいな」
おしまい